―――痛みはない。  
固い地面の感触は分かる、倒れたときの衝撃も感じた、だが痛みだけがない。  
「浩平! 浩平!!」  
未来の叫ぶような声が聞こえる、俺の体を揺すっている。  
何だろう、この感覚は、体の中は燃えるように熱いのに、それ以外の部分、手や足、体の  
表面は凍えそうなくらい寒い。  
目だけを動かして、未来の方を見る。今にも泣き出しそうな、真っ青な顔で俺の名前を  
呼び続けている。  
平気だと言ってやりたいが、声が出ない。体を動かすことができない。  
どうなっちまったんだ、俺の体……  
 
「待ってて、人を呼んでくるから!」  
そう言って、立ち去ろうとする未来を目で追う。  
不安が胸をよぎる。自分の身に起きていることは普通じゃない、傍にいて貰ってもどうにも  
ならないだろう。  
だけど嫌だ、一人になりたくない、置き去りにされたくない。  
未来の判断は正しい、それは分かっている、でも、一人は嫌だ。  
 
「あ、がぎッ! ぐ、あ、ギぃッ!」  
待ってくれと、言おうとした俺の口からは、ヘンテコな呻き声が発せられた。  
未来はそれに気付く様子もなく、俺の視界から消えていった。  
不意に、腕に妙な違和感を覚えた。  
あの化け物に噛まれた方の腕が、異様に熱く感じる。  
何だか息が苦しい、体の中の熱が暴れまわっているかのようだ。  
手足が痺れてくる、何だか頭がぼーっとする。  
やっぱりアレには毒でもあったのか、その奇妙な違和感は全身に広がり始めていた。  
熱い、体を内側から焼かれているような気分だ、ひどく吐き気がする。  
 
堪えきれないくらい腕が熱い、視線を向けると、左腕から黒い棘が生えている。  
そいつが皮膚を内側から裂いて、突出してくる。  
バキバキと、まるで骨が砕けてでもいるかのような、嫌な感触が伝わってくる。  
体の熱の一部が、今度は右手に移る。するとまた、バキバキと、骨を砕く感触、熱の一部が  
下半身に移動して、またあの感触。  
熱が背中から飛び出したような、変な感触が伝わってきた。  
何とか頭を動かして、それを確認しようとしたが、黒い棘が生えた自分の腕と、地面に  
飛び散る赤い液体と塊、布の切れ端しか確認できない。  
突然、両方の脇腹から何かが飛び出したような感覚に襲われる。  
見てみると、両脇から二本ずつ、黒い棘のある折れ曲がった棒のような、奇妙な物が目に  
入ってきた。  
 
どこかで見たことがある、これは……虫の足だ、大きさは違うが昆虫の、いや、さっきの  
化け物の足に似ている。  
何でそんなもんが俺の体から……  
 
その四対の足が、俺の体を持ち上げる。それと同時に、腕の皮膚がまるで脱皮でもするかの  
ように、赤く変色した白い布切れと共に、剥がれ落ちた。  
さっきよりも間近で、俺は自分の腕、正確にはかつては腕だった部位を見ることになった。  
紛れもなくそれは、虫の足、あの化け物の足だった。  
ゴキブリみたいな、血にまみれ、黒光りするいびつな足。大きさは、あの化け物より一周りは  
でかい。  
 
夢だ。これは悪い夢だ。そう、思いたい、だが俺の体の変異は止まらない。  
ブチブチと肉の裂ける音や、骨の砕ける音、それが体中の至る所から聞こえ始めた。  
痛みがない、まったくと言っていいほどに。ただあるのは、熱さと息苦しさだけ。  
「ぐ、い、ギ、ぃギ、ギが、あ……ギ、ギギギ」  
髪の毛が頭皮ごと、ベチャリと地面に落ちる。それと同じように、口の中から歯が  
ポロポロと抜け落ちていく。  
頬から何かが飛び出てきた。あの化け物の牙だ、カミキリ虫のような、長く、鋭利な牙だ。  
ポタリと、白いオタマジャクシのような物が眼下に落ちてきた。  
目だ、眼球。変だな、目が落ちたのを、俺は見ている。  
ふいに、視界が開けた。パチャリと、俺の顔を覆っていた皮膚が、地面に落ちる。  
なるほど、新しい眼ができたらしい。ほぼ三百六十度、頭を動かさなくても見渡せる。  
手で触れてみると、半球状の固い感触が伝わってくる。  
あれ? 確か俺の手は……そう思って、視界に入ってくる、蠢く無数の管を見て納得する。  
これらが新しいオレの手なんだ、このたくさんの触手が。  
……俺の体、一体どうなっちまったんだ?  
 
自分の周りを見渡すと、服の切れ端や削げ落ちた肉の塊、大量の血が飛び散っている。  
体の下には、血溜まりの中に、肉の塊やら臓物やらが落ちていた。  
普通なら死んでる、と思う。でも俺は生きている。  
なぜ、なぜだ、なぜこんなことになった。  
あの化け物に噛まれたからなのか、他には考えられない。ただ、確かなことは、  
これは夢なんかじゃないと言うことだけだ。  
 
『ギィ……』  
何かを喋ろうとしたが、聞こえてくる自分の声は耳障りな、あの化け物が出していた  
奇怪な音だった。  
あれは声だったんだと、今になって納得する。  
 
……喉が渇いた。  
俺は空洞内にあった池に向かって、歩き出した。  
分かっている、喉の渇きなどより、もっと気にしなきゃならないことがあるのは。  
だがどうしようもない、ここで俺がジタバタしたところで、何にも解決しない。  
だから取り敢えずは、渇きを潤して、それから色々考えることにする。  
とは言え、この状況をどうすればいいのか、不安だけが募っていく。  
未来に何て言って説明しようか……  
 
不安と孤独感が大きくなっていく中、どこか妙に冷静な自分がいることに気付く。  
受け入れがたいことのはずなのに、俺はこの状況をなぜか受け入れている。  
頭がどうかしてしまったのだろうか、多分そうだ、そうじゃなかったらこんなにも冷静で  
いられるわけがない。  
 
