「待て、お前今なんつった?」
あまりの台詞に呆気に取られた俺を無視するかのように、
テーブルを挟んで向かい側にいるやつはいつもの調子で言った。
「ですから」
常時の微笑みの中に僅かの呆れを垣間見せて、
「速水の生殖器を見せてください、と言ったのです」
目の前に座る旧知の仲の女の口から発せられた言葉だった。
さて、ここでシンキングタイムだ。繰り返すようだが、こいつは今なんつった?
俺の耳がおかしくなってなけりゃその台詞の意味は「てめーのチンポ見せろ」になる筈だ。
俺は俺を信じている。俺の耳がおかしくなったとは思えないから、つまりおかしくなったのはこの現実だ。
なんてこった。イカれた人間が最近増えてきているのは感じていたが、色んなモンをすっとばして現実までイカれちまいやがった。
この現実世界で、果たして俺はどうすりゃいいんだろうかね。
狂っていると分かっている中で生活するようなチャレンジャー精神は持ち合わせていないぜ。
……んなこたどうでもいい。第一狂ってンのは俺でも現実でもなくて、つまり目の前にいるこの女だ。多分。
「何で俺がお前にそんなモン見せなけりゃならん」
何が狂っているかの結論は取り敢えず放棄し、目前の問題を片付けることにした。
「私が見たいからに決まっているじゃないですか」
しかしあっけらかんと答える件の女。
「何で見たいんだよ」
「興味があるからです」
「幼少期でもないのに、何で今更そんなもんに興味示してんだ」
「ただの気分ですよ。それ以上にも以下にもなりそうな理由は何一つありません」
最近の女ってのは気分次第で男のイチモツを見ようとすんのか。
昔ッから女は何考えてんのかまるで分からないと思っていたが、
まさかここまで常識から逸脱した思考を持っている生物だとは思わなかったぜ。やれやれだ。
「なあ、ちせり」
「はい、何でしょう、速水」
俺がちせりと呼んだ女はさきほどからの微笑のまま軽く首を傾げる。
「バイク出してやるから病院行ってこい」
「はあ、病院ですか? 私は特に体調はおかしくありませんが、またどうして」
「おめーは頭を見てもらったほうがいい」
「頭蓋骨を傷つけたり脳から変なものが湧いたりした覚えもありませんけど」
会話が微妙に噛み合っていない。
「いきなり幼馴染の男に生殖器見せろだのほざくような奴はどう考えても頭がイカれてます本当にありがとうございましたッ!」
「私、そんなに変なこと言っていますか?」
言ってるだろ。
「いえ、こうしてあなたの部屋に久々に訪れると、やっぱり私の記憶の中のものとは景色が違うんですよ。
そうしたら、じゃああなた自身はどうなのかな、と少々気になって」
「生殖器じゃなくたっていいだろ」
「あなたの顔や体型なんかは普段から見ているんだから、改めてお願いして見せて貰う必要なんてないじゃないですか。
でも生殖器なんて幼少の頃に何度か見ただけですし」
そりゃあそうだが。だからと言って今更こんなこと言い出すアホは普通いない。
「で、こいつはアホだったわけだ」
「なんだかよく分かりませんが、別にアホでも構いませんよ。人間みんなアホみたいなものですし」
俺はお前ほどアホじゃないと主張したい。バカではあるが。頭のデキがな。
「まあ、アホは別にどうだっていいんです。私が望むのは、あなたの生殖器を見ることだけなのですよ」
「他の部分にしろよ」
「さっき言った通り顔や体型では意味がないし、さりとてお腹や背中では代わり映えなんてまるでないでしょう。
私がろくに知らないあなたの部分は、と考えたら、自然ソレに絞り込まれただけです」
理論的なのかそうでないのかすら判別つかんな。
そもそも理論的か否かという天秤にかけること自体がなんとも馬鹿馬鹿しく感じるのは、まず気のせいではないだろう。
「だったらよ、俺はちせりの生殖器が気になるから見せてくれ、ってのもありだよな」
軽い悪戯心のようなものが目覚め、そんなことを言った俺に対し、ちせりは
「はあ。そうですね、構いませんよ。見ますか?」
と言って立ち上がりながらスカートを穿いたまま下着をするすると降ろしはじめて「やめろ阿呆!」
「見せろと言ったかと思えばやめろと言ったり、忙しい人ですね」
「誰が本当に脱ぐと思うかよ。ええい、とっとと下着を穿き直せ」
不承不承といった感じに下着を穿き直すちせり。どうでもいいが白のレースだった。しかし特に感想はない。
「えーと、ですから見せて下さい」
「断る」
我ながら素晴らしい即答っぷりだったと思う。ギネスに載るかもしれんね。
不幸なことにタイマーもテープレコーダーも持ってないが。
「何故ダメなんです?」
「そんなアホな理由でマイサンを晒してたまるか」
