夏まっさかり。  
周りを見渡せば田んぼの緑に空の青。  
暑くて暑くて堪らないこの時期は、それでも何もかもが鮮やかで好きな季節だ。  
 
「じゃ、ちょっと待っててね」  
「ん」  
 
夏葉の家の前で短い会話を交わす。  
自転車を停め、家の中に入っていく夏葉を見送る。  
そのまま隣の我が家の鍵を開け、二階の自室へ入る。  
ドアを開けるといい具合に蒸された空気がむわっと押し寄せる。  
げんなりしながら窓を開けると、目に飛び込んできたのは白い肌。  
窓とカーテンを開け放して大胆にもほどがある。  
 
「夏葉!」  
 
声をかけると夏葉は慌ててカーテンを閉める。  
閉めるなら最初からそうすれば良いものを。  
見せているのかと勘ぐりたくなる。  
 
「テッちゃんの変態!」  
 
カーテン越しに罵倒される。  
いやまてどう考えてもこれは夏葉の不注意であり過失。  
僕は悪くないはず。  
 
……うん。悪くない。  
さっきの映像を思い浮かべてひとりごつ。  
ベランダ越しに隣り合っている僕らの部屋は距離にして僅か数メートル。  
それはもうくっきりはっきりと見えるんだからたまらない。  
それにしても学校ではきっちりガードしているくせに、家に帰るとすぐこれだ。  
果たして僕は男扱いされているのかいないのか。  
なんとなく微妙な気分のまま、手早く着替えを済ませて階下に降りる。  
 
カッターシャツを下の洗濯籠に放り込み、台所へ。  
麦茶で喉を潤しながら昼ごはんの材料を物色していると、夏葉も姿を現した。  
さっき着替えを見られたことなどどこ吹く風でケロリとしたものだ。  
格好はといえば例によってTシャツと短パンというちょっと目に眩しいアレだ。  
といってもいつものことなので今更どうということもないのだけれど。  
 
「今日は何ができそう?」  
 
夏葉がエプロンをつけながら訊ねる。  
お互い親が忙しいので、休日の昼飯は二人で作るのが基本だ。  
と言っても僕の分担は皿洗いやら他諸々の雑用なのだけど。  
 
「冷ご飯が残ってるから炒飯あたりでどう?」  
「オーケー。それじゃ流しお願いね」  
 
朝に水につけておいた食器を洗って乾燥機に並べる。  
二人分の食器なのであっという間だ。  
ついでなので洗濯物を洗濯機にぶち込んでスイッチを入れておく。  
 
「皿二つお願いー」  
「あいよー」  
 
二人分の炒飯を食卓に並べ、麦茶を冷蔵庫から出す。  
うん、今日も美味しそうだ。  
 
「んじゃ、いただきます」  
「いただきまーす」  
 
うん、うまい。火加減が違うのかな。  
などとは口に出さず、もぐもぐと咀嚼する。  
他愛もない会話を夏葉としながら美味しいご飯を食べる。  
うん、今日も日本は平和だ。  
 
昼食を食べ終わって手早く片付ければ、いつの間にやら2時過ぎで。  
世間で言うところの受験生である僕らは、部屋に戻って勉強だ。  
 
「夏葉、これどう解くんだっけ?」  
「んー? f(x)=aとでも置いてそれをアレしちゃえばいいんじゃない?」  
「あー、解けるかも。ちょっとやってみるよ」  
「それよりこれ何て読むの? 」  
「ん、それは――」  
 
いつものように二人で勉強。  
理系科目が得意な夏葉と文型科目が得意な僕。  
身近に聞ける人がいるというのは便利なもので、勉強の進みも順調だ。  
……順調な時は。  
 
「あーもう、日本史は漢字だらけだし世界史はカタカナだらけだしもーダメ……」  
 
シャーペンを放り出し、体を床に投げ出す夏葉。  
今日は夏葉が先にギブアップのようだ。  
それでも時計を見ればそろそろ一時間が過ぎていて。  
切りの良いところなので僕も休憩することにする。  
 
 
「ほら、夏葉」  
「ん、ありがと。おいしー」  
 
下に降りて麦茶を持ってくる。よく冷えた麦茶がウマイ。  
一旦クーラーを切って窓を開ける。  
ぬるっとした空気とセミの鳴き声が一斉に飛び込んでくる。  
文句を言う夏葉をスルーして伸び上がり、ベッドに寝転がる。  
 
「もうすぐ八月か……全統模試はいつだっけ?」  
「あと二週間かな。テッちゃん調子はどう?」  
「んー、まあそんなに良くはないけどね。マイペースですよいつも」  
 
天井を見上げながら答える。  
まだまだ志望校には届かない成績ではあるけれど、慌てても成績は上がらないわけで。  
とりあえず今は苦手の数学をつぶすところから。  
中々自力で解けないので困ってはいるのだけれど。  
 
