「ん〜……“つ” で始まる言葉……、そろそろ出尽くしてきたっスね……」  
 
ガタゴトと揺れながら荒れ道を進む、狼国へ行く輸送車の中で、達哉たち三人  
はしりとりをしていた。運転手を買収して乗せてもらったはいいが、輸送物資の  
中身の主な内容は食料で、暇潰しに使えるものは何も無い。3人はとにかく時間  
を持て余していた。  
最初の内は、達哉がこれまでの道程で不思議に思った事や、達哉のまだ知らな  
いこの世界の常識について話したり、そんな事をすればすぐに潰れた。例えば、  
いくらそれなりの代金を払ったとはいえ、なんでこの輸送車が二つ返事で密入国  
の手助けをしてくれたかとか。そんな話しだ。  
それについての答えは、レナ曰く、先日まで滞在していたスラム街を経由する  
輸送車は、かなりの高確立で副業を行っているそうなのだ。色々とワケありの客  
を、代金と引き換えに外国まで乗せてやるという副業を。まあ、それはかなりの  
お金を持っている人限定だが、この商売が犬国とそれに隣接する国の間で暗黙の  
了解を得ているのだそうで、それがまた薄ら恐ろしいと達哉は思う。  
 
「つ……つ……、そうだ!! 『つわり』 が残ってたっスね!」  
「つわり? おまえはすぐ下ネタに走るわね。……り…、り……」  
 
はじめの方はそうでもなかったが、回数を重ねて残りの語句が少なくなるに連  
れて、ガルナの下ネタが際立ってきた。もうすでにあらかたの放送禁止用語は使  
い切り、今のはまだ卑猥ではない分マシな方だ。ガルナ曰く、その手の単語の方  
が直ぐに思い浮かぶらしいのだが、口に出せるのには達哉も脱帽だ。  
レナも達哉と同じように感じているらしく、呆れた表情でガルナに返事をして  
いる(ガルナと合流してから、レナの呆れた表情を見る機会が5割り増しぐらい  
した)。次は“り”で始まる言葉だが、ガルナのように下ネタに走ってまで言葉  
を繋ぐ事は、レナのプライドが許さない。しかし、自分が連れてきたばかりの新  
人である達哉の手前、あっさりと負けてしまうのもやはりリーダーとしてのプラ  
イドが許さない。  
“蛇足” のリーダーとしてのプライドに掛けて、レナは必死に『り』 で始ま  
る言葉を脳内の辞書から探す。その辞書の中身も結構な割合で×印が付けてあり、  
×印の付いていない単語となると、なかなか検索に引っかかってくれない。  
 
「ほらぁ〜、レナさん頑張って下さいよ〜。 僕も応援してますよ?」  
「おまえがガルナを『り』攻めしてた所為で、今私が苦労してるのよ」  
 
ニヤニヤした表情でワザとらしく自分を応援する達哉に、レナはピシャリと返  
した。さっきまで達哉はガルナに対して、最後が『り』 で終わる言葉を使って  
攻めていた。だが、しりとりも終盤に近付いて残りの単語が少なくなると、流石  
に選んでいる余裕も無くなる。しかしもう『り』 で始まる単語などほとんど残っ  
ておらず、レナは内心での焦りを表面に出さないように努力するだけで精一杯だ。  
 
「ほらほら姐さ〜ん。 いい加減に負けを認めちゃった方が楽っスよ?」  
「五月蝿いわね! ……いま考えているところよ。 邪魔をしないで」  
 
達哉に続いて自分を煽り立ててきたガルナに、とうとうレナは感嘆符を付けて返  
した。普段はポーカーフェイスを貫いているのだが、今は露骨に怒りの表情を露わ  
にしてガルナを睨み付ける。達哉は『たかがしりとりで何をそんなに……』 と考  
えてしまうが、レナの真剣な表情と、ガルナの真剣に脅える表情を見てると、なん  
となくだがそれもアリかと思えてくる。要するに、負けん気の強い人間なのだレナ  
は。  
会ってからまだ1ヶ月ほどしか経っていないが、レナやガルナの人柄はある程度  
把握できた。レナなど、最初の内は人間性が捉えられずに苦労した。ガルナの場合  
は初対面から自分を曝け出して喋っていたから全然平気だったんだが。…これから  
他のメンバーに会いに行くかと思うと気が重くなって仕方ない。どんな曲者が待っ  
ているのやら。  
 
