何とはなしに、空を見上げれば朧霞。  
高く高く、いくつもの地上の明かりに照らされてもなお、ぼんやりと月が自己主張をしている。  
その二者の間に浮かび上がるのは摩天楼。  
――東京。  
 
しかし、俺のいる区画はその地名の持つイメージとはかけ離れている。  
静かに、それでいてよく通る虫の声。月光に浮かび上がるは石の灯籠。  
玉砂利の創る道を辿れば、鹿威しが遠く響くせせらぎに突き当たる。  
 
日本庭園。都内でもかなりの広さを持つ料亭の一角。  
そこを見つめながら、俺は夜闇の下、縁側に座っている。傍らに、一人を置いて。  
大きなポニーテールを結い、水色の振袖を着たとても小柄な女性。  
俺と、彼女の間で交わされる会話は……これまでそれぞれの歩んできた道について、だ。  
再開という出来事の後には一番無難だな。  
 
 
「……カナくんは、新聞記者になったんだ……」  
俺の隣の彼女は、そのことを俺に、試すように問いかける。どことなくぎこちない。  
「……まあ、な……」  
「……」  
「……何か、問題あったか?」  
「え? あ、ううん、そんなことないよ? ただ……意外だったかな。」  
困ったような顔で彼女は返した。  
「意外?」  
それは俺が変わったということであるのかもしれない。  
だから、俺は彼女と毎日のように会っていた頃の感覚を取り戻すため、改めて彼女の名を呼んだ。  
「……そうか? ……ミナト。」  
 
 
 
言って、俺は再会の経緯を思い出す。  
会社の事情で見合いをすることになった俺の前に現れた、往時と変わらぬように見える彼女。  
果たしてあまりに都合が良すぎる  
この再開は、果たして何の目的か。  
 
あの出会いから子一時間が経ち、ようやく俺は彼女に話しかけることが出来た。  
再開の直後は、久しぶりと挨拶を交わしたはいいものの、それ以上は情けないことに会話が見つからなかったのだ。  
目の前の、小柄な彼女も同じなのだろう。かつての感覚を踏みしめるように、考えて言の葉を放つ。  
「……うん。だってさ、カナくんはあんまり人付き合い多い方じゃなかったでしょ?  
記者さんってそういうのが多いんじゃないかなと思って。」  
「そうでもないさ。部署次第だよ。どこも同じかもな。」  
……人付き合い、か。結局、上手くいかなかったがな。  
今の俺は単に愛想を振りまいているだけ……いや、そうでもないか。好き勝手言わせてもらってるしな。  
まあ、本心に立ち入らせないという点では同じか。  
俺の悪態癖は、結局自己防衛に過ぎない。分かってはいるが、まあ、そういうキャラクタとして扱われることに不満はない。  
……下手に突けば事態は悪化する。現状維持で十分だ。  
今まで幾度も自問して、答えが出ているはずのことを考えるのを止めて、俺は意識をミナトに向ける。  
 
「……まあ、ミナトは予想通りだな。コンピュータ関連か。昔から詳しかったし、良いんじゃないか?」  
「く、詳しいなんてそんなことないよ。あんまり動いたり出来なかったから暇つぶしにしていただけだし……  
それに、たいしたことも出来ないし。私が入れたのは、たぶん、お父さんの会社だから……」  
と、彼女は呟く。  
……彼女の言動に、少しばかり感情が動く。  
感傷、と言えばいいのだろうか。  
昔は彼女は金持ち扱いされることを嫌がっていた。自分からは決してそれを匂わすことは言わなかったのだが。  
「……そういうことも、認められるようになったのか。」  
俺の言葉に、彼女はしばし動きを止める。何を言われたのかと吟味。  
そして気づく。  
「あ、あははは。  
うん、……私が恵まれているって言うのはたぶん、否定できないから。  
それを否定したら、かえって嫌味に受け取られちゃうこともあったし、お父さんの頑張りを否定することにもなっちゃうし。」  
……そうだな。――九年。時代そのものが変わったといっても可笑しくない年月だ。  
たかだか個人の内面がうつろうには十分すぎるのだろう。  
物寂しさを覚え、ミナトを見る。  
俺の内面が伝わったのか、彼女も目を伏せ、わずかに首をこくりと動かし、言葉を続ける。  
「それに……」  
と、それだけいって彼女は言葉を止めた。逡巡。  
「ご、ごめんね。しょうもないこと聞かせちゃって。久しぶりに会ったのにね。  
あははは……」  
「何だ、別に良いさ、そのくらい。」  
困ったときには笑って誤魔化す癖は直っていないようだ。そのことを俺は知っている。  
と、記憶を引き出し、昔に思いを馳せるうち……俺の口から言葉が漏れていた。  
「……何か言っておきたいことがあるなら聞くぞ?」  
 
