異説聊斎志異「芽妃(がひ)」(聊斎志異「畫皮(がひ)」より)
昔々、ある所に王と言う秀才(役人候補生)が居た。
ある朝、彼が街なかを歩いていると、包みを抱えた一人の若い女が思い詰めたような顔をして歩いているのを見かけ、気になって声をかけた。
「どうしたんです? 若い女性がこんな時間に独り寂しそうに歩いているなんて」
「見ず知らずの方にお話しても仕方の無い事ですわ」
「話すだけでも話してごらんなさい。何か出来る事があるかもしれないから」
すると女は、金の為に両親に売られ、ある商家の妾になったのだが、本妻が焼餅を焼いて毎日のように折檻するので、我慢がならなくなって飛び出して来たのだと言う。
女は年の頃は十六くらいで、とても美しい容姿だから、それを妬まれたのだろうと王は納得し、更に尋ねた。
「それで、行く当てはあるのですか?」
「ありません。ですから、どうしたものかと途方に暮れているのです」
「それなら、私の家に来ませんか? 私の家には離れに書斎がありますから、そこに泊まると良いでしょう」
親切心と下心が相半ばする王の申し出に女が応じたので、王は女を連れ帰り、離れにある書斎にかくまった。
「連れ戻されるのが怖いから、私の事は誰にも仰らないで下さいね」
女の頼みを王は聞き、数日共に寝起きした後、妻の陳氏にのみ事情を話した。陳氏は女を家に帰した方が良いのではないかと言ったが、王は聞かなかった。
それからしばらく経ったある日の事、王が街なかを歩いていると、一人の道士が驚いた様子で王に声を掛けた。
「お主は一体何に遭ったのだ」
何の事かと尋ねると、道士は言った。
「お主の体に邪気がまとわりついておるのに、何も気が付かないのか」
王はぎょっとしたが、すぐに、この道士はインチキで、自分を脅かして金品をせしめようとしているのではないかと疑いを持った。
「いえ、怪しいものになど出会った事がありませんが」
「物の怪の全てが恐ろしい姿をしているとは限らん。美しい女や子供に化けて人間に取り入ると言う事もあるのだ」
美しい女と言う言葉に、一瞬あの女の事が脳裏を過ぎったが、彼女は煮炊きした物を食べるし、肌は折檻の為にか傷ついているものの、白く瑞々しく、吸い付くような心地良さだ。そんな美女が化け物とは、とても思えなかった。
「いえ、何も心当たりはありませんね」
答えて立ち去る王の背中を見送りながら、道士は深く嘆息した。
「愚かな、死が迫っていると言うのに気付かないとは」
(あれが化け物だって? そんな事、ある訳が無い)
王は思ったものの、段々と不安になって来たので、家に帰ってすぐ書斎に入ろうとしたが、書斎の門は固く閉じられている。
垣根を越えて中に入ると、部屋の戸も閉じられていた。
王はにわかに疑いを深め、回り込んで窓から中を覗き込んだ。
仄明るい部屋の中、女は何も身に付けず、机に置いた鏡を見て髪を整えている。
何度見ても美しいその肢体に王は安堵と喜びを覚え、用心を重ねて戸締りをしていたのだろうと思い直した、その時だった。
不意に、女の体に奇妙な変化が生じた。
胸の膨らみの狭間、心臓のある辺り……王の記憶では引っかき傷のような痕があった辺りに小さなこぶが生じたかと思うと、傷に沿って皮膚にぴりりと裂け目が生じ、何かが姿を現した。
ぐねぐねとのたうちながら現れたそれは数本の肉色の管で、太さは大人の中指ほどだが長さは腕ほどもあり、先端には口らしき穴がある。
それが床の上や女の体を這い回るさまはまるでミミズのようだが、女は気にも留めないようで、両手で髪をいじりながら不満気な顔で鏡を見ている。
よく見ればその腕にも数本の管が現れており、腕から指先へと這い進むと、女の手から髪を絡め取り、持ち上げる。
すると女は満足げに微笑み、一本の管が机から咥えて運んで来た紐を手に取って髪を結い始めた。