「レナさん、あんまり待たせてるとタイムオーバーですよ」  
「クッ……!!」  
 
達哉は吹き出してしまいそうになるのを、必死に耐えつつレナを急かす。まさか  
これほどの効果が得られるとは思っても見なかった。ガルナも気持ちは達哉と同様  
のようで、レナがそちらを向いていないのを良い事に、指を差して声を出さずに笑  
っている。まあ、モーションが大きすぎる所為でバレてしまい、レナに拳骨で殴ら  
れていたのだが。  
それで、とうとうガルナが『つわり』と答えてから、5分ほどが経過しようとし  
ている。レナもそろそろ諦めればいいと思うのだが、それを言ってしまえばレナの  
攻撃対象になりかねない。だからまあ、ガルナと協力してレナを急かしているワケ  
だ。中々スリリングで、案外しりとりよりも面白いかも知れない。  
だが、そんな遊びもとうとう終わりを迎えた。  
 
「…………参ったわ」  
「ハハハ、やっと認めましたねレナさん」  
 
達哉には自分の声が、ゲームに出てくるような美形の残酷なボスキャラみたいに  
なってると思えた。レナと出会ってから、自分が優位に立てる場面など一度だって  
無く、妙にハイテンションになってしまう。  
ここれまで、レナの後ろに付いて行くだけで精一杯だったのが、今はガルナも加  
えての、車に揺られながらの旅。退屈を感じもするが、同時にこの世界に来てから  
最も落ち着いた時間を過ごせていると思う。……落ち着き過ぎて、余計な事を考え  
てしまうのが、難点なのだが。これまでは他の事を考える余裕など無かったお陰で  
元の世界の事をあまり考えずに済んだ。だが、こうやって落ち着いていると、考え  
ずにはいられない。  
 
「タチヤ、勝った割には随分と暗い表情ね」  
「えっ……あ、すみません。元の世界の事、考えてて……」  
 
達哉が苦笑いしながらそう返した。今頃、元の世界では大騒ぎになっているだろ  
う。大学院の院長が自室で刺殺され、その一人息子も行方不明。目下、重要参考人  
を警察が捜索中と言うところだろう。華のキャンパスライフをエンジョイしてた筈  
が、何処で人生を踏み誤ったんだろう。じっとしていると、今でもペーパーナイフ  
が肉に食い込む感覚を思い出してしまう。  
達哉は深刻な表情をして、無意識の内に右手の親指の爪を噛んだ。いきなり達哉  
から溢れ出した深刻なムードのオーラに、レナはともかくガルナは反応しきれずに  
いる。ガルナは達哉の言葉だけを聞いて場の雰囲気を理解する事も無く、達哉に向  
けて慰めの言葉を言った。  
 
「あぁ〜、ホームシックってやつっスね。分かるっスよ。  
かく言う俺も、よくあるんスよそんなの。  
元の国の料理の味とか、忘れられないっスよね。  
タチヤの場合はいきなり落ちてきちゃったから、  
向こうでも家族が心配してるんスよね……」  
 
珍しくハイテンションではなく、本当に達哉を心配しているような声質でガルナ  
が言った。だが、“家族” という言葉は、達哉の中に深く突き刺さる。  
 
「……家族とかそんなの……、僕には残ってなかったから」  
 
そう言って力無く項垂れる達哉に向かって、レナは初めて露骨に嫌悪の表情を浮  
かべた。だが、それは達哉にもガルナにも見られる事はなく、すぐに消えた。レナ  
は作り笑いをして、タチヤに言い放った。  
 
