歳月人を待たず。あの八月の日から四ヶ月と二週間が過ぎ、今は十二月二十五日。聖夜である。  
 カーテンを払って窓から外を望むと、地面が日の光を浴びて白く輝いていた。前夜に雪が降ったためだろう。聖夜にはお誂え向きである。  
 窓の外の様子を見た駿蓉は、実に幸せそうな笑みを浮かべ、幸せの源泉を起こしに掛かった。真ん中あたりが膨らんでいる、ダブルベットのシーツをはがす。  
 シーツをはがしたそこには、ベットの半分は占領しているかと思われるほど大きなシベリアンハスキーが、着物を着崩して丸まっていた。シーツをはがされたのが気にくわないのか、額をしかめて体を縮ませる。  
 「起きろ〜!」駿蓉は溌剌と言いながらハスキーの体に手をかけてこちらに転がした。ハスキーは幾分目が覚めたようで、眠そうに目を開いた。  
 で、一言。  
 「そんな所に触るなんて、猥褻な……」  
 「朝っぱらから何言っちゃってんの?!」  
 爽やかな朝に全く相応しくない台詞に駿蓉は顔から火が出そうになった。恥ずかしさ紛れにシーツに力を入れ、引っ張る。ハスキーはシーツに絡めとられ、駿蓉側のベット脇の床に叩きつけられた。ドスン。  
 「痛って〜……」さすがに目が覚めたようだ。  
 「ほら、早く着替えてご飯食べて荷物詰めて指揮棒持って! 初指揮でしょしかも国立オーケストラの!」  
 今日は国立オーケストラのクリスマスコンサートである。このコンサートで、駿蓉はホルン奏者として、冴曉は――シーツを抱きしめているシベリアンハスキー――は新人指揮者として参加する事になったのだ。  
駿蓉が演奏するのは当然の事だが、冴曉にとっては初本番である。  
 初本番の前日は一睡も出来なかったのになぁ……。冴曉があまりにリラックスしているのを見て、駿蓉は中等学校生時代の事を思い出した。あの頃は緊張のあまりトイレで吐いたぐらいである。  
 緊張しない、と言う点で、冴曉は図太いと言える。単に緊張感が無いだけかもしれないが。  
 ちなみに、冴曉が獣の姿であるのは故意ではない。寝ているとリラックスしてしまうので、本来の姿に戻ってしまうのが普通なのだ。  
 
 一向に起きようとしない冴曉は放っておく事にしておこう。駿蓉は踵を返して朝ご飯を作りにキッチンの方へ歩いていった。  
 駿蓉の家はマンションの一室である。獣人界では著名な会社が経営する高級マンションで、四LDKの広い部屋である。天井も高い。家賃は一ヶ月あたり千五百ドル。およそ十八万円だ。一流ともなればこの程度の住居、住んでいて当然である。  
 冴曉は少し前まで古アパートで生活していたのだが、駿蓉の強い希望により居候させてもらう事になった。各々の生活費は、原則個人持ちなので、どちらかがどちらかの家計を圧迫する事もない。ので、冴曉が居候するのはお互いに特だった。  
 そんな生活が始まったのは十月中頃。つまり同居し出してから二ヶ月が立った事になる。普通なら、この時期から相手方の気に入らない所が見え出して、愛はやや萎縮するものである。  
 しかし二人は性根から合っているのために、気に食わないところはお互い見つからなかった。それどころか愛の炎はますます燃え上がり、仕事や修行中以外はべったりくっついて生活している。  
 体で愛を表現する事もしばしばで、平均すれば、少なくとも一日一回以上はやっている。やらない日なんてのは、希少だ。  
 ただ、昨日は体を交えていない。今日の本番の事を考慮して、泣く泣く体力を温存する事にお互い同意したのだ。  
 冷蔵庫から二つ卵を取り出し、フライパンに油をひく。二つの卵を割ると、一つは双子だった。おかげで三つ黄身があるように見える。  
 「あ、双子だ」いつの間に獣人になったのか、冴曉が駿蓉の隣に立っていた。手には、人間界から直輸入したアルトバイエルンの袋と小さなフライパンがある。  
 「……親子みたい」駿蓉は微笑んで、お腹を擦りながら言った。  
 早く冴曉の子が欲しいな……。駿蓉は、コンロの火をつけながらフライパンにソーセージを放り込む冴曉の横顔を見た。もう眠気とは無縁の顔で、本番の影響だろうかどこか活き活きしていた。  
 駿蓉は、冴曉の事を考えて子を孕まないのである。今駿蓉が子を持てば、大きな収入源が無くなる。つまり、未だ売れていない冴曉の安月給で生きていかなければならないのだ。  
 もちろんそんな事は出来ない。そのため、駿蓉としてはなんとしてでも冴曉に今日のコンサートを成功して貰いたかった。  
 冴曉は鼻歌で「木星」を歌いながらフライパンを動かす。駿蓉はその軽快さでコンサートが進む事を願った。  
 冴曉の出番が来る、その時まで。  
 
