ちょっと話がある。  
そう言って浅田さんは私を放課後の教室に呼びつけた。  
どういうわけかそこには他の女の子が何人もいた。  
「あんた、西岡君のこと誘惑してんじゃないわよ」  
ゴミを見るような目で吐き捨てる浅田さん。  
「そうよそうよ!」  
「尻の軽い女ってサイテーよね。その分胸はデカイみたいだけど」  
「ぎゃはは、うまいこと言う!」  
周りの女の子たちも、みんな揃って私を攻撃している。  
私は必死で否定したけど、誰も私の言うことなんて信じてくれなかった。  
 
西岡君はこのクラスで一番人気のあるサッカー部のエースだ。  
確かに私もかっこいいとは思う。  
だけど決して誘惑なんてしてないし、  
第一ほとんどまともに話すらしたことがない。  
どう考えても浅田さんの言いがかりとしか思えなかった。  
だけど浅田さんも他の子たちも、みんな本気で私が彼を誘惑したと思っている。  
何を言ってもその3倍言い返されるばかりで、  
気がつけば私は飛び出すように教室を出ていた。  
 
これは今に始まったことじゃない。  
私の胸が大きくなり始めたころから。  
それは明らかに早すぎたし、大きすぎた。  
ブラジャーをつけたのも学年で一番早かったし、  
そのブラジャーもすぐにきつくなって買い換えるはめになった。  
中学に入ってからもその成長はまったく止まってくれず、  
今では制服越しにも隠しようがないほどの大きさになっている。  
いつからだろう。  
男子が私を見る視線が、いつも微妙に下を向くようになったのは。  
揉ませろなんて言われたりもした。  
そのうち先生までもが私をいやらしい目で見ているんじゃないかと思うようになった。  
さすがにそれは自意識過剰なんじゃないかとも思う。  
だけど確かにそんな視線を感じるのだ。  
私はいつしか学校に行くことが苦痛になっていった。  
拍車をかけたのは女子の態度だ。  
やれ「デカチチは胸に栄養がいってるから頭が悪い」だの、  
やれ「いつもエッチなことばかり考えてるからああいう体になる」だの、  
挙句の果てには「彼氏に毎日揉まれているからだ」などと根も葉もない陰口を叩かれた。  
そして今日の詰問だ。  
もうイヤだ。  
もうたくさんだ。  
いっそ死んでしまったらどれほど楽だろう?  
バカなことを考えていると思う。  
だけどどうしようもないのだ。  
車がびゅんびゅんと走り去る道の隅で、  
私はうつむいて歩きながら涙をこらえていた。  
 
「璃亜?」  
突然後ろから声がした。  
びくっとして振り向くと、そこには昔から良く知った顔があった。  
「正ちゃん……。 クラブはどうしたの?」  
「テスト前だから休みだよ。お前こそどうしたんだよ璃亜。  
 具合でも悪いのか?」  
正ちゃん。  
物心つく前からの大切な友達。  
正ちゃんは心配そうに私の顔を覗き込んできた。  
「え、えっと……なんでもない」  
「? ……そうか」  
納得はしていないみたいだったけど、それ以上は何も聞かれなかった。  
正ちゃんは私の左に並んで歩き出す。  
なんだかすごく懐かしい。  
小学校時代はいつもこうして二人で登下校していた。  
中学に入ってからはクラスもクラブもばらばらで、  
一緒に帰ることはなくなった。  
それでもしばらくのあいだ登校だけは二人一緒だったけど、  
正ちゃんが朝練に出るようになってからはそれもなくなった。  
最近はたまに会って挨拶を交わすぐらいでほとんど話もしていない。  
そんな正ちゃんが隣にいる。  
なぜかそれだけで不安や苛立ちがやわらいでいくのを感じた。  
 
