幽霊が出るって知ってる?  
一階の体育館渡り廊下に続くところ、呪われているって。  
 
入学式に聞いたうわさを笑い飛ばしたことに後悔した。  
 
 
 
 
果物王国幽霊(1)  
 
 
 
 
 
窓からオレンジが差していて。  
外はまだ薄明るい、夕暮れの六時前。  
田舎の学校は果物畑が見えてその脇にある小学校にはもう、職員室以外灯りがついていない。  
枯れ枝はざわざわ、山の向こうへ日が沈む。  
教室内は三人しか残ってない。  
 
何を隠そう居残りですわたし。  
両手で顎を支え足をぶらぶらしてまた窓を見た。  
手元の紙には苦心した答えと空白が半々くらい。  
うん。  
いくらわたしでも勉強はしたとも。  
…頑張ってしたんだけど分からないものは分かんないんだった。  
教卓の先生をちらちらと見る。  
何か手元の黒表紙に書き込んでいた。  
ペンが引っかかる音。  
 
それから聞きなれた軽快な、鼻歌。  
 
軽く眼を閉じると差し込む夕陽は少し薄らぐ。  
もうひとりの居残りは、数学以外で絶対居残ることが無いからこんな時間もめずらしい。  
追試より一次関数より大事なものをわたしはきっと見つけたいのだ。  
斜め後ろでふんふんとハミングしては睨まれている、音楽に恵まれた志津果のように。  
「五分前だがらよ、見直しどけなぁ」  
訛りまくった先生がこちらを不意に見たので頬杖を外した。  
どうせわかんないけど、と適当に見直してちょっと気付いた簡単な足し算ミスだけ直しておいた。  
ストーブがごうんごうん音を立てやかんが沸いている。  
最近暖かくなったかと思えば東の雲から雪が少しだけ舞っていた。  
 
放課後、チャイムが薄い校庭の白に響いていく。  
 
 
ゲタ箱から出る頃にはもう山の陰が空よりずっと真っ暗だった。  
東京とかそういうところと違って、六時半にはコンビニ以外灯りがほとんど落ちてしまう。  
こんな田舎からお姉ちゃんみたいに早く出て行きたいとときどき憧れる。  
目の前を軽く歩いていくコートの背に声をかけたらよく響いた。  
「シヅー。さっきのさー分かった?」  
「えー?あー追試?さっぱりだ!」  
「わたしもだよ…またお母さんに怒られるー。やだなぁ」  
「頑張ってできなかっんだからたらしかたがないね。努力に胸を張ろうじゃないかふふふん」  
拘っていないのか志津果は一本の三つ編みをきっぱりと揺らす。  
数学だけ異常に苦手なのを除けば、優等生で胸が大きくなるのも早かったし、生徒会長候補はわたしから見ても男前だ。  
そして歌うときの笑顔は本当に幸せそうであったかいものに抱きしめられているみたいに、くすぐったそうに、薄い雪をさくさく踏んでいく。  
もうブラとか使ってるのかなあシヅカ。  
考えて二年新学期の身体測定を想像してみた。  
 
カラスが飛んでいく。  
校舎をふと見ると不自然に暗くて少しだけ怖かった。  
プールはその向こう、灯りのついた体育館の裏にある。  
…うん。  
また風が寒く吹き、なぜか心臓がはやくなる。  
来年は二年生だ。  
水泳部でもレギュラーを取ろう。  
気を逸らして歩き始める。  
「そういえば高梨ちゃん。」  
「なによぉ」  
「体育館脇の階段に、何か出るって噂がある。  
 感じたら教えてほしいな。そういう話、好きなんだ」  
びくっと肩が震えた。  
嫌なタイミングで嬉しそうにいうな。  
そういう話題はできれば勘弁してほしい。  
耳当ての上から耳を押える。  
「絶対やだから!怖い話なら聞かないからね」  
「ほんてなでそんなだめなんだが、怖い話。見えるくせに」  
呆れて軽く訛りを出し、シヅカが透明に笑った。  
校門に、立っている影を見た。  
一瞬足が止まった。  
眼を細めて確認すると、ふわりと身体が温まる。  
「…なんだ。わたるだ」  
「おう」  
変な話題だったので少し幽霊かと思ってしまったのに心で謝る。  
待っていてくれたんだ、と言いたかったけど口にしないで傍に寄った。  
小学校の頃からケンカばかりして、でもいつの間にか好きだった。  
だからちょっとだけ素直になって、彼女になれてとても嬉しい。  
こうして見ると本当に背が伸びた。  
怖い話なんかもうどうでもいい。  
…だって、実際にいる。  
いるんだから、怖かった思い出とか、いやでも思い出されて怖いのだ。  
そうして途中まで三人で帰った。  
 