 獣人たちが楽器を演奏する事は不可能である。  
 弦楽器は爪で弦を切ってしまいがちだし、吹奏楽器は人間の口に合わせて作られたものなので獣人たちの長い口には合わない。  
 打楽器はまだなんとかなるが、耳では聞き取れないほど細かく音を連打する奏法(ロールと言う)は、出来ない。  
 そのため、今日、スプラウトホールで行われている「国立オーケストラクリスマスコンサート」において、観客、演奏者、スタッフ、その他諸々、とにかく全員が人間の姿を取っていた。  
 コンサートの曲目は、  
 「惑星より木星」  
 「サンタが街にやってくる」  
 「アルルの女よりファランドール」  
 「交響曲第九番第四楽章『合唱付』」  
 「スケーターズ・ワルツ」  
 「美しく青きドナウ」  
 「くるみ割り人形より花のワルツ」  
 この七曲である。美しく青きドナウまで演奏が終わったところだ。  
 
 獣人が人間の姿を取っている時は、常に頭には二等辺三角形が一対ついている。つまり、獣耳がついている。ので、獣人か人間かの区別は容易である。  
 最後、七曲目。「くるみ割り人形より花のワルツ」ホルンの主題が美しい曲で、チャイコフスキーの名曲である。この曲を、冴曉が振ってコンサートは締める事になっている。  
 観客たちは皆、音を吸いにくい絹などを材料とした服を着ている。音楽が盛んな所では一般的なマナーである。そして、曲の出来次第で拍手の大きさを変えるのも、一般的なマナーである。  
 舞台袖から、パリッと燕尾服を着こなした人間の冴曉が堂々と歩んできた。  
 正直な観客たちの、やや挑戦的な拍手の中、冴曉は指揮台に上り、観客たちに一礼した。観客たちはやや気乗りしない拍手を返した。新人だからと侮っているのだろう。  
 冴曉は、傍から見ると緊張していないように見える。実にリラックスしていて、顔には自信があるように見えた。普段の生活では感じられないが、どことなく、大物の貫禄が感じられる。  
 冴曉が演奏者たちの方に向き直った。  
 彼はホルンの一番奏者――雑種らしいがアフガンハウンドの血が色濃く出ている娘――を一瞥した。ホルンの一番奏者はそれに笑顔で答えた。  
 冴曉も少し笑い返して、すぐさま真剣な表情になり、きびきびと指揮棒を上げた。  
 楽器が構えられる音が大きい。  
 冴曉が指揮棒を優しく振り下ろす。  
 
 オーケストラは柔らかい響きを生み出し、主題を紡ぐ。ハープがそれに呼応にするように声を上げ、オーケストラがそれに返す。ハープはまた同じように答えを返し、オーケストラは高鳴る胸の喜びを歌い上げた。  
 ハープが一人で美しい世界を作り上げていく。一面の桜花の中を乱舞しているかのような艶容さ。紅と光の世界が織り成されて行く。  
 そして、オーケストラがその世界で踊り始める。その温かいリズムの中、ホルンたちがこの世界を称賛するように歌う。クラリネットがそれに同意するように、また美しさを付け加えるような事を言う。  
 ホルンはそれを聞いてまたも同じこの世界を称賛する。クラリネットはそれをしかと受け止め、更にこの美しさを誇張し、世界の人々へ向けて幸福を振りまいた。  
 オーケストラがそんな夢のような世界を丁寧になぞっていく。時折起こる可愛らしいハプニングは、木管が全て解決していく。幸せは、ひとたび膨らみ始めると止まらなくなり、やがては天を仰いで全員で笑い合った。  
 そしてクラリネットも加えてホルンとクラリネットがこの世界を称賛していく――。  
 
 コンサートは終わり、駿蓉はスプラウトホールの女子従業員更衣室で人間用の服から獣用の服に着替えていた。他の演奏者たちはもう着替えを終えて、更衣室にはいない。駿蓉がただ一人だけでこの更衣室にいるのだった。  
 ワンピースの襟から顔が出す。その顔には、いかにも満足したような笑みがあった。  
 「花のワルツ」は大成功だった。冴曉の腕は、国立オーケストラの音楽監督である曹准とあまり変わらない、と駿蓉が思ったほど立派なものだった。  
 そんな技術を持ち合わせながらも、冴曉らしい優しさと奥ゆかしさが出ていて、演奏している側も非常に気持ちが良かった。  
 観客からの拍手も素晴らしい物で、冴曉が満足げな笑みで立ち去ろうとすると、すかさずアンコールが来た。  
 冴曉は足を止めて降りた指揮台に再度上って、アンコール用として取っておいた、「春の声」と言うワルツを演奏した。これも大好評だった。  
 成功――駿蓉だけでなく、楽員全員がそう確信しただろう。  
 ワンピースの腰紐を縛り、獣人の姿に戻った駿蓉は、自分のバッグを引っ手繰って、冴曉がいそうな所へ向かった。  
 駿蓉は、冴曉は曹准の楽屋にいるとの予想をしていた。あれだけの大型新人が舞い降りてきたら、曹准とて無視はできまい。本番後に冴曉を呼んで直々にお話……と言う事も十分に考えられた。  
 舞台裏の、複雑な廊下を潜り抜けて曹准の楽屋まで行くと、冴曉が、曹准の楽屋の扉の前で、総譜を熱心に読み耽っていた。  
 総譜とは、一曲の中で使われる全ての楽器の楽譜を一冊に収めた、指揮者用の楽譜の事である。スコア、とも呼ばれる。  
 「冴曉ー!」駿蓉はたたた、と駆けながら冴曉を呼んだ。冴曉は総譜から目を離して駿蓉を見ると、「駿蓉!」嬉しそうに笑って総譜を脇に収め、両手を広げて駿蓉を受け止める準備をした。  
 駿蓉は冴曉に辿り着く直前で少し跳び、冴曉の胸に豪快に飛び込んだ。冴曉は勢いで倒れはしなかったものの、受け止めるのが難しかったのか駿蓉の体を宙に浮かせたままその場で半回転した。  
 良くあるシーンである。良くあるシーンなだけに、カップルには憧れである。そしてその憧れは、このカップル間で実行された。  
 駿蓉は冴曉の顔を下から覗き、冴曉の指揮を絶賛する。  
 「すっごいね冴曉! 感動したよ花のワルツの美しさ完璧に表現してホルンにカッコつけさせて観客の心鷲掴みにしてアンコール貰って冴曉本当は新人じゃないんじゃないの?!」  
 「いや、俺本当に新人だから」冴曉は気迫とも取れるその勢いに少したじたじになった。  
 駿蓉の褒め攻めはまだ終わらない。  
 「いやもうホント凄かったよこれでブレイク間違い無しってカンジ。これで私たちの生活は完全に安泰だね!」  
 「まだ未婚だけどね」冴曉は照れ笑いしながら言った。  
 獣人たちには戸籍と言う理念は無い。それよりも、身近な人に結婚すると報告する事で結婚が成立する。すなわち、家族や親友などに報告する事が結婚なのだ。  
 別に報告しなくても、自分たちが結婚したと思っていれば結婚だが、それでは周囲の人々が結婚を知らないので色々と困るのである。  
 駿蓉は冴曉の「未婚」と言う言葉にカチンと来たのか、急に冴曉の体から離れるとぷいとあちらを向いた。――ただしこれは演技である。  
 
