季節外れもいいところだが、その日はセミの声さえもが聞こえてきそうな、そんな日だった。  
それもそのはず、その日の気温は今年最高の摂氏29度。真夏並の気温である。  
 異常気象、にも、程が…ある、と切れ切れに呟く夏樹は、自室の床を何とか這い進み、  
ようやくクーラーのスイッチを入れる、と力尽きてパタリと動かなくなった。  
 
 夏樹がここまで体力をすり減らしたのは、ひとえに冷房のない学校に原因があった。要するに、  
人間が40人も集まっている究極に蒸し暑い空間である教室をホームルーム終了と同時に逃げ出そうと  
したのだが、週直と言う呪縛から逃れることかなわず、結局サウナの延長を30分も受けていた…、  
という訳である。  
 最後の体力をかけた全力疾走のおかげで制服はたっぷりと汗を吸っていた。動くのが気だるかったが、  
一度シャワーを浴びることにしよう。カッタルイ以上に汗の感覚が気持ち悪いし、それに何より、部屋の  
旧型のエアコンが本格起動するにはまだ、少し時間がかかる。  
 
 そうと決まれば善は急げ、である。倒れた体を立ち上がり、上半身を吸い付いて離さないシャツを  
ひっぺがし、上半身裸で自室の扉を開ける。  
 
 「「……!」」  
 
 視界に入った物への驚きで、二人はフリーズした。夏樹はその場にいるはずのない唯の存在に。  
唯は突然現れた夏樹の、上半身裸という姿に。  
 
 顔の表情は固まったまま、唯はみるみるうちにトマトのように赤くなっていく。そういえば俺、上半身  
裸だった。やっぱり女の子って、こういうの気にするのか。徐々に、だがはっきりとわかる顔色の変化は  
見ていてとても面白い。  
 
 「キャアァァァァ!」  
 
 などと思っていた夏樹に、ヘビー級のブローが繰り出された。  
 
 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
 
 
 「…で、どうしてうちに?」  
 
 シャワーでさっぱりとした夏樹は尋ねた。フル稼働の冷房おかげで、既に夏樹の部屋は十分に涼しい。  
肌との温度差が心地よかったが先ほどの後遺症か、まだ少し頭がくわんくわん揺れている気がする。  
 よく無事にいられたものだ、夏樹はしみじみとそう思った。  
 
 「うちのエアコン壊れてて、お母さんもいないから直せなかったの。だから…」  
 
 冷房付きのこの部屋を避暑地にしようとした、ということか。この暑さじゃあ仕方ないかな。  
 だが、それより夏樹はどうしても聞いておきたかった。  
 
 「別にいいけど、…じゃあ、何でさっきは…」  
 「さっきって…、あ、あれは、夏樹が変なモノ見せるから…」  
 
 心外である。自分の上半身など、何度も見ているはずなのに。  
 あ、でも10年前と今じゃあ、形も感じ方も違うか。少しデリカシーが無かったかな。  
…その報いが本気のグーパンなのは、どうにも割に合わない気がするけれども。  
 
 「も、もう! 自分の家だからって、身だしなみくらいきちんとしなさいよね!」  
 
 何故か怒り出す唯。そんなことを言われても。だって、自分の家ですもん…  
 
 ところで。  
 
 「それはともかく、そのカバンは?」  
 「え、あ、あの…それで、なんだけどその………えい…」  
 「えい?」  
 
 夏樹のベッドに乗っているのは、夏樹のものではないカバン。唯が持ってきたことは想像が容易だが、  
避暑のみが目的ならば必要ない代物である。何故そんなものがあるのか。  
 夏樹が尋ねると、唯は顔を赤くして急にどもりだした。言いにくいことでもあるのだろうか?  
 
