ホワイトデーの日から幾日ほどの時が流れ、桜が咲き、そして散っていく季節を迎えた。  
つまりは新学期となり、俺達も三年生つまり受験生となった。  
まああまり実感湧かないし俺はそれよりも考えるべき事があった。  
すなわち――綾乃の気持ちにどう向き合うか。  
 
そして今夜。遂に決心した。  
彼女から離れよう。  
俺が傍にいては彼女を傷つけてしまう。  
――あの時のように。  
これ以上――彼女に近づいてはいけない。  
「・・・明日、綾乃と話し合わないとな・・・。」  
そう結論づけ、俺はベッドに潜り込んだ。  
 
「・・・遅い・・・。」  
翌朝の早朝。  
いつもより早く目が覚めた俺は目覚まし時計と長い間睨み合っていた。  
時計は、いつもは見ることがない時刻を刻んでいる。  
――――いつもならば綾乃に起こされるために見ることがない、時刻を。  
ついでに言うと時計が鳴る時刻も過ぎている。  
まあ起きてすぐに朝食以外の用意は全て済ませたから遅刻するほどってほどじゃないが  
そろそろ余裕ある登校ための時間がなくなってきた。  
「でも綾乃が来なきゃ始まらないからな・・・。」  
正直な話出来ることならこんなこと言いたくない。  
だけどこれはいつか言わなければいけないことだ。  
でも――やっぱり辛い。  
まるで悪さをして親に怒られるのを怖がってる子供のようだ。  
と、そう思うと同時、軽快なメロディが鳴り響いた。  
充電器に乗せていた携帯から流れるその音はメールの着信を俺に伝えていた。  
 
 
「まさか風邪とはな・・・。」  
昼休み。  
自分の席に深く腰掛けた俺は溜め息をつきながらそう呟いた。  
綾乃からメールで連絡を受けた俺は、その後すぐに登校した。  
なんだか拍子抜けしたが、少しだけ、助かったと思ってしまう。  
そういうわけで普段なら六人で食べる食事も少しだけ静かな席になっていた。  
「あー、綾ちゃんがいなくて、寂しいんだー。」  
「違うっての!」  
吉村のからかいにいつも通りに返す俺。  
・・・せめてこいつ等の前じゃいつも通りにしないと・・・。  
ちなみに友人連中には今回言おうとしていることは黙っている。  
言えば絶対に「何言ってンだ早く告白しろ馬鹿。」と言われるのは目に見えているからだ。  
「白木。」  
不意に、黄原が俺に声をかけた。  
「何だ?」  
俺がそう返すと、黄原は彼にしては珍しく少しの間を置いて、こう言った。  
「黒田と何かあったか?」  
「いや・・・。」  
「そうか・・・。」  
意外にも黄原はそれ以上何も言ってこなかった。  
 
その後、俺は午後の授業を受けても上の空だった。  
いや、午前中からずっとそうだ。  
ふと、俺は教室を見回してみた。  
そこには当然綾乃の姿はなかった。  
その事実を認めると、何故か綾乃の顔が頭に浮かんだ。  
って何考えてるんだ俺。  
綾乃から離れるって昨夜決めたばっかりだってのに。  
離れる・・・。  
俺が、綾乃から・・・。  
彼女のいない自室。  
彼女のいない教室。  
ただそれだけだ。  
それだけなのに。  
――なんでこんなに世界が味気なく感じるのだろう。  
 
 
私は泣いていた。  
小さな身体ながらも自分の感情を全力で解放していた。  
目の前の男の子が必死に止めようとするが、それでも涙は止まらなかった。  
泣いてる原因は、その男の子だった。  
私と彼が交わした約束。  
彼が私にしてくれた、大事な約束。  
彼はそれを破ってしまったのだ。  
男の子がその理由を稚拙ながらも必死に説明していたが、私は泣き続けた。  
解ってる。彼も約束を破るつもりはなく、むしろ必死に守ろうとして、しかし守れなかったことも。  
しかし、次から次へと溢れ出る悲しみの感情を止める術を私は持たなかった。  
と、不意に場面が切り替わった。  
 