 「……?」冴曉は何がいけなかったのかわからない。  
 駿蓉はぶつぶつと呟き始めた。  
 「もう私たち結婚してもいいでしょ? これだけ愛し合ってるし、長い事一緒に暮らしているし、それでいて未婚? そんな事言われたら寂しいよ……」  
 拗ねたように言う駿蓉。冴曉は「ハハ」と笑って、小さくなっている駿蓉の体に腕を巻き、ぎゅ、と抱いた。  
 そして、駿蓉が求めていた言葉を言い放つ。  
 「分かったよ。結婚しよう。いずれ、子供も持とう。……お前、子供が欲しかっただろ? 俺、頑張るから」  
 「本当に?」本当なら駿蓉は飛び上がって喜びたかったのだが、敢えてここはいじけている風を崩さずに言った。  
 「ああ。……約束しよう」  
 「嬉しい!」  
 駿蓉は、冴曉に結婚を約束させる作戦が完遂したと悟ると、冴曉の腕から逃れて冴曉の方に向き直り、自分の方から冴曉に抱きついた。顔を冴曉の体にすりよせる。  
 あまりにも突然機嫌を良くした不自然さに冴曉は戸惑ったようだが、すぐに駿蓉の体を腕で包んでその体を抱擁した。  
 ひとしきり抱き合った後、二人は取り敢えずお互いの距離を取った。近すぎて行動が制限されるからだ。愛を体全体で受け止めて落ち着いた駿蓉は、冴曉が読んでいた総譜の方に話題を移した。  
 「ところでさ、冴曉、何を読んでたの?」  
 「読んでた? ……あぁ、スコアの事か」  
 冴曉は、駿蓉に潰されてくしゃくしゃになったスコアを脇から取り出し、表題を見せた。  
 と、そこには駿蓉に驚愕を与えるものがかかれていた。  
 「夜想曲より祭」。  
 「ちょっと……これって、人間界の音楽祭に進出するために私たちが練習している曲じゃん!」  
 冴曉と出会ったあの日、駿蓉が落とした楽譜――それが「夜想曲より祭」の楽譜である。この曲は、来年の大晦日に行われる、「世界古典音楽総集結祭」で演奏する曲である。  
 この大会では、演奏の秀逸性によって、金賞、銀賞、銅賞がそれぞれの楽団に与えられる。そして最も素晴らしい演奏をした楽団には「最高位楽団賞」が与えられ、事実上世界最高の楽団の称号を得るのだ。  
 獣人は、人間に知られてはいるが、あまり交友が深められていない。そのため、国立オーケストラの力を利用して、この音楽祭へ出場要請し、晴れて出演が決まったのである。それで、「夜想曲より祭」を任されたのだ。  
 今日から一月五日までは正月休みで、休み明けから合奏する。それまでは個人で徹底的に楽譜を読み込む練習をしていた。  
 そして、目の前で冴曉が「祭」の楽譜を持っていると言う事は……。  
 「任されたの?!」  
 「そうみたいなんだ」冴曉は困ったように笑った。  
 