「きゃあああぁぁぁーーー!!」  
唐突に、空洞内に悲鳴がこだまする。  
人だ、人が来たんだ。  
声がしたのはさっき俺がいた場所だ。  
一人だと心細い、何より不安だ、どうにもできなくとも孤独感を紛らわせることくらいは  
できるだろう。  
俺は来た道を大急ぎで引き返した―――  
 
―――人間の女、未来がいた。地べたにへたり込んで震えている。  
その視線の先にあるのは、俺の残骸、抜け殻と言った方がいいか。  
さっきは気付かなかったが、下半身がズボンを履いたまま転がっている。  
それを見て悲鳴を上げたんだろう。  
「あ、ああ、いや、いやぁ、浩平、いやぁぁ……」  
『ギィィ……』  
「未来」と、声をかけたつもりだが、やはりもう、言葉は話せないらしい。  
「ひぃっ!」  
俺を見て未来の顔が引き攣る。青ざめていた顔がさらに青く、その表情が恐怖に歪む。  
 
触角を通して伝わってくる未来の匂い、どこか甘い、汗の混じった女の、雌の匂いだ。  
こんな時に、何を考えているんだ俺は……  
 
見たところ、他に人はいないみたいだ。心配で戻ってきた、と言ったところか。  
だがそれでも構わない、一人で不安に震えているよりは……  
「いやあああぁぁぁーーー!!」  
そんなこと考えていた俺の前から、未来は走り出した、すぐさま俺はそれを追いかける。  
動ける早さは、人のそれを越えているのかも知れない。  
足が六本、手が無数、動かすのは苦労するかと思ったが、意外と簡単にそれらを動かす  
ことができた。  
 
手足や指を動かすのとあまり差異はない、単純に数が増えただけで、さっきもそうだったが、  
感覚としてはあまり変わらない。  
 
あっと言う間に、未来の前に回り込み、その行く手を塞ぐ。  
「ひぃっ!」  
顔が恐怖に引き攣り、尻餅をついてガタガタと震えている。  
逃げないでくれ、頼むから、俺はただ、少しだけ傍にいてもらいたいだけなんだ。  
『ギィ、ギギィ、ギ……』  
想いを口にしたくとも、俺の口は言葉を発してくれない。  
 
落胆する俺の頭に、何か固い物が当たる。それが何かは分かっていた、石ころを未来が拾って、  
俺に投げつけてきたのだ。  
痛くはない、ただ、別な意味で痛い。本当に、痛いよ……  
「こっ、来ないで、来ないでよぉ!」  
思わず触手を伸ばし、未来の両手を押さえる。  
「やっ、やめっ、離して、いやぁ! お前が、お前が浩平を!」  
違う! 違う! 俺が浩平なんだ、こんな姿になっちまったが、俺は間違いなく俺だ。  
 
……やはり無駄だ、たとえ喋ることが出来たとしても、信じては貰えないだろう。  
『ギギ、ギィ』  
俺の口からまたあの音が出る、喋ろうとしたんだから当然か。  
「ひっ!」  
未来が小さく悲鳴を上げる。そこまでビビらなくてもいいのに……  
カタカタと震えている未来の股の辺りに、じわりと染みが出来ている。  
漏らしたのか? それが徐々に広がっていく。  
未来の顔を見てみるが、そんなものを気にしている余裕はなさそうだ。  
 
触角から伝わってくる匂い、それがオレの中の何かを掻き立てる。  
何だろう、この感覚は……衝動と言っていい、熱い何かが込み上げてくる。  
オレは未来の両足に手を巻き付け、閉じられた足を広げさせた。  
白い下着に、はっきりと黄色い染みが見える。触角を近づけ、間近でその匂いを調べる。  
 
……頭痛がし始めた。何をやっているんだ俺は……  
 
その匂い、香しい牝の匂い、オレの中の衝動が、本能が、それを求めている。  
残りの手をこいつの体に這わせる。すべすべとした肌の感触が、オレの手を伝わってくる。  
それらすべてが快感だった。気持ちがいい、温かく柔らかな肉の感触。  
こいつはとても気持ちがいい。  
 
……頭痛が強くなる。何かを忘れ始めているような気がする。大切な何かを……  
 
こいつが身に纏っている布の隙間から、直接肉体に触れ、全身を撫で回す。  
「ひっ、あ、や、いやっ! いやああぁぁ!!」  
恐怖によって鳥肌がたった皮膚は、また感触が違う。  
 
胸の先についている突起の感触も、実に心地がいい。  
下半身に着いている白い布に手を伸ばす。その部分が、この甘い匂いの中心だ。  
それに手を掛けた時、娘の体がビクリと震える。  
「あ? や、な、なに、なにを……い、いや、やめてぇ!」  
何か言っているが、そのままオレは、邪魔なその布を引き裂いた。  
「いやあああぁぁぁーーー!!」  
隠されていた部分が露わになる。僅かばかりの体毛と、その下に位置する縦の亀裂。  
そこを曝されるのが嫌なのか、叫び声を上げながらじたばたと暴れ始める。  
非力だ、逃げようとしているのだろうが、何ともか弱い。この生き物は随分と弱い、扱いには  
気をつけなければ。  
 
……頭痛が激しさを増す。やめなければいけないと思うのだが、それがなぜなのかが  
分からない……  
 
亀裂に触手を押し当てて上下に擦る。  
「あうっ! ひっ、あ、や、やあああぁぁぁ!!」  
他の部分とはまた違った感触だ。ここが生殖器であるということは知っている。  
この生き物の肉体から伝わる甘美な快楽、胸に肉があまりついていないのが残念だが、  
それすら補って余りあるほどの快感が、オレの体を高ぶらせていく。  
オレは胸の辺りに這わせていた触手の先端を、イソギンチャクのような形に変形させる。  
もうこの体にも馴染んだ、オレの手は色々と変形させたりすることが出来るみたいだ。  
 
