ジープに揺られて山道を走りながら、鶴下京一は猛烈な後悔に襲われていた。  
 民俗学者をやっている叔父の頼みで軽いバイトに参加したつもりが、とんでもないところに連れて行かれるはめになってしまったからだ。  
 話は一週間ほど前にさかのぼる。  
 大学が夏休みに入ったので、サークルの夏合宿が始まる前に短期バイトでもしようと考えていると、叔父の雅彦から電話があった。ちょうどタイミングよくバイトをしないかというものだった。  
 今までにも何度か叔父の手伝いはしていたので、バイトの内容がどんなものかはわかっていた。基本的には荷物持ち兼カメラマンである。  
 民俗学という学問は基本的にフィールドワーク、つまり現地に行って古老の話を聞いたり、古文書、古跡を調べ、それを記録する作業が主になるのだが、その際に映像や音声を残すことが重要になってくる。たとえば方言などは文字だけでは記録できないからである。  
 そのためインタビュアーの雅彦に代わってカメラマンをするのが京一の役目だった。  
 叔父の話によると、今回はかなりの僻地に行くことになるらしい。遠い上に、かなりきついものになるかもしれないので、バイト代もいつもより五割増しでどうかという言葉に、学生らしく万年金欠の京一は一も二もなく飛びついた。  
 幸いにもサークルの夏合宿の日程にはかぶらなかったので、なんの心配もない。  
 ……はずだった。  
「話がうますぎるとは思ったんだ」  
 京一の呟きはジープの揺れにまぎれて掻き消えてしまう。  
 今日の朝七時に駅に集合してから新幹線で四時間、電車に揺られること三時間、そこからさらにレンタカーで五時間。それでもまだ目的地には着かない。  
 車がジープだった時点でおかしいとは思ったんだよ。  
 すでにジープに乗ってから五回、車酔いによってもどしている京一は力なく窓の外を眺めた。もはや胃の中は空っぽである。  
 とっくの昔にまともな道ではなくなっている。数時間前から獣道を無理やり押し通っているようなものだ。  
 長い電車旅を終えて、駅をおりてすぐのレンタカー屋でジープを前にした雅彦の言葉を思い出す。  
「ちょっと山奥にある村だからね。普通の車じゃ厳しいんだ」  
 そのときはなにも考えずにただ、ジープなどという珍しい車に乗れるのはちょっとラッキーだな、と考えてしまった。  
 五時間前の自分をぶん殴り気絶させて、そのまま電車に放り込んで帰宅させたい。  
 なにがちょっとだ。ここ本当に日本か? 知らないうちにインドとかにワープしてんじゃないだろうな。  
 京一に毒づかれているのも知らずに、雅彦は気分よさそうに鼻歌を歌いながらハンドルを握っている。  
「……お、叔父さんまだ?」  
 息も絶え絶えに京一が尋ねると、雅彦は一時間ほど前と同じ答えを返した。  
「あー京一。もうすぐだから、あとちょっとで着く。この坂越えたらすぐだ」  
「さ、さっきも同じ、答えだったけど……」  
「あ、ほら見えた」  
 がこんと車体が大きく揺れ、斜めになる。急な斜面を登り終えた証だ。  
 雅彦の声に、京一はのろのろと体を起こし前方に視線をやった。  
 ちょうど坂の終わるあたりがぽっかりと開けて、小さな村があるのが見える。  
 山と山の間。わずかな平地にしがみついているような村で、田畑の間にぽつぽつと家がある。  
 家といっても、近代的なマンションなど一つもない。驚くべきことに藁葺き屋根の家ばかり。  
 
「こんなとこにも人が住んでるんだ」  
「もちろん。でなけりゃ何しにきたのかわからんだろうが」  
 雅彦は軽く笑ったが、京一ならずとも、並の人間なら同様のことを口走っただろう。  
 ジープは五分ほどして、村の入り口――別に門などがあるわけでなく、そこで森が途切れているだけ――にたどり着いた。  
 すると、畑で農作業をしていた一人の村人がこちらに気づいたらしい。仕事の手を休め京一たちに向かって大きく手を振る。中年の男性らしいが、まるで子供のようである。  
 雅彦がそれに応えるように大きく手を振ると、手でメガホンをつくって声を張り上げた。  
「すいませーん! 山木さんはどこにおられますかー!」  
「おー、おめさんたつがすんぞーが言ってだ学者さんけぇー! ぃんま呼んできでやっからよぉー、ちっと待ってれー!」  
 ひどり訛りに京一が驚いていると、中年の男は返事を待たずに畑を飛び出し、あぜ道に止めてあった自転車に飛び乗ってやかましい音をたてながら村の奥へ走り去ってしまう。  
 呆然と男を見送ると、京一は隣にいる雅彦の様子を窺った。  
 叔父は動じた風もなくタバコを取り出している。  
 京一は心の中で深く長いため息をついた。なんという僻地に来てしまったのだろう。まるで戦前の村のようだ。見たところ電気も通っていないようだし、携帯電話はとっくの昔に圏外である。  
「えっと、何日いるんだっけ」  
 甥の問いに、雅彦は考え込むようなそぶりで煙を空に向かって吐き出した。  
「予定では一週間だな。もしかしたら数日伸びるかもしれんが」  
「一週間か……」  
 呟くと、京一はジープを降りた。大きく伸びをしながら深呼吸をする。  
 都会ではどうやっても味わえない澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むと、あきらめに似た気持ちで覚悟を決める。  
 来てしまったものはしょうがないのだから、一週間頑張ろう。避暑地に来たと思えばいいバカンスにもなる。  
 京一が自分を誤魔化していると、がちゃんがちゃんと激しい金属音が聞こえてきた。  
 先ほど山木を呼びに行った男が戻ってきたらしい。  
 音のしたほうを眺めると、まだ男はだいぶ遠くにいる。よく音が聞こえるものだと京一は思ったが、周りに他に音を立てるようなものが一切ないせいだろう。  
 都会にいると自動車や人の話し声、足音、電化製品など様々なことで雑音がする。普段はそれらの中で暮らしているため気づかないだけで、本来自然が出す音などせいぜいが動物の鳴き声程度のものである。  
「ぃよぉー! もーすぐ来るっでよぉー」  
 叫びながら男はどんどん京一たちに近づいてくる。どうやら農作業に戻るつもりはなさそうだった。  
 
