不思議なことに、楽しい夢の内容は目覚めたあとで思い出すことができない。しかし悪夢はいつまでもはっきり覚えている。
理沙がさっきまで見ていた夢は、まさしく後者であった。大きく口を開けさせられ歯を次々と抜かれる夢。
理沙がどれほど泣き叫び、許しを乞うても四肢を拘束している鎖が解かれることはない。そして天野先生をはじめ、石本や吉川、さらにはご主人様までもが楽しげに笑いながら代わる代わる理沙の口の中に鉗子を差し込み、無造作に歯を抜いていく。
抜かれたはずの歯はまたすぐに生えなおし、いつまでも何度でも、麻酔なしで抜歯が繰り返される。その度に気を失うほどの痛みが全身を駆け巡るが、気絶することはできない。
「嫌あぁぁぁぁ! 許してぇぇぇ!!」
「理沙ちゃん」
子供のように頭を振って嫌がる理沙の顔を石本が抑えつけた。真ん丸になるまで見開いた理沙の瞳に石本の顔が迫った。そして先ほどまでの狂気じみた笑顔に代わって、神妙な、悲しむような、そして慈しむような微笑を浮かべながら静かに告げる。
「……理沙ちゃん、さようなら」
目を開けたとき、部屋の中はまだ薄暗かった。理沙の全身からは滝のように汗が流れ、鼓動は心臓が破裂するのではないかと思うほどに激しい。脳が先ほどまでの事象を夢だったと認識するまで、たっぷり数呼吸の時間がかかった。
(……ああ……あれから何日たったんだろ……)
ぼうっとする頭で理沙は記憶を辿った。天野先生に全ての歯を抜かれ終わったあと、急に高い熱がでた。
入院生活のストレスやリハビリの疲労が、抜歯をきっかけとして一気に顕れたのかもしれない。あるいは不順だった生理が突然始まったことで体のバランスが狂っていたのかもしれなかった。
いずれにせよ、理沙は以来ずっと寝たきりの生活をしていた。腕には点滴の針が差し込まれ、栄養と抗生剤が注入されている。下半身には、生理出血に対応する意味もこめてオムツが当てられた。
理沙はオムツ交換や体を拭かれるときに幾度か目を覚ましたが、ここ数日の記憶はかなり曖昧だった。熱でうなされていたためどこまでが現実であったのか、またその順番もあやふやになっている。もしかすると幾つかの出来事は夢だったかもしれない。
ふう、と理沙は溜息をついた。熱はかなり下がったようだ。額に張られた冷却ジェルが生暖かくなって気持ち悪い。無意識にそれをとろうと理沙は右手を動かした。そして自分の腕が短く切られていることを改めて思い出す。
もう一度理沙は目を閉じた。しかし、熱が下がったばかりの脳は妙に冴えており再び眠ることをよしとしない。また、先ほどの悪夢の記憶が明確に残っているため、睡眠に対する恐怖感もあった。
思い出したくもないのに、脳が勝手に先ほどの悪夢を再生する。と、理沙はふと夢の最後を思い出した。石本が理沙の顔に手をあて、「さようなら」と呟いた場面。
(……あれ、あれって夢だったのかな)
目を開いて理沙はじっと天井をみつめた。それは確かに夢の中での出来事だった。しかしそうだと言い切れない何かを感じてもいた。熱に浮かされている間現実に体験したようなリアルな感覚。しかし同時に、何かヴァーチャルな体験であったような感覚もある。
ふう、ともう一度溜息をつく。石本さんには明日の朝、尋ねてみたらいい。むしろそれより、理沙は気がかりなことがあった。
(ご主人様、許してくださるかな)
枕元のカメラを眺めながら理沙が思いをめぐらせる。総抜歯の罰を自ら申し出たが、本当にこれで反省の気持ちが伝わっただろうか。本当に、許してもらえただろうか。
暗い部屋の中でじっとカメラを見つめていたら自然と涙が溢れてきた。理沙はその顔を写されるのが嫌でごろりと寝返りを打つ。と、理沙は部屋の様子が変わっていることに気づいた。壁際に並べられていたリハビリ用の機械がすべてなくなっている。
理沙は幾度か目をしばたたかせた。部屋の逆方向に置かれているのかもしれないと思い、もう一度寝返りをうってみる。しかしどの方向を見ても、リハビリ機械の姿はなかった。
(もしかして……)
