ねーさんの横に立っている大きなオスヒト。  
 初めて見たときはちょっと怖かった。  
「えっと、初めまして……藤見 良です」  
 意識しているのか無意識なのか分からないけど腰を曲げて、わたしの目線を合わせてくれる。  
 そして微かな笑み。それだけで私の恐怖は溶けたと言ってもいい。  
「うん、よろしく。りょーにーさん」  
「よろしく、えっと?」  
 わたしの名前を言おうとして困ってる。この困ったような表情で心がなぜかぐらつく。  
「ロレッタ、ロレッタ・ヒュッケルバイト、ねーさんの妹だけど別に『様』とかつけなくていいよ」  
「改めてよろしく、ロレッタ」  
 また微かな笑み。……なんかゆらゆら揺れて、わたしじゃない感じ。  
 
 
       
        §     §     1     §     §  
 
 
 
 わたしが名づけて"ねーさん、愛情暴走の果てに"事件から3日。  
 まだあの2人はぎこちない。  
 1階から2階に上る階段の踊り場からロビーを見下ろせば、  
「…――!」  
「……」  
 馬鹿のように見つめ合って、しばらくするとねーさんが私の後ろを走っていく。  
 不器用というか、なんというか……。しかも、3日間、同じことの繰り返しだ。  
 会食も最近は少なくなってねーさんは逃げ場無し。  
 ねーさんの奴隷である以上、ねーさんに奉仕しなければならないにーさん。  
 悪循環でしかないのを見ることしかできないわたし。  
 そのうち、わたしの輝かしい病歴に胃潰瘍が付きそうな気がする。  
 さて、ねーさんに夕飯もって行きますか。はぁ……。  
 
 
 
「いってきまーすっ!」  
「いってらっしゃい〜」  
 ロレッタの元気な"いってきます"に重なって聞こえるご主人様の声が聞けなくなってから既に4日。  
 俺はまだ、仲直りのタイミングが掴めず悩んでいる。  
 やったことに関しては俺がちゃんと止めていればあんな事にはならなかったし、問題にもならなかっただろう。  
「はぁ」  
 ため息を一つ。  
 いざ、面と向かって謝ろうとしても何を言えばいいのかさっぱりな上に、逃げられる。  
 これではどうしようもあるまい。  
「いや、違う」  
 そこで諦めたら、バッカスさんにで啖呵をきった意味が無い。  
 ロレッタは『取りあえず時間を置いて』と言われたが、俺にはあまり時間が無い。  
「……」  
 さて、どうしようか。  
 この状態では埒があかないどころか、悪化する可能性すらある。  
 頼る相手を考えてみるが、ロレッタはもう十分頼ったからこれ以上は、頼れない。  
 とすれば――  
「あの人かな」  
 金髪碧眼のあのネコ――リゼットさんに。  
 少なくとも俺よりは長生きしているはずだし、ご主人様も親友とも言っていたはず。  
「よし」  
 そうと決まったら行動あるのみ。の前に掃除や片付け位はしておこう。腐っても俺は奴隷だからね。  
 
 
 
「はい、どうぞ」  
 陶器のカップとソーサーががぶつかって軽い音を立てる。その中身はいい香りのする紅茶。入れたのはリゼットさんだ。  
「あ、すみません」  
「いいのいいの、貴方に用事あったしね」  
「はぁ」  
 ここは財務局の局長室。リゼットさんに会いにきたら素直に通されたが、素直すぎてちょっと怖い。  
 かというのも、俺はリゼットさんが苦手だからだ。  
「あ、おいしい」  
「そりゃそうよ、高い葉っぱだもの」  
 金髪碧眼でセミロングの綺麗な髪を一房赤い紐で纏め、脇に垂らしているのが特徴的で、ネコらしく青い瞳は縦に裂けている  
のが見える。  
 仕事中だからか、黒いシックな感じドレスを着こなして、かなり大人っぽく見える。……事実、年上だけど。  
「先に貴方の用事からどうぞ。アタシのは特に急がないしね」  
「えぇと、それじゃあ……」  
 俺は事件の顛末を事細かに説明した。  
 
 恥ずかしい気持ちが無い訳ではないけど、細かく説明すればそれだけ的確なアドバイスしてもらえるのではと予想したからだ。  
「なるほど、それであの子の様子が変だったわけだ。書類渡しても上の空だったし」  
 ご主人様も似たような状況だったようようでちょっと安心した。いつもと変わらずバリバリ仕事していたら尊敬するけど。  
「その事に関して、なにかアドバイスもらえないかなと、思って来たんです」  
 うーんと唸るリゼットさん。その思考に連動してか綺麗な金色の尻尾がふらふら揺れる。  
「んーロレッタにはもう謝った?」  
「……いえ、まだです」  
 そういえば仲介を頼んだ事はあっても謝ってない。  
「部外者であるアタシの知恵を借りるより当事者の知恵を借りるほうが効率的よ」  
 確かにそうだろうけど……ちょっと気恥ずかしい。  
「そういうわけでロレッタに謝って知恵を借りなさい。それにあの子を敵に回すと後が怖すぎるしね」  
 何があった知らないが遠い目をしている。本当に何があったのだろうか。  
「それは置いとくとしても、逃げたほうだけ謝るのは逃げなかった方にとっては損しかないしね」  
「はい……」  
 泣きながら逃げたご主人様ばかり気にして、同じ状況だったはずのロレッタをほったらかしにしてしまった。  
 いくら目の前で泣いていなかったとはいえ、こうも放置したら怒るだろう。  
 全く、自分の要領の悪さを嘆きたくなる。  
「ありがとうございました、何とかできる気がしてきました」  
「そう?」  
 当たり前の事を言ってみただけと言わんばかりの顔をされる。  
 それすら、考え付かなかった己が恨めしい。  
「じゃあ、お礼として――」  
「では、失礼しましたー」  
「待ちなさい」  
 椅子を蹴飛ばすような勢いで逃げたはずなのだが、両肩を掴まれて動けない。  
 リゼットさんが座っていた立派な椅子から出口まで距離は、俺が逃げるくらいはあったはず。だが、既に俺の後ろに立って  
いるとはネコの運動能力は恐ろしい。  
「ん〜〜」  
「うぉっ……」  
 リゼットさんは、肩を掴んだ手を俺の首に回して後ろからぎゅうっと抱きすくめる。  
 抜群の力の入れ具合で抜け出せないだけではなく、背中に形容しがたい柔らかな物が押し付けられて抜け出す方策が  
まとまらない。  
「は、離してー!?」  
「ふふ〜っと」  
 強情にもずっと抱きつかれると思ったが手からすっと力が抜けて解放されたが、俺は思わずその場に座り込んでしまう。  
 毎度毎度、派手な対応されると嫌でも苦手意識が芽生えてくるものだ。にしても妙に体が重くて動かせない。  
「と、冗談はここまでにして」  
「……本当に冗談なんですか」  
 俺は警戒心を折り込んで、座り込んだ体勢で振り向く。  
 
