芋虫みたいに不気味に動く指が、あたしの毛の感触を楽しんでる。  
あたしの自慢だった毛並。  
白に薄く、でもくっきりと入ったグレーの縞。  
ほかのコよりちょっとだけ長くて柔らかい毛。  
みんなが褒めてくれるのがうれしくて、毎日ちゃんと手入れをしていた。  
その毛並が、今、汚されている。  
かき混ぜられ、逆立てられ、絡められ、毟られる。  
 
嫌だ。  
でも、抵抗できない。身体があたしのいうことを聞かない。  
息が熱い。  
足のあいだが疼く。  
まるで“サカリ”のときみたいに。  
でもちがう。これは“サカリ”なんかじゃない。  
“サカリ”のときの幸せな気分がどこにもない。  
あの臭いのせい。  
あいつらが、草のようなものを燃やして出す臭い。  
身体だけを無理やり“サカリ”にする臭い。  
心と身体をばらばらにする臭い。  
 
全身を撫で回す大きな手に、身体が勝手に反応する。  
足の内側の毛がべとべとになっていくのがわかる。  
突然しっぽの根元近くを乱暴につかまれて、身体が大きく跳ねた。  
気持ちよくなんかない。  
ぜんぜん、気持ちよくなんかない。  
悲鳴を上げたい。  
でも喉から出るのは、甘い声。  
あのときにしか、出したことのないような甘い声。  
 
あたしじゃない。  
あいつらの馬鹿でかい“アレ”を舐めて、喉を鳴らしているのはあたしじゃない。  
うつぶせのまま腰を高く上げて、あいつらを誘っているのはあたしじゃない。  
ねじ込まれた太い指を締め付けて、腰を振っているのはあたしじゃない。  
 
こんなの、あたしの身体じゃない。  
 
あいつらは散々あたしを弄んだあと、冷たい石の床に放り出して出て行った。  
部屋の外、壁にはまった格子の向こうから、何を考えているのかわからない  
眼でこっちを見る。  
あれは、たぶん逃げようとしたあたしに対する罰だ。  
ここから逃げることなんかできないって、あたしの身体に教え込むための罰。  
 
あいつら、“毛のないヒト”は、大きくて乱暴で、嫌な臭いがする。  
背の高さはあたしの倍ぐらい。  
あたしの知ってるいちばん大きなオトコのヒトでも、たぶんあいつらの  
胸ぐらいまでしかない。  
そのぶん動きが遅いから、うまくすり抜ければ逃げられるはず。  
そう思ったんだけど。  
そんな簡単なことじゃなかったみたい。  
あの嫌な臭いで身体の自由を奪われて、あっさり捕まってしまった。  
 
臭いの効果は、もう切れたらしい。疼くのは止まってる。  
ただ、身体が重い。寝返りをうつのすら、つらい。  
体中からあいつらの嫌な臭いがして、吐きそうになる。  
 
ここにつれてこられてから何日たったんだっけ。  
昼と夜を3回までは数えたけれど、そこからさきは数えるのをやめた。  
数えてもしょうがないことだって気づいちゃったから。  
 
手が届かない高いところにある小さな窓から、暗い空が少しだけ見える。  
目を閉じる。夏の空を思い出す。  
いちばん幸せだったとき。  
大好きなヒトに抱かれたときのこと。  
薄茶の毛が日に透けると金色で、とても綺麗なヒト。  
大きくて強い、大人のオトコのヒト。  
 
あたしから、誘った。  
あたしはまだ“サカリ”が来るようになってから日が浅くて、うまくできるか  
不安で。  
でも、どうしたらいいかわからないぐらいそのヒトに憧れてて。  
半分泣きながら、震えながら誘った。  
いっしょにいたもっと年上の女じゃなくて、あたしの誘いを受けてくれたのは、  
かわいそうに思ったからなのかもしれない。  
すごく、やさしかった。  
耳とか、しっぽの付け根とかを舐められるのが、あんなに気持ちがいいなんて  
知らなかった。  
あたしの中で熱いものをはじけさせながら、次の春には仔を作ろうって  
約束してくれた。  
お前はまだ若すぎるけど、仔を作れるぐらい大人になったらまた抱きたいって。  
オトコのヒトが、どのオンナにも同じことを言うっていうのは知ってる。  
でも。  
お前の匂いがいちばん好きだって言ってくれた。  
いい匂いがするって。  
 
