「精密発育検査・杉原菜月の場合」  
 
 
「じゃあ、みんな服を脱いで袋に入れてね。ブラジャーも靴下も脱ぐのよ」  
 いやな予感が現実のものになるのを、杉原菜月はまったく無力に受け入れるしかなかった。  
 
 杉原菜月が『精密検査のお知らせ』と書かれたプリントと書類を渡されたのは半月ほど前、  
入学後の身体検査が終わったころのことだ。あとからよく思い出してみると、それを受け取っ  
ていたのは、菜月と同じように家があまり裕福ではない生徒たちだった。  
 しかしそのときはあまり深く考えず、「ここに書いてある病院で検査を受けてくるように」「中  
の書類はご両親に記入してもらうように」という言葉をそのまま受け取っただけだった。  
 菜月の母も書類を見ても詳しいことはわからなかったようで、なにか悪いところでも見つか  
ったのではないかと、それなら詳しく調べてもらったほうがいいと、とりたてて怪しむことはな  
かった。  
 この検査が任意のものであるかどうか、確かめることは気づきもしなかったのだ。  
 
 その結果がこれだった。おそらく他の生徒たちも、似たようなやりとりがあってここに来て  
いるのだろう。菜月もはじめは休みの日に朝から病院に行かなければならないことだけが  
憂鬱だったに過ぎなかったが、病院内に入って不安は一気に増した。  
 この病院はこのあたりでも一番大きなところだが、今日はいつもと様子がかなり違うようだ。  
本来受付の前は大きなホールになっていて、長椅子やら造花やらが並べてあるのだが、今  
は、その半分にベッドや検査の機械らしいものが並べてある。もともとホールはかなり大きく、  
普段でも長椅子が並べられているスペースは一部でしかないが、その長椅子は現在受付の  
近くに寄せられて、背の低い造花が区切りを作っていた。  
 その見慣れない空間に菜月たち女子生徒たちは集められている。  
 彼女たちを囲んでいるのは、ベッドに身長・体重計、いろいろな機械、そして多くの医者と  
看護師。男子生徒はいないが……  
 そして、春にしてはやや暖かめの空調。  
 なにもかもが不吉な想像を駆り立てる。  
(まさかこのままここで検査するの?)  
 少なくない女子生徒がそう疑っていたが、信じたくなかった。  
 思春期を向かえ、恥じらいの強くなった少女たちの検査会場としては開放感がありすぎる。  
 しかし、指定時間となり、検査の説明が始まると、生徒たちから血の気が引いていった。  
 
 説明の途中で、「えーっ」と生徒たちの声が上がることもあったが、まったく無視された。説  
明が終わり、検査の開始が告げられても、生徒たちはお互い顔を見合わせたまま、なかな  
か動こうとしない。  
 当然だろう。  
 この日、病院は休診日ではない。ホールの半分は普段と同じように待合室として機能して  
いる。そこには老人が多いが、たくさんの患者が訪れていた。もともとがひとつのホールで  
あるので、扉どころか壁もなく、カーテンや仕切りも用意されていない。間に並べてある造花  
程度では、視線をさえぎることはない。  
 患者たちも、珍しい光景――若い女性の集団に興味深げだ。ある者は遠慮しつつも、また  
ある者は堂々と少女たちの様子をうかがっている。  
 それだけではない。  
 この検査では、医者の数がかなり多いようだった。それも、かなり若い男性が(若い女性  
もいるが)数多く混じっている。生徒たちにはよくわからないことだが、実は、検査の雑用に  
多数の医学生が動員されているのだ。だが、彼らも白衣を着用しており、少女たちには自分  
たちとあまり変わらないくらい若いというくらいしかわからない。  
 また、この日はじめてこの検査を受ける女子生徒たちにはやはりわからないことだが、こ  
の病院でのこの検査は、こうした形で行うことがもはや慣例となっており、検査会場の変更  
はそもそもありえないことでもある。  
 