胸の管のうち半分は机の上に登って化粧品やかんざしをなぶっているが、もう半分は腹や太ももから現れた管と一緒になって体を這い回り、胸の膨らみを持ち上げたり、脚の間を押し開いたりする。
その間に、背中の方でも管が現れていたらしく、寝台に置かれていた衣服がずるずると女の方に引きずられていき、それを幾つもの管が拾い上げて女に纏わせてゆく。
管の一つ一つの動きは緩慢としているようだが、実に手際よく女の身なりを整え、ほどなくそこには、黒髪を結い上げ薄化粧をした美女が出来上がっていた。
呆然と一部始終を見ていた王はようやく我に返ると、がたがたと震えながら四つんばいになってその場を離れ、道士の姿を求めて走り回った。
やがて、かの道士を町外れの野原で見つけ、王は跪いて助けを求めた。
「道士様、私が間違っておりました! どうかお助け下さい!」
実は斯く斯く云々と、先ほど見たものを話すと、道士は頷き、言った。
「あれは人間の臓腑を喰らう物の怪でな、最初に心臓を喰らうと体中に根を張って体を動かし、次に脳を喰らって知識を得る。そうしてその者に成りすますと、
他の臓腑をゆるゆると食いながら別の獲物を探すのだ。もう少し気付くのが遅れていたら、奴はお主の心臓を喰らっていただろう」
「そ、それで、どうすればよろしいのでしょう?」
「……私が奴を捕まえよう。奴は人に害を為すが、そうしなければ生きて行けない事に苦しんでいる哀れな生き物だから、出来れば殺さずに捕まえたいのだ」
そう言うと、道士は持っていた払子(ほっす)を王に渡した。
「奴は強力な物の怪だがら、捕まえるには準備が要る。それまではこの払子を戸口に掛けて中に篭っていなさい。少しの間なら奴は家に近づけないだろう」
それから、次は何処其処の廟(道教寺院)で会おうと約束し、別れた。
王は家に帰ると妻に事情を話し、払子を戸口に掛けて寝室に篭った。
その日の夜更け、何やら外で物音がするので、王は妻に様子を見るように言った。
陳氏が玄関から門の方を見ると、かの女が門の辺りをうろうろしている。
女は母屋に入りたそうだが、払子を忌々しそうに睨んでは歯軋りしている。
やがて、女が遠ざかるので、諦めたのかと思っていると、戻って来て大声で罵った。
「忌々しい道士め! 一度口に入れた御馳走を吐き出すものか!」
そう言った途端、女の着物の袖から無数の管が飛び出し、払子をもぎ取ると、柄をへし折り、毛を毟り取って遠くに打ち捨てた。
払子の力か、管は焼けただれて白煙を上げ、女は苦痛に顔を歪めて唸ったが、すぐに残忍な笑みを浮かべ、母屋へ飛び込んだ。
玄関から恐怖の、奥から断末魔の悲鳴がして、使用人が主人の部屋に駆けつけると、寝室の扉と窓が壊され、寝台の上に主人が倒れていた。
王の死体は胸から腹が大きく裂かれており、心臓は抉り取られ、はらわたは千切れて床に垂れ下がっている。
遅れてやって来た陳氏は、変わり果てた夫の姿を見つけ、その体にすがって声もなくただ泣いた。
その翌日、王の弟である二郎が兄嫁の代わりに道士を訪ねた。
「何と言う事だ! 私は奴を哀れに思っていたが、間違いだった!」
事情を聞いた道士は怒り、二郎の案内で王の家へ行くと、空を仰いだり四方を見たりして何かを探しているようだったが、やがて二郎に尋ねた。
「あの南の家は誰の家だ?」
「私の家ですが」
「奴はお主の所に居る」
「なんですって?」
「今朝、不審な者が訪ねて来なかったか?」
「さぁ、私は貴方を迎えに行っていたので……ちょっと聞いてみます」
二郎は出て行ったが、ほどなく戻って来て言った。
「貴方の仰るとおりでした。今朝、一人の老婆が下働きに雇ってくれと言って来たのを、家内が留め置いていました」
「それが奴だ!」
道士は二郎と一緒に南の家へ行くと、庭の真ん中で木剣(道教で用いる儀礼用の木刀)を抜き、怒鳴った。
「化け物め! 俺の払子を返せ!」
すると、件の老婆が家から飛び出し、門の方へ逃げてゆく。
道士は追いかけ、その背中を木剣でばしっと打った。