「焦ったところ殆ど見せないもんね、他の人には」  
「まあね、実際そんなに焦ることないし」  
「ふーん」  
 
声の雰囲気が変わったと思うや否や、突然視界に現れる夏葉。  
馬乗りになってジトりとこちらを見ながら顔を近づけてくる。  
 
「焦らないなんて、ウソついちゃって」  
「ちょ、夏葉……?」  
「あれ、ちょっと焦ってるよテッちゃん」  
「そ、そんなことないって……」  
 
なんだ、なんだ突然。  
吐息がかかるほど近い距離。  
ちょっと体を動かすだけで触れ合える距離。  
 
「ふーん……じゃあこういうことしても平気……?」  
 
夏葉の顔が離れてほっとする間もなく、今度は夏葉の手が体を這い下りて。  
僕の首筋から胸元、腹へと順番に移動してゆき、ベルトがカチリと音を――  
 
「ままま待った夏葉!夏葉ってば!」  
 
いくらなんでもそれはまずいというか物事には順序っていうものが――  
 
「フフッ」  
「夏葉……?」  
「あははははは! 慌てちゃってー」  
 
そして突然ケタケタと笑い出す夏葉。  
 
「どう? 焦ったでしょ」  
 
焦るもなにも、意味が違う。  
僕が言ったのはそういう意味じゃなくて。  
……と言おうとしてやっぱりやめ、代わりに大きなため息をつく。  
 
「まったくもう、勘弁してよ……」  
「あれ、怒った?」  
 
そりゃ怒るよ。いくら夏葉が幼馴染でも女の子にそんなことされたら焦るに決まってる。  
……などと言うとまたからかわれそうなのでとりあえず黙ってジト目を向ける。  
この返礼はどうしてくれようか。  
 
「ごめんごめん、冗談だから許してってば」  
「冗談でもしていいことと悪いことがあるの」  
「えー、そんな大したことでもないでしょ?」  
「一応僕も男なんだからね。そういうことしてると……」  
「してると……?」  
 
ひょいと手を伸ばして夏葉の腕を引っ張り倒す。  
小さく悲鳴を上げた夏葉の上にまたがり、さっきとは逆の体勢に。  
両腕を頭の上で押さえつけ、顔を近づける。  
 
「こんなことされても、文句は言えないよ?」  
 
耳元で囁いて、ゆっくりと体を夏葉の体におしつけて行く。  
 
「コラ、そんなこと言うと大声出しちゃうよ」  
 
慌てた様子もなくため息をついてたしなめる夏葉。  
この余裕ときたら。僕は本気だぞ。うん。  
悔しいのでせいぜいドスを効かせてみる。  
 
「男の部屋に二人っきり。声をあげても誰も来ないよ?」  
「思い切り窓開いてるのに?」  
「……あ。」  
 
そういえばさっき自分で窓を開けたっけか。  
急に気が抜けて、夏葉を解放して横にごろりと転がる。  
 
「ちぇ、それじゃ仕方ないな。今回だけは勘弁してあげるよ」  
「してあげるよじゃないでしょ。」  
 
ぽかりと横から殴られる。  
 
「女の子をそーゆー風に扱っちゃダメでしょ、もう」  
「大丈夫、夏葉にしかしないって」  
「私も女の子なの!」  
 
またしてもポカリ。  
そういうこと言ったら僕だって男なんだからね。  
そこんとこ分かってる?  
……分かってないんだろうなあ。まあいいんだけど。  
聞こえないようにため息をついて立ち上がる。  
いつの間にか部屋は随分生ぬるくなっていて、窓を閉めて再びクーラーのスイッチを入れる。  
 
「さて、そろそろ休憩終わり。勉強するよ夏葉」  
「はいはい分かりましたよー」  
 
休憩したんだかしてないんだか、と呟きながらのっそりと起き上がる。  
そして再びクーラーとペンの音だけの静かな部屋が戻る。  
 
それにしても、ちょっとやりすぎだったろうか。  
いつものじゃれあいと比べて、随分危ない方向に行ってしまった。  
意識しているようで普段あまり意識してなかったけれど、夏葉はやっぱり女の子だしなあ。  
さっきは我ながらちょっと危なかったような気がする。  
いや、あれ以上どうこうする気はなかったのだけれど。  
あれで夏葉は本気で怒らせると怖いのだ。  
急に心配になって夏葉を盗み見る。  
妙に口数が少ないけれど、大丈夫だろうか。  
 
「ね、テッちゃん、さっきの話だけどさ」  
「さっき?」  
 
急に声がかかってドキリとする。  
ちょっと声が裏返ったけど気づかれてはなさそうだ。  
さっきの話というと、何の話だろう。  
 
「うん。まだ時間あるんだし、そんな焦ることないからね」  
「……あー……ん。お互いね」  
 
一応焦ってるつもりはないんだけど。  
それでも少し体が軽くなったような気がするのは何故だろう。  
かなわないなあ、ホント。  
 
「よっし、さっさと数学片付けちゃいますか」  
「オーケー、じゃあ私の日本史プリント3枚とどっちが早いか勝負ね」  
「どう考えても僕が負けるよそれ」  
「やってみないと分からないでしょ」  
 
そんな他愛もないことを話しつつ、夏休みの一日は今日も勉強で塗りつぶされていったのだった。  
 

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