理沙は口の中が徐々に乾いてくるのを感じた。機械がなくなっているということは、退院できるんじゃないか。……いや、実は別室に動かしただけかもしれない。
最良の出来事と最悪の事態。その両方が交互に理沙の脳裏に浮かんでは消えた。それを考え続け、理沙はついにその後まんじりともせずに夜明けを迎えた。
「理沙ちゃんおはよう。熱は下がったかしら?」
やがて部屋の扉が開き、看護婦が部屋に入ってくる。理沙はベッドの上にもぞもぞと起き上がり、それが石本ではなく吉川であることに驚いた。
吉川はワゴンをベッド脇まで押してくると理沙の額から冷却ジェルをはがした。そして理沙のオムツの間から伸びる小さなコードの先端についた機械を手に取る。そこに表示された液晶の数字を見ながら吉川は満足そうに笑った。
「……うん。だいぶ下がったわね。どう理沙ちゃん、食欲ある?」
「ふぁい。あの、いひもほふぁんは……」
吉川の問いかけに理沙が口を開いた。が、その不明瞭な言葉に自分で驚きはっと息を呑む。吉川が苦笑しながら説明した。
「歯を全部抜かれてるんですもの。そりゃしゃべりにくい筈よ。……今日中には天野先生が入れ歯を持ってきてくださる予定だから、もう少し我慢してね」
「ふぁ、ふぁい……。ほれで、いひもほふぁんれふが」
麻痺したように重たい舌を動かしながら理沙が必死で尋ねる。テーブルを広げワゴンの上から重湯の皿を移しながら、吉川は少し言い淀んだ。そして、さもなんでもないような口調を装って告げる。
「辞めたわ。昨日づけで」
「え……?」
「何か急に転職することになったんですって。私も驚いてるのよ」
理沙は呆然と目を見開いた。あの夢はやはり夢ではなかったのだ。我知らず両方の瞳から涙がこぼれる。吉川はあわててティッシュで理沙の顔を拭った。それでも後からとめどなく涙は溢れてくる。
吉川は一口も手をつけないまま重湯を片付けた。そして代わりに薄いお茶の吸い口を差し出す。理沙は震えながら、それを一口だけ飲んだ。ごくりと喉を鳴らし、久しぶりの水分を胃に流し込む。理沙ははあと息をついだ。吉川がもう一度涙をぬぐう。
「どう、落ち着いた?」
「ふぁい……れもろうひて?」
「……さあ。ヘッドハンティングされたらしいけど」
まだ涙を流し続ける理沙を見ながら、吉川は苦笑した。そしてお茶を片付け、点滴の針をそっと抜く。テーブルを戻し終わると吉川は理沙の肩に手を掛け、彼女をやさしくベッドに寝かせた。そして下半身を覆うオムツのカバーを外す。
石本に思いを馳せていた理沙は股間が外気に触れたのに気づき、頬を赤らめた。
「あ……」
「ふふ。生理も終わったみたいね。でもあまりオシッコが出てないわね。理沙ちゃん、尿意はない?」
「ふぁい……」
お絞りで理沙の股間を拭いながら吉川が理沙に尋ねる。そして吉川は理沙の足をぐっと開いた。そして肛門から伸びるコードを手に取る。そのとき理沙は、初めて肛門に違和感があるのに気づいた。ちらりと理沙を一瞥したあと、吉川がコードを引っ張る。
「あ……!」
「あら、そんなに痛くないでしょ? 直腸用の体温計なんて、この間までのプラグに比べれば細いものじゃない」
言いながら吉川は理沙の直腸に埋め込まれていた黒い体温計を抜いた。コードがついたそれは人差し指ほどの大きさで、黒いゴムで覆われている。リモコン機能や血圧測定などの機能がついていない分、先日までのアナルバイブとは比べ物にならないほど大人しい機械であった。
「痔がなかったらあのプラグを入れてあげたいところだったんだけどね。まあ、体温さえ測れればいいからこれを入れておいたのよ」
コードを指で挟みながら吉川が説明する。振り子のように揺れる黒いゴムをみながら理沙は顔をしかめた。直腸の独特な臭いがあたりに漂い始め、吉川は先ほどのお絞りでゴムを拭い、ワゴンの上に置いた。
「ところで理沙ちゃん、ウンチのほうはどう? 抜歯のときに派手にして以来便通がないけど」
「ふぁ……」
