夏緑樹林の衣をまとった山々。すぐ近くに繁華街を持ちながらそれに侵食されず、むしろそこすら包み込むような出で立ちの山景に、よく見れば開けた場所がある。
山から流れる川の周囲にできた集落。
村と町の中間くらいの規模のそこの中心からは少し離れた丘の上へと続く川沿いの道の上に、2つの人影がゆっくりと歩を進めていた。
影をよくよく見れば、二人が二人とも同じ服……和服をベースにした、腰帯に大きなリボンのついた女中服を着ている。
買い物帰りなのか、二人とも両手に膨れたビニール袋を抱えていた。
「……。」
小柄な方の影、一見成人前にも見えるショートカット……木ノ戸 瑠璃乃が急に立ち止まった。
「……どうしたの?瑠璃ちゃん。」
「あ、水晶先輩。ほら、見てください! 町が……すっごい綺麗です……」
水晶と呼ばれた女性が振り返ってみれば、そこには西日に照らされる山間の町の姿。
うっすらと霧が差し、まるで
「……麻婆豆腐みたい。」
こけ。瑠璃乃が思いっきりバランスを崩した。
「ど、ど、どこがですかあっ!」
「いや、町全体が真っ赤だし、建物は白っぽいのが多いし。似てるかなと思ったんだけど。
……どうしたの?」
「……もーいいです。先輩にそんなこと聞いた私が馬鹿でした。おしゃれしてるのも見たことないですし……
宝石の一個くらい買ってもいいと思いますよ?素材、すごいいいんですから……」
「あら、私だって貴金属の一つくらいは持っているわよ。」
興味津々と言った様子で瑠璃乃は身を乗り出した。
「え?どんなのですか?」
「八ツ菱ゴールドインゴット。金は価値が変わらないからね、これでどんな経済恐慌が来ても安心!という訳。」
「……。」
だめだこりゃ、と思い、瑠璃乃はすたすたと歩き出した。
「あ、それだけじゃないの。」
「??? なんです?」
「殴る際に威力が結構増すのよ、握ってると。金は大きさの割に重いから……」
「……。」
今度こそ瑠璃乃は無視して歩き出した。
「ちょっとー、どうしたのよ。」
呼びかけに対し、瑠璃乃は足を止め、振り向いた。
「はあ……先輩、もう少し身だしなみに気をつけないと若に嫌われちゃいますよ?」
「いつも私は清潔にしてる筈だけど。」
「そーじゃなくってですねー……」
「それに、何でそこで朧が出てくるのよ。」
「え?あれ?」
先輩たち、お付き合いなさってるんじゃないですか?と言おうとして、瑠璃乃は言葉を飲み込む。
確かに二人の間の距離は非常に近く見えるが、果たしてその距離はどんな類のものなのだろうか。聞いたことがなかった。確かめるまでもなく、瑠璃乃にはそうとしか見えなかったからだ。
だが……たとえ距離が近くても、その道が傾斜のきつい山道で出来ているのか平坦なアスファルトで出来ているのかでは全く意味合いが異なる。
「あー……なーる。そういうことね?」
「え、あの、えーと……」
心のうちを見透かされ、瑠璃乃は動揺。
……若といい、どうしてこの家の人は時々怖いくらい人の心を読めるんでしょうか。
「そりゃ顔に出てるからよ、あなたの場合。結構親身な付き合いだし、私も少しはその心得があるつもりよ? 朧ほどじゃないけど。」
また心の内を読まれた。
「……ここに勤めている限り、私は公開羞恥プレイですか?」
「さあ。私に言われても。……それより。」
「?」
「……私たち、そう見える?あなたからは。」
瑠璃乃は改めて水晶を見た。今の彼女の薄い笑みからは、何の感情も読み取ることが出来ない。
「えーと……」
「ま、見たとおり、よ。私と彼の関係は。そこから何を読み、どう解釈するかもあなたの自由。
……でも、これだけは言っておこうかしらね。」
「何を……ですか?」
「私には、ね?少なくとも……彼とはあなたが思っていたような関係にはまだ、なれないの。ならないのではなく、なれない。」
「え?ど、どういうことですか?主従関係だから?そんなの時代遅れじゃ……」
「……そういう事じゃあないわね。」
「じゃあ……」
「……借りが、あるのよ。大きな……ね。私は彼と対等じゃない。
……そして、彼は私が従属することを望んでいない。契約して雇うことにはかまわないけど、所有物として扱うことを嫌うの。」
「何が言いたいのか、よく、分かりません……」
「……要はね? 彼がもし私とそういう関係になることを望んでいたとしても……借りを返さない限り私にはその資格がないの。
だって、借りがあるままそういう関係になったとしたら、私はそうすることで、彼のものになることで借りを返した、と言うことになってしまうでしょう?
