伍子胥は楚の人である。名は員。生年ははっきりしない。
時は紀元前五百年ころ。中国は春秋時代にあたり、
諸国が大小に分かれて覇を競っていたころであった。
ちょうどこのころ、中原の魯国では孔子が活躍している。
伍子胥の祖先は伍挙という。楚の王に仕え、直言を以って知られた人である。
因って楚の名族であった。
父の名を伍奢といい、兄の名を伍尚といった。
伍奢楚の平王の太子建の太傅をしていた。
伍子胥は気の強い男であった。若いころから活発で、
武芸を好み、山野を駆け巡っていた。
同じ兄の尚は大人しい気質で、よく伍子胥は父を悩ませていたくらいだ。
青年となった伍子胥は中肉中背で、目は鋭く輝き、
眉は吊り上り、意思の強そうな面構えをしていた。
親友に申包胥という男がある。
忠義の心の強い青年でよく伍子胥と交わりを結んだ。
さて、平王の太子は名を建といったが、彼に仕える少傅(副侍従)を費無忌といった。
この男は人物が小さく、欲深で、しかも狡猾であった。
ある時、費無忌は嫁探しの使者として秦の国を訪れた。
そこで秦王の娘を太子の后に連れて帰るが、公女は絶世の美女であった。
そこで費無忌は奸智を働かせ、平王に復命した。
「秦女は美女です。陛下がこれをおとりくだされ。太子には別の女子をあてればよろしいでしょう」
平王が見ると、果たして公女は美女であった。
彼は公女を娶り、これをはなはだ寵愛するようになった。
その功績で費無忌は平王に取り入り、出世するようになった。
こうなれば恐ろしいのは太子の建である。
いずれ平王は死ぬ。そうなれば王となった太子が自分を殺すのは目に見えていた。
そこで費無忌は事あるごとに建の悪口を吹き込んだ。
「太子は暗愚です。とても国を継ぐに値しません」
王は次第に太子を疎んずるようになった。建の母は小国・蔡の女である。
平王は元々この女を寵愛していなかった。
ついに王は太子を辺境の城父の地に左遷した。
伍奢一家もお供をして城父に赴いた。
費無忌はさらに讒言した。
「太子は兵を集め、諸国と交わり、陰謀をたくらんでいます。今の内に手を打たねば厄介です」
平王は激怒し、伍奢を呼び寄せた。そして厳しく尋問した。
「貴様は太子が謀反をたくらんでおるのに、なぜ報告しなかった。貴様も賊臣か!!」
伍奢は悲しそうにいった。
「陛下はなぜ奸佞の小人物の言葉に惑わされて、大切なお身内を疑うのですか」
「へ、陛下!こやつも謀反に加担しているに違いありませんぞ!!」
平王は伍奢の言うことに耳をかさなかった。
司馬(軍司令官)の奮揚に命じて建を殺しに行かせた。
奮揚は途中で建に急を告げた。建は宋国に亡命した。
平王は秦女の産んだ軫を代わりに太子に立てた。昭王である。
これで邪魔者を葬った費無忌であったが、こうなると気になるのは伍一家であった。
「陛下、伍奢の息子は二人とも聡明で、生かしておけば後々災いとなります。
伍奢を人質におびき寄せて、まとめて殺してしまいましょう」
果たして、使者が城父に飛んだ。
「何ゆえでございますか、兄上!!」
伍子胥は悲痛な声で叫んだ。
「王は我々父子を生かしておくつもりなどありませぬ。行かば父子ともに殺されるだけです!」
伍尚は静かに口を開いた。
「員よ、それは俺も分かっている。だが考えてみろ。
ここで逃げて父上を死なせては、我々は不孝者として天下の笑い者になるだけではないか。
員よ、お前は才能がある。逃げて我々の仇を討ってくれ。
俺は郢に行き、死ぬ。お前は生きるんだ」
兄も泣いていた。
伍子胥は剣と弓を手に立ち去った。
「まて、逆賊!!」
そこへ平王の手先が襲ってくる。
伍子胥は弓を構えた。
「この奸臣の手先め、死ね!!」
兵は散々に逃げ出した。
伍尚は楚の首都に出頭した。平王は即刻伍奢と伍尚を処刑した。
伍子胥は初め建の後を追い、宋国に向かった。
だが、宋では内乱が起こり、どさくさの内に建は殺されてしまった。
伍子胥は一人、呉の国を目指した。
呉は今の浙江省にある新興国である。
呉の祖先は周王室につながる太伯であり、姫を姓といしていた。
元は野蛮国であったがようやく力を顕わし、しばしば楚の国境を犯していた。
