「参ったよなあ」
帰路の途中に、俺はそんなことを呟いた。
「ほんと、参ったよなあ」
繰り返して呟いた。
「ね、参ったよねえ」
幸いにも横に並んで歩くやつが同意してくれたので、ただの俺の愚痴にならずに済んだけど。
日は沈みかけ茜色に染まる世界の中、ろくな整備もされていない河川敷を歩きながらの会話だった。
高校1年生という身分はいつの間にか脱出し、学校生活に嫌ってくらいに慣れてきたせいで、
常にダウナーな雰囲気を醸し出しつつ春を過ぎた今。
教室の中で文化祭という話題が少しずつ芽を出し始め、その流れに違うことなく、
HRで我がクラスの出し物を紆余曲折を経て決めたりして。
結果から言うとその出し物ってのは劇になったわけだけど、じゃあ配役はどうするかって話になって。
「まさか主役やらされることになるとは思わなかった」
「うん、私も」
主役ズ(予定)の俺たちはそんなことを話し合いながらてくてくと歩を進める。
劇の内容はありがちな王子様とお姫様がなんたらかんたらってやつだった。その辺は予想の範疇だったのだが。
「俺に出来るとは到底思えないよ」
「まあまあ」
よりにもよって主役はないよな。
推薦で俺の名前が挙がった時にはおいおいちょっと待てよ何で俺なんだよ他に似合ってそうな奴いるだろーとか思いつつ、
さりとてあんまり深刻には考えてなかった。既に5,6人は名前が挙がっていたわけだし、その連中はおおむね俺よりイケそうだった。
しかし現実ってのは結構予想通りにはいってくれない。
結局立候補もないから挙げられた中から多数決で決めようってことになって、
そして俺は何故か圧倒的な女子の票を稼ぎたくもないのに稼いで、
ちっともめでたくないことに『王子:六条 栄司』と黒板に刻まれた己の名を眺める羽目になった。
それにしても何で女子が俺にこんなに票を入れるんだと疑ったが、
その答えは女子の中からヒロイン役の奴を決める時になって分かった。
真っ先に、今俺の隣を歩く女の名前が挙がり、「え、え?」と当人が困惑している中、
他には2人しか候補は挙がらず、多数決ではやはり女子による圧倒的な票数で見事最初の奴に決定した。
『姫:高凪 瞳』と、カッカッとチョークで書かれる文字を見て俺以上に呆然としているそいつを見ていると、
楽しそうに笑いながら俺と瞳を見ている数人の女子が視界に入り、そして理解した。
遊ばれてる。
俺と瞳はいわゆる幼馴染って間柄だ。
小中高と特に示し合わせたわけでもないのに学校は一緒だったし、中学校では同じクラスになることはなかったけど、
だからと言って家自体が近いから特に仲が疎遠になったりもせず、高校に入るとそれまでの反動か一緒のクラスで、
結構話とかしているんだが……そういうのはからかうのには恰好の餌なんだよな。
繰り返すが、劇の内容は王子と姫がどうのこうの。思いっきり、ラブロマンスとかそんな感じのやつだ。
つまり、傍目から見ると恋人みたいに見えて、しかしそういう関係を否定している俺たちにその役をやらせてやろうってことだ。
しかし女子の集団ってのは凄い。HR中だから前後の友達とは話せても、離れている奴には話せないはずなのに、
本当に示し合わせたかのように俺と瞳の時に揃って手を挙げやがった。
もちろん女子全員がそうだったわけじゃないけどさ、それでも半数くらいは間違いなくいた。
ああ、凄いよ。ほんと凄いよなあ。ちくしょう。
「女には機器を必要としない何らかの情報伝達能力があるんじゃないだろうかと思ったよ」
「え?」
「いや、なんでもない」
まあ、女ってのはそういうもんだ、と思うことにする。
「それにしても王子様、ねえ。……あー、超似合わねえ」
「そうかな? えーくんなら結構いい線いってると思うよ」