触手の先端から、さらに無数に分かれた小さな触手で、胸の突起を小突いたり、引っ張ったり  
してみた。  
「ひぅっ!」  
ビクンと、娘の体が引き攣り、その顔が歪む。痛いらしい。  
強ばった筋肉の質感を感じながら、尖ったその突起を弄り続ける。  
全身を、それこそ六本の足の先まで伝わってくる快感、今まで感じたことがないほどの、  
快楽中枢を直接刺激されているかのような、強烈な刺激。  
もっとそれを味わいたいと言う衝動が、オレの体を突き動かす。  
 
……快感のおかげで、頭痛が少し和らぐ。泣き叫ぶ少女を見上げながら、俺はただ、  
その衝動に、本能に、この身を委ねていった……  
 
しばらくして、生殖器を擦っていた触手に、若干のぬめりを感じた。  
手を離してみると、その部分が少し濡れている。  
生理反応と言うやつか。  
その透明な粘液から香ってくる牝の匂いは、さっきよりも濃厚な匂いだ。  
オレはそこに、長細い蛇のような舌を伸ばした。  
 
オレの舌もすっかり変容してしまい、自在に伸び縮みするようになっていた。  
「あ、あ、いや、やめて……」  
その液体を舐めてみた。  
美味しい。まるで甘い蜜を舐めているような気がする。  
これはこの人間の体に刺激を与えていけば、たくさん分泌するみたいだ。  
オレは舌を離して、再びそこに触手を擦りつける、さっきより強く、速く。  
 
それ以外の触手は、継続して女の体に這わせる。  
太股から足の爪先、へその辺りから背中、脇腹から胸、肩から二の腕、首筋や耳、顔、  
体中の至る所を撫で回す。  
温かい肉の感触、生殖器から分泌される液体の量も増え始めている。  
「い、や、も、いやぁ……たすけ、誰か……」  
体中に触手を巻き付けて、上に持ち上げる。思ったより軽い、これでさっきよりは  
その部分が見やすくなった。  
 
液体を舐めながら、ふと、ある疑問が頭をよぎる。  
この裂け目の中はどうなっているのか、疑問に思ったなら確かめればいい。  
オレはそこに触手の先端をあてがった。  
その途端、女が一際激しく暴れ、喚き出した。  
「や、いや、いやあああぁぁぁーーー!! やめ、お願いやめてぇ!  
いやあああぁぁぁーーー!!」  
よほど中に入れられるのが嫌らしい、だがそんなことは知ったことではない。  
オレはその亀裂に、触手をねじ込んだ。  
「いぎっ! あ、うあああぁぁぁーーー!!」  
つんざくような女の悲鳴、それと共にオレの体に電撃のような快楽が走った。  
熱く柔らかな肉が、纏わりつく肉のヒダ、粘膜の感触が、オレの触手を包む。  
今まで味わったものの、さらに上をいく快感がオレの全身を駆け巡る。  
「あぐ、くっ、い、たい、抜い、てぇ……」  
……痛いらしい、何やら生殖器のところから、一筋の赤い液体が流れ出している。  
 
そいつに舌を伸ばして舐めとってみる。  
舌先から凄まじい衝撃が走った。何という美味、今まで食べた物がゴミに思える。  
舌が溶けてしまいそうだ、脳髄が痺れ、寒気すらする。  
あの透明な液体もいいが、この赤い液体の旨味はその比ではない。  
もっと味わいたい、この赤い液体を、これはこの生き物の体内に流れているようだ。  
柔らかい肉と、赤く甘い体液、考えただけで涎が出てくる。だが……迷う。  
それをした場合、この快楽を味わえなくなる。どうしたものか……  
しばらく悩んだ結果、オレは今しばらく、この生き物が与える快楽を味わうことにした。  
 
喰うことなら、いつでもできる。いつでも……  
 
体内に侵入した異物を拒絶しているのか、内部の肉が収縮して触手を押し出そうとしている。  
触手が圧迫されればされるほど、それがより強い快感を生み出す。  
出し入れする度に、肉の壁が触手を締め付ける。  
快楽による高ぶりが触手をせり上がり、何かが込み上げてくる。  
「あう、くひっ、ひぅ、やぅ、くあ、ひぃっ!? あ、ああ……」  
高ぶりが触手を突き抜けた時、何かが弾けたような衝撃が全身に走った。  
頭を思い切り殴られたような、射精の時のそれとは比べ物にならない、意識を持って  
いかれそうになるほどの快感だった。  
触手を引き抜くのと同時に、真っ白な液体が溢れ出した。  
 
この液体は精液とは異なる。性的快楽が極限に達した時に放出するという点では同じだが、  
時期が来ればここには卵が混ざる。  
それがオレの子孫を繁栄させる。  
今オレは単体だ。だから仲間を殖やさなければならいのだが、残念なことに、まだ繁殖期には  
入っていない。  
一つだけそれ以外に殖える方法はあるが、あれは対象を同種に変異させるだけで、子孫を  
残すのとは異なる。  
種の存続の為の、言わば最終手段だ。  
だから現状では殖えることは出来ない、とても口惜しいが、今は我慢しよう。  
外界に出れば獲物はたくさんいる、焦ることはない。  
もうオレを縛るものは、何もないのだから……  
 
再びオレは、裂け目に触手をあてがう、今度は少し形状を変化させて。  
触手の表面に、疣のような突起を無数に隆起させ、太さはさっきより二回りほど太くしてみた。  
「……も、ぃや……ゅるし……こぅへ……たす、て……」  
女は何だかぐったりしていて、譫言のようにぶつぶつと何かを言っている。  
よく聞き取れない、聞こえたとしても、それは無意味なことだ。  
 
触手を体内へと、今度はゆっくりと、感触を楽しみながら侵入させる。  
当然、さっきよりは侵入がやや困難だ。  
「ぐ、くあっ、は、あぅ、くぅぅぅ……」  
異物を押し戻そうと、柔らかい肉の壁が触手を圧迫し、締め付けてくる。  
これだ、この感触だ。オレは触手の突起を肉の壁を引っ掻くように動かし、それに加えて、  
全体を芋虫のようにうねらせて、女の体奥へと進ませていく。  
「ぐがっ! あ、かはっ、ひ、く、あ」  
女の背が反り返り、手足がビクビクと痙攣し、オレの触手を締め付けてくる。  
 
