アカシックレコードという言葉を御存じだろうか?
詳しい事は俺も知らないんだが、それによるとこの世の全ては予め決まってるとか何とかという事を高校時代の俺の友人が口にしていた。
そいつは妄想癖のある変人だった為、そんな電波話に毎日の様に付き合わざるを得なかった当時は別に感慨を持つ事もなかったが、改めて今思う。
案外、そういったものは本当にあるかもしれない。”運命”ってものが。
……何故なら、俺の目の前には偶然の産物にしては出来過ぎている事が起こっているからだ。
結局アカシックなんたらとか運命なんて物は、人間が幾つもの因果関係に対してこじつけたものなんだろう。
言葉ありきに現象があるのでは無く、現象ありきで言葉を当てはめる、と。その意味で、”運命”があってもおかしくない。
やれやれ。さて、こんな事をしくんだのは何処の誰なんだかな……
そんな事を一瞬で考え、俺は改めて目の前にいる人間を見直した。
そいつは呆けた顔をしている。程度はともかく、多分、俺も似た感じだろう。それでもこんなふうに冷静に考えられているのは、やはり高校時代に周囲の奇人たちに鍛えられたからだろうな…… 何があっても大抵の事では驚けない。
有り難くはないが。
……と、そんな脇道にそれた事を考えている最中、目の前のそいつはゆっくりと、言葉を放つ。
……9年ぶりに聞くそいつの俺に向けての第一声は、俺の名前だった。
「……カナ、くん……?」
……記憶通りの声。それどころか、全く成長していない様に見える、一部に需要があるかもしれない姿形。
いい年だというのに、薄い色の地毛をポニーテールにしたそいつ。
振り袖に全く似合わない髪型をしたそいつに、俺はかける言葉を捜す。
……これしか、ないだろうな。探る様に、試す様に、俺はそいつの名前を読んだ。
「……ミナト……?」
名前を呼ばれて、彼女は顔を綻ばせる。うっすらと涙を浮かべ、彼女……成瀬 港(なるせ みなと)はまた俺の名前を呼んだ。
「……カナくん…… 久しぶり……」
・
・・
・・・
……騒がしい都会の喧噪。幾つものビルが立ち並ぶオフィス街。
日本の首都……東京。
その一角。無数の車線が集まる交差点から少し離れた場所にある、数十階建ての銀色に輝くバブル期の建物。
日本有数の新聞社の本社であるこここそが、俺の勤める会社だ。
他の大抵のビルが見下ろせる部屋の中、窓からやや離れた俺のデスクに影がかかった。
今度うちの会社が協賛して行われる展覧会の資料。急にそれが見えにくくなった為、何事かと思い顔をあげる。
と、そこに居たのはつい最近入って来た後輩……何て名前だったかな?
同僚が今度入ってきた子は可愛いとか言っていた覚えはあるんだけどな。
まあいいか。その某子が俺に手を突き出した。
見れば、俺の湯飲み。
「……これをどうしろと?」
俺が顔を見ると、けばけばしい化粧をした名無しの権兵衛子は媚びる様な動きでデスクに茶の入った湯飲みを置く。
「ひっどーい!先輩の為に私がわざわざお茶を入れたんですよぉ!こーゆー時は、にっこり笑ってありがとーとか……」
「別に頼んでないから言う必要もないだろ。」
「うわー!そーいうの、クールでかっこいーですね、先輩!キマってる!」
……心底どうでもいい。第一、キメた訳じゃない。素でやってる事に一々そんな反応されると困る。
……まあ、飲んでやりゃ帰るか。実行に移す。
「どーですか?おいしくできたでしょ?感想聞かせて下さいよー!」
「……マズい。茶を煮る温度が高すぎる。水も少ない。茶の入れ方も知らないのか?」
言われた通り、感想を言った。が、アラン・スミシー子の癇に触ったらしい。
「……ちょっとカオがいいからって、調子のらないでよ。せっかくアタシが目を付けてあげたのに……」
……付き合ってられないな。どうも、女ってのは苦手だ。
ホモとか何とか俺に悪態をつきながら俺の前から去っていく。俺の同期の中村が、だから無駄だって言ったでしょとか口が悪過ぎだけど根性はそこまで曲がってないはずとか何とか。大きなお世話だ。
……女、か。
そういや、彼女はどうしてるんだろうか。俺が唯一一緒に居たいと思った……中学を卒業してから会えていない人間。
……いや、唯一ってのは語弊があるか……
一応、高校時代にも…… でも、あれは黒歴史だ、うん。別に奴には告白した訳でも無いし。一度話しただけで冷めたんだ、ノーカウント。落ち着けスネーク。
半ば誤魔化す様に、俺の記憶から一つの名前を呼び起こす。
……ミナト。
今、どうしているんだろうか……
と、聞き飽きた声が俺を中学生時代へのノスタルジーから引き離した。
「北光!北光 奏(きたみつ かなで)!ちょっとこっちへ来い。」
……俺をこんなふうに呼びつけるのは一人しかいない。
立場上逆らえないので、仕方無しに声の方へ顔を向ける。
「……何ですか?荻原(おぎわら)課長。」
そこにいるのは、長い黒髪がウェーブ気味になびく眼鏡の女性。
女性上司のテンプレートの様な出で立ちと性格を有する俺の上司だ。
彼女の前まで歩く。
「……さっきのことですか?いちお」
弁解はいきなり遮られた。
「ああ、そんな事はどうでもいい。お前の性格を知らないアイツの方が悪い。
なにせお前の口の悪さはもうどうしようもない。私ですら矯正できないんだからな。」
……嬉しくない理解のされ方だな。
「……じゃあ、なんです?」
と、荻原女史は勿体ぶった口調で話し始めた。
「……今し方お前が見ていた資料……なんだか分かっているな?」
「うちが協賛している展覧会のですよ。それがどうしたんです?俺を馬鹿にしているんですか?」
「……そうだ。ああ、最後の質問に対しての返答じゃないぞ?一応は。
……私たちは文化部として、かなりこの企画に力を入れているのは分かってるな?」
「ええ、まあ…… というより、俺もかなり関わってるんですが。後輩に旧士族がいるってコネを利用して、重文数点の展示を取り付けてあげたのは誰でしたっけ?