次に私が見たのは、車の中の景色だった。  
窓ガラス越しに見える光景は見覚えのあるものだった。  
私が生まれ育った街の光景。  
それらはやがて自分の知る範囲の限界を迎え、  
見覚えがあるか無いか判別できない場所に差し掛かる。  
その景色の見覚えの有無を考え、ようやく答えが出た頃には既に車は見知らぬ土地を走っていた。  
知っている景色は、もう見えない。  
自分を泣かせた、あの男の子も、もう会えない。  
そう気付いたとき、私の目に涙が溢れた。  
だが、私は堪えた。  
溢れた涙を拭き取り、それ以上涙を流さなかった。  
自分が泣きじゃくったあの日から、彼は私を避けるようになった。  
なら――もう泣かない。  
泣き虫な自分を変えてみせる。  
そうなれたら、今度こそ――  
でも、あてがわれた新しい自分の部屋で1人になったとき。  
布団にくるまって思いっきり泣いた。  
誰にも泣き顔を見せたくないから。  
もう彼に、泣き顔を見せないから。  
だから、今日で泣くのは最後。  
布団を噛んで声を殺し、涙を流しながら私は大事な人の名を呼んだ。  
遠く彼方に離れた、あの男の子の名を。  
「けいすけ・・・!」  
 
 
「――――――――――――!」  
目を開けると、そこにまず飛び込んだのは布団ではなく天井だった。  
「・・・夢・・・?」  
語尾に疑問符が付いたいるが、確信している。  
すごく嫌な夢を見た。  
彼に「裏切られた」記憶。  
彼と会うことすら出来ずに突然訪れた別れ。  
思い出すだけで身も心も凍りそうになり、私はそれに耐えるように自分の身体を抱きしめた。  
と、そこで私はパジャマが所々を汗で濡らしていることに気付いた。  
「凄い汗・・・。」  
流石にこのままにしてたら不潔だし風邪が悪化しかねない。  
心身共にコンディションは最悪だが人として最低限の身だしなみは整えねば。  
「・・・着替えよう・・・。」  
怠けようとする自分に言い聞かせる為にそう呟くと私はパジャマのボタンを外し始める。  
いつもよりたどたどしい手つきだが慌てずに確実に一つ一つ丁寧に外していく。  
ボタンを外し終わると、私は上下を即座に――といってもいつもよりは遅いが――脱ぎ捨てた。  
上下ともに色気のない水色の下着が露わになる。  
これも汗を吸って斑模様が出来ているので取り替えねばならない。  
そう判断した私はまずブラの左側の肩紐を外して、  
次に長い後髪を一度かき上げて、背中側のホックを外し――――  
たところで部屋のドアが開いた。  
「お母・・・。」  
さん、と言葉を続けようとしたが声が出ない。  
なぜなら、そこには母ではなく、啓介がいたから。  
彼も彼で手に洗面器――中には布の固まりが入っているがそれが濡れタオルと気付くのに  
かなりの時間を使った――を持ったまま立ちつくしていた。  
私もホックを外した体勢のまま、指一本動かせずに固まっていた。  
そのまま両者ともに無言。  
 
「・・・ここに置いておくから。」  
私より早く復帰した啓介はそう言って  
手荷物を置くとドアを閉めた。  
まだ動揺が抜けきってないのか大きな音が出たが  
その音でようやく私はようやく正気を取り戻した。  
流石に驚いた。  
というか――見られた。着替え中の恥ずかしいあられもない姿を。  
どうしようどうしよういや別に啓介になら裸見られても良いけど出来れば心の準備が済んでからに  
して欲しかったっていうかこんな汗かきまくった姿は見て欲しくなかった下着だって勝負下着じゃ  
無いしいや別に自分の身体に自信がないって訳じゃないむしろ自信満々だって啓介も興味あるって  
言ってたし正確には言ってないけど頷いたしってああもう訳わかんなくなってきた落ち着け自分。  
・・・とりあえず着替えよう。話はそれからだ。  
そう思い直した私は着替えを再開した。  
私も動揺が抜けきっていないのでさっきよりも効率は落ちてしまったが。  
 