 初対面の時は息も出来ないくらいきつく抱きしめられて以来、俺はこの人が苦手だ。  
 ……その後のご主人様とロレッタに冷たい視線が非常にとっても痛かったなぁ……。  
「当たり前よ、アタシは他人の物にまで欲しがるほど性根が寂しくありません」  
「……すいません、勘違いしてました」  
「分かればよろしい」  
 ちょっと気取った感じが、大人っぽいリゼットさんには良く似合ってる。  
 それにいろいろおかしな所はあるけど、議会の一角を担う一人なのだから分別はしっかりしているのだろう。  
「で、さっきの説明じゃ事務的過ぎるから今度は情感たっぷりで事情語ってくれないかな?」  
「なっ……!」  
 じ、情感たっぷりって……。  
 前言撤回。ちょっとおかしい人です。  
「赤くなってかわいー」  
「赤くなってませんから!」  
 そういいながら、また顔が火照るような感覚がする。  
あぁもう、なんだか疲れてきた。  
「擬音もつけてもいいわよー」  
「リゼットさん!」  
「はは、冗談よ、冗談」  
 なんだか俺が悩んでいる事が小さく思えてくる。……感謝すべき、なのだろうか?  
「真面目に話すから、ね?」  
「……はぁ、わかりました。よいしょっと」  
 苦手意識と強引さの押し負けた俺は、なんとか立ち上がり椅子へ座る。  
 抱きつかれて腰を抜かして、動けなくなるなんて鍛え方がたりないのな俺。  
「さて、本命の頼みがあるのよ」  
「……なんですか?」  
 あらかじめ準備していたのか温くなった紅茶を入れ替えながら喋るリゼットさん。  
 それに答える俺の声がちょっと平坦なのは苦手意識のなせる技だ。  
「落ち物を鑑定して欲しいのよ」  
「はぁ」  
 落ち物って俺みたいに"あちら"から"こちら"に落っこちた物の総称だったっけ?  
「おねがいできる?」  
「えぇ、俺でよければ」  
 この程度ならお安い御用だ。……もっとすごい事を予想していたのだがよかったよかった。  
「町のど真ん中に、落ち物の保管庫を置くわけにもいけないから町壁の外にあるんだけど大丈夫?」  
 町壁は周囲を囲む石作りの壁だが、結構高い壁だ。  
 ご主人様によると昔はセットで堀まで作る予定だったらしいが、予算の関係上断念したらしく、その堀は今でも出来ていない  
との事。  
 それはともかく、えーと仕事は何かあったっけ……?  
「えーと、用事ありませんから大丈夫ですよ。えっと何処の辺りですか?」  
「アタシがそこの責任者で鍵も持ってるから、アタシが案内するわ……鍵何処にやったかしら?」  
 音も無くリゼットさんは立ち上がり、高級感の漂う机の引き出しをガサゴソと荒らし始める。  
 そんな光景に苦笑しながら俺は外へ出るための準備を始めた……。  
 
 
 
「意外と涼しいですね」  
 町壁を門から抜けて森の中へ入ると意外に涼しくてビックリ。  
 森と聞くと湿度が高くてジメジメと想像するがここはそうではないらしい。  
「山脈が近いからねー、この時期は山風が吹いて涼しいのよ」  
「へえ」  
 下草が多くて歩きにくい事を除けばそこそこ快適だ。  
 ん……なにか音がしたような……?  
「あ」  
 と、リゼットさんが声を上げると小走りで奥へと行ってしまう。  
 流石に森でドレスは無理だったのかズボンに着替えているのでかなり動きが速い。  
「ごめんねー」  
 いまさら付いて行く訳にもいかず、仕方なく待っていると行きと同じようなスピードで帰ってくる。  
 ……なにか抱えているような……?。  
「これ、何か分かる?」  
 俺の近くまでリゼットさんは近寄ると抱えていた物を俺によく見えるように持ち上げる。  
 黒塗りされ、所々壊れてる部分はあるが紛れも無く――銃だ。  
 未来から来たロボットの映画で使われている物にそっくりな様な気がする。  
「銃です、かなり危ない武器ですから壊した方がいいと思いますけど……って銃って分かります?」  
「えぇ、似たような代物なら実家で見たことあるわ。でも銃、ねぇ?」  
 拾ってきたと思わしきこれを不思議そうに見つめている。  
「ま、倉庫にでも入れておきましょうか」  
「壊れているならいいんですけど……」  
 そんな会話をしつつ、保管庫へ向けて歩く俺たち。  
「落ち物って、よく落ちてくるんですか」  
 ふとそんなことに思い当たる。さっきだって落ちてきた訳で。  
「んー確かに多いわね。理由は適当に言われてるけど、キツネの降神術でヒトの世界に干渉することが多々ある所為だとか、  
大昔のトラの古代魔法の残滓とか、ネコの秘密の実験とかイヌの陰謀だとか言われてるけどね」  
「はぁ……」  
 要はいろいろあるらしいけど、詳しいことは分からないって事らしい。  
「んじゃよくヒトは落ちて来るんですか」  
 何気なくを装ってそんな事を訊いてみる。  
「記録上はあなたが初めてよ、バッカス老が管理している資料だから結構信用性は高いわ」  
「なるほど」  
 居たらその行く末を聞いてみたかったのだが、居ないのなら仕方ないね  
「っと、アレがそうね」  
 リゼットさんが指差した方向には、森に溶け込むように全部を緑色で塗られた石でできた平屋建ての建物。  
 緑色で塗られているのは恐らく保護色のつもりなのだろう。  
 
