「そういえばさ」
僅かに浮遊しているべすぺが、後ろの透を振り返って言う。
「ん、何?」
「そろそろ、トールと会って一ヶ月くらいよね? どう、こっちにも慣れた?」
「……まあ、それなりには慣れた、かな」
べすぺは肉体能力も高いし、しかも飛べるので、こうやって一緒に歩んでいる時はトールとペースがあわない時が多い。
幼虫の時は、頻繁に転ぶせいもあってべすぺの方が遅くなりがちなのだが。
そんな変わらぬ主従は、拉致も無い事を語り合っている。
「それなり? それなりにしか慣れてないの? もう何人も悪党をぶっ潰して、経験も積んだってのに。
それなり程度なんて……不甲斐ないわね」
「そう言われても。いまだに現実感湧いてないんだから、仕方ないだろ」
トールが不満を口にする。
「まあそれは落ちてきたヒトにありがちなことだし、私も理解はしてるわよ。
でもトールの場合は違うでしょ? 貴方のその違和感は普通のヒトとは違うところにあるわッ!」
「……またその話か」
「またでもなんでも、納得してもらわなきゃ困るのよッ!
いつまでたっても貴方はそうなんだから、いい加減こっちもストレス溜まるわッ!」
べすぺが段々興奮してきた。
そういえば、迂闊に蜂の巣を刺激して大変な目にあった事があったな、とトールはかつての世界の記憶を思う。
「……だからさ。何度言われてもわかんないって。俺の世界認識の、どこがそんなにおかしいんだよ?」
「一から百までどこもかしこもおかしいのよッ! いい? まず、貴方が落ちてきた時からしてね――」
そんな理由なので、今回は全編回想シーンである。
魔法少女ホーネットべすぺ
第2話「運命の出会い! 落下物直撃記念日!」
「足りない……足りない」
怨嗟の声をあげているのは、貴重な皿を打ち砕いたせいで斬り捨てられた哀れな女の怨霊では、もちろんない。
日が落ちて随分経つ。世の善男善女は仕事を終え、暖かい家に帰っている頃だろう。
――大陸の上空。
ここからなら、地上の家の灯りが薄ぼんやりと見渡せる。
「……足りないのよ。うん。私にはこう……何かが足りない」
そして足りない足りないと呟いているのは、金の髪を持つあの魔法少女。
我らがホーネットべすぺ、その人である。
「そうよね。足りないのよ、私。なんていうか……『魔法少女』的な何か? それよ。
悪人を殴り倒すのはいいとして、どうもワンポイント足りないのよね」
空に浮かんだまま、べすぺは胡坐をかいて考え込む。
「何が足りないのか、まずそれがねえ……
魔法少女的な……うーん。……語尾? なんとかかんとかハチ?
……違うわね」
平然と浮遊、すなわちホバリングできるのが羽を持つ昆虫族の強みである。
空中で座り込んで考える、という、どうも無駄な事が出来るのも、その強みがあるゆえだ。
「魔法を使わないってのは、魔法少女としてはあんまり関係ないわよね。特に最近は。
だから、何が足りないのかっていうと……」
意味もなく、上下逆さになってみる。
逆転した空からの視界も乙なものだ。墜落しているようで。
「可愛らしさ……的なもの? ああ、それはあるわ。
それにこうやって独り言ブツブツ呟くのもちょっと違うのよね。応答してくれる相棒がいないと。
相棒……ああ、そうか」
もう一度くるりと回転して、上下が正しく戻った。
「マスコットか。足りないの。私と会話したり色々したりするマスコットが足りないのよね。
魔法少女なんだからそれがないといけない訳よ。……でも、マスコットか」
胡坐を解いて、立ち上がった姿勢になる。
空中にあってはそんなポーズの違いもさして意味はないのだけれど。
それでも気分は違うから、大いなる夜空を見上げてみる。
「マスコット。落ちてこないかなあ」
夜空には、美しい月が輝いていた。
「……疲れた。とにかく疲れた」
人生にまで疲れた雰囲気をかもし出してはいるが、彼が社会の荒波に揉まれ切った老練のサラリーマンであるという事は、もちろん無い。
日が落ちてからはそんなにまだ間がない。夏の終わりは近いけれど、日の長さはそれでももう少しはある。
――午後五時半のプラットホーム。
段々、帰宅をする人の数が増えてきて、にわかに賑わってきた夕方の駅だ。
「しかし疲れた……あそこまでやる必要もないと思うんだけどな」
そして疲れた疲れたと若いのに愚痴ってばかりいるのは、やや線の細い少年。
我らがホーネットべすぺ――の、将来的なマスコットになるであろう、蜂須賀透その人である。
今はまだマスコットではないので、名前もそのままだったりする。
「しかし疲れたって言っても疲れすぎだな、これ。風邪でも引いたかな? 帰ったらすぐ寝てしまおう」
いまいち若さの感じられない発言ではある。
この時分から、既にして魂ここにあらず、といった様子だ。
まったくもって困った男である。
「……遅いなぁ」
と、電車がどうも遅れているのを気にして、彼は少しだけ線路に身を乗り出し、来るべき方向を見た。
すると、閃光にも似た光が遠くからやってくるのが見える。
「お、来た」
それならよいのだと、身を戻そうとする。
――ところが。そんな時に、後ろで何か慌てたものでも入ってきたものか。
人の列が、一瞬ぐらりと動き、最前線の透ににわかに力がかけられる。
力学と重力学の諸々の関係から、その力はまっすぐに働いて、透の体を一歩分押し出した。
何とも間の悪い事に、身を軽く傾けていたせいか、その力はいささかばかり強烈に働いて。
気づいてみれば、スピードを落としているとはいっても、まだ人を粉砕するには十分な力を持つ電車が入ってきており。
その目前に、透は突き出された形であり。
――あれ?