ちなみに、えーくんとかいうのは瞳のみがユーザーの俺の仇名だ。
ガキの頃からの呼び方が今にそのまま続いてるだけだけど。
「だといいんだけどな。お前が羨ましいよ、お前ならただ突っ立っているだけでも絵になりそうだし」
「そんなことないよ」
瞳は胸の前で手をひらひらと振る。
でも、こいつは佇んでいるだけでも本当に充分絵になると思う。
腰近くまである長い髪は一度も別の色に染めたことのない綺麗な漆黒で、顔も平均以上(とある悪友の話だとAAランクだそうだ)、
胸はちょっと薄くて本人はそれを悩んでいるらしいが、少し小さいその背と体には合っている。
まあ、そんなこと口に出したらぽかすか殴られるんだろうけど。
「それにしても、お前はあんまり面倒くさそうじゃないよな」
「え?」
「だから、劇の役」
俺に同調して参っただの何だのと言っている割には、瞳は俺みたいにあからさまに肩が重くなっていたりしないし、
暗い顔もしていなかった。
「ああ、まあね。確かに大変だなって思うけど、けっこう楽しみでもあるよ」
「楽しみ?」
「劇なんて小さい頃にやったきりだもん。それに、自分が何かを演じるって、わくわくするよ」
「へえ」
なかなか前向きで羨ましい。俺は心底めんどくささしか感じてないし。
「折角だし、頑張ろうよ、えーくん」
隣から軽く俺を見上げるように、瞳は言う。
「ん、そうだな」
それに俺も頷いた。
「ほい、出来たわよん」
それから数日後の学校の放課後。当番だった教室の掃除も終わり、帰り支度をしていた時だった。
ちなみに教室に瞳の姿はなく、何故かというと瞳も俺と同じく清掃当番で、
ゴミを焼却炉に持っていくというラストの大仕事を任されたからだが、それは余談だな。
ともかくそんなさなかに、ホッチキスで纏められた冊子が、部室から教室に舞い戻ってきた一人の女生徒によって
俺の目の前にずいっと差し出された。
「……何これ」
「台本に決まってるっしょ」
言われつつ受け取り、ぺらぺらとめくって中を見る。なるほど、例の劇の台本らしかった。
「そういや多島、シナリオ考案役だったっけか」
「そーよ。忘れないでよねっ」
今回の劇は、大まかな話の内容はいくつかの童話等から参考にして作ってあっても、
台詞などの細部までは考えられていなかった。なので、必然的にそれを書く人間が必要になり、
その人間が今俺の目の前にいる 多島 沙紀 になった、といった感じの経緯だ。
「さすが文芸部、作るの早いな」
「あったりまめよん。 こういう時こそ持ち前の力を発揮しないでどうするってーのさ」
「ま、な」
渡された台本を改めて適当に読み進める。多島はそんな俺を暫く眺めていた。
俺が半ば読み終わった頃、
「どーよ、結構イケるっしょ?」
「そこそこ、かな」
「あっあー、ひっどい奴ぅ」
とは言え、多島が自信ある発言をするのも分かる。てんで素人な俺だが、
どこにでもあるような味気ない物語がなかなか面白く組みかえられていた。
「ひとみんなら『凄いね』とか言ってくれそうなのに、あーやだやだ、男ってのは冷ったいよねぇ」
「へいへい。ま、半分は冗談だ。悪かったよ」
「半分ってこたー残りは本気ってことじゃないのさっ」
ぷんすか怒ったような顔を形作る多島。でも本気で怒っていないのは何となく分かる。
目はおかしくて笑ってるって感じだし。
「あれ、何してるの?」
そんなやりとりをしている中、もう一人の主役が教室に戻ってきた。
「おかえり、ひとみーん。ゴミ捨てなお仕事ご苦労さまーん」
「うん。ありがとう」
「そいでこれっ。文化祭の劇の台本、ついさっき完成したんでプリントアウトして持ってきたよん」
しゅばっという擬音が似合いそうな勢いで、多島は俺の持っているのと同じらしい台本を瞳に差し出す。
「あ、もう出来たんだ」