 リゼットさんは早歩きでその建物に向かうと俺も早歩きで追従する。……近寄ってみると結構不気味だ。  
「空けるわよ」  
 扉の前でカチャカチャやっていたリゼットさんから声が上がる。  
 重たげな音を立てて両開きの金属製の扉が開く。鍵が三つ付いてるあたり警戒の具合が分かるというものだ。  
「意外とホコリっぽくないですね」  
「そりゃそうよ、一ヶ月に一回は掃除してるしね」  
 中は窓が無い所為で奥まで見通せないほど真っ暗。入り口から入る光でかろうじて近くだけは見える状況だ。  
 リゼットさんは行きがけに拾った銃を持ってすたすた奥の方へ消える。そういや、ネコは夜目が利くんだっけ……。  
 鑑定を頼まれた身としては彼女の指示がないと動けなくて、俺は手持ち無沙汰気味に入り口の周りに置いてある物を見回す。  
「あ」  
「どうしたの?」  
「あ、いえ、なんでもないです。銃仕舞ったんですか?」  
 一瞬、視界の端に見慣れた物が有ったような気がするがリゼットさんに声を掛けられて見失う。  
「危険な物みたいだから奥の金庫に入れてきたわ……で、それなんだけど」  
 日の入り具合が変わったのかリゼットさんの視線の先の暗闇が剥がれて晒される。奇しくもそこは俺がアレを一瞬見かけた所。  
「――」  
 そこにあったのは、皮製のグローブと硬式野球ボール。  
 ボールの方はカゴにどっさりと入っているから、何処かのチームから落ちてきたんだろう。  
「……大丈夫?、顔色悪いわよ?」  
 心配げなリゼットさんに声を掛けられるが、大丈夫。とごまかす。  
 ちょっと雑なごまかし方だが、胸が苦しくてあんまり余裕が無い。  
「……スポーツの道具ですよ。野球って言うんですが」  
「へぇ」  
 感心するリゼットさんの声が聞こえるがそちらまで意識が回らない。  
 懐かしい。  
 グローブに手を通さなくなって何ヶ月だろうか。  
 ボールを投げなくなって何ヶ月だろうか。  
「――…!」  
 寂しい。  
 そんな思いで胸が詰まり、奥歯が軋む。  
 ――俺はこっちで生きていくと決めたはず。現代に未練あっても、養ってもらっている恩でここにいると決めたはず。  
 ……ましてや――帰れない。  
「っ」  
 思わず俺は、グローブを強く抱きしめて膝をつく。  
 そうでもしなければ、何かに潰されそうになったから。  
「……アタシ、外で待ってるわね」  
 リゼットさんが気を利かせてくれているのか、そう声をかけてくれた。  
 多分、最初から見抜かれていたのかその声には驚きの成分はない。  
「その前に、一つ言わせてね」  
「……はい」  
 正直、俺の声が震えていたと思う。  
 
「貴方の居場所はちゃんとある。その事忘れちゃ駄目よ」  
「はい……」  
 そういって足音が遠のく。  
 リゼットさんの言う通り俺の居場所はここにあるのだろう。しかし、あっちに残したねえさんや友だち。先生、知り合い。  
そして、とうさんとかあさん。  
 皆どうしているだろうと考えてしまう。  
 俺のことを探しているのだろうか?  
 こっちには現代の残滓はあっても、あちらには俺の残滓は無い。  
「帰りたい……」  
 それができなくても、せめて、俺が無事ということを知らせたい。  
 俺は、どうしたらいい。  
 どうにもならないのだろうか。  
 『帰る手段は皆無』  
 そう最初に言われたはず。  
 なのに今更になってなぜ寂しくなるのだろうか。  
 逃げたいのか俺は?  
「…――ここで逃げたらねえさんに叱られる」  
 逃げ道は無い。  
 俺は宣言したはず。議会の人に俺がご主人様の奴隷として相応しいということを認めさせると。  
 逃げたりしたら、あの世でねえさんにしこたま怒られる事だろう。その辺厳しい人だったから。  
 それにロレッタやご主人様まで居てくれる。  
 言葉が通じる。病気もしていない。それなりの生活ができる。  
 落ちてきた大多数のヒトに比べればずいぶんとマシな事だろう。  
 たかが、ホームシックで――  
 「泣いていられるか」  
 男は泣くときは、生涯の相手の死に目と、友の死に目と、家族の死に目にしか泣かないって言われてたっけ。  
 生涯の相手は見つけられないかもしれないけど、家族や友はこの世界にも居る。  
 この程度で泣いてたまるか。  
「よし」  
 とりあえず、息と整える。  
 どのくらい息を止めていたのか、胸が苦しい。  
「リゼットさん、コレ、もらっていいですかぁー?」  
 ねえさん、コレくらいの感傷はいいよね?  
 