と、老婆の体はまるで真剣で断ち割られたかのように裂け、胸の辺りから奇妙な肉塊がずるりとこぼれ出た。
それは大人の握り拳ほどの大きさで、心臓のようにどくどくと脈打ち、そこから伸びた無数の細い管が鼠の声のような声を上げてのた打ち回っている。
その肉塊に道士が木剣を突き立てると、それは一際高い声で鳴き、白い煙を上げながら力なく地面に垂れ、やがて動かなくなった。
道士は木剣を収めると腰に下げていたひょうたんを取り、栓を抜いてそれに向けた。
すると、それはつるりとひょうたんの中に吸い込まれ、後には臓腑の無い老婆の死骸が残ったが、肉塊が消えると同時に白煙を上げて溶け崩れ、跡形も無く消えてしまった。
そのまま道士が帰ろうとすると、陳氏がやって来て、夫を生き返らせて欲しいと涙ながらに伏し拝んだ。道士が出来ないと言っても陳氏は動こうとしない。
道士は沈思黙考し、やがてこう言った。
「私は修行が浅いから無理だが、あの人なら或いは出来るかもしれない」
「どなたですか?」
「街なかに、一人の物乞いが居る。いつも馬鹿な振る舞いをして、泥の中でも平気で寝るような人だが、貴方自身が行って、強く頼めば願いを叶えてくれるかもしれない。但し、どんな無理難題を言い、貴方の名誉を傷つけるような事をしても、決して逆らってはなりませんぞ」
二郎がその物乞いに心当たりがあると言うので、陳氏は道士と別れてすぐに二郎の案内で物乞いを訪ねた。
物乞いは道端に寝そべり、歌を歌っていた。
その姿は泥や鼻水などでぐちゃぐちゃで、とても近づけたものではなかったが、陳氏は意を決し、物乞いの前に膝を折った。
「何だ別嬪さん、俺に気があるのか?」
物乞いは笑って言った。
陳氏が事情を話し、願うと、物乞いは更に大声で笑った。
「おかしな事を言う。死んだ人間を生き返らせてくれ? 俺は閻魔か?」
そして、持っていた杖で陳氏を打ったが、陳氏は黙って耐えた。
そのうち、街の人々が何事かと足を止め、周囲に人垣が出来る。
そんな中、物乞いは掌一杯に痰を吐き、陳氏に突き出した。
「そんなに俺が好きなら、これでも喰え」
陳氏は顔を真っ赤にして困り果てたが、道士の言いつけを思い出し、飲み込んだ。
と、それはまりのようにコロコロと固まり、胸の中でつっかえたような気がした。
「別嬪さん、そんなに俺の事が好きなのか?」
物乞いはそう言うとおもむろに立ち上がり、どこかへ行こうとする。
陳氏が後を追うと、何処かの廟に入っていった。
その後を追って中へ入ると、どうやら廃寺らしく、明かりも人の気配もしない。
あの物乞いは何処へ行ったものかと見回していると、不意に暗がりの中で何かが動き、陳氏の体に触れた。
驚きに声も出せないでいると、何かが無遠慮に着物の裾をめくり上げ、固い物がずるりと下着の中に突っ込まれた。
どろりと粘ついた感触と、鼻を刺す悪臭は、物乞いの手に似ているような気がした。
気持ち悪いやら痛いやらで悲鳴を上げ、廟を出た陳氏を、近くに来ていた人々は最初驚きの目で見たが、それから目を逸らしたり、くすくすと笑いあったりした。
はっとして我が身を見ると、着物は乱れ、肌も着物も物乞いがまとっていた汚泥にべっとりと汚れて悪臭を放っている。
そして、脚の間には、胸につかえているのと同じような感覚が残っていた。
陳氏はいたたまれなくなり、逃げるように家へ帰ると体を清め、胸でつかえている固いものを吐き出そうとしたが、何も出て来ないし、消えもしない。
夫は生き返らないし、人前で痰を喰わされるしで、悲しいやら恥ずかしいやら、死にたいと願うほどに辛かったが、何はさておいても夫の身支度を整えなければと思い直し、陳氏は寝室へ向かった。
昨夜以来、使用人は恐れて寝室に近付かず、一日経ってもそのままになっていた。
陳氏は一人で夫の体を拭き清め、残ったはらわたを中に収め、着物を調えてやった。
支度が一通り終わると、また先ほどの悲しさが襲って来て、思わず涙をこぼした。