――これって、多分、確実に、絶対、どう考えても。
――死ぬ……よな?
視界いっぱいに電車の強烈な光が広がる。
僅かに捉えた、ホームの外の夜空には、美しい月が輝いていた。
「……なんて、それで落ちて来たら面白すぎるか。はぁ、とりあえず宿にでも戻ろ」
空中での考え事をやめて、べすぺが地上に戻ろうとしたその刹那。
――空が。
その瞬間を目撃した者は、あまりいないと言われる。
大抵の場合、「落ちてきた」――つまり、ヒトがこの世界に現出するその瞬間は、過去形で語られるのだ。
そう「落ちてくる」瞬間は、偶然に頼らなければ見る事は出来ない。
従って、その瞬間を見る事が出来たべすぺは幸運なのであろう。
幸運と言っても。それが、降りようとしていた矢先に、背中にその直撃を受けていてはあまり望ましいものではないが。
「――ってぐはッ!?」
ヒト一人の肉体くらいなら、スズメバチ、それもクイーン候補である限り簡単に支えられるものである。
そもそも、スズメバチに限らない事だが、昆虫族はかなりの力を持っている。
自重よりも重いものを支える事など朝飯前と言ってよいが、ただこの場合。
「お、落ちる落ちる! っていうか何!? 唐突なこの重量!」
必死で羽ばたいてはいるが、急に体勢を崩されると持ち直すのはいささか難しい。
妙にその物体に加速度がついていたのも不幸のうちで、重さよりも衝撃の方が厄介ではあった。
いっそ、この背中に突然降りかかってきた何かを振り落としてしまおうと、べすぺが思うのも無理の無い話だ。
「あーもう、鬱陶しいったらない……って……ん?」
ずるりと落ちた物体の、一部分が体に引っかかる。
妙に柔らかい上に、生暖かい気もするのは何故だろう。
「……ってか、何これ?」
気を抜くと自分もろとも落ちてしまいそうなだけに、注意しながらそれを見る。
「な、え、これ、人? なんで空から……」
更に注意を傾ける。スズメバチの超感覚をもちいて、分かる事は――
「……息がある。生きてるんだ」
そして生きている以上、それを見捨ててしまえば己の一分が成り立たないのだ。
誇りあるもの。尊いもの。それらであろうとするならば、今自分にしがみついている誰かは、救わなければならない。
「それなら助ける。そうであること、そうであろうとすることがホーネットべすぺなんだから」
何とか抱えなおして、正面にしっかりと抱きしめた。
激突した時は焦りもしたが、こうして傾きを建て直しさえすれば、そんなに困る事でもない。
ぱたぱたと羽ばたきながら、魔法少女は大地を目指して進んだ。
かくして誰かを地面に寝かせて、べすぺはようやく一息つく。
「それにしても空から落ちてきた理由が分からないわね。トリ族が事故でも起こしたとか?」
ぼやきながらその誰かの、せめて種族だけでも見極めてやろうと観察を開始する。
羽根は――見当たらない。背中には何もないようだ。という事は、第一候補のトリではない。
トリだったら少し嫌な気分になっていたところだ。何しろ、スズメバチの天敵といえばトリである。
クイーン候補なら、雑兵程度はどうとでもなるとは言え、あまり相手をしたい種族ではない。
「ま、そうじゃなかったんだからそれはいいとして……耳も爪も何にも特徴ないわね。サルともちょっと違うし……
……あれ? これ、ひょっとしてあれじゃないの?」
実物を見た事はないので、推論でしかないのだが。
この特徴の無さが逆に特徴となる。しかも、考えてみれば登場した時のあの理不尽な出現方法からして、ありうる事ではあった。
「とりあえず、っと……」
もう一度それを抱えなおして、べすぺは立ち上がった。
降り立ったこの場所の近くには、彼女が滞在している宿がある。
宿といえば、人の出入りは激しいものである。種族くらいは見分けられるだろう。
「ああ、これはもう明らかにヒトですねえ。お客様がお見つけになられた?」
自分の部屋に落下者を運び込み、ベッドに寝かせた後である。
主人を呼んで鑑定させたのだが、案の定の結果であった。
「ええ。……まあ、ちょっと散歩してたら拾っちゃってね」
「見たところ誰かの奴隷という訳でもなさそうですな。つまるところ、お客様が第一発見者で……所有者になりますか。
何ともまあ幸運なことで、あやかりたいものです」
そう言う主人には特に言葉をかえさず、べすぺは腕を組んで壁にもたれかかった。
少し考え事をした後、主人に改めて声をかける。
「……ああ、ええ、まあ、命に別状はないっぽいのよね?」
「そのようです。私には医術の知識はございませんから、何分体の内側まではわかりませんが。
どうしても気になるのならば、医師をお呼び致しますが……如何なさいますか?」
「まあ、一応ね……お願いするわ」
「わかりました。それでは、しばらくお待ちください」
一礼して主人は部屋を出る。
その間も、べすぺはヒトを見つめながら、じっと考え事をしていた。
ヒト。
貴重であったり、色々楽しめたりするだとか、そんな事は現時点ではどうでもいい。
重要なのは、ヒトがこの世界において、無力な存在である事だ。
鍛えられたヒトはそれなりに働けると言うけれど、少なくとも落ちてきた直後のヒトなど、無力と見て間違いあるまい。