「そう……、なら心配は要らないわね。  
タチヤがこちらでどんなムチャをしようと、  
元の世界に身寄りが無かったら、心配を掛ける事がないわ。  
おまえも後腐れ無くこちらの世界で生きれる。良い事尽くしじゃない」  
「ッ! 」  
 
レナの言葉に、達哉は顔を上げた。目の前に有るのは、いつのも表情のレナだ。  
人をくったような笑みを浮かべ、とても落ち着いた声音で淡々と喋る、いつもの  
レナ。しかし、達哉にはその表情や態度がなんとなく作り物っぽく感じた。  
 
「……それに、家族が居ないとかそんな問題は、  
私達のような仕事をしてる輩には、普通の事よ。  
そんな問題で、一々深刻な表情をしていたらきりがないわ。  
あなたも“蛇足”に来るのなら、それなりの覚悟をなさい」  
 
今さらだが、達哉は付いて行く相手を間違えたかもと、思案を巡らす。普通この  
世界に落ちてきたヒトがどんな扱いを受けるか、それはレナやガルナから話しを聞  
いた。街の中で、ヒトが檻に入れられて売られているのも見た。…だが、自分が安  
易に選んでしまった道は、思ったよりも大変な世界かも知れない。  
しかし……  
 
「覚悟なら、多分ですが出来てると思いますよ。  
それに、レナさんに拾われなきゃ僕は  
この世界で医者になる事が出来なかった筈だ。  
レナさんじゃなきゃ、問答無用で僕を売って、  
そんでもって売られた先で奴隷にされて、  
医者だったなんて誰も気付かないまま、  
寂しい一生を終えてると思います。そんなの嫌ですし」  
 
腐っても、自分は医者を志していた者だ。そう簡単に夢を諦め切れるほど達観し  
ちゃいないし、21歳の若造にそう簡単に諦めが付く筈も無い。寧ろよく考えれば、  
元の世界に居たところで、自分は逮捕されて、一生罪人のレッテルを貼られて生き  
るしかないだろうし、医者になるのだってダメになるっぽいと思う。  
それに比べれば、傭兵集団付きの医者でもかまわない。自分の実力をいかせる立  
場に就く事が出来たのだから、文句を言える筋合いはない筈だ。  
 
「おぉ!タチヤってば流石っスね!それでこそ俺の親友っスよ!  
うんうん……、感動っスね。  
まだこちらに来たばかりで、そんなに覚悟できるって凄いと思うっスよ。  
ミリーの野郎なんざ行く場所が無いってんで俺たちが拾ってやったのに、  
最初の頃はびーびー泣いてたっス。もう五月蝿かった五月蝿かった……」  
 
そのミリーと言うのが誰なのか達哉には分からないので意味は無いが、一応ガル  
ナは達哉を元気付けようとしているらしい。その期待に応えて、今出来る精一杯の  
笑顔を浮かべてやろうと、なんとか笑っている顔を作ろうと達哉は努力する。だが、  
思ったよりも気分の切り替えは難しく、達哉が笑顔を浮かべるよりも早く、レナが  
ガルナの言葉に返した。  
 
「ミリアルドみたいなガキンチョと比べたら、誰だって覚悟のある人間よ。  
タチヤはミリアルドと違って大人なんだから、  
これくらいの覚悟はしてて貰わないと困るわ」  
 
そんな話しをされては、そのミリアルドとか言うのが誰なのか、気になってしま  
うではないか、と達哉は思ってしまう。まだ“蛇足” の他のメンバーについての  
話しは聞かせてもらってない。レナとガルナから話してこなかったし、聞くタイミ  
ングも何となく逃してしまい、結局今まで聞かずにいた。だが目の前でそんな話し  
をされてしまっては、達哉の野次馬根性が黙ってはいない。それに、何か関係の無  
い事に話題を移した方が、達哉自身の気分も切り替わって良いと思った。  
 
