僕はマゾである。  
と、いうのがわが友人の出した結論だ。  
あの大場浩美に惚れるなど重度のマゾヒスト以外にはありえない。  
どうか友達よ目を覚ませ。  
生き急ぐには早すぎる。  
 
しかしそう言われたところでもう結論は出てしまったのだ。  
星野龍治は大場浩美に恋をしている。  
これはもう動かしようのない事実。  
だから僕は9ヶ月に及ぶ片思い期間に別れを告げ、  
この恋に決着をつけるべく行動を起こした。  
 
一度腹をくくれば簡単なことだ。  
生まれて初めて書く彼女への手紙にはただ場所と時間だけを書き、  
「本文」となるべき部分を自分の口で伝えるため僕はこの戦場に踏み入った。  
 
雨上がりの冬の空。  
日は沈みかけていて薄暗く。  
冷たい風が吹く校庭の片隅で、僕は人生最大のヤマ場を迎えていた。  
世界中の時計の針は止まり、  
世界中のあらゆる音は鳴り止んでしまった。  
 
僕の視線は彼女の唇に釘付けされ  
僕の首筋には北風のナイフが突き立てられ  
僕の背中はどんな軍人よりまっすぐに伸びていた。  
僕の耳が彼女の声だけを待っていたのは  
10秒間だったのか1時間だったのか。  
 
「あたしと……、このあたしと、付き合いたいだって?」  
「そうです」  
「冗談だったらキレる」  
キレる、というどこにでもありふれた言葉も、彼女が使えば凶器になる。  
ナイフが2ミリ分深く進んだ。  
 
「嘘じゃないです。本気です」  
「あたしなんかのどこがいいと思うの」  
つばを喉に落とし、両のこぶしを石のように固め僕はしゃべりだした。  
 
「一目見て、なんて綺麗な人なんだろうと思いました。  
 そしてなんてあたたかく、透き通った声なんだろうと思いました。  
 凛々しい目元が好きです。  
 つややかな黒髪が好きです。  
 困っている友達をほうっておけない優しさが好きです。  
 誰にも屈さない強さが好きです。  
 ぼうっと景色を眺めている時のゆるんだ表情が好きです。  
 体育の時間に颯爽と……」  
「もういい」  
 
彼女は抑えた声で簡潔に僕の言葉を切った。いや、斬った。  
僕はいよいよ自分の命運が尽きたことを知った。  
まぶたを閉じ、これから起こる惨劇を覚悟した。  
こうなることはわかっていたのだ。  
 
彼女の気配が接近した。  
突きだろうか。蹴りだろうか。あるいは頭から地面に落とされるか。  
僕はマゾじゃない。  
僕は痛いのは嫌いだ。  
僕はただとてつもなく強い女の子を好きになってしまっただけなのだ。  
だけど、もういいのだ。  
 
柔らかい攻撃だった。  
暖かい体当たりだった。  
まるで子犬に抱きつかれたような感触。  
目を開けると、彼女は僕の鎖骨に顔をうずめていた。  
 
「……ありがとう……」  
消え入りそうな声で。  
「ありがとう……」  
二度繰り返した。  
 
時計の針は動き出したようだった。  
僕は彼女の背中に手を回し、だけどそれきりなにも出来なかった。  
何か言おうとしても、何を言おうとしても、  
言葉は口の中で溶けるだけ。  
 
これで流れ星でも出たならば、  
もう一度時間は止まってしまうだろう。  
 
そしてそのまま動き出さなくても構わない。  
 
ずっとこのままで構わない。  
 
 
 
あの大場浩美に彼氏ができた、というニュースは  
殺人ウィルスにも勝るスピードで瞬く間に広まっていたようだ。  
朝、僕がいつもと変わらぬ時刻に教室に入った時、  
クラス中の視線が一斉に注がれたことは言うまでもない。  
 
「ねえ星野君、大場さんと付き合いだしたって本当?」  
「マジなのか星野よ!?」  
いきなりの質問攻めだ。  
どこで知ったんだお前ら。  
 
……まあ、考えるまでもない。  
昨日あそこで僕と彼女が会うことを、  
そして告白することを知っていた人間は世界で一人しかいない。  
 
「ちょっといいかな下田君」  
精一杯嫌みったらしい声で長い顔のクラスメイトに声をかける。  
「おお〜〜〜星野よ〜〜〜!  
 やったなお前、いやホントに良かった!  
 オレとしても最大限の祝辞を贈らせてもらうぜ!」  
 