伍子胥は呉の国を利用し、楚に復讐するつもりであったのだ。
だが、旅は困難を極めた。途中で何度も行き倒れになりかかり、
疫病で寝込んだ事もあった。そんなとき、伍子胥は申包胥のことを思い出した。
伍子胥が楚から遁れるとき、ばったり申包胥と出くわした。
申包胥は悲しそうな顔をしていた。
「行くのか、子胥よ」
「ああ、 包胥、俺は行く。そして必ず平王を殺してみせる」
申包胥は決然とした面持ちで言った。
「子胥よ、ならば俺は必ず楚を守ってみせる!」
ある城市で伍子胥は役人に捕まりそうになった。
「待て!!」
髭をはやした兵隊が伍子胥をつかまえる。
「貴様は手配書にある伍子胥だな。逮捕する!」
平王は伍子胥の首に多額の懸賞金をかけていたのだ。
「やってみるがいいさ」
伍子胥は不敵に笑った。
「俺がなぜ追われているか知っているか?俺は高価な宝石を王から盗み出したのだ。
俺が捕まれば、みなに『この男が宝石を飲み込んでしまいました』と告げるぞ。
王はお前の腹をどうするかな」
「あわわ……」
伍子胥は逃げ出すことに成功した。
伍子胥は昭関までたどりついた。
追っ手はあとからついてくる。
長江の河岸につくと、一人の漁夫が釣りをしていた。純朴そうな男である。
伍子胥は彼に舟を渡してもらった。
果たして長江を渡り切ることができた。
伍子胥は漁夫をかえりみると、腰の剣をはずしていった。
「この剣は百金の値打ちがある。君が取れ」
漁夫はわずかな微笑を浮かべるばかりだ。
「知っていますか?楚ではお尋ね者の伍子胥を捕らえたものには、
粟五万石をたまわり、執珪(貴族)の位を与えるという御触れです。
百金の剣なんて、いまさら要らないんですよ」
伍子胥はただ深くこうべを垂れた。
伍子胥は公子光を頼って、呉王僚に目通りを願いでた。呉王僚五年(紀元前552年)のことだ。
「陛下、平王は無道であり、国は乱れております。楚を打ち破ることは可能です。
どうか公子殿下に楚を伐つようお命じください」
だが、公子光は首を横に振った。
後々いう。
「伍子胥は父と兄を殺されて、楚を憎んでおります。口車に乗せられて兵を動かしてはなりません」
そういいながら、公子光は伍子胥を厚遇した。伍子胥は不思議に思った。
あるとき、公子光は伍子胥を連れて園遊にでかけた。そこでぽつりと漏らした。
「この国の王位、おかしいと思わぬか?」
そもそも、呉の始祖は周の太王古公亶父の長男太伯である。
次弟を仲擁、末弟を季歴といった。
太王は季歴の息子の昌に聖王の資質を見出し、王位を
継がせたいと思ったが、兄二人を差し置いて末子の季歴に
王位を継がせるわけにはいかなかった。
父の意中を察した長男太伯と次弟を仲擁は季歴に王位を継がせるために
南方の地へ旅立ち、刑蛮の地に呉の基を築いた。
太伯から十九代目が寿夢である。
寿夢には四人の息子があり、末子の季札が最も人望があり、
寿夢は季札に国政を代行させようとしたが、季札は受けなかった。
寿夢が亡くなり、長子の諸樊は先王の望みに従って、
季札に王位を継がせようとしたが、季札は固辞し、野に下って農耕に勤しんだ。
そこで諸樊は王位を順に弟に継がせて、季札に回そうとした。
諸樊が十三年、次弟が十七年、三弟夷昧が四年で、
季札の番が回ってきたが、季札はまたも固辞したので、先王夷昧の息子の僚が呉王を継いだ。
公子光は、王僚のいとこであり、季札に継がせるために、あえて太子を立てなかった王諸樊の息子であった。
(そうか。この人は王位につけなかったことに不満があるのだな。
自分が呉王になろうという大きな野心があり、そこで国外のことに目が向いていないのだな)
そう悟った伍子胥は深く考え、策をめぐらした。
そして楚の街を広く渉猟した。そこで専諸という男を見つけ出した。
専諸は貧しい家に老母を抱えた男だったが、義理堅く、勇気があった。
伍子胥は専諸と深く交わりを結んだ。そして彼を公子光に推薦した。
公子光はにっこりと笑って専諸を舎人に任じた。
それから五年間、伍子胥は野に下り、田を耕して暮らした。
伍子胥は歯がゆかった。一刻も早く、呉兵を率い、楚を荒らしまわり、平王の首級を挙げたかった。