その姿を見ていると、オレの中にある何か、“欲”とでも言うべきか、それが掻き立てられる。  
聞こえてくる呻き声、苦痛に歪む顔、それに曝され震える華奢な肉体、そのすべてが、  
オレを高ぶらせていく。  
確か……上にもあったな、穴、いや、口か。あっちはどうなっているのだろう?  
心地よい呻きを奏でる場所、あの中はどんな感触なのか……  
 
オレはその“欲”に導かれるままに、その場所に触手を向かわせる。  
「は、あ、くひっ、あ、かはっ……ぐむっ!? んぶ、んんーーー!!」  
触手を口の中に突き入れた瞬間、女の体が強張る、首を振って逃れようとしているようだが、  
無駄なことだ。  
温かくぬめった中、蠢く舌と固い歯、下の穴とは異なる感触だ。  
歯がオレの触手に食い込む。噛み千切ろうとでも言うのか、無駄なことを。  
人間ごときの力で、オレの肉体を傷つけるのは不可能だ。  
 
食い込む固い歯の感触が、ぞわぞわとした刺激を伝えてくる。  
汗の吹き出る肌、くぐもった呻き、苦しみに歪む表情、締め付けてくる生殖器、温かな口の中、  
それらが生み出す快感が、オレの体を満たしていく。  
だがまだだ、まだ足りない、まだオレは、満ち足りてはいない。  
 
女の体内に突き入れた触手を、さらに奥へと進ませる。  
「んぐっ、ぐ、うぶっ、んぐぅぅぅーーー!」  
喉の奥を小突くと、そこが収縮してオレの触手を刺激する。  
喉奥の空間、そこの壁に触手を擦りつける。  
「ぐぶっ! がっ、ぉご、ごほっ、うぇ……んぐぅっ!!」  
生殖器の内部を進ませていた触手の先端が、肉質の壁に当たる。  
行き止まり? いや、少し小さいが通り道がある、なるほど、ここが子宮か。  
オレは触手の先端を細くして、その入り口に入り込ませた。  
「んぶぅっ!! うぶ、ん……ぶふっ、んぐぅぅぅーーー!!」  
子宮の壁を撫でる度に、娘の体が仰け反り、触手を包む肉が痙攣するようにひくつく。  
快楽が高まってきた、また出そうだ。  
 
オレは触手を膨張させて、上と下、両方の穴を掻き回す。  
「んぶぅっ!! ぐごっ、ごぶっ! ぐぇ、げぶっ!」  
女の肉体が仰け反り、ビクビクと痙攣する。オレの触手を包む肉が収縮して、さらに  
強い刺激を与えてくる。  
触手の先から電流のような凄まじい快感が、全身を駆け抜ける。  
体を震わせ、オレは再び女の体内に、大量の体液を解き放った。  
 
「んぶぅ! ぉご、こほっ、ぐえ、ん、ぐ……ぶぇ、ごほっ! ごほっ! ごほっ!」  
口から触手を引き抜くと、喉奥に放った体液を吐きながら、激しく噎せ返っている。  
生殖器の方も同様に、放出した白色の粘液を垂れ流している。  
無論、こちらは噎せたりはしていないが……  
 
女の肌に擦りつけていた触手にも、そろそろ限界が近づいてきた。  
一本、また一本と、いくつかの触手から体液が噴出して、女の肉体の上に降り注ぐ。  
頭から爪先まで、白く濁っていく。女の身に着けている白い布も、すぐにベチャベチャに  
なってしまった。  
目や鼻、口から出ていた透明な体液も、白い粘液と混ざり流されていく。  
白く濁り、汚れていく姿。オレはそれを“美しい”と感じていた。  
 
オレは触手を駆使して、女の肉体が与えてくれる快楽を味わい続けた。  
亀裂だった穴は、中の肉が捲れ、薄いピンク色だったそこも、少し乱暴にし過ぎたせいか、  
赤く腫れ上がり、子宮に注いだ体液のせいで、腹の部分が若干膨らんでいる。  
四肢から力が抜け落ち、最初のような反応は返ってこない。  
頭はがっくりと垂れ下がり、半開きの口からは弱々しい呻きと、涎が垂れ流されているだけ。  
暴れなくなったのはいいが、これでは少しつまらない。  
体の内側から外側に向かって、触手で押し込んでみる。  
「ぐぎゃう!!」  
ビクンと、女の体が跳ね上がる。  
なるほど、より強い刺激を与えるとそれに反応するようだ。  
子宮の壁を強く引っ掻きながら、内側から腹を押し上げるのを繰り返す。  
手足に再び力が籠もり、触手を包む肉が収縮運動を再開する。  
女は狂ったように首を振りたくり、再び叫び声をあげ始めた。  
オレは無数の触手から伝わってくる、脳髄を痺れさせるような甘美な快楽に酔いしれていた。  
 
ビチャビチャとオレの放った体液を垂れ流している穴の下に、小さなすぼまりを発見した。  
ここの穴はどんな感触なのだろうか。  
それを確かめるべく、触手の先端を細くして、尻の穴に入り込ませる。  
「ぐぎっ!? あ、や、いぁ、あぐっ、くぅぅぅ……」  
かなりきついが、侵入できないほどではない。  
それに呼応するかのように、前の穴もきつく触手を締め上げてくる。  
オレは両方の触手を交互に出し入れして、娘の体内を掻き回す。  
ガクガクと痙攣する体に残りの触手を擦りつけ、開きっぱなしの口にも触手を突っ込む。  
 
