「こんばんわ、お嬢さん。どこから入ってきたの? というよりも、どうやって入ってきたのかな?」
あたしは慌てて振り向いた。
バイトの帰り道。
時刻は夜の九時半。
場所は家の近所にあるスクランブル交差点。
辺りには人っ子一人いやしない。どころか周りの建物全てに、明かりの一つも灯っちゃいなかった。
自分の生まれ育ったこのご町内が、それほど都会ではないという自覚はあるが、これほどの田舎だったという覚えもない。
しかもこれが電車から降りて、駅からここまで、歩ってる間に気づいたんならまだ良かった。
多分。
でもあたしがこの異常に気づいたのは、車が行き交う横断歩道の前でメールを確認して『青になったかな?』と顔を上げた瞬間である。
「えっ!?」
誰もいなくなっていた。
ディーゼル規制上等とばかりに、排気ガスを撒き散らしていた車まで、一台残らず綺麗さっぱり消えてたりする。
ずり下がっていた伊達メガネをかけ直し。
「…………」
右を見ても。
「…………」
左を見ても。
「おいおい」
やっぱり誰もいなくなっていた。
「ちょっとちょっと」
ご丁寧に携帯までしっかりと圏外になってる。
「あっ……と……なん……ですか…………これは…………?」
最初はドッキリなのと思った。
だがこれはいくらなんでも、素人の女子高生を引っ掛けるには、ちょいと、いや、こりゃかなり手が込みすぎだろう。
「それとも」
あたしに面白リアクションが取れると、そんな秘められた才能があると、プロデデューサーなりディレクターなりが見抜いたか?
だとしたらごめんなさい。
勘違いしちゃったみたいですよ、どっかのどこかの誰かさん。
残念ですけど。
「…………」
あたしはただただ呆然と、極々普通に面白くもなんでもなく、固まることしかできなかった。
少なくともこれで、あたしには芸人としての才能がないのだけは、どうやらはっきりしたみたいである。
そしてそんな将来に対する可能性の一つを否定したときだ。
後ろから不意打ちで声をかけられたのは。
「稀に結界を素通りしちゃう娘がいるんだけど……。こんなところに、こんなタイミングで迷い込むなんて、あなたもツイてないわね」
「はぁ……」
声が上ずる。
長くて綺麗な黒髪に蒼い瞳。
背は女性としては高め。
格好はといえば、とてもじゃないがあたしには、自分で言うのもなんだけど、絶対に着こなせないこと請け合い。
その瞳と同じ色合いのドレスの上から、やはり黒い外套、マントを羽織っている。
顔立ちは見蕩れるほどに、そして異様なほどに端正。同性であっても目を奪われずにはいられない。
こういう人のことを、こういう風に、きっと言うんだろう。
麗人。
「ふふっ、ありがとうお嬢さん。そう言ってもらえて光栄だわ」
「あっ!? い、いえ、いえいえそんな……その……本当のことで………ん? んん?……あらら?………その……それに…………」
そもそも一言も言ってねぇし。
「うん? ああ、ごめんなさいね。そんなつもりはなかったんだけど、あなた、私と波長が合うのか、すごく読みやすくて自然にね」
「はぁ……」
読んでるってそりゃどういうことですか?
悪いんですけどお姉さん。あっしにはとんと意味がわからねぇすよ。
だけれどもしかしてもしかすると、お姉さん、噂の(どの辺の噂かは知らないが)超能力者ってやつなんでしょうか?
「少し違うけど、まぁ、そんな感じかな。それから私の名前は…………数年前からは月(ユエ)って呼ばれ――」
“ドォォオオオンッ!!”
鼓膜を破らんばかりに響く獰猛な音。
お姉さん、月さんの身体が、弾かれたみたいに、いや、それは本当に弾かれたんだろう、バランスを崩して後ろへとたたらを踏んだ。
豊かな胸からは、黒い痕を残して、嫌な煙が立ち上ってる。
でも。
「あらあら。いきなりそんなもの撃ったりしたら、千絵さんがびっくりするじゃない、ねえ?」
それだけで、月さんはなんでもないように、平然と涼しい顔をしながら、あたしの後ろを見つめて微笑んでいた。
振り返る。
スクランブル交差点の向こう側。
いつの間にやら、男の人が立っていた。……無茶苦茶に凶悪で猛烈にゴツい銃を構えて。
「テメェがその名を気軽に名乗ってんじゃねぇぞ」
金髪。それも染めてるナンチャッテ金髪じゃない。その人は少しだけ長目のその髪を、後ろで縛って、ポニーテールみたいにしていた。
背の高さは月さんよりもちょっとだけ高い。
格好は黒いサングラスに黒いスーツ。
それだけで後の説明は不要なほど怪しかった。勿論、月さんの格好だって十分怪しいんだけどさ。
「そうかしら? だけどさすがに、コネリーくんほどじゃ――」
“ドォォオオオンッ!!”