私を一個人として扱ってくれる彼への冒涜なのよ、それは。だから……ね。」
瑠璃乃は続く言葉を待つ。しかし、水晶はもう言うことは終わったとばかりに、口をつぐんで開かない。
聞くのをあきらめ、目を落とした瑠璃乃の耳に、小さな、本当に小さな呟きが聞こえた。
……自分勝手で、ごめんね、と。
いっつも平気でブン殴ってるくせに何を言いますか、と瑠璃乃が思ったのは余談でしかない。
・
・・
・・・
しばし無言で歩く二人。が、
「……さっきの宝石店の前もそうだったけど、瑠璃ちゃんってなんかキラキラしたものが好きなの?」
話題を戻し、水晶が口を開いた。気まずい雰囲気を慮ったのか。
「フツーはそうです。……でも、宝石店まであるなんて、この町の商店街……というよりパサージュって大きいですよね、町の規模の割に。」
緊張が解け、苦笑とともに瑠璃乃も応対。
瑠璃乃の疑問に対し、
「ん〜……」
モツやら川魚やらの入った袋を片手に持ち替え、水晶はがりがりと頭をかいた。
「……あのね、この町にも昔、ニュータウン計画があったの知ってる?」
「いえ、あまり……」
「ま、詳しいことは端折るけど、あそこは立ち消えになった計画の名残。私たちが生まれたくらいに作られたけど、結局……て事。」
「へえ〜……」
古いこと以外にさほど興味のない瑠璃乃ではあるが、今いるのと違う形でこの町があったかもしれないと思えば少しは気になるというものだ。
「何で計画が消えたんですか?ここの人の反対とか?」
「全然。むしろ有り難がってたって話だわよ。」
「それじゃ……」
「ああ、そのあたりは私もよく知らないの。後で朧にでも聞いてみたら?」
あ、はい、と、そこまで言ったとき、声が後ろからかけられた。
「あら?そこにいるの水ちゃんでしょ。」
とりあえず振り向けば、そこには。
「あ、長土のおば様。こんにちは。」
留袖をした、長髪の女性が一人。ややしわがあるものの、若いころの艶姿を十分に思い浮かべられる容姿の女性だ。
と、脊髄反射で返事をした水晶が彼女の姿を見るなり、急にそわそわしだした。
「あー、だいじょぶだいじょぶ。あの子は家にいるから。」
「……そうですか。」
明らかにほっとした様子の水晶。それを見て、長土と呼ばれた女性は苦笑。
「親の私がいうのもなんだけどね、あの子は結構掘り出し物だと思うわよ?器量もいいし、料理とかも私がしっかり仕込んだし。性格だって尽くす方だし……」
「その分趣味嗜好についていけませんって…… あれは拷問ですよ……」
やたらと辛そうな顔でここにいない人間へのコメントをする水晶。
「そんなだから行かず後家なのよねえ…… 久明くんと桃花ちゃんは結婚しちゃったし、奏くんさえいいお嫁さんもらった……もらわれたんだっけ?まあ、そうだって言うのに……」
はあ、と肩を落とした彼女に対し
「えーっと……こちらのかたは?」
置いてけぼりで話の分からない瑠璃乃は戸惑うばかり。
「あ、ごめんごめん。えーと、この人はね」
くいくいと、水晶が指差すところを見れば。
「……旅館?」
それは、屋敷へと至る道を少しそれた場所にある、切り立った崖に面した木造日本建築だった。