 「英語?」  
 
 『えい』のつく単語で、夏樹に思い浮かぶのはそのくらいだった。そういえば確かいつかの昼休み、  
唯に…   
 
 「そ、そう、それよ英語! 夏樹が教えてくれるって言ったから、わざわざ参考書持ってきたん  
  でしょ!早く机出して!」  
 
 そう、それだ。そんな約束をしていた。…カバンの中身は、勉強道具だったか。  
 教えてもらうのを、恥ずかしがることもないのに。やれやれ、と夏樹は立ち上がった。  
 
 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
 
 
 『この土畜生がッ!!!』『ギャァアーン!』  
 
 「こ、このコンボは…」  
 
 唯の操るヴァニラ・アイスの連続蹴りで、氷の戦士・ペットショップはリタイアした。  
氷のミサイルで遠距離戦を挑んでも、ヴァニラ・アイスの凶悪な攻撃力に敵うはずがなかった。  
どうにも、自分はこのキャラを使いこなせそうにない。  
 どういう訳かというと。  
 
 勉強会終了 → アイスを探しにいくが在庫切れ → 買いに行く人をゲームで決めることに  
 
と言う流れで、そして丁度今夏樹が完全敗北したということである。ちなみに最後のは唯の提案。  
 まあ、これでいい。仮にも客である唯に、お遣いをさせられない。不慣れなこのキャラを  
選んだのも、それが目的である。  
 
 「2連勝の後に3連敗とは…しょうがない。じゃあ急いで行ってくるかな」  
 「え、ちょ、ちょっと…」  
 
 ん? と、立ち上がった夏樹は振り向いた。唯が口をもごもごさせながら、自分の方を見ている。  
 何か言いたそうだ。  
 
 「どうしたの?」  
 「な、なんでもないわよ! さっさと買ってきなさい!」  
 
 …気のせいか。  
 はいはいと笑いながら、夏樹は自室を後にした。  
 
 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
 
 
 「はぁ…何やってるんだろ、私…」  
 
 夏樹のいなくなった部屋で、唯は先日手にいれたばかりの映画のチケットを眺めていた。チケットの  
タイトルは最近話題の純愛もので、その枚数は2枚。唯にとって、勉強は夏樹にチケットを渡すために  
部屋を訪れる口実に過ぎなかった…それなのに。  
 駄目だ。渡せない。恥ずかしすぎる。  
 「映画」の単語を口にしようとしても、出てくるのは照れ隠しの乱暴な言葉ばかり。  
 いつものように勢いでできれば、どんなに楽な事か。  
 
「どうしよ、どうやって渡そ……ん?」  
 
 手にしたチケットの向こう、夏樹のベッドの下に、中途半端な大きさの段ボールの箱が見えた。  
 
 「何かしら、この箱」  
 
 引きずり出してみる。結構重い。だが女子の中でも力がある方だったので、なんとか取り出せた。  
口を開け、広げる。  
 
(…え、えええ〜〜っ!?)  
 
 そこは、男の花園だった。  
 
 (こ、これって、……夏樹の、だよね…)  
 
 あまりに強烈な性の刺激に唯は軽いめまいを感じながらも、それらから目が離せずにいた。  
 結論から言うと、唯の考えは間違っていた。夏樹の本来の『秘密の箱』は、ベッドの下など  
ではなく、当たり前だが本人でしかわからないような場所に封印されているし、夏樹がいくら  
健全な男子高校生とはいえ、ここまでの量を所持してはいない。  
 では誰の所有物かという突っ込みは脇にでも置いておくとして。とにかく、今唯の目の前に  
あるのは、段ボールの中から取り出した、何というか、その、いわゆるエッチな本である。  
 
 (〜っ! こ、こんな、いやらしい…!)  
 
 興味本位だったはずが、いつの間にかどっぷりとのめり込んでいた。ページをめくり、女性の  
あられもない姿が次々現れる度に、心臓が早鐘のように鳴る。顔はもうきっと、どんな熟れた  
林檎よりも、赤い。  
 他人の部屋の中で、それもよりによって夏樹の部屋で、卑隈な雑誌を読み耽っている。その事実  
への罪悪と、そしていつ夏樹が帰って来るかもしれないスリルに、唯は生まれてこの方感じた事が  
ないほど昂ぶっていた。  
 
 「…、……は、っ……、はっ………、…」  
 
 (…!)  
 
 荒い息が自分のものだと気付き、唯は驚愕した。弾かれたように誌面を閉じ、それを箱の中に  
乱暴に突き刺す。鍛えた右足で段ボールごと蹴り飛ばすと、取り出すのに苦労したのが嘘かの  
ように、それは再びベッドの下に吹き飛んで行った。  
 
 「…はっ…! …はぁっ……はぁ……はぁっ…」  
 
 肩で熱い息をしながら、唯は夏樹のベッドにどすんと腰かけた。  
と。  
 
 (〜〜ッ!)  
 