……あたしの匂い。  
あいつらに汚された、あたしの匂い。  
あの夏の日には、もう、もどれない。  
 
 
誰か、いる。  
小さな気配。だらしなく倒れてるあたしの、すぐ隣。  
優しい、感触。  
ざらざらした、ヒトの舌。  
あたしを舐めている。  
乱暴にされてすりむいた傷、乱された毛並、涙。  
優しく、いたわるように舐める。  
まだ小さい、コドモの舌。  
夢だ、きっと。  
春に産むはずだった、あのヒトとの仔の夢。  
 
 
くすぐったくって、目が覚めた。  
あたしのおなかの横あたりで、コドモが丸くなって眠っている。  
乳離れしてるかしてないかぐらいの小さな仔。  
真っ黒なつやのある毛のオトコの仔。  
あの優しい舌は、この仔だったのかな。  
母親と間違えたのか、あたしの乳首を咥えてる。  
くすぐったいはずだ。  
あたしは少しだけ穏やかな気持ちになる。  
こんなところに閉じ込められて、さんざん弄ばれて、この先あたしに  
そういう機会なんて望めそうにないけど。  
母親になるのって、いいなって思った。  
 
 
目を覚ましたオトコの仔は、あわててあたしに謝った。  
 
「ごめんなさい。おれ、かあさんの、夢見てて」  
 
緑色の綺麗な眼を大きく見開いて、しっぽの毛を逆立てて。  
顔に比べて、バランスが悪いほど大きな耳を倒して。  
そのあわてかたがあまりにかわいらしかったので、あたしは久しぶりに  
声を出して笑った。  
本当に、久しぶりだ。  
 
「気にしなくていいよ。それより、あたしが倒れてたとき、ずっと舐めて  
 くれてたのはあんた?」  
 
オトコの仔はためらいがちにうなずく。  
 
「ありがとう。あれでずいぶん楽になった。あたしはギン。あんたは?」  
「クロ。……ギンは、東の草原から連れてこられたヒト?」  
「たぶん」  
 
あたしはあの草原しか知らないから、あそこが“東の草原”って場所なのか  
本当のところは知らない。  
ここがどこなのかもよくわからない。  
ただ、小さいころ母さんに“いたずらすると西から毛のないヒトがさらいに  
来るよ”みたいな脅され方をしたのを覚えている。  
何か悪いことをしたから、さらわれちゃったのかな、あたし。  
 
「この部屋につれてこられるとき、あいつらが話してるの、聞いた。こないだ  
 東の草原で捕まえたのは、いい毛並みのが多かったって」  
「あいつらって……。コトバ、わかるの? 毛のないヒトの」  
「どんなこと言ってるかは、だいたい。わかんないのも多いけど」  
 
信じらんない。思わずクロの顔をまじまじと見てしまった。  
たしかに賢そうな顔はしてるんだけど。  
毛のないヒトたちのコトバはあたしたちのとぜんぜん違う。  
口のカタチが違うから真似することも出来ないし、複雑な音を聞き取ることも、  
あたしには無理だった。  
 
「おれ、ここで生まれたから。ずっと聞いてたら、ちょっとずつわかるように  
 なった。かあさんにも、いろいろ教わったし」  
 
ここで生まれて、育つ。あいつらの近くで。  
嫌な臭いの中で、閉じ込められて。  
見たくないものもいっぱい見てきただろう。  
でも、この仔の眼は濁っていない。  
それが救い。  
 