 
 
        §     §     2     §     §  
 
 
 
「ごめん!」  
 学校から帰ってきたらりょーにーさんにいきなり頭を下げられた。ちょっとびっくり。  
「えぇと、頭上げていいから」  
 あの事をできるだけ思い出さないように話題を逸らしていたけど、こう、真正面にこられると困る。  
 でもこーいう所は美点だと思う。  
「怒ってない?」  
「わたしは、怒ってないよ」  
 ……あぁ、私も混じったクチだけど、ねーさんの気持ちがよく分かる。  
 上目遣いは強力極まりない。しかも自分より背の高いにーさんがわざわざ私より視線を低くしている様は、なんともいえない  
気持ちになる。  
 自制心、自制心。  
「本当にごめんな、あんなことして」  
「にーさんだけが悪いわけじゃない、抑えなかった私も悪い。だから両成敗、ね?」  
 もっともらしい事を言っている様だけど、一番罪が重いのはわたし。  
 一番騒動の外に居たのに、わざわざ騒動の渦中に突っ込む愚をした事。これがわたしの罪だ。  
 止めようと思えば止めれたはず。  
 それをしなかった理由は自分じゃ分からない……つもりをしてる。  
 分かってしまったら、ねーさん見かけによらず繊細だから酷く傷付くだろう。  
「本当にすまない」  
「だから、もう謝らなくていいよ。それ以上謝るならわたし、怒るよ?」  
 ちょっと、怒ったように言ってみる。にーさん、真面目だからこれで謝るのを終わってくれると思う。  
 それに謝られると、罪悪感がざわざわして痛い。  
「……分かった、じゃあなにかお詫びをさせてくれないか」  
 いつものように腰を曲げて背の低いわたしに、目線を合わせてくれる。  
 にーさんのこういう生真面目なところは好きだが……お詫びかぁ……  
「うーん」  
 わたしは口元に手を当てて考え込む仕草をするが、正直、考え付かない。  
 ちらっとにーさんの方を見てみればじっと期待に満ちた色で見つめてくる。  
 そういえば……にーさんは姿勢がいいのか背筋を伸ばせば、わたしから見てかなり高く見える。  
 でも、わたしと話すときは、今のように腰を曲げて目線を合わせてくれるからそうなることはまずない。  
 背だけじゃなくて肩幅だって背中だって手だってわたしより大きい。だけど、どのくらい大きいのかは確かめたことは  
無かったような気がする。  
 この際だから、確かめてみよう。  
 
「にーさん、後ろ向いて」  
「?、分かった」  
 不思議そうな表情を一瞬したけど、素直に背中をわたしに向けて直立不動のにーさん。  
 背は天井を見るくらい首を上げないと見えないくらいだ。……やっぱり大きい。  
「動かないでね」  
 にーさんの片手を取って、わたしの手を合わせてみれば一回り大きい。  
 マメがいっぱいできててごつごつしているから、さわり心地がちょっと硬い。けれど、あったかい。  
「にーさん、マメだらけで硬いねー」  
「ボール投げてたし、握力鍛えるのに色々やったからね。気持ち悪いだろ?」  
「そんなことない」  
 気持ち悪いなんて事は無い。  
 ねーさんやリゼットねーさんの手だってペンだこがいっぱいできている。無いのはわたしぐらいのものだ。  
 そういえば、とーさんの手もタコがが出来ていてにーさんのように硬かったような気がする。  
 わたしは懐かしくて掴んだにーさんの手を自分の頬に押し付けた。  
「―――……」  
 ちょっと驚いたような気配はあったけど、にーさんは優しく撫でてくれた。  
 顔は見えなかったけど耳が真っ赤になっていたのがしっかり見えいる。  
 ……甘えるのも甘えられるのも苦手なにーさんらしい。  
 ちょっと名残惜しいけど、わたしは手を離す。目的は手だけじゃないからね。  
「ん……」  
「いっ――ロ、ロレッタ?!」  
 わたしは背中から手を回してにーさんの背中に抱きつく。ちょっと身長足りないからつま先立ちだけど。  
「うわ、手がすこししか余らないよ」  
 ちょっと感動。もうちょっと、頑張ってみよう。  
「ん、んー」  
 一生懸命手を伸ばそうとしても胸がつっかえてあんまり変わらない。  
 これでもわたしは結構ある方で、正直、重い、疲れる、恥ずかしいの三拍子だ。  
 いつもは分かりにくいように余裕のある服装とか一回り小さい下着で隠しているけど、ここまで密着したらよく分かるだろう。  
 にーさんだから別にいいけど。  
「ロ、ロレッタ、は、離れて!」  
 逃げようとするにーさん。こんな機会は滅多にないから、逃がすか!  
「やーだ! お詫びでしょ? 動かないのっ」  
「うぅ――うげ」  
 しょぼくれたように大人しくなったかと思えばバランスを前に崩すにーさん。  
 わたしは、にーさんの体がクッションになったからびっくりしただけだけど。  
「っ、大丈夫か、ロレッタ?」  
「うん、大丈夫。びっくりしただけ」  
「そうか、ならどいてくれ」  
「や〜だ♪」  
 これなら背中の上当たりまで堪能できるだろう。  
 
 ここで立ち上がって移動したならにーさん逃げるだろうから、後ろから抱きついた体勢まま上に移動。  
 年頃の女の子がやる体勢じゃなけど、誰もいないからよし。  
 それにしても、胸が邪魔で仕方ない。平たいならスイスイと上れるんだけどなぁ。  
「んっと……んっと……」  
 掛け声を掛けつつにーさんによじ登るわたし。  
 にーさんの方から変な声が聞こえるが気にしない。今はこの広くて大きい背中の感触も楽しんでおこう。  
「んーんー」  
 にーさんの背中はとっても広くてよく鍛えられているのか服越しでも筋肉が盛り上がっているのが分かる。  
 その起伏が気持ちよくて何度頬擦りしても飽きない。  
 右の肩甲骨にすりすり。  
 左の肩甲骨もすりすり。  
 真ん中の背骨の辺りもすりすり。  
「に〜さんっ!、んふ〜〜♪」  
 服越しであっても大きな背中を頬擦りするだけでとっても安心する。  
 わたしにこんな趣味あったのだろうか?  
「――――」  
 玄関のドアが軋み開く音がロビーに響いた。……そういや、わたしが帰ってきたらりょーにーさんに謝られたから、  
ここはロビーだったっけ?  
「っ――――!」  
 玄関が開いて外からの光がわたしとにーさんの背中に当たる。  
 大抵、知り合いはチャイムなり鳴らすから、鳴らさず入る人は現在3人しかいない。  
 内2人はわたしとにーさん。  
 今、鳴ってないから入ってくるのは――  
「ねーさん!?」  
 慌てて自分でもびっくりするくらいのスピードでにーさんから飛びのく。  
 そこに居たのは、わたしの好物のケーキの箱を持って、大きな目に涙をいっぱい溜め込んだねーさん。  
 マズイ、この状況はマズすぎる。  
「えぇとね、ねーさ――」  
「うわぁぁぁぁん!」  
 パタンと玄関の扉が閉まる音。その音が寂しげに聞こえたのは気のせいなのだろうか。  
 時間を見ればまだ、5時半。ねーさんが帰ってくるには早すぎる。  
 多分、勇気をだして仲直りに来たのだろう。それをわたしが完全粉砕したのだから最悪だ。  
 これも予測だけど、わたしにその仲介を頼もうとしたんじゃないだろうか? ケーキの袋もってたし。  
 それならもっと最悪だ。  
「うわ――」  
 今の自分自身の格好をみて思わず呻くわたし。  
 綺麗だったブラウスは皺だらけに、ご丁寧にも胸の辺りのボタンが飛んで下着が見えている。  
 最悪を通り越した物はなんと言えばいいのだろうか?  
 とりあえずブラウスに応急処置をして、にーさんを起こそうと揺らす。が、反応が無い。  
「にーさん!にーさ……あー」  
 ……気絶してる。  
 