無力である事。それは、ヒトが弱くて小さい存在――すなわち、小動物であると言える。
「小動物は、そう、重要よ……」
べすぺは考える。
眼前では、到着したネコの医師がヒトの様子を診ているようだ。
結構な金額になりそうだが、それもどうでもいい。当面の持ち合わせを使い果たしても構わない。
ヒトが生きており、無事でありさえすれば、多少の金銭などまったく比較にならない価値がある。
――ヒトは小動物であり。それでいて、よく喋る事が出来る。
これが重要なのだ。小動物で喋る、それはすなわち、魔法少女に必要不可欠なあれであるのだから。
「……マスコット。本当に空から落ちてくるなんて――」
思わず窓の外を見た。月は天高く昇っているので、この角度では見えない。
偶然には間違いないのだろうけれど、マスコットが落ちてくる事を願った途端にこの出会いである。
「……ふふふふはははは」
笑い声が漏れるのも当然であろう。
「今、まさに――天が私に媚び始めたッ!」
「は、はいッ!?」
唐突にそんな事を叫んで、医師を驚愕させるのも、これまた当然なのだ。べすぺとしては。
目を覚ますと、枕の側には―ー何と言えばいいのだろう。
まず金色の髪というところでおかしい。いや世界的に見ればおかしくはないのだろうけれど。
少なくとも、透の住んでいた国では、こういった髪の色は珍しい部類ではある。
しかもその髪型がまた少し変なのだ。いわゆるセミロングという、それはいい。
が、そこから飛び出た二房の髪があるというのが――専門用語でアホ毛、といったか。それは少し変だ。
そして、そんな髪型をした人物は、顔を見る限りはかなりの美形だったりするからまた困る。
ややタレ目なところが、ちょっと透の好みに近くもあるのだ。
で、ここまではいい。ここまでは。ここまではまだ珍しい部類ですむ。
袖なしで、しかもへそまで見えるような黒い服――ではなくて、よく見るとどうも装甲っぽいものを装着している上半身も、まあ許容範囲だ。
問題なのは、その下。下半身の、しかもちょうど股間にあるものがどうにも――どうしたものか。
「起きた……のよね?」
心配そうな声も、今目にしているものに比べると気にはならない。
本当にどう形容したものか、股間から――針が、そそりたっている女の子というのはなんともはや。
「ねえ、起きたんでしょ? ちょっと、返事くらいしなさいよ」
股間から針を生やしている子に言われても反応のしようがない。
コスプレの類ならいいのだが、見る限りこれはもう明らかに体から生えているのだから弁解のしようもあるまい。
という事は股間が丸見えという事で、女の子としてそれはどうかとも思う。
「……あの」
「ああ、やっぱり起きてたッ!」
嬉しそうににんまりと笑う女の子に、透はまず一番聞きたい事を聞いてみた。
「これは夢だったりするのかな」
「しないしない。うん、やっぱりこの系統の質問が来るのよね、最初は」
何か一人で納得しているようだが、透の疑問はますます深まる。
「でも、君の、その格好は」
「あーあー、驚くわよね普通。獣人の人ですらも、あんまり私達って見る機会ないみたいだし。
聞いて驚きなさいよ? 私はスズメバチ。……って言っても、多分貴方の想像してるのとは、違うわよ?
つまりそれがどういう事かっていうと、この世界からして――」
「……異世界、ってことかな?」
少し驚いた様子で女の子は頷いた。
「そう。よくわかったわね。貴方、元いた世界とは別の世界に来ちゃったって訳なのよ。
で、この世界がどういう世界かっていうと――」
「地獄」
「そうそう。人が死んだ時に生前の罪をそこで責め苛まれるっていう、
違う!」
ノリツッコミを見せる女の子である。なかなか筋がいいようだ。
「なんでそこで地獄が出てくるのよ!?」
「なんでって……それは、まあ……」
透は思い出す。こうして目を覚ます直前の事を。
確か、駅のホームから落とされて、しかも丁度いい事にそこに電車が入ってきたのだった。
この状況下、助かる人もいるにはいるのだろうけれど、基本的には激突もいいところである。
ならば、今のこの身は既に砕け散っており、死んでいると考えた方が自然なのだ。
「――という訳で、俺は死んじゃったんだから、そうなると行く先は地獄かなあと」
聞かされた女の子は、頭を抱えてしまっている。
「そう来る訳ね……あんな出現したから、一筋縄ではいかないと思ってたけど」
「地獄って考えればつじつまはあうんだよな。ほら、君のその格好も地獄の獄卒ならありえない姿じゃないんだし。
その針も多分針山地獄か何かの眷属で、罪人をぶすりと突き刺して責め苛むという」
「だから違うッ!」
女の子――言うまでも無いが、べすぺである――は、予想外の事態に頭を抱える。
地獄などと言われても、会話が噛み合わない一方ではないか。
「貴方は生きてるの。生きてて、別の世界、異世界に来ちゃったっていうそれだけのことなのよ。
死んでないんだからここは地獄でもなんでもなくって、っていうか私は獄卒じゃないッ!」
「でも明らかにその姿はヒトじゃないし」
「……そ、そう。ヒトじゃないのよ。いい?