 こんな大事な仕事を新人に任せるなんて、これは相当冴曉に期待していると言う事である。普通では絶対に有りえない。それが有りえていると言う事はこれは普通ではない。  
 もしや、冴曉は何百年に一人の、奇跡の指揮者なのか?!  
 駿蓉は目の前に奇跡の獣人がいると思うと、内心平穏でいられず、手元のバッグを握り締めた。  
 と、冴曉の背後の扉が開いた。  
 中から出てきたのは獣人の曹准である。国立オーケストラの音楽監督だ。彼は見た目は三十歳ほどの若そうな雄の狐である。毛並みは艶やかで、髭の飛び出し具合も勢いがいい。目には生気が満ちている。  
 だが本当は、彼は齢三百は越えている霊狐である。知能は異常に高く、難しい謎謎を彼に出題してみると、即効で解いてしまうほどのIQを持っている。  
 加えて、亀の甲より年の功と言った感じで知識も凄い。何か一つの事について訊けば、それだけで一時間はぶっ続けで説明してくれるだろう。  
 また、彼は更に物凄い能力の持ち主であるが、これについては実際に見た方が早いので、ここでの説明は省く。  
 その狐は冴曉の肩に手を置いた。冴曉は当然そちらに目をやる。  
 「ああ曹准先生」冴曉は普通に言葉を渡した。  
 「冴曉くん。君の未来は明るい」老年者特有の深遠な声である。若い狐がそんな声を出しているとなんだか変な感じだ。  
 「はぁ……」言われても困るようで冴曉は後頭部に手をやった。  
 曹准はまだ続ける。  
 「もうスコアは読んだね? それじゃあちょっと楽屋に入ってその曲についてどう思ったか聞かせてくれないかね? なに、普通に答えればいい。相当まずい解釈で無ければ、約束通り私はこの曲を君に任せるよ」  
 「はい! ありがとうございます!」  
 駿蓉に対する喜びとは違う喜びで冴曉は答えた。駿蓉の方に向き直って、  
 「ごめん、先に第二出入口で待っててくれないか? すぐ行くから……」  
 「……うんわかった」これは致し方が無い。寂しくなるな、と思ったが受け入れる事にした。  
 と、案の定曹准はその様子に突っ込んできた。  
 「……駿蓉くん。冴曉くんと男女的に関わっているのかね?」  
 「はい!」これは元気良く答える。「もうすぐ私たち結婚します!」  
 「ほう、良い事だ」恥ずかしそうにする冴曉を尻目に、曹准は柔和に笑った。そして、  
 「じゃ、少しの間寂しいかもしれないが、冴曉くんを借りるよ」思慮の深い事を言った。  
 「はい」駿蓉はトーンを下げて言った。  
 「じゃあ、冴曉くん、楽屋に入ろうか」  
 「はい……」二人が楽屋の敷居を跨ぐと、扉は静かに閉められた。  
 「ホルンでも持って帰ろうかな……?」  
 なんだか手持ち無沙汰になった駿蓉は独り言を言いながら楽器置き場に歩んで行った。  
 
 「……遅っそいなぁ」  
 駿蓉は、スプラウトホールと、背の高いビルに挟まれた細い路地で携帯電話の時計を見た。二十二時十三分。冴曉と別れたのが十一時半頃。この路地に辿り着いたのが二十二時頃なので、十分ほど待っている事になる。  
 スプラウトホールの、従業員専用第二出入口のこの路地で待っている駿蓉の足元には四角いホルンケースが置かれてある。言うまでも無いが、中味も入っている。  
 「……もう」  
 彼女は携帯電話を開いた。冴曉の携帯にメールを送ろうとしたのだ。例え曹准と話し中でも、携帯電話が鳴れば気付いてくれるだろう。  
 だが、一件のメールが届いているのに気付いて、駿蓉は手を止めた。  
 冴曉から……?  
 件名は無し。だが、名前は確かに「冴曉」と書かれてあった。送信日時を見ると、二十一時五十三分。  
 私がここに来る前に送ってきたのか……。  
 冴曉は非常識な輩ではない。目上の人と話している間にメールを打つなんて事はしない。  
 つまり、曹准と離している間にメールを打つような事はしない。と言う事は、二十一時五十三分には曹准と話を終えていたのだ。  
 どういう事……?  
 駿蓉は訝しそうに思いつつも、そのメールを開いてみた。  
 本文は、今まで冴曉から貰ったメールのどれよりも短かった。  
 『SOS』。  
 エス・オー・エス。救援を求める信号。  
 駿蓉は一瞬携帯電話を握ったまま固まった。  
 しばらくの後、駿蓉の目は今までに無いほど見開かれた。  
 冴曉の身が、危ない。  
 反射的に待ち受け画面に戻り、冴曉の携帯電話にかけてみた。焦って上手く番号を打てない。  
 〇九○五四三八六二一八。  
 やっとの思いでそれだけを打つと、通話のボタンを押して、携帯電話の中に格納されているイヤホンを引っ張り出し、耳の奥に入れた。  
 長く続く着信音が残酷に聞こえる。  
 
