『バシャ――ン!! 』  
 カラダに感じる冷たい水の感触。思わず自分からのどを鳴らして水を飲むぼく(これから  
嫌というほど水を飲むとも知らずに・・・)。と、それはほんの一瞬の出来事。  
 「う、うわあああああっ!! がぼごぼごぼ・・・」  
 凄まじい水流に流される・・・いや、攪拌されるぼく。どっちが上で、どっちが下か全然  
解からない。  
 『んむ――っ!!』  
 バタバタとメチャクチャに足をキックさせると偶然足が川底を蹴り、飛び出すように水面から  
顔を出すことができた。  
 「ぷはっ!! 」  
 水を慌てて吐き出して、空気を貪り吸う。『ヒュッ』と笛を吹くみたいな音が口から上がった。  
そして必死でたち泳ぎするぼく。とんでもないことに気がついた。  
 「うそ・・・見えないよ、どっちが向こう岸か・・・」  
 そうなのだ。水面は水平のはずなのにぼくの目には水の壁がゴウゴウとそそり立って  
いるように見え、水しか見えないのだ。しかも、水面から見る世界は、月光の恩恵を受ける  
ことができず、5m先も見えない。溺れた経験はさすがにないのでぼくはまごつくばかり・・・  
 パニックを起こしかけているぼくに、さらに追い討ちをかけるように『シャボッ!』『バシュ!』  
と、短い水音がした。  
 「・・・もっと良く狙え・・・」  
 風に乗って小さな声が流れてきた。方向はつかめなかったが、水面でまごまごしている  
ぼくを射殺しようとする夜目の利く盗賊たちの姿は、容易に想像できた。しかも、矢の軌跡は  
全く見えないのに、音だけは近寄ってくる。そう、狙いが正確になってきているのだ。実際、  
川岸からほんの20m足らずのところに漂っているぼくは、格好の標的に違いなかった。  
 
 「う、うあ・・・はう・・・」  
 ジリジリと炙られるように焦るぼく。適当に泳いで、わざわざ盗賊に近寄って行くというのは  
絶対にご免こうむりたい。緊張とプレッシャーで頭は熱を持ったように、手足は痺れたように  
自由が利かなくなってくる。いっそ、このまま矢に命中したら方向がわかるのでは・・・なんて、  
捨て鉢なコトを考えてしまう。  
 下流はどこまでも切り立った崖なので、流されれば溺死は決定である。必死で流されない  
ようにしているぼくの目に水しぶきが入り、思わず目を擦った。その時・・・  
 『ボッ!』  
 すごい音。目に手をやった腕の三角のスキマを抜けた矢。衝撃波が鼓膜を揺する。一拍  
遅れて耳たぶから溢れた暖かい血が頬を暖める。  
 「ひっ!! あっ、あっ、うわあぁぁあぁ!! 」  
 方向が判ったのは一瞬で『死にたくない』と言う恐怖心がメチャクチャに体を動かすと、  
あっという間にバランスが崩れ、またもや水の中でジャイロのようにくるくると回転してしまう。  
これでまた、方向が掴めなくなってしまった・・・  
 ただひたすらこの場所から逃げたくなってこのまま流されてしまえ、なんて思ってしまう。  
そして気候は暖かいものの、上流の川の水温はまだ冷たく、ぼくから体温と体力を徐々に  
削って行った。意識が蕩けていくように眠くなる・・・  
 「がんばれっ!」  
 「・・・?・・・」  
 「まけるなっ!! 」  
 見えない方から声。ぼくは辛うじて体勢を立て直し、耳を澄ます。  
 「や、やめろッ!何をしやがるっ!! 」  
 なにか揉みあう気配。  
 「て、てめえっ!オレの弩を返しやがれっ、おまえ等の人質がどうなっても・・・う、うわっ!! 」  
 ぼくはハッと気がついた。ひょっとして川辺の村人が盗賊を邪魔してくれているの・・・?  
 「がんばれボウズ!わし等も勇気を出せっ!!」  
 やっぱりそうだった。きっとぼくが追われている所を扉のカゲから見ていたのだ。ぼくは  
勇気百倍で大勢の声から遠ざかるように迷わず泳ぎ出す。  
 