「おらぁ山谷大介っちゅうもんだぁ。おめさんたつよぉこんげな遠いとごまできんさったなぁー」  
 ジープのそばに自転車を止めると、男は自己紹介をした。  
「どうもはじめまして、鶴下雅彦といいます。民俗学の学者をやってます。こっちは鶴下京一、助手です。と言っても甥なんですがね」  
「鶴下京一です」  
 雅彦に紹介されて京一は軽く頭を下げる。  
「へぇー。ちゅうこどはこん子が今度のまづりのぉー。はぁー」  
 間延びした声でなにやら感嘆しながら、山谷が京一をじろじろと遠慮なく眺める。  
「祭り? ってなに?」  
 京一が小声で叔父に尋ねた。  
「ん、ああ。今回ここに来た一番の目的だ。この村にはずいぶん古くから伝わる祭事があってな、昔から姿をほとんど変えずに今もその神事を執り行なってるそうだ。  
 まあそれ以外にも色々と目的はあるが、それを見学しようというのが今回のメインだな」  
 続けて京一が質問しようとしたとき、大きな声が聞こえてきた。  
「おーい! 鶴下さーん」  
 大きく手を振りながら、自転車に乗ったつなぎ姿の男が現れた。端村役場と書かれた帽子をかぶっている。こちらの自転車はやかましくない。  
「おぉ、大介さぁ仕事に戻っとらんのけぇ。まださぼってっと清子さぁにおごられっで」  
「ほっとげ、こんげな田舎に客が来るなんでめったにあるもんでねぇが」  
「ん、確かにそげだな。おぉー、挨拶が遅れてしもってすまねぇな先生」  
 自転車を降りた役場の男が帽子を取って挨拶する。  
「いやいや、こちらこそご無沙汰してます。こいつは助手の鶴下京一、甥です」  
 雅彦に背中を叩かれながら先ほどと同じように紹介され、京一は軽く頭を下げた。  
「どうも、はじめまして鶴下京一です」  
「よぉ、はずめますて俺は村長の山木新造だぁ。ほぉー、きみが祭りのぉー。京一君けぇー。京一君は運がえぇーでなんつっても今度の巫女は美人だでよぉ」  
 京一は山木が村長を名乗ったことに少し驚いた。帽子から村役場の職員とばかり思っていたからだ。まだ三十の半ばくらいに見える。  
「山木さん」  
「お、おぉー。すまね、すまね、そっだら泊まっでもらうとこまで案内するでよぉ、ついて来でくれや」  
 雅彦が名前を呼ぶと、山木は慌てたように何度も頷き、再び自転車にまたがった。  
 
 前を行く山木の自転車のあとをついてのろのろと進むジープの助手席で、京一は気になっていたことを雅彦に尋ねた。  
「俺、村の祭りでなんかするの?」  
「なんのことだ」  
「なんか村の人たちそんな感じのこと言ってなかった?」  
「聞き間違いじゃないのか。だいたい昨日今日来たお前を大事な神事に関わらせるわけないだろう。なんといっても六十年に一度なんだから」  
「六十年!」  
 京一が思わず大声をあげるのを横目に、雅彦はタバコをふかしている。  
「六十年に一回の祭り!?」  
「そうだ。だから今回は運が良かった。前の祭りなんぞは戦後しばらくに行われているから、当時の学者連中もまだ混乱してて記録だとか資料どころじゃなかったみたいだしな。民俗学者冥利につきるよ」  
 うまそうにタバコの煙を吐き出すと、雅彦は遠い目をして言った。  
「こんなとこだとそれぐらい間隔があいてても気にならないものなのか。俺だったらとても六十年ごとの祭りなんか続ける気にならないけど」  
 そこまで言って、京一は窓の外の景色を眺めて思い直した。  
 こんな田舎に住んでたら六十年なんか少し前程度の感覚なのかもしれない。なにしろ景色が同じ現代とは思えない。  
 それこそ戦前の懐かしい風景を再現したテーマパークのようなのだから。タイムスリップしたような気分になってしまう。  
「ああ、そういえば二人とも凄く訛ってたけど、ここの人はみんなあんな感じなの? 俺あんな訛った人始めて見た。ときどきなに言ってるかわからなくなったし」  
 京一が前を行く山木の背中を眺めながら口にする。  
「なに言ってんだ。あの人たちはこっちに合わせてくれてたんだよ。まだ若いほうだから標準語に近いものも話せる」  
「あれで!」  
「もっと年くってる人だとお前には日本語に聞こえないだろうな。俺だって最初は通訳がいった。前来たときは土地の古老に話しを聞く前に、言葉を習うのでかなり時間を取られちまったからな」  
 民俗学者として数多くの方言を研究している雅彦ですら通訳が必要だったと聞いて、京一は気が遠くなった。  
 
