「何で私が、あ、あんたなんかといなきゃならないのよ! 構わないで!」  
 
 大音量でそう言うなり、唯は弁当をひっつかんで出ていってしまった。  
 後を追うこともできず、夏樹はガックリとうなだれる。  
 
「あーあ、駄目か…」  
「お、どうした? 痴情でももつれたか? いいな〜、これだよ。これでこそ青しゅ…」  
「そんなんじゃなくてさ…何か最近、避けられてる気がするんだ」  
 
 背後からからかってくる杉村に対しても、いつものように突っ込む気力がない。  
 これには、さしもの杉村も真面目に会話する気になったのか…  
 
「そうか? いつもあんな感じじゃね?」  
 
非常にもっともな回答が返ってきた。  
 
「そりゃそうなんだけど…何かおかしいんだよなぁ」  
 
 何が、と言われても困るのだが。だが彼女から感じる印象に僅かな掴みがたい差が有る。  
そう、夏樹は感じていた。  
 
「気付かないうちに怒らせたんじゃないか? そういうときはとりあえず『ごめんなさい』だ」  
「そっか…でも、なんでかな。こないだうちに来たときは、そうでもなかったんだけど」  
「はは、俺らがプレゼントしたあのエロ本でも見付かったんじゃねぇのか? かなり見やすい所に  
 置いたからな〜♪」  
「…」  
 
 少しはまともな会話になったかと思ったら。やはりこやつは腐っても杉村(?)な訳で。  
 
 ぬけぬけカラカラと笑う眼前の男に対してとりあえず、隣りで弁当を食べていた福浦の肩を叩いて  
おいた。杉村の発言を聞いていたためか、一言の質問もなく彼女は首を縦に振り、立ち上がる。  
 
 こうして五秒後、杉村は福浦に引きずられていった。教室の隅で何が起こったかは割愛する。  
 悲鳴が聞こえてきた気がするのもあえて無視しよう。  
   
 杉村の天敵がこのクラスにいてよかったと、夏樹は思った。  
 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
 
 唯は誰もいない屋上で、独り黙々と弁当を摘んでいた。  
 
 あの日から、何か変だ。玉子焼きを咀嚼しながら唯は思った。  
 実際、唯はあの日…夏樹の部屋で自分を慰めた日から、彼を直視することができなかった。  
 夏樹が話を振って来ても、まともな会話すらできない。  
 何故か。  
 
「…」  
 
 次の肉団子を掴もうとした箸が止まる。  
 
 答えは出ていた。  
 
 恥ずかしいのだ。夏樹の体が自分に触れる度に、熱病に冒されたように燃え  
上がる自分の身体が。振り向かれる度に弾む鼓動が、夏樹に聞こえてしまう…そんな気がしたし、  
どうしようもなく火照る自分がはしたなく思えて、照れ隠しのキツい言葉で突き放してしまう。  
 そのくせ、後になって後悔に胸を痛めるのだ…夏樹はこれっぽっちも気に留めていないのだが。  
 
 目に涙が浮かんだ。気がした。  
 
 (こんなんじゃダメだ。)  
 
 自分に言い聞かせ、目をぬぐった。案の定、小さい水滴が付着している。  
 彼は素直じゃなくて性格キツくて、生意気な唯しか知らないのだ。今の自分は彼からしてみれば、  
全くの別人と言っても過言ではない。  
 
 自分が元気で、いつもと変わらずにいさえすれば、夏樹はいつものように笑ってくれるのだから。  
   
 チャイムが鳴る。  
 
 行かなくては。  
 半分ほど弁当を残し、唯は屋上を後にした。  
 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
 
「…ねぇ唯、…なんで怒ってるの?」  
 
 昼休み明けの化学の授業中、夏樹は思い切って聞いてみた。杉村にあのように――とりあえず  
謝るのがいい、とは言われたものの、やはり理由も知ろうとせずにただ謝るのは、失礼なこと  
じゃないかと思えたのだ。  
 
 夏樹や唯の班の実験机は、黒板から一番離れた場所に位置している。それゆえに教師に警戒は  
されているものの、基本的には声を潜めさえすれば、会話するには最適な場所だ。  
 ちなみにこの班には杉村も一緒だ。さっきまでボロ雑巾だったのに、既に完全復活したようだ。  
自分にも肉体的ダメージの原因―主に唯だが―がいる今、回復力だけは見習いたいと、夏樹は  
思った。あくまで回復力だけだが。  
 