 だがその着信音は途切れた。誰かが携帯電話に出たようだ。  
 「もしもし! 冴曉! 何が起こったの! 今どこにいるの!」  
 駿蓉は慌てていたため、相手が誰なのかを確認せずにひたすら相手に質問を投げかけた。冴曉の身に何かがあれば、駿蓉も平穏ではいられない。  
 そのため冴曉の身がどのような状況に置かれているかを早く確認したかったのだ。  
 だが、駿蓉の問いに答えたのは冴曉ではなかった。  
 『冴曉の身は預かった』  
 冴曉のような声では無く、野太くて、荒々しい声だった。似ても似つかない。駿蓉は一瞬呆気に取られたが、すぐに勢いを取り戻して喧嘩腰になりながら叫んだ。  
 「誰! あんた!」  
 『それは会うまで言えない』  
 相手方は、自分が誰であるか教える事を拒んだ。  
 これで分かった事は二つ。  
 一つは、相手が黒い奴である事。  
 もう一つは、冴曉が犯罪に巻き込まれている事――。  
 だが、この国では、殺人者さえも逮捕される事が少ない。そもそも刑法と言う概念が無い上、目立った治安組織も無いからだ。  
 この国の文化を人間界の基準で現すと、「発展途上国のトップに立つ国の首都」ぐらいのものだった。国王はとにかく人間の先進国並みまで文明を高めようと、行政以外には全く力を入れていないのである。  
 そのため、治安は非常に悪い……はずだが、獣人たちは個々の能力が高いため、自分の利を見れば争うのは得策でない。そのため、成人した獣人が犯罪によって命を落とす事は滅多に無いのだ。  
 滅多に無いのだが――。  
 駿蓉は、相手が道徳心を持たないものだと悟り、内心恐怖と驚きに包まれながらも、「会うまで言えない」と言うフレーズが特に引っかかり、相手の出方を伺う事にした。  
 無言の時間がしばらく続くと、相手方は、  
 『一泊旅館まで来い。こちらは警察が止められるほど弱くはない』  
 それだけを告げて強引に電話を切った。  
 駿蓉は、突然切れた携帯電話をしばらく見つめていた。だが、決心したように耳からイヤホンを引き抜きそれを仕舞うと、携帯電話を閉じて荷物一式全て持って、冴曉との思い出の場所へ駆けていった。  
 一泊旅館と言う淫乱な場所に。  
 
 青いタクシーは淫猥街の「一泊旅館」の前で止まった。  
 駿蓉は、財布から五十ドル札を出して、運転手の猫に見えるように助手席に置いた。「釣りはいらない」ともなんとも言わずに、扉から道路に降りた。  
 駿蓉が荷物を全て外に出すと、タクシーは然も当然のように走り去っていった。まぁ正規の値段より多くの稼ぎが得られたのだから、あちらさんも文句は無いのだろう。  
 駿蓉は、焦りに肩を怒らせながら、開くのが遅い自動ドアの隙間を無理矢理こじ開け、中の絨毯を踏みしめた。  
 十歩ほど先に、一人の獣人が、いた。  
 狼の獣人だった。身長は冴曉よりも少し高いぐらい。体毛は冴曉と同じ灰色だったが、冴曉のように透き通った物では無く、どこか濁っていて荒廃したような灰色だった。  
 顔は細く、鋭く睨みつける双眸が、ガラの悪そうな感じを強調している。  
 駿蓉はこの獣人に会った事がある事を思い出した。  
 「……あんた」  
 初めて冴曉とここに来た時、エレベーターに乗っていたあの獣人である。あの時は双眸の鋭さがくっきりと脳裏に写ったものである。  
 狼の獣人は少しだけ駿蓉を見ると、ぷいと背と尾を見せ、奥の方へと歩いて行った。  
 相手方に背を見せる。これは明らかに油断している事の印である。駿蓉は狼に虚仮(こけ)にされたような気分になって、走り寄ってその背に噛み付こうかと思った。が、止めておいた。  
 それでは相手の油断につけ込む事になり、自分が非力である事を認める事になってしまうからだ。  
 駿蓉は、狼からきっかり三メートル離れながらその憎たらしい背を追った。この獣人が冴曉をさらった確証は無いが、この状況ではそう考えるしかない。  
 受付嬢のシャム猫は、無感情にそれを眺めていた。  
 狼は、正面の非常口から外に出た。駿蓉も急いで駆けより、同じように外に出た。ホルンも同伴していたため、通るのは少し窮屈だった。  
 非常口を出ると、そこは隣のビルの一階部分に直接連絡していた。  
 その部屋はだだっ広いただの空間で、横は十メートル、奥は二十メートル、高さは四メートルほどの直方体の部屋だった。壁や天井や床は、全てが青っぽい白の人工大理石で覆われていた。窓は一つも無く、出入口のような物も、今使った非常口以外に無さそうだった。  
 そして、その真ん中に、冴曉がうつ伏せに倒れていた。  
 
