そういえば、あたしは操の事をあんまり知らない。  
どこに住んでるとか、何をやってるとか。  
ただ、隣町出身で同じ年で後はよく知らない。  
国立文系コースにいるという話は聞いていたので、多分そろそろ受験勉強なのに、そんな話も聞かない。  
知ってるのは携帯電話の番号くらいだ。  
でも、操も同じくらい自分のことをしらない、とそう思ってなんとなく溜め息をつく。  
操と出会ったのは病院だ。暑い夏の日、妹の見舞いの帰り。喫煙所に座って、タバコを吸おうとしたら、火がなくて、隣でタバコを吸っていた人に火を借りた。それが操だった。  
 
 
それから1ヶ月くらいたって、また喫煙所で操に会った。ふっと視線がかみ合って、軽く会釈する。  
それからまた1ヶ月。もう一度、会った。  
「よく…お会いしますね」  
操から話しかけられた。  
「ぁ、、ああ 」  
 
「お見舞いかなにか?」  
 
「ああ、妹の…ずっと入院してるんだ…あんたは?」  
 
「…兄の、見舞いに」  
交わした会話はそれだけ。そしてまた1ヶ月後、操に会った。  
「おなか、空きませんか?」  
また始めに話したのは操だった。  
「え?」  
 
「この近所においしい定食屋があるんです。どうです、一緒に」  
そういえば、おなかが空いている。  
立ち上がった操を見上げると彼女はふんわりと笑った。  
「私は、操っていいます。青山、操。あなたは?」  
 
「、、サキだ」  
自分をレズだとか思ったことはない。普通に男と恋愛してきたし、セックスもしてきた。  
で、なんでこういうことになってるのか、と言われると困る。  
どうしてこんなことやってるんだ、言われてもそうなってしまったものは仕方がない。  
自分は操のことを好きなのか、と考えてみて、でもよくわからない。  
初めての夜、もちろん上手くなんかいかなくて、  
でも、操の苦しそうな顔がとても綺麗で。じんわりと目元に涙をためた操が小さなかすれる声で自分を呼んで、それだけでぞくぞくと背筋になにか寒気みたいなのが走って、あっけなくそれは終わった。  
服を着ながら、後悔しないの、と操に聞いたら操はゆっくりと首を振るから、どうしてこんなことになったのかなんて考える暇がなかった。  
 
 
それからの二人は、きっと恋愛をしてた。  
断定出来ないのは、それが長く続かなかったから。  
でもはっきり言える。この一週間だけは『愛』や『恋』なんて単語を言葉に出しても、全然恥ずかしくなかったと。  
 
 
 
 
―――――――――。  
 
 
 
 
「ふぅぅぅっ……」  
病院内の喫煙所。  
有害毒素を体内に取り込み、薄曇った空気に変えて口から吐き出す。  
長い目で見れば自殺行為と同じだ。  
……けど、  
「火……もらいますね?」  
その時は感謝してた。  
「ああ……」  
私と操を繋ぎ合わせたのは、紛れも無く一本のタバコだったから。  
「ん、んー。私には少し強いかな?」  
私のタバコからの『火移し』で吸ったのは、私が初めて買ったヴァージニア。  
「そうかい? あたいには調度良いけどねー」  
操はケホケホと時々咳き込みながらも、フィルターギリギリまで吸い切った。  
健気、だね。今度からは軽いヤツを買おうか?  
「で、今日はどこに行くんだい?」  
二人で病院に見舞いに来て、二人で並んでタバコを吸って、二人で遊びながら帰る。  
馬鹿な親父の顔を見るよりも、よっぽど有意義な時間だった。  
「うーん……そうですねぇ」  
左手の人差し指を口元に当てて目を瞑(つむ)る。  
操が考え事をしてる時のポーズだろう。  
そんな何気ない一つ一つの仕草さえ、とても愛しく見えていた。  
だから私は返答も聞かずに、  
「操……」  
唇を重ねた。  
「えっ? んっ…………」  
私が女として足りない部分は、全部操が持ってると思った。  
だからこんなに惹かれる……  
だからこんなに焦がれる……  
「んっ、はぁ……ありがとうございます」  
長い、接吻が終わった。  
「はっ? 礼なんていらないよ」  
操の紅潮した顔を眺めるだけで、あたいの体温も高まった気がする。  
自分の事ながら、こりゃあ重傷だねぇ。  
「えっとサキさん? アイス……食べに行きませんか? 駅前にね、移動販売のアイス屋さんが今日来るんです」  
アイス、ねぇ。  
「駄目……ですか?」  
操の表情が一気に不安に満ちる。  
少し応えに遅れただけで、声のトーンが一気に上下した。  
それだけであたいは……  
「いいよ。たまにゃ甘いモノでも食べに行こうさね」  
 
