なんて浅はかだったろう。
なんて軽率だったろう。
彼がどんな思いであのノートをまだ持っていたのか、まるで考えなかった。
彼がどんな思いであのノートに想いを綴っていたのか、まるで考えなかった。
彼がどんな思いであの交換日記を始めたのか、まるで考えなかった。
彼がどれほど自分を想ってくれていたのか、まるで考えなかった。
気付けば立ち上がり、駆け出していた。
今ならまだ間に合う。
何と言えば良いのかわからない。
何と言って彼に謝れば良いのかわからない。
何と言って彼の許しを乞えば良いのかわからない。
何と言って彼にこの想いを伝えれば良いのかわからない。
引き留め、謝罪し、愛していると伝える。
ただ、それだけ。
それだけなのに、わからない。
走る。走る。走る。
考える時間が足りない。愛しい彼の愛しい背中が見えてきた。
だが走る速度は緩めない。緩める事ができない。
心臓が破れそうな今でさえ彼に追いすがるのが精一杯なのに。
彼の背中が目の前にある。
彼は変わらない速さで歩き続ける。
「待って!!」
彼の足が、止まる────
「待って!!」
声が聞こえた。
聞き慣れた声。
つい先程、冷たく突き放した声。
後にも先にも、唯一愛した女(ひと)の声。
動揺した。突き放したはずなのに。なぜ引き留める?
動揺した。突き放したはずなのに。なぜ自分は喜ぶ?
彼女の我が儘に耐え切れず、失望し、別れを告げた。
自分は彼女に失望し、嫌ったはずなのに。
自分は彼女と別れ、ただのクラスメートになったはずなのに。
彼女の声を聞いた瞬間、言いようの無い感情が彼を襲った。
怒りでは決してない。絶望や失望でもない。少なくとも負の感情ではない。
ならば一体何なのか。答えは決まっている。
歓喜だ。彼女の声が自分の心を無上の歓喜で満たした。
しかし悟られてはならない。自分は彼女に別れを告げたのだ。
足が止まる。
荒い息をつき、喘ぎながら彼女が続ける。
「何を言っても許してくれないかもしれないけど、あの交換日記の事であんな事言ったん
だったら、謝らせて。
今さらよりを戻してなんて、虫の良い事は言わないけど、お願いだから、私の事を嫌いに
ならないで……もう、こっちを振り向いてなんて言わないから、お願いだから、嫌いにな
らないで……
お願い……」
嗚咽混じりになった彼女の声が、胸を締め付けた。
ああ、彼女は自分をこんなにも想ってくれていたのか。
あの暴言を許す事はできない。だが、受け止める事はできる。
あの我が儘を許す事はできない。だが、受け止める事はできる。
互いに互いの我が儘を聞き、互いに互いの我が儘を突っぱねる。
互いに互いを尊重し、互いに互いをないがしろにする。
互いに互いを愛でて、互いに互いを罵る。
未熟で幼い二人には、今はこれが精一杯。
ゆっくりと振り返り、彼女に向き合う。
彼女は座り込み、俯いて泣いている。
ゆっくりと彼女に歩み寄る。
周りの視線は気にならない。
彼女の前にしゃがみ込み、そっと肩に手を添える。
弾かれたように顔を上げる彼女に、出来る限り優しく微笑んで頷く。
壊れてしまいそうな彼女を優しく力強く抱き締め、誓いを立てる。
もう二度と、この愛しい女(ひと)を離さない。
もう二度と、この愛しい女(ひと)から離れない。
何があっても必ず彼女を護る。
何があっても必ず彼女を信じる。
そう、誓った。