 「――冴曉?!」  
 駿蓉は思わずホルンやバッグを取り落として、ぐったりしている冴曉に走り寄った。近くに跪き、冴曉の体を起こして自分の膝の上に置く。  
 冴曉の目は閉じられており、体のどこにも全く力がかかっていない。完全に筋肉が弛緩しているのだ。それだけ体力が奪われたのだろう。だがそんな事はあまり問題ではなかった。  
 冴曉の左肩から腰の右辺りにかけて、血の色が走っていた。それがもう乾いてる所を見ると、それの原因となった傷は浅いようだが、冴曉に対するダメージは大きかったに違いない。冴曉がぐったりしているのはこれのせいだろう。  
 駿蓉はその生々しい傷から目を離せなかった。  
 すると、今の今まで目を閉じていた冴曉が目を開いた。  
 「あ……駿蓉……」  
 「冴曉っ?!」  
 駿蓉は冴曉が口を開いたのに驚きと、一分の安堵を感じて彼に呼びかけた。だが彼の声は弱弱しく、もうあまり体力が残っていないような声だった。これだけ大きな傷をつけられたのだから仕方が無い。  
 駿蓉がしばらく冴曉の顔を覗き込んでいると、冴曉はそのか細い声で、絞り出すように言った。  
 「に、逃げろ……」  
 「逃げろ?」  
 駿蓉は咄嗟に嫌な予感がして、自分が入ってきた扉の方に振り向いた。  
 向かって右の隅に、さっきの狼が佇んでいた。入ってきた時は視界が捕らえられない位置にいたため、今まで気付けなかったのだ。  
 駿蓉は冴曉を地面にそっと降ろして、その狼に向かって噛み付くように言った。  
 「あんた、冴曉に何をした!」  
 狼は何も言わなかった。だが、答えの代わりのつもりなのだろうか、着物の袖をまくって、隠れていた爪を見せた。  
 それは血に濡れていた。  
 つまり、「冴曉の傷は俺がつけた」と言う事――。  
 駿蓉は体全体をその狼の方に向け、口を裂けさせながら唸った。本当ならすぐに殺してやりたいが、相手には一分の隙も無い。今飛び込んで行ったら冴曉の二の足を踏んでしまうだろう。  
 「駿蓉、と言ったな」  
 狼は唐突にそう訊いてきた。狼と駿蓉はお互いに名前を知らないはずだから、ここで駿蓉の名前を言い当てられるのは明らかに不自然な事である。だが激情に流されていた駿蓉はその不自然さを冷静に捉えられず、  
 「だから何だと言うわけ!」  
 怒りに任せて声を吐いた。  
 「社の規則で名乗らなければならなくてな、俺は鴎蓋と言う」  
 狼は御丁寧に自分の名を名乗ってきた。「社の規則」と言う所が気になるが、今はそんな事を気にかけているべき時ではない。  
 「で、鴎蓋さんが駿蓉に何の用だと言うの?」  
 駿蓉は段々体中の血液が滾っていくのを感じていた。獣人たちは、負の感情が限界近くまで昂ぶってくると、獣人の姿を留めていられなくなる。つまり獣の姿に戻ってしまうのだ。  
 そして、獣の姿に戻る時は、血が沸き立つものなのだ。  
 駿蓉の肩が一回り膨張した。  
 
 関節の付き方が獣人のそれとは変わっていき、足が体に対して垂直になっていく。胴体が前にのめり、駿蓉は胴体を支えるために前足を地面に突いた。  
 駿蓉の体が完全に獣のそれに化生した。  
 豊かに揺れる毛が体を覆っていても、その体の隆々とした様子は手に取るように感じられ、あまりにも逞しく、力強い。大理石を噛む爪はサバイバルナイフのように鋭利で少しでもかすればそれだけで裁断されそうであった。  
 憎悪で野獣と化した駿蓉は、鼓膜を叩く咆哮を上げた。  
 「……駿蓉」  
 冴曉は、可愛らしかった駿蓉の獣人姿との差に、感慨深くその獣の名を呼んだ。  
 駿蓉は冴曉に一瞥もやらなかった。  
 「ほぅ。いい体だ」  
 狼の鴎蓋は全く動じず、沈着にそれだけを言った。胆力の無い者なら、駿蓉のこの姿を見ただけで尻尾を巻いて逃げ出しそうなものだが、狼はそれほど弱い者ではなかった。  
 駿蓉の前足の筋肉が激動した。  
 雷光のような獣が鴎蓋目掛けて飛んでいき、その喉笛を咬み切ろうと紅(くれない)の口腔を顕にしていた。直線的な攻撃。鴎蓋はいとも簡単にさらりと避けた。  
 獣は大理石の上にその巨体をおろし、慣性に従って滑りながら鴎蓋の方に向き直った。すぐさま足を動かして鴎蓋の方へ猛進して行く。  
 鴎蓋は避けもせずに、両手を前に出して、意味の無い言葉を叫んだ。  
 と、鴎蓋の両手から紫電が迸り、高周波の痛い音を辺りに撒き散らしながら獣へ向かって疾駆していった。一瞬の出来事だったので、獣はそれに全く反応出来なかった。  
 鋼が粉々に砕け散ったような音と共に紫電と獣が直撃し、獣は怪奇の咆哮を上げて地面に倒れ込んだ。  
 あまりにも呆気なかった。  
 獣の姿は、駿蓉の麗しい獣人の姿に戻っていった。  
 彼女が着ていた服のあちこちが焦げていた。  
 
 「駿蓉!」  
 駿蓉の惨状に、冴曉があらん限りの声で叫んだ。  
 獣人の駿蓉は腕や足を投げ出しながらも瞼を開き、その冴曉の声に答えるように喉奥で声を上げた。  
 だがその声は滞り、冴曉の耳には届かなかった。  
 駿蓉の脇に、鴎蓋が勝ち誇ったように立った。哀れにも果ててしまった駿蓉の姿がそんなにも面白いのか、嘲笑に顔を歪めている。  
 「冴曉さんよお、そんなに心配しなくても、こいつを殺しはしない」  
 狼は明らかに二人を見下した態度で、奢った(おごった)様子で冴曉に言った。  
 冴曉は半ば自棄になったように一声吠えた。  
 鴎蓋はそんな冴曉を気にするでも無く、腰を下ろすと、駿蓉の髪を掴んで引っ張り上げた。う、と駿蓉はうめき、鴎蓋の顔を睨んだ。  
 「駿蓉。お前さんにはこれからある所に収容されてもらう」  
 鴎蓋は実に楽しそうにそう言った。駿蓉は嫌な予感が走るのを感じたが、それは無視する事にした。  
 「つまりは、だな、俺がお前を娼婦としてある色里に送還するんだが」  
 「そうはさせないぞ!」  
 冴曉がそう叫んだ。この時はさすがに鴎蓋も警戒したようで冴曉の方を向いたが、冴曉は、立ちあがろうと必死に手で地面を押しているだけだった。  
 何がおかしいのか、鴎蓋は声を上げて笑った。バランスを崩して地面に突っ伏した冴曉の視線が鴎蓋を貫く。  
 駿蓉は、冴曉のそんな様子がとても痛ましく見えた。  
 自分のために必死になって戦おうとする男を見たのは、父親以来誰もいなかった。  
 冴曉のその姿を見ていたが、鴎蓋は無情に呼びかけてくる。  
 「それで、だ。お前はこれから娼婦になる。一流の娼婦としての訓練が、今、ここから、始まるんだ」  
 駿蓉はそれの意味をすぐには飲み込めなかったが、それを飲み込んだ瞬間、本能的な嫌悪感が血に流れるのを感じて、全身の筋肉を強張らせた。  
 鴎蓋は駿蓉を犯そうとしている。――冴曉の目の前で。  
 