「はいっ!」  
 
 
詰まらない世の中からも救われた気がした。  
 
 
二人で歩道を歩きながらアイスを食べた。  
 
「へぇー、けっこう美味しいもんだね」  
ソフトアイスを食べ終え、率直な感想を言ってのける。  
「でしょ? 私のお気に入りなんだよー」  
操も最後の一口を食べて、にっこりと微笑む。  
「今が十二月でなきゃ、もっと美味く感じたかねぇ?」  
街はクリスマスイルミネーションに彩られ、年に一度のメイクアップを遂げている。  
「……すみません。寒かった……ですか?」  
操はあたいの左腕に身を寄せて、微かな隙間も空けない様に両腕でしっかりと抱いて居る。  
あたいの鼓動は操に聞こえて、操の鼓動はあたいに聞こえて。相乗効果で心拍数は更に上昇。顔は紅潮し、身も心も暖かく。  
「これから、どうするんですか?」  
操はあたいの上腕に頭を預けながら、ショッピングビルの液晶モニターで『2時30分』と言う時刻を確認して、信号待ちの次行動選択を促す。  
「ん……操は行きたい所とか有るかい?」  
二人で同色の黒いダウンジャケットを羽織り、病院を二人で出たのが1時半。そこからセンター街でウインドウショッピングをしてアイスを食べ、長い信号待ちの今に至る。  
「私は……サキさんと離れなくて済む所だったら、本当にどこでも良いんです」  
あたいの顔を上目で見つめ、離れたくないと願う操の顔は、焦がれる程に愛しく思えて……  
「操と離れるなんて、考えもしなかったよ」  
甘ったるい台詞を囁き、微笑んで操の瞳を見つめ返す。  
「サキ……さん」  
操は潤んだ瞳を静かに閉じて背伸びをし、  
「操……」  
あたいも僅かに顔を下げ、操の頬に右手を添える。  
 
「好きだよ」  
 
それに今まで言えなかった告白を加えて、  
 
「「んっ……」」  
 
再び唇を重ね合った。  
温もった声さえも重なる、とても神聖で、禁忌とされる行為。  
横を通り過ぎて行く視線を気にせず、気にならず、時間さえも止めて、二人だけの世界で愛を唄う。  
「っ……はぁ………信号、また赤になりましたね」  
惜しむ様に唇の重ねを解き、あたい達は揃って目立つ赤を見る。  
「まっ、ゆっくり行こうさね。まだまだ今日は長いよ」  
そしてあたい達は幸せな時を歩む……………………筈だった。  
 
もう三日……  
もう三日も、見舞いに行ってない。  
別に……専属の看護婦が居るから行かなくても良いんだけど…………ってね。妹は、私が見舞いに来るのを楽しみにしてるって知っているのに……こんな最低な考えばかりが浮かぶ。  
操の家族は退院した。  
だから操は病院に来ない。  
あたいが病院に来て居る間は、操と会えないんだ。  
 
今は、その僅かな時間さえも惜しい。  
だからもう三日……家にすら帰ってない。  
友達の家に泊まると言って、もう三日だ。  
学校へ行き、ツマらない授業を受けて、操と二人で昼ご飯を食べる。  
コインランドリーで洗濯して、銭湯に二人で入って、ネットカフェで眠った。  
あたいはそれで満ち足りてた。  
二人合わせても所持金は2万円以下。二十日も保たない。  
そんな事は二人とも分かってた。  
操はあたいに「今までのサキさんで居て」と口癖の様に言うが、そんなのは到底無理な話し。  
家族よりも側に居たい。  
家族を捨てても操を側に置きたい。  
たったそれだけの事に、あたいの思考回路は埋め尽くされた。  
操もきっとそうだと……  
あたいと同じ考えだと、ずっと信じていた。  
 
