「・・・眠れん・・・。」
ある日の夜。
俺は寝る姿勢を変えながらそうつぶやいた。
原因は分かっている。
先月のバレンタインの時の事だ。
その日のことを思い出してみる。
あの日、綾乃はいきなり俺に抱きついてきた。
その時、背中に非常に柔らかい感触が――
がああああああああああああああっ!!
記憶戻りすぎだ戻りすぎ!
確かにあの時の感触は嬉しかったっていうか抱きつかれるたびにあの感触が
そう言えば再会したときよりも大きくって違う違う思い出すところはそこじゃない。
とにかく問題の時の会話を思い出してみる。
「来月の14日、どっかに遊びに行くか?」
「・・・うん!!」
「あんな事言うんじゃなかったなあ・・・。」
女の子と一緒に二人だけで何処かに遊びに行くなんてこれじゃまるで・・・
「・・・でーと・・・。」
思えば子供の頃からで、で、デート・・・に行ったことは一度もない。
なので何処に行ったら喜ばれるかなどと言うのは全然解らないのだ。
まあ今更後悔しても仕方ないと兄に相談したら、
「ちゃんと避妊はしろよ。」
と、十段階ぐらいすっ飛ばした意見を述べてきたので張り倒しておいた。
というわけで自力で考えるしかない。
まあ月並みだが、遊園地か、映画館かと言ったところだろう。
とりあえず長い間いられる遊園地と言うことにしておく。
「問題は金か・・・。」
財布の中身を確認。
そこには必死にバイトした成果として諭吉さんが3人降臨されていた。
よし、これで割り勘という情けない事態は回避できる。
よくやった俺。ありがとう俺。
しかし何で俺は何でこんな事で頭を悩ませてるんだろうか。
というか何であんな約束してしまったんだろうかと今更ながら思う。
「でもあんな顔されるとなぁ・・・。」
俺はそう言いつつ傍らに置いた携帯を開き、保存している画像を見た。
そこには綾乃と、彼女に抱きつかれた俺が映っていた。
バレンタインの日に馬鹿兄とその嫁に撮影されたものだ。
何となく消去せずにまだ持っている。
だが撮影された経緯はどうでも良い。
「問題はこの顔だ。」
そう言って俺は携帯の画像を改めてみる。
そこに映る俺たちの顔は、共に笑顔だ。
「なんでこんな顔したんだろ俺・・・。」
いやあの時はノリで・・・。
そう!ノリだ!ノリだったから仕方ないよな!
・・・・・・・・・・。
「・・・我ながら言い訳臭いな・・・。」
自嘲気味につぶやきながら今回の約束をしたときのことを思い出す。
あの時の本当に嬉しそうな笑顔。
子供の頃はいつも俺の傍で見せていた顔。
今もまた俺の傍で見せている笑顔。
この顔を、俺は一度、泣き顔に変えてしまった。
それでもアイツは、俺の傍にいようとする・・・。
普段ならすぐ来るはずの睡魔は、なかなか訪れなかった。
「・・・遅い・・・。」
ホワイトデー兼初デート当日。
俺は待ち合わせ場所の前で腕組みしつつ綾乃を待っていた。
ちなみに今の俺の服装は灰色Tシャツの上に黒ライン入りの上着、
少々使い込んだジーンズといった俺お気に入りの服装だ。
まあ仮にも女の子と二人だけで遊びに行くんだしオシャレに気を使わないわけにもいくまい。
「お待たせー。」
とか考えてると、後から聞き慣れた女の声が聞こえた。
「お・・・・・・。」
遅いと言いながら振り向いたその先にいる人物を見て、
俺は口を「お」の形にしたまま固まった。
そこに立っているのは予想通り綾乃だった。
が、俺が驚いたのはその服装だった。
黒いタートルネックの長袖Tシャツの上に白い上着、
ベージュのロングスカートといった服装だ。
露出度は少ないが身体の線が目立つ。
そう言えば再会したときもこんな感じだったし、
彼女はこういう服装が好みかもしれない。
「待った?」
「すごく。」
そう言って約束の時間を十分過ぎた時計を見せる。
それを見た綾乃の顔が申し訳なさそうに歪む。
が、俺が「気にするな。」と言いながら彼女の頭を軽く叩くとすぐ笑顔に戻った。