そんなとき、楚から知らせが届いた。平王が崩御したというのである。
「そ、そんな……」
伍子胥の手から鍬が落ちる。
伍子胥は父と兄が死んでから、ただ平王を殺すことだけを考えて今日まで生きてきた。
そのためだけに生きてきた。生き恥をさらしていた。
それなのに父と兄の仇も討てず、楚王に死なれたのでは、自分は天下の笑い者ではないか。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
伍子胥は天を衝いて号泣した。ひたすら泣き続けた。
「父上、兄上、お許しください。員は父上と兄上の仇も討てず、
平王を死なせてしまいました。もう生きている価値もありません。後をお追いします」
伍子胥は剣を手に取った。そのとき伍子胥の脳裏にあることが閃いた。
(――生きている)
(まだあの男の息子は生きている)
(殺してやる――)
「俺は楚を滅ぼすまで死なぬぞ!必ず仇を討ってみせる!!」
呉王僚十三年(紀元前514年)、楚の平王は没し、呉王僚は楚の喪につけ込んで、公子の燭庸と
蓋余に楚を攻めさせた。楚は兵を発して呉軍の退路を断ち、呉軍は帰国出来なくなった。
呉の国内が空になったのを利用して、公子光はついに野心を実現に移そうとしたのだ。
「陛下、外征がうまくいかず御気分がすぐれぬご様子。臣の屋敷で宴会を開きますので、
どうかお越しください」
公子光はこううまく王に奏上すると、王も宴会に出向くことになった。
勿論、その席上で王を暗殺するつもりなのである。
だが、王も用心深かった。宮殿から光の屋敷までびっしりと兵を並べ、
装甲を着込み、自分の左右には腕利きの剣士を配した。
さて、宴もたけなわの折り、光は「足が痛い」と詐って地下室に向かった。
地下室には武装兵が待機している。中には専諸の姿があった。
「専諸。やってくれるか」
「お任せください。殿下。今こそ御恩に報いるときです」
専諸は魚料理を王の面前にまで運んだ。魚の中には魚腸という特別鋭い匕首が忍ばせてある。
専諸は魚腸を抜き出し、王を刺した。
「あっ!!」
匕首が王の腹に刺さるのと、両脇の剣士が専諸に斬撃を繰り出すのは同時であった。
専諸は致命傷を負い、絶命した。だが、王も息絶えた。
光は武装兵を繰り出すと、王の側近を次々と虐殺した。
そして宮廷に乗り込み、王位を宣した。呉王闔廬である。
呉王となった闔廬は伍子胥を行人(賓客を司り、諸侯国へ使いする官)として、ともに国事を謀った。
そのころ、兵法家として有名な孫武が来客し、闔廬に仕える事となった。
彼は後に世に知られた兵法書「孫子」を著すことになる。
楚では大臣の伯州犂が誅殺され、孫の伯ヒが呉へ亡命してきた。呉王闔廬は伯ヒも大夫とした。
呉王闔廬三年(紀元前512年)、呉王闔廬は、伍子胥・孫武・伯ヒと共に楚を攻め、舒を奪った。
四年、また楚を伐って、六とセンという地を取り、六年には、攻めてきた楚の公子嚢瓦の軍を伍子胥が迎撃し、
逆に大勝利を収め、楚の居巣を占領した。
呉王闔廬九年。
闔廬は伍子胥と孫武に諮問した。
「先に楚を破ったとき、わしが郢を急襲してはどうかと聞いたが、
そなたたちは時期尚早だといったな。今はどうじゃ」
「はい、陛下。今は天の時も熟しています。今こそ楚を奪うときです」と伍子胥。
「陛下、楚の公子嚢瓦は貪欲ものにして、唐と蔡の二国は彼を憎んでいます。
この二国を味方につければ勝利は疑いありません」と孫武。
「うむ、いよいよ楚を滅ぼすときじゃ」
闔廬は立ち上がった。
伍子胥はふと自分の人生を思い起こす。
(俺も老いた――)
気がつくと自分はもう壮年といっていい年を過ぎた。
いつの間にか息子もできた。呉の女を娶ったのだ。
(だが、まだだ。楚を滅ぼさぬうちに、俺は老いさらばえない)
闔廬は呉国の全軍を動かした。唐と蔡の二国も呉に味方した。
呉軍と楚軍は漢水を挟んで対峙し、決戦の結果、呉は大いに楚を打ち破った。
呉軍は五度合戦し、五度楚を破った。
そしていよいよ楚の首都郢に迫り、ついにこれを攻略した。呉王闔廬九年(紀元前506年)、
十一月のことである。
昭王は雲夢の沼沢地に逃げ込んだ。
(どこだ、どこだ――?)
