練習の帰り道。いつもの、歩きなれた公園の石段を袴姿で降りていた。時々、旧友が公園で遊んでいたりするので、何気ない会話でもして行こうかと、そう思っていた。
背中にはいつも背負っている弓道具が一式。ずしりと微妙な重みが感じられる。
橙色に染まっていく空は、火の手の上がる火事現場のようで。あまり、綺麗とは思えなかった。
かつ、かつ、と。自分の履いた下駄の鳴る音が、規則正しく耳へと通っていく。
不思議と周りの雑音が無くなっていき、まるで水の中にでも押し込められたような感覚に襲われる。
下の方から、口を忙しく動かしながら子供達が駆け上がってくる。会話がまるで聞こえない。頭の奥が熱っぽくなり、ゆっくりと前に倒れていく感じがした。
水の味が口を覆った。まだ俺は死んで居ないらしい、自分で言うのも何だが、頑丈なものだ。
重く落ちた瞼は意思に従い、ゆっくりと開き始める。透き通った緑色の光が、網膜を通過する。
身体が冷たい……氷の毛布に包まれているような感じがする。
腕を動かすと、目の前が乱れて揺れた。そして、ようやく水に沈んでいる事を理解できた。
――何故? 自分は石段から落ちたはずである。その先に池なんてモノはなかった。
外の空気を掴むように、必死に上へと両手を伸ばす。だが、触れたのは暖かな空気ではなく、獣の様な柔らかい毛の感触。
だが、今は如何でも良い。それを頼りに、一気に水面へと顔を上げた。
「ひゃん!?」
短い悲鳴が頭上から聞こえ、隣で水飛沫をあげる。
獣の類だと思っていたのだが、どうやら人間――それも女性だったらしい。
謝ろうと手を伸ばした瞬間、脇腹に岩で殴りつけられた様な衝撃が走る。
ヒビが入ったのでは無いかという位の痛さに顔を歪めながら、先ほど派手な水飛沫を立てた女性を見る。
大学に入ったばかりの自分よりも、何歳か年下のようだ。
スタイルは、胸以外は良し。背は高い方、悪友が居れば『惜しい90点!』とでも言うだろうか。
いや、それよりも。
「キサマ! 何をするか。人間奴隷風情の癖に私の腹を掴むとは、どういう――」
「ほお。これよく出来てんな。今時のコスプレイヤーは結構金掛けるのな」
頭に付いていたヒョコヒョコと動く、丸みを帯びた耳を摘む。
彼女の身体がびくりと震えた。それにしても、まるで本物のようである。
両手にも獣の様な肉球が付いているし、尻からは小さな尻尾がふよふよと揺れている。
……うん。なんかホンモノらしいな。
「気は済んだか。まあ、私は心が広いからな。最後の言葉くらいは聴いといてやろう」
「まあ、胸はともかくスタイルは最高だな」
コンクリートを砕くような音と共に、横の水面が弾け飛ぶ。
「避けるな!」
「避けなきゃ死ぬだろが」
「殺すつもりで殴ったんだから、当たり前でしょう」
避けたはずなのだが、肩から脇腹にかけて、やたら痺れている。こんなのを直接食らっては、骨折れるくらいでは……済んだんだっけか。
いや、案外丈夫なもんだな。人間の体って言うのは。と、いうか殺す気だったのか……出来るなら、状況説明くらいはしてほしい。
あ、三発目来ますか。いや、さすがにボディに直接は避けきれませんて。つ、か――水に落ちたりボディブロー喰らったり……変な日だ。
仕方ない。この場は男として、痛みを堪えながら仁王立ちでやり過ごす。さあ、何発でも打ってくるが良いさ。
「ふふふ。まだ立っていられる余裕はあるようだな。さあ倒れるまで、相手をしてや――」
ああ、修羅の目ですか。すんません。無理です。
「シャル。何をやってるの? 無闇に人を殴るな、とあれほど言ったでしょうに」
四度目は無かった。代わりに、今度は張りのある大きな胸を携えた、おっとりとした美女が現れる。やっぱり、獣みたいな耳があるけれど。
泉のほとりに立つ姿は、まさに女神と言ったところだろうか……尻尾もあるけど。
「リア姉。人間の肉は柔らかいと聞く。奴隷にしても、どうせウサギほどの価値もないのだから、食ってしまった方が良いに決まっているだろう」
俺、餌ですか。ウサギと同等の価値なんでしょうか、弓道習って六年間。後輩からは県内一とまで言われていたというのに。
たかだか、女子高校生くらいの年の女にここまで言われるとは、腹立たしい事この上ない。
――あ、コブシに力入れんでください。痛いです、折れてるとこが痛いです。すいませんでした、ねずみ以下で良いです。
帰りたい。今すぐ、帰りたい。お節介焼きの母の手料理が、懐かしいったらない。あーあ、夢ならとっとと覚めないだろうか。
「そ、それなら私が愛玩用として家に住まわせます」
前言撤回。この世界は最高ですよね。姉さんのためなら、例え火の海だろうが硫酸の滝だろうが潜って見せましょう。
「何を言ってるの。リア姉の子供、もう三歳になるんでしょう? 手間掛かるときなんだし、人間なんて養えないぞ」
あれ俺、もしかして踏んではいけない地雷を踏んでます?
