太陽は既に地平線の向こうへ沈んで久しく、時刻は真夜中。
ふと時計に目をやると時刻は11時59分、日付の変わり目だった。
「てっぺん」って言うんだっけ、どこかの業界では。
机に向かって座っていた少年はそれまで読んでいた本をぱたりと閉じて、うーんと思い切り背筋を伸ばした。
両親はもう寝入っているのだろう。家の中は静まりかえっている。
隣の部屋にいる姉ならまだ起きているかもしれないが、
彼女は夜中に大きな物音を立てるような人間ではない。
それでなくとも普段から物静かな人なのだ。
その静けさを打ち破ることを躊躇うかのような控えめなノックの音が部屋に響いた。
「どうぞ」
すっと扉を開いて顔を覗かせたのは隣室の姉だった。
理知的な顔立ちをした彼女は、普段頭の後ろで結んでいる髪を今は背中まで垂らしている。
「おじゃまします」
そう言って彼女は部屋へ入ってきた。
「どうしたの、クー姉。こんな時間に珍しいね」
クー姉と呼ばれたその少女――本名はクミという――は滑るように部屋を歩き、
椅子に座った少年の隣に立った。彼女がちらりと時計を見ると時刻はまさに深夜0時を迎えた所だった。
「誕生日おめでとう、セイジ」
「え? あ、あぁ、そっか。うん、どうもありがとう」
セイジという名のその少年は、唐突な彼女の台詞に戸惑ったが、
すぐに今日が自分の誕生日だということを思い出した。
すっかり忘れてた、と思いながらクミに尋ねる。
「でもどうしてわざわざこんな時間に」
「セイジの誕生日を一番に祝いたかったから」
クミは毛ほども恥ずかしがる様子を見せず真顔でそう言い切った。
一方のセイジは顔を赤くしてあたふたしている。
相変わらずだな、姉さんは。表情を変えない姉を見ながら、セイジは心の中で呟いた。
クミは何を考えているか分からない人だった。
感情が全くと言っていいほど表情に表れないことに加え、
常人を超越した思考回路がその原因だ。
頭は非常に良いのだが、たまに突拍子のない発言をしては周りを困惑と笑いの渦に巻き込むのだった。
クールビューティーかつ天然、それが周囲のクミに対する認識だ。
「それはともかくとして、今夜はセイジに重要な話があります」
とクミは言った。
一番に祝いたいとか言っておいてその話題はあっさり流すんだな、
とセイジは思ったが何も言わずに大人しく続きを促した。
クミと付き合っていくには細かいことに拘らないことが肝要だと、長年弟をしてきた彼は悟っているのだ。
「とりあえずこっちに座りなさい」
クミはぽんぽんとベッドを叩いた。
「ん? ここじゃだめなの」
「卒倒して椅子から転げ落ちたら大変ですから」
そんなにとてつもない話なのか、とセイジは若干不安を感じたが素直にクミの横に座り直した。
「さて」
と言ってクミが真っ直ぐにセイジの目を見つめてくる。
相変わらず表情筋は微動だにしていない。
まるで全てを見透かしているかのような彼女の目を怖いという人もいるが、彼はその澄んだ瞳が好きだった。
「実はセイジはうちの子ではありません」
脳がその言葉を理解するまでにしばしの時間を要した。
真っ白になった頭の中で、僕は今、呆然としてるんだな、と頭の片隅に残った冷静な自分がそう思った。
「えーっと、それってどういう意味?」
「一言で言えばセイジは養子ということです」
俄には信じがたい話ではあった。しかし――。
「姉さんがこんな嘘を吐くとは思えないし、ましてや冗談を言うなんてもっとあり得ないし。でも養子?」
「私が冗談を言うことと、セイジが養子であることとが、同じくらい現実味が薄いと思われている点はいささか不本意ですが、
嘘を吐いているわけでも冗談を言っているわけでもありません」
クミは包み込むようにセイジの手をとった。
セイジは、確かにベッドの方に座ってて正解だったかもしれないな、確かに転げ落ちててもおかしくない話だった、とどこか的はずれなことを考えていた。
「一応言っておきますが、血のつながりがないからと言って、
私を含めた家族全員の愛に疑いを差し挟む余地はありません。たとえ養子であろうと、
セイジが私の弟であり家族だという事実に変わりはありませんから、そこの所は忘れないように」
クミはいつもと変わらない口調でそう言った。
そしてどこか遠くを見つめているかのようにぼんやりとしていたセイジの瞳がようやく焦点を結んだ。