「なんでクロ、この部屋に連れてこられたんだろね。……クロの母さん、  
 きっと心配してるね。引き離されて」  
 
クロは、あたしに背を向け自分のひざを抱えた。  
 
「かあさんは、……もう死んじゃった」  
 
背中がかすかに震えてる。悪いことを聞いてしまった。  
あたしはクロの隣に座り、肩を抱き寄せる。  
 
「ごめん。知らなかったから……」  
 
泣いてるのかと思ったけど、鼻筋にちょっとしわを寄せて耐えている。  
強い仔だ、と思う。  
 
「この部屋につれてこられて、ギンが倒れてるの見たとき、……このヒトも、  
 死んじゃってるのかと思った。かあさんと同じで、ぼろぼろになってて」  
 
クロ、少しだけあたしに体重を預ける。  
 
「でも、ギンはあったかかった。うれしかった」  
 
クロの眼の端の、滲んでしまった涙を舐めとる。  
まだ産毛が抜け切れていない、幼い毛並。  
本当なら、母親に守られて幸せな夢を見ていられるころなのに。  
背中を優しくなでる。  
 
指先に、何か当たった。クロが少し身を硬くする。  
傷? 指でたどる。  
肩からしっぽの付け根まで、斜めに走る長い傷。  
もうふさがって肉が盛り上がっているけど、かなり深い傷。  
 
「これ……。ひどい。あいつらにやられたの?」  
「ちがう。かあさんが、つけた」  
「なんで自分の仔に、そんなことしなきゃならないのよ」  
「だって、この傷なかったら、おれ今生きてない」  
 
そして、クロが語ったのは、ここの過酷な現実。  
覚悟はしていたけど、それ以上に悲惨なあたしたちの行く末。  
 
「オトコは、殺されて皮をはがれるから。……大きい傷あれば、いい毛皮に  
 ならない。この傷は、そのため。……キレイに治るまでは、生きていられる」  
 
あたしは息を呑んだ。  
そして、なんであたしたちが狩られたのか、やっとわかった。  
“毛のないヒト”は、身体にいつも何かつけている。  
頭とか、顔の一部にしか毛が生えてないから、寒さを防ぐのに必要らしい。  
もうすぐ冬だ。  
あたしたちの毛皮は、暖かい。  
 
「……東の草原で捕まったヒトたちも、もう、いっぱい殺されてる」  
「草原のオトコたちは強いよ。そんな簡単には殺されない」  
 
クロは目をつぶって首を振る。  
 
「あいつらは、変な臭いの草を使う。それの臭い嗅ぐと、動けなくなる。  
 どんなに強くても」  
 
変な臭いの草。  
あたしの身体を“サカリ”にした、あの臭い。  
逃げようとしたあたしを動けなくした、あの臭い。  
動けなければ、強いオトコたちでも、死を待つだけ。  
 
気が遠くなる。  
あのヒトも捕まったんだろうか。あたしの大好きな、金の毛の。  
うまく逃げられたかもしれない。  
きっと、逃げて、生きてる。  
そう信じようと思う。無理やりにでも。  
 
「ねえ、クロ。あたしはなんで殺されないんだろ」  
「オンナは……違うこと、される」  
 
クロが搾り出すような声で言ったこと。  
その言葉のかけらを集めて、私が理解したこと。  
 
“毛のないヒト”たちには、“サカリ”の季節がない。  
1年中、いつでもヤることができる。ヤりたがっている。  
仔を作るためじゃない。欲望を満たすのが目的。  
相手は“毛のないヒト”のオンナじゃなくてもかまわない。  
つまりあたしたちは、代用品。  
あいつらのものはそのままじゃ入らない。身体の大きさが違いすぎる。  
だから、あいつらはあたしたちに仔を産ませる。  
仔を産んだオンナの“アソコ”は、あいつらのがギリギリ入る程度  
広がるようになるらしい。  
でも、長くは持たない。身体も、心も、壊れる。  
あいつらは、あたしたちが壊れていくのを楽しむ。  
 