「絶食していたって出るものは出るのよ。まあ熱が続いて便もカチカチに固まっているから、便秘気味になってると思うけどね。……そうね。どうせ今日で最後だし、あとでたっぷりお浣腸をしてあげるわ」
「ふぇ……?」
不思議そうに理沙は吉川を見上げる。吉川は笑いながら言った。
「おめでとう理沙ちゃん。いよいよ今日、退院よ」
午後の退院を伝えられて以来、理沙はずっとそわそわしていた。期待と不安が膨らみ、意味もなくベッドの上でごろごろと左右に転げまわる。幾度か勢い余ってベッドから落ちるが、そのたびに独りで笑いながらベッドの上に這い上がってはまた同じように転がり続ける。
扉が開く音がした。理沙ががばっと起き上がる。
「あらあら。すっかり元気になったのね」
しかし部屋に入ってきたのは天野女医と吉川だった。理沙はあからさまに残念そうな表情を浮かべる。しかしそれを気にする風もなく、二人の女性は理沙のベッドに近づいてきた。天野は微笑みながらポケットからラテックスの手袋を取り出して右手に嵌める。
「退院おめでとう理沙ちゃん。ほら、あーんして」
言いながら天野は理沙の唇に手を掛けた。理沙はおずおずと口を開く。天野は胸ポケットからペンライトを取り出し、理沙の口内を覗き込んだ。指先で抜歯の痕をぐいと押され、痛みに理沙は目を閉じた。
「ふふ、術後は良好ね。特に化膿もみられないし」
「あお……」
「そうそう、理沙ちゃんに私からの退院祝いがあるの」
「ふぁ?」
いぶかしみながら理沙が薄く目を開く。と、天野は吉川に左手を伸ばしていた。吉川が布の包装を解いてその中身を天野に手渡す。天野はまだ理沙の口内に入れたままの右手で彼女の口を大きく開き、その中に手渡された品物を差し込んだ。
「ふぉ……! おお?」
「入れ歯よ。ほらもう少し口を開きなさい」
ぐっと入れ歯が口の奥に入ってくる。異物感に理沙はむせ返るが、天野は全く躊躇せずに上下の入れ歯をセットした。そしてようやく手を抜き、理沙の唾液で濡れた手袋の匂いを嗅ぎながらにやりと笑う。
「どう? どこかぶつかって痛いとか、そういうことはない?」
「え……ふぁい」
言われて理沙はおそるおそる口を動かしてみた。カチカチと入れ歯がぶつかりあう音がする。固定されていないので少々ぐらぐらするが、特に違和感はない。
「……らいじょうぶれす」
「ふふ。じゃあ固定してあげるわね」
天野は理沙の横に腰掛け、彼女の口から入れ歯を抜いた。そしてそれぞれに固定用の薬を塗り、再度口の中へ差し込む。理沙はもごもごと何度か口を動かした。やがて入れ歯が口内の肉に貼り付く。入れ歯の内側を舌で舐めながら、理沙はふうと溜息をついた。
「どう?」
「はい。大丈夫です。……あの、ありがとうございました」
「いいのよ。退院に間に合ってよかったわ」
天野が優しく微笑みながら理沙の頭を撫でた。吉川が布を天野に手渡しながら告げる。
「理沙ちゃんの退院に間に合わせるため、天野先生は大急ぎで入れ歯を作ってくださったのよ。それも、理沙ちゃんの元の歯並びになるべく近い形になるように」
え……と理沙が驚いたように天野の顔を見た。確かに舌で感じる口内の感触は、以前の自分の歯と大して変わりがないようにも思える。天野は理沙の唇をめくり、今入れたばかりの入れ歯を見ながら吉川に話しかけた。
「でも今日が日曜日でよかったわ。……平日だったら絶対こんな時間に来れないもの」
「え? 吉川さん、今日は日曜日なんですか」
理沙が吉川を見上げた。吉川は苦笑しながら答える。
「ああ、この部屋にはカレンダーがないものね。そう、今日は日曜日。だから藤原さんも今日を退院日に選んだんじゃないかしら」
しかし理沙はふと表情を曇らせた。ご主人様は仕事中毒で、ママがまだ生きていた頃からずっと、土日も関係なく仕事に没頭していた。入院前も数日に一度しか逢えず、理沙は毎日寂しい思いをしていた。
だからこそ、ご主人様の気を惹きたくて四肢切断の手術を望んだのかもしれない。
そう考えると理沙は鼻の奥につんと痛みを感じた。涙腺が緩み涙がこぼれそうになる。吉川が心配そうに理沙の顔を覗いた。慌てて理沙は目を幾度が瞬いた。