「すごい……。ああ、凄いといえば、あの山木って人も凄いよな。まだ結構若そうなのに村長なんかやってさ。叔父さんの知り合いっぽかったけど」  
「あの人がきっかけでこの村のことを知ったんだ。ちょっと色々あってな」  
 新しいタバコに火をつける雅彦。  
「まあ村長っていっても一番偉いってわけでもないしな」  
「偉くない村長なんていないだろ。まさか市長もこの村にいるとか」  
 京一はそう言ったものの、こんな辺鄙なところに村があっただけでも信じられないのに、まさか市役所があるなんて信じてはいない。  
「いや、そうじゃない。公的に言えば一番偉いのはあの村長の山木さんだ。だが、村の中では年寄り連中の、いわゆる長老みたいな人たちのほうが偉い。  
 だいたいここの職業は基本的に世襲だからな」  
「うわっ、二世議員。構造改革しないと」  
 冗談めかして京一が言うと、雅彦が首を振る。  
「そうじゃない。こんな僻地の中の僻地だからな、へたに何も知らない新人が村長になっても混乱するだけだ。  
 ノウハウを持ってる家が代々仕事に専任されたほうが効率がいい。第一ここで権力なんか持っても汚職なんかおこるわけがないしな。  
 それに村長だけじゃない、先生もそうだし、医者もそうだ。他にも雑貨屋なんかもそうだし、もちろん農家もだ。ここでは親の仕事を継ぐのが当たり前なんだ」  
「マジで同じ平成なのか、ここ……」  
 あらためて、京一はジープの窓から辺りを眺めた。自分がひどく場違いに思える。現代の感覚から言えば、場違いなのはこの村のはずなのに。  
「そごの家だぁー!」  
 前の自転車から大声が聞こえてくる。どうやら、目的地に着いたらしい。  
 自転車が止まるのを見て、雅彦もジープを止める。  
 
 車を降りると、ひときわ古い家が目の前にあった。当然ながら藁葺き屋根の、それこそ昔話に出てきそうな家である。  
 広い庭――とくに柵で囲ってあるわけでもないが、道とは違う雰囲気なので京一はそう判断した――のすみには薪が積み上げられており、斧が無造作に立てかけられている。  
「うぉ、すげぇ。薪だ。風呂用か?」  
 京一の言葉が聞こえたのだろう、新造が言う。  
「こんげなとこだとガスなんで引かれてねぇでよぉ。プロパンならあんだけどよ」  
 指差されたほうを見ると、確かに大きな鉄のプロパンガスが何本か立っているのが見えた。  
「風呂なんぞにつかっでしもったらすぅぐにねぇよおになるでな。んだけども電気はあんだぁ、ほれ、あっこ」  
 再び、新造に示されたほうを眺めると、なにやらよくわからない機械が家にへばりつくようにしてある。おそらく発電機の類なのだろう。  
「んだから夜は蝋燭なんてこどもねぇでよぉ」  
 笑うと、ちょっど婆さん呼んでくっから待っててくれろ。そう言って新造は家の中に入っていった。  
 京一はため息をつくと、ジープから荷物を降ろしている雅彦を手伝うことにする。  
 カメラやフィルムの入った大きなケースを下ろしながら、叔父に話しかけた。  
「ここってコンビニ、つうかタバコの自販機なんか……」  
「あるわけないだろ」  
「マジか……、叔父さんタバコ持ってる?」  
「ん、ああ」  
「ちょっとでいいから分けてくれない」  
「なんだ買ってこなかったのか」  
「まさかこんな凄いとこだとは思わなかったから」  
「わかった、その黄色いカバンあるだろ。それの中全部タバコだからあとで適当に持ってけ。一カートンやるから。」  
 叔父が顎で示したナップザックには優に二十カートンは入っていそうである。京一は叔父のヘビースモーカーぶりにあきれ返る。  
 一日一カートン吸っても余り過ぎる計算である。もしかしたらかなり長くいるつもりなのかもしれない。一週間といわれたの嘘だったのだろうか。京一はぞっとした。  
 荷物を全部降ろし終えた頃、新造が戻ってきた。老婆と若い女を連れている。おそらく家の住人なのだろう。  
「オババだ……」  
 京一が思わず口にしてしまったが、まさにその単語がぴったりくる老婆である。頭は真っ白で、結い上げてまとめてある。  
 年は八十をいくらか過ぎたくらいだろうか、しかし百歳だと言われても京一は納得しただろう。  
 小袖に、動きやすそうなもんぺ姿でかくしゃくとした歩き姿である。腰はいくらか曲がっているものの、杖はついていない。  
 一方の若い女、女の子と言ったほうがいいだろう。こちらはジーンズにティーシャツという現代人らしい姿である。ショートカットで可愛らしい顔立ちだった。  
 化粧っ気はまるでないが、それが逆に健康的な美しさを引き立てている。  
 しかし、どこか田舎臭いと言うか、純朴な雰囲気を持っているのが、この村の住人であるということを思わせる。京一と同じか、少し年下ぐらいに見受けられた。  
 