「じゃ、行くか。」
「待ちなさい。」
歩き出そうとした俺の肩を綾乃が掴む。
「せっかく気合い入れておしゃれしてきたんだから何か言うことがあるんじゃない?」
「ナンノコトデセウ?」
わざとらしい片言になった俺を見て綾乃は肩を落として吐息。
「思ったことを口にすればいいのよ。」
「思ったこと・・・。」
まあ言いたいことは解る。
「綺麗だ」とか「可愛い」とか言わせたいんだろう。
だが・・・・・・・・。
「ンな事恥ずかしくて言えるか!」
「いやらしいこと考えてたの?」
「違ーう!」
もはや綾乃との会話で恒例となった絶叫ツッコミを入れるが、
綾乃はそれにも動じずに言ってきた。
「じゃ、言ってみて。」
口は笑ってるが目がマジだ。
・・・仕方ない。
軽く咳払いして口を開く。
「・・・に、に・・・、に・・・・・。」
最初の一文字が口から出て、そこから先が出ない。
が、綾乃はそんな俺を怒りもせずに次の言葉を静かに待っていた。
彼女の期待の視線に耐えきれず視線をそらす。
やがて視線が綾乃の姿を完全に外したとき、言葉がようやく出た。
「似合ってる。」
聞こえるか聞こえないかくらいの声量。
これが俺の精一杯だった。
そのことが凄く情けなく思う。
そう思いつつ視線を戻すと、綾乃は俺に向かって笑顔を見せていた。
「ありがと♪」
「あ、ああ・・・。」
間抜けな返事を何とか返すが精一杯だ。
と、そこで俺はある点に気付いた。
綾乃の長い髪の一房に白いリボンが巻きついていたのだ。
「どうかした?」
「いや・・・。」
何だろう、あのリボン、何か見たことあるような・・・。
だがその疑問を口にすることなく、俺は綾乃を連れて歩き出した。
最寄り駅で切符を買い、俺たちは電車の座席に二人隣り合って座っていた。
「で、どこ行くの?」
「まあ、後のお楽しみだ。」
「ケチ。」
そう言って綾乃は微笑。
それから数分。
今現在俺たちは一言もしゃべれなくなっていた。
俺の肩に綾乃が頭を乗せて寝ているのだ。
柔らかな髪の質感。
鼻先にかかるシャンプーの香り。
何より無防備かつあどけない寝顔。
それら総てが俺の心臓を激しく動かす要因となっている。
『――次は、新多賀美、新多賀美です――』
アナウンスが次の停車駅を告げる声も何処か遠くから聞こえるようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・あれ?あなうんす?
『――次は、新多賀美、新多賀美です――』
再びアナウンスが次の停車駅を知らせる。
ってそれ目的地だよオイ!
「オイ!綾乃!起きろ!」
俺は即座に眠り姫を起こしにかかった。
「何とか間に合った・・・。」
電車が駅が遠ざかっていくのを見送りながら俺はベンチに座り込んで安堵した。
「ゴメン・・・。」
隣の席に座る綾乃が申し訳なさそうに身を小さくする。
「寝不足?」
そう聞くと彼女はゆっくりと首を縦に振る。
「今日が楽しみで、あんまり寝れなかった・・・。」
「遠足前日の子供かお前は。」
呆れながらツッコミを入れる。
だが、楽しみにしてくれたというのは素直に嬉しい。
ちなみに俺もなかなか寝れなかったことは黙っておく。
「今日誘った甲斐があったなあ・・・。」
「早いって。そう思うのが。」
珍しく綾乃の方からツッコミが来た。
俺はそのことに苦笑しつつ立ち上がった。
「もう大丈夫か?」
「もちろん!」
そう言うと彼女も元気よく立ち上がった。
この分だと本当に大丈夫だろう。
「よし、じゃあ今日はパーッと遊ぶぞ!」
「おーっ!」
俺たちは腕を振り上げつつ声を張り上げて大股で歩き出した。
しかし周りの人たちの視線を受けてその足取りはすぐにコソコソとしたものになった。
駅から二人並んで歩くと、程なくして目的地に着いた。
「あ・・・。」
綾乃が驚きの声を上げる。
そこは俺たちが子供の頃に何度も行った遊園地だった。
「ここ、まだあったんだ・・・。」
