夏休みも開け、新学期となった九月一日。  
俺は一人で学校への道を歩いていた。  
あの日以来、綾乃には会っていない。  
会おうとすれば拒絶されるだろうし、  
俺自身も何て言って良いか分からないからだ。  
「・・・でも結局逃げだよなあ・・・」  
そう呟いて一人溜め息をつく。  
傍にいるのが当たり前だった存在。  
彼女がいなくなっただけで――  
「「――あ」」  
彼女――――綾乃と鉢合わせした。  
「あ・・・、その・・・、ええと・・・」  
あまりにも突然の再会に言うべき台詞が思い浮かばない。  
この前のことを謝るべきだろうか。  
それとも・・・。  
そんな風に迷っていると、綾乃は俺に微笑みかけ、  
「おはよう」  
いつもと変わらない微笑み。  
それに安心して俺も挨拶を返す。  
「ああ、おはよ・・・」  
「白木君」  
その一言を聞き、俺の口の動きが止まった。  
初めて聞く、俺に対する呼び方。  
だから俺も、初めて使う呼び方で彼女に答えた。  
「・・・おはよう、黒田」  
 
その日、俺達は無言のままだった。  
綾乃は俺のことを明らかに避けており、俺自身も綾乃に何と言って良いか分からなかった。  
 
「一体どうしたんだよお前ら」  
昼休みになると、流石に心配になったらしく、赤峰が声をかけてくる。  
「いや、ちょっとな」  
「ちょっとじゃないだろ今の状況から察するに」  
黄原が口を挟む。  
周りを見回すと、気を使ったのか女子二人は  
俺とは離れた席で昼食を取る綾乃の方に行っていた。  
そのことを確認すると遠慮を解除し、口を開く。  
「俺が馬鹿なことやって、嫌われちまった。それだけだよ」  
その言葉に二人が息をのんだ。  
それに構わず口を開くと、自然に愚痴が漏れた。  
「何にも分かってなかったんだ。あいつの気持ちなんて」  
二人が口を挟めないように俺は言葉を続ける。  
「幼なじみだから考えてることくらい分かるって思ってたけど、そんなの俺の思い違いだった」  
目に涙が溢れ、視界が歪む。  
が、言葉は止まらない。  
「『罪滅ぼし』のつもりで結局は――――」  
そこまで言った瞬間、俺は一つの――――とても大事なことに気付いた。  
 
・・・そうか。  
結局俺は綾乃を気遣ってるつもりで逆に傷つけていたのだ。  
『傷つけないように』と気を使うこと自体が綾乃の一番望まないことだったのだ。  
そして俺はそれを言い訳にしてただけだったんだ。  
恋愛から逃げるために。  
「――――白木?」  
突然押し黙った俺に赤峰が呼びかけてくる。  
その言葉で現実に帰った俺は、まず自分の頬を思い切り叩いた。  
呆気にとられる二人。周りのもの達も驚いているのが気配やざわめきで分かる。  
が、俺は気にせずに涙を拭うと一息つき、  
「大丈夫」  
そういって俺は視線を別方向に向ける。  
綾乃の方へ。  
「ようやく分かった。俺が何をするべきか」  
「・・・そうか」  
視線を戻すと、二人は俺に笑顔を向けてきた。  
俺も笑顔で返す。  
すべてわかった。自分の気持ちも、拒絶された理由も。  
ならば俺のすることは一つだ。  
・・・決めた。  
「悪い。ちょっと行ってくる」  
「ああ」  
「行ってこい!」  
俺は友人達に頷くと席を立ち、歩き出した。  
綾乃のいる場所へと。  
 