その時、急に胸のつかえが上へと込み上げ、陳氏は顔を背ける間もなくそれを夫の腹の上に吐き出してしまった。
驚いてそこを見ると、何と、そこには人間の心臓のような肉塊があった。
それはびくびくと力強く脈打ち、冷たい夜気の中でもうもうと湯気を立てている。
もしや、と思い、陳氏はそれを裂けた腹の中に収め、強く抱き締めた。少しでも腕を緩めると合わせ目からもうもうと湯気が出るので、彼女は心臓がこぼれ出ないように支えながら、手近な布を裂いて夫の体に巻きつけた。
そうしていて、今度は股の方で何か固い物が動いたような気がした。
もしやこれもと思い、着物をからげて覗き見たが何も見えず、ただ、熱く脈打つ固い物が身を揺すりながら中へ向かって進み、腹の中が膨れるような痛みを感じた。
あまりの痛みに陳氏は夫の体にしがみつき、歯を食いしばって耐えていたが、次第に、奇妙な疼きを感じるようになった。
それは男の物のように固くなって前後へ蠕動しながら、腹の中に入ると赤子のように丸まってくるくると回っているような気がする。
秘事の快感と出産の苦痛に似た異様な感覚に喘ぐうち、それはとうとう腹に収まり切らないほど大きくなり、一端が股の間から押し出されて来た。
それは人間のはらわたに似た肉塊で、先ほどの心臓と同じように力強く脈打ち、熱い湯気を立てている。
陳氏はそれも夫の腹に収めようとしたが、いきんでも一息には出て来ず、ともすれば戻ろうとして、中の壁と外の芯を擦られて力が抜けそうになる。それでも、夫を助けたい一心で跳ねる体を懸命に抑え、腹に力を入れてそれを外へ出そうとした。
それからしばらくして、はらわたを全て生み出した陳氏は疲れ切った体に鞭打ってそれを夫の腹に収め、隙間が出来ないように布できつく縛った。そして夜着を着せ、手足をさすったり声をかけたりして、生き返る事を一心に願った。
すると、次第に夫の体が温かくなり、息をするようになり、夜明けになるととうとう生き返って、こう言った。
「何だかぼんやりとして、まるで夢のようだ。ただ、胸がちくちく痛む」
後に布を解いてみると、裂かれた所は赤い線のようなかさぶたになっていたが、程なく消え、すっかり元の通りになった。
この話を伝え聞いた人々は不思議がると共に、夫を想う陳氏の強さに感心した。
また人々は、件の物乞いは尊い神仙ではないかと思い、訪ねようとしたが、物乞いも道士も既に姿を消し、行方は杳として知れなかった。
(終)
異説聊斎志異「芽妃」蛇足
王が蘇生した頃、町外れの野原に二つの人影があった。
「全く、お前のせいで折角住み慣れた住まいを変えにゃあならん」
「申し訳ありません……が、しかし、責任の幾らかは師淑(師匠の弟弟子)にもあると思いますが」
こざっぱりとした白い衣に着替えてはいたが、それはかの物乞いと道士であった。
「あんな不衛生で不確実な方法を取らなくても、きちんと瓶で育てたモノを差し上げればよろしかったのに」
「馬鹿かお前は。化け物から薬や臓腑を作る技があるなんて世間に知れてみろ。左道(邪悪な魔術)の徒としてお前も俺も死刑になり、折角の知識が全部灰にされちまうだろう。
だから、謎の偉い仙人様が奥方の心に打たれて臓腑を作ってやったって事にしといた方がいい……と咄嗟に考えた俺の機転がわからないのか?」
物乞いは道士を睨む。
この物乞い、実は修行を積んだ仙人なのだが、面倒なしきたりや付き合いを嫌って天宮にも冥府にも仕官せず、地上に留まって気の向くまま趣味に打ち込んでいる。
しかし、その一番の趣味と言うのが「妖怪の活用方法の研究」だから、左道の徒と思われてもおかしくはないし、ともすれば天宮や冥府に睨まれるような代物だ。
それを自身で理解しているので、仙人は芸人や物乞いなどを装って正体を知られないようにしている……と本人は言うが、半分は単なる趣味だろうと道士は思っていた。