 そういや、この2、3日、りょーにーさんあんまり寝てなかったように見えた気が。  
 つまりわたしは、ねーさんの度胸と勇気、にーさんの緊張の糸、そして2人の仲直りのタイミングを完全破壊したわけか。  
 「はははは……」  
 かなりマズイ事態になった。こんな事態になっても笑えるわたしを再確認。  
「よし」  
 こうなったら、否が応でもこの2人には仲直り、否、仲良くなってもらう。  
 わたしの策略、陰謀、奸計、謀略術数のすべてを賭けてなってもらう。  
 もともとの責任はわたしにある。その責任が増えただけ。だからわたしは全力で何とかする。  
 わたしは自分を"二番手"と誓っている。  
 だからねーさんを助けるためなら、この"二番手"はいくらでも頑張れるはず。  
「……」  
 まずはにーさんを介抱しないと。わたしじゃ運べないからここでやるしかないけど。  
 ねーさんは、帰ってくるか?――帰ってくるにしてもかなり遅いはず。リゼットねーさんの所に行く可能性があるから  
先に手を打つ。  
 時間的余裕は――ねーさんはしょぼくれると徘徊する癖があるから余裕はあるはず。  
「よーし」  
 わたしは"二番手"。一番の相手以外なら負けるつもりは無い――。  
 
 
 
「にーさん起きた?」  
 あまり爽快な目覚めではなかったが、頭の辺りに柔らかな感触で少しはマシになったと思う。  
 ……なんというか光景とか感触にデシャブを感じるのはどうしてだろう。  
「あ、あぁ」  
 そうか、ご主人様に拾われた時も同じだったか。同じ膝枕――!?  
「動かないの!」  
 見事なタイミングで頭を押さえつけられて動けない。仕方ないので現状維持だが、正直恥ずかしい。  
「ねーさんが、帰ってきたのは覚えてる?」  
「扉が開いたような音を聞いたような気はするが……」  
 正直、それどころじゃなかった。  
 頬擦りだけならまだしも、予想外に大きいふくらみを押し付けられた上に動かれたのだからたまらない。  
 あの見た目であの大きさは詐欺だ。  
「にーさん、ごめんね」  
「……済んでしまったしかたないし、俺だって本気で止めればよかったんだし、ね」  
「そう言ってもらうと助かる……」  
 ロレッタの心を表すように小さい白い耳が元気なく垂れる。器用だねぇ。  
「?」  
 俺は無意識的に彼女の頭を撫でていた。もちろん耳も触るが。  
 ご主人様の髪に一度触った事はあるがやっぱり姉妹でも髪質が違うものらしい。  
 
「ひゃ……な、何をしてるの? にーさんっ!」  
 なぜか身を捩じらせて、顔を真っ赤に染めるロレッタ。妙な気分になるのはなぜだろうか?  
「はい、お仕置き終了っと」  
「ふぇ……?」  
「これで、おあいこ。だから自分を責めない、ね?」  
「う、うん、分かった」  
 撫でた理由をでっち上げる俺。まぁ半分くらいは本気だけど。  
「話は変わるけど、にーさん、この3、4日何時間寝たの?」  
 ……俺、何時間寝たっけ?  
「すまん、覚えてない」  
「……にーさん、さっさと寝る。いくらなんでも気絶するくらい寝てないのは危ない」  
「えっと、今日はバッカスさんの授業ないけど、ご飯の準備とか――」  
「寝てください。倒れたら洒落にならないです」  
「はい、でもご飯とか――」  
「わたしがやるから大丈夫、にーさんにもねーさんにも持っていくから、ね」  
 なぜかいつも無い迫力があるような気がして頷くしかない。逆らったらなにをされるのだろうか……  
 ロレッタの膝枕は心地いいが、ずっとこうしてる訳にはいかないから、俺は気合を込めて起き上がる  
「っと、わかったよ。大人しく寝てるよ」  
 立って分かったが、微妙にバランスを取れない。やれやれ、ここまで疲れているのに気づかないとは。  
「うん、おやすみなさい」  
「おやすみ」  
 寝るのにはまだまだ早いが、好意に甘えて疲れをゆっくり取るとしよう。  
 今はご主人様のことを考えても仕方ない。こんな状態ではなにもできないだろうし。  
 でも、なんとかしないとな。  
 そんなことを考えつつ、俺は転ばないように気をつけつつ自分の寝室に足を向けた。  
 
 
 
「やば――」  
 俺は慌しげに着替えて階段を勢いよく降りる。よく寝たから気分爽快だが、状況が許さない。  
 理由は簡単。時計が既に10時過ぎていた。  
 あの後軽く寝て、ロレッタの作った夕飯を食べ終わったのが確か8時ですぐ寝たはず。  
 しめて睡眠時間13時間オーバー。俺の新記録が達成していた。  
「にーさん、おはよー」  
 慌ててテラスに入るとロレッタは優雅に紅茶を啜って……あれ?  
「どもー、おじゃましてますー」  
「……どうも」  
 えっと、妙に元気な方がネリー、妙に落ち着いてる方がクリスだったっけ?  
「あー、うん、おはよう、ロレッタ、ネリー、クリス」  
 出鼻を挫かれて頭が落ち着いてくる。  
 
