コツ、コツ、コツ、  
廊下の奥から足音が聞こえてくる。  
(こんな夜中にここに人が来るのはめずらしいな、誰だ?)  
そんな事を考えていると足音は俺が入っている檻の前で止まった。  
「なんだお前か、お前もこんな所に来るんだな」「明日死ぬあなたの顔を見にきたのよ」  
 
そう言ったこの女の名前は、リリィ=シュバルツこの国で『法務人』という仕事をしている。この法務人は国の法的機関で数人しかおらず、最も重要な役割を担っている。つまり、こいつがこの国で起きた犯罪を裁き、犯罪人を殺すか殺さないかを決めている。  
「なんでだよ。どうせ明日処刑場にくるんだろ?その時に顔なんていくらでも見れんだろ」  
今俺が居るのは城の地下にある牢屋で、俺は明日処刑されるのがすでに決まっていた。そう、俺は犯罪人だ。  
「あなたには関係ない」「へっ、そうかよ。それなら別に良いけどよ」  
俺はそう言ってしばらく黙った。あいつも何も話しかけてこなかった。  
「…」  
「…」  
しばらくして、  
「どうして…」  
ようやく聞こえるような小さな声であいつが話しかけてきた。  
「ん?」  
思わず俺は聞き返していた。  
「どうして人を殺したのよ!あなたはそんな事するような人じゃなかったのに!」  
 
突然、怒鳴るような大きな声で俺に向かって言ってきた。  
「…お前には関係ない」今度は俺が、聞こえるか分からないような声で返事をした。  
「あるわよ!だって私あなたが…、あなたの事があの頃からずっと…」  
「それ以上言うな!!」俺はあいつがしゃべっているのを自分の声を被せて遮った。  
「どうしてよ!」  
「俺は明日死ぬんだ、それなのにそんな事を聞いても俺にはどうする事もできない」  
この国では、一人の人間を殺しても普通は何十年か牢屋に入れられるだけで処刑にはならない。  
しかし、俺が昨日殺したのはこの国で『貴族』と呼ばれるお偉いさんだった。そのため、俺がそいつを殺した時にその場ですぐに捕まり、次の日には、つまり今日には処刑が決まっていた。  
「私が、あなたは悪くないと言えばまだなんとかなるかもしれない。だから…」  
目に少し涙を浮かべながらこいつは言った。  
法務人という仕事をしていても今回の様な時にはこいつ一人の力ではどうにもならない事は俺にもわかっていた。  
「いいんだ。俺が人を殺した事に変わりはないんだから」  
俺はそう言って、目の前にいる彼女を見た。  
 
するとこいつの頬に涙が流れ、その場に座りこんでしまった。  
「だけど私イヤだよ…。どうして好きな人を自分の手で殺さないといけないの?わかんないよ…」法務人は罪人の処罰を決めるだけでなく、実際に自分の手で罪人を殺す。それが『法務人』という仕事だった。  
その事は全部俺も知っていた。そして、今の言葉で俺を殺すのはこいつだというのが今初めてわかった。  
「違う。俺を殺すんじゃない、法で裁くんだ。そして、それに選ばれたのが偶然お前だったんだ。ただそれだけのことだ」俺は檻に近寄りながら子供に聞かせる様に静かに話しかけた。  
「だけど…」  
「それに…、俺は選ばれたのがお前で良かったと思う」  
「なんでよ?」  
少し怒ったような声で言った。  
俺はこいつの、リリィの頬を流れる涙を指で拭いながら、  
 
「……好きな奴になら俺は殺されても良い」  
 
俺は言ってしまった。  
このまま何も言わずに、何も伝えずに死のう、  
そう決めていたはずなのにこいつの泣いている顔を見ていたら自然に言葉が溢れてきてしまった。彼女は少し驚いた顔で、「…本当に?私の事好きなの?」  
「ああ」  
「でも、本当にそれで良いの?私に殺されて死んじゃうだよ?」  
 
彼女は何度も聞いてくる「良いって言ってんだろしつこいな。…でも、そうゆう所は変わんないんだな、お前」  
 
「え?」  
俺は笑いながら言ってやる。  
「しつこいのは子供の頃と変わってないと思ってさ」  
「ごめん…」  
そう言うと彼女はようやく泣きやんでくれた。  
彼女は下を向きながら顔を赤くした。そして、  
「…ちょっと目閉じてくれない?」  
恥ずかしそうに言った。「何でだよ」  
「いいから!」  
俺は少し嫌がりながら目を閉じた。  
その時、口に何かが当たった。何か軟らかい。  
俺は不思議に思い、目を開けてみた。  
「ん!!!」  
すると、彼女の顔が目の前にあって、俺の口と彼女の口が檻を挟んで重なっていた。  
「……ん」  
俺はそれが初めてのキスだった。  
(こいつも初めてなのかなぁ)  
などとくだらないことを考えていた。  
それは実際には何秒かだけだったかもしれない。でも、お互いの口を重ねている時は、とてつもない長い時間が流れているような気がした。  
「好きな人と一生キスも出来ないままなんていやだから」  
彼女は口を離してからそう言った。  
「ちなみに、これ私のファーストキスだからね」  
 
などと、俺の考えていた事がわかっている様に笑いながら付け足した。  
そして、そのまま笑いながら彼女は、  
 
「それじゃあね…」  
「…おう」  
 
「さようなら」  
 
彼女は走って帰った。  
一度も振り返らず。  
家に着くまで。  
そして、家で泣いた。  
今まで出した事の無いような量の涙を流した。  
 
一番好きな人を、  
明日自分が殺す人を、  
想いながら。  
 

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