 
 三人はすぐに京一たちの前にやってきた。  
 新造が女性二人を促すように手を広げる。  
「やぁー、鶴下先生のほうは知っとるだろぉけどよぉ、京一君のほうは知らんだろぉで紹介すとぐわ。うちの村の巫女さんの奥山タツばぁと真由ちゃんだぁ」  
「奥山タツと申すます。こんたびは先生様がたに偉ぇご苦労をおかけすることになっづまって」  
 年のせいか多少かすれてはいたものの、はきはきと挨拶すると、タツは深々と頭を下げた。  
「いやいや、気にしないでください。おかげさまでと言ったらなんですが、こちらのほうも無理を言いましたし、お互い様です」  
「そう言っでもらえるっとオラとすても助かりますで。けんども、お世話になっでおいて申すわけねぇが、  
 他のもんにはぜってぇに知らせねぇちゅうことだけはまんず頼んます。何度も言っとりますが、年寄りは心配性なもんだで」  
「わかっております。私もこういった研究に携わっているものとして、当事者にとってどれほどの秘事かはよく存じているつもりです。  
 私の胸だけに収めさせてただきます。こういったことを知りたがるのは学者としての性ですから。他の人は知りませんが、  
 私は自分の好奇心だけを満たすためにやってるようなものです。絶対に他言はいたしません」  
 雅彦が余所行きの言葉調子で話すと、老婆は納得したのか、改めて深々と頭を下げた。  
 顔をあげると、タツは京一に値踏みするような視線を向ける。  
「こっちにおる子ですか」  
 京一は頭のてっぺんからつま先まで、ゆっくりと観察されているのを感じる。  
「はい。私の甥の京一と言います」  
「鶴下京一です。一週間お世話になります」  
 居心地の悪い思いをしながら、京一は今日何度目かのお辞儀をする。  
「へぇ、よろすくお願いすます。こっちにおる子が京一様のお世話をするもんです。オラの孫です」  
 これ、と祖母に促されて真由がぺこりと頭を下げる。艶々と黒い髪の毛がさらりと動く。  
「奥山真由です。一週間よろすくお願いすます。なにかあったらすぐに言うてください」  
 若いせいか、他の村人よりも訛りが軽い。京一にも比較的聞き取りやすかった。  
 京一は世話役など要らないと言おうとしたが、雅彦の無言の圧力を感じてよろしくと言葉を返した。この叔父はときどき妙な迫力をかもし出す。  
「そすたら俺は役場のほうに帰るで」  
 自転車にまたがろうとした新造を雅彦が呼び止める。  
「あ、ちょっと待ってください。これ良かったらどうぞ。前来たとき言ってたでしょう」  
 荷物をがさごそと引っ掻き回すと、雅彦はタバコを数カートン取り出す。  
「おー、おー! すまねぇな。こいつはありがたく村のもんで分けさせてもれうわ。みんな喜ぶでよぉ」  
 前カゴにタバコを入れると、新造は上機嫌で去っていった。  
 
