「……つまり、3日目の物資の搬入は別の業者から……」
「あははーっ! 智仁、またふられたのーっ?」
「……はい、当日は他の日より1時間遅い……」
「うるせぇ! 悪かったな!」
「……では、準備ができしだい……」
「なんのアプローチもせずにいきなり告るからよ! ばっかじゃーん!」
「……ですが、田村委員長が、その時間はまずいと……」
「うるせぇ! オレはこれでもさゆりさんのことを」
バン! と机を2つに割らんばかりの大きな音が部屋に響いた。
「うるさいのはお前らだ。なぜ学園祭実行委員でもないお前らが、この会議室にいるんだ」
眼鏡をかけた、真面目そうな男、吉田哲人(よしだてつと)は、はしゃいでいた二人を睨みつけた。
ショートカットの女は、佐藤美沙(さとうみさ)。金髪ピアスの頭の悪そうな男は、川崎智仁(かわさきともひと)。
3人は大学で知り合った、いわゆる仲のいい友達だ。(哲人にとってはくされ縁らしいが)
大体いつもつるんで遊んでいたのだが、哲人が学園祭実行委員の方で忙しいこの時期は遊び相手がいないのだ。
だから、2人はよくこの会議室に遊びに来る。
この時期になると、「また始まるのか……」と他の学園祭実行委員は頭を抱えるのである。
「だって今日暇なのよ」
「だぜ」
「だったら他の場所で暇をつぶせ。迷惑だ」
「2人だけじゃさびしいじゃん」
「だぜ」
「男1人、女1人でむしろ邪魔者が減ってちょうどいいだろう」
「なんでこんなバカと一緒にデートしなきゃなんないのよ!」
「だぜ……っておい!」
全くもっていつもと同じ展開。
実行委員の古株達はそのあまりの再現性の高さに思わず感心してしまう。
こうなると、次の展開も大体想像がつく。
上級生達は「若くてかわいい女の子」に該当する人物に目を向けた。
1年生の松田美雪(まつだみゆき)は、一斉に向けられた視線に思わずびくっとする。
(な……何?)
先輩達の目は、何かあわれんだような色を含んでいる。
まるで、これから生贄に捧げられる動物を見るような……。
「あー! 君かわいいねえ! 名前は? 年は? 電話番号は? 後メアドも教えてくれるとうれしいんだけど?」
「え? え? え?」
美雪は、何がなんだかさっぱりわからずに、きょとんとした顔をしていた。
「お前な……うちの実行委員に手を出すなと何度言ったら……」
「あーっ! ゆみちゃーん! ひっさしぶりー! わー、やっぱちょーかわいいねーゆみちゃんは!」
2年の小谷由美(こたにゆみ)は、見つかってしまったか、と天を仰いだ。
「いい加減にしろ美沙。小谷が迷惑してるだろうが」
既に由美に抱きついている美沙を、哲人は無表情にみつめていた。
「えー? 別にゆみちゃん、迷惑してないよね?」
「…………。」
由美は、既に悟りを開いてしまったかのような表情を作っていた。
自慢の黒髪の美しさも相まって、さながら日本人形のようである。
しかし、美沙はそんな由美を見て、くすりと笑った。
「それに、あの日の夜の出来事、ゆみちゃんも楽しんでたよねぇ?」
そう言うと、由美の顔がかーっと真っ赤になった。
「ちょちょちょおおっと美沙ぁ! お前なにしたんだその子に」
智仁が明らかに1オクターブ高くなった声で美沙に詰め寄ってきた。
「うるさいわねあんたには関係ないでしょ!」
ごすっという音とともに、智仁は崩れ落ちた。
フランス語の辞書のカドでおもいっきし頭を殴ったのだ。
「おい誰かそのゴミを片付けろ」
「はあ……」
哲人が眉一つ動かさずにそう言うと、下級生達は仕方なく智仁を運び出した。
「ついでにお前もとっとと出てけ」
「いやよ」
「みんな迷惑してるんだ、邪魔だから出ていけ」
「じゃあ私ゆみちゃんとこの子と一緒にあそぶぅ」
こっからが長いんだよな…。
実行委員達は、もう今日の会議は無理と踏んで、帰り支度をし始めた。
(いや、今回は哲人にも出てってもらうことにしよう)
(いいんですか? 幹部抜きで会議して)
(仕方ないだろう、もう残された期間もあまりない)
(はあ……)
哲人と同学年で、哲人の所属する部署の副部門長の山下が、哲人のところに向かった。
「おい哲人……」
「いい加減にしろこの非常識女!」
その瞬間、あたりの空気は凍った。
会議室中をびりびりと震わせ、山下をはじめとする実行委員の面々は金縛りにあったように動けなくなった。
哲人が怒ったところを見るのはみな初めてだった。
そしてその怖さは尋常ではなかった。
美沙は、何も言えず、ただ目を見開いて哲人の方をみつめていた。
数秒間の静寂。
「わ…」
美沙が、やっとの思いで出した声は、震えていた。
「私はどうせ非常識よ!!!」
美沙は、会議室の外に駆け出していた。
カッカッカッと廊下を駆ける音が遠ざかっていくと、哲人は会議机の方を向いた。
「会議を続けよう」
「先輩。美沙さんを追いかけてあげて下さい」
そうい言ったのは、由美だった。
「その必要はない」
「あります。美沙さんは先輩のことが好きだからです」