 すぐに岸のほうも多勢に無勢だったのか。  
 「ち、ちきしょう!仲間を連れて来いっ」  
 と、盗賊たちが撃退されたらしい。どっ、と今まで虐げられていた村人が沸き返る。  
そうすると、次々と村人たちが川岸に立ってぼくを応援してくれる。ぼくは、手に力を込めて  
水をかき始める。  
 「がんばれ――ッ!」  
 「ほらっ、半分もう行ったぞ――!! 」  
 ぼくは必死で川を横断する。全然進んでないような気がするが、じりじりとロープを伝い  
登るようにゆっくりとゆっくりと確実に進んでいるらしい。ぼくは村の皆から力を貰って、  
後押しされるように抜き手を切り続ける。  
 「そ〜れ!そ〜れ!」  
 掛け声が飛ぶ。手拍子が、歓声がぼくを前に進める。もう一時間以上泳いでいるが、  
この高揚感がぼくに信じられないほどの力を与えてくれる。絶対にぼくは向こう岸に  
たどり着ける・・・  
 
 
 『がりっ・・・』  
 ふいにつま先が川底を引っ掻いた。  
 「や、やった・・・!? 」  
 ぼくはまだ深い流れにあおられて水にむせながらつま先で立ち上がる。顔が出た。  
 目の前にはいつの間にか向こう岸が見えている。それでも50mくらい流されていた。  
夢中で両手を打ち振って水をかき、岸にふらふらと駆け上がる。体が鉛のように重い。  
水が足首を洗うぐらいになって初めてガクリとひざをついた。  
 『げほっ!! ごほっ!! ・・・』  
 あれほどのどが渇いていたのに、今はもう吐くほど水を飲んでしまった。『もう水なんて  
たくさん』なんて思っている現金な自分がおかしい。人心地ついてよろよろと立ち上がり  
後ろを向けばたいまつを掲げた対岸の村人たちが総出でぼくを見て興奮して歓声を上げた。  
 「すごいぞ、よくやったぞ〜!!」  
 「泳ぎきりやがった・・・本当に・・・」  
 「お〜い!! お〜い!! 」  
 ぼくはぜいぜいと喘ぎながら対岸で何度も頭を下げて小さく呟く。  
 
 「皆さんがいなかったらぼくは・・・」  
 顔から落ちる水滴は川の水だけじゃなくて・・・  
 
 その時だった。村人の人垣が一気に崩れる。蹴散らすように現われたのは騎乗した  
盗賊の頭分と不甲斐ない手下たち。たたき起こされ不機嫌なのも相まってかぼくを  
火を噴くような目で睨みつける。叫んだ。  
 「舐めやがって!追いついてなぶり殺してくれる!! 手前の腕を!足をっ!あのイワシ姫の  
前で叩き切って!焼いて!そいつをイワシ姫に喰らわせてやるっ!! 」  
 山刀を振り回して吠える頭分。手近の手下を殴りながら言う。  
 「おいっ!! この反抗したバカども総出で切った吊り橋ののロープを繋ぎなおさせろっ!!  
働きが悪かったら遠慮なく叩き切れっ!! いや、その前に2、3人見せしめで殺せっ!! 」  
 と、水が苦手なネコだけあって、あくまでも吊り橋を復旧してぼくを追いかけようとする頭分。  
ぼくは対岸の理不尽な盗賊たちを睨みつけて踵を返した。  
 『・・・・・・!! 』  
 ぼくは決意を新たに王城に走る。必ず王城にぼくは行く。ぼくのためじゃなくて、あの  
お姫様のためだけじゃなくて、みんなの、みんなのために絶対たどり着いて助けを呼んでくる!!  
 