そして、使い捨てられる。  
 
クロのかあさんは、腹の中を破られて血だらけになって死んだ。  
最期は心も壊れきっていて、手を握っているのが自分の仔だってことすら  
わからなくなってた。  
 
クロは、そんなことを舌っ足らずな幼い口調で、淡々と話す。  
あたしは、クロを抱きしめて泣いた。  
自分の身にこれから起こることも怖かったけど、それよりも、こんな  
小さな仔が見てきたひどい世界のほうが悲しくって、やりきれなかった。  
 
「あたしに仔を産ませるために、クロ、この部屋に入れられたのかな」  
「……たぶん」  
「それって、へんだよね。クロはまだ、仔を作れるほど身体が出来上がって  
 ないもの。……2年もたてば、すごくいいオトコになりそうなんだけどね」  
 
ウソじゃない。毛並はきれいだし、身体の大きさのワリに手足が太い。  
大きくて強くて、美しいオトコに育つはず。  
 
あたしがあいつらの年齢をわからないように、あいつらもあたしたちの年齢が  
わからないのかもしれない。  
それにしても、クロはここで生まれたんだし、わかりそうなものだけど。  
 
「あいつら、バカなのかもしれないね」  
 
そう言って、クロの眼を覗き込んで微笑む。微笑もうと努力する。  
失敗してる。きっと。  
 
それからあたしたちは、いろんな話をした。  
クロは、見たことがない外の世界の話を、眼を輝かせて聞いていた。  
夏の草原を渡る風の匂い。  
おいしいサカナのいる川。  
大好きなヒトと一緒に見た朝日。  
あんな美しい世界を、クロにも見せたい。  
 
逃げられるかどうかについても、話し合った。  
ここのことは、この部屋の外のことをほとんど知らないあたしより、クロの  
ほうがずっと詳しい。  
この部屋があるのと同じような、石でできた建物は5つある。  
それともうひとつ、大きい建物。あいつらは、そこに住んでいる。  
小さい建物のひとつは、たぶんオトコたちが皮を剥がれるところ。  
強い血の臭いがして怖かったそうだ。  
この建物に閉じ込められているのは、今のところあたしたちだけ。  
部屋はあと3つあるけど、誰も入れられていない。  
ほかに捕まっているオンナがいるとしても、別の建物だ。  
力を合わせて逃げるのは無理そう。  
 
あいつらが、全部で何人いるのかはわからない。  
クロが同時に見たことのあるのは、12人。  
それよりは多いということか。  
この建物の中にはいつも見張りがいるけど、外にはあまりあいつらはいない。  
クロは、外にさえ出られれば逃げることができるかもしれないという。  
外なら。風があれば、臭いの影響も少なくなるだろう。  
 
見張りに捕まらずに外に出ることはできるだろうか。  
この部屋の高いところにある窓。空が少しだけ見える、あの小さい窓。  
あたしは無理だけど、クロならあそこを抜けられるかもしれない。  
問題は、どうやったらあんな高い窓に届くのか。  
見張りの目を盗んで、試してみた。  
あたしの頭の上にクロが立って、思いっきり飛び上がる。  
結局窓には届かず、落ちてきたクロをあわてて受け止めることになって  
しまったけど。  
 
なんとかして、逃げる方法を考えよう。  
話し疲れて、あたしにもたれて眠ってしまったクロを、撫でながら思う。  
まだ逢ってから半日しか経ってない。  
でも、この仔のおかげでなにか変わった。  
ひとりだったらきっと、もうあきらめてた。  
クロがいるから、少しだけ、強くなれる気がする。  
 
部屋の外が騒がしくなった。見張りの数が増えている。  
窓から逃げようとしていたことがばれたんだろうか。  
でも、部屋に入って来る様子はない。  
またあたしの身体を弄り回すのかと思ったけど、違うらしい。  
 
あの臭いがする。  
あたしを“サカリ”にする臭い。  
でも、前に嗅がされたときよりはずっと弱い。  
ゆっくりと、でも、ほんとうの“サカリ”よりは強引に、身体が変わっていく。  
 