「いいじゃないですか、減るものじゃないですし」
「精神が磨滅するんだよ」
「ならば仕方ありません、交換条件としてやはり私の生殖器を見せるのでそっちも見せて下さい」
「嫌だ。だから脱ぐなっつってるだろ馬鹿野郎!!」
俺がツッコんだ時には既に下着を片足外していた。うんざりだ。
「速水も強情ですね。これだけ女の子に頼まれればいい加減ウンと頷いてもいいと思うんですが」
「俺はお前を女の子に該当するかどうかを疑っているがね」
こんな脱ぎたがりの女は短くとも長い18年間で一人たりともいなかった。
「それはまた失礼ですね。私は人間という哺乳類の女に該当される生物ですよ。
ほら、ちゃんと胸だって膨らんでいますし、男性の生殖器もついていません」
「脱ぐなって三度も言わせんなド畜生!!」
尤も今回は言うのが遅い……というかちせりの脱衣が神速じみていて間に合わず、
上着ははだけられてブラが見えているし、下は脱ぎかけのパンツが未だこいつの足に引っ掛かっているままで、
一瞬だけだが、その、なんだ、アレが見えた。よくは見えなかったけどな。本当だぞ。
「というわけで、私は生殖器も見せましたし、サービスで胸だって見せました。今度は速水の番です。さあどうぞ」
「どうぞじゃねえ」
一体いつまでこんなやりとりしてりゃあいいんだ? もうだいぶ面倒くさくなってきたぜ。
溜息をひとつついて、
「生殖器なんぞはほいほい人に見せんなそして見ようとするな」
「何故です?」
「ちっとは恥じらいとか持てってんだ。でもってカレシでも出来た時に見せ合いっこでもなんでもすりゃいい」
「あれ、私の彼氏って速水じゃありませんでしたっけ」
――なんだと?
「俺等って付き合っていたか?」
「さあ。告白はしていないと思いますけど、普段していることは割とそこら辺のカップルと同じじゃありません?」
「俺はお前とベッドの上でイチャついた覚えはないぜ」
「奇遇ですね、私もありません。そもそもそんなことがあったなら既にあなたの息子さんは見ているんでしょうから、
今更わざわざこんなこと言う必要がありませんよ」
本格的に頭が痛くなってきた。誰かこいつをどうにかしてくれよ。今なら格安セールで売っぱらってやるぜ。
そうだな、でも顔もスタイルも結構いいから、えーといくらくらいがいいだろう。
「仕方ありません。取り引きといきましょう」
さっき交換条件という類義語を聞いた気がするが。
「取り引きだと? 何をだ?」
「生ハメ一回分です。どうぞ、猛った欲望を私に向けて解放して下さい。
そうすれば私も速水の生殖器をまじまじと観察できます。一石二鳥です」
立ち上がりテーブルを回り込んで、馬鹿女に垂直に拳骨を一発食らわせた。
「い、痛いです、何するんですかっ」
「てめえこそ何言ってやがる馬鹿女。その発言が本気なら俺はブチ切れるぜ」
「何故ですっ。速水だってそこそこには溜まっているでしょうっ」
後者の質問にはイエスともノーとも答えるつもりはないね。
「少しは自分の体を大事にしやがれ。大体お前まだ処女だろ」
「そりゃあ処女ですけど。……大事にって、心配でもしてくれているんですか?」
うん? なんか今までにはない瞳をしている。何だ?
「そりゃあ一応心配はするさ。幼馴染だし」
「幼馴染と心配がどう繋がってるのかよく分からないのですが」
「仲のいい人間がイヤな目に遭うのは誰だっていやだろ」
「なるほど」
真面目に納得していやがる。俺は本当に同年代の人間と話をしているんだろうな。なんだか怪しくなってきたぜ。
「それならむしろ、是非とも私をハメて頂きたいものですが」
は?
「……どーいうこった」
「どういうことだと言われても。嬉しかったので」
相変わらずよく分からない会話だ。微妙に噛み合ってないことだけはよく分かるけどな。
「嬉しかったって、何だよ」
「ですから心配して貰えたことが嬉しかったと言っているんです。私は速水が好きですから」
クエスチョンマークが俺の頭の上を無数に巡っている。好きだからどうした。
と思っていたのだが、予想していなかった言葉が返ってきた。
「――ああ、幼馴染や友達としての好き、ではなく、恋愛感情の好き、という意味ですよ」
「……なんだって?」
「ですから、私は、速水のことが、一人の、異性として、好き、なんです。
うーん、そうですね、愛していると言っても過言でもないかもしれません」
わざわざアクセントをつけて説明をしてきやがった。説明と呼べるほどのもんではないが。
それにしたって何だこの告白かっこクエスチョンマークかっこ閉じは。
告白ってする方もされる方ももっとドキドキする甘くて少しだけ酸っぱいようなもんじゃなかったっけか?