「最近どうよ? 楽しいか?」  
正ちゃんは石ころを蹴飛ばしながらそう聞いてきた。  
「うん……」  
私はまた嘘をついた。  
本当のことを話せば楽になれるかもしれない。  
けれど私にはその程度の勇気もなかった。  
「本当に? 俺最近璃亜の楽しそうな顔全然見ないんだけどな」  
「えっ……?」  
「たまに学校で見かけてもなんか辛そうっていうか、  
 疲れてるっていうか……。  
 ごめんな、何度も話しかけようと思ったけど、  
 なんて声かけたらいいかわからなかった」  
私は何度も首を横に振った。  
「いいの! 気にしないで、私は平気だから。  
 なんともないから」  
まさか正ちゃんが学校で私に気をかけてくれていたなんて……。  
正ちゃんは黙って前を向いたまま歩いている。  
私もそれ以上何を言ったらいいのかわからなかった。  
そのまま私たちは自宅の前まで無言で歩き続けた。  
 
「それじゃあ正ちゃん、またね」  
「……なあ」  
手を振った私に対し、正ちゃんはまっすぐ立ったまま  
私の瞳をじっと見つめてきた。  
「ちょっとうち寄ってけよ」  
心臓が一瞬縮まった。  
正ちゃんが、私を誘っている?  
「飲み物とお菓子ぐらい出すからさ。  
 どうせ璃亜んちも誰もいないんだろ?」  
「で、でもテスト勉強しなきゃ……」  
「そんなの一緒にやればいいじゃん」  
正ちゃんは有無を言わせず背後に回りこんで私の背中を両手で押した。  
変だ。  
こんな強引な正ちゃんは初めて見る。  
「遠慮すんなって。  
 昔は毎日うちに来てただろ」  
私は結局抵抗できず玄関前まで押されてしまう。  
「ささ、上がった上がった」  
玄関の鍵を開けて私を連れ込む正ちゃん。  
今この家には私と正ちゃんしかいない。  
そう思うと心臓が闇雲に鳴り響いた。  
 
そして私は正ちゃんの部屋にいる。  
2年ぶりに見るそこは私の記憶とはずいぶん違ったものになっていた。  
私の知らない洋服やオーディオがあって、  
私の知っている学習机は真新しい黒い机に置き換わっていた。  
それからベッド。  
なぜか無性に気になる。  
あそこで正ちゃんは寝てるんだ……。  
どうにも落ち着かなくてきょろきょろしていると、  
お盆を持った正ちゃんが部屋に入ってきた。  
ウーロン茶とポテトチップス。  
正ちゃんは私の正面に座ってポテトチップスをひとつ口に入れた。  
「で……何があったんだよ」  
正ちゃんはじっと私の目を見据えている。  
その言葉と表情は真剣そのものだった。  
「なんでもない」  
「嘘つけ、このごろずっと様子がおかしかっただろ。  
 この際だから今ここで聞いておきたいんだ」  
私が黙っているあいだ、正ちゃんはウーロン茶とポテトチップスを  
規則正しく交互に口に運んでいた。  
視線は……ずっと私の目を見ている。  
正ちゃんにとっては、私の胸ってちらちら見るほどのものじゃないんだろうか。  
「どうしても話したくないってんだったら別にいいけどさ。  
 俺にできることがあったらなんでもするから。  
 その……まあ、なんだ。  
 あんまり一人で抱え込むなよ。な?  
 俺なんかでよけりゃ協力させてくれよ。  
 だって俺ら……その…………  
 友達、だろ?」  
正ちゃんは頭をぽりぽりとかいて照れくさそうに微笑んだ。  
まずいよ正ちゃん、優しすぎる。  
どうしよう、涙、出てきちゃったみたい。  
 
「ぅ……正ちゃ……ひぐっ……」  
まるっきり言葉にならなかった。  
涙が次から次からあふれ出てきて、どうにも止まらなかった。  
うつむいたのはこんな顔を見られたくないから。  
「お、オイ、どうしたんだよ璃亜っ」  
両肩を掴まれた。  
正ちゃんの顔が十数センチの距離に来る。  
正ちゃんの息がかかる。  
正ちゃん。  
顔を上げると視界は全部正ちゃんだった。  
正ちゃんの瞳に私の顔が映っていた。  
「正ちゃん……あたしたち……友達……?」  
「当たり前だろ」  
友達。  
そうだ。  
正ちゃんにとって、私はあくまでも友達。  
家が近くて、小さい頃から仲が良くて、いつでも気軽に相談に乗れるような……  
「やだ」  
「え?」  
「そんなのやだよ、正ちゃん」  
「え……」  
何を言ってるんだろう私は。  
自分で自分のセリフを制御できない。  
頭の中で思ったことがダダ漏れになっている。  
 