何かを期待するようにあたしとクロを嘗め回す、あいつらの視線。  
ああ。そうか。  
なんとなくわかった。  
あたしは力がぬけかけた身体で、眠っているクロを抱きあげる。  
起こさないように気をつけて、部屋の隅に移動させる。  
そして、クロがいるのと逆側の隅に座り、身体を縮ませる。  
 
あいつらはわかっていたんだ。  
クロが、そういうことをするにはまだ幼すぎるってこと。  
わかってて、こんなことをするんだ。  
 
身体が熱くなる。  
息が荒くなる。  
疼く。疼く。疼く。  
変化がゆっくりなせいか、心が身体に引きずられている。  
欲しくなる。  
だめ。  
あたしは脚をきつく閉じた。  
 
あたしたちオンナの身体は、本当なら季節を感じて“サカリ”になる。  
オトコたちは、“サカリ”になったオンナの匂いで“サカリ”になる。  
クロに、今のあたしの匂いを嗅がせちゃいけない。  
 
あいつらが見たいのは、あたしたちが壊れていくところ。  
あたしがクロを守りたいと思ったこと。  
クロがあたしにくれた暖かい気持ち。  
そういったものが崩れていくところ。  
あたしたちは、見世物。  
 
残酷だ。  
ただ、こういうことをさせるだけなら、クロをこの部屋に入れたときに草を  
燃やせばよかったのに。  
あたしとあの仔の心が触れる前に。  
 
腰が緩む。  
気が遠くなる。  
耐え切れず、身体を壁にこすり付ける。  
広がってしまいそうな脚を交差させる。  
だめ。これは、……刺激。  
脚がびくんと跳ねる。  
身体の中に溜まっていたものが流れ出た。  
脚のあいだが濡れる。あたしの匂いが立ち込める。  
あわててしっぽを巻き込んで押さえる。  
だめ。もう、だめ。どれも、刺激。  
もう、何をしても、甘い疼きに飲み込まれる。  
息が、声が、漏れる。  
こらえなきゃ。  
クロが起きてしまう。  
 
腰が勝手に動く。  
脚のあいだに挟んだしっぽに、あの部分を強く押し付ける。  
こすり付けてる。すべる。……水音。粘つく、水音。  
我慢、しなきゃ。だめ。  
クロが寝ているあいだに臭いが尽きれば。  
あいつらが飽きれば。  
だから、だめ。  
声を出しちゃ、だめ。  
腕を噛む。血の味がするほど、噛む。  
耐える。耐えてたのに。  
 
「ギン?」  
 
クロの、声が、した。  
起きて、しまった。  
 
「ギン、だいじょうぶ?」  
「だ、だめ。こっち、クロ、きちゃ、だ……めッ」  
 
声を出したとたん、それが来た。  
頭の中が爆発する。  
身体がのけぞる。ふるえる。  
足が痙攣する。  
声が。声が止まらない。  
 
「ギンっ」  
 
クロが駆け寄ってくる。  
あたしの身体に触れる。  
思わず、あたしは吐息を漏らす。  
触られるだけで、あたしの身体は震える。  
もう、おしまい。  
クロの鼻があたしの匂いをとらえて、ぴくりと動く。  
クロの匂いが変わっていく。  
仔の匂いから、オトコの匂いに。“サカリ”の、オトコの匂いに。  
 
「ギン、ギン、おれ、なんか、へんだ。匂い。すごく」  
 
クロは、横たわるあたしのとなりにぺたんと腰を下ろす。  
かすれた、つらそうな声。身体が変わることに戸惑っている声。  
クロに、謝らなきゃ。まだ、そうなるのには、早いのに。  
あたしが悪いのに。あたしが我慢できてれば、クロはそんなことに  
ならないのに。  
……そう思うのに。  
あたしの眼は、クロの、オトコの匂いを放つ部分を見ている。  
ふだんは柔らかいおなかの毛に隠された、小さいけど、硬そうな。  
眼を、逸らせない。  
身体を起こす。もっと近くで匂いを嗅ぎたい。触れたい。  
手を伸ばす。  
 