もう何度目か分からない絶頂を味わいながら、ヒトの雌がもたらす、肉の快楽を貪り続けた。  
 
「ぐ、えげ、あ、がは、ひっ、ぐぇ、あ、ひぅ」  
尻穴の奥にあった道、腸に従って、オレは触手を挿入していく。  
その空間自体が脈打つように動いて、入り込んだ触手全体を刺激してくる。  
その場所、排泄器官に当たる部分がもたらす快楽に、オレは身震いした。  
前の穴も、上の穴も、心地よい刺激を与えてくれる。  
ビクビクと小刻みに震えている肢体、それに這わせた触手から伝わる感触も最高だ。  
腹が減ってきたが、空腹感よりも快感の占める割合の方が大きい。  
まだ今しばらくは、快楽の方を味わおう。  
子宮内、命が宿る小部屋に侵入させた触手の先端を、無数に枝分かれさせて中の壁を  
撫で回すと、ピクピクと痙攣してオレを痺れさせる。  
 
きゅうきゅうと締め付ける穴と、ぎちぎちと締め付ける穴、挟み込んでくる穴、柔らかい肌。  
それらの感触を堪能しながら、時折、子宮を内側から叩いてさらに刺激を得る。  
足りない、まだ足りない、オレはまだ満足していない。  
どうしたものかと思案して、オレはあることを思いついた。  
もう一本、触手を生殖器に近づける。すでに一本入ってしまっているが、もう一本ぐらいなら  
入るかもしれない。  
その触手を細くして、広がった亀裂を押し広げるように埋めていく。  
「あが、が、かはっ、か……」  
下腹部に力が籠もり、二本の触手を締め上げる。  
生殖器に突き入れた二本と、排泄器官に入り込ませた一本で、体の中を掻き回す。  
「うあっ! あぅ、ひぅ、く、ひぐっ!」  
触手を伝い、極上の快楽がオレにもたらされる。  
いつまでも、何度でも、味わい続けたいと思うほどの、甘美な快感。  
「あう、くっ、ひ、く、うあああぁぁぁーーー!!」  
何度目になるのか分からない絶頂を迎えるのと同時に、女は肉体を震わせ、甲高い叫び声を  
上げた。  
 
生殖器の近くにある突起、固く充血したそこに触手を近づけ、軽く触れてみる。  
「ひぃっ!!」  
ビクビクっと、今までより一際強い反応を示した。  
そこを包んでいる薄い皮を剥き、直接その部分に触れてみる。  
「あっ! ……か………はっ……」  
女の体がビクンと仰け反り、手足がガクガクと痙攣する。  
それと同時に、触手を包む柔らかな肉も痙攣して、ビリビリした刺激を与えてくる。  
 
ここは随分と敏感な場所なようだ。  
紐状に細くした触手を突起に巻き付け、引っ張ってみる。  
「くあああぁぁぁーーー!!」  
ビクンと娘の腰が突き上がり、全身を震わせる。  
触手から伝わる、苛烈なまでの刺激がオレを狂わせていく。  
 
性器に挿入した二本の触手を交互に出し入れし、尻穴に入り込ませた触手を膨張させる。  
女の体内でそれらを動かす感触が伝わってくる。  
触手同士が圧迫しあい、さらなる快感を生み出す。  
それに酔いしれながら、オレはもう一つ小さな穴を見つけた。  
性器の上部に位置している極小の穴だ。  
 
その穴に入れられるように触手を細くして、そこに侵入させる。  
「あっ、あっ、や、やあああぁぁぁーーー!!」  
絶叫と共に、そこから黄色い液体が噴き出した。  
さっきこの女が出したやつだな、それがオレの上に降り注ぐ。  
温かい、気持ちがいい……  
触手を引き抜き、何となく、黄色い液体の噴き出した穴に向けて、オレは舌を伸ばした。  
「やぁ……ぃやぁぁぁ……」  
小刻みに震えながら、首を振っている。  
液体を舐めてみたが、赤い液体に比べれば遙かに劣る味だ。  
だがこれはこれで、それとは違った味わいがある。  
だが少し匂いがきつい、頭がくらくらしてくる。触角を引っ込めて、再び触手を突っ込む。  
「ぐぎぃっ!」  
少量だがまたあの液体が噴き出した。  
 
すべての触手を活発に動かし、女の体を楽しむ。  
腹は盛り上がり、手足はピクピクと痙攣を繰り返している。  
短い髪は、吹き出した汗とオレのぶちまけた体液にまみれ、ベタベタになっている。  
体の方も同様に、女が動く度、触手を動かす度、にちにちと音をたてる。  
生殖器と肛門からは、ぐちゅぐちゅと水音を、口からは心地よい呻きを奏でる。  
ヌルヌルの体に、触手を擦りつけ、体内を掻き回す。  
そのまま、オレはまた絶頂を迎え、女の体の中と外に高ぶりを解き放った―――  
 
―――それ以後も、オレは娘の肉体が与える快楽を貪り続けた。  
生殖器には三本、排泄器官には二本、口にも二本、触手を代わる代わる挿入して、甘美な  
肉の感触を堪能していった。  
鼻の穴や耳の穴にも触手を侵入させ、その快楽を味わい尽くす。  
全身に駆け巡る快感、それに伴う数え切れないほどの絶頂。  
飽きることのないそれも、最後の触手が放出を終えたことで、区切りがついた。  
正直まだ物足りない、だがいい加減少し疲れた。  
それに、空腹が我慢の限界に達してきていた―――  
 
―――“性欲”はある程度は満たされた、次は“食欲”だ。  
喰わなくては、喰って力をつけなくては……  
 
夜になってしまったのか、辺りはすっかり暗くなっている。  
面白いことに、暗くてもオレの眼ははっきりと、周囲を見渡すことができた。  
掲げた獲物を地面に下ろし、その肢体を眺める。  
白目を剥いたまま、ビクビクと痙攣している以外は、特に何の動きもない。  
開ききった下半身の両の穴からは、オレが放った体液がおびただしく溢れ出している。  
口からは胃液と体液の混ざったものが、だらだらと垂れ流されている。  
ひくついている生殖器に、再び触手を突き入れたくなったが、ここは堪える。  
 
オレの“欲”は底無しだ、快楽を貪るだけなら、獲物が死ぬまで続けられるだろう。  
だがそれよりも、コレを喰らって、力をつけた方がいい。  
オレにはまだ、やるべき事が残っている……  
 
