1.  
次の日。  
仕事を終えた俺は、親より一足先に自分の離れに戻った。  
いつも通り。いつも通りのことだ。  
例えば、今日に限って店の後片付けを終えてそそくさと帰って来たとか。  
今朝一番にシーツをクリーニングに出しておいたとか。  
そんなことは偶然だ。  
偶然に過ぎん。  
 
そして、六時過ぎ。  
窓を開けて煙草を吸っていたところ、玄関のドアをノックする音がした。  
気持ちを落ち着けるように、いつもよりゆっくりと煙草を揉み消し、深呼吸してから玄関へ向かう。  
「おーい、こらー。ご主人様のお帰りだぞー。開けろー!」  
ドンドンドン。  
そんななつみの芝居がかった声を聞いた途端、膝が抜けそうになる。  
「あんた止めてよ、御近所迷惑でしょっ」  
一応付き合ってみる。  
「なにー、俺は家長だぞーっ! 誰のおかげでメシ食えてると思ってるんだーっ!」  
全くどこの酔っ払いだよ。  
そんなこと思いつつ、俺はドアを開ける。  
さらに叩こうとしたドアが消失して、意表を突かれたなつみが倒れるように入ってきた。  
俺はそんなヤツの腕を掴み、支えてやる。  
つまらなそうな顔のなつみが、俺を見上げていた。  
「えー、もう終わり?」  
「本当に近所迷惑なんだよ。さっさと入れ馬鹿」  
「うん」  
 
手には近所のパン屋「コムギ村」の袋。  
昨日と同じく、短めのスカート姿のなつみは、俺の言葉が終わらないうちに部屋へと向かう。  
「えーっとね。カツサンド売り切れてたから、メンチカツパンと、コロッケロールと、ミックスサンド買ってきた」  
「おう、じゃあ紅茶いれる」  
「私ミルクティーね」  
カツサンドには劣るものの、どれも俺のお気に入りのパンばかりだ。  
俺が満足そうにうなづくのを見て、なつみは得意げに笑った。  
「コムギ村」は俺たち二人が部活帰り、よく寄った店だ。  
あの頃、俺はハンドボール部で、いつも腹を減らしていたもんだ。  
数時間後の夕飯が待ちきれなかったんだから、若いってのはすごいと思う。  
 
――そういや、俺の隣でなつみはいつも小さなクリームパンを齧ってたっけ。  
俺たちいつも会話も無くって。  
でもそれは言葉が要らない関係だったからとか、そういうわけじゃなくて。  
俺もなつみも、とにかく目の前のパンに夢中だっただけで。  
ふと横を見れば、いつもそこには口の周りをクリームまみれにしたなつみがいた。  
女の癖にガキっぽいヤツで、俺が差し出すハンカチを無言でひったくってたな。  
んで、そのまま別に何も喋ることもなく二人並んで家に帰った。  
――それが、俺たちの学生時代。  
そんなことを思い出しながら、俺は昨日と同じようにお湯を沸かす。  
なつみは勝手にゲーム機を取り出して遊んでいる。  
 
そうさ。  
キス一つぐらいで、もう二十年以上続いた関係が変わるわけないじゃないか。  
なつみが来てしまえば、気に病んでいたことが馬鹿らしかった。  
俺は何度も口の中でそう繰り返しながら、紅茶の缶を取り出した。  
 
 
2.  
満腹になった俺たちは、いつものように思い思いの時間を過ごしている。  
なつみはまたベッドに横になって、昨日の漫画の続きを読んでいる。  
俺はといえば、今日問屋から届いた業界新聞やらカタログやらに目を通していた。  
正直に言おう。  
普段はそんなことしない。  
だが今日は、ゲームしたり本を読んだりする気分じゃなかった。  
かといって、なつみと話をする気はさらさら無かったし、つまりは俺は手持ち無沙汰だった。  
 
座卓に積み上げたカタログの向こうに、なつみがいる。  
俺に足を向けた格好で、うつぶせになっているのが、ぼんやりと視界の端に浮かんでいる。  
小さく唄う鼻歌と、それに合せてぷらぷらと動く足。  
俺は意識を目の前の仕事に集中しようと、あえて力を込めて本を開いた。  
――だが、出来なかった。  
俺の視線は自然となつみの方へ、そしてなつみの体のふくらみへと彷徨っていく。  
 