その手を、クロが、とった。  
優しい舌。  
噛み傷。さっき、あたしが自分でつけた噛み傷を、クロが舐めてる。  
“サカリ”が来たオトコなら、舐めたい場所はほかにあるはずなのに。  
なのに。クロは、あたしの傷を舐める。  
 
そうだ。あいつらの思い通りになる必要なんて、ないんだ。  
あたしたちは壊れないですむ。  
 
あたしはゆっくり起き上がって、クロを抱きしめた。  
震えてる。  
ヒゲが触れ合っただけでも、身体がびくりとする。  
無意識のうちに、おたがい身体をこすりつけあってる。  
 
「おれ、どうなるのかな。ギンに、ひどいこと、しちゃう?」  
 
心細そうな声。  
クロにとって、こういうことは、ひどいこと。  
クロのかあさんを殺した、ひどいこと。  
でも、違う。違うんだ。  
あたしは、返事の代わりに小さな鼻をなめる。  
小さいクロ。あたしより頭ふたつぶんも小さいクロ。  
でも、あたしより、ずっと強い。ずっとやさしい。  
クロの耳に口を寄せる。ささやく。  
 
「オトコはね、オンナの誘いを断れないものなの。だから、クロは悪くない」  
 
クロの耳をなめる。あの夏の日、あのヒトに教えてもらった気持ちいいところ。  
クロが喉を鳴らす。  
 
「あたしも悪くないことにしてくれる? あの臭いにはどうしても逆らえない」  
 
首筋をクロの頬にこすりつける。クロがうなずくのを感じる。  
 
「クロは、あたしのこと、好き?」  
 
クロは何回もうなずく。  
 
「よかった。あたしも、クロのことが好き。だ……から」  
 
そろそろ、ギリギリ。うまくしゃべれなくなってきた。  
吐息が混じる。  
 
「これ、恋に、しちゃおう。に、臭いに負けて、欲望だけでするん……んっ  
 じゃ、なくて。好き、だから、するの」  
 
クロが、あたしの首筋に顔をうずめる。  
熱い息が毛並にこもる。  
身体の、密着してるところが全部、ぴりぴりする。  
 
「ん……クロには、まだ早すぎて、き、季節、も、狂ってる、けど、好き、  
 だから……す……好きなっ……んんっ」  
 
首筋を甘く噛まれる。コドモの、尖った歯。  
もう、限界。お互いの顔を舐めあいながら、あたしたちは床に倒れこんだ。  
でも、もうひとつだけ教えとかなきゃ。  
“好きなヒトとするのは、とても幸せなことなんだ”って。  
 
それであたしたちの心は、もう、壊されない。  
とりあえず、今は。  
 
おなかのところに、クロの硬さを感じた。  
クロは、夢中になってあたしのいろいろなところの匂いを嗅いでる。  
あたしは身体をずらして、クロの、オトコの匂いを嗅ぐ。  
舌先で触れる。  
クロの身体がぴんと伸びる。かわいい、オンナの仔みたいな声。  
こういうふうに、硬くなるのも初めてなのかもしれない。  
少し、うれしい。うれしがっていいものかわからないけど。  
 
舌を這わす。先のほうににじんだ、透明な汁を味わう。  
そのむこうにある、柔らかい毛に包まれた、ふたつのかわいい玉も、舐める。  
そのたびクロは身をよじらせる。  
横目でクロの顔を見る。涙がにじんだ眼。ちょっとだけ怒ったような顔。  
クロはあたしのおなかに顔をつっこむ。乳首を舐める。  
今度はあたしが声をあげる。  
寝ぼけて咥えられたときは、くすぐったいだけだったのに。  
すごく、すごく気持ちのいい場所に変わってる。  
 