ははは、まさか俺と同じくらいの人が、子供なんて産んでる訳無いでしょうに。
え、と。嘘ですよね。人妻系は守備範囲外だと思ってたんですけど、ああでも未亡人なら十分いけるかもしれない。
……とうとう壊れたかな、俺。殴られすぎで、頭が変になったんではなかろうか。もともと変だから、気にならんけど。
「で、でも。やっぱり殺すのは……きゃ!?」
「まったくだな。俺もどうせ死ぬなら、ふくよかな胸に抱かれてだな」
ってことで抱きついてみました。やはり、気持ちが良いものだ。弾力といい、柔らかさといい、最高の胸と言えるだろう。
我が生涯に一片の悔い無し。
「今ここで殺す。何を叫ぼうが、如何喚こうが、何を出そうが問答無用で」
出すって何をですか。まだだ、まだ死なんよ。せめて、せめて裸体でも拝ませてくれ。
あ、もうこの際なんで、フトモモだけでもおーけー。
近づいてくる茶色い雌の獣は毛を逆立て、鋭い眼光を放ちながら、息を吸い込んで腕を振り上げた。
うん。もう別に良いけどさ。
足が固い物に何度も当って痛い。ああ、生きてるんだなあと、何とか実感できた。
首から下は全く動かす事が出来ず、意識もはっきりしていない。荷台に積まれて生肉処理場に連れて行かれる牛って言うのは、こういう気分なのだろうか。
今の状況を簡潔に説明すると、手にロープを巻かれて山道を引き摺られている。
特殊な趣味を持つ男ならば、泣いて喜んでいるだろう。だが生憎、俺にはそんな趣味を持ち合わせてはいない。どっちかと言うと逆だろうか。
視線をずらすと、あの胸の大きな方が心配そうに上から覗き込んでいる。
まあ、人間に向けるような視線ではなく、捨てられた子猫を見つめるような視線だったけども。
食われるのか。煮込まれるか、焼かれるか……獣なら生だろうか。あー煮込まれるのはやだな。熱いの嫌いだし。
「なあ、煮込むのだけは止めてくれまセンカ」
「それでは、ご希望に添えるよう活け造りで食してやろう。普通なら、耳も傾けない所だがな」
はは。あれか、俺は皿の上で腹裁かれながら、のた打ち回って食われるんかい。
でも、血抜きするだろうから、すぐ死ねるかな。うお、女の子に見守られながら死ねるってラッキー。
……虚しい。
「俺、なんか悪いことしたか?」
「私の身体を触った」
そりゃ大罪ですね。いや、実に柔らかくて温かかったですよ。もうちょい、胸があれば最高。
はい、言い訳の余地無しです。それにしても……と、いい加減に手は解放してもらいたいものだ。
頭に石が当って、痛いったらありゃしない。これで馬鹿になったら、どうしてくれる。
そんな叫びは届く訳もなく、俺の身体は鈍い音を立てながら、前へと進んでいく。
ちなみに仰向けに寝かされてるので、覗き込んいる姉さまの下乳は、ばっちり捕捉出来ている。
死ぬ際なんだ。このくらいの贅沢はさせてもらっても、罰はあたらんだろう。死ぬけど。
走馬灯は、つまらん部活の風景しか浮かんでこない。ふと、頭の衝撃が止まったことに気がつく。
視線を横に向けると、白い外壁と木で出来た門が立っていた。
意外と技術は進歩してるんだな……下手すりゃ中世のヨーロッパくらいの町並みが見えるやも知れない。
「着いたぞ。覚悟は出来てるんだろう?」
「今思ったんだが、生かしたまま、保存ってのも良いんじゃないか?」
「私達は冬眠から覚めたばかりでな。丁度、栄養分が無くなっている所だ」
さいですか。ん、って事は冬眠してる間は、皆ふとってんのか?
