丘の不上の構造物。武家屋敷にバロック調の建築物を無理やり増設した、田舎町を見渡せる家。  
夏の最中青々と繁る夏緑樹林に囲まれたその中に目を転じてみれば、一寸した喜劇を見る事が出来る。  
 
「……ふう。」  
広々とした客間の中、黒いおかっぱの小さな少女が重そうな花瓶を卓の上に置く。  
汗をふきふき、和服風の女中服を直して一息。  
十数秒掛けて息をついた後、放たれる言葉がある。それは、主を呼ぶ声。仕事の確認をしてもらう声だ。  
「若〜!……若!」  
返事がない。  
気弱そうな顔だちで、彼女は意味も無くあちらをうろうろ、こちらをうろうろ。  
「ど、どこですかぁ〜?お掃除ー、おわったんですけどー……」  
やはり返事はない。  
「う……」  
眉尻を下げ、泣き出しそうに見えなくもない顔で、彼女は音を聞く。  
自分の姓が示すもの――木製の扉がノックされる音。  
彼女――木ノ戸 瑠璃乃(きのと るりの)はそちらを振り向く。  
古びた取っ手が回される音とともに、道しるべが現れた。  
「せ、せんぱ〜い!助かりましたあっ!」  
そこにいたのは瑠璃乃と同じく白と黒の和服にエプロンドレスを混ぜた様な服を来た、栗色の髪を持つ童顔の女性。瑠璃乃の顔を見るなり、溜め息をつきつつ彼女は口を開く。  
「……お昼の後片付けもせずどこにいっていたのかと思っていたら……  
はあ…… 私の昼間の仕事は家事では無く、秘書なんですけど。」  
少しばかり不穏な気配。それを先輩に感じ取った瑠璃乃は取り繕う様に言う。  
「ご、ごめんなさいぃ〜…… 水晶先輩……」  
顔をあげる。目の前の先輩――真弓 水晶(まゆみ すいしょう)は怒ったと言うより呆れが大きい。  
大学の講義がない日にだけ勤めている自分と違い、この女性は代々この枯川家に仕えるという家系の末裔だ。この家の事については経験も知識も遥かに勝っている。  
下手を起こして暇を出される訳には行かない。全くやる気の見えないゼミの先輩を何とか説得して仲介してもらい、やっと旧家の生活に直に触れる事が出来る様になったのだから……  
人文学やら民俗学やらを学びたかった彼女にとってはこの家にあるもの全てが、それこそ食事から蔵の中身までが研究対象だという千載一遇の機会なのだ。  
「全く……使う機会もないこんな客間を掃除するよりも他にする事があるでしょうに。  
とりあえず、私に洗い物やら買い物やらをプレゼントしてくれた理由が知りたいものですね?」  
笑顔。ただでさえ小動物の様な瑠璃乃は鷹に狙われた様になっている。  
が、なにか思う所があったらしい。8割怯え、2割疑問の入り交じった表情。  
「そそそそそれは……わっ、若に言われたからで……」  
しばしいぶかしんだ後、それを水晶は口に出す。  
「……若が?」  
 
 
・・・十数分前。  
 
 
「……むう。門外不出で貸し出し拒否?この像は今度の特別展の目玉……の次くらいになるからな……  
ここで引く訳には行かないか……」  
無数の本棚に囲まれた場所。古書の保存も考え、薄暗いながらも風通しの良い書斎。  
その中に肘をつきながらPCをいじっている男がいる。その傍らに居るのは水晶だ。  
顔だけ見ればチンピラ気味だが、しっかり整えられた髪や背広のおかげであまりそういった印象はない。  
男は傍らの電話に手を延ばす。  
と、水晶が意図を察知。電話を取り、男の手に置く。水晶はそのまま受話器を渡した手でボタンをプッシュ。  
いくつもの電話番号が画面が示され、その中から一つを選びだす。  
コール音。  
少し後、相手が出た。  
『はい、こちらは伊月(いつき)郷土博物館です。どのような御用件でしょうか?』  
「……ああ、枯川…… 枯川 朧(こがわ おぼろ)だ。企画部の東(あずま)部長に繋いでもらいたい。」  
男――朧が名乗ったとたん、受付嬢の声の調子が変わった。  
『は、はい!至急お取次ぎいたします!し、しばしお待ちを!』  
キャッチの電子音。古い施設には有りがちな、ファミコン並みの音源の陳腐な音楽が流れ出す。  
 