 それはともかくとして、唯のほうはといえば、何か言いにくそうに、仄かな朱に染まった顔を  
伏せ、そして少しだけ表情を歪めた。  
 チクリと胸に棘が刺さった。やはり自分が何かしていたのか。知らぬ間に嫌な気持ちに、させて  
しまっていたんじゃあ。  
 
「な…なんでもない」  
「え? でも…」  
 
 夏樹が心配してくれているという事実に、唯は嬉しさで満たされた。だが真相など、言えない。  
思い出すだけで顔が灼ける、己の最たる恥なのだ。絶対に、言えない。  
 
「な、なんでもないって言ってるでしょ!? 前向いてなさい!」  
 
 言い放って、唯は悔やんだ。  
 
(…まただ…)  
 
 自分で自分が嫌になった。夏樹はあの部屋で起こったことなど、知る由もないのだ。善意で心配  
してくれているのにどうして私は、自分の事しか考えられないんだろう。  
 一方の夏樹はそんなことも知らず、さらに罪悪感を募らせ、焦っているのだが…それこそ、唯が  
知る由もない。  
 
「ゲフン、ゲフン」  
 
 成人男性の咳払いが聞こえた。  
 
「「…!」」  
 
 ひょっとしてもしなくても、当たり前のように今は授業中である。  
 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――  
 
(ビーカー、ビーカー、っと…)  
説明タイムが終わった後は、実験作業を進めるのみである。試薬や器具を運ぶ生徒が行き交う中、  
夏樹もまた棚にあるはずの試薬の瓶を探す。  
 あれから、夏樹は唯と話をしていない。自分が何をしたかもわからなかったし、それに。  
 
(まぁ、あんな赤っ恥かいちゃったら、話しにくいよな…)  
 
 五分程前、衆人環視の中で二人、しおしおと小さくなったのを思い出した。恥ずかしい。  
 
(ああもういい、忘れ……お、あった)  
 
 目的のブツを発見した。あとは机まで持って行くだけだ。夏樹は手を伸ばす。  
と、温かいものが触れた。  
 
「「あ…」」  
 
 誰かの手だ。横を見やると、そこには驚いたような唯の顔。  
 
「ご、ごめん!」  
 
 夏樹は慌てて腕を引こうと…したが。  
 引けなかった。  
 唯がそれを引き留めるように、しっかりと夏樹の腕を握ったからだ。  
 
「唯?」  
 
 普段なら「なに見てんのよ!」とフックでも飛んできそうなものだが、今回はその気配は  
なかった。唯は顔を伏せたまま、やはり何か言おうとしているのか、口をもごもごさせている。  
 それは、なかなか見られない彼女の「女の子」の表情で。  
 
(か、…可愛い…)  
 
 口に出したことはないが、こんな顔を見る度に夏樹は素直にそう思う。はっきり言って唯は  
美人だ。たとえ百人、いや千人に聞いても、皆口を揃えてそう言うだろう。  
 …んなこと考えてる場合じゃない。ちゃんと聞かなきゃ。夏樹は心の中で頭をブンブンと  
振った。  
 
「あ、あの、…さっきは、その…………ご…ごめ…」  
 
 ようやく開いた口から出かかったのは、謝罪の言葉。  
それは真相など言えない、だが夏樹の優しさに応えようとする唯の、精一杯の勇気だった。  
…だったのに。  
 
「公衆の面前でお見合いか? お・ふ・た・り・さん♪」  
 
 邪魔というのは、肝心なところで入るから邪魔になるわけで。  
 
「「なっ…!」」  
 
 重ねた手をバッと引き、赤い顔をさらに紅に染めて二人が横を向くと、杉村がクックックと  
笑っている。…あんにゃろ。昼休みの事、根に持ってたか。  
 夏樹は溜め息をつき、再び唯の方を振り返る。  
 
(…あ)  
 
わなわなと肩が震えていた。  
 
(ま、マズい)  
 
 唯が肩を震わせる…その時側にいてはならない事を、夏樹は経験として知っていた。小学校では  
上下のコンビネーション・ホワイトファング、中学の時は…なんだったか。確か…そう、  
シャイニングウィザードだった。技名が珍しかったんで印象に残ってたんだ。その二つだった。  
 …なだめようとした夏樹が食らったのは。  
 リアルに首がもげるかと思ったのは、今までのところ…今までのところはとりあえず、生涯を  
通じてあの二回だけだ。今後増えるかどうかはわからないし、増えてほしくもないが。  
 そして惨劇は繰り返されようとしていた。  
 
(…これが怒り心頭の唯だ! そいつに触れることは死を意味するッ!)  
 