 確かに古めかしい――なにせ囲炉裏があるぐらいである――のだが、蛍光灯に電化製品はあるし、冷蔵庫などはなんと業務用の巨大なものがある。  
 もっとも、これはあとで生活用品が数ヶ月に一度しか届かないという村の状況を知ってしまえば当然のことと思えたが。  
 ともあれ、京一が予想していたほど厳しい生活にはならなさそうである。  
 京一と雅彦が案内された部屋はやたらと広かった。何畳なのか考えるのも馬鹿らしくなってしまう。  
 部屋の真ん中のほうに座椅子と脚の短いテーブルがある。窓際にも座椅子があり、小さな卓が置いてある。外の景色を眺める  
 広い部屋の片隅に荷物を置くと、雅彦はさっそくその中からデジタルカメラにデジタルビデオ、メモリースティックの類を取り出して一つのリュックのまとめている。  
 そのうちに準備ができたのか、それを背負うとおもむろに立ち上がる。  
「京一、俺はざっと様子を見て回ってくるからお前は荷物の整理をしといてくれ」  
 それじゃあな、そう言うと雅彦は元気良く部屋を出て行ってしまった。  
 残された京介はため息をつくと、言われたとおり荷物を整理すべくリュックの中身をぶちまけ始める。  
 これでは整理ではなく散らかしているようにしか思えないが、そうではない。雅彦は荷造りをするときに、  
 手当たり次第に思いついた順にカバンに詰め込んでしまうため、どのカバンになにが入っているかさっぱりわからなくなってしまうのだ。  
 そこで現地に着くと、まず持ってきた荷物を仕分けるのが助手の最初の仕事になっていた。  
「あんのぉ」  
 背後から声をかけられて京一は自分以外にも人がいたことを思い出した。自分たちをこの部屋まで案内してくれた人物である。所在無げにしている相手に声をかける。  
「ああ、えっと、真由さんだっけ」  
「もし良かっだらお茶でも入れてきましょうか」  
「あ、お願いします」  
 そんなに急いで荷物の整理をする必要もあるまい。どうせ叔父が帰ってくるのは遅いだろうから。  
 京一はそう考え、休憩をとることにした。この村に到着してから、まだろくに落ち着けていない。  
「んだら」  
 嬉しそうな笑顔で京一に頷きかけると、真由は部屋を出て行った。  
 彼女の軽い足音を聞きながら、京一はポケットからタバコを取り出す。残り数本しかない。叔父とは吸っているタバコの種類が違う。しばらくはそれで我慢しないといけない。  
 どこか名残惜しい気持ちで京一はタバコを口にくわえた。いつもよりじっくりと味わうつもりだった。  
 テーブルにあった灰皿を手前によせて一服していると、盆に急須やお茶菓子を載せて真由が帰ってきた。  
 湯飲みにお茶を入れながら真由が京一に話しかける。  
「先生について来られた助手っちゅうことは京一さんも学者になるんか」  
「いや俺はそんなつもりはないよ。単なるバイト。真由さんはなにしてるの学生? あと俺のことは京一でいいから。」  
「そんならあたすのことも真由でいいよぉ。あたすは高校でてからもう三年はばあちゃんについて巫女の修行やっとるよ」  
 お茶を京一に差し出しながら真由が言った。  
 京一は内心で驚いていた。訛りのせいか、化粧気のないさっぱりした身なりからか、てっきり真由は自分より年下だと思っていた。  
 年上だということがわかった今でも、年下にしか見えない。田舎育ちを割り引いても実年齢より若い、というよりも幼く見える。  
 茶をすすりながらじっと彼女を眺めていると、真由が大福を差し出してきた。家で自分がつくったものらしい。  
「甘ぐておいしいよぉ。……ん? もすかしてお茶渋かったかなぁ」  
 真由は京一の視線を勘違いしたらしい。  
 慌てて京一が手を振った。  
「いや、おいしいよ。ちょっと真由が年上に見えないなと思って」  
「え? ちゅうことはあんたいくつよ?」  
「十九」  
「へぇー。てっきりあんたのほうが年上に見えってたでよぉ。やっぱす都会の子は大人びて見えるんかねぇ」  
 真由がのんきな声をあげる。  
 その様子を見て、改めて京一は相手が年上には見えないと思った。  
「あ! ちゅうことはあんた未成年でねぇか。タバコなんて吸ったらダメでねぇの」  
 精一杯年上ぶろうというのか、真由が腰に手をあてて注意してくる。だが、その顔に京一が煙を吹きかけると、思い切りむせて咳き込んでしまう。  
「えへっ、けほっ。……なんちゅうことすんだぁか。この子はぁ」  
「ガキ扱いするからだよ」  
「……まあええわ」  
 言いながら真由が自分の分のお茶を入れているところを見ると、すぐに立ち去るつもりはなさそうだった。  
 
 その後、しばらく二人は自己紹介がてら世間話をしてだいぶ打ち解けることができた。  
 そのときにわかったことだが、村には真由と同年代の人間がおらず、一番年齢の近いもので上は十歳、下は八歳離れているそうである。  
 また、小・中学校は校舎を共有しており、村に公立が一校、生徒数は全員で四人。高校は山を二つ越えたところにこれまた私立高校が一校あり、生徒数は十九人らしい。  
 京介がこんな土地に私立高校があることに驚いたが、どうやら地元の金持ちがほぼ慈善事業でやっているようなところらしい。  
 久しぶりに、同年代の人間と話すことができて嬉しいとは真由の弁である。  
 
「手伝ってくれてありがとう」  
 助かった。そう言いながら京一がタバコをくわえる。  
 ようやく持ってきた荷物の整理が終わったのだが、それを真由に手伝ってもらっていたのだ。それでもたっぷり三十分はかかった。  
 さきほどお茶を飲み終えたあとも、真由は部屋を去らなかった。かなり久しぶりに同年代の人間に会えて離れがたかったようである。  
 しばらくは京一の作業を眺めていたが、あまりに雑然とした荷物の群れに立ち向かう彼に同情したのか、途中で手伝おうかと提案してくれたのだ。  
 本は本ごとに、機材は機材ごとにというふうに大雑把な仕分けなら素人の真由にでもできる。あとは京一がそれをさらに細分化したのである。  
「ん、たいしたことしてねぇでよぉ。やっぱす学者さんは大変だなぁ」  
「そんなことないって。叔父さんが整理できない人間だってだけだよ」  
 ふと、京一が煙を吐きながら動きを止めた。再びお茶のしたくをしている真由の背に視線をやる。  
「あ、そうだ。ちょっと聞きたいことあるんだけど」  
「ん? なんだ」  
「なんか今回祭りだかなんだかのことを調べるっつって来たんだけど、なんか知ってたら教えて欲しいんだ」  
 気軽に言ったつもりの京一の言葉は真由に劇的な変化をもたらした。  
 真由があからさまに驚いた様子で、お茶の葉をばさばさと急須に入れ続ける。  
「なっ、な、なんのことだか、あ、あたすにはさっぱり」  
 天井を見たり、畳を見たり。視線をそわそわさまよわせて落ち着きをなくし始めてしまう。その上、なぜか顔が真っ赤になっている。  
 さすがに呆れて、京一が声をかけようとすると、真由は両手を胸の前でおろおろ動かして慌てまくる。  
「あ、あたすはまだ若いもんだで、そったら昔の祭りんこどはなぁんも知らん。知らんちゅうたらなぁんも知らん」  
 そこへ雅彦が上機嫌で部屋に戻ってきた。  
 