私はヒトじゃなくって、もちろん獄卒でもなくって、スズメバチなの。スズメバチ」
「そんなヒトみたいなスズメバチなんて、聞いた事が……」
この流れである。
こういう流れこそ、落ちてきたヒトとの会話の正しい流れというものだ。
なんで死後の世界が出てくるかは分からないが、こういう流れに引き込めればちゃんと会話も成り立つ。
小さく喜びのポーズなど取りながら、べすぺは会話を続ける。
「そういう世界なのよ、ここは。貴方のいた世界とは違う世界、価値観も何もかもがね」
「異世界……」
「ようやく聞く気になったわね? それじゃあ、説明させてもらうけど」
・この世界は獣人の世界である。まあ私はスズメバチ、昆虫人だけど。
・ヒトは異世界から落ちてくるものである。つまり貴方は落ちてきたものである。
・で、ヒトは基本的に奴隷である。拾った人のものになるのが通例なので、つまり貴方は私のものである。
・その他もろもろ。
「ってところ。まあ奴隷ってところは私としてはもうちょっとあるんだけど、そういう世界だから」
「なるほど……」
ようやく納得したようなので、べすぺも満足そうに頷く。
「なるほど。やっぱりここ、地獄なんだ」
「そういうことよ。……ってだから違うッ!」
全然わかっていない。
「どうしてそういう結論に落ち着いちゃうのよッ!?」
「いやだって」
・ヒトに在らざるものに支配された世界。
・ヒトは異世界、すなわち生前の世界から落ちてくる。地獄といえば落ちるものだ。
・地獄なのだからヒトは罪人であり責め苛まれるものである。つまり奴隷である。
・その他もろもろ。
「……ってところだから、やっぱりこれは地獄じゃないかな、と」
べすぺは口をぱくぱくと開閉させた。言葉が出てこないのだ。
「……ああ、もう、地獄ってことでいいわよ。とりあえずはそれでいいわ。頑固なんだからもう。
で、地獄でいいんだけど、それはそれとして――貴方が私のものである、ってことは納得してるのよね?」
「専属の獄卒って意味と理解してるけど、うん」
「……なら、まあ、いいわ。この際それ以外は枝葉末節よ」
諦めてしまったらしい。クイーン候補としては頼りないものだが。
「とりあえずそこだけ理解したんなら、貴方は私の言うことを聞かなきゃならないってことも理解できてるわよね」
「うん、一応」
「だったら、まず最初の命令なんだけどね。……名前は?」
そういえば、そんな基本的な事からして聞いていなかったのだ。
異文化コミュニケーションの壁の高さに、早くもくじけそうなべすぺであった。
透は、意外に淡々とこなしている。理解の仕方がおかしいせいだろうか。
「ハチスカ・トオルね。じゃトールって呼ぶわ。
それでトール。二番目の命令なんだけど、貴方……私のマスコットになってくれる?」
「……はい?」
ここに来て、ようやくトールの方が度肝を抜かれる事態になった。
マスコット、と来たものである。地獄やらは平気でもこれは意外だったようだ。
「ほら、見れば分かる通り、私って魔法少女でしょ?
それで魔法少女ってのはマスコットがいてナンボって世界だから、ねえ。
トールならマスコットに丁度いいから、なってもらいたいんだけど……どう?」
「魔法少女……って言われても」
無論、現在日本の若者であり、かつ若干インドア派だったトールには馴染みのある言葉ではある。
悪友の一人など、そういうものが大好きだったようで、諸々困った事もあったがそれについては割愛するとして。
「……魔法少女?」
言われて改めてべすぺを眺めて見るに、これは魔法少女と言われても困る姿でしかない。
というか、針がいけない。他はまだ露出多目という事で言い訳はできるのだが、針はないだろう。
どこの世界に股間から針を生やした魔法少女がいるのか。教えてもらいたいところだ。
「ああ、魔法少女に違和感があるなら、こう呼んでもらっても構わないわ。
そう。――変態少女」
納得である。
「っていや、変態ってもオカシイって意味の変態じゃなくて。生まれ変わる意味の変態だから誤解しないようにね?」
「……あ、それはどうも」
――どう考えても、前者の意味だと思うのだが。
「なんか納得されてないみたいだから……この際、一から説明しよっか。
余計な口は挟まなくていいから。とにかく聞くだけ聞きなさい」
「了解」
まず、魔法少女ってのは私達スズメバチの……それもクイーン候補の成虫の姿を指す言葉ね。
理由はまあ、姿を見れば明らかでしょ? 明らかよね? ……納得してなくても納得して。
え? あー、そっか。クイーン候補ってのも説明しなきゃわかんないか。……メンドーね。
私達スズメバチは、クイーンを中心とした社会で成り立ってるのよ。
クイーンが全てを決めて、全てはクイーンとともにあるように、ってね。
で、そんなクイーンも不老不死じゃないから、いつかは死んじゃう訳よ。
社会の中心なクイーンがいなくなったら、もう社会は成り立たなくなっちゃう。
だからクイーンは、次のクイーンを用意しなきゃならない。
それもその辺のスズメバチからテキトーに選んじゃダメなのよ。
クイーンたるもの、武、勇、知、あらゆる分野でスズメバチの頂点でなきゃいけないから。
クイーンとなるべく生まれるもの、つまりクイーン候補として生まれた、十人ちょっとのスズメバチから選ぶ。
……もちろん、このクイーン候補。候補なんだから素質はバリバリで――これも、私見れば分かるでしょ?
「そこはちょっと分からないな」
「分かりなさいよっていうか口挟むなっての」
……でもって。
そのクイーン候補からどうやってクイーンを選ぶか。これよね。
単純に殴り合って決める……とか。そんな話じゃないのよ。そうだったんなら楽なのに。
一族の掟で、『クイーンになれるのは、候補の中でもっとも善行を収めたものである』……だって。
だから善を助け悪を挫く、クイーン候補はそうでなきゃならないのよね。
つまり、そういう存在な訳だから、私達は魔法少女だったりするの。……これで納得できたでしょ?
