「あ、これカワイイ」
巷で流行中のプニ雄君ストラップを手に取りながら、伊藤澄子が言った。
おかっぱの髪を揺らして友人たちの方を振り向く。しかしどうにも反応が薄い。
「私はこっちの干し首ストラップの方が好みだわよ」
そう言って、目ツキの悪い糞ガキが鼻で笑う。
むぅ、と悔しさをこらえながら、澄子は助けを求めるようにもう一人の友人を見た。
ストレートの黒髪に、冷涼とした表情が映える。清廉な容姿の少女が落ち着いた調子で答えた。
「ふうふうさんにもらった呪いのプニ雄君フィギアがあるんだけど……伊藤さん、いる……?」
その表情はいつもと同じように見えるが、彼女なりの気遣いを含んだはにかみのニュアンスが澄子には感じ取れた。
呆れながらも、柔らかい気持ちになる。
「なんだか私、あなた達との間に見えない壁を感じるときがあるわ……」
この辺りが自称霊感少女との違いか……と、澄子はよく思う。
「ちょっとあれ」
唐突に、目ツキの悪い糞ガキこと須藤みちこが店外を指差した。
「留渦のシスコンバカ兄……じゃなくてお兄さんじゃない?」
みちこの示す方を見ると、留渦のシスコンバカ兄貴が後ろに三つ編みの少女を乗せて自転車をこいでいる。
「なにあれ。彼女ー?」
「最近引っ越してきた岬さんだよ」
留渦はいつも以上に落ち着き払った口調で、短く言い切った。
なんとなく不自然な響きがある。
「やだやだー。どー見ても付き合ってんじゃーん」
小学生のようにみちこが囃した。――もっとも彼女たちも少し前まで小学生だったのだが。
「お兄ちゃんにそんな甲斐性ないよ。鈍感だし」
そう言った留渦の表情は、やはりいつもより冷たい。
「ま、これであのシスコン兄貴も妹離れするかもね」
「ちょ、みちこ、よしなさいよ」
敏感に重い空気を感じ取った澄子が間に入った。なんとなく嫌な予感がする。
留渦の全身から、氷点下の蒸気がドライアイスのように立ち昇り始めているように見えた。
「あの自転車、私のなのに……」
留渦は、少しわざとらしく怒りの理由付けをした。
みちこは納得したようだが、澄子はもっと根の深い話があるような気がした。
日野家では自転車を共同で使っているが、もともとは留渦の持ち物だった。
実際には耳雄が乗り回すことの方が多いのだが、それは留渦にとって別段嫌なことではない。
むしろ、耳雄がペタルを踏む自転車の後ろに乗って、夕闇の街道を走り抜けるのが大好きだった。
兄とペットのサイトーさんの散歩をするのも好きなのだが、それとは違う楽しさがある。
なぜ好きなのか、何か理由がある気がするが、留渦にはその理由が分からない。
ただ、兄が女友達と自転車に乗っているのを見て、何がしかの感情が芽生えたのは間違いなかった。
(変な妖怪に取りつかれたのかな)
留渦はそう思ってすぐ、何でも妖怪のせいにする兄の様子を思い出し、思わずくすりと笑みをこぼした。
「怒ったり笑ったり……」
「なんか今日の留渦ヘン……」
留渦が自宅の戸を開けると、耳雄が玄関で待ち構えていた。
「大丈夫だったか留渦!チカンに遭ってやしないか!」
いつもより激しいお出迎えに、留渦も少し戸惑いの表情を浮かべる。
「何かあったの?」
耳雄は深刻な面持ちで事情を話した。
クラスメートの相原岬が、自宅のマンションのエレベーターで痴漢に襲われたというのだ。
相手が人間ではないということ以外、岬はあまり語ろうとせず、
一日中うわの空で元気のない彼女を自宅まで送ってあげたというのが先程の真相らしい。
留渦は岬を心配するのと同時に、どこか安心した自分の気持ちに気付かないふりをした。
深く考えたくはなかった。
「いたいけな女子に手を出すなんて許せん!」
怒りの炎を燃やす耳雄が今日は特に頼もしく見える。
安心すると、今度は犯人の妖怪に対して怒りが湧いてきた。
留渦も、兄と同じく生来正義感が強いのだ。
「お兄ちゃん。私がおとりになる」
「何言ってるの留渦ちゃん!?」
当然のように、妹の身を案じた耳雄が留渦を説得しようとしたが、押し問答の末、結局は耳雄が折れた。
こういうときは大抵留渦の方が強いのだ。
明日の放課後、場所は岬宅の某マンションで。
不逞のチカン妖怪を退治する算段が立てられていった。
翌日、留渦は岬の住むマンションの前にいた。
その日は土曜日ということで、私服を着ている。
岬が被害があった時刻は夕方17時頃。
妖怪が出ると言われる逢う魔が時だ。大禍時とも書く。
といっても、この世界ではあまねく妖怪変化が日常茶飯に年中無休で溢れかえっているのだが。
岬が被害にあった条件にできるだけ近づくよう、17時を待ってエレベーターに乗ることになっている。
耳雄は先に岬の部屋がある15階で待ち、留渦は妖怪をそこへ誘導する手はずだった。
「留渦……ひどい目に遭わないでくれよ」
最後に見た、兄の心配そうな顔を思い出す。
「大丈夫……お兄ちゃんの妹だもん」
留渦はそう答えた。
17時だ。
留渦はマンションの門戸をくぐり、エレベーターのスイッチを押した。
「オメデト〜〜ゴザイマ〜〜ス」
見るからに下賤な低級妖怪が留渦を出迎えた。
「お嬢さんはこのエレベーターに乗った千人目の女性でございます!!