……頭が痛い、得ていた快感がなくなってしまったからか、頭痛がぶり返してきた……  
 
こういう時はどうすればよかったんだっけ、痛む頭をもぎ取って放り投げたい気分だ。  
頭痛と共に喉の渇きまでもが甦り、それが同時に襲ってくる。  
なぜ頭痛がする。痛みなど、もう感じないはずなのに……  
そうだ、確かこういう時は頭を冷やせばいいんだ、確かそうだったはずだ。  
あの池だ、あそこに行けばいいんだ、喉も渇いている、まさに打ってつけだ―――  
 
―――オレは池のところまできて、頭を丸ごと水に浸ける。  
冷たい、冷たくて心地がいい、頭の痛みが和らいでいく。  
ついでに喉の渇きも潤して、オレは水から顔を上げた。  
頭上にあいた穴から、夜空に浮かぶ煌々と輝く月が見える。  
聞こえる音は何もなく、ただ静寂のみが支配していた。  
月の光が水面に反射して、空洞内を淡く照らしている。  
 
……何かを忘れている、大切な何かを、忘れてはいけない何かを、オレは忘れてしまっている……  
 
そうだ、確かオレは腹が減っていたんだ。  
その時、背後で何か動く気配を感じた。  
振り返るとそこに、あの人間が立っていた。しかもアレを持って……  
『ギ、ギギ、ギ』  
寒気がした、その刃、白刃の禍禍しい輝き、例えようのない恐怖が全身を駆け巡る。  
 
どうする、逃げるか、闘うか、本能が選択を迫る。  
相手は疲弊しているたかが人間、逃げるのも殺すのも容易い、はずた。  
だがあの刃、あの武器は危険だ。本能がそう告げる。  
ならば……  
 
周囲に広げた触手、それぞれの先端から、槍のように尖った硬い骨のようなものが飛び出した。  
戦闘体勢と言う奴だ、他にも色々できるかもしれないが、今はこれくらいしかできない。  
眼前の人間は、刃をオレに向けたまま動かない、オレも動かない、先に仕掛けるのも  
危険な気がする。  
それに、なぜだか躊躇している。ズキズキと、また頭が痛みだした。  
一体なぜ? なぜだ……  
 
殺気、敵意、憎悪、それらがオレに向けられる。  
恐ろしい刃を手に、オレを殺そうとしてくる眼前の人間。  
何だ、この感じは、痛い、頭が割れそうなくらい痛い。  
「……さない、ぜった……ない」  
譫言のような小さな呟きが聞こえてくる。  
「絶対に許さない!」  
向けられる視線、透明な液体を流している目が、オレを睨みつけてくる。  
ズキリと、頭に痛みが走る。  
「よくも、よくも浩平を……」  
絞り出しような、震えるか細い声。  
また、痛みが走る。  
コウヘイ、誰かの名前、それを頭の中で復唱する度に、ズキズキと痛みが走る。  
何だ、一体、痛い、痛い、くそっ、何なんだよ一体!?  
 
怒りと哀しみが混ざりあった人間の表情を見て、頭痛はより激しさを増す。  
耐え難いほどに……  
『ギィィィィィ!! ギギ! ギィィィ……』  
手で頭を押さえながら、地面をのた打ち回る。  
 
何だ? ダレだ? コウヘイって誰だ? この人間は誰だっけ?  
どうでもいいような、大切なような、分からない疑問がぐるぐると頭を巡る。  
助けてくれ、ダレか、助けてくれ、イタイ、痛い、誰か、助けてくれ、ミク、未来? そうだ、  
未来だ、オレは、そうだ、俺は……  
頭痛が、ピタリと止んだ―――  
 
―――思い出した、思い出せた……なんてことだ、俺はなんてことを……  
苦しい、痛い、何で俺は、あんな酷いことを、未来に……  
視界に入ってくる未来は、刀を構えたまま俺にじりじりと近づいてくる。  
殺される。このままでは、確実に殺される。  
逃げようとする体、闘おうとする触手、どちらかの二択を迫られる。  
 
俺は……触手を下ろし、体をその場に踏みとどまらせた。  
これでいいんだ、あんなことをしたんだ、殺されたって文句は言えない。  
 
それに、俺はもう人間じゃない、化け物だ。  
俺はその場に這いつくばり、未来が刀を振り下ろしてくれるのを待つことにした。  
今なら分かる。あの頭痛は、おそらくは俺の、人としての理性が発していたものなのだと。  
未来が近づいてくる、見たくなくとも、嫌でも視界に入ってくる。  
 
肩で息をしながら、俺に刀を突きつける。  
相当辛いのだろう、膝がガクガクと震えている。  
『ギィィ……』  
謝りたかった、許して貰えるとは思わないが、せめて謝りたかった。  
だけどもう、俺の口は言葉を発してくれない。  
刀を握りしめていた未来の顔が、怒りの表情から段々と、驚きの表情へと変わっていく。  
「浩平?」  
『ギィ!』  
思わず反応してしまった、いや、それより、分かったのか? 俺が。  
「嘘でしょ、そんな……どうして? 何で? いや、そんな、いやだよ、そんな」  
上げられていた刀の切っ先が地面に下りる。  
未来が俺だと分かったのは、コレのおかげかもしれない。  
分かっている、自分がどうすべきか、何をすべきか、分かっている。  
 
俺は刀を触手で掴み、自分の頭に押し当てる。  
ゾクリと寒気が走ったが、何とか堪える。  
「浩平、何を……?」  
俺の意図をすぐに察してくれたのか、頭を振って後ずさる。  
「い、いや、できないよ、そんな、そんなことできないよ!」  
できなくてもやって貰わなくては困る。  
今しかないんだ、今しか、このままいけば、俺は俺でなくなる。  
だから今、オレが俺でいられる内に、やって貰わなくては―――  
 