? ……自分でも驚いた。俺がこんなことを言うのは、何年ぶりだろうか。  
……ミナトとあったことで、少し感覚が昔に戻っているのかもな。  
と、ミナトも見れば驚きを浮かべていた。  
「え?」  
「いや……なんとなくだ。何か言いたそうに見えたからな。俺でよければ……」  
そこまで言い……俺は気づいた。  
ミナトの顔に浮かんでいるのは驚きに似てはいるが……違うものだ。  
怯え。いや、怖れと呼んで差し支えないかもしれない。  
「だ、ダメだよ!」  
同時、語調が強くなる。  
「絶対ダメ! そんな……そんなこと……」  
そこまで言うと、  
「あ……」  
ミナトは、はっと息を呑んだ。  
「……ご、ごめんね? なんでもないから。」  
あはは、と笑って見せる彼女は、俺の記憶にあるミナトの姿と重なる。  
こういう笑い方をする彼女は、大抵後に引かない。  
 
……そうだな。  
彼女には彼女の人生があった。  
おそらく彼女の怖れは、そこに起因したものだろう。  
俺が踏み込んではいけないこと、か。  
類推するに、『俺に踏み込まれたくないのか』、それとも『俺を巻き込みたくないのか』いずれかだろうか。  
だから、  
……気にはなるが、  
俺は、一言をかけるにとどめる。  
 
「……無理はするなよ。」  
ミナトは、顔を上げてこちらを見つめなおした。  
俺は目線をそらさず言うことだけいっておく。  
「体が弱いんだからな。  
……しばらく会ってなかった俺がこんなこと言うのは不躾かもしれないが……  
何か問題があるなら、思い出したときにでも頼って構わないさ。」  
 
「……ありがとう。」  
細い、蚊の鳴くような声での返事。  
「……やっぱり変わらないね、カナくんは。」  
「……」  
「あ、あのね? カナくんのこと、悩み事も話せない他人とか思っているわけじゃなくて!  
ただ、その……ね? わ、私……」  
さっきとは別方向に語調を変え、おろおろしだすミナト。  
そんなところも昔のままで、心の中で口端を歪めつつ俺は彼女の頭にぽん、と手を載せた。  
とりあえず、呆れ顔という表情はこんな感じだろうか。  
「無理するな、と言ったばかりだろう?」  
 
「……うん。」  
うつむき、告げた。  
俺の言った無理するな、とは俺自身に対するときも、だ。  
彼女にとって、黙っていることを口に出すのが負担になるなら、そんなことはしなくていい。  
そんな俺の意図を汲み取っての肯定だ。  
……変わっていない、か。  
まあ、彼女に考えていることを悟られるくらいなんだからそうなのだろう。  
存外、彼女にしても俺にしても変わってないのだろうな。以心伝心にはそうであることが必要だ。  
世の中には変わらないものもあれば、変わるものもある、と。  
以前見た映画で聞いたフレーズを思い出しつつ、俺は、何とはなしに笑いが漏れていた。  
「くく……」  
……快いな。誰かに意思を伝えられるというのは。  
それを見て、きょとんとするミナト。だが、やはりなんとなく俺の思うことが分かったらしい。  
つられて、彼女も笑い出す。  
「え、えへへ……」  
笑いは収まらない。  
静かに、だが、ゆっくりと、小さな笑いは秋の月夜に流れ続ける。流れ続けてゆく。  
 