「……ふう。」  
朧は一息。と同時に、内心溜め息。  
「……どうしたんですか?」  
水晶の声がかかる。長年の付き合いか、隠した筈のものでも分かってしまうらしい。  
その事に苦笑しながら、朧は答える。  
「いや、受付の人がどうも外来の人だったようでね。やけにかしこまっていたというか……  
まあ、そういうことだよ。」  
「外来……ああ。」  
水晶は軽く手を打ち合わせる。  
「部長という立場なんだからいい加減慣れて下さいよ。特別扱いが苦手、と。ま、ここらの人じゃ今更そんな態度は取りませんもんね。」  
くすくすと納得と苦笑の混ざった顔で、水晶は朧の肩を叩いた。一回。二回。三回で朧が水晶の方を見る。  
「痛いんだけどな……。そんな笑いどころでもないだろうし。何にせよ君はなにかと手を出し過ぎだと思うんだけどな。」  
”くすくす”から”くっくっ”へと、笑い声を変えつつ水晶が答える。  
「まあ、気にしないで下さい。性分なので。それに十分笑いどころですって。  
2年前うちの乗っ取り騒動であれだけ表に出ていた人が今更何をいいますか。」  
笑いと疲れ。呆れと言う感情をそれぞれのやり方で表現する二人。  
そして朧が、  
「そうは言っても、地方新聞の片隅に出ただけじゃないか……  
誰も知りはしないよ。」  
と、そこまで言ったとたん、屋敷に響き渡る声。  
『若〜!……若!ど、どこですかぁ〜?お掃除ー、おわったんですけどー……』  
二人は顔を見合わせる。  
「木ノ戸君か…… 雇ってから三ヶ月。様子はどうだ……」  
い、と言おうとして朧は言葉を飲み込む。水晶の様子に気になるものを感じたからだ。  
はっきりとした疲れの表情。  
朧の経験で言えば、自分の様に彼女がこんな表情で呆れを表現するのは多少なりとも苛立ちがあるときだ。  
「……客間……の方ですか。ちょっと彼女に用があるので、ここを離れますけど……宜しいですね?」  
その言葉と同時に、朧が耳と肩で挟んでいた受話器から電子音が途切れた。彼には頷く事しかできない。  
 
 
・・・現在。  
 
 
書斎。その中の一角にて先程から全く姿勢を変えずに朧が話を続けている。電話口からは低いが、通る男の声。  
『……で、君の考えとしては例の像一式に対して、私達が金銭以外の対価として”草蛍”を貸し出せば大丈夫だろう……と?』  
落ち着いたその声に対し、朧は淡々と論を述べる。  
「ええ。大方間違ってはいないですね、東さん。とりあえず、それ以外にも詰めは必要でしょうが。  
実は先方も特別展を企画してましてね…… ま、私達の仏教展と違って刀剣類がメインの様ですが。だからこその”草蛍”ですよ。  
あの刀ならおそらく向こうも納得するでしょう。それに、なにせあれは私の先祖が使っていた…… 引いてはうちに所有権があるんですからね。所有者の許可も必要ない。  
今回限定の裏技になりますが、一番手っ取り早いでしょう。いかがです……?  
もし足りないと言うなら、うち所有の他の武具類も御自由に貸し出してもらって結構ですよ。  
こちらとしても、今回の展示には力を入れているのでね。」  
『……しかし、そうすると常設展の方の目玉が無くなるな……』  
「……前々回の特別展……その際にうちから貸し出したままのものがありましたよね?  
幕末に輸入された宝石類。あれなら見栄えもいい。十分代わりはこなせますよ。」  
と、ついに向こうは折れた。  
『……分かった。検討してみよう。』  
「お解りいただけて何よりです。」  
口調こそ変わらない。しかし、明らかに朧の顔には安堵が浮かぶ。  
電話は続く。  
『……しかし……』  
「? なんでしょう。」  
『相変わらず君の情報収集能力は凄いな。あちらさんが何かしらを企画し始めたとは聞いていたが、刀剣類とは知らなかったぞ。  
この御時世だ、企画どまりと言う事も……』  
「……まあ、そうでしょうね。正直に言えば、刀剣類というのは先方の各方面への動きを観察して得た情報からの推察ですから。  
ああ、御心配なく。スポンサー経由で裏づけは取れていますよ。開催そのものはまだ先の事にはなりそうですがね。」  
『……。”理将の枯川”は500年経った今も健在と言う事か……』  
「はは、ご先祖様に失礼ですよ、それは……  
いずれにせよ、今後何かあったら随時お知らせします。それでは。」  
電話を置く。と。  
 