 不意打ちだった。ロングスカートの中で太股の内が擦り上げられ、唯は声にならない悲鳴を  
上げて身震いをする。  
 
 おかしい。熱すぎる。  
 
 冷房はさっきからガンガンに効いている。なのに、肌着が異常に汗を吸っているなんて、  
おかしい。鼻腔を駆け抜けていく息がスチームのように熱いなんて、変だ。  
 目もうるんできた気がする。全身が、特に、下着に直接触れた局部が熱病に冒されたように熱い。  
 
 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
 
 
 気が付くと、唯はベッドマットに座りこんだまま、半身を小刻みに動かしていた。  
 
 「…、…ぁっ…、…ぃ、っ………、はぁっ………」  
 
 服の上から自分の胸をこねくりまわす。肉の芽を服の布地が擦るたびに甘い電撃が走る…  
声を押し殺したまま、実際よりも遥かに長く、そうしていたように思われた。唯とて、もう今年で  
齢17になる。未成年とはいえ結婚もできる、立派な女性だ。当然ながら、自らを慰めた経験もある。  
 だが、その時と今とでは、根本的に違った。  
 そう、体の底から湧き出す、身も心も灼けつくような、この、この、熱さは。  
 
「は、ぁ……ぁ…ッ……、……、っ!」  
 
 とは言え、白河唯の理性はまだ掻き消されていなかった。最後に残された意志の力で、唯は  
押し流されそうになる心を繋ぎ留めた。ベッドにしゃがみこむのをやめて横になり、「それ」から  
逃げるように、手近にあった布団を引きかぶり、股の間に枕を挟んだ。  
 
(こ、これ以上は、だめ、…こんなところ、も、もし夏樹に、見られでもしたら…)  
 
 座っていた所を恐る恐る触ってみる。ショーツのおかげか、痕はない。まだ、誤魔化せる。  
 
 だが、荒い息は止まらない。夏樹の部屋のクーラーも、火が付いた躰の熱は奪ってくれな  
い。  
 
 (夏樹も、ああいうの見て、…自分で…シたり、するのかな……)  
 
 ふと、唯は思った。だが、夏樹のそんな姿など想像もつかない。代わりに浮かんだのは子供の頃  
から変わらない、優しく穏やかな彼の顔。  
 小さい時からそうだった。平々凡々な顔立ちのくせに、あの優しい笑みを向けられると、  
胸の奥がじんわりと温かくなる―  
 
 くちゅり。  
 
 (! そ、そんな……!)  
 
 足を動かして微かに聞こえた水音に、唯は愕然とした。夏樹の部屋で夏樹の事を考えながら、  
浅ましくも股間を濡らしているなんて。  
 
 「ぅぁ…ッ!」  
 
 身じろぎをするたびに敏感な部分が服の裏に、枕に触れる。  
 
 (あ、もう、……あぁ…)  
 
 既に理性は限界を迎えていた。檻が弾ぜる。  
 
 再び水音を奏で始めた腰が、今度は止まらない。じれったくなった唯はさらなる刺激を求め、  
ショーツを下ろし、秘部を直接枕に押し付ける。  
 
 「…ひ、あぁ!」  
 
 今までとは比較にならないほどの快楽と共に、唯の恥部を、核を上下に擦る枕が、淫らな  
水音を奏ではじめた。  
 
 (濡らし、ちゃった…)  
 
 唯の目が後悔の涙を溜めはじめた。だが感情とは裏腹に、体はただただ快楽を追い求め、動き  
続ける。  
 
 「はっ、はあっ! ッ、はあ、ふぁっ…、ぁっ……ず、…ずるいよ、ぉっ……」  
 
 今度こそ言い逃れは不可能だろう。きっと夏樹が唯の淫行を看破し、唯はこの世の何よりも、  
恥ずかしい思いをするのだ。  
 
 「はっ、あ、…わ、私、ばっかり、…ぁっ…、こんなぁっ、思い、させてっ! …ゆ、ぅ…  
  許さないッん…だからぁ…ぅ…ああっ」  
 
 と言いつつも、夏樹のことを考えて自分を慰めているのは、唯なのだ。唯一言えるのは、夏樹が  
知らぬ間に唯に毒牙をかけていた…という、誇張した言い過ぎの事実だけである。彼に責があるわけ  
では、ない。  
 