赤地に黒のチェックが入った、ミニスカートがふっくらと盛り上がっている。  
厚めの生地の下にある、二つの膨らみ。  
それは丸くて暖かそうで、なつみが足を動かすたび俺を誘うように揺れていた。  
なだらかな二つの丘は、腰へと引き締まったラインを描き、弓なりに反った背中に繋がっている。  
機嫌よく体を揺するなつみに合せて、肩にかかった黒髪が跳ね回るのを、俺はしばらく眺め続けた。  
なつみの顔はよく見えない。  
ヤツは昨日のことなんか忘れたみたいに、俺の方を気にする様子もない。  
 
ほんの一・二分程度だったろうか。  
なつみに見とれていたことに気づき、またカタログに目を落とす。  
わざとらしく鉛筆の音をたてて、気になった新製品にチェックを入れたり。  
何やら考え事をするように、フムン、と鼻を鳴らしてみたり。  
だが、そんなことをしても、俺の気持ちが当ても無く彷徨っているのは変わりなかった。  
 
「――――ヤトぉー」  
なつみの声に、俺はびくりと身を震わせた。  
こんなに震えたのは、餓鬼のころ、お袋に火遊びを見つかった時以来だ。  
そのときはうろたえまくって酷く叱られたが、今の俺は大人だ。  
取り繕うことも知っている。  
「なんだー」  
いかにも面倒くさい、といったように答える。だが。  
「……したいんなら、したいって言いなよ」  
俺の目論見はあっさり崩れた。  
 
「何言ってんだ」  
動揺を悟られないよう、俺はことさら平然と答える。  
なつみの方を見ないようにして、ぱらぱらと業界紙をめくる。  
そこで、ようやくなつみが俺の方を振り返った。  
「さっきからさー、私のお尻じーっと見てたじゃん。バレバレだっつーの」  
どうやって知ったのか、俺の視線をちゃんとなつみは追っていたらしい。  
嘘をついても無駄と悟り、俺は手にした本を放り投げた。  
「……ああ、見てたよ」  
「じゃ、なんで誘ってくれないのさ」  
なつみも、俺と同じようにことさら大きな音を立てて漫画を閉じた。  
肘をついて体を起こす。  
なつみは不満げというか、いぶかしげに眉間にしわを寄せていた。  
納得がいかないことがあった時、なつみはよくこんな顔をする。  
 
「そりゃー、お前」  
視線が交差し、俺たちはしばらく押し黙った。  
「……そりゃー」  
「『そりゃー』何よ」  
なつみははっきりと怒っていた。  
「私が普通じゃないから? 昨日キスしたときは、ちゃんと感じてたじゃん。  
今日はさっきまで私のお尻見てたし。なのに、なんで遠慮してるわけ?  
私は、別にヤトとSEXしても構わないんだけど」  
あぐらをかき腕組みをしたなつみは、一言一言、はっきりと区切るように言葉を叩きつけて来る。  
正直、俺は少し苛立っていた。  
昨日のキスといい、今日の問い詰めといい、洒落で済む限度を超えている。  
だいたい、なんで俺がなつみなんかに悶々として悩まにゃならんのだ。  
寝てる子供を起こすような真似しやがって――ちくしょう。  
 
「お前だけは、抱く気にならん」  
苛立ち紛れに吐き捨てるように言う。  
そして、言おうか言うまいか悩んでいた言葉を、勢いに任せて口にした。  
「……お前は大事だからな」  
それから俺はそっぽを向いた。  
 
「そっか――」  
以外なほどあっさりと、なつみは引き下がった。  
「……ヤト、変わってないや」  
「は?」  
「ううん、何でもない」  
俺がさらに追求しようとすると、なつみは勢いよく立ち上がった。  
そのまま、かっさらうようにして床に転がった自分のバッグを掴む。  
「今日は、もう帰るね」  
「お? おい、待てよ!」  
振り返りもせず、小走りに部屋を出て行こうとするなつみを、俺は呼び止めた。  
途端に、なつみの体がぴくりと震える。  
用も無く居座るのが常なのに、突然帰ると言い出すのは普通じゃない。  
「まだ九時にもなってねーぞ? どうしたんだよ」  
「く、来るな!」  
俺が立ち上がろうとすると、なつみがそれを手で遮った。  
 