 ついに川を渡りきったぼくは逃走を再開する。せっかく買ってもらったカバンも、靴の  
片方も流されてしまって少し悔しい。体に巻きつけていた布も千切れて半分以上流されて  
しまった。ざっと絞って改めて体に巻きなおす。でも、体についていたカサブタの破片や  
いやな色の体液の残りはすっかり取れている。そしてぼくは遥か彼方の王城の方をキッと  
見てまた走る。ちょうど中天を通り過ぎた月を追いかけて行く方向だ。  
 吊り橋の復旧が早ければ追いつかれる。遅ければヘソを曲げて戻った頭分がマナ様を  
殺してしまうだろう。そして、ぼくも道中で力尽きることもあるかも知れない・・・もう運なのだ、  
もって生まれたそれぞれの運の強さが今からの運命を決める。誰が生きるのか、  
誰が死ぬべきか・・・  
 
 
 朝もやの中、草原に佇む二騎の騎影。ここは、あのマナがさらわれた幼年学校の  
遠足場所。軽い具足姿で手に長い戟を抱え持ち、真紅の雄大な馬体のクレイプニールに  
跨るのはリナ。そしてもう一騎は大人しそうな小柄な牝馬にスカートのまま、横向きに  
座るユナ。リナが振り向いて言う。  
 「ユナ・・・寝ていないのだろう?戻って休んでいろ・・・」  
 多少、くたびれた様子のリナが言う。声をかけながらも険しい目つきでなにか手がかりが  
ないかと周りの草原を見渡している。あの時、魔法の炸裂した場所はえぐれてはいたが、  
すでに緑の新芽が吹き出ている。  
 「うう・・・余計なお世話ですの――っ・・・」  
 目をショボショボさせながら言うユナ。二人とも徹夜で『これは』と、思った場所を哨戒し  
続けていたのだ。強気なユナの返事もいつもの力がなく、限界に近いようだ。その時、  
あくびを噛み殺したユナが目を細めて小さく叫んだ。  
 「なにか来るですの――っ!! 」  
 「ん…おっ?・・・」  
 豆粒のようなカゲ。それはゆっくりと近寄ってくるような・・・何かを感じた二人は馬腹を  
蹴ってそれに近寄る。次第に何か判ってくる。泳ぐように、いや、前に倒れそうになり、  
たたらを踏むように走っている誰か・・・  
 「あれは・・・」  
 「ヒト・・・ヒト奴隷ですの――っ!! ・・・でも見ない顔ですの・・・」  
 二人はふらつきながら、走るように歩く半裸のヒト奴隷の前に立ちはだかる。しかし、  
疲労のあまり前が見えていないのか、リナの制止にも気がつかず、そのままリナの  
クレイプニールにぶつかってズルズルと倒れかかる。慌てて手をのばし捕まえてやるリナ。  
よく見れば半裸同然の体に粗末な布を巻き付けただけの少年。体全体はしっとりと汗で  
濡れている。整った顔は、美少年系ではなく、可愛い感じだが耳たぶから出血した血が  
頬に赤黒くこびり付いている。しかし、わずかに眉の間をしかめて華奢な体全体で荒く  
息をつくその様子は正にリナのストライクゾーンにど真ん中で思わずドギマギしてしまった。  
 