 「いや!」  
 駿蓉は突発的に叫んだ。出来れば手を振り切ってすぐにでも逃げ出したかったが、体が言う事を聞いてくれない。あの紫電のせいだ。  
 鴎蓋は駿蓉の髪を離した。駿蓉の額が床に落ちる。  
 駿蓉は今、うつ伏せになっている。このままの姿勢で鴎蓋に犯されるとすれば、後背位だ。いかにも犯されていると言う体位で、冴曉の前で恥辱を曝す事になる。  
 絶対にいやだ。それなのに抵抗できない……。  
 駿蓉は泣き出しそうな感情に囚われた。  
 「冴曉さんよお、今からこいつは俺が犯す。しっかり見ておけ」  
 「ふざっけるな!」  
 冴曉はもう立つ事もせずに地面を這って駿蓉と鴎蓋の元へと移動しようとした。鬼のような形相の冴曉が、地の底から這い出てくるように見えた。  
 鴎蓋は、下ろしていた腰を上げると、冴曉の額を踏みにじった。  
 大理石に打ちつけられた冴曉の額から、嫌な音が発せられた。  
 「ぐっ……」  
 冴曉はそれだけを言い残して、意識を絶やしてしまった。  
 「冴曉!」  
 駿蓉が震えた声でそう叫んでも冴曉は床に突っ伏したままだった。  
 「安心しな。変な音が聞こえただろうが、骨は折れちゃいない。気絶している所以外はまるっきり健康体だ」  
 鴎蓋は着物の帯を緩めつつ駿蓉の方へ戻ってきた。  
 「そういう問題じゃ……」  
 駿蓉はまるでデリカシーのない狼にこれまでにない憎しみを抱いた。  
 憎しみを抱くのは簡単だが、それを晴らすのは難しい事も分かった。  
 鴎蓋の着物が全て床に落ちた。  
 厚い胸板。はっきりと分かれた腹筋。そして巨大な陰茎――。冴曉の身体的特徴とあまり変わらなかった。体毛の色まで似ているので、冴曉の姿がそれに重なる。  
 しかし、冴曉のそれとは全く違う。  
 冴曉は……こんなに息を荒げたりしない。  
 
 「へっへ……」  
 鴎蓋はだらしなく顔を緩めながら、駿蓉の視界の後ろ側に消えた。  
 直後、陰部に冷めた感触が感じられた。  
 「……」  
 鴎蓋がワンピースから手を突っ込んで、陰部を指で弄んでいるのだろう。  
 そうやって愛撫して、駿蓉を興奮させて、それから挿入れるつもりなのだろうが、そうはさせない。駿蓉は得られるはずの快感を意識の外へ追い出して、鴎蓋に弄ばれる屈辱に耐えていた。  
 だがそれも長くは続かなかった。  
 鴎蓋は、駿蓉が指では興奮しないと見るや否や、ぐっと膣の中に指を入れてきた。  
 「……!」  
 意識の外へ逃がしたはずの快感が、電撃のように脳裏を走った。駿蓉の体はその快感を享受しかけたが、感情がそれを抑制する。  
 いくら気絶しているとはいえ、冴曉の前で感じるような事があっては、一生の恥だ。駿蓉は感じるわけにいかなかった。  
 だが指は執拗に責めてくる。  
 「ん……」  
 鴎蓋の指が、膣内の感じやすい所を擦りながら奥へと侵入してくる。どれだけ女の体を心得ているのだろうか。鴎蓋の指は駿蓉の閉ざされた心を切り開かんとするほど上手く責めてきている。  
 ひときわ感じやすい所を積極的に指に嬲られ、駿蓉は声を上げた。  
 「だいぶ淫乱だな。素質があるぞ」  
 今まで沈黙を押し通してきた鴎蓋が駿蓉に話しかけてきた。駿蓉はそれで我に帰り、すぐに快感を意識から閉め出した。  
 「誰が淫乱になるっていうわけ!」  
 「フン。そういう事は次に耐えられてから言うんだな」  
 鴎蓋は、ご丁寧に感じやすい所を逆撫でしながら指を引き抜いた。駿蓉は何とか耐えられたものの、もう感じる一歩手前だった。これ以上は耐えられない。  
 と、服が裂かれる音がした。  
 「ちょっと、何してんの!」  
 駿蓉は、ワンピースを引き裂かれていると直感して、鴎蓋に対して抗議の声を上げた。だが鴎蓋をそれを全く気に留める様子もなく、無遠慮にワンピースの下半身の部分を引き裂いていった。  
 どれぐらい裂かれたか分からないが、もう下半身は丸見えだろう。駿蓉は陰部を隠すように尻尾を丸めたかったが、尻尾にさえも力が入らなかった。  
 鴎蓋は、整った駿蓉の陰部に鼻先を近づけた。僅かにそこを濡らしている物を、舌で絡め取る。  
 駿蓉はクンニリングスに弱い。思わずそれで声を上げてしまった。  
 鴎蓋が駿蓉の足を左右に押し広げて、夢中になって駿蓉のそこを舐め回した。その大胆な舌の動きに、駿蓉は思わず快感を受け入れてしまい、愛液で鴎蓋の鼻先を濡らしてしまった。  
 だが、まだ舌は膣に入っていない。  
 鴎蓋は彼女の股間を口で挟み、舌で膣の弁を押し広げて入っていった。  
 