湯気の立っている場所、おそらく露天風呂があるだろう場所からは、真下の川とともにいい景色が見えそうである。
「そ。……十六夜(いざよい)君ちの新しい人? あたしゃ長土 楓(ながつち かえで)。
あそこに見える長土旅館の女将ってのをやってるのよ。」
と、水晶がそれをフォロー。
「この人は現当主の十六夜様……つまり朧のお父さんの同級生でね?一応、枯川の分家筋にあたる家の人なの。正確には分家の分家なんだけど……
まあ、瑠璃ちゃんの好きそうなものがいっぱいある場所だから、今度お邪魔させてもらうと良いかもよ?」
「朧君から聞いてるわよ、、みょーなもんが好きな子が来たってね……
ま、雰囲気作りのために古臭いもんだけはたくさんあるから、いずれいらっしゃいな。」
「あ、よろしくお願いします。」
旅館は盲点だったな、と瑠璃乃が思う傍ら、水晶と楓は別のことを話題に。
「そうそう、もう知ってるかもしれないけど、今来てるのよ、奏君。うちに泊まっててね。
ほんと、あの子と会ったのも久しぶりだわね……
明日そっちへ行くんだって?」
「……ええ、知ってます。でもつい最近に知ったばかりですが。
どこかの誰かさんが今日になるまで放って置いてくれたんです。有難いでしょう?」
それを聞いて楓は苦笑。
「大概付き合い長いんだから、それくらい許容してやんなさいな……」
「だめです。私には責任があるんですから。彼の面倒を見るって言う……ね。」
やや真面目になった水晶の顔を見て、楓は吐息。
「複雑だわねえ…… ま、あなたが納得してるんならいいけど。
……別に、朧君に義理立てする必要もないのよ? あなたの本当の……」
楓は何かを言いかけた。が、愁いを帯びた水晶の微笑を見て……それ以上を口にするのをやめた。
「……そういえば、奏先輩の様子はどうでしたか?」
「は?」
「……人の話位聞いててくださいよ。もう……」
頬を膨らませた水晶の顔には、もう先ほどの表情は見られない。
そのことにどう対応したら良いのか分からないまま、楓は話を切り替えることにした。
「あー…… うちの子とのやり取り見る限り、昔どーりだったわねぇ……
相も変わらずの芸風だわよ、口が悪いのは。
それよりうちの子がはしゃいじゃってねぇ……」
「あの人と話の合う人はもういませんからね、このあたりには。北光先輩もお気の毒に……」
「ま、本人たちが楽しんでるから良いでしょ。それより、明日頑張んなさいよ?奏君も結構曲者だから。」
それを聞き、水晶は苦笑しつつ息をついた。
「分かってますって……」
「それならよし。」
と、それを言った後、何かに気づいたように楓はぽんと手を打つ。
「あ、奏君といえば一つ変わったことがあったわよ?」
「? なんです?」
さて、明日のもてなしに役立てばいいのだけど、と水晶は考える。
「いやー、奏君、あんな辛辣な人間がバカップルになるとは思わなかったわ。
明日会ったとき、楽しみにいてみなさいな。奥さんの方もすごいかわいいわよ?」
「へえ〜……」
少し興味を持つ話題だ。が……それ以上に気になる言葉があった。
「……奥さんの方も、来ているんですか?」
あれ、と楓。
「……聞いてないの?盆でこっちにきたって。二人そろってうちに泊まってるわよ?