 「お、お前は?いったい、何をしているのだ・・・」  
 リナがほんのり目の淵を赤らめて聞くとうわ言のように小さな声がヒト奴隷から漏れた。  
 「マナさま・・・が・・・川の吊り橋の奥・・・砂漠・・・廃城に・・・」  
 「な、なぜそれをっ!! い、いや!! その靴は・・・お、お前はっ!! 」  
 叫ぶリナ。そうなのだ、そのヒト奴隷の片方の足には見覚えのある靴が・・・これはリナが  
買ってやった物。  
 「え・・・あ、あの病気ドレイですの――っ!! すごい美少年ですの、お買い得ですの――っ!! 」  
 と、一瞬我を忘れ、商売っ気を出してしまうユナ。リナに睨まれて慌てて目を逸らす。  
 しかしリナの行動は素早かった。ぐったりと気絶したままの少年を馬上に引き上げると  
振り返りユナに言う。  
 「私は先に行くっ!! ユナは後からついて来い!! 」  
 手綱をしごき、愛馬の『セキテイ』に気合を入れれば、『ドルルルル!! 』前足を高く  
上げて嘶く。その様子はしばらくぶりの全力疾走の予感に歓喜しているよう。  
 「ち、ちょっとリナ!! 行き先、詳しく聞かないとですの――っ!! 」  
 気絶寸前に発した少年の言葉はあまりにも漠然としていたからだ。だけどリナは前方を  
見つめて呟くように言った。  
 「その必要は無さそうだぞ・・・しばらく寝かしといてやろう・・・」  
 「あっ!! ・・・」  
 ユナは息を飲む。灰色の石畳に点々と残る赤い跡・・・ユナは馬上の少年の足を見る。  
靴の脱げた片方の足の裏がずたずたになっていた。おそらく尖った石を踏んで血を  
流しながらも必死で走ってきたのだろう。ユナはピョンと馬から飛び下りて駈け寄ると  
躊躇せず黒色のゴシックロリータのスカートの裾を大胆に破って血塗れの少年の足に  
手早く巻きつけてやる。  
 「きっと、すごく頑張ったんですの・・・はい、ご褒美・・・」  
 ユナが優しく言って、ぐったりしている少年の口にポシェットの飴玉を押し込んでやる。  
 「そうだな・・・」  
 リナも深くうなずく。一見ひ弱そうに見える少年のどこに盗賊の本拠地から駆け続け、  
逃げ抜く力があるのか、と殆ど尊敬の念さえ覚えて続けた。そしてこんな勇者を値切らずに  
購入した自分の姉を誇らしくも思った。  
 
 「しかし、今度は私たちの番だ!! ・・・ユナっ!! 無理せずついて来い・・・行くぞっ、セキテイッ!! 」  
 溜めに溜めた力を一気に解放させる『セキテイ』。『ガ、ガガガッ!! 』石畳を削る6個の  
蹄鉄から火を噴くように火花が飛び散った。さらにスピードに乗れば風が質量を持って  
体にぶつかってくる。そんな顔にぶつかる風を物ともせず、逆に心地よくリナは叫ぶ。  
 「姉上っ!! 今行きますッ!! 」  
 リナは真紅の流星と化して石畳の道を駆け抜けていく。  
 
 
 その頃、吊り橋では・・・  
 さんざん村人を脅し殴りつけて、自分達が自ら勝手に切ったつり橋を復旧させた盗賊たち。  
慌てて追跡するもすでにヒト奴隷に逃げられ4時間は経っていたのと、子供に逃げられても  
たいした事はないとタカをくくり、真面目に捜索せず三々五々戻ってくる盗賊たち。  
 ぼこぼこ・・・と音を立てて木のつり橋を渡る盗賊。  
 「見付かんなかったが、なあにアレだけ走って泳げばネコだって疲れて死ぬさ、ヒトなら  
もうどっかで野垂れ死んでるぜ」  
 「ちげえねえ・・・」  
 『ギャハハハ・・・』と笑い飛ばそうとした盗賊の口がそのまま凍りつく。橋のたもとで馬に  
乗り、腕を組んで待ち構えていたのは怒りに燃えた頭分。  
 「ひっ!! あ、あの・・・」  
 『バキッ!! 』  
 うろたえる盗賊に鉄拳が炸裂し、叩きつけられるように地べたに落ちた。うめく手下を  
ゴミを見つめるような目つきで睨むと。頭分は目を狂気にギラギラさせて叫んだ。  
 「どいつもこいつもオレを舐めやがって!! 戻るぞっ!! 戻ったらあのイワシ姫の腕を一本  
叩き斬って王城へ送りつけてやる・・・フハハハハ・・・」  
 手下たちは頭分から瘴気のようなモノさえ感じ取って自分達の本拠へ戻る。下手に頭分の  
気を引いて、腕を叩き切る役をやらされてはたまらない、と下を向いてそそくさと帰るのだが、  
どこかの阿呆が素っ頓狂な声を上げた。  
 「ん・・・ありゃなんだ!? 誰か走ってくるぞ・・・まだ、帰ってこないヤツいたか?」  
 川むこうからスゴイ勢いで疾駆してくる見覚えのない誰か。見る見る近づいて来る。一瞬、  
敵襲だと緊張するが、僅か一騎なので戸惑う。  
   