「ああ、元を糺せば、あんな化け物を作っておいて処分しなかった馬鹿もんが居るのが悪いんだ。しかも、飼うなら飼うできちんとしつけておくべきを、
しつけられないどころか自分が餌になってるんだから世話がない」
「その馬鹿者は貴方の元弟子でしょう。あの『芽妃』にしたって、元となったのは貴方の作ったモノでしょう。やはり原因は色々と管理不行届きだった貴方の……」
「言い草だけは一人前だな。お前の師匠は無口で利口だったのに。俺はお前の力を見込んで始末を頼んだのに、しくじったばかりか俺の正体をばらしよって。
お陰で大勢の人の前であんな芝居を打つはめになっちまっただろうが」
「えっ? あれは素でやっていたんじゃなかったのですか? あんまり楽しそうにやっているから、師淑はつくづくえげつない人だなぁと思っていたのですが」
「つくづく!?」
「あ、いや、つい本音が」
失言に失言を重ね、道士はおおっとと言って己の口を押さえたが、仙人は怒りに顔を引きつらせている。
「師淑、そんなに怒って心を乱しては修行が無駄になってしまいます。ただでさえ仙人の癖に勝手気ままで、徳があるんだかないんだかわからないくらいなのに」
「……」
いよいよ堪忍袋の緒が切れそうになった仙人だが、ふと何かを思い出したようで、口の端を歪めて意地悪そうに笑った。
「……ちょうどいい、西域に遊学している弟子がこんな物を送って寄越したんだが、お前で試してやろうか?」
そう言って仙人は、何処からか片手に余るほどの瑠璃の壺を取り出した。
壺の中には水のような液体が満たされ、その底では猫じゃらしの穂先に似た奇妙な生き物が蠢いている。
壺の横には、こんなラベルが貼られていた。
・口腔洗浄用触手〈ぎゃぐぼ〜る君とれびあん〉試作ばーじょん2
口の臭いが気になる貴方、虫歯が痛くて仕方が無い貴方の強い味方!
微細な繊毛が優しく気持ちよく、貴方のお口を隅々までねぶり尽くします!
注意! 使用上の注意をよく読み、口腔洗浄以外には用いないで下さい。
過度の使用は貴方の健康を損なう恐れがあります。吸われ過ぎに注意!
ぷれぜんてっどばい触手拷問研究所●●支部
「送り主曰く、こいつは『言葉を忘れるほどの心地良さ』だそうだ。こいつを口一杯に詰めて磨けば、その生意気な口も少しは改まるだろうよ」
「済みません許して下さい鉄冠道人」
「まだ冗談が言えるかお喋り小僧」
「いや本当に済みません勘弁して下さい」
眼前で瓶の蓋を開けようとするのを押し留めながら、道士は仙人に平謝りに謝る。
仙人はふんと鼻を鳴らすと壺を何処かにしまい、今度は大きなひょうたんを取り出して地面に置いた。
「まあいい。何はともあれ、新たな住まいを探さんとな」
そう言いながら栓を抜いて傍らに置き、その口に足を乗せると、仙人は形をなくしたようにつるりと中へ吸い込まれた。
言い伝えに、壺の中に豪華な屋敷を造り、好きな時にそこで休んだ仙人が居た、と言うが、このひょうたんはそれと似たような代物であった。但し、中にあるのは金銀珠玉に飾られた屋敷ではなく、奇々怪々な標本や薬品に埋め尽くされた修行場であるのだが。
道士はふと溜め息をつき、ひょうたんを眺めやった。
師匠が志半ばに亡くなって以来、この仙人を頼って修行を続けている道士は、その奇矯さに呆れながらもその心根は善であると信じ、敬意を払って仕えている。
昨日の事も、予め人間の臓物のような働きをする改良生物の種を幾つか用意しておき、芝居をしながらそれを理想的環境に植えたのだ。
やり方はともかく、結果として死者を生き返えらせ、一つの家に幸せを与えたのだ。善か悪かと区別するなら善であろう。
「どうした、早く来ないか」
「ああ、申し訳ありません。今行きます」
ひょうたんの中から呼ぶ声に道士は苦笑して答え、ひょうたんに足を乗せると、仙人と同様につるりと中へ吸い込まれる。
そして、栓がひとりでに閉まるとひょうたんはすぅっと空に浮き上がり、瞬く間に彼方へと飛び去ってしまった。
(今度こそ終)