「どうしたの、幼稚園の子だってもっと早く動けるわよ。いつまでぐずぐずしてるの」  
 素直に指示に従わない生徒たちにいらだっているのか、看護師の態度がけわしくなって  
いった。  
 そうはいわれても、たくさんの異性に囲まれながら、率先して服を脱ぐことのできる少女が  
そうそういるわけがない。  
 お互い知り合いではないので相談こそしないが、思いはみな同じだろう。  
「あの……ここで脱ぐんですか」  
 勇気ある、というべきか、ひとりの女子生徒が看護師に尋ねた。  
 看護師は「はあ?」という顔をあからさまに作って、くちびるを嘲笑にゆがめる。  
「今の話を聞いてなかったの? さっさと服を脱いで、パンツ一枚になりなさい」  
「……でも、こんなところじゃ恥ずかしいです……」  
 女子生徒の誰もが思っていたことを、代弁するように彼女は口にしたが、それに対する看  
護師の返答は驚くべきものだった。  
「そう。恥ずかしいから検査は受けられないって? 服を脱がなきゃ検査できないくらい、小  
さい子でもわかるでしょ。あなた、そんなこともわからないの?」  
「そんなんじゃ。ただ、もっとちゃんとした部屋じゃないと、ここじゃ、みんな見られちゃいます」  
「あのね、ここしか空いていないんだからしょうがないでしょ。準備だってあるし。それにあな  
たちょっと自意識過剰なのよ。なに、いつも男のことしか考えてないわけ? いやらしいわね」  
「そ――そんなこと思ってないです」  
「なら別にいいでしょ。あなたの裸なんて誰も興味ないわよ。まだ子供なんだから」  
「でも……」  
「そんなに自分が美人だとでも思ってるの?」  
 看護師は高圧的な態度を崩さなかった。  
 立場が弱い女子生徒は、これ以上反論できない。  
 黙ってしまった彼女に、看護師は追い討ちをかけるようにいった。  
「あなたね、なにしにここに来てるのよ。検査の邪魔してるの、わかってる? 検査を受ける  
気がないなら帰ってちょうだい。もちろん、あなたの学校にはこのことを連絡させてもらいま  
すけどね」  
「…………」  
 女子生徒たちの大半は、この検査は受けなければいけないものだと思い込んでいる。そ  
もそも最初の時点で拒否できたものだとは想像すらしていない。  
 学校に知らせるなどと脅されるまでもなく、生徒たちは検査を受けないなどという選択肢を  
初めから持っていないのだ。  
 無理な選択を迫られた少女はどうしていいかわからず、おろおろと立ちつくすばかりだった。  
 看護師はその生徒は無視し、他の少女たちに呼びかけた。  
「は――いっ、時間がないんだから、さっさと動く!」  
 今度は、何人か服を脱ぎだす少女が現れた。  
 「いつまでグズグズしてるんだ」という医師たちの不機嫌な声に耐えられなくなった女子生  
徒が出てきたのだ。  
 ひとりが脱ぎだすとまたひとり、ふたりと続いた。  
 やがて、最初に文句をいった生徒以外は、みな指示されたとおりの格好になっていく。  
 取り残された女子生徒に看護師は振り返った。近づき、小声でささやく。その表情からは  
険しさが消えている。  
「他の子だって、みんな同じように検査を受けるのよ。あなただけ帰るなんてことしないでし  
ょう?」  
「…………」  
「ほら、検査はもう始まってるんだから、早く服を脱ぎなさい。別に邪魔するつもりなんてなか  
ったんでしょう? わかってるわ、病院じゃよくあるから。これからは指示に従ってくれれば、  
それでいいからね」  
 
 菜月もまた、他の生徒と同じようにあきらめて服を脱ぎ、すでに配られていた袋(学校で使  
う、体操服を入れる袋に似ていた)に押し込んでいた。  
 服を脱ぐと一瞬肌寒さを覚えるが、すぐに慣れる。それよりも、別のものが肌に突き刺さっ  
ていくのを感じた。  
(やっぱり見られてる……)  
 痛いほど視線を受けている。  
 医者たちだけではなく、一般の患者たちもまた、こちらに注目していた。  
 年頃の娘たちが次々に半裸となっていくのだから、気にしないほうがどうかしている。  
 少女たちはできる限り胸を隠すようにしているが、動作の間には乳房があらわになること  
も多い。  
「服を全部袋に入れたら、前に出てきて問診表を受け取るように」  
 すでに検査の順序は説明されているが、看護師たちは生徒たちを急かしながら誘導を行  
っていた。  
 少女たちが受け取ったのは質問が書かれた問診表と、その回答を記入する検査カードで  
ある。検査カードには、いくつかの検査の結果も記入するようになっていた。検査の詳細は  
ともかく、生徒たちにもある程度結果がわかるようになっているということだろう。  
「書くの終わった子は一番のところに並ぶのよ。ほら、混んでいるところじゃなくて空いてると  
ころに」  
(アンケートまで服を脱いで書く必要ないのに)  
 他の女子生徒と同じようなことを思いながら、菜月は問診表の質問に答えていた。今まで  
こんな経験はないかとか、日々の睡眠時間、食事に関する質問が続く。  
(え……? なっ)  
 菜月はペンをとめた。  
 そこには初潮の年齢や生理、排便は順調であるかなど質問が並んでいた。使っている生  
理用品、そのメーカーや品名まで書くある欄がある。いや、それはまだいい。本当に菜月を  
驚かせたのはさらに下に続いていた質問だった。  
 性交経験の有無、自慰経験の有無。あるのであれば、経験人数やその頻度。  
(こんなことまで答えないといけないの……)  
 質問がある以上答えなければいけないに決まっているのだろう。医者にとって重要な情報  
であるはずだ。  
 性交の欄にはなしに○をつける。菜月にはそういった関係の異性はいなかった。同性とも  
そんな関係は築いていないが。  
(自慰……って)  
 それがどういった行為を指しているのかはわかっているつもりだが、どうなのだろう。ちょっ  
とした空想にふけるのも、含まれるのだろうか。  
 少し悩んだ末に、菜月はなしにした。やはり、ありと答えるのには抵抗があった。  
 