なつみの肩が震えている。  
恐る恐る背後から近づき、そっと肩に手を乗せる。  
「なつみ――」  
「いられる訳ないじゃん」  
その手を振り払うような、冷たい言葉。  
「そんなはっきり振られちゃったらさ、辛いし。……ギャグじゃ、済まないもん」  
「何を……」  
不意になつみが両手で顔を覆った。  
「軽くさ、『抱けるかよ、ブス』くらい言ってくれたらいいのに。  
『ヤトは東京で変わっちゃったんだ、変わってないように見えたのは錯覚だったんだ』って思えるじゃん。  
なのにさ――」  
 
大きな音を立てて、鼻を一つすすり上げると、なつみは呟くように言った。  
「そんなに真面目に断られちゃ、私……困るよ。  
高校のときもさ、私よりカツサンドの方が大事で……。  
私が口の周りにクリームつけてても、ハンカチも無愛想に渡すだけでさ。  
……でも、そんなヤトのそばが私、好きだったんだ」  
初めて聞く、なつみの告白。  
俺はそれをどう受け止めるかも分からず、肩に置いた手の力を込める。  
それが返事の代わりでもあるかのように。  
「私ね、きっとそれは、ヤトが子供だからだって思ってたんだ。  
東京から帰ってきたらきっとヤトは大人になってて。私も大人になってて。関係は変わっていくんだって。  
それなのにさ……私の前では、いっつも昔のヤトなんだもん――高校のときのまんまなんだもん――  
そんな風に……そんな風に断られたら、私諦めるしかないじゃ――」  
光る雫が、指の間から床にこぼれる。  
「ばか……」  
振り向いたなつみは、今まで見たことがないくらい真っ赤に泣き腫らした目をしていた。  
 
 
3.  
――頭の中で、何かが弾けた。  
俺は、なつみを抱き寄せる。  
「や、ヤトっ……!?」  
なつみの体が戸惑い、逃げ出すようにもがくのを、俺は力ずくで押さえ込む。  
背後から抱きしめ、手をなつみの胸へと這わせる。  
俺の意図を察したのか、なつみは驚き一杯の目で振り返った。  
「お前を、抱く」  
「えっ……ま……じ……?」  
恐れと喜びが入り混じったような、はにかむような泣き出しそうな。  
そんな目で俺を見上げながら、なつみは体を預けてきた。  
俺は重々しく頷く。  
「体中触りまくって、揉みまくって、舐めまくって。俺がしたいようにする。  
お前が悲鳴を上げるまで抱いてやる。つーか、犯す」  
傍目から見れば物騒極まりない言葉を、俺はためらい無く口にした。  
なつみも、俺の目が真剣なのを見て小さく頷く。  
「…………OK。覚悟完了」  
 
それを合図に、俺は服越しになつみの乳房を揉みしだき始めた。  
両手でこねるように揉み、乳首を探り当てると、それを指でこね回す。  
「あっ! い、痛っ、い……痛いって、ま、ヤト、待って!」  
「うるせー、犯されてるヤツが偉そうなこと言うな」  
「で、でも、服伸びちゃうし、擦れて……!」  
なつみが暴れるのを腕の力で封じ込め、さらに俺は揉む。  
わざと押しつぶすように乳首をいじり、握るように乳房をこねってやる。  
背丈相応になつみの胸は小振りだ。それをいたぶるように弄ぶことに俺は興奮していた。  
「お願い……お、お願いだからぁ……」  
なつみは身をよじって俺を振り解こうとする。  
 
もちろん止める気はない。それどころか、俺はなつみの上着のすそに素早く手をかけた。  
そして、そのまま一気にまくり上げる。  
一瞬で、なつみの白い腹や小さなへそ、そしてブラに包まれた胸が露になった。  
乱暴にブラをずらすと、俺はなつみの乳房に直接触れる。  
「えっ、あっ……やぁっ…………」  
俺は愛撫を続けながら、なつみを姿見の方へと導いていく。  
「ほら、なつみ、見ろ」  
毎朝俺が服を調える鏡に、今は二人の痴態が写っている。  
鏡の中で、なつみは背後から抱きすくめられ、切なそうに体を俺に擦りつけている。  
なつみの胸全体がほんのりと桜色に染まっていく様子も、はっきり分かる。  
 