ゴミ箱を定位置に戻して、差し出されたそれを受け取りぺらりと捲る瞳。
「もっちろん。早くて上手い出来ってーのがあたしの信条なのっ」
「お前は牛丼屋か」
「残念ながらこの労力は安くはないわよん」
そうかい、と適当に反応しておく。
安くはないらしいから、代金代わりに今度何か奢っておこう。1本100円のアイスあたりを。
ふと視線を動かしてみると、やけに真剣な顔つきで台本を読んでいる姫役がそこにいた。
どうも物語に没頭しているらしい。一つのことに集中する時は、本当に一心にそうするのがこいつの昔からの癖だった。
多島はそれを見てどことなく満足な様子だ。まあ、自分の書いたもんをこうまで集中して読まれたら嬉しいもんなんだろうな。
よく分からないけどさ。
「でも、何で俺達に先に渡すんだ?」
ちょっと疑問に思ったことを口にする。
「なにがさ」
「他の役のある連中はみんな帰っちまってるんだぜ。
それなら明日の朝のHRあたりに全員に配った方が楽だったんじゃないか?」
ああ、そういうことねん、と多島は頷き、
「でもお二人さんは主役でしょ。なら先に渡すのが筋ってもんよ」
どのへんが筋なのかよく分からないが、少なくともこいつの中では筋らしい。
「それよりひとみん、良ければ感想聞かせてちょうだいなっ」
と言いつつ下から覗き込むように瞳の様子を伺う多島。だがしかし、
「……」
へんじがない。ただのしかばね――ではないが、没頭しすぎだといつも思う。
「ひっとみーん」
「……」
「ひとみさぁーん」
「……」
何だか傍から視ていると酷く滑稽な光景だな。
こりゃあ少し時間掛かりそうだと思いつつ、昼に買ったまま残っていたペットボトル飲料を鞄から出して
口に含んでいたところに、
「――ちっさい頃から幼馴染の少年栄司くんがだーい好きで大好きで今でもその想いを抱えつつ
『わたし、初めてだけど……いいよ』なーんて状況をよく妄想しちゃう高凪瞳さーん」
「ふぇっ!?」
「んブッ! ――ゲホ、ゴホッ!」
これには流石に瞳も反応した。そして俺はむせた。噴き出さなかっただけ偉いと思いたい。
「なっ、何言い出すの沙紀ちゃん!?」
「うわっははは、やっと返事くれた」
瞳はその顔を真っ赤にして、多島はケラケラと笑ってる。
俺もとんでもない発言した女に一言物申したかったが、いかんせん喉が痛くてどうしようもなかった。
「宜しければ感想を頂戴したいのですがマドモアゼルって言ってんのに、まーったく反応ないんだもん。
読むのに集中してくれんのはそりゃ嬉しいけど、ねぇ」
「え、ああうん、えっと……やっぱり凄いね、面白いよ」
「ホラ見なさいXY染色体! この差を! これこそ素敵な友情と本音と思いやりってやつよ!」
などと俺に向かって勢い良くまくしたてる多島。そこに、
「……さっきみたいに余計なことさえ言わなければ」
瞳による小さな抵抗。しかし多島がそれにうっと詰まるかと予想するだけ無駄で、
実際この女はうへっ、と軽く笑って返すだけだった。
「ま、冗談はさておき、一通り読み通すなり発音練習するなりして来てよ、二人でさ」
「練習? 二人で?」
練習するのは別にやぶさかではないけど、二人でやる必要はあるんだろうか。
「だって、主役の二人じゃん。掛け合い多いしさっ、そっちの方が効率いいと思うわけよ」
「あ、なるほど。それは確かにそうかもしれないね」
瞳が頷く。
「じゃ、頑張ってねーん」
用事は澄んだとばかりに、多島はひらひらと手を振って廊下へと歩いていく。
最後に少しだけこっちを振り向いて、
「二人っきりの練習でボーソーしないように気をつけなさいな、青少年っ」
余計なことを言い残して去って行った。
そして何となく取り残された気分な俺達二人。
「……どうする?」
「……どうしよっか?」