だからあたいは…………  
 
「ねぇ、操……」  
学校の屋上。ベンチに二人並んで座り、授業時間が終わるのを待ってた。  
「何ですか」  
二人で手を繋ぎ、二人で缶コーヒーを飲み、二人で身を寄せ合って暖め合う。  
 
「二人でさ……暮らさないかい?」  
視線は冬空を見つめて口に出す。  
「ふふっ。今も二人で暮らしてるじゃないですか?」  
操は幾分驚いた顔で、あたいの横顔に視線を送った。  
「あたい学校ヤメるよ。働くからさ……どっかに部屋でも借りようさね?」  
あたいは依然と冬空を見つめ続け、頭で整理した言葉から吐き出して行く。  
この時は操も同じだと、  
操も私と同じ気持ちだと、  
二人でなら何とかなると、  
本気でそう思って居た。  
 
でもそんなモノは、あたい一人だけの願望でしかなかった。  
 
「ほら……あたいもさ、黙ってればイケてると思わないかい? 水商売でもやれば稼げると思うんだ」  
そう……どんな仕事だって良い。この幸せを手放したく無いんだ。操には隣りで笑ってさえ居てもらえれば、それだけであたいは……  
なのに、  
「サキさん……ダメ、ですよ」  
目を伏せて返して来た操のセリフは、明らかな拒絶だった。  
「サキさん確かに綺麗ですけど、黙ってたら仕事にならないですよ。それに、未成年なのに水商売なんかしちゃダメです」  
操は寄せていた体を離して立上がり、目前で微笑みながらあたいを見下ろす。  
「何とかするよ! 言葉使いだって直してみせ……」  
 
「ダメッ!! っ……ですよ。だってサキさん笑顔で言ってたじゃないですか!? 大切な妹が居る、大切な家族が居るって!! 嬉しそうに……そう話したじゃないですか?」  
あたいの言葉を遮ったのは、初めて聞く操の大声。初めて見る操の悲しみ。どこで、間違ったんだ?  
「あたいは……」  
頬が冷たい。  
そりゃそうだ。  
空はこんなに明るいのに。  
今年の初雪は降って来た。  
あたいの身体に触れて体温を奪い、二人の関係さえも冷え切らせて行く様。  
「操さえ居れば、他に何もイラナイんだ。だから……」  
もう遅い。  
もう手遅れだ。  
家族と操を天秤に掛けても、取り繕い無くアンタが勝っちまってる。  
だから……そんな泣きそうな顔をするんじゃないよ。  
「サキさんの気持ちは良く分かりました。また明日ここに来てくれませんか? その時に『どちらにするか』答えます」  
明日、何となく断られるのが分かる。  
「ああ、それで良いよ」  
話しは終わりと踏んで、すぐに操は一礼して帰って行った。  
ヒラヒラと雪が舞う屋上。  
三日振りに一人になる。  
「ははっ、操もバカだねぇ。あたいが手放す筈ないのにさ」  
耐えられない。  
一人は耐えられない。  
満たされたのは、操が初めてだった。  
抱かれたのは初めてじゃないけど、愛されたのは初めてだったんだ。  
「操、どうして……」  
冷感の増す空を仰ぐ。  
でも今は『それ』で良い。  
あたいの『本気』を見たら操の考えも変わる筈さね。  
「さぁて」  
ベンチから起立してグッと伸びをし、落ち込んだ思考に喝を入れる。  
 
「退学届って職員室で貰えるのかねぇ?」  
 
 
操を初めて抱いた夜。愛された夜。後悔しないと言ってくれた。  
家族意外であたいを必要としてくれた初めての人だから。  
損得無しであたいの側に居てくれる初めての人だから。  
 
そんな人と別れられるか?  
「そんな事……」  
出来るわけがない!  
ならどうする?  
「操と一緒に居たい……」  
なら?  
「どんな姑息な手だって使ってやるさね」  
 
