今日も旦那様の部屋の床には服が脱ぎ散らかしたままです。  
 
 脱いだ服を片付けるとか、仕舞うということを旦那様はなさったことがありません。  
 そのあたりはさすが貴族様だなあ、と思います。  
 もっとも、本当の貴族様だったら普通は自分で着替えたりせずに使用人に  
着替えさせるものだ、と幸恵さんは言います。  
 それを聞いたわたくしが「旦那様の服を脱がして差し上げている自分の姿」を想像して  
赤面していたら  
「バカじゃないの?」  
と呆れられました。  
 幸恵さん曰く、ふつうは男性の使用人が着替えさせるものなのだそうです。  
「百合もやってみれば? 旦那様の服を脱がして差し上げるの。  
 ……そのあとベッドに引きずり込まれちゃうかも知れないけどね!」  
 幸恵さんはいい人なのですが、性的に放埓というか、おおらかな教育を受けて  
育ったらしく、よくこういう冗談を言うので困ります。  
 第一、旦那様はそんなことをなさる人ではありません。  
 
 あ、言い忘れましたが幸恵さんは厨房で働いている料理人さんです。  
 近くに住む大工さんと結婚していて、住み込みではなく通いです。  
 三つになる子供のいる、明るくて陽気なちょっときつめの美人さんです。  
 旦那様のことは  
「いい男だけど、ちょっと線が細すぎてあたしの趣味じゃない」  
と評していたのでそこのところはちょっとだけ安心です。  
 
 
………わたくしが安心するような筋合いのことではないのですけれど。  
 
 
 脱ぎ散らかした長袖内着や肌着を拾い集めて畳みます。  
 旦那様の洗濯物を洗って干して畳んで新しい着替えを用意するのは  
わたくしの仕事です。  
 大きなお屋敷ではふつう洗濯専門のメイドがいるものなのだそうなのですが、  
この屋敷は大きくはあっても、住まわれているのは旦那様お一人なので  
私を含めた使用人は自然と何でもこなすようになってしまいます。  
 
 長袖から取れた釦がないか、布地が綻んでいないか確認していると、  
ほのかに旦那様の匂いがしました。  
 肌着に染み込んだ旦那様の匂い。土と、肥料と、汗の混じったにおいです。  
 その匂いを嗅いでいると、旦那様のあのお優しいお顔が目に浮かんできます。  
 一呼吸ごとにあのお声や、真摯な瞳の色が私の脳裏には蘇ってきます。  
 なぜだか胸がドキドキします。  
 
 もっと嗅いだら……もっと旦那様のお顔がハッキリ浮かぶのでしょうか?  
 白い肌着を見ていると、どうしてもそうしたい誘惑が強く湧き上がっています。  
 そんなことをしてはいけないとはわかってはいても、漂ってくる旦那様の匂いには  
どうしても、心が動いてしまいます。  
 
 嗅ぎたいです。…でも、そんなはしたないことはできません。  
 
 
…できません。  
 
 
 
……できません。  
 
 
 
………できません。ダメです。  
 
 
 
 平織綿の柔らかな肌着に鼻を埋めて息を吸い込むと、旦那様の匂いが強烈にします。  
 以前、私の背後の棚から移植鏝をお取りになったとき、押し付けられた旦那様の胸の  
匂いと同じです。  
 お優しい顔と、あの素敵なお声。  
 そのイメージが広がってきて、泣きたくなるような気持ちが胸のなかから湧き上がってきます。  
「旦那様……」  
 口の中でそうつぶやくと、頭の芯がぼうっとするくらい、熱い塊が体の中に  
生まれてしまいます。  
 
 
 
 
 
 
「百合さん?」  
「!!!!」  
 瞬間、背中に電気が走りました。  
 部屋の戸口には旦那様が立っています。  
――見られた!?  
 