そう言うと彼女は視線を俺の方に戻した。
「昔、よくここに来たよね?」
「ああ、懐かしいな・・・。」
彼女の笑顔を見て、ここにしてよかったと自分の判断が間違ってなかったことを確信。
「じゃ、行くぞ。」
「うん!」
俺たちは一日フリーパス券を買うと中に入っていった。
「世界が、世界が揺れる〜〜。」
そう言うと俺はベンチの座席部分に突っ伏した。
原因はさっきまで乗っていたジェットコースターだ。
最近改装されたらしいそれはもはや絶叫マシンというか。
だが綾乃は顔色一つ変えずに乗車中の様子を撮影した写真を真剣に睨みつけていた。
「写真写りが悪い・・・。」
その視線の先では俺の少々ブレた姿があった。
「無茶言うなよ・・・。」
俺の呟きが聞こえなかったのか綾乃は立ち上がると俺の手を取り、
「もう一回!」
「えぇ!?」
俺の抗議を無視して綾乃は俺の手を引いて再びジェットコースターの列に向かって歩き出した。
「で、何でそんなに怖がってるんだよ・・・。」
「だ、だって・・・。」
お化け屋敷内で、綾乃は思いきり俺にしがみついて心底怯えたような
――というか完全に怯えきった声を出す。
「こういう場所ってホントに出るって言うし・・・。」
「子供じゃないんだから信じるなよってかそんなにしがみつくなよ。」
「・・・昔、お化け屋敷に置いてけぼりにされたことあるし・・・。」
余計なこと覚えてるよこいつ。
「そ、それは申し訳なかったけど、ほら、当たってる、胸。」
「・・・カタコトで言わなくても解ってるよ。っていうかわざとだし。」
「・・・そういうことしれっというなよ・・・。」
でもまあ、こういう風に頼られるのも悪くはないしべつにいいか。
決して腕に当たる弾力が気持ちいいからとかではないと
自分に言い聞かせるように考えながらそう思った。
正午十分過ぎ、俺たちは適当な芝生の上に腰掛けていた。
無論、芝生はいるなの立て札は立てておらず、同じようにしている利用客も何人か確認できる。
まあこの時間帯ではみんな考えてることは一つだ。
「腹減った・・・。」
周りの利用客はみんな食事休憩だ。
「そう言うと思った。」
綾乃は苦笑すると鞄の中からレジャーシートを取り出す。
それを受け取って広げ、靴を脱いで腰掛ける。
綾乃も同じようにすると、鞄から大きな包みを取り出した。
包みを解くと中から重箱が現れた。
それの意味することは一つだ。
「弁当・・・?」
「頑張って作ったんだよ。」
そう言いつつ重箱を分解してゆく。
一段目は俵むすびやふりかけおにぎりが、
その上の二段目は唐揚げや卵焼き、タコさんウィンナーなどのおかず、
そして一番上の三段目にはウサギリンゴやオレンジなどのデザートが入っていた。
「気合入ってるなぁ・・・。」
「へへー。」
得意げに胸を張る綾乃。
ふと、一つの疑問が浮かび上がった。
「もしかして、寝不足の原因ってこれ?」
その言葉に綾乃は首を縦に振る。
よく眠れなかったのにこんな気合いの入った重箱弁当を作ってくるとは・・・。
とりあえずお礼代わりに頭を撫でてやる。
「よく頑張った。」
「・・・うん。」
綾乃の嬉しそうな声が聞こえる。
よく顔が見えないが彼女はおそらく照れた笑顔になってるだろう。
「御馳走様でした。美味かったです。」
「いえいえ、どういたしまして。」
そう言ってお互いに礼。
顔を上げると綾乃が俺の顔を見て、
「ケチャップついてる。」
「へ?」
俺が何処についてるか聞くより早く、彼女は俺の口元をハンカチで拭った。
「ハイ、とれた。」
「あ、ありがとう・・・。」
「どういたしまして♪」
そう言って俺に笑顔を向ける。
その顔を見て、不思議な子だと思う。
彼女には俺をからかったり振り回したりする小悪魔な面がある。
かと思えばこちらを気遣う大人びた面もあし、年相応に恥じらったり怖がったりもする。
小悪魔な顔と大人びた顔、そして年相応な顔。
「どっちが本当の顔なんだろう・・・。」