放課後。  
約束の時間。  
上るべき階段は全て越えた。  
後は扉を開けるだけ。  
屋上へ出るドアノブをひねるだけだ。  
そうすれば操が居る。  
「大丈夫、きっと上手く行く……」  
あたいの『本気』を見れば、あたいの『左手に有るモノ』を見れば、きっと操はあたいの側に居てくれる。  
この『退学届』を見れば、必ず罪悪感を持ってくれる………………ってね。  
最低だね私は。とうとう落ちる所まで墜ちた。  
「はっ、親父の様にはなりたくないって……思っていたんだけどねぇ」  
クズの子は、所詮クズか。  
「さて、と」  
でもまぁ、操が側に居てくれるならクズも悪くない。  
「気合い入れて行くかね!」  
右手で軽く自身の頬を張り、流れてドアノブを握り掴む。  
 
……大丈夫だ。  
言い聞かせる。  
 
……きっと大丈夫。  
何度も何度も。  
 
……操があたいを好いていてくれるなら、きっと大丈夫だ。  
軽い自己暗示の様に。  
 
「待たせたね操ッ!!」  
屋上への扉を開けるのと同時、あたいは自分が出来る最高の笑顔と共に、愛する彼女の名前を呼んだ。  
 
ああ、  
ああ……  
嗚呼…………  
あたいの笑顔は凍り付く。  
「みさ、お?」  
微かに降り積もり冷感の残る屋上。  
操は確かにソコに居た。  
「遅いですよサキさん」  
でも、  
「操、アイツがサキか?」  
一人じゃなかった。  
私と正反対、扉から真正面の最奥のベンチに二人は座っていた。  
昨日、あたいと操が座っていた様に、ソイツと操は身を寄せ合って座ってた。  
「操ッ! どう言う事だい!?」  
アイツは見た事が有る。  
クラスが違うから曖昧にしか分からないが、同学年の……『轟』とか言ったっけ?  
クソッ! 触るなよ……汚い手で私の操に触るなッ!!  
「どう言う事も何も、こう言う事ですよサキさん♪」  
あたいは屋上入口の前から動かない。動けない。操の一言一言に体動を封殺されてた。操は……笑ってた。  
「病院で私、兄が入院してるって言いましたけどアレ嘘です。彼をお見舞いしに行ってました。もう、付き合って一年になるんですよ」  
何を。  
「まっ、そう言う事だサキ。悪いが諦めてくれ」  
何を、諦めるって言うんだいッ!!  
強く目を瞑り、歯を食いしばり、拳を握る。  
グシャリと、潰された『紙切れ』の音が鳴る。  
「操……後悔しないんじゃなかったのかい?」  
頭は悶える程に熱いのに、口から出て来る言葉は自分でも驚く程に冷めたものだった。  
「あはっ、何か最近の男の人って、処女だと引くって言うじゃないですか? だから近くに居た人に上げちゃおうかなって思っただけですよ。そしたら何か情が沸(わ)いちゃって、今までダラダラ来たってだけです」  
操はまだ笑ってる。  
「それに私はレズじゃないですよ。ちゃんと男の人が好きなんです」  
笑ってる。  
そして笑いながら轟の顔を両手で挟んみ、勢いを付けてキスをした。  
轟は……驚いてた。  
「ははっ、そう言う事かい? 操、アンタの気持ちは良く分かったよ」  
左手の紙切れを目の高さまで持って来て、半分からビリビリと破く。  
重ねて、また半分から破く。  
重ねる。破く。ビリビリ。  
細かく、何度も、重ねて、破く。  
あたいだって女が好きなんじゃない。アンタだから好きになった。  
「じゃあ、さよならだね操」  
終わりを告げ、粉々になった紙切れを冬空へ放り投げる。  
一瞬で風がさらい、この街のどこかへと飛んで行った。  
後はあたいが屋上から消えるだけ。  
「待ってサキさん!!」  
爪先を扉へと返した時に、操から声が掛かる。あたいが聞いた、二度目の大声。  
操へと……向き直す。  
 
「ゴメン、轟君……」  
 
「ああっ、気にすんな」  
短いやり取りの後に二人は腰を上げ、轟だけがあたいに近寄って来る。  
いや、近寄って来るってよりも。  
「ありがとなサキ」  
擦れ違い様にボソリと呟いて、轟は屋上から出て行った。  
 