「……は、はい」  
 必死に何気ない風を装って返事ができたのには自分でも驚きました。  
 心臓は冷たい手に掴まれたかのように縮み上がり、みぞおちあたりに  
冷たい恐怖が忍び寄ってきます。  
 見られていたら。わたくしのしていたことが見られていたら…  
お叱りを受けるだけでなく、軽蔑されてしまうかもしれない。  
 憎まれ、嫌われてしまう……お暇を出されてしまうかもしれない。  
 もう旦那様のお側にいられない…  
 それはなによりも恐ろしく、辛いことです。  
 
 暗鬱に囚われた気分のまま、震える歩を進めると。  
 旦那様は幸い、手に取った紙に視線を注がれていて、私の顔色には気づいて  
おられないご様子。  
 どうやら、旦那様はわたくしのはしたない行いをご覧になっては  
いらっしゃらなかったようです。  
 
「百合さん、王国語が少し読めましたよね? ちょっとこの説明書に書いてある  
単語でわからないところがあるのですが…」  
 
 わたくしの胸の中に明るい光が差し込んできました。  
――良かった!!  
 心からの安堵が暖かくわたくしの全身を包みます。  
 
……安堵している暇なんかありません。旦那様のお手伝いをしなくては。  
 わたくしは折り目のついた紙片を旦那様から受け取り、目を通しました。  
 
「"蔵する""適した"のあとの単語なんですが」  
 旦那様がおっしゃる部分に目をやると、幸いそれらはわたくしの  
知っている単語でした。  
「"憎む"…いえ"嫌う"ですね。次が"明かり"その次が"自然の"です。  
 つまり"日光の当たらないところに保管してください"という意味だと思います」  
 
 文章を指しながら訳して差し上げると、旦那様は途端に目を輝かせておっしゃいました。  
「ああ、なるほど、そういう意味でしたか」  
 年下の、それも女性から何かを教わったりしても、旦那様はそれを恥ずかしく思ったり、  
侮辱されたと感じたりはなさいません。  
 教師でもあった父から教育を受けていた頃、父の弟子の間違いを指摘したら  
酷く怒鳴られたことがありました。  
「お前なんか」「賢しらに」「馬鹿にしてるのか」と。  
 わたくしが旦那様を尊敬し、お力になりたいと思うのは旦那様がいつでも公平で、  
知識や学問というものに敬意を持っており、その敬意の前では男女や長幼の差などは  
たいしたことではないと思うほど強く学問がお好きだからです。  
……まあ、あまり身分に無頓着すぎるのは行きすぎかとは思いますが。  
 
「百合さんはやっぱり頼りになりますね。ありがとう」  
 旦那様はにっこり笑ってそうおっしゃってくださいました。  
 見ているわたくしが苦しくなるほどの笑顔で。  
「ど、どういたしまして」  
 褒められた嬉しさと、頼りにされたという喜び。  
 自分でもわかるくらい顔が赤くなってしまった恥ずかしさ。  
 返礼もそこそこにわたくしは深くお辞儀をして、洗濯ものを抱えたまま  
廊下を駆け出してしまいました。  
 
 
 洗濯室の前まで行くと、厨房で使った布を洗濯に出しに来た幸恵さんが  
いらっしゃいました。  
 幸恵さんは、わたくしの顔を見るとなんだか品のない笑みを口元に浮かべながら  
「なんかいいことでもあったの? ひょっとして旦那様にお尻でも撫でられた?」  
そんなことを訊いてきました。  
 つい、かっとなって  
「旦那様はそんなことはなさいません!」  
と怒鳴ったら  
「いやいや、旦那様だって男だよ。木や石じゃあないんだからねえ」  
と、これもまたイヤな笑いをなさいました。  
 
 なんと言い返そうと考えていたら幸恵さんは急に真顔になって  
「でも、アレだね。百合は撫でられること自体はイヤじゃないんだね」  
と。  
 
 旦那様がわたくしのお尻をお撫でになったら…?  
……そのときわたくしはどう思うのでしょう?  
 
 考え込んでいると幸恵さんは優しく微笑みながら、こうおっしゃいました。  
「旦那様は百合のこと、好きだとおもうね、あれは。……じゃなきゃ  
あの変人の旦那様がああも心を許すもんかい」  
 
…そうなのでしょうか?  
 
…旦那様が…わたくしのことを、気に掛けて…  
 
 幸恵さんは「ま、頑張りな」と言って廊下に出る――前に、  
わたくしのお尻を撫でて行きました。  
 
「幸恵さん! なんてこと!」  
 幸恵さんは駆けて逃げていってしまいます。  
 
 
 
・・・・・・・メイドさんが怒ったまま終わる。  
 
 

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