「その、ミリアルドって言うのは誰なんです?  
レナさんとガルナ以外の“蛇足” のメンバーですか?」  
「ええ、そうよ。うちで一番の甘ったれ」  
 
達哉がそう聞いてすぐ、レナは間髪入れずに即答する。そのあまりの即答に、達  
哉は驚いてビクンとした。心なしかレナは不機嫌そうな表情をしている。よっぽど  
問題のある相手なのだろうか。達哉はその疑問を口に出さずにいたが、表情には出  
ていたようで、ガルナがレナの代わりに答えてくれた。  
 
「鳥人の男の子っスよ。これが中々ナマイキなんスよね。  
元々は良いトコのお坊ちゃんで、未だにその時の気分を引きずってて、  
無駄にプライドが高くって、悪戯が過ぎるし、  
そのクセ案外脆くって、すぐびーびー泣き始めるんスよ。  
まあ、慣れちまえば可愛いもんスけど。  
それにまあ、こっちがそれを我慢してやるのに見合うだけの能力は、  
一応ながら持ち合わせてると思うっスよ」  
「ふ〜ん…なるほど…」  
 
何となくだがイメージが湧いてくる。中々どうして、ナマイキそうなガキンチョ  
だ。自分のイメージが本物とどれだけ違うかを楽しみにしつつ、何となく肩の荷が  
下りたと思う。自分よりも情けないヤツが居ると思うと、人間やる気が出てくるモ  
ノだ。  
 
「オルスのオッサンと一緒に仕事に行ってっスけど、  
それもそろそろ終わる頃っスし、  
案外狼国で鉢合わせできるかも知れないっスね。  
それとあぁあ〜!! クユラのババァに会いたくない!!  
でもさっき検問所で、運転手が憲兵にワイロ渡してるところだったっスし、  
あと2,3日すればアジトの一番近くにある街に着いちまうっス!!!」  
「へえ、そうなん……」  
 
達哉の言葉は、天井に突き刺さったスコッ! と言う音に遮られた。達哉が何事  
と慌てている横で、酷く冷静なまま神経を研ぎ澄ませるレナとガルナが居た。そこ  
ら辺はさすが傭兵だと、達哉は感心する。…で、結局なんの音だったのかと耳を澄  
ましていると、さっきの音が雨あられの如く天井に突き刺さる。クユラと言う女性  
の話しはまだ聞いてなかったのだが、会話が遮られて未練が残ってしまう。  
 
「ちょ、なんなのコレ!?」  
「聞いて分からない?矢が刺さる音だと思うわよ。  
ここら辺は小競り合いが続いてて治安が悪いし……、出たようね」  
 
出たって何がさ!と言ってしまいそうにんるのを、達哉は咄嗟に抑え込んだ。も  
ういつまでもあちらの世界の常識では考えない。出たと言えば…盗賊や何かだろう  
か。レナと2人旅の時に、一回襲われてたと。その時は相手が数人だったのでレナ  
が瞬殺してたが、今回は矢の音から察して、かなり大勢がいいそうだ。激しく不安  
だ。  
 
「ぐわぁあ!!」  
 
とか思っていると、前の方から悲鳴が聞こえる。そしてその直後、輸送車は両手  
に広がる森に突っ込み、ものの見事に横転する。達哉はなんとか頭を庇うような姿  
勢を取るが、山積みにされた木箱がこちらに倒れ掛かってくる。だが、とっさに動  
いてそれを避ける事など出来る筈も無く、達哉は硬直している。  
 