 
途中の商店街に入る道で、シヅカが途中で分かれて手を振った。  
「んじゃ、また明日」  
おじさんのやっている古い酒屋はお手伝いが必要だ。  
一度手伝いをしているのを見に行ったけれど、すごくてきぱきして女っぽかった。  
わたしもそんな風になりたいと短く切った髪を整えもしない自分に、ちょっとわたるのとなりに居るのが恥ずかしくなる。  
別に可愛いものに興味が無いわけじゃないんだけど、普段適当にしてるので柄じゃないとか思ってしまうのだ。  
二月の終わりにしては寒い夕闇だった。  
コンビニで贅沢をして二人でひとつ肉まんを買った。  
知らない制服を着た男の子が立ち読みしていた。  
 
あれ。  
 
自動ドアが開く瞬間意識が向く。  
冬だというのに日に焼けている。  
中学校はこの辺りにひとつしかないのに、高校生らしい制服でもなかった。  
引っ越してきた誰かだろうか。  
転校生だろうか。  
旅行中とか、家出少年だろうか。  
「ほー。もしかして人間じゃなかったとか言うのか?」  
「んなことない。あの人、人間だもん、…それにそういう話しないでっていったべ!」  
家と家との間にある長い畑の道をいろいろ二人で言い合いながら歩く。  
いつものようにそんな風に、明日が来るんだろうなーと家に帰ってご飯を食べてごろごろして宿題しないで布団に入る。  
あ、ドラマを録画し損ねた。  
それ以外は何も変わらずいつも普通通りだ。  
「おやすみなさい」  
何にともなくつぶやく。  
カバーを太陽にさらした枕は暖かくて、引き上げた羽毛布団に肩を丸め込む。  
眼を閉じた。  
髪が伸びてきて頬にかかっているのが気になっていたけれどすぐに眠りに入ることができた。  
 
 
ごろ、ごろ。  
 
 
ごろごろごろ、がり。  
 
教科書で見た石のお金を転がすような音がする。  
なにか草とかひき潰してスープにするみたいなおとだ。  
…変なの、そんなわけないのに。  
目を開けた。  
おはようと制服を着る。  
朝ごはんを食べて靴を履いて学校に行く。  
昨晩降ったのか、校庭にはまだ少しだけ雪が積もっていた。  
校庭で立ち止まったらなぜかどの教室の窓も暗かった。  
一年生の南玄関からゲタ箱を抜けてだれもいない廊下を通る。  
もう八時なのに、誰も登校してこないんだろう。  
と思って腕時計を見たら二時半だった。  
空は明るいのに、良く分からないな。でもこんなこともまああるだろう。  
なぜかわたしは上履きをはかなかったらしく靴下で歩いていた。  
教室の前に男の子がうつむいていた。  
あ。  
近付いちゃいけない。  
――ごろごろと水音がして心が震える。  
 
靴下をタイルに擦って。  
教室の上のほうにあるガラスの引き戸にいっぱいカラスが積み重なっているのが見えた。  
「教室はカラスでいっぱいだァ」  
嬉しそうな声変わり前の明るい響き。  
「…なにこれ」  
なにがなにこれなのかよくわからないけど真っ黒な眼をして白目がないので、  
さわられるのがいやだったから目の前のおとこのこから逃げたいと思った。  
足首がからすにつつかれたみたいに痛い、  
「なにこれなにこれな」  
 
 
今度こそ眼が覚めた。  
一瞬、天井がなんなのか分からなくなる。  
うん。  
今度は起きてる、と思う。  
瞬きを繰り返して小さなオレンジ色の灯りを確認する。  
頭の下には枕が在るし、汗を吸い取っているのはお気に入りのパジャマだ。  
どきどきとまだ心臓がうるさかった。  
「……はあ…」  
「うなされてたわよ」  
安堵の息に重なり震える手に、冷たいものが触れた。  
細い手だった。  
枕元には黒髪をたらりとした制服の女の子が座っていた。  
「悪いものでもみた?」  
くすりと笑って最近憑いているみのりさんは、高校生くらいの優しいお姉さんの笑顔になって私の手を握っていた。  
「………」  
透けて薄暗い天井がある。  
しごく、複雑な気分だ。  
幽霊に怖い夢を見た後なごまされるというのはとっても変なことなんじゃないかな……。いいけど。なごんだから。  
「それともカレにふられる夢でも見てたんじゃないの?  
 あ、もしかして迫られて無理矢理押し倒されたりしてまだ早いのっいやっとかそんなところだった?  
 あらーじゃあ邪魔しちゃったかしら、ふふふっ」  
「……みのりさんが起こしてくれたの?」  
「ち。反応しろよ」  
みのりさんは生前ヤンキーだったに違いない。  
スカート長いし。髪は黒いけどふわふわだし。  
 
それでもちゃんと、にっこり笑って頷いてくれる。  
 
三つ折のソックスは白くてふくらはぎを隠していた。  
 
 
(つづく)  
 

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