由美は、まっすぐと哲人のことを見ていた。
その目に、明らかに動揺の色が見えた。
会議室を沈黙が支配する。
「……追加説明、要りますか?」
「要らん。会議を続ける」
「先輩!」
由美は思わず立ち上がった。
「……が、すまないが急用を思い出した。山下、悪いが続きを頼む」
「了解。がんばれよ」
「美沙とは関係ない」
「誰も佐藤さんのこととは言ってないぜ」
ひっかけられたと分かった哲人は顔を赤くしていた。
いつも感情を隠そうとしているのに、こういう子供だましのひっかけなんかに弱いところが、山下も、他の実行委員達も大好きだった。
「……先輩」
会議室を出ていこうとする哲人を、由美が呼び止めた。
「美沙さん、本当はすごくさびしがりやで、甘えたがりなんです。だから……」
「君に言われなくても知ってるよ。何年あいつとつきあってると思ってるんだ」
哲人は由美に手を振ると、会議室のドアを閉めた。
美沙は、近くの川原のベンチに座っていた。
3人がよくたまり場にしてる、3人にとっての「いつもの場所」だ。
(なんでいつも哲人とはああなんだろ……。)
美沙は、一人悩んでいた。
美沙は自他ともに認めるほど裏表がない。
口は悪いし、多少性格に難があるものの、素直で、誰とでも仲良くなれる才能があり、みんなの人気者だった。
でも、哲人にだけは素直になれなかった。
哲人にだけは……。
(なんでいつも哲人とはああなんだろ……。)
哲人の顔を思い浮かべた。
あの憎たらしいメガネ。クソ真面目そうな整ったきれいな顔。
全然好みのタイプじゃない。タイプじゃないのに……。
「やっぱりここか」
美沙ははっと振り向いた。
夕日に照らされて、真っ赤に染まった哲人がいた。
「…………。」
「隣、座るぞ」
「…………。」
哲人は、美沙のすぐ隣に腰掛けた。
哲人のきれいな横顔が赤く照り上がっていた。
美沙は、思わずみとれてしまった。
その口が、動いた。
「……最初、オレがお前のこと、どう思っていたか知ってるか?」
「……え?」
そんなこと、考えたこともなかった。けど……。
どう思っていたの? 私のこと?
カラスの鳴き声が、川のせせらぎが、なぜかはっきりと聞こえていた。
「あこがれてた」
「……うそ」
「人間、自分にないものにあこがれるっていうのは本当なんだな。美沙は、オレの理想像だった。
誰とでもしゃべれて、素直で、いいたいことを言えて、やりたいことをできる。
オレのあこがれの女性だった」
「…………」
河のせせらぎが、とめどなく耳に流れてくる。
「じゃあ……今は」
どうなの、という前に、美沙の視界は真っ暗になった。
「…………!」
抱きしめられてる。哲人に。
ずっと好きだった、哲人に。
「好きだ」
「あ、あ……!」
涙が。
「オレは美沙みたいに話すのもうまくないし、感情表現も苦手だけど、でも、美沙のことは大好きだ」
「っ……!」
あふれてくる。
「オレじゃ、だめか?」
ダメなわけ、ないじゃない。
そう言おうとしたが、声が出なかった。
「うっうっうっ……!」
美沙は、涙をぼろぼろとこぼしながら、哲人をぎゅっと抱きしめた。
「美沙……」
「……哲人ぉ……哲人ぉ……」
涙が止まらない。
美沙は、なきじゃくりながら、哲人をぎゅっと、ぎゅっと抱きしめていた。
「美沙……」
哲人は、美沙の細いうなじの上のあたりに手をあてた。
美沙に顔を上げるよう促す。
美沙は哲人の胸から顔を上げた。
涙でくしゃくしゃだったが、誰よりも美しかった。
哲人は、彼女の唇に、自分の唇を重ねていた……。
エピローグ
「なんで私が書類整理をしなきゃいけないわけーっ?」
「過去2年にわたってさんざん会議を遅らせてきた罰だ」
「哲人、なんでオレもなんだー?」
「同罪だ」
結局、哲人と美沙はつきあうことになった。ま、オレからしてみりゃ、やっとかよって感じなんだがな。
素直じゃないんだよね、二人とも。
まあ、とりあえずはハッピーエンドでよかったんじゃない?
それにしてもさ……。
「でも、哲人と一緒にいられるからいっか」
「あれ、そういやなんで関係のない哲人が一緒に書類整理やってるわけ?」
「オレは部門長だ。監督不行き届きということで、責任をとらせてもらった。こういうけじめはつけないと」
哲人、それ絶対けじめつけてないって。
「哲人、だーい好き!」
「い、いいから早く仕事しろ」
あーあ、あんなこといいつつも哲人、まんざらじゃなさそうな顔してるし。
結構ひどいバカップルになりそうだな。
え、オレ?
ふっふっふっ……。
「あー、智仁、何こっち見てにやにやしてるのよ。
さては、私たちのことがうらやましいんでしょ。
智仁も早く彼女作ればあ? ま、一生できないでしょうけど」
「オレ、実は美雪ちゃんとつきあってるんだけど」
「な、何だって……!」
「て、哲人、なんでそんなに動揺してるの?」
「美沙、美雪っていう子は……お前があの時目つけた1年の子だよ」
「う、うっそーーーっ!」
「いつの間に……」
終