「ちっ、タチヤのノロマ!」  
 
聞き捨てなら無い言葉と共に、自分の体が強く引っ張られた。口調は違うがレナ  
の声だ。達哉はレナが怒っているのかと思って不安になってしまう。  
達哉が恐怖の所為で閉じてしまった眼を開けるのには、しばらくの時間を必要と  
した。しかし、目を開けてみると自分は無傷。ガルナは荒い息をしてるが全部避け  
たようで無傷だ。レナはと言うと…、達哉に降り掛かる木箱を全部叩き飛ばしてく  
れていたようで、片腕で達哉の服を掴み、もう片方の腕で拳を握って突き出してい  
た。  
だが、それを見た次の瞬間には、達哉の思考は別の事へリープしていた。達哉は  
直ぐに立ち上がるとレナの腕を振り払って運転席の方向へ向かおうとする。荷台と  
運転席は直結してはいないので、一旦外へ出てからでないといけない。  
しかし、外へ出るドアを開けようとする達哉の腕を、ガルナが掴む。  
 
「どうしたんスか。今外に出たら危険スよ!!」  
「離してくれ!今の内に応急処置をすれば、  
運転手も助かるかも知れない!!早く行かないと!!!」  
 
達哉が初めて激しい剣幕で声を発したのに驚いて、ガルナは手を離してしまう。  
その隙に達哉は扉の取っ手を掴んで開けようとする。だが、取っ手が回らない。  
(違う……。身体が……、動かない……?)  
その事実に達哉は愕然とする。どんなに腕に力を込めても、ピクリとも動かない。  
腕どころか、指一本、瞼さえもロクに動かせない。何かの威圧感に身体全体を握ら  
れてしまっているかのような、そんな感覚。  
 
「もうすでに死んでる確立の方が高いわ。  
それに、赤の他人を助けて私達に何かメリットがあるの?  
少なくとも、タチヤが自分の命を掛けるようなメリットは無いわ」  
 
それだけ言って、レナは達哉に意見でも求めるかのように、「ん?」と顎をくい  
っとやった。しかし、それは達哉が動けない事、声すらも出せない事を見越しての  
行動のようで、意地悪な笑みを浮かべている。そんなレナの態度を肌で感じて、達  
哉は瞬間的に怒り狂った。誰かの命を左右されるような状況で、こんな風に笑って  
られるのが信じられない。  
頭の中が、怒りでいっぱいになった時、不意に身体が動いた。  
 
「――ッ!! 」  
 
達哉は、レナの問いに答える時間も惜しく感じ、そのままガチャリと音を立てて  
扉を開け、外へと飛び出す。ガルナはさっきの動揺からまだ抜け出しておらず、レ  
ナもまた、達哉が動くとは思っていなかった所為で、反応が遅れてしまう。慌てて  
レナも車両の外へ飛び出した頃には、達哉の鼻先数センチを矢が掠めているところ  
だった。  
 
「ちッ、限度を超えたお人好しめ!」  
 
レナは舌打ちを一つすると、矢の飛んできた方向からの逆算と、辺りから感じる  
気配を読む事によって、矢を放った相手の場所を探ろうとする。目を瞑り、耳と髭  
で空気の流れ、そして人間の発する気の流れを感じようとする。  
すぐに分かった。微かながら呼吸音も聞こえた。レナは腰に下げたホルスターか  
ら大口径の銃を抜き放つと、そのまま間髪入れずに引き金を引く。薬莢の弾ける音  
が辺りに響き、続いて悲鳴が上がる。銃弾で致命傷が与えられるかは微妙だが、そ  
れなりのダメージを与える事の出来る威力は、十分に持っていた。少なくとも、弓  
を引いて矢を放つような事は出来ない筈だ。  
レナは依然として辺りを警戒しつつ、すぐに達哉の後を追う。運転席の方へ周る  
と、レナの予想通りそこには達哉が呆然と立ち尽くしていた。  
 
「やはりね。…ヒトでなくても、人間は脆いのよ。  
だから簡単に死ぬし、タチヤのような医者が必要なの。」  
「けど……、こんなに簡単に死ぬんじゃ、虚しくて堪りませんよ……」  
 