イヤだ。  
友達じゃイヤだ。  
どうして今まで気付かなかったんだろう。  
どうして今まで一人だと思ってたんだろう。  
こんなに近くに、こんなに素敵な男の子がいるのに。  
 
好きなんだ。  
友達としてじゃなく、もちろんそれもあるけれど、  
もっと深い意味で、私は正ちゃんが好きなんだ。  
 
気付いたら体が勝手に動いていた。  
正ちゃんを抱きしめていた。  
「好き……」  
「えええ!?」  
精一杯の力で正ちゃんを締め付ける。  
苦しいかもしれないけど緩めない。  
緩めたら正ちゃんがどこかに行ってしまいそうだから。  
「お、おい璃亜、おかしいって。  
 今日のお前、絶対なんかおかしいって」  
「おかしくしたのは正ちゃんだよ?」  
「はあ?」  
「熱いよ……」  
「そりゃこんだけ密着してたら……」  
「違うよ。そうじゃないよ。  
 もっと、体の奥のほうが熱いの……」  
意を決して正ちゃんの体を離す。  
正ちゃんの顔は夕日みたいに真っ赤に染まっていた。  
きっと私も。  
「ねぇ正ちゃん……。  
 キスしよっか」  
 
 
言ってしまった。  
「好き」「キスしよっか」  
もう取り消せない。  
私の心臓は機関車のエンジンよりも激しく動いて、  
蒸気の代わりに荒い息が噴き出している。  
正ちゃんは固まっている。  
口が半開きで、目は大開き。  
そうだよね、いきなりすぎるよね。  
ごめんね、正ちゃん……。  
 
「その……なんだ、うん。  
 あれだ、冗談とか、気の迷いとかじゃないんだよな?」  
私はあごが鎖骨の真ん中にぶつかるぐらいの勢いでうなずく。  
そしてまっすぐ正ちゃんを見据えた。  
「今気付いたばっかりだけど、でも、すっごく本気」  
「そうか……」  
頭をかく正ちゃん。  
その表情は、なんだか困っているような、戸惑っているような……  
やっぱり駄目なんだと思うと目の前の光景がグニャグニャ崩れていくような気がした。  
もう流す涙もないや。  
「だせーな、俺」  
「……え?」  
正ちゃんが笑った。  
何かを馬鹿にするような感じで。  
「絶対俺から言おうと思ってたのにさ」  
そうつぶやいた。  
「それって……それって……」  
「俺も好きだよ、璃亜」  
今度は優しい笑顔だった。  
「正ちゃん……!」  
私はほとんど反射的に正ちゃんに飛びついていた。  
首に手を回してぎゅうぎゅう締め付ける。  
さっき抱きついた時よりも正ちゃんの体温がはっきりと伝わってきて……  
「り、りあ、くるし……」  
あ。  
 
「ご、ごめんね正ちゃん」  
「こほ、けほ……い、いや、ダイジョブダイジョブ」  
半泣きでどう見ても苦しそうなのに、そんな風に強がる正ちゃん。  
また私の胸がきゅんと締まった。  
「そんなことよりさ、璃亜」  
正ちゃんの顔が近づく。  
真剣なまなざしを注ぎこんで、こう言った。  
「キスしようか」  
もちろん断る理由なんてあるわけがない。  
私の返事は目をつむること。  
 
ずん。  
……あ……  
う、うわーっ、これがキスなんだっ! すごいよなんかこれ体がぞくぞくするよ  
やだなんかどんどん熱くなってくるよこれ以上熱くなったらあたし溶けちゃうよ  
正ちゃん大好きだよ正ちゃん大好きだよ正ちゃん気持ちいいよ正ちゃん  
正ちゃん正ちゃんちゃん正ちゃんしょうちゃんしょうちゃんちゃん……  
 