 「ん・・・なんだ、ひょっとして身代金を払う王城からの使者じゃないか?」  
 なんの根拠もなく喜色を浮べてはしゃぐ盗賊たち。そして目のいい盗賊がのほほんと言った。  
 「やっと来たかよ・・・でも、なんか全身・・・鎧から馬まで真っ赤だ・・・」  
 その声にビクン、と反応したのは頭分。さっきの狂態はどこへやら、表情を凍りつかせ  
ながら慌てて馬首を返す。周りにいる手下たちに構わず、弾き飛ばしながら馬に鞭を  
入れた。同時に叫ぶ。  
 「お、お前らっ!! 早く橋を・・・いや、もう間に合わねえ!! 切れっ、吊り橋を上げるロープを  
切れっ!! 」  
 「へっ、どうしたんですかい?やっと繋ぎなおしたばかりじゃねえですか」  
 自分がやったわけでもないのに、のん気に呟く手下に焦れたように頭分は叫んだ。  
 「いいから切れっ!! あれは『ネコの赤』、『無双のリナ』だぞ!! もたもたするなっ!! 」  
 全員が凍りつく。その異名はネコの国の人間なら子供から老人まで誰でも知っている。  
もう手に持つ、えぐいほどゴツイ赤柄の方天戟が判るほど近寄っている。柄の中ほどに  
埋め込まれている紅玉が妖しいほど赤く輝く。それは死神の鎌の輝きに見えた。慌てて  
五騎ほどがあたふたと櫓に駆け寄って行く。  
 頭分は土手を駆け上がり、真っ先に逃げながら呪詛の呟きを漏らす。  
 「く、くそっ!! くそっ!! ・・・ネコの女王めっ、初めからいきなり仲間を斬りやがったんだ・・・  
オレ達だってそんなコトはしねえのに・・・自分の娘を見捨てて・・・」  
 目は血走り、知らず知らずのうちに不快な音がすると思ったら、自分の歯が恐怖に  
鳴っていた。慌ててぎゅっと歯を噛み締めて捨て鉢に叫ぶ。自分に言い聞かせるように。  
 「あ、相手はイワシ姫の妹だっ!! ・・・こうなったら、城に帰って城壁の上からあのイワシ姫を  
嬲り殺しにするのを見せつけて追い返すしかねえっ!! 」  
 頭分は土手を駆け下りて砂地の上を駆ける。  
 砂地に入れば、じれったいほど馬のスピードが落ち、今にも赤い姫将軍が背後で大きな  
戟を振り上げているような気がして、思わず小さな悲鳴を上げて何度も後ろを確認してしまう。  
 