「買い物頼みたいんだけどいいかな? にーさん」  
「何買ってくればいいの?」  
 はい、と手渡されたのは小さなメモ用紙。  
 読めるのを読むと食べ物ばかり。一部読めない物もあるが、おそらく食べ物だろう。……どっかで見たことあるばかりだが。  
「これでなにつくるの?」  
「作るのはわたしじゃないよ、にーさんが作るの」  
「へ?」  
 突拍子もない台詞に疑問詞を上げる俺。なぜ、どうして、誰にと疑問が脳裏をよぎるががそれを読んだように、ロレッタが答  
える。  
「ねーさんにお弁当作って持っていくの」  
 『仲直りの印』としては古い手だろうけど、それだけに有効だ。問題はいくつかあるけど。  
「ご主人様、昼は買って食べてなかったけ?」  
「大丈夫、ほら」  
 と、ロレッタは何処から出したのか、色気もそっけもない青い財布を見せる。  
「ねーさん、財布忘れたから、お昼は抜きでいると思う。それに、お金借りるなんて真似はしないと思うしね」  
 なるほど、妙なところで意地を張ったりするからそうかもしれない。  
 それにこれはチャンスだ。使わない手はない。  
「分かった、買って作るよ」  
 これでメモの内容の既視感が解けた。ご主人様の好物十選から出たものだ。  
「……ロレッタ、わたしたちも一緒につくっていい?」  
 意外にも、おずおず手を上げて、そう言ったのは黙って聞いたいたクリスだ。ネリーは口を開いてはいないが、耳が期待に満  
ちるように僅かに動いている。  
 この世界の人達は感情表現する方法が多くて本当に楽しい。  
「んーと、なんで?」  
 面を食らったような表情でロレッタは訊いた。  
「お姉さまに、作ってあげたいから」  
「おもしろそうだし」  
 ネリーとクリスが答える。  
 確かに手伝ってもらえるならかなり楽だろう。ところでおねーさまとは?  
「んー、あんたたちねーさんに、おいしいって言わせることできる?」  
 ……普通のご飯を『おいしい、おいしい』と言って食べる人だから、結構アバウトだと思うのだが。  
 どのくらいアバウトかと言えば人の名前を面倒の一言で短くするくらいアバウト(適当)だ。  
 「で、自信ある?」  
 しぶじぶといった感じでクリスは手を下ろす。勝負ありらしい。  
「……せめて一緒に来る? 2人とも」  
 2人のしょぼくれ具合が妙に可哀想で思わずそんな提案してしまう。  
「「いいんですかっ!」」  
「うわっとっとっと……」  
 嬉しいのは分かるんだが二人セットで飛びつかないでくれ。  
「んじゃ、ロレッタ行って来るよ」  
「ん、わたしは準備しておくから2人のお守りよろしく〜」  
 ロレッタはそう言うとエプロンを付けて台所へ引っ込む。あのなりで、料理も裁縫もできるから恐ろしい。  
「ほらほら〜いきましょ?」  
「急いで急いでっ」  
 ネリーとクリスがそれぞれ、俺の袖をぐいぐいと引く。  
「分かった、分かったから、袖引っ張らないっ。このワイシャツ、伸びたら代わりがないからっ!」  
 
 
 
「ネリー、これ何処かな?」  
「はい、そこの店のが美味しいです」  
 2人に引っ張られて、メモ片手に来たのはいつもの食料品通り。  
 忙しくなる時間寸前の妙な緊張感とざわつきはある上に、かなり人が多い。  
「……うあっ」  
「んっ」  
 クリスが石畳の出っ張りに突っかかり、転びそうになるが俺は腕を引っ張るだけで簡単に止める。  
 それもそのはず、2人して俺の両側に腕を組んでくっ付いているから。  
 歩きづらい事この上ない。  
「あ、ありがとうございます……」  
「どういたしまして……離れた方が安全だと思うんだが」  
 2人ならまだしも、3人もいると歩幅がバラバラで合わせる事が難しい。  
「真ん中のりょーさんが、普通に歩けばいいんですよ。それに私達も合わせますから」  
 ネリーのアドバイスに自分の要領の悪さを再確認しながら、いつもより遅めに歩いてみる。  
 ……確かに歩きやすい。が、  
「離して歩くって方法はないの?」  
 女の子2人を侍らせて歩くヒト奴隷。……あんまりいい目では見られないこと請け合いだ。  
「ヒトと歩く機会ってのは一般人には絶対ないんですよ。これも私達の為だと思ってっ♪」  
「まぁ、見るだけでもお金取られたりしますから」  
 両側から答えが返ってくるが、そんな珍しいのかヒトは。  
 確かに珍しいって話は最初にされたが、見るだけで金取られるくらい珍しいとは思わなかった。  
「参考までにヒト奴隷って幾らぐらいするの?」  
 好奇心……というか訊かなきゃいけないような気がして、クリスに質問してみる。  
「えっと、高いのになると10万セパタとか15万セパタとか天井知らずですね」  
 クリスが出してくれた数字を元に俺の頭は回る。  
 えーと1セパタ=銀貨10枚くらいだから……銀貨に換算すると100万枚以上の銀貨。つまり、ちいさな町の予算クラスは  
ある事になる。  
 俺がその計算結果に顔をしかめているのに気づいていないのか、熱っぽくクリスは話を続ける。  
「下を見ても、6千セパタはありますから……」  
「クリスっ!」  
 そんな俺の表情に心配したのか、ネリーが止める。  
 っと、フォローフォロー。  
「はは、俺が訊いたんだから謝る必要なし、ね?」  
「あ……はい……」  
 謝る機先を制された所為か、困ったような表情を浮かべ頷くクリス。あとで2人に穴埋めしておこう。  
 