伍子胥は兵を率い、郢の市街を探し回った。
あちこちの家屋に侵入し、昭王がどこかに隠れてはいないかと探しつくす。
だが、どうしても昭王をみつけることができない。
(あと一歩だ、あと一歩だというのに――)
伍子胥は歯噛みした。
兵士が報じた。
「申し上げます。閣下、平王の墳墓を発見しました」
「何――?」
兵士はここに昭王がいないかと、平王の墳墓を探索したのだ。
「残念ながら楚王は発見できませんでしたが――」
「どけ!!」
伍子胥は猛進した。
「これが、あの昏君の墓か……」
平王の墳墓を前にする伍子胥。
「あの、閣下、どうなさるおつもりですか?」
「あばけ!」
伍子胥は命じた。
「平王の墓をあばき、中から平王の棺をひっぱりだしてこい!!」
やがて目の前に平王の棺がかつぎこまれる。
兵士たちは困惑している。
「あの、閣下、これをどうしようというので……」
「棺をあけよ」
「え、そんな……」
「いいからあけよ!!」
「ひっ!!」
伍子胥は怒号した。
棺が開けられる。中から白骨化した遺体があらわになった。
(平王――!!)
当惑する兵士たちをよそに伍子胥は鞭をもってこさせるように命じる。
鞭を手に取ると、なんと、伍子胥は平王の遺体に鞭を振り下ろした。
「どうだ!!平王!!父上と兄上の仇だあああっ!!苦しめええええええっ!!」
伍子胥は凄まじい勢いで鞭を振りかざす。たちまち白骨が砕け散っていく。
「ひえええ……」
伍子胥のあまりの剣幕に兵士たちは腰を抜かすが、伍子胥はかまわず鞭を振りつづける。
やがて三百発も鞭打った。平王の遺体はばらばらに砕けて無残きわまりない。
「はあ、はあ……」
伍子胥は息をついた。
(父上、兄上、員はいま仇を討てました……)
伍子胥は涙を流した。
この報を聞いた男がいる。例の伍子胥の親友――申包胥だ。
申包胥は深く憤った。
「子胥の気持ちも分かる。だが、あまりにも酷すぎないか。
いくら仇とて一度は仕えた王にこのような仕打ちを加えるとは無道がすぎるではないか」
そう思い、使者をつかわして伍子胥を難詰した。
伍子胥はこういった。
「包胥に伝えてやれ。――日暮れて途遠し。倒行して逆施するのみ」
(もう時間がないのだ。だから常識を破る行いをやった)
申包胥は亡国の危機に深く感じるところがあり、ひとり秦まで馳せ参じた。
秦公に救援を求めるつもりなのだ。
だが、秦の哀公はつめたかった。
「楚は無道の国。この度のこともその結末よ。無道の国を助けては、
寡人が笑われる。使者には援軍はだせぬと伝えよ」
申包胥は泣いた。宮廷の庭で泣き続けた。
なんと、その長さ、七日七晩も泣き続けたのである。
「陛下。あの使者は泣き叫びつづけてもう七日七晩になります。
食事もとらず、眠りもせず、もう死ぬのではないですか」
「ふうむ。あのような忠臣がおるとはのう。天がまだ楚を見捨てぬ証拠か」
果たして秦公は兵車五百乗の援兵をだした。
「陛下、大変でございます!!」
呉王闔廬の幕舎に急使が入った。
「なに、越が侵略してきたじゃと!!」
知らせとは隣国の越が留守を衝いて侵入してきたというのである。
越は呉の南方にある国である。今の浙江省の紹興市あたりにあった。
越の祖は夏の帝少康の庶子で、会稽に封ぜられ、南方の夷狄の風習に従って文身をし、
髪を切り、荒地を開拓して村落をつくった――これが越の始まりとされる。
史記の記述は、「二十余世たって允常にいたった」とある。
南方の野蛮国であり死をも恐れぬ勇敢な戦士を抱える部族国家である。
仕方なく、呉は兵力の半分を割いて本国の救援に向かわせた。
そのとき秦の援軍が到着した。
呉軍は稷の地で秦軍に一敗地にまみれた。
悪い事はたてつづけに起こるものである。
呉王の弟・夫概はこの隙をついて帰国し、呉王を名乗った。
闔廬は遠征を中止せざるを得なくなった。
「すまぬ、伍子胥よ。そなたには仇の昭王を討たせてやりたかったのじゃが。こらえてくれ」
「陛下、私の気持ちはもう十分はれました。今は急いで謀反人を討ちましょう」
こうして呉軍は楚から撤退した。夫概は破れ、楚に奔った。
戦いは終わったのである。
(続く)