水音。クロが仰向けに寝たあたしの、足のあいだを舐めている。  
そのあたりの毛が全部肌に張り付くほど、あたしは濡れてる。  
もう、欲しい。  
欲しくてたまらない。  
ずっと、欲しくてたまらなかった。  
息も絶え絶えにされながら、どうやってクロを受け入れればいいのか悩む。  
今まであたしを抱いたのは、みんな、身体の大きいオトコだった。  
あたしを背中から抱いて、あたしの中に入ってきた。  
でも、身体の大きさが違う。クロに、それはできない。  
……だったらこのまま。抱き合って。  
 
「クロ」  
 
名を呼ぶ。クロが顔を上げる。  
抱き寄せる。顔を舐める。  
クロの顔、びしょびしょになってる。ちょっと恥ずかしい。  
片手をクロの硬くなってるところに添える。  
その先で、あたしの入り口を教える。  
 
「ね、ここ」  
 
クロがうなずく。腰を前に突き出す。  
叫んだのは、ふたり同時。  
名前を呼び合う。  
締め付ける。  
突き上げられる。  
腰が動く。  
震える。  
そして、崩れ落ちる。  
 
あたしたちは、まるでじゃれあうように、愛を交わし続けた。  
 
格子の向こうで、耳障りなけたたましい声。  
 
「あいつら、笑ってる」  
 
クロが、つぶやく。あれは笑い声だったのか。  
 
「なんて、いってるの?」  
 
あたしは半身を起こしてクロに聞く。  
 
「下品な、冗談みたい。あんな小さいのじゃ、あれは満足していない、とか。  
 自分が、慰めてやる、とか」  
 
ひどく後悔した。聞かせるべきコトバじゃなかった。  
怒り。強い憤り。  
格子の向こうをにらみつけた。  
この部屋を覗いていた連中は、ひとり、またひとりと建物の外に出て行く。  
残ったのはふたり。まだ、笑ってる。  
油断してるんだ。  
あたしたちが疲れ果てて何もできないと思っている。  
 
ひとつ、思いついた。  
クロを、逃がす方法。  
あいつらを、利用する。  
手を伸ばして、クロの大きな耳を優しく折り曲げる。あたしの声しか  
聞こえないように。  
そして、ささやく。  
 
「あんなのは、ウソ。クロは素敵だった。大人になったら、絶対、もっと  
 素敵になる」  
 
クロの額に、自分の額をこすりつける。  
 
「だから、ねえ、クロ。ここから逃げたら、まず生き延びることを考えて。  
 あたしを助けに来ようとか思わないで。大人になって。強い、いいオトコに  
 なって」  
「でも、ギンも、一緒に逃げるんだよね?」  
「今逃げるのはクロだけ」  
 
口答えしようとするクロの口を舐めて、黙らせる。  
 
「あたしは仔を産まされるんだよね? だから、それまでは、殺されない。  
 時間がある。だから。クロは大人になって、あたしと、あたしの仔を  
 ……あいつらに捕まってるヒトたちみんなを、ここから連れ出す方法を  
 考えて」  
 
クロの眼が潤んでいる。涙が、流れ落ちる。  
 
あたしは立ち上がって、格子に近づいた。  
あたしの背中を見ているはずのクロに、語りかける。  
ささやき声ではなく、あまえるような声で。  
 
「ここから出たら、ずっと東に走って」  
 
格子に身体を擦り付ける。“サカリ”のときのように。  
見張りのひとりがあたしに気がついて、寄ってくる。  
クロは、わかってくれるはず。  
あたしから、今、“サカリ”の匂いはしないから。  
 
「今の季節、東から西に向かって風が吹いてるから、風に向かって走って」  
 
格子の隙間から舌を突き出す。  
あたしの顔の前にあるのは、見張りの腰。  
さっきまでのあたしたちを見て膨らんでいるもの。  
舐める。届かない。これは計算のうち。  
 