運転手をしていた犬人の男性は、輸送車が横転した衝撃で生き絶えていた。いく  
らヒトより頑丈だと言ってもこの程度でしかないのかと、達哉は少しがっかりした  
感覚を覚える。だが、すぐにその考えを改めた。レナの言う通りだ。そもそも、脆  
いからこそ医者と言う職業が成り立つ。命のあっけなさに虚しさを覚えたとして、  
それは単なる達哉の自己満足に過ぎない。  
 
「さ、ガルナを連れてこのまま逃げましょう。  
森の中に隠れた盗賊を探しながら戦うのも面倒だし、  
輸送車を置いて逃げてしまえば、とりあえず満足する筈よ。  
ただの密入国者よりも、積み荷の方があいつ等には大事でしょう?」  
「…………うゎッ!? 」  
 
達哉が頭の整理を終わらせて、レナの言葉に答えるよりも早く、達哉はレナに持ち  
上げられた。抗議の声を出そうかと達哉はレナの方を向いたが、その声は出さないま  
まに終わる。何故なら、そのままレナが走り出した事と、さっきまで自分がいたとこ  
ろに矢が飛んできた事の2つだ。  
(思ったよりも立て直しが早いわね。  
割と場慣れした盗賊団のようだわ。  
……ガルナはともかくとして、達哉がヤバイかも)  
ガルナにも、自分の身を自分で守るぐらいの技量はある。だが、達哉はそうもいか  
ないし、だからといってレナが達哉を守りながら戦っていては、相手の数を減らすの  
にも時間を食ってしまう。達哉にも、必要最低限の実力は持っておいて貰わなくては  
困るな、と溜め息を吐いた。  
 
「さて、どうす…… 」  
――レナさん、足手纏いが居て大変ですわね。  
とりあえず3秒後に盗賊さん達に魔法が飛びますわ。  
細かな設定が追い付かなくてそこのヒト君もターゲットに入ってしまいますが、  
どうか防いであげてくださいまし。――  
 
言葉を紡ぎ掛けたところで、レナの頭の中に、聞き慣れた声が届いた。しかし、そ  
の声の主はこの場には居ない筈の人間。“蛇足” に所属する魔術師、クユラの声だ。  
コネクト(通信呪文)の類いであろうクユラの声は、レナ意外には聞こえていないら  
しく、達哉にも声に気付いた素振りは見られない。  
レナはクユラの声に従い、動きを止めて達哉を自分の後ろに隠すような位置で、拳  
を握って構える。クユラがどの呪文を使おうとしているかは、大体の察しをつけるこ  
とは出来た。そしてその呪文は何回も使っているところを見たし、完全に防ぐ自身を  
持っていた。  
 
「タチヤ、少しビックリするかも知れないわ……」  
「……どういう意味でですか?」  
 
『もうとっくにハプニング慣れしてます』 と続けたかった達哉だが、そのつづき  
を言う事は出来なかった。レナが人差し指で天を指しており、その指差す方向へ達哉  
が顔を上げると、言葉を失うような光景が待っていた。  
 
「……メラゾーマ?」  
 
達哉の思い付く言葉の中で、それが一番しっくり来るモノだった。レナの指差す先  
に見えるのは、そうとしか言い様の無い巨大な炎の塊だったからだ。しかし、達哉は  
すぐに見解を改める事となった。今度はその炎の塊が弾けたと思えば、無数の小さな  
炎となって、バラバラの方向へ飛んでいく。  
 