「いやあ、やっぱりこの村はいいな。見るべきところがたくさんある。多すぎるぐらいだ」  
 荷物を置きながら、妙な様子の真由に視線を落とす。  
「どうした?」  
 いまの真由に聞いても意味がないと判断したのだろう。雅彦が京一に尋ねる。  
「いや、なんか急にうろたえだして」  
「そうか。まあいい。真由ちゃん、タツさんが呼んでたぞ」  
 雅彦の言葉を蜘蛛の糸だと思ったのだろう。真由はあたふたと立ち上がる。  
「そ、そうだ。あたす晩御飯のすたくしねぇといけねんだ。そ、そったらあたすはこれで。また後でな」  
 ばたばたと去っていってしまう真由の背中を見送りながら、雅彦がもう一度京一に尋ねた。  
「どうした?」  
「いや、たぶんだけど……祭りのことなにか知ってるかって聞いたら急にあんなになっちゃって。絶対になんか知ってると思うんだけど、知らないって言うし」  
 わずかに雅彦が顔をしかめたが、京一は窓の外を眺めていたせいでそれに気づかない。  
 雅彦は腰をおろし、タバコに火をつけた。  
「……きっとあれだ」  
「なに」  
「なにせ六十年に一度の神事だからな。簡単に部外者に漏らしちゃいけないと思ったんだろう」  
「……そういうもんかな」  
「そりゃそうだろう。なにせ今回の調査に協力してもらえるのだって奇跡的なんだからな。うかつなことで村の人の気分を害するなよ」  
「それはわかってるけど……なんか怪しいんだよな」  
「そんなことよりも、ちょっといまから今後の予定について話しておきたいんだが」  
 いまいち納得しかねる京一だったが、それ以上こだわってもどうにもならないことなので頭を切り替え、叔父と明日からのことについて話し合うことにする。  
 その後、落ち着きを取り戻した真由が二人を呼びに来て、今日取れたばかりだという新鮮な猪を使った猪鍋をご馳走になった。  
 村の野菜――当然ながら完全無農薬――や、山菜もふんだんに入れられており、都会では簡単に食べることのできない美味しい料理だった。  
 
 
 翌日から、雅彦たちは精力的に活動し始めた。  
 朝の五時ごろから起き――田舎の朝は早い。ほぼ日の出とともに目覚めるのである――朝食をとると、二手に分かれて調査に出かける準備をする。  
 午前中は遺跡資料の収集ということになっていた。  
 雅彦は山奥にある神社に一人で向かう予定である。できることなら京一も同行したほうがよいのだが、それでは到着までに倍以上の時間がかかってしまうと雅彦が判断したのである。  
 そのため京一は真由の案内で村落内の資料収集ということになっていた。  
「よし。そしたらあとはたのんだぞ。今日周っておいて欲しいところは真由ちゃんに伝えてあるから案内してもらってくれ」  
 言うだけ言うと、雅彦は荷物を背負ってさっさと山に向かって歩いていってしまった。  
 残された京一はまだ半分寝ぼけている頭を覚ますために大きく伸びをする。  
「……っ」  
 思わず声を漏らしてしまうが、あまり効果はなかったようである。京一は大きなあくびをすると、目じりをこする。  
「すまねぇなぁ。ちょっど片付けに時間がかかってしまったもんで」  
 元気な声に反応した京一がのろのろと振り返ると、真由が家から手を振りながら出てくるところだった。  
 昨日と同じようなジーンズにティーシャツという格好である。違うのはリュックを背負っているところぐらいだろうか。  
 あまり美白という概念に興味はないらしい。その証拠に健康的に日焼けしている。そのせいで巫女修行中という雰囲気はあまりない。  
「ほったら行くべ!」  
 だるそうな京一とは対照的に元気はつらつの真由が号令をかける。  
 京一はしぶしぶ足元の荷物を手に取った。この年上の田舎女のテンションをいささか呪いながら。  
 それから二人は真由の案内で村の主な遺跡をまわった。  
 昼までに神社を一つ、お寺を一つ、奉口石といういわくありげな岩を一つ、計三箇所をまわり資料を集める。  
 といってもせいぜい素人に毛が生えた程度の京一にできることは写真を撮りまくり、住職・神主に話を聞く程度のことである。  
 あとでこの資料をもとにして雅彦が研究し、場合によっては本人が直々に再調査に出向く。  
 
「つ、疲れた」  
 京一は足を引きずるように歩いていた。彼の目の前には元気に歩いている真由の姿がある。  
 村は広くはないが、移動手段は徒歩しかないとなればそれなりに疲れる。その上、都会っ子の京一には真由のペースはきつかった。  
 だが、泣き言を言うのは男のプライドが許さなかったため、京一は休憩を申し出ることもできなかったのである。  
 京一はバイトが終わったらスポーツジムに通うことを検討することにした。  
「ほれ、もう少すで川につくで、そこで昼御飯にするべ」  
 真由が指先に視線を動かすと小川の穏やかな流れが見えた。  
「なに? 食べるものあるの?」  
「あたりめえだ。あたすが弁当持ってるから」  
 