下田の長い顔は無邪気に笑っていた。  
「まあオレもさ、もしお前が大場さんに殺されそうになったら  
 助けてやろうぐらいの気持ちで覗いてたんだけどさ、  
 まさかなー」  
「下田、頼むから」  
話をややこしくしないでくれ。  
そう言おうとしたその時、教室の空気が変わったのを感じた。  
僕がうしろを向いた時には大場さんは既に教室の中。  
僕と大場さんの目が合う。  
 
ほんの一瞬の沈黙。  
 
「おはよう、龍治」  
冷静きわまる表情から放たれた、  
先制の、そして決定的一打。  
 
教室中がこの瞬間、蜂の巣をマシンガンで襲撃したような騒ぎになった。  
あの大場浩美が男子を下の名前で呼んだ。  
呼び捨てで呼んだ!  
 
実は僕だってこう呼ばれるのは初めてだ。  
昨日は結局すぐに別れ、もちろん電話だってしていない。  
だからこれはまったくの不意打ち。  
狙撃手に撃たれたも同然だ。  
 
「お、おはよう大場さん」  
僕がそう返すと大場さんは左を向いて自分の席に歩いていく。  
リボンでくくった長い髪が、少しだけ弾むように揺れていた。  
 
席に着いた大場さんの後ろ姿は少しも動じる気配がなく  
凛として美しい姿勢を保っている。  
それに引き換え僕の心臓は16ビートを激しく刻み、  
きょろきょろと視線を泳がせ不審な動きが止まらない。  
われながら何やってんだろう。  
 
「……お前さ、彼氏になったわりにはビビリまくってんのな」  
「う、うるさい。まだちょっと慣れてないだけだ」  
当分慣れそうにない。  
 
「え、と……大場さん、ちょっといいかな」  
「なんだ」  
昼休み。弁当を鞄から出した大場さんの横に立ち、  
僕は蚊のような小声で話しかけた。  
 
「ここじゃなんだし……どっか別の場所で食べない?」  
周囲の視線が注がれまくっているのを  
背中で感じながら話を続ける僕。  
大場さんは眼球だけをこちらに向け冷静に答えた。  
 
「君と二人なら構わないけど」  
他の奴らが混じるのは許さん、と言外ににじませる大場さん。  
またしても教室の空気が変わった。  
いちいち顔は見えないけど、きっとみんな目を丸くしてるんだろう。  
 
「よし! そういうことならさっさと行こう!」  
これ以上注目され続けるのを嫌った僕は、  
外を指差して大場さんを急かした。  
大場さんは実に落ちついた態度でゆっくりと立ち上がる。  
それから弁当を小脇に抱えて歩き出した。  
 
「で、どこで食べるんだ」  
「食堂……は余計人目につくか。  
 部室は誰かいるだろうし……」  
「なんだ、考えてなかったのか」  
「ご、ごめん! とにかくあの場から離れたくて、その、  
 やっぱりじろじろ見られるのは嫌だし……」  
 
大場さんはあごに親指を乗せうつむいた。  
どうやら何か考え事をしているらしい。  
約3秒止まったあと目線を前に上げた。  
「なら屋上にしよう」  
「え?」  
 
そこは町の景色を一望できる、校内屈指のデートスポット(?)だった。  
ただしそれは春夏秋の話であり、  
こんなクソ寒い真冬に屋外で飯を食うバカはまずいない。  
この季節はほとんど無人のはずだ。  
 
「寒いけどいいの?」  
「一向に構わない」  
「僕も全然大丈夫だよ、うん」  
 
 
強がってはみたもののしかし、寒い。  
どこまでも広がる青い空と白い太陽は  
見かけだおしで全然あっためちゃくれないし、  
働き者の北風はまったく容赦がない。  
そんなに僕が嫌いか。  
 
「君のそれは母親が作ったものか」  
正座で弁当の包みを開けた大場さんが口を開いた。  
「うんそうだよ、大場さんのは?」  
「これは自作だ」  
そう言って蓋を開ける。  
 
いかにも和風といった趣きの弁当箱の中には、  
だし巻き卵やアスパラのベーコン巻といった  
定番の品々が所狭しと並んでいた。  
それはとても色鮮やかで、何よりもおいしそうな宝箱。  
 
「凄い、ホントに? 大場さん料理上手いんだ!」  
「腕っ節以外ではこれぐらいしか取り柄がないからな」  
そうつぶやく大場さんの表情も口調も、まったく普段と変わらない。  
謙遜ではなく本心ということだろうか?  
 