 
「・・・なにやってんだ俺は・・・。」  
綾乃の部屋のドアの近くの壁にもたれかかりながら俺は自嘲気味につぶやいた。  
さっきから心臓がバクバク言って止まらない。  
くそう落ち着け俺の精神と心臓と下半身。  
とは言ってもさっきから壁一枚隔てた先から布のこすれる音や「んしょ」「よいしょ」などの  
彼女の声が聞こえ、落ち着くどころか先ほどの光景がよみがえりそうになる。  
しかし「結構胸がある」と自己申告しただけあってなかなか良い身体してたなアイツ。  
身体の線が解りやすい服装を着ることがが多いからスタイル良いのは知ってたが実際にその下を  
見るのは初めてだいや下着姿だったし裸見た訳じゃないのが残念って思い出すなよ俺ああイカン  
またドキが胸胸してって違う違う胸がドキドキしてきたってこら脳「胸」という単語に反応して  
胸のあたりを重点的に思い出そうとするなでも確かにデカかったって畜生とにかく落ち着け俺。  
とにかくこれは綾乃のせいだ文句を言わねば。  
そう決心した瞬間、ドアが開いた。  
「啓介ー?」  
「すみませんでした。」  
俺は即座に土下座した。  
ヘタレという事無かれ。こういうのは大概男が悪い。  
っていうかノックしなかった俺が悪いし。  
そのままの姿勢で数秒。  
綾乃が何かを言う前に身を起こし、尻餅をつくような体勢で、  
「いや風邪ひいたって言うから流石に心配になって学校が終わってからすぐにここに来て  
そしたらおばさんと一緒に綾乃の部屋に行ったらお前が汗だくで寝込んでたから  
濡れタオルやら冷え○タシートやら持ってきて・・・。」  
と、一気にそこまでまくし立てたところで綾乃が何か言いたげに口を開き、  
しかし俺の発言のせいで黙っている事に気付き、言葉の連射を止める。  
数秒してから、綾乃が口を開いた。  
「心配して、くれたんだ・・・。」  
「ま、まあな・・・。」  
嘘は言ってない。  
「・・・ありがとう・・・。」  
そう言って綾乃はホワイトデーの夜と同じ笑みを向ける。  
柔らかく、暖かい微笑みを。  
 
 
私がこっちに戻ってくる前は白木家の家事は啓介ががやっていたらしい。  
まあ最近は私や茜義姉さんががわざわざ来てくれるし面倒くさいので私達に任せっきりだったが  
今回ばかりは私が風邪をひいているのでそうも言ってられない。  
おかあさんもその話を聞いて「邪魔者は退散ー♪」と言って何処かに出かけてしまったし  
実質料理できる人間は現在啓介ただ1人。。  
というわけで久々に腕をふるうことになったのだが――  
私が啓介が作ったお粥――溶き卵と細かく刻んだ人参が入ったもの――を口に入れた途端、  
私の表情が不機嫌な形に歪んだ。  
・・・この味・・・。  
「・・・私のより美味しい・・・。」  
「悔しかっただけかよ・・・。」  
病気の私を気遣ってか、いつもより静かに啓介はツッコミを入れる。  
そんな彼の態度を嬉しいと思うのは現金だろうか。  
まあともかく料理で負けて悔しいのは確かなので  
今度料理を教えてもらおうと思いつつとりあえず食事再会。  
「ところでさ。」  
「ん?」  
皿の中身を半ばまで片づけたあたりで、私は啓介に問いかけた。  
「聞きたいことと言いたいことが一つづつあるんだけど言って良い?」  
「・・・聞きたいことからどうぞ。」  
今の間に若干の違和感を感じたが気にせず私は言った。  
「私の身体ってどうだった?」  
直後、啓介が頭を机に落下させた。  
鈍い音が鳴るが、啓介は痛みを感じないのかただ単に我慢しているのか  
痛がるそぶりも見せずにジト目をこちらに向ける。  
「言うと思った・・・。」  
「期待に応えれて光栄です。」  
「期待したんじゃねえよ!」  
余裕が無くなったのかいつも通りの絶叫ツッコミを繰り出す啓介。  
むう。人間余裕が大事だというのに。  
 