―――この状態がいつまで続くか分からない、今一度、もしそうなったら俺はもう戻れない。  
体は元より、心まで化け物になってしまう。  
俺だって死にたくはない、見たいドラマや映画、読みたい本やしたいこと、行きたい場所、  
告げたい想い、やり残したことは山ほどある。  
でも、でももう、ダメなんだ。自分が自分じゃなくなる、多分これは、死ぬより辛いことだと  
思う。  
そうなったらもっと酷いことをする、それに数だって殖える、それが分かってしまう。  
甦ってくる甘い血の味が、快感を求める衝動が、それらを裏付ける。  
どうしようもない、これ以上は、もう無理だ。  
再び頭痛がし始めた、衝動が大きくなるのを感じる。  
 
「やだ、やだよぉ……できないよぉ……」  
泣きながら、俺に拒絶の意を示してくるが、それでも俺は構わず未来に近寄る。  
 
約束したはずだ、俺に何かあった時はお前が何とかすると、だから頼む。  
あんな酷いことをしたんだ、その仕返しでもいい、嫌なんだ、自分が自分じゃなくなって、  
化け物に成り果ててまで生きるなんて、最悪じゃないか。  
「ごめ、ごめんなさい、浩平、ごめんなさい、私……」  
謝るのは俺の方だ、こんなことまでさせて、最低だ。  
己の欲望のままに、乱暴に、強引に、汚してしまった、許されることではない。  
 
刀の切っ先を頭にあてがう。これが限界だ、これ以上は体が動かない。  
俺の意志とは無関係に体が動こうとする。限界が近づいているのが分かる。  
自我を保てなくなってしまう、そうなったらおしまいだ。  
あの祠が健在だったら、俺はここから出られなかっただろう、でもそれもなくなってしまった。  
ここで止めて貰わなくては、俺は外の世界に解き放たれてしまう。  
そうなったらもう、おしまいだ。  
「何で……こんなことに……」  
絞り出すような未来の声、それに答えることはもうできない。  
「浩平……」  
俺の意志を汲み取ってくれたのか、意を決したように、未来は刀を振り上げた―――  
 
―――泣きたい、泣き叫びたい、でも、俺の目は涙すら流さない。  
ぽたりと、俺の頭の上に未来の涙だろう、熱い水が滴り落ちてきた。  
少女の涙によって、少年の体にかけられた呪いは解け、元の姿に戻る。  
そんな、ありがちなお伽話が頭をよぎる。  
その後に、温かな涙が顔を伝うのを感じて、これで少しは、俺も泣いているように見えるかな。  
と、そんなことを思った。  
 
未来の顔を見るのが辛い。  
自分が望んだこととは言え、やはり辛い、怖い。  
だが決めたことだ、このままでは俺はきっと、また大切な人を傷つけてしまう。  
そんなのは嫌だ、もう嫌だ……  
 
今まであった頭痛が和らぐのに伴って、だんだんと俺の意識が薄れていく。  
いよいよ限界だ、時間がない。刀を振り上げる未来の表情、それを見て俺は、改めて自覚する。  
 
やっぱり俺は、こいつの泣いている姿は、見たくない――――  
 
 
 
――――少し肌寒くなった風が、長くなった私の髪を攫う。  
秋の夕暮れ、茜色に染まる空を眺めながら、峠の脇にあるガードレールに腰を下ろし、  
私は溜息をついた。  
 
あれからどれくらい経ったかのか、傍らに置いた日本刀を見下ろす。  
私は結局、この刀を振り下ろすことができなかった。  
例えどんな姿になったとしても、アレは確かにあいつだった。少なくとも、あの時は……  
 
あいつの前に立った時、漠然とだが、それが分かった、分かってしまった。  
たぶんこの日本刀のおかげだと思う。  
不思議なことだが、これを持っていると、奴らの気配を感じることができる。  
この刀とあの化け物、そしてあの地図に、どんな因果関係があるのかは分からない。  
調べるつもりもなかったし、知ったところでどうなるわけでもない、何より今となっては  
遅すぎるし、そんな暇もない。  
私はあいつを捜して各地を回っている。奴らを狩りながら―――  
 
―――刀を振り下ろせず、泣き崩れる私の前から、あいつはけたたましい叫び声と共に、  
その姿を消した。  
残された私はあいつを捜し回った、声が枯れるまで、何度もあいつの名前を叫びながら、  
山の中をさまよい歩いた。  
そうして、体力の限界だなと感じ始めた頃に、私は警察の捜索隊によって保護された。  
何でも私は、五日間も行方不明だったらしい。  
らしい、と言うのは、私自身は一日か二日程度にしか感じていなかったからだ。  
時間の感覚も分からなくなるほどに、必死だったんだと、今考えると少し笑える。  
保護された時、私は酷い状態だったらしい。  
ボロボロで、擦り傷や切り傷が体の至るところにあって、かなり衰弱していたらしい。  
そんな中で幸いだったのが、私が着ていた服がある程度無事だったことと、途中、  
何度か川に落ちたおかげで、あいつにかけられたモノが洗い流されたこと、くらいかな。  
もっとも、その時の記憶はあやふやで、よく覚えていないのだが……  
 
当然その後は、どこに行ってたとか、何をしていたとか、同じように行方が分からない  
あいつのことを聞かれた。  
私は、あの地図のことも、あの洞窟のことも、あの化け物のことも、話さなかった。  
話しても信じて貰えないと思ったし、私自身、信じたくなかった。  
ただ「はぐれた」「分からない」とだけ答えた。  
大人たちもあまりしつこくは聞いてこなかった。たぶん、私の両親が頼んだんだと思う。  
 
それはあいつの両親も同じだった、私を責めるでもなく、息子のことを聞くでもなく。  
「そのうちひょっこり戻ってくる」  
「うちのバカのせいで、迷惑掛けたね」  
そう言って、むしろ私のことを気遣ってくれた。  
それがありがたくて、悲しくて、申し訳なくて、何度も、何度も、二人に謝り続けた。  
そして私は、後ろめたさを感じながら、日常へと戻っていった。  
 