もう忘れたんですか、アリスちゃん?」
「下の名前で呼ぶなと言ってるだろうがっ!!」
うわ、でかい声…… 耳が鳴る。
はあはあと肩で息をする女史。この人は、愛栗鼠と書いてアリスと読ませる自分の名前が嫌いらしい。
……もう少し名前に相応しい愛嬌が欲しいと皆は言うのだが、この人はがんとして態度を変えない。何か昔にあったんだろうか。
……まあ、そんな事を考えている間に、女史は息を整えた。
「……まあいい。本題に入るぞ。
……お前の後輩は確かに強力な味方だが、まだまだ展示には品数が足りん。
そこで……だ。他にも後援者を確保する必要がある。」
「同感ですね。」
「……ほう、流石だな。それでこそ我が部の有望株だ。」
女史がにやりと口端を歪めた。
「……記事を書けって事ですか?宣伝の為の。」
「それにはまだ早い。いずれはお前か誰かに任せる事になるだろうが、今は保留だ。」
じゃあ、何をしろと言うんだろうか。
「そこで……だ。君にコネを作って欲しいのだよ。とある横浜の貿易商だ。」
……嫌な予感がする……
「……どうやって、ですか?」
彼女は真剣な顔つきで俺の方をじっと見た。
「……見合い、だ。」
「……」
「……」
沈黙。しかもやけに重い。
……見合い?俺が?
「……どうした?」
「……当然冗…談ですよね?アリスちゃん。」
「名前で呼ぶな。冗談言っている様に見えるか?」
「俺は遠慮させ」
「駄目だ。」
拒否権無しなのか?しかもまた遮られた。
「お前の事をいたく先方が気にいったみたいなのでな。実はもう日にちも決まっているんだ。三日後。覚えておいてくれ。
一応止めたぞ?おまえに付き合った女が手に入れられるものはストレスだけだってな。」
……言いたい放題だな。
俺が黙っているのをいい事に、女史は話を止めない。
「……まあ、そういう訳で、だ。頼んだぞ?北光。」
「俺はスケープゴートですか?アリスちゃん。」
「名前で呼ぶな。何を今更。」
「……」
皮肉のつもりだったんだが。
……何というか、何も言えない。
「……まあ、そこまで堅くなる事は無いさ。要はきっかけだ。形式だけでも構わない。最悪、見合いそのものは破談になってもあちらさんに好印象さえ残せればいい。
……そこの所のサジ加減はお前にかかっている。頼んだぞ。」
……はあ。疲れる事になりそうだ。仕方ないか……
「おお、そうだ!」
「……まだ何かあるんですか?アリスちゃん。」
「名前で呼ぶな。……一応、相手の写真を預かってるんでな。お前に渡し」
「要りませんよ。形式上だけでいいんでしょう? ……まあ、出来る限り上手く立ち回りますよ。」
今度は言葉をこちらが遮る。2度も遮られたお返しだ。ざまあみろ。
キャラに合わない台詞を思い浮かべつつ、何か言いた気な課長を残して俺は席に戻った。
さて……と、もう一度資料に目を通しておかないとな。
・・・
・・
・
……あれから三日。見合いの当日だ。
言うまでも無く、面倒くさい。
そもそもどうして俺なんだろうか。うちの部には俺の様なヒラより安定した地位で未婚の人もいる。
人柄も悪くないし、外見も見苦しくない。年齢だってまだ20代後半だったはずだ。
……溜息が止まらない。
今更どうしようもないけど、気の進まないまま会場である料亭に向かう。
今はタクシーの中、隣には立会人となる課長。
「はあ……」
「……どうした?北光。お前らし……いか、うん。」
「なんですか、それは。……どうかしない方がおかしいですよ。
第一、見合いなんて初めてなんですから……」
「何事も経験だ。特に、初めてのそれは何よりも肝心だ。」
「流石アリスちゃんは人生経験が豊富な事で。」
「名前で呼ぶな。誰が年増だ。」
「そこまで拡大解釈するって事は、自覚があるんですね。」
「貴様、後で覚えておけよ……」
いつも通りのとてもとてものどかな会話を続けて、タクシーは目的地へ。
座席がゴトゴト仔牛を乗せてゆく。
可愛い仔牛、売られてゆくよ……
部屋に入るなり、歳を召した執事風の人が話し掛けてきた。
「おお、北光殿ですな!ささ、どうぞそちらへ……」
言われるとおり、席についた。
……改めて、前を見る。
と、その方向には誰もいない。
「あの……」
「御心配なく。お嬢様はお召し替えをなさっています。」
……これだから。俺が何をしたって言うんだ……
「……しかし……」
? どうしたんだ……?
