前略  
 伯母様、お加減よくお過ごしですか。私は相変わらず無事にやっています。  
安心してください。  
 都では今年の冬は暖かく過ごしやすかったですが、そちらでも例年にない暖冬で  
雪も少なかったと聞いています。  
 それでもどうかお風邪を召さないようお気をつけ下さい。  
 
 咲は先月で七つになりましたが、先生や伯母様の言うことをちゃんと  
聞いているでしょうか? 心配です。先月から先生に字を習っているとのことですが、  
あの子は飽きっぽいから根気良く続くかどうか不安です。  
どうか「お姉ちゃんが咲からの手紙を楽しみにしている」と言って励まして  
やってください。お願いします。  
 
 さて、先の手紙でも伯母様に言われたので身の回りのことをいろいろ書くことにします。  
 今日は私の仕事場の話を書きます。  
 
 わたくしの働かせて頂いているこのお屋敷は、都の近郊にある田園地帯に建っています。  
 半世紀前くらいに流行した外国風の石造りのお屋敷です。  
 
 この規模のお屋敷ならば、普通は様々な従者や使用人がいるものですが、旦那様が  
雇っておいでになるのは私のほかにお料理の世話をしている幸恵さんと、庭師をなさっている  
定吉さん、そして執事の狩野さんの三人がいるだけです。  
 前の手紙にも書きましたが、お三人ともとても親切にしてくれていて、私はとても楽しく  
働かせていただいています。  
 お屋敷をそれだけの人数で切り盛りするのは大変かと思われるかもしれませんが、旦那様は  
普段は蘭の栽培の温室と書斎、それに図書室くらいしかお使いになりませんし、  
あまりお客様をお呼びになったり宴席を催したりはなさりませんので  
日々の仕事の量はさほどでもありません。機械が大変にお好きで、お湯を沸かす機械や  
敷布を洗う機械など、そんなものをよく買ってきたりお作になったりしてくださるので  
仕事が楽になってしまい旦那様には申し訳ないです。故郷では冷たい水であかぎれを  
作りながら洗濯や炊事をしていたのに、とそう旦那様に申し上げたら「百合さんのような人が  
手を荒らさないためにscienceは進化したのです」とおっしゃって下さいました。  
 旦那様は素晴らしいお方です。  
 百合はこんなお方にお仕えできてたいへんに幸せです。  
 
 旦那様のことも書きます。  
 
 私の働いているこのお屋敷の旦那様は、一言で言えば変わったお方です。  
 こう申し上げるのは失礼ですが、全然貴族らしくありません。  
 旦那様のお父様は皇位継承名簿にお名前が載っているほどの名門の出なのですから、  
それなりの体面というか、風格というか、そういったものがあって然るべきとは思うのですが、  
なぜかそういったものをまったくお持ちになっていません。  
 比べてみると、庭師の定吉さんや執事の狩野さんのほうがよほど貴族っぽいというのは  
いささか問題があるように思えます。  
 といっても、もちろん外見が貧相だ、というのではありません。  
 お優しい瞳と、柔和な物腰や口調に温かみがありすぎて貴族の方のような冷たい威厳の  
ようなものをお持ちになっていないだけです。  
 私はお父様をずっと若くしたらこんな感じなのかな、と旦那様を見ると思ってしまいます。  
自分を律しつつも他人を優しく労わる、暖かい瞳のお方です。  
 
 さて、その旦那様ですがまもなく三十になろうというのにご結婚なさる気はおありに  
ならないようです。  
 庶子とはいえ、名家のお血筋なのですから、よその伯家や爵家さまからお嫁さんをお取りに  
なるとか、末のないどこかの家をお継ぎになるとか、いくらでも方法はあるとおもうのですが、  
女の方がお嫌いなのでしょうか。  
 もちろん、旦那様はけっして魅力のないお方ではありません。お優しい顔立ちで、どなたにも  
丁寧な言葉をおかけくださる、紳士の鑑のようなお方です。  
 
 旦那様はそもそも滅多に社交の場にお出になりません。  
 お屋敷で蘭の栽培をしつつ、お隣の農事試験場でいろいろな穀物や稲の改良の仕事を  
なさっておいでです。いつも所員の先生や博士さんたちと一緒に忙しくなさっています。  
「ご飯がお腹一杯食べられればたいていの争いなんてのは起きない」というのが  
旦那様の口癖で、所長の役職にいらっしゃるのに手ずから泥に塗れていらっしゃるのは  
本当にご立派だと思います。  
 先だっても農耕馬の馬具を改良するのに馬を借りてきたのですが、この馬が旦那様の  
御髪を大変に気に入ったらしく、馬のよだれまみれになってお帰りになったときがありました。  
 
 そうそう、馬といえば先の戦で旦那さまは軍人として戦役に参加されたそうです。  
 あのお優しいお顔で、兵隊として戦場にいるだなんて想像もできないのですけれど、  
兵隊ではないそうです(当たり前ですよね、貴族様なのですから)。聞くところによると、  
兵隊さんの食べるご飯や、鉄砲の玉なんかを配る仕事をしておられたとか。  
 旦那様が荷車にご飯を積んで戦場を配り歩く姿を想像して可笑しく思っていたら、  
それも違うそうです。執事の狩野さんに笑われてしまいました。  
 兵隊さんたちのご飯をいつどこに届けるか決めたりとか、玉が足りなそうなところに  
多めに配っておくよう命令するとか、そういうお仕事だそうです。  
 狩野さんに言わせると「配送屋と仕出屋と修繕屋を合わせたようなお仕事」だそうです。  
 配送屋さんだとすれば、旦那様の軍人のお姿が想像できます。  
 
 先だっての秋のお祭りの日、旦那様のご領民…というよりももう農地は払い下げて  
しまったのでもう領民ではないのですが、その近隣の農民の方たちを招いてお屋敷の裏庭で  
大鍋を振舞う芋煮会を催したのですが、笛太鼓の演者さんたちの手配から料理の材料の確保、  
桟敷の準備から燃料やけが人の予防まで、旦那様は見事に差配を行っておられました。  
 
 これが軍仕込みのお手並みなのだなあ、と感心しました。  
 狩野さんにそう言ったら、それもそれですこし違うと言われてしまいましたが。  
(狩野さんは旦那様が軍人の頃の部下だったそうです)  
 
 なんでも、旦那様は大変優秀だということで、陛下から直々に勲章をお貰いに  
なったこともあるそうなのです。  
 雲の上の方とお会いになった方だと思うと、いよいよもって緊張しなければと思うのですが、  
(そもそも、旦那様ご自身が雲の上の階級の方なのですけれども)旦那様の  
こちらの気が緩んでしまうような暖かい笑顔で見つめられると、とても緊張しようがありません。  
 笑みがこぼれそうになるのを必死にこらえつつ、  
「旦那様、なにかご用でしょうか?」  
と言うしかありません。  
 
 と、なんだか書いていると旦那様のことばかりになってしまいました。  
 夜も遅くなりますので今日の手紙はこれくらいにしておきます。  
 また手紙を出します。  
 どうか、身体にお気をつけてお過ごしください。  
                            かしこ  
 
伯母様へ                       百合より  
 
 
 

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