いや、俺はドキドキしているぜ。何が何だかわからないというある種の恐怖感にな。
しかし目の前のちせりはどこをどう見ても普通だ。唯一、瞳だけはちょっと色が違うが。
それでもだ、
「俺がお前を心配したからって、体を捧げるほどのもんじゃねえだろう」
「でも嬉しかったものはしょうがないじゃないですか」
しょうがないのか? それ。
「というわけで是非とも私を抱いて頂きたい所存です。さあ」
さあ、じゃねえ。
「少し落ち着けお前」
「充分落ち着いているつもりですけど」
「ああもうどっちでもいい。とにかくだ、いきなりそんなこと言われても困る。俺にどうしろってんだ」
「だから私を抱いて」「それはいい」
やれやれ、と頭を横に振って、
「お前が俺を好いているのは分かったさ。でも俺がお前を好きかどうかは何も言ってねえだろ。
お互いが好き合っていて、尚且つ双方の同意の下でヤるもんだと思うぜ、そういうのは」
「では速水は私を好きではないのですか?」
そりゃあまあ、
――好きなんだろう、多分。幼馴染としても異性としても。
なんだかんだでちせりとはそれなりに長い間幼馴染とか同級生とか友達とかやったが、
中学生辺りになると疎遠になるというありがちなパターンも特に発生することなく、
割と仲良くやってきたと思ってる。
恋愛感情が抱いているかどうかといえば、昔から一緒だったからあまり大きな感情の変動はないが、
今までで会った女の誰を選ぶかってことになったら俺はきっと迷わずちせりを選ぶだろうさ。
ここ数年は会話しているとなんか疲れることが多いけどな。正直もう慣れちまったから大して気にもならん。
というような思考が頭を何度か巡って、
「好きだな」
という結論に達した。いや始めから達していたんだけどさ。
「異性としてですか?」
「異性としてだな」
俺がそういうといつもの常時微笑みは7割くらい増して、
「嬉しいです」
「そうかい」
こうなると少し恥ずかしい気がしないでもない。何コクり合ってんだ俺等は。
「さあ、これで問題がないはずです。どうぞ抱いてくださいハメてください」
恥ずかしさの余韻もクソも無かった。
「性急過ぎねえかソレは。まだ相思相愛ってのが判明しただけだぜ」
「そうでしょうか」
ちせりは、言って小首を傾げて頬に掌を当てた。
こんな状況だと、そのどうでもよさそうな行動すら可愛く見えて困るな。
「ならいつならいいんでしょうか」
「知るかよ。適当でいいんじゃねえか」
「なら今でも」「よくねえ」
そもそもヤる気が起きない。お互い気持ちが分かったのはいいが、それ以前の会話がアホ過ぎて泣けるしな。
さすがにこれじゃあマイサンも勃ちはしねえぜ。多分だけどな。
「ううん。なかなか難しいですね」
「そうか」
「でも、あなたをその気にさせればヤれるってことですよね」
「そうかもしれんな」
適当に返事したのが悪かった。その言葉を聞くや否や、ちせりは俺の股間へとまっしぐら。
猫だか犬だかもびっくりだ。いやフードは関係ないが。
「おま、何してんだ!」
「ですから、ヤる気を起こさせようとしているんです。
どうも速水は視覚情報は拒否する傾向にあるので、直接手で触れてみようという画策です。どうです」
評価を求められても、と考える間もなくちせりは俺の股間に手を伸ばしてぺたぺたを触れている。くすぐったい。
「お前、本気かよ」
「私は常に本気ですよ。ある程度は」
ある程度かよ、というツッコミをするのも億劫になってきた。
「おい、ちせり」
「なんですか? やはり直接触られると感じますか?」
そんなことはどうでもいい。
「抱くのはその内ヤってやるからしばらく我慢しやがれ」
「むう。頑なですね。仕方ありません」
そう言うとちせりは少し名残惜しそうに下着越しの俺のブツから手を離した。
「それでは」
俺の目の前にちんまりと座り込んで、何故か土下座。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします」
「いつから結婚の話になったんだ?」
果てしなく疲れた。
至極どうでもいいことだが、それから約1ヵ月後、めでたいかどうかはともかく俺とちせりは果たして結ばれた。
ちゃんちゃん。(投げやり)
「で、俺の生殖器の感想は?」
「ちょっとグロかったです」