「えぇと……寧ろヒャダインを炎で実践した感じ?」  
 
などと余裕ある言葉を発する達哉だが、そろそろ自身の身の危険に気付いた。バラ  
けた炎の内の一つが、達哉とレナの居る場所に向かって真っ直ぐ飛んでくる。スピー  
ドは矢よりも少し遅く、目立つ光を放っている事もあり、ヒトの動体視力でも捉える  
事が出来た。だが、それに体が反応できるかと言うと話しは別で、達哉は一歩も動け  
ないまま、レナの後ろに隠れている。  
しかし、レナも動かないのは何故だろうかと、達哉は疑問に思った。レナは素手で  
拳を握って、達哉の前に立ち尽くしている。『逃げろ』 と達哉が口にするよりも早  
く、レナは達哉を狙う炎の玉に向かってジャンプした。  
 
「はぁッ!」  
 
レナは炎の玉に右ストレートを決める。実体のない魔法である炎の玉にそんなモノ  
が聞く筈も無いのだが、レナの拳から同時に発せられた、気合のようなものに炎は掻  
き消された。レナはストレートの慣性と空中での体重移動を組み合わせ、新体操のよ  
うな動きをして着地した。  
それと同時に、あちこちで苦悶の叫びが聞こえてくる。恐らく、盗賊団たちはこの  
炎を避ける事ができずに、まともに喰らってしまったのだろう。達哉は今さっきの炎  
に自分が当たっていたらと想像して、冷や汗を流した。  
 
「ガルナ。もういいわ。そろそろ出てきなさい。  
それにクユラも。何故ここに来てたかは知らないけど、  
来てくれたなら姿くらい見せないと、リーダーに対して失礼じゃない?」  
 
レナは輸送車の貨物庫をドンドンと叩いてガルナを呼び、その後さっきの魔法の主  
を呼んだ。確かアジトに待機してた筈なのだが、何故ここまで来ていたのか聞かなく  
てはならない。  
ガルナが未だにビクビクしながら貨物庫から顔を出し、辺りを見回しながらレナと  
達哉の方向へ歩いてくる。達哉はその姿がおかしくて、少し吹き出してしまった。そ  
れにガルナは『プンスカ』と言う擬音を背後に浮かべつつ、酷いじゃないかと目で訴  
えかけている。達哉がそれにゴメンと返していると、いきなりガルナの表情が凍り付  
いた。  
 
「…ガルナ、どうしたの?」  
「タチヤ、後ろ!!後ろを見るっスよ!!! 」  
 
達哉はガルナの脅えかたを不審に思いつつも、言われた通りに振り返った。  
 
「まあ、なんですかその脅えかたは。  
貴方にはわたくしがそんなに恐ろしく見えまして?  
……こちらの貴方は、そうは思いませんわよね……?」  
「だだだだ、誰ですか君はーーー!!? 」  
 
達哉は、ただひたすらに驚いた。いつの間に近寄られたかも分からないし、ガルナに  
言われて振り返るまで、その存在に気付く事も出来なかった。見ず知らずの女性が唐突  
に登場した事に、防衛本能が作用した達哉は慌てて後ずさりする。  
荒れた息を落ち着かせて初めて気が付いたが、目の前の女性はとんでもない美女だっ  
た。ブロンドの金髪は肩まで伸び、その金髪から突き出たネコミミが愛らしい。そして  
その外見年齢は15,6歳ほど。レナとは違う、この世界ではマダラと呼ばれる形態の  
持ち主で、ヒトでも羨むような艶やかな肌の持ち主だ。  
 
「あら、レナさんから聞いてません事?  
わたくしはクユラと言いますの。  
“蛇足” に所属する魔術師ですわ。以後お見知りお気を」  
 
達哉は自分の耳を疑いたくなった。こんなに可憐な印象を受ける相手が、レナやガル  
ナと同じく傭兵だと言うのだから信じられない。レナのような女傑の雰囲気は持ち合わ  
せず、ただただ女性としての美しさや気品が際立っている。  
だが、魔術師と言う言葉を聞いて、達哉は先ほどの炎を思い出した。  
 