 半ばへたり込むように、京一が川沿いに腰を下ろした。大きく息を吐く。  
「はぁー。もうだめだ。限界」  
「都会もんは体力がねぇな」  
 真由がにこにこ笑って京一を眺める。彼女は背中のリュックを降ろすと、水筒と弁当箱をいくつか取り出した。  
 まずお茶をコップに入れると京一に差し出す。  
「ほれ。まずこれでも飲んでもちっとしゃんとすねえと」  
「ありがと」  
「はい。京一のぶん」  
 真由が嬉しそうに京一に弁当箱を差し出す。  
「これ真由の手作り?」  
「んだ」  
「へぇ。凄いな」  
 京一は弁当箱のフタをあけて驚きの声をあげた。  
 弁当は多少古風ではあったが、山の幸がふんだんに使われた豪勢なものだったのである。いまどきの若者でこんなものが作れる人間はそういないだろう。  
「足んねかったらこっちにもまだあるで」  
 真由が新たな弁当を示すと、そちらにはおにぎりと漬物が入っていた。  
「マジでうまそうだな」  
 いただきますと律儀に真由が手を合わせたのをきっかけに、京一は夢中で弁当をかきこむ。  
 よく歩いたのでよけいに美味しかったのだろう。京一はうまいを連呼しながら手作り弁当を堪能した。  
 食事を終えて、のんびりと景色を眺めていた京一が呟く。  
「あの川、あんだけ綺麗だったら飲めそうだな」  
「なに言ってんだぁ。もう飲んでるってのに。ここら辺りの水道は全部あれ使ってんだから」  
「マジで!」  
 驚いた京一は川に近づくと両手で水をすくった。しばらくそれを眺めていたが、おもむろに口をつける。  
「……すげぇうまい。まさに大自然って感じだ」  
 感動している京一を見て、真由がおかしそうに笑う。  
「ほんに、変なもんで感動すんだなぁ京一は」  
「うっせぇ。田舎もんには都会人の俺の感受性豊かな感動はわかんねえんだ」  
 憎らしい顔をつくった京一が言うと、それを見た真由が声をあげてさらに笑った。  
 
 午後から、京一たちは祭りに使うという神輿を見に行った。  
 本来なら祭りの関係者以外には見せないということだったが、今回は特別だそうだ。神輿のしまわれているお堂にかけられた鍵を真由が開ける。  
 この鍵は巫女であるタツと、村長が持っている二つしかないらしい。いま使ったのは真由がタツから預かってきたものである。  
 神輿は小さいながら細かな細工が施された立派なものである。真由の言葉によると四百年前から伝わるものらしい。  
 どこまでが本当かわからないが、それを信じられるほどに年を経た雰囲気を漂わせており、どこか神秘的なたたずまいである。  
「これは……マジで何百年か経ってそうだな」  
 京一が神輿をぐるぐると回りながら写真を撮る。  
 と、背後に妙なものを見つけた。横幅一メートル弱、縦三十センチ程度の扉のようなものがついていたのである。  
「ん? これなんだ。 真由、これ中になんか入ってるのか」  
「これか。これは入ってんでねくて、祭りのときに中に入れんだぁ」  
「へぇ。この中にねぇ」  
 京一は神輿を見上げた。人一人ぐらいなら寝そべって中に入れそうだ。  
「なにが入るんだ?」  
「こん中には人が……!」  
 真由が露骨にしまったという顔をして口を押さえる。  
「いや! あたすは知らね! なっ、なぁんも知らねっ」  
 首を振り、口をふさいでなにも言わないということを示す真由。短い髪がさらさら揺れる。  
 こういうところを見ると、とても彼女が年上だとは思えない。京一は肩をすくめると、これ以上の追求はしないことにする。  
 短い付き合いだが、彼女の純朴さは良くわかっていた。  
 そんな相手ならもう少し問い詰めれば知りたいことを知ることができるだろうが、昨晩の雅彦の言葉を思い出したのだ。  
「……別に知らないんだったらいいけど」  
 京一がそう言うと、真由は露骨にほっとした表情になった。どこまでも嘘のつけない体質らしい。  
 結局、初日はその神輿とお堂にあった古文書などの調査で終わってしまった。  
 都会と違い、村には明かりといえるものがほとんど存在しないため、日が落ちればそれ以上行動することができないのである。  
 