 『うわああああっ!! 』  
 声にならない悲鳴を上げるぼく。すごいスピード。すごい揺れ。競馬の騎手の気持ちが  
初めて判ったりした。舌を噛まなかったのは、口の中の飴玉のせい。それは涙が出そうな  
ほど甘くて、ぼくに新たな元気をもたらしていた。  
 ぼくはしっかり『セキテイ』のたてがみを掴んで、舌を噛まないよう叫ぶ。  
 「あの橋の向こうです!! そ、それから、ロープを切るとかなりの速さで橋が上がる仕掛けが  
あるんです!! 」  
 丁度、ぼくの頭の真上に顔があるリナ様は不敵に笑って言った。  
 「わかった・・・このリナとセキテイ、戦いの中で不覚を取ったことは一度もない」  
 リナ様の太ももが馬腹を『ぐっ』と締め付けると、信じられないことにさらに『セキテイ』の  
速度が上がる。  
 「うわわっ!! 」  
 ぼくはその急加速Gにがくんと後ろに体を押し付けられる。リナ様の大きな胸の谷間に  
頭がすっぽりと入るような形になってしまうが、ごわごわとした皮鎧の感触がするだけで  
ちっとも嬉しくない。などと、不心得な事を考えていたせいか前方では吊り橋が軋み音と  
ともに上がり始めていた。でも、まだぼく達は橋まで50mはあって・・・  
 「ああ・・・渡れなくなっちゃう・・・」  
 ぼくは絶望の叫びを上げる。さすがにまた川を泳げば今度こそ溺死してしまうだろう。  
ぼくは馬首にかじりついて背後のリナ様を見上げる。笑ってる・・・!?  
 「ふふふ・・・いくぞ、セキテイ!! 」  
 戦いの予感。歓喜に震える紅のネコ姫。腰を少し浮かし、戟を水平に構える。正に赤い  
流星と化して跳ね上がる橋に突っ込んで行く。ぼくは恐怖のあまり叫ぶ。  
 「リ、リナさまっ!! もう、橋が上がってますってば!! ・・・ひゃああああっ!! 」  
 速度は緩まない。ぼくは固く目をつぶる。  
 
 『どががががががが!!!』  
 6本足の蹄が橋板を蹴る音。前に進む気配に加えて、ぐんぐんとした上昇感が加わる。  
そして・・・  
 「跳べっ!! セキテイ!!」  
 
 良く通る、澄んだリナ様の声。ぼくは恐々目を開けた。眼下にはドウドウと流れる急流。  
そして8m程向こうにあるもう一方の橋の先端。  
 「ほ、ほんとに飛んでる・・・うわ・・・あ・・・」  
 『セキテイ』は川の真ん中、25m程の上空を飛んでいた。吹き上げる冷たい風がぼくの  
前髪をサラサラと吹き上げる。時間はゆっくりと流れるよう。橋の下には呆然と口をあけて  
5人ほどの盗賊たちがぼく等を見上げてる。粗末な家の側でぐったりしている村人は思わず  
よろよろと立ち上がる。自信の笑みを浮べるリナ様のメタリックレッドのティアラが陽光に  
キラリ輝く。『セキテイ』のたてがみから飛び散る汗はまあるい粒となってゆっくりと後方に  
置いていかれる・・・  
 『ドンッ!! 』  
 
 『セキテイ』は二人を背に乗せ10mを軽々と飛翔し、二人をもう一方の橋板に運んだ。  
6本の足が板を強く叩く衝撃が、ゆっくりと流れる時間の速度を急速に取り戻させる。  
 「この『無双のリナ』只今、 推! 参!!」  
 殆ど立ち上がり、手の戟を一回転させるリナ様。ぼくはさらにガッチリと『セキテイ』の首に  
かじりつく。だって橋の角度はもう急坂を通り越して崖のよう。  
 「いやあああああッ!!!」  
 叫ぶリナ様。矢のような速度で逆落としに突っ込む。盗賊たちはそれを見ただけで、先を  
争って背を向け逃げ出した。  
 「不甲斐ないことよっ!! 」  
 リナ様がなぜか、がっかりした声音で叫ぶ。そのまま一気に盗賊達の間を駆け抜けた。  
 「えっ!? あ、あの・・・その・・・」  
 何か激しい戦いを予感していたぼくは拍子抜けしたような、ホッとしたような複雑な心境に  
なる。しかし、そおっと後ろを覗けばトンでもないものを見てしまった。  
 
 『・・・・・・』  
 棒立ちで立ち尽くす5人の盗賊。それが体の端々から血を噴き出して一斉に崩れ落ちた。  
しかも馬ごと・・・  
 「あわわわわわ・・・」  
 次元の違う凄さにうろたえてしまうぼく。そしてそれを見た川辺の村人たちが歓声を上げて  
手に手に得物を持ってリナ様について来る。このまま廃城を攻めて、今度こそ自分達の  
村が解放しようとしているのだろう。あんなに顔をアザだらけにされても村人の反抗心は  
鎮まらなかったようだった。  
 