 
 
ひとしきり笑いが終わった後、俺はミナトに話しかける。  
そこには先刻までのかみ合わない歯車のような雰囲気は見当たらなくなっていた。  
「……まあ、本当に気をつけろよ。……中学の修学旅行のときみたいなのは、勘弁して欲しいからな。」  
「……ん。だいじょぶだよ。」  
 
――先天性甲状腺機能低下症。通称、クレチン症。  
それが、生まれながらに甲状腺という器官がまともに動かないという、彼女の罹っていた病気だ。  
症状は無力感から不整脈まで多岐に渡る。  
……そして、その中には発育障害も含まれる。  
ミナトの身長は140cmあるかないかといったところだ。  
甲状腺ホルモンを常に注射すれば発症はしないはずなのだが、時折薬の効果が十分に及ばない場合もあるらしい。  
どこまで病気でどこまで遺伝なのかは分からないが……彼女の体は決して強くはないのは確かなのだ。  
 
そんな、彼女の症状を思い出す俺を見越して、ミナトは苦笑。  
不安が顔にでも出ていたのだろうか。  
「もう……ほんとにだいじょぶだってば。もう一応は治ってるんだから。」  
「……そうなのか?」  
「うん。富久先せ……あ、主治医の先生ね?が言うには、成長につれて正常な働きをし始めたんだって。  
だからもう何年も薬を打ってないんだよ? ま、まあ、時々の検査は必要みたいだけど……」  
……そうか。  
ふう、と、俺は息を付く。  
こういうところでも、時間は確かに流れているのだということがはっきりと見えてくる。  
この溜息は、彼女が健康になったことへの安堵なのか……それとも。  
いや、考えるのはやめておこう。  
「……」  
「……でも、ちょっと残念かな。」  
「? 何でだ?」  
「え?あ、あははは。気にしないでね?たいしたことじゃないから……」  
誤魔化すミナトだが、俺にはピンと来た。  
「ああ。さてはいろいろと甘えたり楽したり出来なくなって不便だなあと思っているんだろう。」  
「そ、そそそそんなこと……ないよ?うん、ないから。」  
「……」  
「……実は、ちょっとだけそう思っちゃったりして……  
あははは……」  
こん、と手の甲でミナトの頭を小突く。  
「そういうところも昔から変わってないのはどうかと思うぞ。まあよくもちゃっかりと。」  
「うう……ひどい。」  
はあ、とミナトは一息。だが、すぐにくすくすと笑いを漏らす。  
「でも、無理するなって事は、どうしても必要なときは手助けしてくれるんだよね?」  
「む……。」  
くすくす笑いをミナトはやめない。  
「そのときは最大限使わせてもらうからね?」  
……墓穴を掘ったか。そう言えば、普段はともかく駆け引きではこんなやつだったと思い出す。  
 
と、  
「……楽しいなあ。」  
ふと、ミナトが呟く。  
「……それならいいんだけどな。俺も鬱状態よりはそっちの方がいい。」  
「……ありがと。」  
「まあ、一番良いのは喜より楽なんだけどな。喜は何かあったときに反動が激しい。」  
「……ムードぶち壊しだよ、カナくん……」  
「……ぬか喜びとかは外れたときが辛いからな。」  
「う。妙に実体験くさい…… 現実感溢れてるのが何かやだな。」  
大きくミナトは息をつく。コンマ数秒。そして、  
「相も変わらず後ろ向き全開なんだから。……ほんとに変わらないなー、カナくんは。」  
……わずかに微笑むミナト。気のせいでなく、そこには、憧憬と、哀愁と、……悔恨が見えた。  
 