「んじゃ……すまん、読めない。クリス頼む」  
「はい……戻ってそこの3軒前のが新鮮です」  
「えー、あっちの方が安いよー」  
「お姉さまに食べさせる物なのに、古い物食べさせてどうする気ですか」  
「いや、そうだけどさー」  
 とか、やっている内に買い物袋は重くなり、だんだんと人が増え騒がしくなってくる。  
「これでオシマイかな?」  
 メモにしるしを付けているネリーが呟くと一息つく俺。  
 まさか女の子に荷物持たせるわけにはいかないので俺が持ったが、組まれている腕を動かさず荷物を持つのは至難の技だと思  
い知った一時間だった。  
「りょーさん、あそこで休みましょうか?」  
 と、クリスの指した指の先には小さな公園とベンチ。こういうスペースが多いのは、本当に助かる。  
 ベンチに座る時にも両脇にクリスとネリーがセットなのはもはや、突っ込む事すら野暮だ。  
「ほれっ」  
 大きく膨らんだ買い物袋からおまけで貰った青いリンゴのような物を2人に渡す。  
 見た目毒リンゴ、味はキウイなこれはご主人様の好物らしいが、異世界って恐ろしい。  
「えーと、もらっていいんですか、これ?」  
「買い物付き合ってもらったお礼だからいいの。それにおまけだしね」  
 そう俺がいうと、彼女らはお礼を言って二人は食べ始める。流石に俺は色的に食べたくない。  
「……そういえば、クリスはご主人様を"お姉さま"なんて呼ぶんだ?」  
 流石に他の食材に手をつけるわけにいかず、手持ち無沙汰。  
 そこでふとした疑問をぶつけてみたんだけど、  
「げほっ、げほっ!」  
 微妙に、急所だったらしい。  
「……えーと、喋っていいかな。ネリー?」  
「いいよー、いまさら隠す事じゃないしね」  
 クリスの事を聞いたのになぜネリーに許可を?……そんな疑問はすぐに氷解した。  
「昔、私とネリーでロレッタをいじめていたんです」  
「……」  
 若気の至りを話すような口調に静かに耳を傾ける。が、これには驚いた。  
「あの子、今でもですけど背が低いのでちょっと高いところに物を置いてやると届かないです」  
「で、適当な物を届かないような場所に置いておくっていう、今から考えると昔の自分を首絞めて教育したいくらい低レベルな  
ことしてたんですよ」  
 ねえさんが似たような事されたって話を一度だけ聞いたような気がする。見つけ出して吊し上げたらしいが。  
「理由なんて簡単な物で、あの子が特別扱いされて悔しいとか周りに比べて小さいとかなんでも良かったんだと思います」  
「実際は、特別扱いをロレッタ自身が異様に嫌ったらしくて、職員室に殴りこみかけたってのもあったなぁ」  
「おいおい……」  
 ロレッタも無茶するよ、全く。  
 
「ある日、学校にラヴィニアお姉さままが一緒に来てたんです。私達は上履き入れの天板に上履きを置くっていう単純な事をし  
たんです」  
「それを現女王様……つまりはラヴィニアさんに見つかったと言う訳で」  
「……で? あ、すまん」  
 思わず急かしてしまい、謝る。彼女らにはちょっと言いづらい事だというのに俺は……はぁ。  
「ははっ、いいですよ別に。えーと話を戻すと、どんな手を使ったかわかりませんけど、その日の内に私達は呼び出されてロレ  
ッタの前に出されたんです」  
「ロレッタは別に気にしてないとか言ってたんですけど、ケジメだからとか言ってラヴィニアさんに頬一発づつ叩かれて、2人  
セットで抱きしめられたんですよー」  
「で、『私はロレッタの側にいつも居る事が出来ないダメな姉だから、あなた達、家の妹をお願いね』って言われたんです」  
 なんというか、ご主人様らしい。  
「それ以来、私はラヴィニア様をお姉さまと呼んでいる次第で」  
「そう思ったのはアンタだけだと思うよ、クリス」  
 俺をを挟んでいつも通り騒がしい二人。  
 全くご主人様は何処までいい人なのやら。ま、そこがいい所なんだけどね。  
 
 
 
 2人と別れ、屋敷へ買い物を終えて帰ってくると、俺とロレッタは急いでお弁当を作り始める。  
 ロレッタが先に準備してくれたおかげで俺一人でやるよりかなり効率がいい、というかほとんどロレッタ任せだ。  
 ……にしても、小さいけど良く働くねぇ……見習わないと。  
「ほらほら、にーさん手が止まってるっ」  
「あ、すまんすまん」  
 この台所は、かなり広くスペースが取ってあるので2人で動き回ってもさほど問題にならない。むしろ4人くらいでも十分な  
位だ。  
 しかもし、なぁ……?  
「あーやっぱり2人に手伝って貰った方が……」  
「にーさん、なんか弱気過ぎっ」  
「いやだって、俺、そんなに料理は上手じゃないぞ」  
「ふぇ……?」  
 考え込んでいるのか包丁がまな板を叩く音が途切れる。  
 俺がある程度食べれる物を出せるのは、『料理くらいできなきゃ、婿に出せない』と、ねえさんに言われて無理矢理やらされ  
たお陰だ。――ねえさんありがとう。と心の中で祈っておく。  
 それはともかく、ここに来てからレパートリーは増えたがいまいち手際よく出来ないのが現状だ。  
「……もしかして、2人に言った事気にしてるの?」  
「まぁ、一応」  
 一応、とは言ったけれど気になって仕方ない。  
 不味いと言ってくれれば勉強したのだが……味見した限りだと素材がいいのか美味しかったんだけどなぁ  
「えーと、嘘です。ごめんなさい」  
 "ごめんなさい"がちょっと悪戯っぽく聞こえたのは、気のせいではないだろう。  
 