「まあ……一応」
「だからトールにマスコットになってもらいたいの。……あー、喋りすぎて喉渇いちゃった」
水差しを探して部屋のあちこちを見渡すべすぺに、しかしトールは疑問を呈する。
「でも、それとマスコットがどう結びつくのかがわかんないな」
「魔法少女ってことは納得したんでしょ?」
「一応ね」
「じゃあマスコットが必要ってことも分かるでしょ」
「……えー」
そこだけは、べすぺも説明なしで押し切るつもりらしい。
と言うより、常識なのだから分からない方がおかしいという理屈だ。
「ま、まあ……俺も奴隷らしいから、言うことは聞かなきゃならないんだろうけど……
でもマスコットってそんな」
「つうか、むしろ奴隷じゃなくてマスコットが必要なのよ。奴隷なんて不要だけどマスコットは絶対必要。
それが魔法少女なんだから――命令。マスコットになりなさい」
「め、命令……命令なら、それは……わ、わかった」
「おっし」
べすぺが右手を差し出した。答えてトールはそれを握り、握手成立となる。
「素直でいいわ、うん。それじゃこれからよろしく頼むわよ、マスコットのトール?」
「うん……やっぱり、素直に聞いた方が転生も早くなりそうだしね」
「……まーだそんな世界観で喋ってるんだ、あんたは」
握手した時の満面の笑みとは異なる、ひどくげんなりした顔になってべすぺはため息をついた。
魔法少女の下りは納得させられたので、地獄がどうとかいう話ももう終わったのかと思っていたのに、この有様だ。
この頑固すぎるマスコットに、早速頭を悩ませる魔法少女である。
「どうしても、ここが地獄だって言いたいのね?」
「状況証拠から考えると、そうとしか思えないし……」
「……だから、貴方は生きてて、ここは地獄じゃなくて、ああもうッ」
どうにかして、このマスコットに自分が生きている事を思い知らせなければならない。
でないと、こんな会話をこれから延々と繰り広げる羽目になってしまう。
それは精神衛生上、あまりにも良くない事だ。
「そっちがそのつもりなら、こっちにも考えがあるわよ」
へ、とトールが聞き返す暇も与えず、べすぺは彼の横たわっているベッドに飛び乗った。
「な、何か?」
「生きてることを確かめるのにはやっぱこういう方法が一番、よね?」
「……だ、だから何が?」
不敵な笑いを浮かべて、べすぺはその顔を自らのマスコットに近づける。
「マスコットにも色々仕事があるんだけど、中でも結構重要なのがこれなの」
「これ?」
「……私達が変身する為に必要なもの。言ってなかったわよね?」
「そういえば」
「それってまあ、要するにアレなのよ。せ・い・え・き」
「……はい?」
今、明らかに魔法少女らしからぬ単語が飛んだ。
「細かい解説は抜きにするけど、精液がないと私達変身できないのよ。
今はこうやって変身してるからいいけどね? 幼虫になっちゃったら、変身するのにも一苦労な訳。
そのために、私の変身の為に精液を提供するのも、マスコットの仕事なの」
「マ、マスコットって……俺が思ってたものと、結構違う……ような」
「そうよ。でなきゃあそこまで欲しがらないって。
だ・か・ら、成虫である今はまだ精液いらないんだけど、予行演習ってことで。……ちょうだい?」
「それは……まあ、俺としても構わないんだけど……」
「ふふん。じゃあもらっちゃうわよ? 私の、お腹の中にたくさん……」
お腹の中――
「ちょ、ちょっと待って」
「何よ?」
「……その、中に出すって……どこから入れるんだ?」
「入れるって、そりゃ」
べすぺは自らの秘所たるべき場所に目をやった。
そこからは、もうご立派というほどに輝く針が隆々とそびえている。
「…………」
「……そこからは入れられないと思う」
「…………」
「……だよね?」
「……言われてみれば確かに」
当人まで驚いた様子で針を眺めていた。困ったものだ。
「って、今はいいのよッ! 成虫の時はいらないのッ!
幼虫の時は、針ないからここから入れ放題ッ。問題ないじゃない」
「そ、それなら……あ、でも、今は? 予行演習って、その状態でどうやってすれば」
「中で出すのは無理だけど……そうね」
そのまま、ずるずるとトールのズボン、そして下着と脱がせる。
「入れなくてもまあ……出来ないことはないでしょ。ほら手とか」
「そういうもの……かな」
「そーゆーもんなの」
そうして、下半身だけ裸に剥くと、出てきたものをべすぺは興味深そうに両手で握った。
「へえ。ヒトってこういう形してるんだ」
「ち……違いって、あるものなんだ?」
「……いや、私もそんな見たことないけどね」
単純に、男性器を見るのが初めてだったという事だろうか。
そのまま彼女は、面白そうにぺたぺたと触れて、じっと見つめる。
「ふーん。へー。ほー」
弄り回すのはいいのだが、どうもその先に進もうとしない。
先ほど言っていた事と矛盾するので、トールは恐る恐る声をかけた。
「か……観察もいいけど。本題はやらないのか?」
「……い、今からよ今から。うん、ちょっと見てただけなんだし」
どこかぎょっとした様子を一瞬見せた後、べすぺはこほんと息をつく。
それから改めて、トールのものに手を――かけて、そこで止まった。
「……えっと……」
「?」
べすぺは固まったままだ。
「あのさ」
「な……何? き、気持ちよくしてあげようってのに、何か用事?」
「……ひょっとして、そういうこと知らないとか」
「……ぐふうッ!?」