それどころか、明日朧君の家に二人で行くって聞いてるけど……」
水晶と瑠璃乃は買い物袋を見た。そこにある材料は、本日二度目の買い物にわざわざ行ってきて得たもの。
しかし、そこにある材料は、どう見ても一人追加できる余裕はない。
水晶は無言で携帯電話を取り出し、コール。
「……えーと、水晶先輩?」
水晶は答えない。しばし後、彼女はつぶやく。
「……ファックス中? 嫌な予感がするわね……
……瑠璃ちゃん?」
「はっ、はいっ?」
不穏な雰囲気におびえた瑠璃乃は、どもってしまう。
「今あなたが持っているのは私が持って帰るから、悪いけどもう一度買い物してきてくれないかしら?」
「え…そ、それは構わないんですけど…… 先輩は?」
「ちょーっと急用ができたから、先に帰らなくちゃいけないの。じゃ、悪いわね?」
感情の読めない笑みの水晶と、引きつった笑いの瑠璃乃。
それを見た楓は、内心つぶやく。
(やっぱこの子達も濃いわねぇ……)
そんなことに気づくよしもなく、水晶は別れを告げた。
「では、おば様。またいずれ。」
轟、と強い息吹。
一陣の風とともに、水晶は見る見る丘の向こうに消えていく。
残されたのは、瑠璃乃と楓。
「……まあ、いろいろ大変だろうけど……頑張りなさいよ?」
「はい……」
振り回され、うなだれる瑠璃乃を見て、最後に楓は一言告げた。
「ああ、明日からはすごい疲れると思うわよ?
あの子達のように濃い面子がお客で行くでしょうから。」
それを聞き、瑠璃乃は気が遠くなる。
……果たして、自分はこの地でまともに勉強することなどできるのだろうか、と、眩暈の中思えるのはそれだけだった。
おまけ
丘の上、和洋折衷の妙ちきりんな建物。
惨劇は今、まさにその中で起きている。
「わーかー…?ほんとーに、ほんっとうに知らなかったんですか?お客の数が二人だって。
……正直に言うなら、今なら……」
「そうやって手をぼきぼき鳴らすのはやめた方がいいと思うな水それより本当のこと言えば許してくれるのかだったら話は早いいや実は」
「棒読みってことは、知ってたんですね?そーですか。へえ……」
「ああそうだよ許してくれるかついでに言っておくがもうひとつ」
「誰が言ったら許してあげるといったんですか?私が言おうとしたのは、
『"正直に言うなら、今なら真弓槍武術基本技フルコース、お値段はお安くサンドバック100回の刑!""ワオ!それはお得ネ、スミス!""オフコース!しかも、なんと今回は特別に未完成の奥義がついてくるノサ!さらに……』」
「インチキ臭い洋モノ通販ごっこは悪趣味だからやめてくれそれより外道だよそのやり方は水ああもういいどうとでもなれ実は君の部屋にとてもすばらしいプレゼントを贈ってしまったんだがそれを見ても怒らないように」
「ごちゃごちゃ御託はいらないんですよ。私が外道?
昔の人は言いました。"妥協は堕落の第一歩"とね。さあ……このあたりで引導を渡してあげます。」
・
・・
・・・
屋敷の外。もはやすっかり暗くなった玄関に、一人の少女が入ってくる。瑠璃乃だ。
ふと、屋敷が揺れたような錯覚を彼女は抱いた。地震だろうか?
そう思い、何の気なしに足を止める、と。
破裂。
いきなり目の前の窓ガラスが割れた。
「ひ、ひえぇっ!」
何かが窓を突き破り、こちらに飛んできたのだ。
よく見れば、それは
「……若?」
と、それまで窓からの室内灯に照らされていた彼女に影が差した。
「無手ノ弐……翔凰。」
部屋からの光を遮ったのは、背後に光源を置いた仁王。またの名を真弓 水晶。
おびえる瑠璃乃も、彼女の視覚には届かない。あるのは獲物を見据える鷹のような目のみ。
一息つき、彼女は
「無手ノ拾弐、飛燕ッ!」
ダウン状態の朧に追加攻撃。さらに、水晶は連携を繰り出す。
「無手ノ伍、虎塵!」
一瞬で彼我の距離を詰め、
「無手ノ弐!翔凰!」
相手を浮かせ、
「無手ノ肆、牛輪!無手ノ玖、夜馬!」
空中コンボ。
止めに
「無手ノ壱、堕鳳ッ!!」
地面に思い切り叩きつけ、再度ダウン状態に。繰り返せば、永続コンボだ。
このハメは、その後、水晶のゲージが溜まりきって超技を出すまで続けられたという。
当然オーバーキル状態になった朧が、紙でいっぱいになった自室を見た水晶の新しい連携の開発台にされたのはまた別の話である。