「えっと、うん、そうだよね。ごめん、ぼーっとしてた。ちょっと信じがたい話だったけど、まぁ、クー姉がそう言うならそうなんだろうね」
「もう大丈夫?」
「これから先、もっと時間を掛けて少しづつ、そうなんだなって実感していくんだろうとは思うけどさ、
とりあえず今日は平気。クー姉のことはこれからも姉さんって呼んでいいんでしょ?」
「うん」
セイジはにっこりと微笑んだ。
このときはクミの顔にもほんの少し笑みが浮かんでいるように思えた。
「でもびっくりしたよ。いきなりなんだもん」
柔らかくなった空気の中でセイジが言った。
「セイジが16歳になったら伝えることになってたの」
「……それって父さんたちは明日、っていうかもう日付的には今日だけど、夕食を食べた後にでもゆっくり話すつもりだったんじゃないの?」
セイジの額をたらりと汗が流れ落ちる。
まさか両親もこの天然姉が、弟が16歳になった瞬間に家族の重大事を一人で伝えてしまったとは思うまい。
明日どんな顔してればいいんだろう、と悩む弟に対して姉は涼しい顔をしている。
「さて、セイジと私との間に血のつながりがない、ということを理解してもらった上でもう1つ重要なことがあります」
「まだあるの!?」
「というよりここからが本題です」
この姉はどこまでも想像の斜め上を行く。もはや感心するしかない。
「まぁ、今日はもう大抵のことには驚かないと思うけどね……。一体何なのさ」
クミは軽く息を吸い込んではっきりとした口調でこう言った。
「血のつながりがないからといって、家族としての絆が少しも弱まるものではない、
ということは先ほど言った通りだけど、それは別の意味で私にとっては好都合です。
セイジ、私はもちろん姉としてあなたが好き。そしてそれ以上に、愛しています。女として」
飛び上がるほど驚く、という表現が決して大げさではないことをセイジは初めて知った。
びっくりしたら本当に飛び上がるもんだなぁ、とまたしてもどこかで冷静な自分が呟いた。
そして椅子から下ろしたのはこのためかぁ〜、と感心した。
とはいえそのような妙に冷静な思考は一種の現実逃避でしかなく、改めて言葉の意味をしっかりと把握すると
「えっと、でも姉さんが、いや、それは――」
と言葉にならない言葉しか出てこないのであった。
「別の言い方をすれば、私はセイジを男として意識しているということです」
「で、でも僕たちは姉弟だし」
「義理よ」」
「それを知ったのはついさっきだし」
「私は10歳の頃から知ってた」
「そ、そんな、でも、僕は急に言われてもっ」
「セイジも私のことを女として見ている部分はあるでしょう」
ぎくっ、とした。ないとは言えない。しかしここで、あると言うわけにもいかなかった。
「ないよ、そんなの!」
「中学生の頃、私の下着で自慰をしたことがあったじゃない」
――!!
「ど、どうしてそれを……」
恥ずかしさやら情けなさやらでセイジは下を向いてしまった。
そんな彼を覗き込むようにしてクミが声をかける。
「セイジ、安心して。軽蔑なんてしてないよ。むしろ私としては嬉しかった」
「真顔でそんなこと言われても〜」
彼は何だか泣きたい気分になった。
「私は既にこの状況を何千回もシミュレートして今日この場に臨んだの。逃げ道はないから観念して。私はセイジの気持ちが聞きたい。セイジは私のことをどう思ってるの」
もちろん姉として好きだった。だが女性として意識したことがあるのも事実だった。
「す、好きに決まってるよ」
「どっちの意味で?」
「お、女の人としてもだよ」
半ばやけっぱちな気持ちでそう告白した。
その言葉を聞いたときのエミは、弟のセイジさえもこれまで見たことがないほど、自然な微笑みを浮かべた。
思わずセイジがその顔に見とれている隙に、クミはちゅっと彼の唇に口付けた。
キスされた。そう認識した途端、セイジはぼっと顔を赤らめた。
「い、いきなり何するのさ」
「ファースト・キス?」
実はこの姉は天然などではなく全部分かった上で無表情にからかっているんじゃないだろうか、と思いつつも彼は顔がますます赤くなるのを止められないのだった。
「何千回もシミュレートしたってことは、毎晩毎晩このキスのことを考えてたってわけだ。クー姉って意外とエッチなんだね」