やる気満々でリードしていたわりに、どうもこの状況を見る限りではそう判断するしかなさそうだ。
事実、このトールの言葉で、べすぺは痛打を受けたような表情になってまたもや固まっている。
「し……知らないってことはないわよ。知ってるわよ。えーと、その、気持ちよくして精液出して……」
「どうやると気持ちよくなるかは? 知ってる?」
「……こ、擦ったりしたらいいんでしょ!? 中に入れるといいって聞いてたけど、それは出来ないし!」
どうにも中途半端な知識である。
まだトールの方が色々知っているというものだ。――それも、実地の知識ではないところがちょっと悲しいが。
「知らないんなら無理して出そうとしてくれなくてもいいよ……あんまり、その、あれを出しっぱなしでも恥ずかしいし」
「それはダメなのッ。貴方にはどうにかして生きてることを実感してもらわなきゃいけないんだから」
とは言っても、このべすぺの知識の無さは致命的なところがある。
任せていたところで、ペニスをちょこちょこ弄り回されるだけだろう。
それはそれで、まあ、これだけの女の子にそういう事をされるのはいいのだけれど、ともかくだ。
「……簡単そうなところで、舐めて見る……とか。そっちを試したらどうだろう」
「舐める? ……これを?」
握っているものを、べすぺは改めてじっと見渡した。
大きさは――標準がどの程度か、あまり知らないので何とも言えないが。
でも何となく大きいんじゃないかな、という気もする。これが体の中に入ったら大変そうだ。
そして形状はどことなくキノコを思わせる棒状で、それを舐めるというのは、まあ。
「……うん、それなら出来そうな感じ。ちょっとやってみるね」
躊躇いもなく、べすぺは軽く亀頭の部分を一舐めする。
固まったりしたのは純粋な知識の不足によるもので、精神的な面ではやる気十分だったのだ。
その証拠に、舐められた事でびくりと震えたペニスを、嬉しそうに見るや二度、三度とべすぺは舐める。
「う……」
「……ど、どう? こんな感じ?」
「わ、悪くないかな」
これは嘘だ。悪くないどころか、実にいい。
こういう経験がはじめてであるところのトールにも、それはよくわかる。
まあ技巧など欠片もないのだが、そのたどたどしさ、初々しさが何と言うか、直撃である。
「そう? じゃあ、続けるね」
嬉しそうにまた舌を這わせる。
ここまでの会話で気づいたのだが、このべすぺ。強引な部分は多々あるが、基本的には素直な子らしい。
「……うん。悪くないかな。こういう地獄ならありかも」
「……え?」
「いや……うん、気持ちいいよ、それ」
「そ、そう?」
段々、舐める間隔が狭まってきた。
常にちろちろと舌は這わされ、トールの腰のあたりに疼きのようなものが溜まってくる。
「……んー」
しかも駄目押しのように、べすぺは舌を使いながら上目遣いでこちらを覗いているのだ。
これはもうどうにもならない。
「ちょっと、その……も、もうすぐ……」
「んん?」
きょとんとして舌を離すべすぺ。お陰で少しだけ余裕が出来た。
「も、もうちょっとで出ちゃいそうだから」
「……そうなんだ!」
大喜びで、べすぺはまた舐める作業に没頭する。
びくん、びくんとペニスは震え、いよいよ熱を持ち、そして。
「んッ!?」
「くぅッ」
びゅくッ、びゅッ、と、勢いよく精が吹き出し――すぐそばにあるもの、すなわちべすぺの顔に降りかかる。
「あ、ご、ごめッ」
「うわ……うわうわ」
べすぺは避ける事もせず、己の顔が白く汚れていくのに任せている。
それが申し訳なくて、どうにかしたいとトールは思う。けれども、どうにもなるものではなくて。
それに――長いように思えても、それはほとんどすぐ終わるのだ。
「うわー……出たわね、随分」
顔にかかったものを手でぬぐって、べすぺはじっとそれを眺める。
「汚しちゃってその。ごめん」
「……ううん。それはいいの。……ね、気持ちよかった?」
「それは……もちろん」
まだいくらかの精が顔に残っているけれど、べすぺはその言葉ににんまりと笑う。
「じゃあ、そんな気持ちいいんだから、生きてるって実感できたわよね?」
――ああ。それなのに。それだというのに。
「……それはその」
こんな反応である。
これはもう駄目かもわからない。
翌日である。
結局あの後べすぺに散々罵倒はされたが、でも現実認識が改まるものでもなく、その日は眠る事となった。
べすぺは、
「せっかくのマスコットなんだから、一緒に寝ましょ?」
と言っていたものの、トールの方でそれは丁重に辞退した。
何しろ彼女の股間には、前方に向けて針がある。
弾みでそれが刺さったりしたら、もう目も当てられない。
ともあれ、目覚めたトールは体を半分だけ起こし、伸びをして目覚めとした。
「……ふう。やっぱり夢じゃないか。死後の世界だもんなー」
まだずれた事を言いながら、少年はふとベッドの横に目をやる。
妙に膨らんでいるのだが、どうもこの膨らみ方からして誰かが入っているようだ。
「べすぺ……かな。一緒には寝ないって言ったのに」
勝手に入り込んで寝てしまったのだろうか。だとしたら、とてつもなく危険な事である。
マスコットとは言え、注意くらいはしないと――と、そう思って布団を剥ぐ。と。
「……あ。お、おはようございます」
そこにいたのは、あの絢爛たるスズメバチ魔法少女、ではなく。
「……あ、あ、あれ? あれ……あ、わたし……あうあう」