「そんな……それはないよ、でもホントにおいしそうだ」  
「食べるか」  
大場さんはまっすぐ前を向いたまま冷静にそう言った。  
僕は息をするのも忘れ固まってしまう。  
 
「え、と……いいの?」  
「嫌なら構わないが」  
僕は首を力の限りダイナミックに振り全力で否定した。  
「いる!!」  
 
まずは基本から、とばかりにだし巻き卵を箸でつかむ。  
自然と肩に力が入るのを感じ、小さく深呼吸をした。  
他ならぬ大場さんの作った料理を前にして、  
唾液がいつもと違う味になっているような気がした。  
 
口に入れる。  
噛む。  
そして噛む。  
それから噛む。  
しつこく何度も噛んで、それから飲み込んだ。  
 
……おいしい。  
「……おいしい」  
「本当か?」  
本当に、本当にお世辞じゃなくて、これは紛れもなくおいしい。  
「本当に、本当にお世辞じゃなくて、これは紛れもなくおいしい」  
 
「そうか、それなら良かった。  
 なにぶん家族以外の人間に食べてもらうのは初めてなんだ」  
「いやでもこれは凄いよ。毎日自分で作っているの?」  
「基本的にはそうだ」  
大場さんはいつもと同じく感情を抑えてしゃべっていたけど、  
それでもきっと喜んでくれているんだろう。  
勘違いかもしれないけど、ほんの少しそれが声に出ているような気がした。  
 
「そうか〜。ひょっとして今日だけ僕のために作ってくれたのかな〜、なんて。あはは……」  
大場さんの小太刀のような目が僕を刺した。  
「なぜ」  
一瞬で背中に寒気が走る。膝の裏辺りまで。  
「あ、いや、その、ええと……」  
「なぜあたしが君のために弁当を作ったと思った」  
 
「え、とその……一応、付き合いだしたから……」  
何が大場さんの気に触ったのかさっぱりわからない。  
僕はとにかく本能で危険を感じ混乱してしまった。  
「そうか、そういうものかもしれないな」  
そう言って大場さんは前を向く。  
「へ?」  
「いやなに、やはり男は女の料理が食べたいものなんだな、と」  
「そりゃあもう!」  
僕は身を乗り出して声を張った。  
 
「毎日だって食べたい!」  
僕のやかましい声に対し、大場さんはしばらく沈黙を保っていた。  
なんか、冷静に考えるとプロポーズみたいなセリフだったような……。  
「そうだな」  
大場さんが口を開いた。  
 
「気が向いた時には君の分も作っておこう」  
頭の中にドラクエのカジノで大当たりした時のファンファーレが鳴り響く。  
とにかくもう、嬉しすぎる大誤算だった。  
「ほんとに!?」  
 
――その時の僕の浮かれっぷりといったら、  
ウエストポーチに登山道具一式詰め込むかのごとき容量オーバーと言える。  
僕は自分でも気付かないうちに  
大場さんに抱きついていた。  
 
「わっ」  
驚いた大場さんは小声で叫び、  
次の瞬間僕はみぞおちにとんでもない衝撃を喰らった。  
食ったものが全部飛び出してくるかのような。  
一拍置いて僕はコンクリートにキスをする羽目になった。  
 
――うん、そうだな、人生であれほどのダメージを受けたのは、  
8才のとき自転車に正面衝突して以来だと思う――。  
 
「す、すまない大丈夫か!?  
 急に襲ってくるから思わず肘が出てしまった」  
「ゴホッ、コッ、……はぁ、はぁ。  
 お、襲うだ、なんてそんな、コホッ、大げさな……」  
 
僕の必死の抗議に対し、さすがの大場さんも謝って  
「しかし元はと言えば君が悪い。  
 いくら思春期なりの性欲があるといっても事を急ぎすぎだ」  
くれなかった。  
 
「べ、別にそんなんじゃなくて……」  
「とにかく急に抱きついてくるのはやめてくれ。  
 心の準備ができていない」  
「はい……」  
昨日は自分から抱きついてきたのに、と小声でつぶやく。  
聞こえないように言ったつもりだったのだけど。  
 
「あれは気の迷いだ。忘れろ」  
「え?」  
「いいから忘れろ」  
 
そう言う大場さんの耳がいつもより赤くなっていたのは  
多分気温のせいだけじゃない。  
でも声の強さは相変わらずで、  
僕はまったくもって逆らえそうになかった。  
 
これから当分こんな雰囲気が続くんだろうか……。  
ちょっとそれもいいかも、なんて思ってしまった自分は  
 
やっぱりマゾじゃないのかと思ってしまった。  
 
 

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