俺が近づくと、それに気付いた女子二人が綾乃から離れた。  
気を使われてるな、と思いながら綾乃の前に立つ。  
先に口を開いたのは綾乃だった。  
「白木く――」  
「――綾乃」  
綾乃の言葉を遮った俺の呼びかけに、彼女の動きが止まる。  
が、俺は構わず言葉を続ける。  
「ちょっと話が――――」  
俺の言葉を待たずして綾乃は走り出し、教室から飛び出した。  
「って待て!」  
俺も慌てて走り出す。  
周りの奴らが騒ぎ出したがそんなことは関係ない。  
今するべきことは、  
「何が何でも捕まえる!」  
思いは、叫びとなって口から出た。  
 
俺は走った。  
俺から逃げようとする綾乃に、俺が叫ぶ言葉を届かせるために。  
綾乃が校庭に出ると、俺もそれを追った。  
お互い上履きのままだが気にしてる場合ではない。  
そのまま俺達は校舎沿いに走る。  
俺が思いを伝えようとし、綾乃はそれから逃げる。  
・・・ちょっと前とは真逆だな。  
そう思ってると、綾乃が先に朝礼台とすれ違った。  
そこは俺からは十メートルほど離れている。  
だが男と女では基礎体力が違うため、徐々に距離が近づいていく。  
だが、このままでは綾乃は俺が追いつくより早く学校を出てしまう。  
俺は何故かそれは避けねばならないと思った。  
理由はわからない。  
だが、そこから先に行かせたら、もう二度と元には戻れない――――そんな気がした。  
しかしこのままでは届かない。  
俺の手が綾乃に届く前に彼女は校門から出てしまうだろう。  
・・・どうする!  
そう思ったとき、俺の視界の隅に何かが映った。  
俺は迷わずそれを手に取った。  
 
私は走った。  
私を追いかけてくる啓介から、彼が叫ぶ言葉から逃げるために。  
・・・もう聞きたくない!  
そう思いながら走る。  
走ることに集中していれば声は聞こえない。  
走ることに集中していれば追ってくる姿は見えない。  
走ることに集中していれば余計なことは考えなくて済む。  
そう思いながら私は全力で走った。  
もうすぐ校門に差し掛かる。  
そこをくぐれば啓介は追ってこない。  
何故かそんな気がした。  
だから私はそこを――――  
《綾乃ぉっ!!》  
声が、聞こえた。  
今までよりも大きくて、力のこもった声が。  
思わず声が口から漏れる。  
先ほどの声の主――――最愛の人の名を。  
「啓、介?」  
気付けば私は足を止めていた。  
校門の直前で。  
 
《やっと聞いてくれたな・・・》  
俺は手に持ったマイクに向かって言葉をとばす。  
足は既に朝礼台の近くで止めていた。  
朝礼に使ってたものを先生達が片づけるのを忘れてたようだが今はどうでも良い。  
《悪かった、と思ってる。この前のことも、昔のことも》  
言いながら俺は一歩ずつ、ゆっくりと綾乃に近づいていく。  
綾乃も後ずさろうとするが、構わず俺は言葉を続ける。  
《でも、もう『罪』だとか『傷つけないように』とかはどうでも良いし、  
もしまた『約束』を破ることになってももう謝らない》  
そういった途端、綾乃の動きが止まった。  
だが俺はそれに構わずに言葉を紡ぐ。  
《でも、それでも俺はお前と一緒にいたい》  
言いながら俺は赤峰の言った台詞を思い出す。  
『そりゃあ泣かせたこともいっぱいあるけど・・・』  
『その分、アイツを笑顔にすれば良いんだからな』  
今なら分かる。あれは泣かせたことの『罪滅ぼし』のための言葉じゃない。  
つまり――――  
《『傷つけないように』気遣ってたら、本音なんて出てくるわけ無いから。  
そんな関係じゃなくて、俺は正面からお前と向き合える関係になりたい》  
そこまで言うと俺は足を止めた。  
綾乃との距離は手を伸ばせば触れられそうにまで近づいていた。  
だが、俺はマイクに向かって声を飛ばす。  
そうしなければ声が届かない様な気がしたから。  
だから、俺は口を開き、  
《だって――――》  
 