「東の草原より、ずっと東にある丘。草原よりたくさん、ヒトが住んでるって  
 聞いたことがある」  
 
熱い眼で見張りの顔を見上げる。もう一度、舌を突き出す。  
見張りの息が荒くなるのがわかる。  
あと少し。思い切り、甘い声を出す。  
 
「そこにいけば、助けてくれるヒトたちがいるかもしれない。草原から逃げた  
 ヒトたちがいるかもしれない」  
 
扉を細く開けて、見張りが滑り込むように部屋に入ってきた。  
あたしは身体を見張りの足にこすりつける。  
息を荒げて見せる。そして、部屋の奥に、誘い込む。  
 
「しっぽで合図したら飛んで」  
 
見張りが腰につけていたものを脱ぐ。  
硬く、大きくなったものが飛び出して、あたしの顔を叩く。  
あたしは、少し背伸びをしてその先端を舐める。  
こみ上げる吐き気を押し殺しながら、横目でクロを見た。  
クロはわかってる。賢い仔だ。  
 
乱暴に口の中に突き込んでこようとするのを、手で押さえる。  
丁寧に舐めながら、誘導する。位置を調整する。  
そして、しっぽを大きく振り下ろす。  
 
一瞬の出来事。  
クロはあたしを踏み台にして、見張りの身体に登る。そして、窓へ。  
絶望的な高さだった、あの窓に飛び移る。  
クロが窓に飛びついたのを確認して、あたしは今まで舐めていたものに  
噛み付いた。  
悲鳴。  
 
「ギン、おれ、……絶対」  
「行って!」  
 
クロは一瞬ためらったあと、窓の外へ、あたしの視界の外へ消えた。  
笑顔で見送る。  
仲間の悲鳴に駆けつけたもうひとりの見張りに壁に叩きつけられても、  
あたしは笑い続けた。  
 
 
何日か前、あたしは仔を産んだ。  
オンナの仔。  
父親はわからない。  
気がついたときにはもう、おなかが大きくなっていた。  
 
最近ではもう、あたしがあたしでいられる時間は少ない。  
あの仔を逃がした罰なのか、噛み付いた罰なのか、強い草の臭いを毎日  
長い時間嗅がされるようになったから。  
身体だけじゃなく、心まで侵されるようになったから。  
あたしの心が消えてるあいだに、あたしの身体は死を待つだけのオトコたちに  
与えられた。  
仔ができるまで、何度も、何度も。  
終わったあと、オトコたちはあたしの目の前で殺され、皮を剥がれた。  
あたしは泣いただろうか。  
よく思い出せない。  
思い出し方がわからない。  
頭の中が凍り付いてる。  
 
仔を産んだときと、そのすぐあとされたことは、覚えてる。  
どっちもすごく痛くて苦しかったから。  
後産を処理して、仔に乳を吸わせているとき、またあの臭いを嗅がされた。  
腰を抱えられて、今までは舐めるだけで許されていた巨大なものの上に  
降ろされる。身体の奥まで貫かれ、激しく揺さぶられる。  
心が逃げたのか、痛みで気絶したのか。  
そこからさきを覚えてないのは、きっと幸せなことなんだろう。  
 
仔はかわいい。  
あやしながら乳を含ませてると、まだ生きてていいのかもしれないって  
気持ちになる。  
元気に育っている。  
ほとんど自分を失ってても、乳を飲ませることや下の世話は忘れないもの  
らしい。  
あいつらの白いドロドロした汁を足のあいだから垂れ流しながら、あたしは  
仔の世話をする。仔を愛する。  
身体がやり方を知っている。  
 
この仔の未来に何があるかはわからない。  
ひどいことばかりかもしれない。  
現に、ここには嫌な出来事しかない。  
でも、あたしが草原であのヒトと過ごしたときのような。  
このひどい場所であの仔に逢えたような。  
そんな幸せなときがあるかもしれない。  
 
願う。  
ちっぽけなあたしの存在すべてをかけて願う。  
この子が幸せになれますように。  
 
仔の乳を吸う姿が、あの夜のあの仔と重なる。  
あの仔はうまく逃げられただろうか。  
ちゃんと大人になれただろうか。  
この仔がいやな目にあう前に、助けに来てくれるといいな。  
……あたしがまだあたしであるうちに。  
 
あの仔の顔も名前も、もう思い出せないんだけどね。  
 

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