「……はー。なんか……すっごいですねー……」  
「ぬわあああっ!」  
「ひゃああっ!……び、びっくりしたあ……」  
朧の側にいた瑠璃乃が、朧の悲鳴に連鎖。  
「……何息子を人質に取られた王様の断末魔みたいな声出してるんですか……」  
冷静なのは水晶一人。  
「い、いつからそこに……」  
「『ええ。大方間違っては〜』あたりでしょうかね。」  
「……。全然気付かなかったな。」  
「……これだから。全く…… 周りが見えなくなるのを何とかして下さいよ……」  
すまんすまんと朧。と、水晶が朧の方を向き直す。  
それを見て朧が尋ねる。  
「さて、水。木ノ戸君への用事は終わったのかな?」  
ええ、と微笑んで頷く水晶。  
そして……  
 
「げぷっ!」  
腹を押さえ、うずくまる朧。  
「??? ど、どうしたんですかあ、若!なにが起きたんですかあ!?」  
おたおたする瑠璃乃の前に、水晶が立つ。満面の笑みで。  
見れば、水晶の拳は堅く握られており、つい今し方なにかを殴った様に見える。  
動作の素振りも見えなかった事に怯える瑠璃乃の傍らで、水晶が言の葉を告げる。  
「聞きましたよー、若? 今度、仕事絡みでお客さんが来るそうじゃないですか…… それも二三日のうちに。  
……誰か重要な用件でお呼びする際はそれなりの準備が必要だから、必ず余裕を持って一週間前……遅くとも4、5日前までには私に話を通す様に……と言いましたよね?しつこく何度も何度も何度も。  
全っ然自己管理の出来ない若のスケジュールを考えるのに苦労するのは……誰だと思ってるんでしょうかねー?」  
と、朧が腹を押さえつつ立ち上がった。ぎこちなく。  
「は、はは。いやー……すまんな。いやほら、今度の特別展の事で頭がいっぱいでな……  
すっかり忘れてたんだ、うん。  
今朝先方から電話があって初めて思い出したくらいでな。本当は一ヶ月前に話は出てたんだが……」  
「一ヶ月……ね。その間放置プレイって訳ですか?私は。」  
枯れ木を割った様な音が響いた。水晶が指を鳴らしている。  
「は、はははは…… ま、まあそう気にしないでもいいじゃないか。  
来るのは君もよく知っている人だからね。  
北光 奏(きたみつ かなで)先輩だよ。婿?子になったから、今は成瀬(なるせ)先輩だけどね。」  
北光と言う固有名詞を聞いたとたん、水晶の顔が青ざめた。  
「き、北光…… って!あの変人の集まりだった文芸部の北光先輩ですか……?」  
「変人とは酷いな、俺もその一員だったんだから……。確かに文芸部の割に何故かサバゲーとかはやっていたけどさ。  
ほら、もうすぐお盆だろ? 彼の里帰りついでに仕事の話をね。」  
ははは、と朧は愉快そうに笑う。  
と、水晶の顔に青筋が浮いた。  
それを見て瑠璃乃は思う。この目の前で馬鹿をし続けている間抜けは、本当にさっきまで大きな仕事に尽力していた若なんだろうか、と。  
瑠璃乃が小心者の割には失礼な事を考える中、水晶が後ろ手に震える拳を隠しつつ問うた。  
「……で、北み…成瀬氏が来るのは、あさって…ですか?しあさって…ですか?」  
一見笑みだが、よく見ると口端がひくひくと震えている。  
それに気付かない間抜けは、ついに禁断の言葉を口にしてしまった。  
「いや、明日の昼だよ。」  
「あしっ……!」  
絶句。  
水晶は言葉もない。  
瑠璃乃は理解が追い付かない。  
間抜けの馬鹿は止まらない。  
「あ、そうそう。先輩が豚のモツ料理と伊月鍋を出して欲しいって言っていたんだったかな。  
ほら、たしか高校の卒業式の日に君が作った奴だよ。いたく気に入ってくれたみたいでね。」  
誉められたのが自分であるかの様にイイ笑顔。  
ちなみに伊月鍋とはこの町の名物である山菜と川魚ベースの鍋だ。上手く下ごしらえしないと魚の臭みが出やすい。  
また、豚モツも同じく下ごしらえに時間がかかる。つまりは、この間抜けはもはや今日は正午すらとうに過ぎたというのに、明日の昼に合わせてやたらに時間のかかるものを作れと言っているのだ。  
しかも、水晶は今日の買い物を既に終えている。無論鍋やらモツやらの材料など買ってあるはずもない。  
「……ん?」  
と、間抜けが見れば水晶が自分の額を小突いた拳を下ろしている所だった。  
「……。」  
「……水?」  
沈黙。  
 