俺は言った。15年目からずっと言えなかったその言葉を。  
 
 
 
私は聞いた。15年目からずっと聞きたかったその言葉を。  
 
 
 
《俺は、綾乃のことが好きだから。最初に会ったときから》  
 
その言葉を聞いた私は頭の中の引っかかりがとれ、心が晴れ渡っていくような気がした。  
今、私はどんな顔をしてるのだろうかと頭の何処かが疑問を浮かべる。  
が、今はどうでも良い。  
私は雑念を追い払うと全神経を耳に集中させた。  
彼の言う言葉を一字一句聞き逃さないように。  
《ワガママで一方的だけど、俺はお前と離れたくないし、これからも一緒にいたい。  
だから――――》  
そこで言葉を止めると、彼は私に向かって頭を下げ、  
《俺と、付き合って下さい》  
顔を上げた彼の顔は不安に満ちていた。  
・・・バカ、不安がること無いのに。  
私の答えるべきことは一つだ。  
そう思うと私は彼からマイクを受け取り、笑顔を向けて答えた。  
《やっと、言ってくれたね・・・》  
マイクを使うこと自体に意味はない。  
が、啓介がそうして思いをぶつけたのなら私も同じように答えるまでだと思う。  
《普段は必要以上に気遣ってくるくせに、こんな時だけワガママで一方的になっちゃって・・・》  
そこで一息つき、  
《でも、そんな貴方が大好きです》  
そして私は彼に向かって頭を下げ、  
《ふつつか者ですが、末永くよろしくお願いします》  
頭を上げると、啓介はの表情は笑顔になっていた。  
私も笑い返す。  
 
と、啓介が懐から何かを取り出した。  
白いリボンだ。  
旅行の日以来、無くしていたと思っていたが、  
《拾っててくれたんだ・・・》  
啓介はその言葉に頷きつつ、私の髪を一房つまみ上げ、それにリボンを巻き始めた。  
明らかに慣れない手つきで見ていてもどかしいが私はされるがままになっていた。  
それから数十秒――もしかしたら一分以上かもしれない――して、ようやく啓介は髪から手を離す。  
直後、いきなり啓介に抱きしめられた。  
こちらに遠慮のない力一杯の抱擁。  
いつもとは逆の構図だ。  
でも、不思議と悪い気はしなかった。  
 
久しぶりの綾乃の身体の感触。  
それを味わうために俺は綾乃を力一杯抱きしめた。  
そして目が合い――――  
《あ〜、あ〜、そこのバカップル。イチャつくのはそれくらいにして速やかに投降しなさ〜い》  
突然、スピーカー越しに兄の声が聞こえてきた。  
慌てて声のした方を向く。  
すると、そこにある校舎の開いた窓から無数の視線がこちらに送られていることに気付く。  
見える範囲――視力は良い方だ――で確認できる彼らの表情は笑顔だ。  
「ニコニコ」という感じのものではなく「ニヤニヤ」だが。  
それに気付いたとき、俺は自分がとてつもなく恥ずかしいことをしたとようやく気付いた。  
綾乃が俺にした告白よりもはるかに。  
《え、え〜〜〜と・・・》  
と呟いた声にエコーがかかる。  
《あ。》  
俺の手にはまだマイクが握られていた。  
そして校舎の窓は全部開いている。  
ということは、  
《全部、聞こえてた?》  
一斉に頷く生徒諸君。  
それを見た瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。  
《もうオムコにいけない・・・》  
だが俺の身体は綾乃に抱き留められた。  
彼女はいつの間にか俺から奪い取っていたマイクを構え、  
《大丈夫。私が責任を持ってオムコにもらうから》  
《シャレになってないよそれ!》  
マイクを通しての俺の絶叫ツッコミが学校中に響き渡った。  
 