それは苦し紛れに出た台詞だった。だがその言葉に反応してクミはふいと目を逸らし、
あろうことかうっすらと頬を桜色に染めているようにさえ見えた。
それはセイジが初めて見る姉の「照れ」の表情だった。
反撃のチャンス。脳裏でそんな言葉が踊った。
「一体どんな妄想してたのかなぁ」
そう囁きながら体を寄せる。ふっと耳に息を吹きかけると、ぴくっとクミの体が震えた。
セイジとしては戯れのつもりだった。
思いの外可愛らしい表情を見せる姉の姿に彼は十分満足していた。
だから次の姉の言葉にはまたもや唖然としてしまった。
「優しくしてね」
と小さな声で彼女は言った。
「は?」
「自分から積極的に襲わなければならないかと思っていたが、セイジがその気になってくれて私は嬉しい」
「な、何を言ってるのかな、クー姉」
「既成事実を作る必要があるということ」
「な、なんでそんな話になるんだよ」
くっつけていた体を引き離してセイジは言った。
「好き合っている者がそういう行為に及ぶのは当然だと思う」
彼の体を追うようにクミが身を乗り出す。
「いくら何でも急すぎるよ」
姉さんはいつもそうなんだ。セイジはそう言いながら押されるようにずりずりとベッドの上を後退していく。
「セイジの性格からいって、ここではっきりさせておかないと、ずるずると煮え切らない態度をとり続けることになる。だから逃げ道を塞いでおく必要がある」
彼女がそう言ったとき、セイジの背中は部屋の壁に突き当たり、まさに逃げ場はなくなっていた。
クミの顔がそっと近づいてくる。彼女の視線はまっすぐにセイジの瞳を捉えており、逸らすこともできず魅入られたように彼も彼女の目を見つめた。
ヘビに睨まれたカエルってこんな感じなのかなぁ、とぼんやり思った。
唇が触れ合う。2回目のキスだった。
それは1回目よりも遥かに深いものとなり、2人は舌を絡ませあった。
どちらからともなく唇を離した荒く息を吐いたとき、2人の顔は赤く上気していた。
今日は色んな姉の顔を発見できたな、とセイジは思った。それらは彼がこれまで想像だにしていないものだった。
そしてもっと色々な顔を見てみたい、という欲求が彼の中に湧き起こった。
セイジの手が姉のパジャマへ伸びる。
震える指でボタンを外していくとレースの付いた色っぽいブラジャーが現れた。
「いわゆる勝負下着というもの」
「わざわざそんなの言わなくていいから」
姉の言葉に思わずセイジは吹き出した。
そして少し落ち着いた気分でクミの服を脱がしていった。
何年ぶりだろう、お互いの裸を見るのは。
クミは一糸まとわぬ姿で横たわり、黒髪をベッドの上に扇状に広げている。
小学校の高学年になるまでは一緒にお風呂に入っていたよな、とセイジは思った。
今彼の目の前にあるクミの体は、彼の記憶にあった幼い少女のものから大きく変化していた。
そこにあるのは成熟した女性の肢体だった。
セイジはクミの首筋にそっと口付け、優しく乳房に手を触れた。ゆっくりと性感帯を刺激していく。
「ふうっ」
わずかに漏れ始めた喘ぎ声に後押しされるように彼は愛撫の手を強めていった。
「上手。どこでこんなこと覚えたの」
「もう、これでいいのかなってヒヤヒヤしながらやってるんだから」
やがてクミの準備が整った。
「クー姉――」
と呼びかけたセイジの眼前に指を立てて制止する。
「こういうときは名前で呼ぶこと」
彼女の言葉に頷き、改めて姿勢を整えた。
「いくよ、クミ」
体の中心を割り開かれていく痛みに、クミは声を押し殺して耐える。
まるで時が止まってしまったかのような長い一瞬が過ぎ去り、セイジはクミの最奥に辿り着いた。
「大丈夫?」
「うん。想像はしていたけど、想像通りかなり痛い」
目尻に涙を滲ませて彼女は言った。
「こんなときまでクミは冷静なんだね」
セイジはくすりと笑った。彼のその言葉に対し、クミは優しく微笑みながら言った。
「そんなことはない。幸せが体の奥から溢れてきそう。やっとひとつになれた」
それは本当に幸せそうな笑顔で、いまだかつて彼女のそんな顔を見た者はひとりもいないだろうと思われた。
そして彼女のその微笑みを向けられたただ一人の男は、思わずその笑顔に見とれてしまったのだった。
彼が16の誕生日を迎えて、まだ2時間も経っていない真夜中過ぎのことだった。
「クール姉さん、略してクー姉」おわり。