……何かあったのか、と問いたい気持ちはある。  
俺にしては珍しい判断だ。  
だが、俺はそこに踏み込むつもりはない。  
……俺の知る成瀬 港という人間は、見た目や口調とは裏腹にかなり分別の付いた人間だ。  
病気そのものや、療養生活で両親と会える機会が少なかったことなどが他人の大人と会うことを必然とさせた。そのため、ああでいて決断力や判断力は相当なものがある。  
俺は昔の経験でそう確信していて、ミナトのその才能を俺は信頼している。  
……まあ、生来の控えめさや注意力不足から、他人の前ではそれが表に出ることは少ないようだが。  
だから、本当に必要な事は躊躇いなく彼女ならする。  
つまり、『どうしても必要なときは頼る』と言ってくれた俺に何も話さないのだから、彼女の持つ俺の知らない記憶は、きっと俺に話すべきではないのだろう。  
 
ここで彼女にそれを問えば……彼女の判断を、ひいては彼女自身を俺が信頼していないということだ。  
本当に話すことが必要になれば、自ずから話してくれると、俺はそう思うし、  
……青臭い話だが、それこそ信じているということではないのだろうか。  
 
 
突き放した考えだ。見方を変えれば、自分から動こうともせず何もかもの責任を相手に押し付けているだけでしかない。  
理解されなければ、それまでだ。  
 
だが。  
「……本当に、本当にありがとう、ね。」  
こちらを向かず、下を見つめたままミナトは言う。  
「……いや、構わないさ。」  
先ほどと同じく、俺たちの間では、九年を経てさえ相手の考えがどことなく分かる。  
こんな考えは通じない可能性が高いと分かっていて実行する俺もタチが悪いが……  
しかし、目の前の彼女は俺の意を汲み取ることが出来る。  
そういう相手だからこそ……俺は彼女の判断を信頼できるのだ。  
 
……。おそらく。いや、きっと。  
こんな関係でいられるのは彼女だけだろう。  
すでに社会の歯車に組み込まれた以上、もはや俺は、彼女以外の誰かに俺の考えに理解してもらえるような立ち位置に行くことはできない。  
 
 
二人で夜風を浴びる。  
自分たちの来歴を、離すべき箇所のみ話し合い、もはや会話の必要は無くなっていた。  
たとえ9年経っていても、俺たちの関係は崩れていなかった。  
今更改めて自己紹介することもない。  
会話はない。が、心地よい沈黙だ。  
秋の月はすでに頂点に差し掛かり、霞に曇る。  
無視と、都会の喧騒を聞きつつ、ミナトはゆっくりと立ち上がった。  
振袖を風に揺らし、夜闇の中に歩を進める。一歩、二歩、三歩。  
振り向いて、一言。  
「……今日は、ありがとね。」  
落ち着いてはいるが、しかし暖かな笑顔でミナトは別れの挨拶を告げる。  
名残惜しい。が、俺はそれ以上に満ち足りた気分だった。  
だから、そうだな、という前置きの後に告げる言葉は一つだ。そのような気分になれた理由。  
「……次は、いつ会える?」  
今日、俺はミナトに会い……そして、久しく快い時間を送れた。  
誰かと話すとき、自分の本心を受け止めてくれる存在。  
俺にとって彼女がそうであり、これからの生活でまた彼女に会うことが出来るなら、それ以上に望ましいことはないだろう。  
だから……俺にとっては、この場での別れはそう大したものではない。九年持てなかった時間だ、今更多少の時間は障害にならない。  
 
……そして、ミナトの返答は予想通りだった。  
「え? あ……、そんな、だめだよ。」  
……彼女の言葉の裏には、先ほどと同じものと、さらに……先ほどは感じ取れなかったものの、それぞれを感じた。  
……同じものは、気遣い。  
違うものは、悔恨、だ。  
彼女は、俺に負担を負わせまいと遠ざけようとしている。  
ずっといたら、いつか話してしまうかもしれないからのか。自分の怖れと悔恨を。  
それとも、怖れと悔恨そのものに巻き込むのが嫌なのか。  
だから、俺は確認の意をこめて告げる。  
「会えない、か。……それで、ミナトがいいならな。」  
一言。そして、彼女にも伝わった。俺が彼女の感情に気づいたことを。  
気遣いは、隠れて行われるが花。目に見えた気遣いは、ある意味大きなお世話でしかない。  
故に、逡巡。  
……そして、返答。  
「……ありがとう。」  
 