「なあ、脂肪はやはり腹に溜まるのか?」
「男達はな……女は皆、胸に蓄えているから、冬眠から覚めると一回り小さくなる。分かったか?」
隣で苦笑いをしながら、頷いているナイスバディなお姉さまに目を向ける。
次いで、目の前にいる、良く言うならスレンダー体型の女。ふむ、なるほどな。
「お前は元々、胸が小さいと見た。まあ、精々Bサイズくらいか」
「っ――違う。私は冬の間も、子供達のエサを狩っていたからだな……!」
「そして、無い胸がどんどん無くなっていきましたとさ」
「――! っリア姉。放して、コイツ殺すから、血抜いて泣かしながら殺すから」
吠える女を宥めるように押さえつける聖女。
そして、その大きな胸に押さえつけられながら暴れる貧乳淑女か。淑女、か?
なんにせよ、可愛い女の子が絡み合っているのは最高である。ずっと見ていたい。
そう思った矢先、目の前を流れ弾――もとい流れ爪が掠めていった。も、諦めてるから煮るなり焼くなり……いや、捌くなり干すなりしてくれ。
ん? そういや、熊の対処法で食べ物を木の上に吊るすというのがあったな。
ぶらさがるか……いや、干されてるのと同じじゃないか。これは却下。
匂いのある食べ物が好きって言うのもあるが、苦い物が好きな俺には水浸しの鞄の中に入っているビターチョコしか菓子はない。
水でびちゃびちゃだから逆効果だろうな。
それにコレを思いついても、一番の問題が解決されてない訳で……手が縛られたまんまです。コレは手痛い。
「頭を抑えて何してる! さっさと、長に会いに行くぞ」
うん? 長って事は集落みたいな所なんかね? それにしちゃ、結構街っぽいんだが。
「長はリア姉の夫だ。私たちにした侮辱を聞いたら、如何反応するだろうな」
酷いなコイツ。考える間もなく、絶対に攻め気質だろう。
くそ。段々、この格好が好きになってきてしまったじゃないか。肉体改蔵反対!
手を後で組まされながら、心の中で悪態をついていると、顔が黒い影に覆われた。
灰色の気に覆われた、いかにも獣っぽい顔が前に現れる。身体にひしひしと伝わる威圧感。
「いやー久しぶりですね。熊五郎さん。最近の景気はどうですかい?」
何言ってるかね。この口は。
「いやいや、最近はさっぱりですわ。そっちはどうですか、藤次郎さん」
おお、熊手を顔の前で可愛らしく横に振っても、恐いことには変わり無いよ熊五郎。
いや。ノリの分かる人で本当に助かった。この人とは良い付き合いが出来そうです、ハイ。
周りを行き交う熊たちも、比較的温和そうだし食われる心配なんてないのでは無いだろうか。
そういや、クラスメートにも一人は居るよな。やけに好戦的で妄想癖持ちの奴が。
「な、アンタ。長と知り合いだったの!?」
……天然記念物とばかりに馬鹿なヤツとか。っていうか、この人ですか。
「いやいや、どうみても。この顔は『熊五郎』って顔じゃないでしょう。どっちかって言うとゴーギャンとか、横文字系だろ」
「いんや。この人間とは初見だな。ははは、お前の次期奴隷婿候補か? 子供は出来んかもしれんが、良い働き手が出来たってもんだ」
「ち、がう――リア姉。そこで笑ってないで、抑えに回ってお願いだから」
頭を抱えて、壁に手を付いている。ふむ、コイツは理不尽なギャグが苦手なようだな。
とりあえず、熊五郎(仮)とハイタッチを交わし、握手しておく。
これだけ機嫌を取れば、まず殺される事は無いだろうさ。むしろ、旧友みたいな扱いされると思うぞ、うん。
しかし、熊ばかりの街だと思ってたんだけどな。案外、鹿とかも居るじゃん。
結構、平和そうに暮らしてるし、あれ? 普通に人間居るじゃん。首輪付いてるけど。
「案外平和なんだな」
「む? まさか熊が毎日、隣人を殺して食ってるとか思ってたんかい? 最近になって、鹿や山羊なんかと交流を持つようになってな。今じゃ、親友みたいなもんだ」
うあ、ホントだ長い角生えてる。黒い羽付けたら、悪魔娘の完成じゃないか。