 その翌日も翌々日も、京一と真由は二人で村や周辺の山をまわった。  
 なんのかんのと理由をつけて雅彦が単独行動をとったためである。  
 普段のバイトと様子が違うのをいぶかしみながらも、京一は叔父に感謝していた。  
 真由と二人で過ごせるのは彼にとって楽しく、ありがたいことで文句などあろうはずがなかったからである。  
 京一たちが村にやってきて三日目、村がにわかに騒がしくなった。  
 普段は野良仕事をしたり、山に入ったりしている人たちがなにやらそこかしこで集まり、様々な作業をし始めたのである。  
 やぐらを作ったり、天幕を張って舞台を作ったり、なぜか土俵まで作られつつある。  
「これ祭りの準備?」  
 いつものように真由と村をまわっていた京一が尋ねる。  
「んだよぉ。祭り自体は毎年あるんだけんども、今年は六十年にいっぺんの大神事っちゅうこったからいつもより盛大になってんだよぉ」  
 もう祭りの雰囲気にあてられたのか、真由がうきうきと落ち着かない様子で応える。  
 全部で三日ある祭りは、それぞれの家が互いに品物を持ち寄って屋台をだしたり、酒が振舞われたり、踊りがあったりと、かなり盛り上がるらしい。  
 確かに、準備の様子を見ていると、自分の知っているお祭りと比べても大掛かりなようである。  
 学校の文化祭を思い出しながら、京一は興味深げに辺りの様子をデジカメで撮影する。  
 それを見つけたのか、村人たちが人懐っこく声をかけてくる。京一の顔は調査活動のおかげですでに村中に知られていた。  
「おぉー兄ちゃん! なに撮っでんだぁ」  
「いや、一応祭りの雰囲気を撮っておこうと思って」  
「へぇー。それカメラけぇー。オラの知ってるやつぁもっどでけぇけんどもよぉ」  
「ばっか言ってんでねぇべ。ありゃデジカメっちゅうもんよぉ。アイテェー時代だでちんまくなっどんだ」  
「おっとこ前に撮っでぐれよぉ」  
 男の一人が手にしたかなづちを振り回してアピールする。  
「……努力します」  
 
「すっかす、あれだやなぁー。真由ちゃんはすっかり兄ちゃんがお気に入りだやなぁ」  
「なっ! なんちゅうこと言ってるだ」  
 突然話の矛先を向けられ真由がうろたえる。  
「照れんでもわかっどるよぉ。やっぱ若い娘にゃ都会もんはかっこよぉ見えるでなぁ」  
「いやいや、それを割り引いでも若いもんは若いもん同士っちゅうこった」  
「んだんだ。たすかによう似合うどるよ」  
「あ、あたすは村を案内せぇっちゅう婆ちゃんの言いつけで――」  
「よぉ言うわぁ。それだけであんげなごうせぇな弁当なんでつぐんねぇよぉ」  
「なしてそったらこと……!」  
「オラが畑仕事さ終えで昼飯にすべぇちゅうどきに見たでな。真由があげな弁当つぐるとご見たこどねぇ」  
「ほんならオレも見とるでよ。お堂んとこで話しとるの。オレが声かけても気づきもせんでよ。そらあんだけ兄ちゃんの顔見とったらオレにも気づかんわぁ」  
「へぇー。そんげな話あたすの若い頃思いだすわなぁ」  
「――なっ、なんちゅうとこ」  
 言葉をなくした真由が真っ赤に染まった顔を両手で覆う。慌てて京一の様子を窺ったくせに、目が合うとすぐに反らしてしまう。  
 そんな彼女の姿をからかっていた村人たちだが、話がしだいにそれていく。  
「なぁに言っとるだ。オラんことを思っどっだ娘は山ほどおっだでよぉ」  
「またジイ様のほらが始まった」  
「おらの若ぇころにゃあもうえれぇことになってたもんだぁ」  
「よぉ言うわ。嫁さんに結婚すてくれっちゅうて泣きついたくせによぉ」  
「そったらこと言っだら山向かいのとこなんでよ――」  
「やっぱ巫女ととつくに様はくっつくもん――」  
「またばあさんの知ったかぶりけぇ――」  
「んなこどより、おめえもはよ子っこつくれよぉ。またジ様につくられたらかなわんで――」  
 
 笑いが大きくなっていく輪から京一と真由がこっそりと離れていく。  
 山のほうに向かう道を歩きながら、真由がぽそりと言った。  
「すまね。あげな話になってしもて」  
 あまりにしょんぼりとした姿に京一は言葉をかける。  
「別にいいよ」  
「んだども、嫌でねぇか」  
 京一はポケットからタバコを取り出しくわえた。ライターとともに、携帯灰皿がジーンズの後ろポケットに入っていることを確認する。  
「なんで? 嫌じゃない。どっちかって言うと嬉しいほうだな」  
 煙を吐きながら、さりげない調子で言われたその言葉は、真由に明るい変化をもたらした。  
 立ち止まり、京一の顔を見据える。その目はなにやら希望に満ち満ちている。  
「ほっ、ほんとか」  
 やはりこの正直な田舎娘が自分より年上に思えず、なぜか京一の口元が緩む。  
「嘘ついても仕方ないし」  
 真由が小さく息を吸った。一度ゆっくり瞬きをすると、意を決したように唇を開く。  
「ん、んだらあたすが……」  
 そこで急な夕立が降りだした。雨は見る見る強くなっていく。  
「おわっ。どっかで雨宿りしないと」  
 京一が手にしたデジカメをカバンにしまいながら、辺りを見回す。しかし、まわりには畑が広がるだけで、雨宿りできそうな場所はない。  
 走って村のほうまで戻ることを考えていると、真由が京一の手を取った。  
「こっからなら山のふもとの社のほうが近ぇ」  
 そう言うと、京一を引っ張って走り出す。  
 目当ての社は確かに近かった。  
 社の軒先に逃げ込むと、京一は頭を振って水しぶきを飛ばす。  
「なかなかやみそうにないな」  
 土砂降りの雨を眺めながら京一が呟く。  
「んだなぁ」  
 真由が濡れたシャツのすそを絞りながら頷く。  
 京一は横に立つ真由のほうをなにげなく見て、のどの奥からこみ上げてくる叫び声を必死でこらえた。  
 

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