 「む・・・」  
 リナ様はつまらなさそうに戟を大きく振ると、『ビッ!! 』と刃についた血が弾けとんだ。  
 『ヒヒヒン!! 』高らかに嘶きを上げて『セキテイ』は華麗に土手を飛び越える。そして砂丘に  
向けて突進して行く。遠くに20騎程の盗賊が砂塵を巻き上げてあたふたと逃げているのが  
見えた。  
 「いたっ!! 廃城に逃げられる前に追いつかないとっ!! 」  
 叫ぶぼく。さすがのリナ様も廃城の分厚い門は破れまい。しかしリナ様は余裕たっぷりで  
言う。  
 「任せろ、4本足の馬より6本足のクレイプニールの方が遥かに砂地を走るのに向いている」  
 その言葉どおり、『セキテイ』は砂を天高く蹴上げて、一気に盗賊たちを追い詰め始める。  
 またもや、この砂漠で命を賭けた鬼ごっこが始まる。ただし、追いかける側と追われる側の  
立場を変えて・・・そして、賞品はマナ様の命。誰もが、どぎつい太陽の下、心臓をぎゅっと  
握られたかのように押し黙り、ひたすら走る。  
 
 
 見る見る・・・と言っても20分近くかけてあと僅か50mまで追いつくリナ様。しかし、昨日の  
夜はぼくを2時間近くかけて結局追いつけなかったのだから、やはりアッという間に追い  
ついたと言っていいと思う。しかしそろそろ大きく目的地の廃城が見えてぼくをハラハラ  
させる。盗賊たちもかなりオーバーペースで馬を駆けさせているらしく。すでに何人かは  
馬が足を挫き、脱落した所をリナ様に斬られている。  
 「んっ?・・・何か叫んでます・・・」  
 
 ぼくは目を凝らす。前方では先頭を逃げる頭分が何事かを叫び、ぼくらを指差している。  
そして、盗賊がしり込みするように首を振る。そんなシーンがしばらく続いたと思うといきなり  
頭分が山刀を抜き放ち、となりの盗賊を叩き切った。血煙を上げて馬から転がり落ちる手下。  
 「えっ!? どうして?仲間割れっ!! 」  
 ぼくが驚愕していると、しぶしぶ、いやいやと言った感じで手下が馬を返しぼく達に向かって  
きた。リナ様が『セキテイ』手綱を引き、立ち止まると吐き捨てるように言う。  
 「このままじゃ追いつかれるので、手下を捨て駒にして自分だけ逃げ切ろうとしている  
のだろうな・・・まったくゲスにはゲスのやり方がある・・・」  
 「あ、あわわわ・・・ぜ、全員できますよ・・・」  
 頭分を除いた全員。数を数えれば18騎が一気にリナ様に突っ込んできた。1対18・・・  
なんか絶望的な数字に見える・・・チラリと後ろを見るが一緒に徒歩でついて来てくれている  
はずの村人はまだカゲも形も見えない・・・  
 リナ様は落ち着いていて、ぼくに声をかける。  
 「頭を伏せて、セキテイの首に抱きついていればいい・・・」  
 ひゅんひゅんと戟をしごくリナ様。見る見る闘気が高まってくるのが見ないでもわかる。  
 「ワ――ッ!! 」  
 ヤケクソのように歓声をあげ、盗賊たちが手に山刀を振り上げ突進してくるが、砂地に  
音が吸収されて遠くに漂って聞こえた。遠い夢の世界のよう。18本の刃の林がキラキラと  
煌く。風が砂塵を押しやる。汗はすぐに乾いて馬にもネコにも平等に白い筋を残す。あと  
30mもない。始めてリナ様が『セキテイ』に合図を送った。駆け出す『セキテイ』。無言の  
リナ様は手綱を口に咥えて頭上に赤柄の方天戟を抱え上げる。  
 「うおおおおおおぉぉぉっ!!!!!!」  
 半包囲の状態で18の刃が同時に殺意と突進のスピードと供に繰り出される。右から  
前から左から・・・生と死の交点・・・  
 
 

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