朝日が差し込み、微かに眉がしかめられる。  
一瞬逃げるように寝返りをうとうとしたが、やがて諦めたように眉間の皺がなくなり目を開ける。  
開かれた灰色の瞳の中に、俺が見えた。  
 
 
 
 
「ほら、おはようございますご主人様。は?」  
少し腕がきつそうな体勢で硬直してるそいつに笑って言う。  
別にご主人様なんて言われることを望んでないけど。  
……いや訂正、言われたい。スッゲー言われたい。  
そう俺が考えてる間にそいつの顔は赤から青、そして再び赤に色を変え、やがて俺から離れるようにベッドの端に逃げ叫んだ。  
「ティト様いい加減やめて下さい!」  
ああ、やっぱりご主人様じゃない。  
膝枕をしたままそう独白し、上体だけを起こして笑った。  
「リーシェ〜……いい加減ご主人様ってハート付きで呼んでくれやぁ」  
 
俺の名前はティト・ルーベンス。一応王室御用達の服飾会社の社長兼デザイナーロナルド・ルーベンスと、同じくデザイナーのリリィ・ルーベンスの愛息子。  
ありがちな泥沼話も一切なく、緑豊かな屋敷の中で両親の愛を一身に受けすくすくと大好評成長中。  
んで、目の前のオンナノコの名前はリーシェ・レオハルト。この家の執事長を務めるニック・レオハルト……俺はいっつもセバスチャンって呼んでるんだけど、その一人娘。  
黒の髪に灰の瞳。キツめの印象だけど美人さんなこの屋敷のメイド。  
ちなみに母親は不明だったりする。俺が三歳ぐらいだかの時に突然セバスチャンが連れてきたが、母親が誰かは断固として言わなかったらしい。  
 
「ロベルト様に、ティト様がそう仰ろうと呼んではならないと命じられています」  
さっき叫んだのを取り繕うように、いつもの三割増し冷めた声でリーシェが言う。  
あの糞親父……。  
可愛い息子の純粋な夢を打ち砕いて爆睡してるだろう親父を呪ってみたり。  
リーシェは軽い寝癖のついた髪を撫でて直し、ベッドから降りて床に立つ。  
「ティト様」  
そして、ベッドの中に残された俺を見て口を開き、  
「着替えたいので、少々席を外して頂きたいのですが」  
困ったような、気恥ずかしげな。とにかく普段あまり見せない種類の表情を作った。  
その顔を見てふと思いつく。  
掛布団の上であぐらをかいて、我ながら意地の悪い笑みを作って俺は言った。  
「見てるから、着替えてよ」  
「っしかし……」  
すぐにリーシェは反論しようとする。  
さっきの表情のまま、むしろ更に色を濃くしたような様子は、見ていてとても楽しい。  
「命令だ、って言ったら?」  
更に言えば、一瞬リーシェは目を見開く。  
次に、ひどく冷たい、限りなく無に近い表情に変えリーシェはロッカーに近付いた。  
出来る限り機械的に、羞恥心を悟られないようにして動いているのが見てとれる。  
 
この家には屋敷の大きさの割にメイドやギャルソンが少ない。  
セバスチャンが一人で五、六人分の仕事をしてくれることもあるし、親父が他人に世話をさせることをあまり好まないこともある。  
そのためか現在いる使用人は家族同然の扱いで、俺らと同じとまではいかないがそれなりの大きさの部屋があてがわれている。  
俺にとってはスーゲ嬉しい配慮だ。  
 
リーシェは白いワンピース型の寝間着を脱ぎ、さらに白い、いっそ病的なまでに透いている肌を晒して黒いドレスを手に取る。  
肌がとても綺麗だな、と。どんな手触りなんだろう、と。そう考えている間に、勝手に俺の身体は動いていた。  
「リーシェってさ、体温低いよね」  
後ろから抱き締めて耳元で言えば、ビク、とリーシェの身体が跳ねた。  
晒されたままのその肩は、身体は、微かに震えている。  
(ま。感じてるワケじゃ、ないよなぁ……)  
むしろ、リーシェを支配しているだろうものは恐怖。  
だけど、何故か放してやろうという気は微塵も沸かなかった。  
「暖めてあげようか?」  
微かに上唇がリーシェの耳に触れるように言う。  
何も言わない――というか言えない――リーシェに、俺は更に言葉を続ける。  
「首に痕つけてさ。とうとうヤっちゃったって、みんなすぐわかるよ。誰も言わないだろうけど」  
耳から唇を離し今度は首筋に舌を這わせ、左の手は青みがかった下着に包まれた胸を揉む。  
巨乳とまではいかないがそれなりの大きさで、何より形がいい。  
 
……俺が言った通り、俺とリーシェがデキたところで他のメイドは納得するだけだと思う。  
さっき言った通りこの屋敷の使用人は家族同然で、俺が生まれた頃からの……いや更に前からの付き合いの人間がほとんどだ。  
だから、俺らが友達と呼べた頃も知っている。  
そして俺がずっとリーシェに抱いている想いも、この執着心も、知っていることだろう。  
 
「…………ッ」  
ガクガクと、俺の腕の中で震える。  
目は固く閉じられ、口は真一文字で。  
スウ、と頭の底の方が冷えていくのを感じた。  
「……なんちって」  
「え?」  
小さく……さっきまでと逆の種類の声で呟いて、俺はリーシェを解放した。  
「怖がっちゃって、リーシェちゃん可愛いー」  
そしてケタケタと、からかうように笑う。  
あんな拒絶してるリーシェに、手ぇ出せるかっての。  
サド公爵の著書じゃじゃあるまいし、強姦したいとは思わない。  
「わ……っ悪い冗談はやめてください!」  
 
(……馬鹿?なに言ってんのあんた)  
 
一瞬呆けてたリーシェは、すぐに我に返り裸体を腕で隠し言う。  
その姿に、言葉に、ふ、とフラッシュバックする記憶。  
俺を強く睨み……いや違う、純粋に目つきが悪いのか。とにかく、俺に向かって投げ掛けられるぶっきらぼうな言葉。  
酷く懐かしいその記憶は、いつのものだったか。  
「……、じゃ。俺また寝るから、時間になったらちゃんと起こしてね」  
それを頭の隅に押し込み、ひらひらと手を振りドアをあける。  
まだ驚いた様子の抜けないリーシェを残し、俺は部屋を出た。  
自室に向け歩き出そうと足を数歩進めたところで、動きが止まる。  
 
考えるは己の思考。俺は一体、何がしたいのか。  
強姦したいとは思わない。しかし、ただリーシェを抱きたいとも思わない。  
(乙女のハートは複雑怪奇、てやつか?)  
ガリガリと頭を掻く。  
リーシェに何を求め、俺は何がしたいのか。  
何度も考えたことだが、どちらもいっこうに答えが出ない。  
結局諦め、またいつもの日常に戻るわけだ。  
そして今回も、答えは出そうになく。  
 
 
ふぅ、と息を吐き、俺はまた歩き始めた。  
 

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