「2人に嘘ついたのは悪いと思ってるけど、私達で作らなきゃ意味ないでしょ?」  
「……そうだな」  
 確かに今まで謝れなかった。  
「んで実際、ご主人様の舌ってどれ位肥えてるんだ?」  
「それなら大丈夫、ねーさん、『ベラドンナとトリカブト、どっちがまだ食べれるかな?』とか言ってたし」  
 おいおい、確かどっちも毒草じゃないか。  
「参考まで、どっち食べたの?」  
「結局ワラビを見つけて煮て食べたらしいよ」  
 なんというか"らしい"オチだ……ん?  
「なんでそんな事してたんだ?」  
「ん、……『王に相応しく』とかでかなり大変だったみたい」  
 そういうと、包丁とまな板のぶつかり合う音が再スタートしたが、ロレッタの声音は聞きなれていないと分からないほど、微  
かに沈みこむ。  
 ここは深く踏み込むべきか、避けるべきか……迷ってる暇、無いか。  
「かなり大変って?」  
「わたしだってそんなに知ってる訳じゃないけど、っと」  
 切った食材を煮え立つ鍋に放り込みならがらロレッタは話を続ける。……背が低いから大変そうだ。  
「手伝おうか?」  
「大丈夫……んと、ねーさんごまかそうとしてたけど、次の日足腰立たないぐらい走らされたり、一週間くらい野宿とかしたら  
しいよ」  
 それはまた体育会系な。でも、疑問が残る。  
「それってさ、『王に相応しく』となんの関係があるの?」  
「50年くらい前に"王"の権力濫用でゴタゴタがあってね、その反省から心身ともに鍛える事になったらしいよ、ってにーさん、  
手が止まってるよっ」  
「はいはい」  
 権力濫用、こういう話は何処にでもあるらしい。  
「……まぁ、わたしが勝手にねーさんの話から想像しただけなんだけどね」  
 鍋をかき混ぜつつロレッタはしみじみ語るが、妙に空気が重くなる。  
 これ以上追求すると余計重くなると思うが、もっとご主人様のことを知りたいと思う。  
 奴隷としての領分を越える事だとしても、だ。  
 だから、敢えて踏み込む。  
「想像って事は、ちゃんと話してなかったの?」  
「うん、ハイキングとかキャンプとか楽しそうに言ってたの。……そんな気、使わなくてもいいのに」  
 最後の方は不貞腐れるように吐き捨てるロレッタ。確かに頼られないってのは悲しい。  
「ご主人様なら、嫌なら嫌と言うんじゃないかな?」  
「え?」  
 驚いた声を上げて一瞬音が止まるが、すぐに復帰。テンポがずれないのは流石だ。   
「意地なのかプライドなのかわからないけど、辛いと思った事は決して言わない人だしさ」  
 ロレッタは話を聞くつもりなのか口を挟まず、淡々と材料を切る音を響かせる。  
 その音をを心地よく思いながら俺は続ける。  
「ロレッタに話したって事は、辛いと思っちゃいないって事、ね?」  
「……でも絶対辛いよ」  
 
 俺も、体育会系の部活していたから辛いと思ったことは腐るほどある。でも人にそれを愚痴ったことはない。  
 理由は簡単。愚痴る相手も辛いからだ。  
 あの頭脳明晰のねーさんだって見えない努力を重ねているのに、俺一人が愚痴を言うわけにはいかない。  
 だから、俺はご主人様の気持ちが分かる気がする。  
「辛かった、面倒、やりたくない。そう愚痴られたかった?」  
「……うん、ねーさんがそんな事してるのに、わたしはベットの上。わたしは……やりきれないよ」  
 動けなかった彼女ならではの意見だが、例え虚勢であっても愚痴を妹に言う人ではないだろう。  
「ご主人様は、『ロレッタがベットの上で一生懸命病気を治しているのに、私は外で動き回るだけ』とかって思ってるよ、多分  
ね」  
「…――痛っ」  
「ロ、ロレッタっ?」  
 短い悲鳴を上げたロレッタへ慌てて俺は駆け寄って上から覗くと、人差し指に赤い小さな珠が出来ていた。  
 おそらく、というか確実に包丁で切ったものだろう。……器用なロレッタには珍しい事だ。  
「あはは、ドジっちゃった……」  
 苦笑いするロレッタだが、悩みやなにやらが透けて見えるのは気のせいだろうか……っと手当て、手当て。  
「んー?」  
 絆創膏……なんてのを探そうと見回すが、そんな便利なものはない事に気づく。  
 せめて、血を止めなきゃならんのだが……仕方ない。  
「ロレッタ、指出して」  
「はい、って――にーさんっ! ひゃあっぁ!?」  
 出された指を止血の為、口に咥えて舌で小さな傷口を舐めとる。多少鉄の味はするが、すぐに薄まり消える。  
 口に物を入れたからか唾液がどっと量が増えて、ロレッタの指が半分くらい浸る量になる。  
 その溜まった唾を舌先で掬い上げ、傷口にちょっとずつすり込んでいく。  
「〜〜〜……っ」  
 ロレッタが悶えてる様だが多分傷口に唾がしみているのだろう。  
 唾には殺菌作用だけでなく、治癒効果増強もあるらしいから、我慢してねーロレッタ。  
「ん、ん……も、もう大丈夫だよ、にーさん」  
 そういわれて俺は、咥えていたロレッタの指を離してハンカチで指を拭き取る。  
 この世界の人達は傷の治りが早いのか、もうハンカチに血が付かない事に驚くが、荒い息をしてへたり込むロレッタ。  
「……大丈夫?」  
「う、うん、腰が抜けただけだから……ちょっとこのままにしておいて」  
「そうか?」  
 本人がそう言うのだから仕方ない。  
 締めにちょっとカッコつけてみようかな……柄でもないけどね。  
「過去がどうであれ、今を、いつかを楽しく過ごさせてやろう」  
「?」  
「俺のねえさんにそう言われた。だから、弁当作って笑わせよう、な?」  
「うんっ!」  
 満面の笑みで頷くとロレッタは「よいしょ」と掛け声を掛けて立ち上がる。  
 確か言われたのは、あっちで飼ってた犬を拾った時だっただろうか。  
 気の利いた台詞すらねえさん頼り。全く、ねえさんには敵わない。  
 その代わりって訳じゃないけど美味しい物作って、笑ってもらおうじゃないか。  
 
 
 
 

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