その言葉に、俺は大きく息を吐く。  
「……ごめんね、迷惑かけるかもしれないけど。」  
心底申し訳なさそうなミナトに、俺は言う。  
「謝ることはないさ。俺が言い出したんだしな。要はこっちの都合に付き合わせてるんだ。  
損しようがなんだろうが、俺の勝手だろう?」  
……そういえば、俺から何か誘うことも何年ぶりだろうか。  
いつも周りに合わせて言われたことだけを成し、近寄ろうとする相手がいれば揚げ足を取って自分の方に踏み込ませまいとする。誰とも遠くでも近くでもない距離を保つ……  
それの繰り返しだった。  
 
ミナトは、そんなことを思う俺に気付いたのか、苦笑。  
「ん。……私なんかでよかったら、カナくんの好きなときに呼んで良いから。」  
そして、ミナトは柔らかに微笑み、ゆっくりと二、三歩下がった。  
 
そこに、  
「名残惜しいかとは思いますが……今日は、もうお時間ですな。」  
時期を見計らっていたか、先ほど俺の案内をしてくれた初老の小柄な人が近づいてくる。  
「ん……。ちょうどそう思ってたとこ。」  
わずかに微笑み、ミナトが応対。  
優しげにうなづき、俺のほうを向いて説得するようにその人は続ける。  
「まあ、これからも時間はありますのでな。……よろしく頼みましたぞ。」  
「ええ、分かってますよ、狩野さん。」  
俺の返事に、目の前の狩野氏……かのうではなく、かりのと読むんだったな……は目を見開いた。驚いたというより、感心したという風情だ。  
「ほう……。覚えておられましたか。有難いことですな。」  
「失礼ながら、最初はほとんど思い出せなくて…… 申し訳ないです。」  
「いやいやいや、そんなことはないですぞ。もう、9年も経つんですからな……」  
そう言うと、狩野氏は懐かしそうに目を眇める。  
……昔はこの人に良くお世話になっていたんだったな。  
それこそ迷惑じゃ済まない事までミナトとやらかしていたというのに。思い出せないとは情けない……  
軽い鬱になる俺を、ミナトがフォロー。  
「ま、まあまあカナくん。拓さんも気にしてないみたいだから、ね?  
それよりもさっき私に話してくれたようなことを拓さんにも話してあげて。  
拓さん……それに、お父さんやお母さんもカナくんの事どうしているのかなってずっと言っていたんだよ?」  
そういえば、狩野 拓が本名だったか。  
「あ、そうだ! お父さん達会いたいって言ってたし、今度家に来ることがあったらそのときもお願いね?  
今、ちょうどお父さんが帰ってきてるんだ。いいタイミングかも。」  
「……珍しいな。親父さんがいるのか? 分かった。近いうちに行かせてもらうことにするか。」  
何気なしにそう答え、ふと狩野氏のほうを見る。と、  
「……!」  
先ほどとは違い……狩野氏は、本気で驚いていた。  
職業柄か、一瞬でそれは消えてしまったが。  
しかし、俺はそれを確かに確認した。  
どういうことか。  
……俺は、なんとなく話が読めてきていた。だから、  
「……じゃあ、またな。」  
今日の逢瀬は、これで幕を閉めることにする。  
……そう。彼女への向き合い方を冷静に見直すために、ひとまず彼女と離れる必要があるのだ。  
「……うん。じゃあ、またね?」  
それを言い終えた彼女を見て、狩野氏は人を呼んだ。おそらく彼の部下か何かであろう女性が、ミナトのそばに立ち、歩みを促す。  
先を行く女性についてゆくミナト。少し進んだところで振り返ると、ばいばい、と小さく手を振り、小走りで先行く女性を追いかけていった。  
 