そんな事を思っていると、今思いついたかのように熊五郎(仮)が手を叩く。
「うちで山羊のミルクでも飲んでいっては、どうかね? 口に合わんかもしれんが菓子も出そう」
そういや、腹も減ってるし、ちょっと世話に鳴ってしまおうか。それに、後で頭抱えてる奴もからかいたいし。
俺を散々恐がらせた挙句、身の自由まで封じられて、ドンだけイヤだったか……そういや、まだ手が開放されてないんですけど。
先に結論を言っておこう。俺は状況を把握しきれていない馬鹿だったらしい。
机の上には、カラリと揚げられたアーモンドと、灰汁抜きされた木の実が並べられていた。その二つを何度も口の中で転がしているが、意外と癖がなくて美味しい。
ちなみに人間は奴隷扱いらしいので、礼儀上と言う事で皮の首輪を付けられた。まあ、苦しくは無いから良いや。ちなみに俺の持ち主は貧乳の彼女らしい。
凄く嫌そうな顔をしながら、承諾していた。
そして、ミルクなのだが。竹で作られたコップに注がれていたので、半分ほど飲む。しかし、半分ほど飲んだ後に俺は気付いてしまった。此処の世界って、基本的に獣は人間の体してんだよな?
そう思った直後だった。カーテンの奥から、二つの艶かしい肢体が現れた。
一方は、あの姉さん。そして、もう一人は山羊の角を生やした、姉さんより大きな胸を携えた褐色の肌の少女。そう、少女……俺より、二歳くらい年下なんじゃなかろうか。
ごくりと、唾が喉を通っていく。さっきのミルク、ちょっと甘かったなあ。
その豊満な褐色の胸に、白い手の平が宛がわれ、牛の乳搾りの如く、全ての指を動かし、膨らんだ乳房から白くサラサラした液体が搾り出されていく。
噴出した液体は、下に置かれた桶に次々と溜められていた。白い液体に映った自分を見せられて、興奮したのか山羊の少女は嬌声を上げながら、首を振っている。
だが、口から出てくるのは否定ではなく――て。
「あんっ! ミルク、あったかいミルク出てるっ。私の、私の搾り立て、いっぱい、いっぱい飲んでくださいぃぃ!」
じゅぷっ
そんな水音が耳に届く。白い指が、山羊の女の子の幼い割れ目に挿し込まれていた。
余った片手で、淡いピンク色の蕾が指で挟まれる。白い液体が手を伝い、肘へと向かう。
「も、むりです。ご主人様。これ以上、は。あ、ああんっ!?」
「無理、ではないでしょう? ほら、まだこんなに溜まってるのに」
確かに、彼女の胸はパンパンに張ったまま、握られたそこからは、まだ液の噴出が止まらない。
それを確認すると再び少女へと、今度は舌も交えての愛撫が再開される。絶叫のような嬌声、壊れているのでは無いのかと言わんばかりの表情で腰を振り続け、液を垂らし続けている。
その状況に目をそらした瞬間、別の声が横から聞こえた。
「飲まないの? 言っておくけど、飲まないと言う事は、この乳搾りショーを楽しんでると言う事と解釈されるのよ?」
「……大事に頂かせてもらいます」
視姦男になるくらいなら、飲んだほうがマシだ。チクショウ。
「名前」
はい? と、間の抜けた声が空に放り出された。自分でも情けなくなるほどの擦れた声。
それに呆れたのか、気分を害したのか、横に居る例の女の表情が不機嫌そうに歪む。
「名前。流石に奴隷とは言えないでしょう? ――シャロルよ。よろしく」
「ん……唐崎トウカだ。よろしく、ごしゅじんさま」
自分で言ってみたが、なんとも変な気分だ。女の子から言われれば、また別なんだろうが。
そう思ったのは、向こうも同じ様で。
「なんか気持ち悪い」
「そりゃ、ないでしょうよ」
ふたりで複雑な表情を浮かべ、視線をそらす。後では未だに乳搾りショーが続けられている。
締まらんよなあ。
何とか一日は過ごせそうだ。明日は、どんな言い掛かりをつけられ、殺されかけることやら。
まったく、楽しみでならない。とりあえず、今はこの世界で楽しもうと思う。