 回答が終わった菜月は、指示されたとおり、列に並んだ。  
 質問が書かれた問診表はもはや必要ないため、看護師が回収していく。女子生徒たちは  
検査カードを手に持って、各検査コーナーを回るのである。  
 最初は問診であった。ここで、回答の確認が行われるのだ。  
 菜月の番が近づいて、前の生徒とのやり取りが聞こえてきた。やはりどんな質問がされる  
のか気になる。  
 菜月の並んだ列にいたのは、四〇歳前後といったところの男性の医師だった。  
「性交の経験はなしになっているけど……言葉の意味はわかっているよね、生殖行為、とい  
うかセックスだよ?」  
(うわ……)  
 どうやら医者は、この年頃にありがちな性知識の誤解などがないよう、いちいち確かめる  
つもりらしい。  
 
 いまいち医者のいう確認は確認になっていない気もしたが。  
「はい……わかっています。……だから、ないです……」  
 菜月の前の少女は消え入るような声で答えていた。  
「マスターベーション……オナニーはしたことがあるんだね」  
(…………ありにしたんだ)  
 目の前にいるのはまじめでおとなしそうな少女だったが、だからこそか、生真面目にも恥  
ずかしさをこらえて回答したのだろう。  
「……はい……」  
 後姿だけでもわかるくらい、血液を顔面に集中させているようだった。  
「一週間に一回くらい? 具体的にはどうやっているのかな?」  
「…………マッサージの……」  
 菜月にも会話が聞こえているということは、質問している以外の後ろに控えている医者た  
ち(学生)にも聞こえているということだ。  
 彼らもまた、少女の回答を聞き逃さないよう神経を集中させている。  
「なに? 聞こえないよ、もっと大きな声で」  
 とても他人に話せることではない。  
 聞き取れないほど声が小さくなっていくのも当然だった。  
 それでも彼女は、精一杯の勇気を振り絞って、医者の問いに答えた。  
「マッサージの機械を、あの、ア、アソコにあてて、き、気持ちよくするんです」  
「うん? 振動するところを性器にあてるわけ? 服を脱いで?」  
 後ろにいる者たちの中には、少女を見る目つきをなんともいえないものに変える者もいた。  
ヒソヒソとなにごとかささやきあう者たちもいる。  
 そういった変化を受けて、答えている少女は、ますます顔をうつむかせた。  
「そ……そうです。下着の上からです」  
「下着は汚れる?」  
「……おりものシートとかあててます……」  
 その後も医者は執拗に細かく問いを重ねた。  
 聞いているだけの菜月まで恥ずかしくなってくるほどだ。  
 ようやく質問が終わって解放された少女は、検査カードを受け取ると逃げ出すようにその  
場を離れていく。  
 いよいよ菜月の番だった。  
(わたしは両方ともなしにしてるし……)  
 それほど細かくは質問されないのではないかと期待する。  
 できればなにごともなくスムーズに終わらせたい。  
「――この辺の質問の意味はわかっている?」  
 医師の質問は予測していたものが多く、だいたいはすぐに答えられた。  
 すると医者は、ないと答えた自慰経験の項目で、直前の少女と同じように少し突っ込んで  
質問してきた。  
「――全然、エッチな気持ちになったこととかもない? 一度も?」  
「……あまりないです」  
 今までの生活を思い出しながら、回答を選ぶ。  
「なにか想像したりとか、思い描いたりとかもない?」  
 正直いってよくわからなかった。  
 ただ、早くこの場を離れたいことだけは確かだった。  
「……ないです」  
 具体性のない、短い否定の言葉は、医師の追及をかわすのに効果的だったようだ。それ  
以上菜月はこのことについて問われずにすんだ。  
 自分の前の少女に比べればあっさりと終わったといえる問診だったが、やはりいやなこと  
に変わりはなかった。  
 
 
(続く)  
 

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