そう思ってると、啓介はポツリと、  
「良いと、思う。」  
かの羽音のような小さい声でそう言った。  
私は「よろしい」と良いながら大きく頷くと、言いたいことを言った。  
「好き」という気持ちと同じくらい、昔から言いたかったのに言えなかった言葉を。  
「啓介はさ、やっぱり昔から優しいよ。」  
私の発言を聞き、啓介の目が見開く。  
が、私は構わず続ける。  
「本当に優しくなかったら、人を傷つけても平気なはずだよ。  
でも、啓介はずっと、悪いコトしちゃったって思ってたんでしょ?  
今日だってわざわざお見舞いに来てくれて夕食まで作ってくれたし。」  
数秒の間を置き、啓介は首を縦に振る。  
「だから、啓介はずっと優しい啓介のままだよ。」  
そう言いきると、啓介は視線を下に向け、うつむいていた。。  
が、やがて私の目を真っ直ぐ見てこう言った。  
「・・・ありがとう。」  
「どういたしまして♪」  
満面の笑みを浮かべて答える。  
あー何か本調子に戻ってきた。  
 
「・・・俺からも聞きたいことがある。」  
「なになに?」  
啓介から質問なんて珍しい。  
そう思うと彼は、やはり数秒の間を置いて、言った。  
「今日、凄くうなされてたけどどんな夢見てたんだ?」  
そう言われた私の表情が凍り付いた。  
今日見た夢の内容を言うわけにはいかない。  
言えば、啓介は私を気遣って自分の意見を曲げてしまう。  
それは私の望む関係ではない。  
だから――――出来るだけ笑顔を浮かべて私はこういった。  
「忘れた。」  
「・・・お前なぁ・・・。」  
私の発言に、啓介はあからさまに肩を落とした。  
 
 
ちょうど、食事が終わると同時に帰ってきたお母さんに片づけを頼み、(押しつけとも言う)  
私は啓介を連れて部屋に戻り、ベッド(汗まみれだったシーツは啓介が取り替えてくれた)  
に潜り込んだ。  
その後、薬のせいか愛する人の手厚い看護のせいか幾分かマシになった私は彼としばらくの間  
雑談をしていたが、すぐに眠気が訪れた。  
それを察した啓介は「そろそろ帰る。」といい、部屋を去ろうとする。  
が、私は彼に声をかけた。  
「啓介。」  
「何だ?」  
彼が振り向く動きと連動するように私は上半身を起こす。  
「今日は、来てくれてありがとうございました。」  
私はそう言いながら深々と頭を下げた。  
「・・・ああ。」  
ぶっきらぼうにそう返すと啓介は「ちゃんと安静にしてろよ。」と言い残して部屋のドアを閉めた。  
「さて、と。」  
そう呟くと私は布団を被り直し、ベッドに倒れ込むようにして横になった。  
寝起きと違って気分が良い。  
今度は良い夢が見れそうだ。  
そう思いながら、私は目を閉じた。  
 
帰宅した俺は、自室のベッドに倒れ込むように身を預けた。  
「・・・言えるわけないよ・・・。」  
こんな俺を、優しいと言ってくれた少女。  
「裏切った」俺を、好きだと言ってくれた少女。  
そんな子に、「近づくな」なんて言えなった。  
それこそ彼女を傷つけることだと解ってしまったから。  
「ゴメン・・・、綾乃・・・。」  
そうつぶやくと俺はその場で膝をついた。  
目に涙が溢れ、視界が歪んでも俺はその場から動こうとしなかった。  
 

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