 …ネタを考えてる場合じゃない。  
 
(どうしようどうしよう。ヤバいヤバいヤバい…)  
 
「…あんたってヤツは…」  
 
…キタ。  
 
「ん? どうした、白河?」  
「…人の気も知らないで…!」  
 
キタ━━━━━━(;゚Д゚)━━━━━━!!!!  
 
「あ、あ、ああああの、唯、ちちちょっと落ち着いて…」  
 
 空気が揺れる効果音がした、そう夏樹は錯覚した。  
 三途の川に足を突っ込む行為なのは分かっている。だが自分がやるしかないのだ。  
 
(は、早く逃げろよ杉村ーー!)  
 
 必死のジェスチャーが伝わらないのか見てないのか、動く気配がない。…どうするか。この  
ままでは巻き添えを食うのは必至だ。  
 
 いっそのこと、責任放棄して逃げるか…  
 
 そう思った、その時だった。  
 
カタカタカタカタ…  
 
(? 何の音だ?)  
 
 上方から音がして、夏樹は見上げた。棚の上にあるビンが、さっき二人が手を引いた時に揺ら  
されたのだろうか、円を描くように不安定に回っている。  
 位置はちょうど、唯の頭上。  
 
(何であんな所に…?)  
 
 だが、そんなことを考えている余裕はすぐになくなった。回転しながら揺れるビンが少しずつ移動  
し、遂には棚の縁から落下したのだ。  
 
(危ない!)  
 
 思うと同時に、体が動いた。  
 
 後で思い起こしてみても、自分でも驚くほどの雷光の如き動作だった。悪いと思いつつも、ビンの  
真下にいる唯を突き飛ばす。自身はそのまま床にのめり込むが、眼前には既にビンが迫ってくる――  
 ――幸運なことに、本当に幸運なことに、目の前には反射的に手が伸びていた。  
 床に落ちて割れる前に、その甲でビンを払い飛ばす。  
   
 ガラスが砕け、無色透明の液体がその手に浴びせられた。  
 
 
「痛っ! ちょっと何する…の……」  
 
 振り返った唯は、言葉を最後まで続けることができなかった。表情が怒りから驚きへと、見る見る  
うちに変化していく。  
 
「うぐっ……う、うう……」  
 
 左腕を押さえて、夏樹がうずくまっている。言葉にならないうめきを上げながら。  
 煙が出ている。白衣の袖口は褐色に焼け焦げはじめていた。夏樹の顔色はここからは窺い知ること  
ができないが、押さえつけているその腕は不自然にガタガタと震えている。  
 その向こうに飛び散ったビンの破片を見て、唯は全てを悟った。  
 
「夏樹ぃっ!」  
「夏樹! どうした大丈夫か!?」  
 
 激痛に苛まれながらもなんとか立ち上がり自力で水道に向かう夏樹に、唯と杉村は追いすがった。  
クラスメイトの全ての視線を集中させる事になったが、そんな事を気にしている場合ではない。  
 痛みで焦っているせいか、夏樹は蛇口を捻るのに悪戦苦闘している…その右手をはねのけ、唯は  
限界まで一気に水を出した。  
 
 …余りに突然だった出来事。その衝撃に思考がスパークしたのか、それから後のことを唯はあまり覚えて  
いなかった。  
 
 ぼんやりと感じたのは、頬を熱いものが伝っては落ちたことと。  
 唯の無傷を確認した夏樹が小さく安堵の言葉を吐き出したこと。  
 灼熱の感覚に耐え、額に玉のような汗を浮かべながら、痛々しいながらも精一杯の笑みを見せたこと…  
 
 そして窓の外から、雨の音がしたことだけだった。  
 

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