 
そして翌日。  
「お・き・な・さ〜い!!」  
俺の部屋に、日曜日だというのに聞き慣れた声が響いた。  
それを聞くと、本当にアイツは帰ってきてくれたんだなと安心できる。  
でも眠いので起きない。  
「ね〜む〜い〜」  
「起きないと今日は朝昼晩御飯抜き」  
「おはようございます」  
俺は即座に布団をはねのけてベッドの上に正座して声の主に挨拶した。  
声の主――――綾乃は「よろしい♪」と満足そうに頷く。  
が、俺は彼女の姿  
「って何で浴衣姿?」  
「目の保養♪」  
と、紺色の浴衣を着た綾乃は笑顔で答える。  
「夏休みの間、全然会えなかったからせめて残暑の内にって思ったんだけど・・・」  
そこで一回転し、俺に笑顔で向き直り、  
「似合う?」  
言われて、俺は彼女の姿を観察した。  
長い黒髪は結わえており、白リボンもいつも通りだ。  
何故か手にはうちわまで持っており、ついでに足は裸足だ。  
「やだもう啓介ったらエロい視線向けちゃって♪いくら愛しの彼女さんが魅力的だからって・・・、  
あ、ちなみに下着はちゃんと着けてるからね〜♪」  
「エロくないっ!っていうか下着がどうのこうのなんて聞いてねえ!」  
連続ツッコミを入れたあと、俺は綾乃にいつも通りに答える。  
「・・・まあ似合ってるが」  
「ありがと♪」  
綾乃はいつもの通りそういうと、彼女はいつもとは違う動作をした。  
――――要するに、口づけを。  
 
「・・・・・・・・・・・・・!?」  
悲鳴を上げようとするが綾乃の柔らかい唇が俺の唇を塞いでいるためそれはかなえられない。  
そして数十秒――ひょっとしたら数秒かもしれない――してようやく唇が解放された。  
即座に俺は文句を言いながら立ち上がり、  
「お前なあってぇっ!?」  
天上に頭をぶつけた。  
「け、啓介!?」  
頭を抱えてうずくまる俺に慌てて綾乃が駆け寄り、俺の頭を抱きしめた。  
途端に俺の顔全体に彼女の乳房の柔らかさが伝わる。  
が、綾乃はそれに構わず、  
「大丈夫啓介!?頭打って人格変わってない!?ああでも大丈夫どうなっても啓介は啓介だから  
とりあえず今は私の胸に抱かれて――――」  
「いや大丈夫だから!」  
慌てて彼女の身体を引きはがす。  
ああクソ心臓が止まらんいや止まったら死ぬけど。  
そんな俺に、綾乃はへらへらと笑いつつ、  
「いやゴメンゴメン、久しぶりだったから加減が分からなくて。  
それに昨日熱烈な告白を――――」  
「うわあああああああああああああああああああああ!!!!!!」  
慌てて大声を出して綾乃の声を遮る。  
が、綾乃は俺を無視してうっとりとした表情を浮かべ、  
「格好良かったなあ、あの時の啓介。マイク持って真剣な声で、  
『俺は、綾乃のことが好きだから。最初に会ったときから』とか言ってくれてもう・・・」  
「ゴメンナサイこれで勘弁して下さい。」  
俺は頭を下げながら両手で持った包みを綾乃に差し出した。  
我ながらヘタレだなーとは思うが相手が悪い。  
 
綾乃はその包みを見ると素の表情に戻り、  
「なにそれ?」  
「誕生日プレゼント」  
俺はそういいながら携帯を突きつけ、サブディスプレイに映る文字を見せる。  
9月3日。この日は、  
「私の誕生日・・・」  
そう呟くと、綾乃は俺に笑顔を向けた。  
初めて会ったときのような、最高の笑顔を。  
「ありがとう。すごく嬉しい」  
「・・・ああ」  
そして俺達は互いの身体を抱き寄せ、唇を重ねた。  
少しでも相手に自分の思いを届かせるために。  
今まで離れていた時を少しでも補填させるために。  
 

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