「……瑠璃ちゃん? そういえば、この前研究対象として、うちに伝わる実戦武術……真弓槍武術(まゆみそうぶじゅつ)を見たいって言ってたよね?」  
「え?ええ、はい、まあ……」  
曖昧にうなづく瑠璃乃。  
瑠璃乃の記憶によれば、真弓槍武術とは戦国時代に単騎当たりの戦力では武田の騎馬部隊に匹敵するとまで言われた武術だ。広範囲を対象とした槍技と、隙の少ない打突技中心の体術を理念としているらしい。確かに見てみたいと言った覚えがある。  
ところで、この先輩について彼女が最近分かってきた事がいくつかある。  
一つは、水晶が老若男女かまわず、躊躇いなく人を殴ると言う事。  
一つは、素の水晶が結構ざっくばらんな口調であると言う事。  
一つは、水晶が公私をかなりはっきり区別すると言う事。  
「で……私、体術の方なら今ここで見せてあげたいと思うんだけど……どうかな?」  
普通なら、この時間帯に水晶がこんなくだけた口調で話す事などあり得ない。  
普通なら。  
ここでやっと間抜けも不穏な雰囲気に気付いたらしい。  
微笑みこそ崩さない。が、ゆっくりと立ち不がり、水晶の方を向いたまま、そろりそろりと部屋の入り口へと後ずさる。  
今水晶は笑みつつ瑠璃乃と向かい合っている。その瑠璃乃が横目で主の方を見る。と、地面になにか落ちた。  
……朧の冷や汗。  
見れば、朧も水晶も皆引きつった笑いをしていた。  
不意に、朧が後ろを向いて走り出した。  
「逃げられると思う!?」  
叫び。一瞬で二人から笑みが消える。  
真由乃が水晶に目を戻した。しかし、そこには既に誰もいない。  
「真弓槍武術……無手ノ伍、虎塵ッ!!」  
張った首を回したときに出るのが強くなった様な音。そちらの方を瑠璃乃が見てみれば、丁度水晶の右ストレートが朧の鳩尾に食い込んだ所だった。  
詰まった息が朧から漏れ、壁に叩き付けられた。そのまま崩れ落ちた朧は、今度は踏まれた虫の様に四肢を転げ回らせている。  
水晶が瑠璃乃に振り向き、また笑む。  
「……どう?見えた? ショルダータックルの後、その反動を回転に変えて反対側のストレートを叩き込む技なんだけど。」  
「……見えなかったです……」  
瑠璃乃は心底残念そうな顔をする。  
意外に図太いわね、と思った後、水晶は気付いた。  
(……こりゃ、若と同じタチだわ。 一度入り込むと周りが見えないってか……)  
見れば、瞳に星が入っているかの様になっている。どうやら”武術を見せる”と言うキーワードを聞いた後、ずっとこうなっていたらしい。  
「……ま、いいわ。他の技も見せてあげるわよ?」  
「はい!お願いします!」  
 
……さて、ズレた女中と暴力女中が暴走した為、この後屋敷には何度か悲鳴が上がったと言う。  
正気に戻った後にズレた女中が幾度も主に平謝りしたはいいが、主に聞いている余裕など無かったのは言うまでもない。  
 
 
 
   おまけ 
 
 
 
薄暗い書斎。その中に朧が大の字になって倒れている。  
と、体の節々を押さえつつゆっくりと立ち上が……れず、こけた。そのままファックスの所まで這って、朧は一息。  
どこからともなく長さが2m近くある紙を取り出した。それをファックスに設置し、送信先を入力。ディスプレイには”水晶の自室”と表示されている。決定。  
ファックスが読み込み口から機械の中に入り、別口から出てくる。  
朧は紙が出てきたのを確認すると、それを手に取った。そして、まだ読み込まれていない紙の方にそれを回し、テープで接着。  
丁度ファックスを通して紙が輪の形になっている。永続ファックス送信装置の完成だ。  
数時間後には、はたして水晶の部屋はどうなっているだろうか。  
 
……そして、それに気付いた水晶が朧に何度打撃を入れる事だろうか。  
 

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