「!?」
再び響く銃声。
あたしは顔をしかめた。耳がくわんくわんする。耳鼻科通院が必要になったらコイツのせいだ。訴えてやるっ!! 慰謝料寄越せっ!!
などと心中密かにあたしが叫んでる間にも、二人のシリアスなシーンは続いてる。
「俺の名も気軽に呼ぶんじゃねぇよ」
「罪悪感でも感じるのかしら? ……色々あったものね」
またしても見事に銃弾は、ど真ん中で胸へとヒットしてるのに、月さんは今度は小揺るぎもしない。
コネリーくんを見やる瞳が愉しそうだ。残酷に愉しそうだ。憐れむように愉しそうだ。慈しむように愉しそうだ。
とにかく愉しそうだ。
しっかし黒スーツのコネリーくん、初対面の、それも年上に対して、こういうこと言うのは、非常になんではあるのだが。
「短気だなぁ」
あたしもわざわざ口に出すことはないのに、思わず言ってしまうほどの直情型である。
声や見た目がクールっぽいので、そのギャップはなかなかに凄い。
「本当にねぇ。昔からそういうとこ変わってないわ」
「あん?」
聴こえた。
コネリーくんの切れやすい堪忍袋が、ぶちりっと、またまた良い音をさせて切れたのが。
視線はサングラスで隠れているが、どんな目つきをしているのか、どんな風に月さんを睨んでいるのか、想像するのは難しくはない。
だがさすがに三度目ともなると、撃っても無駄なのはわかっているので、無闇に発砲したりはしなかった。
指はぴくぴくしてたけど。
「そんな玩具じゃ近所迷惑なだけなのは、初めからわかってるでしょうに。ま、どうせ結界があるから音は漏れないけれど」
チラリと月さんはあたしを見る。
やはりその瞳も愉しそうだけれど、まるで不思議な生き物を見てるみたいな、そんな感じなのはあたしの気のせいなんでしょうか?
「少し千絵さんには、刺激が強すぎるでしょうし」
ええ。
もうさっきから一体全体なにがなんだか、これっぽっちもまったくわかりません。確実に女子高生の処理能力を超えてます。
早くお家に帰りたい。
「ふふっ。そうね。今日のところはコネリーくんも、手持ちのカードはそれだけでしょ?」
話を振られたコネリーくんは憮然としていた。
「オヒラキにしましょうか」
「…………」
していたが、その意見に反対はないようだ。
指摘されたそのものズバリみたいで、ここはどうやらコネリーくん、心底ムカついてるのはミエミエだが、従うしかないみたいである。
でもソッポを向いてる姿は、結構マヌケで可愛かったり。
「…………」
言ったりしたら絶対に怒るな。
「今夜は愉しかったわ。それじゃまたねコネリーくん、そして千絵さん……また会いましょうね」
「うおっ!?」
可憐な女子高生の驚きの声にしては、些か、いやかなり、聞き苦しい音で表現してしまいましたが、これ以上の表現方法はありえまい。
びびったね。
見目麗しい月さんのお姿が、ス――ッと、透けて希薄になっていく。
「あっ!?」
そして完全に消えた。初めからそんな人間など、存在していなかったように、綺麗さっぱり跡形もなく消えてしまった。
一分か二分か、それは定かではないけれど、ほけ〜〜と、口を開けていたあたしだが。
「ゆ、幽霊さん……だったり?」
興奮冷めやらぬ声で訊いてみる。
誰にって? そりゃコネリーくんに……って。
「なんだかなぁ」
スクランブル交差点の向こう側。
あちらも帰ろうとしていた。
徒歩で。
うん、まぁそれが普通なんだけどね。コネリーくんが手抜きしてるわけじゃないんだけどね。
「なんだかなぁ」
そんな謂れのない非難をするあたしの声が、はたして聴こえたのかどうなのか、コネリーくんがサングラスを外してこっちを見た。
「あ……れ……れ?」
なんとなく予想はしていたが、その遥か上をイっている。
趣味ではないけれど、これはこれで、いやいや、なかなかにコネリーくん、結構なレベルのイケメンだ。
でも性格の方も結構悪い。
「おいオマエっ!! 漫画のキャラだったら新聞部みたいな。そう、オマエだよオマエっ!!」
人のことを指差して叫ぶな。
「……なんですか? 映画だったらMIBに出てそうな外人さんっ!!」
言ってから気づいたけど、これって、あんまりお返しになってない気がする。
だけれどコネリーくんはなにが気に入ったのか、それを聞いてにやりと、そして背筋がぞくりとする笑顔を浮かべた。
「また会おうぜ、千絵」
どうしてなのかはわからない。
あたしは去っていくコネリーくんの背中を、見慣れた風景が戻ってくるまで、ただただ呆然と見送っていた。