後悔と自責の念に駆られながら、日々を過ごしていく中で、あるニュースが私の関心を引いた。  
私の住んでいた町の近くで、殺人事件が起こった。  
いや、この時はまだ、事件としては取り扱われていない。  
あまりに残忍な犯行だったため、当初は野犬か何かに襲われたのだろうと、マスコミも警察も、  
おそらくほとんどの人間も、その程度にしか認識していなかった。  
妙にそれが気になったが、私もその時はそう思っていた。  
だがそれからも事件は度々起こり、年が明ける頃には全国各地で起こるようになっていた。  
私はそこで確信した、これはあいつの仕業だと……  
 
私は再び、あの洞窟を訪れた。あれ以来、近づくことすらしなかった、嫌な場所。  
行きたくなどなかった、行けば否が応でも、あの時のことを思い出してしまう。  
それでも、私は行かざるを得なかった、あの場所で手に入れなければならなかった。  
あの時できなかったことをする為に……  
 
洞窟を歩いていると、やはり陰鬱な気分になった。  
ここで、あの時引き返しておけば、あいつの言う通りにしておけば、そんなことばかり  
考えてしまう。  
本当は怖かった。だけど、バカな意地を張ってしまって、一人で進んでしまって、心細くて  
泣きそうになってたっけ。  
でもあいつは来てくれた、私のバカに付き合って、昔からそうだ、文句は言うものの、  
結局は最後まで付き合ってくれる。  
バカだ、本当にバカ、最低のバカだ、私は……  
 
そして私は、あの場所でこの刀を再び手にする。  
あいつの望み、望んだことを叶えるために、今まで果たさなかった、あの時果たせなかった  
ことを、果たすために―――  
 
―――私は再び溜息をこぼした。  
溜息をつくと“幸せ”が逃げるとはよく言ったものだ。  
少なくとも私にとっての“幸せ”は、とうに失せたと言っていい。  
着ているコートのポケットから、タバコを取り出して火を着ける。  
 
吐き出した煙をぼんやりと見つめながら、傍らに置いてある日本刀を手に取り、瞼を閉じる。  
奴らの存在を感じる、それも方々から。  
距離が離れていると分からなくなるのか、それとももう分からなくなってしまったのか、  
あいつの気配は感じられない。  
 
まだ公にはなっていないが、奴らの気配は今や国中に広がっている。  
うまく隠れているのか、それとも隠しているのか、どちらにせよ、私にはどうでもいいことだ。  
べつに私は、人々を守るために奴らを狩っているわけではない。  
私の目的はあいつを斬ること、それだけだ、奴らを狩っていけばいずれあいつの元に辿り着く。  
戦い方はこの刀が教えてくれる。  
奴らと対峙した時、自然と体が動き、どう戦えばいいのかを、体に刻み込んでくれる。  
怖くないと言えば嘘になる。実際、何度か死にかけたことだってある。  
だからといって、逃げ出すわけにはいかない。  
人を喰らい、仲間を殖やす、たぶんこれが、あいつが一番望んでいなかったことだから……  
 
短くなったタバコを踏み消し、私は深く息を吸い込んだ。  
最大の懸念は、私に斬れるかということだ。  
その覚悟ならある、だからこそ私は家出同然で飛び出してきたのだ。  
でも実際にあいつと対峙して、それができるのか。  
この自問の答えはまだ出ない。おそらくその時が来るまで、分からないんだろうな。  
 
なぜこんなことになってしまったんだろう、あいつは私のせいじゃないと言ってくれた。  
でも私があんなもの見つけなければ、あんなバカなこと思いつかなければ、言う通りに  
していれば、もっと早くに想いを伝えておけば、こんなことには―――  
 
―――思わす笑みがこぼれた。  
「……いまさら」  
何を考えているんだろう、過ぎた時は戻らない、起きたことは取り返せない、分かりきって  
いることだ。  
すべては起こったことなのだ、今さらどうにかできることではない。  
なのに私は、いまだにこんなことを考えてしまう、我ながら女々しい限りだ。  
 
刀を竹刀袋に入れ、眼下に見える街を目指して歩き出した。  
気配から察して、あの街には二体いる。  
奴らの繁殖時期は冬から春に掛けて、だからそれまでに始末しておかなければ、その分  
数が殖えてしまう。  
 
そうなると障害が増えて面倒になる、だけど私一人ですべて防げる訳ではない。  
そこが厄介な点なのだが、こればかりは仕方がない―――  
 
―――ふと、空を見上げる。  
終わりは見えない、年が明ければ奴らはまた殖える。  
そうなれば、あいつを見つけることが困難になる、私はあいつの元に行き着くことが、  
本当にできるのだろうか。  
……まあ、なるようになる。なるようにしかならない。  
今の私にできることは限られている、だからそれを精一杯やるだけだ。  
化け物達と戦い続けるのだって、べつにどうと言うことはない、私の日常はとうに終わりを  
告げているのだから。  
むしろこれが、今の私の日常なのだ。  
そう思う、と言うより、自分に言い聞かせている。  
それに、いつまでも私の我が儘に、あいつを付き合わせるわけにもいかない。  
 
あいつを生かせたのは私の我が儘だ。  
あの時、化け物になってしまっても、生きていて欲しい、傍にいて欲しい、私はそう思った。  
その結果が、あいつが恐れていただろう、この事態を引き起こした。  
だから私がやらなければならない。  
何よりもう一度あいつに会いたい、会って謝りたい。  
大切なことを、伝えられなかった想いを、告げなければ。  
それに酷いこともされたんだから、仕返しだってしなくちゃいけない。  
乙女の純潔を汚した罪は万死に値するのだ。  
……一応あれって、あいつに処女を捧げたことになるのかな?  
う〜ん……かなり壮絶な初体験だったなぁ……  
 
頬を何か熱いものが流れるのを感じ、足を止めてそれを指で拭う。  
泣いてしまっていたみたいだ、まったく私は……  
涙を払って、私は再び歩き出す。  
 
泣くのは後回しだ、今はメソメソと泣いている余裕などない。  
果たさなければならないことがある、だから私はあいつに会うまで、この手で終わりにするまで、  
立ち止まるわけにはいかない。  
あいつとの、浩平との“約束”を果たす、その時まで――――  
 
 
 

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