 「あっ……ああ……」  
 冴曉の目の前で駿蓉は舌へとの動きを感じていた。蛞蝓か何かのように蠢きながら膣を刺激し、奥へ奥へと入ってくるそれは、陰茎に負けず劣らず感じやすい。彼女は冴曉に対する罪悪感を意識しながらも、快感で膣液を噴いてしまった。  
 鴎蓋は舌を膣から抜け出し、愛液を舐め取ってから口を股間からはずした。  
 駿蓉の膣は鴎蓋の舌の責めが終わったにも関わらず、未だに快感に泣いているようで、膣液が細かく噴き出していた。  
 「へっ。お前やっぱり素質あるぞ」  
 鴎蓋がそう言ったのが聞こえた。ような気がした。  
 駿蓉は、気絶して突っ伏したままの冴曉を、朦朧とした意識の中で眺めた。本来、駿蓉が愛を注いでいるのは冴曉であり、鴎蓋などではない。肉体的快感と精神的快感を同時に交換できるのは、冴曉であり、鴎蓋などではない。  
 彼女は鴎蓋の責めに喜んではいたが、悦んではいなかった。快感を受け入れても、罪悪感がそれを邪魔してしまう……。  
 目が熱くなり、涙が零れたのが分かった。  
 しかし鴎蓋はいよいよそれを行おうとしていた。  
 膣の先に、円柱状の突起の先端が当たった。  
 「!」  
 駿蓉がそれを感じた頃には、突起は膣のより深みに沈んでいき、膣のあちこちに強烈な摩擦感を残しながら入ってきた。  
 鴎蓋の一物が入ってきた――駿蓉は一瞬で沸騰する快感と共にそれを自覚した。  
 「ぃゃぁ……!」  
 
 駿蓉は猫が潰れたような声でそう叫んだが、鴎蓋がそんな事で責めを終えるわけがなかった。鴎蓋は全身で淫らに動き、駿蓉の膣に入っている陰茎を突いた。鴎蓋の陰茎は冴曉のより幾分大きく、動く度に膣の壁が余す所無く刺激された。鴎蓋の荒い息遣いが聞こえる。  
 これほど激しい快感の中では罪悪感など無に等しかった。駿蓉の意識は原始的な感覚を受け入れるためだけの物になり、雄に陰茎を押し込まれている恥辱と快感しか感じ取れなくなってしまっていた。  
 駿蓉の膣は素直だった。その素晴らしい陰茎に対して喜びの液を多量に分泌して、二人の陰部を濡らした。大理石に液体が流れていき、水溜りのようになっていった。  
 段々と快感が強く鈍り始めてきた。快感の度合いが強すぎて、駿蓉の意識がその快感を捕らえきれなくなってしまっているのだ。駿蓉の意識には、極楽のような快感の残像が映っているだけだった。  
 鴎蓋は立てていた上半身を駿蓉の背中に密着させて、口を駿蓉のそこへ持っていった。駿蓉はそれを拒む事無く受け入れて、二人は口からも刺激を求めた。お互いの舌を絡め合わせて舐め回していく。  
 膣の中で暴れていた陰茎が二段階ほど膨れ上がった。駿蓉はそれを受け入れるのがどんな意味を成すか考える事もせず、鴎蓋の口に己の舌を徘徊させていた。  
 鴎蓋の陰茎は力が強かった。噴出する精液の威力が高く、膣の奥を叩いて駿蓉を更に快楽の極みへと導いた。そしてそれは一撃では止まらず、二発三発と、なかなか弱まる様子も見せずに駿蓉へ快感を与えてきた。駿蓉は、その粘った熱い液の活動に全神経を集中させていた。  
 と、唐突に意識が途切れた。今まで快楽が激しく躍動していたのが嘘のように、駿蓉の意識はぷっつりと途絶えてしまった。  
 
 
 「……はぁ……はぁ……」  
 鴎蓋は駿蓉の膣から自分の物を抜いた。  
 射精した直後、鴎蓋は自分の手を駿蓉の首に当てて、そこから駿蓉の意識を吸い取ったのである。そのため、駿蓉は突如として気絶し、今まで快楽に喘いでいたのが、今は安らかに寝息を立てている。  
 鴎蓋は自分についた精液や膣液を拭き取り、ほぼ裸体の駿蓉と冴曉の手と足を縄で縛り、部屋から引きずり出して外で待機していた荷車の荷台に乗せ、自分は運転席に座った。  
 荷車は、粉塵を撒きながらある所目指して走っていった。  
 

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