「おわっ?」  
「あ」  
私が正気に戻ったとき、正ちゃんは仰向けで地面に倒れてて、  
私はその上に馬乗りになっていて……なんだかこれ、私が押し倒したみたい。  
「みたいっていうか、押し倒されたんだけど」  
正ちゃんからの抗議が聞こえるけど、気にしない。  
だってほら、正ちゃんは今私のお尻の下にいるのだ。  
つまり今、いわゆる主導権は私にあるのだ。  
そう思ったら正ちゃんの汗ばんだ顔の可愛いこと可愛いこと。  
「ふっふ〜〜ん」  
何が私をそこまで大胆にさせるのか、  
何の迷いもなく正ちゃんの頭を抱き寄せる。  
ほっぺた同士を重ね合わせてこう、すりすり〜、みたいな。  
耳なんかこう、はむはむ〜、みたいな。  
「お、おいやめろって、恥ずかしいだろコラ」  
顔を真っ赤にして必死に怒ろうとする正ちゃんだけど、ちっとも怖くない。  
それどころかそんな声を聞いただけで背骨あたりがぞくぞくっとする。  
もっと怒って。  
 
その時だ。  
私の頭の中に、いつか読んだ雑誌の記事がぱっと浮かんだ。  
恋人同士のキスのやり方。  
そう、私たちがさっきやったキスは  
単にお互いの唇をついばむだけの子供同士のキス。  
それだけでも私の気持ちは弾けて飛んだ。  
だけど「本物」はそうじゃないんだって。  
「本物」のキスは……。  
ごくり。  
ノドの鳴る音が頭のてっぺんにまで響いた。  
 
私は両手で正ちゃんの頭をがっちりと固定すると、  
その大きな口に吸い付いてそこから舌を差し込んだ。  
私の舌が正ちゃんの舌を襲う。  
テクニックとか細かいことはさっぱりわからない。  
だけど私の舌は勝手に動いた。  
まるでずっと前からこの瞬間を待ち焦がれていたみたいに。  
そこは嘘みたいに熱くて、柔らかくて、幸せな場所。  
「んん〜っ、んっ」  
正ちゃんはじたばたと抵抗している。  
だけど無理ムリ。  
そりゃ力は正ちゃんのほうがあるけれど、  
今は私が正ちゃんのお腹に乗っかってる状態だもんね。  
そうこうしているうちにまた私の思考がドロドロに溶けてくる。  
次に何をしてしまうのかもう自分でもわからない。  
ただ気持ちよくて気持ちよすぎてどうにかなっちゃいそうだった。  
 
首が疲れるぐらいたっぷりとキスを味わって、  
ようやく私は顔を上げて正ちゃんから少し離れた。  
私のよだれ――いや、二人のよだれだ――が  
正ちゃんの口にたらんと落ちる。  
正ちゃんはうつろな目で息を荒げていた。  
少しずつ私の心臓が落ち着いてくる。  
興奮真っ盛りだった頭もだんだんまともに戻ってきたみたいだった。  
なんか……  
私……  
とんでもないことしちゃったような……  
 
しばらくの沈黙のあと、正ちゃんがゆっくりと口を開いた。  
「なあ璃亜」  
正ちゃんも結構落ち着いきたように見える。  
「何?」  
「よっ、と」  
正ちゃんは突然立ち上がって私を抱え挙げた。  
まさかこの体勢からあっさりと立つなんて!  
思ってたよりずっと力があるんだ。  
……て、これもしかして、お姫様抱っこ?  
「あ、えと、その……」  
正ちゃんの腕の中はとっても温かくて心地良かった。  
だけどその分恥ずかしくて縮こまってしまう。  
ここからどうするつもりなんだろう。  
わからないけど、でも、しばらくこのままでもいいかも……。  
その時だ。  
突然宙に投げ出されたかと思うと、  
一瞬無重力を感じて背中からベッドに落下した。  
「え? え? え?」  
何がなんだかわからない。  
正ちゃんのほうを見る。  
さっきまであんなにたじろいでいた彼が  
怖いぐらい冷静な目で私を見下ろしている。  
そして片手でカッターシャツのボタンを外していく。  
正ちゃんの口元が小さく開いた。  
「今度は、俺の番だからな」  
 
 
 
つづく  

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