「う……キス……」  
愛撫される自分を直視できなくなったのか、顔を鏡から背け、なつみは俺の顔を見上げた。  
なつみの唇にむしゃぶりつく。なつみもそれに応えた。  
そして、昨日と同じ激しさで舌を差し入れ、絡めてくる。  
キスしながら、俺たちは徐々にベッドの方へと向かう。  
「きゃっ」  
そして突然、俺は無言でなつみを突き飛ばした。  
小さななつみの体は跳ねて、ベッドの上にうつぶせに倒れた。  
尻を俺に向かって突き上げる格好で、なつみは振り向く。  
「な、何……?」  
とまどうなつみの後ろから、俺は無言で襲いかかった。  
ベッドに膝立ちになると、なつみのスカートを捲り上げ、尻を抱きかかえるようにして持ち上げる。  
「え、やっ、こんな格好、やだよぅ……」  
尻を高々と掲げるような己の姿に、なつみは抗議の声を上げた。  
だが俺は止めない。  
――いや、多分その時俺は、一瞬たりとも我に返ることが怖かったんだ。  
そうしてしまえば、なつみを抱く勇気はたちまち消えちまうだろう。  
この機会を逃せば二度目はなくて、残るのはわだかまりだけ。  
ならば何があろうとなつみを抱くしかない。俺はそう決心していた。  
 
「うぅぅん……!」  
俺がパンティ越しに秘所にしゃぶりつくと、なつみは甲高い悲鳴を上げた。  
すでに染みが出来ているクロッチの部分を唇でなぞり、ぷにぷにとした下腹を舌先で刺激する。  
薄い布を通しても、なつみの陰部のじっとりとした湿り気が感じられた。  
「なつみのココ、すげえウマイぞ……」  
「や……ヤト、変態すぎるぞ……こーこー時代からそんなこと考えてたんでしょ……?」  
「うっせえ。黙って犯されろ」  
「うう……」  
羞恥心をあおる姿と、俺の愛撫になつみはあっけなく「落ちた」。  
あっさりと抵抗をやめ、顔を突っ伏し俺に完全に身を委ねてくる。  
いやそれどころか、さらに愛撫を求めるように、俺の顔に下腹部を押し付けた。  
「……そんなにして欲しいのか?」  
一瞬動きを止め、そう問いかける。  
すると、なつみはちらりと振り返り、小さく頷いて見せた。  
惚けたように焦点の定まらぬ目で見つめるなつみに、俺はにやりと笑い返す。  
 
尻を抱きかかえながら、片手でなつみの下着を半分ずり下げた。  
背格好に不相応なほど成熟した秘肉や、愛液で艶光りする陰毛が現れる。  
夢中で顔を押し付け、愛液を舐めとり、陰部全体を舌でなぞる。  
俺が何かするたび、なつみは感に絶えたような悲鳴を上げ、腰をくねらせた。  
 
もう、なつみは快感の声を上げる力すらないようだった。  
はあはあと荒い息をつきながら、それでも更に快感を求めて腰を振っている。  
既に準備は整ったように見えた。言うまでもなく、俺も既にはちきれんばかりに勃起している。  
挿入しやすいように、下着を全て脱がしてやると、なつみも全てを察した。  
俺がズボンと下着を脱ぐ間も、腰を突き上げたままじっと俺を待っている。  
 
下着を脱ぎ捨て、勢いよく「なつみ」に突き入れる。  
「ぅんっ……!」  
なつみの吐息交じりの嬌声が響く。  
「動くぞ」  
俺はそう短く宣言するなり、腰を両手でつかんだまま、激しく前後に動き始めた。  
「ひっ、あ、え、い、いきなり……? あ、やっ、やっ、やっ!」  
俺が突き入れるたび、なつみは短く叫ぶ。だが苦しげだったのは僅かな間だった。  
たちまちそれは切なげな声となり、短く鋭い吐息になる。  
俺の腰使いになつみも激しく応える。  
初めてだというのに、俺たちはもう何度も体を重ねた間柄のように、互いの望むことを理解していた。  
 
「ね、ねぇ、ヤト、やとっ……!」  
「なっ……なんだっ」  
背後から挿入されながら、なつみは絶え絶えに言う。  
「いっ、イくときは、や、ヤトの顔みてたいの……お、おね、お願い……」  
「……やだね」  
あえて俺は冷酷な人間を演じることにした。そうでなければ、最後まで行けそうにもなかった。  
「お願い……何でもヤトの言うこと聞くから……さ、さいご、最後だけ……」  
荒々しい俺の動きに耐えながら、なつみは懇願する。  
「――何でもか?」  
「うんっ、だから。だからぁ……ヤトの、かお、見ながら……!」  
 