「魔術師なら、さっきの炎は君が……?」  
「ええ、そうでしてよ。怖い思いをさせてすみません。  
貴方の波長はまだ知りませんので、  
追尾するターゲットから外せませんでしたの。  
でも、山火事を起こすわけにも行かなくて威力は抑えていましたし、  
レナさんなら簡単に掻き消す事が出来ると思っていましたわ」  
 
クユラにそう言われて、ようやく達哉は謎が解けた気がした。だが、一つ腑に落ちな  
い事がある。レナは炎の塊が現われるよりも早く、達哉を自分の後ろに隠して炎が向か  
ってくるのを待っていた。その理由が分からずに、達哉は考え込む。  
だが、それもクユラの助けですぐに解けた。  
 
――理由はこれですわ。簡単なコネクトの呪文ですの。  
「え……、コネクト?」  
 
頭の中に直接響いてくるクユラの言葉に、達哉は多少途惑いながら返す。  
 
「簡単な通信呪文ですわ。  
こちらの伝えたい事を相手に伝える呪文ですの。  
わたくしの方から出来るのは発信だけで、  
貴方にできるのも受信だけですが、  
それ以外の方には分かりませんし、中々役に立つ呪文でしてよ  
まあ、遠くから呼び掛けて成功させるには、  
その相手の波長を知っていなくてはいけないのですが」  
「……あ、説明ありがとう」  
 
実は、クユラの説明を達哉は半分も聞いていない。話す度にピクピク動く耳とか、ゆら  
ゆら動いている尻尾とか、時折見せる笑顔とか、その時に見える白い歯とか、クユラの姿  
に見とれてしまい、説明を聞くどころの話しではない。  
達哉がポヤンとした目でクユラを見続けていると、レナが割って入ってくる。  
 
「それで、何でおまえがここに居たのか、まだ聞いてなかったわね。  
クユラ、そこを教えてくれないかしら」  
「レナさんとガルナさんの帰りが予定より後れてましたので、  
わたくしが様子を見てくる事になりましたの。  
でも、その理由が今分かりましたわ。そのヒトですね。  
それにしてもレナさん、私が話しているところに割ってはいるとは、  
レナさんは自分の奴隷が私に見とれてるものですから、  
嫉妬をしてらしたのですか?  
平気でしてよ。レナさんの所有物に手を出すほど飢えていません」  
 
この会話で、達哉の中の可憐なクユラ像が吹き飛んだ。耳を塞いでしまいたい衝動に駆  
られるが、それはただの現実逃避であって、今後の為にも今ショックを受けておいた方が  
良さそうだと思う。  
 
「いえ、タチヤは医者なの。だから奴隷ではないわ。  
首輪をつけてるのも、あくまで表面上の問題よ。  
クユラのように五百歳を過ぎてれば、  
テンプレートな事しか思い浮かばないのね」  
 
達哉のショックは更に深いモノとなる。あのクユラが五百歳過ぎだとは、誰が予想しえ  
るだろうか、少なくとも達哉にはこれっぽっちも分からなかった。  
更なるショックを受けたくないと言う自分の気持ちに逆らう事が出来ずに、女性2人か  
ら目を背ければ、ガルナが思いやりに満ちた目で達哉を見ていた。それは、自分と同じ苦  
しみを味わった相手への同族意識からくるものだった。  
 
「ガルナ……、僕は、まだ信じられないよ……」  
「気にする事ないっスよ、タチヤ……。  
俺だって最初は信じられなかったっス。  
でも、この苦しみを乗り越えてこそ、“蛇足” の一員っスよ」  
「分かってる。この経験はこれからに役立てて行くよ……」  
 
女性同士の醜いトークをBGMに、ガルナと達哉の友情は更に根深いモノになった。そ  
んな場違いのコメディを繰り広げる4人だが、次の街への道のりはまだ長い。輸送車のエ  
ンジンが完全に壊れてしまっている事を知った時の4人の表情は、随分と暗いモノだった。  
 
 
 
 
 
第3話 完  
 
 

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