ささ。どうぞどうぞ!お乗りくださいまし!何階でございましょうか?」
「15階……」
嫌悪感を顔にも出さずに短く言った。
ドアが閉まると、エレベーターの中はむせかえるような獣臭で満たされていた。
妖怪は留渦の柔らかい匂いを吸い込み、息を荒げている。
「お嬢さん千人目の方には私の接吻を…」
「結構です」
最低限の言葉で会話を終わらせるのは留渦の得意分野だ。こういった類の相手は慣れている。
人間妖怪を問わず、留渦の大きく黒い双眸に見られるとまるで自分が汚らわしいもののように思えてしまう。
しかし、妖怪にたじろいだ様子はない。
「ワタクシ童貞なんですが、それについてどー思われますかお嬢さん」
言葉の意味はなんとなく分かった。留渦は答えないようにした。
どう反応しても妖怪を喜ばせることになるからだ。
「お嬢さん……ねぇお嬢さん。髪を食べさせてくださいよお嬢さん」
妖怪は服を脱ぎ捨てると、留渦の肩に手をかけ引き寄せようとする。
「ガン!」と音を立てて、留渦の肘打ちが顔面にまともに入った。
留渦は凛とした眼差しを妖怪に突き刺すが、しかしそれが余計に妖怪を興奮させた。
「ワタクシを足蹴にしてくださ――――い!」
そう叫ぶと、妖怪は留渦の厚手のスカートから覗く白いふとももに抱きつき、押し倒そうとする。
「ご主人様――――!」
留渦の額が壁に強くぶつかった。
しかし妖怪はまるで気にも留めずに、留渦の上に覆いかぶさる。
その時、ようやく留渦は気付いた。妖怪は15階のボタンなど押していなかったのだ。
パンツだけになった妖怪の陰部は、布を一枚隔てただけでは隠せないほどに怒張しており、生々しくその形を露わにしていた。
額からは痛みと共に、一筋の生血が垂れる。
ここに来て初めて、留渦の心中は恐怖の色に染まった。
額からの出血は一見派手に見えるが、さほど出血は多くなく、すぐ止まると何かの本で読んだことがる。
痛みも強くはない。
ここで折れてはいけない。気持ちを強く持たなければならない。留渦はそう強く念じた。
そうは思うものの、エレベーターのボタンを押そうにも、体重をかけてのしかかってくる妖怪を押しのける力は留渦にはない。
妖怪は激しく腰を振りながら、衣服ごしに陰部を留渦の身体に押し付けてくる。
硬く、体温の熱を感じるそれに、留渦は不快感しか覚えなかった。
と、そこで突然妖怪が留渦から身体を離した。とはいえ興奮が収まったという様子はない。
留渦は床に倒されていた上半身を起こした。腰から下はまだ床に着いたままだ。
妖怪は、そこで最後の衣服を脱ぎ捨てた。
屹立した赤黒い男根を、誇示するように留渦の顔に近づける。
一尺はあろうかという長柄に、いやらしいイボがいくつも付いており、根元は犬科動物のそれのように大きな瘤状になったいた。
生臭いにおいが鼻を刺す。
「さあお嬢さん。その小さな可愛らしいお口にワタクシのものを含んでください!」
留渦は目の前の光景を整理することに精一杯で、その言葉も聞こえてはいるものの、頭の中に入ってこない。
昔、兄と一緒にお風呂に入っていた頃のことを思い出したが、目の前にあるのはそんな可愛らしいモノではない。
「ところでお嬢さん。名前を教えてくださいな」
その言葉で、留渦は我にかえった。
だが、こんな妖怪に素直に答える必要はないと思う。この妖怪が喜ぶことは何一つしてやりたくなんかない。
留渦は沈黙を続ける。
不意に、妖怪は無言で自らの一物を留渦の頬に叩きつけた。「バチン!」と大きな音が響く。
これまでの人生、ほとんど手を上げられたことのない留渦にとって、妖怪の攻撃は非常に大きな成果を示した。
悔しくて、ショックで、留渦の目に涙が滲んだ。これ以上の汚辱はない。
これまで慇懃無礼とはいえ言葉を選んでいた妖怪の態度の豹変に、留渦はまた恐怖を覚えた。
「さぁお嬢さん、名前を教えてください」
「る……留渦」
恐怖に屈してしまった。耐えようのない屈辱に、自らを責めたくなる。
妖怪は、ぐいと留渦の頭を押さえこみ、醜い陰茎を口元に押し付ける。
頑として口を開かない留渦にしびれを切らし、妖怪は留渦の鼻孔を無理やり押さえつけた。
息苦しさに思わず口を開いた瞬間、ついに留渦は男根の侵入を許してしまった。