泣き出しそうななつみの声に、俺はいったん動きを止める。  
するりと腰を抜くと、力任せになつみの体をあお向ける。  
「……約束だぞ?」  
「うん…………」  
なつみが頷くのを確かめ、俺はなつみに覆いかぶさる。  
そして、また激しくなつみを突き上げていく。  
「ぁ、ぁ、あっ、ぁ、ぁん、あっ。ヤト、ヤトっ……!」  
そう言ってなつみはしがみついて来る。  
俺もなつみの背中に両手を回すと、体をぴったりと密着させた。  
愛しいなつみの顔。そして触れ合う温もり。  
情けないが、俺はもうそれだけでたちまち達してしまいそうになる。  
「……なつみ、出すからな……!」  
なつみの耳元で囁くと、俺はこれまで以上の激しさでひたすらなつみを責め上げた。  
真っ白な塊が頭の中に広がり、やがて背中を何かでっかいものが駆け下りていくような感覚が襲う。  
「なっ……なつみっ!」  
「や、やぁっっ…………!!」  
無意識のうちになつみの名を叫びながら、俺は全てを吐き出した。  
 
 
 
エピローグ.  
力尽きた俺は、仰向けに転がった。  
なつみは、俺の胸に顔を埋めるようにしがみついている。  
「ヤト……ありがと」  
額を擦りつけてくるなつみの髪を撫でながら、俺はその心地よい声に聞き入っていた。  
「明日から、またいつもの私に戻るから、ね」  
それは、なつみなりのケジメのつけ方なのだろう。  
明日からまたいつも通り、なつみが夕飯を買ってきて、二人で食べて、勝手に時間を潰して、別れる。  
ほんのさっきまでそうしていたはずなのに、何故かとても懐かしい思い出のような気がした。  
そう感じるのは、それを永久に失ってしまったせいなのか、それとも――  
「もしヤトが迷惑だったら、私もう来ない……から。あはは……」  
乾いた笑いの中から吐き出した言葉に、俺は思わず髪を撫でていた手を止める。  
だが、なつみはそれにも気づかないようだった。  
俺の胸にじっと額を当て、俺に寄り添っている。  
 
「勝手なこと言うなよ」  
「ん……?」  
俺がそう言うと、なつみはやっと顔を上げた。  
「約束、忘れたのか? 何でも言うこと聞くんだろ」  
「え、あ、う……うん、そうだけど…………」  
どもりながらも、なつみは答える。  
「じゃあ、とりあえず今日は泊まっていけ」  
「――――え?」  
俺は天井をじっと見上げたまま、努めて淡々と言葉を続けた。  
「一回で終わると思うんじゃねーよ。まだまだお前とヤりたいんだからな」  
「あ、え? え。えと、えーっと……お、OK……」  
なつみが了承するのを視界の端で捉える。なつみは、顔を真っ赤にしている。  
「……それから、明日から夕飯はお前が作れよ」  
「え、な、なんで……」  
「そんで、明日も泊まっていけ。ついでに洗濯と部屋の掃除もしろ。  
明後日からは朝メシも作れ。で、一緒に食べてから仕事に行くんだ。  
明後日も泊まれ。明々後日も、その次の日も、そのまた次の日も、ずーっと泊まっていけ。  
不便だろうから、明日来る時に着替えと身の回りの品と、それからお前の必要な物を持って来い」  
なつみを黙らせるように、俺は考えていたことを一気に喋った。  
「あの、それって」  
「…………近いうちに、おじさんとおばさんに挨拶に行くから」  
俺はそう言ってしまってから、死にたくなるほどの恥ずかしさを感じた。  
勢いだけで喋ってることは自分でも分かってた。でも俺の口がこう勝手に動くのなら――  
きっとそれが俺の本心に違いない。  
 
渋面を作る俺を、なつみはじっと見つめていた。  
その顔が、太陽みたいに輝く。  
さっきまで涙がこぼれそうだった目を、目一杯開いて。  
なつみは力の限り、俺を抱きしめる。  
 
「――ヤト、大好きっ!!」  
 
(終わり)  
 

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