「何が?」
「いや、何でもない。」
そう言うと俺は表情を見られないように顔を背けた。
「うわ、高ー。」
本日の締めに、俺たちは今観覧車に乗っていた。
綾乃は俺の隣に座っている。
「何で隣に座る?」
「すぐ近くに好きな人がいる方が安心できるから♪」
「さいですか・・・。」
言っても聞かないのは目に見えてるので、好きにさせるようにする。
「ね、アレ見て!」
と、そう言うと綾乃はこちらに身を乗り出してきた。
「うわぁッ!」
とっさに身を引こうとするがこの狭い観覧車内にそんなスペースはない。
どうやらこちら側の窓から見える景色を見るために身を乗り出したらしい。
が、当然狭い車内でその上隣に座ってたので身を乗り出すと顔が近づく。
「夕日、綺麗・・・。」
「あ、ああ・・・。」
「あのあたりが前の私の家かな?」
「あ、ああ・・・。」
本日何度モカの間抜けな返事が口から出る。
ふと、綾乃がこっちに振り向いた。
反射的な動きで俺は顔を可能な限り後に引く。
そうしたら後頭部を壁にぶつけた。
それを見た綾乃が苦笑。
「大丈夫だって。別に何もしないし。」
「いや、またいきなりキスされるかと思ったんで・・・。」
「いったいどういう目で私を見てるのよ・・・。」
そう言いつつ綾乃が半目を向けてくる。
が、すぐに表情を笑みに戻して聞いてくる。
「期待した?」
「・・・別に。」
「ほ〜、じゃあ今の間と視線反らしは何故?」
そう言って顔をさらに近づける綾乃。
また顔を引こうとするが後頭部は既に壁に当たってる。
彼女の息が顔にかかる。
と、彼女は自分から顔を引いた。
乗り出した身を元に戻して、笑顔で言ってきた。
「大丈夫。返事ももらってないのにしないから。」
「俺、告白されたときに唇奪われたんだが・・・。」
「あ、あれは・・・。」
俺の問いかけに、綾乃は顔を少し赤くして、
「久々にあったから、つい・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
何も言えなくなってしまった。
「・・・ゴメンね?」
「・・・いや、怒ってる訳じゃ・・・。」
と、そこで観覧車の扉が開いた。
どうやらもう地上に戻ってきてるようだ。
「じゃ、行こっか?」
「・・・ああ。」
そう言って俺たちは観覧車から出た。
その後、遊園地を出た俺たちは、喫茶店で簡単な食事を取って帰路についた。
今日すなわちホワイトデーももうすぐ終わりだ。
そう思ったとき、俺の脳裏にある一つのことが浮かんだ。
「あ!」
思わず声を出してしまった。
驚いてこちらを向いた綾乃のある一点を指さす。
「そのリボン・・・。」
朝に抱いた違和感が消えるのを感じながら言う。
「俺が昔、ホワイトデーにあげた奴か・・・。」
その言葉に、綾乃の顔が笑みになっていく。
「覚えててくれたんだ・・・。」
「さっき思い出したんだけどな。」
そう言って苦笑。
「これ、普通に結んだら似合わないから、どうやって結ぼうか迷ったんだ。」
綾乃も苦笑しながら言う。
「変かな?」
「そんなことない。」
反射的に言う。
今度は素直に言えた。
たったそれだけでも、そのことが嬉しかった。
「ありがとう・・・。」
綾乃はそう言って笑顔を見せた。
今までの元気な笑みとは違う、微笑みを。
綾乃を家まで送り、その後は当然一人で帰宅だ。
歩きながら一人の人物のことを考える。
「綾乃・・・。」
自然と、その女性の名が口から出た。
実のところ、自分の気持ちには気付いてきている。
だが・・・・・・・・。
俺に、人を好きになる資格があるんだろうか?
かつて彼女を裏切った、この俺に・・・。
傷つけるかもしれないのに一緒にいるか。
それとも傷つけないために離れるか。
「どっちが正しいんだろう・・。」
そうつぶやくと、いつの間にか自分が立ち止まっていたことに気付く。
慌てて帰り道を歩き出した。
何故かその足取りは重く感じた。