「……感慨深いですな。こう、なんというか……」
……俺のお相手の事か?晴れ姿を見る事になるってか……
その事をオブラートに包んだ言い方で告げる。俺にだってその位は気を使う事が出来る。
が、その執事風の人は否定。
「それだけではありませんな。……あなたの事ですよ。」
……どういうことだろうか。
その人はゆっくり微笑み、何かを告げようとする。……そこに。
「ご、ごめんなさ……あ、あれ?開かな……」
割り込んで来た声。
……どうやらお相手が来たらしい。
走ってきたのか、廊下から階段を下りる様な騒がしい音がした後、ふすまが鳴った。変に力を入れているのか、ふすまがどうやら引っ掛かっているみたいだな。
「……仕方、無いですな……」
息を一息付き、執事風の人が音源へ。
が、位置関係からして俺の方が近い。
何気なく、俺は立ってふすまを開けた。
……ふすまの前に居たそのお相手さんは、何故かふすまを開けるのに前に体重をかけていたらしい。道理で開かないはずだ。
すっ転ぶ様に、部屋に転がり込んできた。
「あ、あわわ、わ……とと。……ふう、セーフ……」
何とか倒れずにすみ、少々舌足らずな声とともに、ゆっくり彼女は息をついた。
……見るからに小柄な人だな。発育不良なんじゃないか?
と、ゆっくり彼女が顔を不げた。
「お、遅れてすいませ……」
彼女は……そいつは、あ、と声をあげて固まった。
そして、俺も。
「……カナ、くん……?」
目の前に居たのは……9年前、横浜のお嬢様学校に行った為に会う事の出来なくなった、俺が唯一まともに話せた女の子だった。
小さな体に不釣り合いな、大きなポニーテール。
昔いつも来ていた淡い水色のカーディガンではないが、それと似た配色の振袖。
……正直、9年前と殆ど変わっていない。それはそれで問題が有る気はするが。
そして……俺は、恐る恐るそいつの名を呼んでみた。
「……ミナト……?」
目の前の彼女は、まごついている。何か言いた気に繰り返し口をモゴモゴさせ、……それでいて、嬉しそうに。
目を少し閉じ、そして彼女は確認する様に、一音ずつ丁寧に、話し掛けてきた。
「……カナくん……」
……どう、返したらいいのだろうか……
分からない。
困惑する俺を見て、はにかむ様に微笑んで、彼女は言の葉を続ける。
「久しぶり……」
……。まずい。心なしか顔が赤くなっている気がする……
と、そこに割り込んできたのは
「ほうほう……お知り合いだったのか、成る程なぁ……
お前も存外隅に置けんなあ、え? ”カナくん”……?」
……言うまでも無く、愛すべき我が上司殿。
……ある意味、有り難いな。平常心を取り戻す事が出来た。なので、感謝の意味を込めて言う事は言っておく。
「……まあ、人並みの人生はおくっていますよ。平均から斜め上にブっ飛んだアリスちゃんとは違って。さっさと不思議の国にドードーと遊ぶ為に帰ったらどうです?」
「名前で呼ぶな。月夜ばかりと思うなよ、貴様。」
物騒な上司に穏やかに応対しつつも、俺はミナトの方から目を話せない。
「……えーと。」
「あ、あはは…… こういう時、どうしたらいいのかな……」
焦りを隠す様にミナトが苦笑。
何か言っておくべきだろうな……
……。
と、とりあえずは……
「……座った方がいいんじゃないか?ミナト。」
「え、あ……うん、そうだね。」
小さな歩幅も相変わらずのまま、茶運び人形の様に俺の前の席につく。
「……。」
「……。」
沈黙が場を支配する。
……気まずいな。
「「えーと」」
俺とミナトの声が重なった。
「……。」
「……。」
「そ、そっちから……いいよ? カナくん。」
「いや……ミナトの方からで俺は構わないけど……」
「あ……うん…… それじゃあ……」
……ふう。これでひとまずは……
「ひ、久しぶり、だね。」
「……それ、さっきも言わなかったか?」
「え?あ、あれ、そうだっけ……」
「……一応。」
「……。」
「……。」
……参ったな。いつもの調子が出ない。
……さて、これからどうしたものかな……
いろいろな意味で。
本当に、本当に、いろいろな意味で……