 
「……さて。」  
呟く狩野氏。今、この場にいるのは俺と彼の二人だけだ。  
このために、ミナトと別れる必要があった。  
時間にして数十秒か、それとも2,3分経った頃だろうか……狩野氏が逡巡しつつ、ゆっくり口を開く。  
「あなたに、お話しておきたいことが――」  
「止めておきましょう。」  
狩野氏の言葉を止める。余分な情報は決定を覆しかねない。  
……必要なのは、前置きではなく……確認なのだ。  
俺の彼女に対する立ち位置を決めるために。  
「……?」  
「……本人のいないところで勝手に話を進められるのは、誰でも気分の良くないことですよ。  
……たとえそれが気遣いから生まれたものでも、ね。」  
俺は狩野氏を見つめる。  
沈黙。  
……そして、  
「……その言い方だと、大体のことは察しておられるようですな。」  
「詳しいことは分かりませんけどね。結構露骨に俺……と言うか、人が自分に近寄るのを恐れていましたから。  
狩野さんが驚いてたのも、ミナトが誰かを家に呼ぶなんてことをしばらくしていなかったからでしょう?」  
「……そのとおり、ですな。」  
「何か、彼女が人を傷つけてしまったって所ですかね。自分のせいで俺が傷つかないかってことを気にしていたように見えましたから。  
……あ、何も話さなくていいですよ。彼女が……それを俺に話したいと思ったとき、彼女自身から聞きたいと思いますので。  
話さなくてすむならそれでいいし、力になれるなら協力しますよ。」  
「……。何もかも、お見通しなのですね。」  
「何もかもかは分かりませんが、これだけ情報がそろっているなら。……出来すぎですよ、こんな再開は。  
まあ、少しは期待に答えられたみたいで何よりです。」  
「少しはどころか……いや、言葉じゃ薄っぺらいだけですな。本当に、かたじけない……」  
……つまりはこういうことだ。  
俺と会えなかった間に港は何か問題を起こしてしまい、人付き合いをしなくなった。  
それがかなり深刻なレベルにまでなってきたのだろう、彼女が少しでも他人と触れ合えるよう、多少は心が開ける相手を探したら俺に白羽の矢が立った、と。  
やれやれだ。  
 
「……謝らなければなりませんな。見合いなどと言って騙したも同然です。  
真に申し訳……」  
「気にすることはないですよ。」  
愚痴めいたことを思いはしたが、結局のところ、  
「こっちも楽しかったですからね。またこういう機会を設けて欲しいくらいですよ。  
まあ、気づかないうちに操られているようなことは好きじゃないんで、そのときは一言言ってからにしてもらいたいですがね。」  
くく、と俺は含み笑い。  
「宜しいのですか?」  
うなずきで返す。  
狩野さんは  
「……長い付き合いになりそう、ですな。」  
「そうですね…… まあ、長い付き合いになっている、といったほうが良いかもしれませんが。」  
「違いないですな。」  
どちらともなく笑みが漏れる。  
「……さすが、お嬢様が見込んだ方です。  
本当は、見合いは形だけで……駄目で元々、人付き合いを増やすきっかけにでもなってもらえたらと思っていただけだったのですが、意見が変わりましたな。  
私個人としては――」  
「皮算用はよしましょう。それに、さっきも言ったでしょう?  
俺は本人不在で物事を進めるのが嫌いなので。」  
「……では、あなた様はどうお思いで?」  
試すような問いかけ。  
どうせ、誤魔化しても意味はない。俺は本心を言うだけだ。  
「望んでさえもらえたら、俺は彼女のためにそれを叶えますよ。躊躇いなく……ね。」  
一息吐き、  
「そういうことです。」  
 
狩野氏はしばし目を閉じる。  
そして。  
「……では、私もそろそろお暇をさせてもらいます。」  
俺の言葉の意図を理解したのか、そういって廊下の闇の中に歩を進めて行った。  
ミナトとは違って足を止めず、言う。  
「……望まれなくても何かを行える事も……期待して、よろしいのでしょうかな?」  
口調に込められていたのは落胆ではなく、おぼろげな期待のこもった安堵。  
答えを告げる間も無く、彼の姿は闇に飲まれていく。  
聞こえているのかいないのか、それでも俺は繰り返した。  
「……望んでさえもらえたら、俺は彼女のためにそれを叶えますよ。」  
 
 
 
……俺も、何かを求めて良いのだろうか。  
 
 

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