髪も白。肌もひどく白い。もう何もかもが白く、儚い、そんな――幼い少女である。
「……誰?」
「だ、だ、誰って……その。あ、あの、わたし……わ、わたしです。べすぺです」
「全然違うよ」
「ち、ち、違うのは当たり前なんです。わ、わたし……その、寝てる間に……も、戻っちゃって」
「戻るって……あ、ひょっとして……」
昨日の会話の中で、幼虫だの成虫だのという話が出てきたはずだ。
そして、昨日の姿は変態したもの。成虫だ――とも。
「幼虫になっちゃったんだ?」
「そ、そ、そうなんです。わたしも、あの、き、気づかなくってつい……」
性格すら途方もなく変化してしまっている。
本人の言葉であろうとも、にわかには信じがたくすらあるのだ。
「これで本当にべすぺ?」
「べ、べすぺです。……し、信じてもらえないかもしれませんけど。
よ、幼虫の時は、その、肉体が精神を収めきれなくなっちゃって、それで、性格とか、そういうのが……
あの、えと、ちょ、ちょっと制限がかかって、こうなっちゃうんです」
「……うーん。信じる……よ。なんとなくそう思えるから」
「あ、あ、ありがとうございます!」
弱弱しく、べすぺは微笑んだ。どこまでも成虫とは違うのである。
「とりあえず……朝ごはんでも食べに行こうか」
「はい!」
その後の朝食は、幼虫べすぺの異常な食欲に驚かされた以外には特に変わった事もなかった。
そうして二人は旅立ち、今に至る――と。そんな訳であるのだ。
「……とまあ、回想してきたんだけど。
トール、あんたまだこの世界を死後の世界って思ってるわね?」
「そりゃあもちろん」
結局のところ、出会いから今に至るまで、トールの認識は変わっていないようだ。
「……もー。手だけじゃなくて色々してあげたのにまだ生きてる実感ないの?」
「生前からそういう性格だったからかな」
「今も生前だっての。あーもー、どうにかしてよぉッ!」
べすぺの叫びは、虚しく木霊するのであった。
そして。それからしばらく後の、遠く離れた場所で。
縄でぐるぐる巻きにされた三人のネコがいる。
その内二人は目立った外傷はないのだが、残りの一人が酷いものだ。
右肩に分厚く包帯がまかれ、かなりの傷がある事が分かる。
傷はそれだけのようだが、その他の見た目が随分と無惨なのだ。
顔色は最悪のように青白く、呼吸もずっと荒いまま。
病気か、あるいは毒によって苦しんでいるようである。
このボロボロの男。最早すっかり見る影も無いが、先日べすぺに退治されたあのゴルバスであった。
残りの二人は、あの小屋で倒された大ごろつき、そして小ごろつきらしい。
「長兄、大丈夫ですかい?」
大ごろつきが聞く。どうも、兄弟だとか、そのような関係らしい。
「大丈夫……じゃあねえが、以前に比べリャ悪くはねえ……少なくともすぐ死んじまうような痛みはねえぜ」
「おお、さすがは長兄ですぜ」
「……へへへへへ。スズメバチの毒って言ったら七日は足腰立たねえと評判だが、何、俺にしてみればこんなもんよ。
お陰さんで、腹についた肉も随分と落ちてきたしな」
そう言うゴルバスの体型は、すっかりやつれきってはいるものの。
確かに、肥えていた頃より引き締まってはいるようだ。単にぜい肉が毒のせいで落ちただけなのだろうが。
「こんな肉がついてたせいで遅れは取ったがよ。痩せちまえばこっちのもんだ。次にはあの忌々しいハチ野郎を叩き切ってやらぁ」
「すげえぜ、長兄!」
ゴルバスと大ごろつきは不敵な笑いを浮かべて喜んだ。
が、残る小ごろつきは、その笑いに対して不安げな声を投げかける。
「しかしよ、兄者。復讐するにしてもここから抜け出さなきゃどうにもならねえですぜ?」
「おうよ。それについても……考えはある」
ゴルバスはまだ不敵に笑い、縄に縛られてその身を軽く揺すった。
その様子に、手下は二人とも信頼の目を向ける。
「俺の体力が回復するのももうちょっとだ。そうしたらよ……
どうせ、見張ってるのは弱っちい村の連中だぜ。ちょいと言葉で騙して、抜け出しちまえばいいのよ」
「で、できますかい?」
「おうともよ。鉄人ゴルバス、口先で世を渡るのにかけちゃあ並ぶものはいねえ。
最悪、縄だけでも解かせリャいいんだ。村の連中にゃ、俺達の腕っ節に敵うような奴はいねえんだからよ」
「それじゃあもうちょっとしたら、また昔みてえに三人で悪事を出来るってことですかい、長兄!」
「ああ。やっぱり金で雇った連中なんざあてにゃならねえ、昔ながらのこの三人で出直しだ」
「それでこその兄者だ!」
三人の悪党は、再起を思い決意を新たにする。
あれだけ一方的に倒されながら、まったくもってへこたれないものだ。
このバイタリティは大したものであろう。バイタリティだけは。
「だから今は休むんだ。俺だけじゃねえ、お前らもな。
村の連中がいくら弱えったって、数を頼みにされちゃあ厄介なところもある。
体力はあるに越したことはねえ。そうだろうよ」
「違えねえや、長兄」
「分かりやしたぜ、兄者」
大も小も素直な事に、身を休めようと目を閉じて壁によりかかる。
ゴルバスも、また身を横にして、毒の打撃から回復しようと眠りにつく。
と、その時。
「……にゃあ……」
「んにゃ、にゃあ……」
「……なんだ、今のは」
ゴルバスの目が見開かれた。
納屋の外から、今の妙な鳴き声が聞こえたように思えたのだ。
「おい、お前ら。起きろ」
「へ、へい」
大も小も起きた。起きた、が、縛られているのだから何が変わるものでもない。
ただ、何を聞いたかくらいは、訪ねる事も出来る。