 唯は夏樹に憧れていた。他人を思いやる心。柔らかな微笑み。自分を呼ぶ優しい声。唯に足りない  
ものを、あの少年はみんな持っていた。  
 そして悔しかった。自分を慰めるしかない自分が。何をするにも素直でない自分が。誘い出す勇気  
すらない、自分が。  
 
 水滴で視界が屈折し、揺れた。  
 
 「あ、ぁあ、…な、つき、なつき、…なつき、ぃっ! ……ぅぁ、はあぁぁっ…!」  
 
 噛み殺した嬌声をあげ、唯の意識は流れていった。  
 
 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
 
 
 (何て事するんだよー〜!)  
 夏樹は全力疾走しながら、心の中で叫んだ。  
 ガリガリ君を探して足を伸ばしたスーパーで、偶然にもクラスメイト・杉村に遭遇し、そして  
驚愕の事実が告げられたのだ。  
 曰く、3日前に杉村一行が遊びに来たとき、全員から集めた大量の『男の必需品』を、スキを見て  
ベッドの下に段ボール詰めにした、と…  
 夏樹は焦った。遅くなって、さらにそんなモノを見られでもしたら、何を言われるか…そして、  
されるか。嫌われた上に強烈なラッシュが来るのは、避けられない。  
 
 (ヤバい…どうか気づきませんように…!)  
 
 夏樹にとってはリアルに生命の危険である。片道10分を超える道を5分でたどり着いた夏樹は  
脇目も振らずに階段を駆け上り、自室のドアを勢い良く開ける。  
 
 …唯は寝ていた。夏樹のベッドの上で。  
 
 (た、助かった…)  
 
 安心して力が抜けた夏樹は、その場にへたりこんだ。  
 唯はこちら側を向いて寝ている。口が半開きになっていて、その下には大きめの水斑ができていた。  
さっき自分には、身だしなみに気を使うよう言ったくせに…と思ったが、普段から想像できない寝顔の  
可愛らしさで、そんなことはすぐに忘れた。  
 
 と。  
 
(ん?)  
 
 机の上に見慣れない紙切れが一枚…いや、二枚。無論、夏樹の物ではない。唯のだろうか?  
 
「何だこれ?」  
 
 手を伸ばしつまみ上げようとすると、  
 
「…夏樹……?」  
 
後ろから声をかけられた。起こしちゃったか。  
 振り返ると唯が、肘をついて上半身のみを起き上がらせていた。寝起きのためか目はとろんと  
していて、少し赤みがかっている。ちょっと色っぽいと思ったのは黙っておこう。  
 
 「あ、起きた? 枕取ってくんない?」  
 「…ぇ、ええっ!?」  
 
 その言葉の意味を理解した瞬間、唯の脳は完全に覚醒し、顔には一気に朱がさした。  
 だが理由を、夏樹は知らない。  
 
 「だって、唯の涎でベトベトじゃん、それ」  
 「へ?」  
 
 真実から全くズレたベクトルの答えが出てきた。唯は夏樹の目を見る。わざと嘘を言ってみて  
唯を困らせる…などという邪な意思は感じられない。本気だ。  
 
 (た、助かった…!)  
 
 「そ、そう、よだれよ! よだ…って、何言わせんのよ! それに帰って来るの  
  遅いし! 何やってたのよ!」  
 「ご、ごめん、ガリガリ君がなかなか売って無くて…ところで唯、これは?」  
 
 ひょいと手に取るは唯のデートお誘いチケット約二枚。  
 
 「あ、そ、それは…」  
 「『梅雨が開けたら』ってこれ確か、最近話題の……もしかして、くれるの?」  
 「そ、そうよ! でも勘違いしないでよね! 余っちゃっただけなんだから!」  
 
 キツい物言いにもかかわらず、夏樹はただ優しく微笑み、ありがとう、とだけ言う。唯は、  
再び心臓が跳ね上がる感覚を覚えた。  
あながち毒牙にかけたという表現も、言い過ぎではないのかもしれない。  
 

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