「どうしたの?」
「いえ……。ご主人様は『仕事に土日祭日は関係ない』って人ですから」
「ふふふ。そうかしら」
理沙の言葉に天野が含み笑いを漏らした。そして腕時計をちらりと見ると、吉川に目配せをする。吉川が微笑みながら理沙の目線に腰を曲げた。
「じゃあ理沙ちゃん、もう少ししたら藤原さんがお迎えに来られるわ。それまでに最後の診察を済ませて、あとお風呂にも入りましょうね」
「……はい!」
理沙がぱぁっと表情を明るくした。それを見て天野がポケットから細くて長い鎖を取り出し、吉川に手渡す。吉川はくすっと笑うと、鎖を片手に理沙をそっとベッドの上に寝かせた。
「理沙ちゃん、ごめんね」
「え、あの、その鎖はなんですか?」
不安げに理沙が吉川を見上げる。しかし吉川はぺろりと自らの指先を舐めると、その指を理沙の下腹部に這わせた。そして理沙の秘裂の頂上にある剥き出しのクリトリスをつまみあげる。
「やっやだ……痛い、痛いです!」
しかし吉川は理沙の抗議に耳を貸さず、鎖の末端についたリングをクリトリスの根本に固定した。陰核が絞り上げられる痛みに理沙が呻く。吉川はその鎖を天野に手渡すと、理沙を抱えて絨毯の敷かれた床に降ろした。
「さあ理沙ちゃん、診察室まで行きましょうか」
「え……あの、まさか」
四つんばいのまま、理沙は天野を見上げた。吉川が理沙の長い髪をうなじでまとめてゴムで止める。はらりと髪が肩口から床に垂れた。天野は鎖をぐいと引っ張った。クリトリスが引かれ、冷たい鎖が秘裂に食い込む。
「ひあっ!」
「ほら早く歩きなさい」
「で、でもこれじゃ……」
「まるで犬の散歩みたいでしょ? そうそう、この鎖がクリちゃんから外れたらお仕置きをするから」
「そ……んな……」
「ごめんね理沙ちゃん。ほら、早く行きましょ」
吉川が扉を開いた。天野が鎖を揺らす。その音に理沙はおずおずと歩を進め、しんと静まり返った廊下へ出た。リノリウムの床は思った以上に冷たい。ごくっと喉を鳴らし、理沙は歯を食いしばって一歩ずつ廊下を進んだ。
「ふふ。理沙ちゃんのお尻は小さくてかわいいわね」
「うう……」
「ところで理沙ちゃん。アソコがエッチなお露で濡れ始めているようだけど、どうして?」
「そ、そんなこと……」
理沙は自分の秘裂が天野に丸見えになっていることを意識した。立ち止まると天野が強く鎖を引っ張る。陰核が千切れるほどに伸びた。リングが外れかけ、陰核を瓢箪のような形に歪ませる。敏感な器官を締め上げられる痛みに理沙は叫び声を上げた。
天野が再び鎖を揺らした。
「ほら、誰が止まっていいと言ったの? 早く歩きなさい」
「……はい」
「ふふふ。退院したら藤原さんに毎日こうやって散歩に連れて行ってもらったら? リハビリにもなって一石二鳥かもよ」
楽しげに天野が笑った。吉川が理沙の脇を抜け、先に歩いてエレベータの扉を開く。理沙は顔をあげて、ただそれに乗ることだけを考えて歩き続けた。吉川が先に中へ入って振り向く。と、扉がゆっくりと閉まりかけた。
理沙は慌てて歩みを速めた。しかし天野は立ち止まって鎖をぐいとひく。その途端、陰核に結ばれていた鎖が解けた。え、と理沙が立ち止まる。しかし既に遅かった。解けた鎖は軽やかな音をたてて床に落ちる。
吉川がエレベータの扉を開くボタンを押して理沙をエレベータに載せた。理沙は恐る恐る振り向く。天野は鎖をゆっくりと手繰り寄せ、掌に巻いていく。そして汗や愛液で濡れた末端を舐めながら妖艶な微笑みを浮かべる。
天野は鎖を撫でながらゆっくりとエレベータに乗りこんだ。吉川が扉を閉め、診察室の階数ボタンを押す。ゆっくりとエレベータが動き始めた。
大きく息を吸い込みながら、天野は理沙を見下ろした。理沙は四つんばいのまま震える瞳で天野を見上げている。
「あ、あの……」
「理沙ちゃん」
天野が満面の笑みを浮かべた。掌から鎖を解き理沙の眼前に落とす。エレベータが診察室の階に止まった。扉が開くまでのわずかな間、天野はかすかに首をかしげながら告げる。
「どんなお仕置きがいい?」
(続 く)