「今の声。聞こえたか?」
「いや、俺にはなんにも……」
などと言っていると、また。
「にゃ、にゃあ、にゃッ」
「なー、にゃ、にゃにゃッ」
「い、今のは聞こえやしたぜ、長兄」
「……おう。この声は覚えがある。あの時の声だ……これは」
「あの時?」
いぶかしがる手下どもに、ゴルバスはどこか苦々しい顔をしながら言う。
「こりゃマタタビだ。マタタビにやられたネコの声だぜ」
「マタタビ……マタタビですかい!?」
「何度か女に使ったことがあるからな。聞き間違えるはずはねえ。
しかし妙だな……こんな村にマタタビか」
ネコに関しては、場合によっては麻薬のようにすら作用するものである。
有用に扱いさえすれば大いに役に立つが、どちらかというと不逞な使い方が知られているものだ。
取り扱いには厳重な注意を要するものであり、それだけにこんな田舎の村にまで出回るとは聞いた事がない。
「善良そうな顔しやがって、この村もとんでもねえ爛れた村だったってことか」
「け、けどよ。長兄。俺達が村の連中を締めてた時は、そんなもん出てもこなかったぜ?」
「隠されてたんだろうよ。実際、食べ物を相当やられてたじゃねえか」
「そ、そいつはよぉ……」
べすぺに供された食料の事であろう。
村人に完全にしてやられた一事でもあり、ゴルバスもそれをしっかり覚えていたのだ。
「まったく。こんなもんがあるんならきっちり奪っておきゃよかったぜ」
「残念ながらそうではない」
「!?」
刹那、飛び込んできた声は、ゴルバスのものでも、大と小のごろつきのものでもない。
「だ、誰だ!?」
慌てて部屋の入り口に目をやる、と、そこには――
「無様な姿を晒しているな。ゴルバス」
「お、お前は……!」
元々暗いせいで、侵入者の顔は見えない。
法衣じみた長い衣をまとっているのは辛うじて伺えるが、それ以外は判別がつかない。
ただ、頭部に大きな帽子をかぶっており、そして――その隙間から、にゅるりとした長いものがはみ出ていた。
「お前……いや。あんたか……」
「あ、兄者? 知り合いですかい?」
小が聞く。と、ゴルバスが答える前に侵入者が言葉を放った。
「そうだ。私はそのゴルバスと縁のあるもの」
「あ、兄者と縁……」
「……客人だぜ。丁重に扱えよ、お前ら」
客人とはいうが、ゴルバスの顔は苦い。
あまり会いたい相手でもないのだろう。
「それで、なんだい。俺がしくじっちまったから、始末にでも来たってところか」
「我らは、まだ使えるものを処分するほど余裕ある振る舞いはできない」
「ほう。そりゃありがたいね」
侵入者の帽子の端から、また一本にゅるりとしたものがはみ出る。
「ここにあった隠し炭鉱を失ってしまったのは手痛い事だ。
が、だからといって、有能なる駒を見捨てる訳にもいかない。
もう、表の騒ぎは聞きつけただろう。あれは私が巻き起こしたもの」
「……マタタビを流したってのか」
「お前を逃がす為にな。ネコというのはこれだから扱いやすい。
見張りなどに使う種族ではないな。簡単に過ぎる」
「……ハン」
更に一本、侵入者の帽子からにゅるりとしたものがはみ出てきた。
よく見ると、それらにゅるりとしたものは、それぞれが刃物を先端に巻きつけて蠢いているのだ。
――そして、一閃。
三人に巻きつけられた縄は、バラバラに切断され、あたりに散らばる事となる。
「外にはまだマタタビが残っているだろう。
お前達まで巻き込まれては困る。心構えをしておけ」
「……へへへ。すまねえな」
立ち上がり、ゴルバスはまだ状況を把握できずにぼんやりと座っている手下二人に目をやった。
「お前らも行くぞ!」
「へ、へい!」
一喝されてようやく立ち上がる。
そうして、三悪人が動く準備を整えたのを見て、侵入者も出口へと向いた。
「っと、ちょいと頼みを聞いてもらえるかい?」
「救出以上のものを求めるのか」
冷たい響きのある声に、大と小は震え上がる。無論ゴルバスは気に留めない。
「あんたらにも利益のあることさ。……知ってるだろうが、俺達を倒したのはスズメバチだ。
そいつに復讐をしてえんでね……武器を貸してもらいたい」
「一度敗北した相手だろう。勝算はあるのか」
「あるかどうかはそっち次第だ。作ってんだろう? いい武器をよ」
「…………」
侵入者の発する冷たい気は、ますます子分を震え上がらせる。
「そうだな。あまり見かけるものではないが、昆虫への対処は懸案事項の一つでもある。
開発中の兵器があったはずだ。貸与しよう。テストとする」
「へっへっへ。悪いな」
「構わん。仮に倒せずともよい。データさえ取れれば」
「……フン。倒してみせるさ。俺にだってプライドはある」
納屋を出たところで、ゴルバスは最後にもう一度言った。
「これからもよろしく頼むぜ? なあ――『タコ秘密教団』さんよ?」
それには、もう、侵入者は答えない。
ただ、月の明かりに照らされて、帽子を外したその侵入者の頭部には――
八本の足をもつ、それ。
海のものとして名高い、かの「タコ」が。
にゅるりにゅるりと、蠢いていたのであった。
第2話 終わり
次回予告!
キツネ国を放浪する二人の前に、再びゴルバスが現れる!
まったくもって懲りないネコだが、今のべすぺは何と幼虫!
絶体絶命のピンチに陥ったべすぺ。その時、現れた人物は!?
次回魔法少女ホーネットべすぺ第三話、「復讐戦!? ゴルバスの再挑戦!」
誇りあるもの、尊きものを目指して、次週も炸裂推参ッ!