これで二人。  
昨日と同じ。  
一分間の静寂。  
そして、それを壊すのは私。  
「操……一つだけ約束してくれるかい?」  
あたいは操を見詰めて言葉を掛け、  
「内容にも、よりますよ」  
操はあたいを見詰めて返答した。  
「絶対に幸せになりな! 全力で幸せを掴む事……良いかい?」  
結末の言葉を話し、あたいは再び目を瞑る。今度はゆっくりと、操の姿を瞳に焼き付けながらフェードアウトさせる。  
「当たり前な事、言わないで下さい」  
足跡が近付いて来る。きっと轟と同じに屋上を出て行くだろう。  
だから、擦れ違う瞬間に最後の台詞を言ってやる。  
「さよなら、サキさん」  
隣りで操の声が聞こえたから、  
「操……職業を選ぶ時に役者だけはヤメときな。アンタ、全く向いてないよ」  
皮肉混じりにこう言ってやった。  
「ありが、とう……サキさん」  
このくらいは許される筈さね。  
「んっ……」  
左頬に暖かい感触。  
操からの最後の……  
 
「くッ、早く行っちまいな! 気が変わるだろッ!!」  
一呼吸置き、  
錆び付いた音を立てて、  
扉が、  
閉じる。  
そっか……今まで開けっ放しだったんだ。  
なら大丈夫だね。  
校舎の中には一切聞こえない。  
「えぐっ……」  
だから、  
 
 
 
「うわぁぁぁぁぁぁぁんっ!!!」  
思いっきり泣こう。  
 
 
何時間そうしていたのかさえ忘れた。  
唯々(ただただ)……  
疲れた……  
こんなに疲れたのは初めて。  
こんなに泣き疲れたのは初めてだよ畜生!  
「……ったく、これからどうするかねぇ」  
屋上で一人泣き疲れた。  
泣き過ぎて涙も涸れた。  
一つ溜め息を吐いて空を仰ぐ。夜空に在る月は、あたいだけに光を降らせている様に優しい。  
「取りあえず、家に帰ってみるかね?」  
冗談にならない寒さになって来たから、いい加減にしないと風邪を引く。  
「えぇと……」  
手探りでドアノブを掴んで握り、校舎の中へ続く扉を開け、  
「さよなら、操……」  
誰も居ぬ屋上へと別れの言葉を残す。  
そしてあたいは、帰路の道を歩む。  
……階段を下る。  
それにしても、やっぱり操は役者に向いてない。普通、一年も付き合ってる奴が名字で相手を呼ぶか? 呼ばないだろう。  
それに轟にキスした時も、轟は驚いてた。それは「ここでするな」とか、そんな事ではなくて、『打ち合わせに無い事』をされて驚いてる感じだった。  
……靴を履き替え、昇降口の鍵を内側から開ける。  
それに本人は気付いてたか分からないけど、決め手は操の…………まぁ、操の強い意志だけは伝わって来た。どっちにしても、あたいは振られた訳だし。  
……校門の柵を飛び越える。  
あたいより、操の方が大人だったんだ。「水商売する」何て言ったけど、冷静になって考えれば分かる話しだ。  
高校中退した小娘が、勢いだけで出来る仕事なんて有りはしないのに。  
どーせ最後は、二人揃って睡眠薬心中さ。  
……緑に変わった横断歩道を歩く。  
操と居ても幸せにはなれなかった。  
そう思おう。そう思わないと悲し過ぎるよ。  
明日からは違う自分になろう。ずっと側に居てくれる人を見つけて幸せになる。止まっている時間を動かさないとね。  
……残り百メートル弱の家路。  
そこで異変に気付く。  
「誰か、居る?」  
家の表札の前に、誰か立っている。  
知ってるさ。あたいが一番『ソイツ』の事を……  
ソイツも気付き、あたいに駆け寄って来る。  
「お帰りなさい、お姉ちゃん!!」  
もう出ないと思ってたけど、涙は……まだ出るもんだね。  
「カラダ、良くなったのかい?」  
喉を絞り、潰れそうな声を出す。  
「うんっ! だからね、お姉ちゃんに元気な姿を見せたくて待ってたんだぁー」  
外は吐息が見える程寒いのに、あたいに姿を見せたいだけで待ってる。  
「はっ、風邪引くよ。家に入んな」  
あたいが外泊の電話を入れなかったから、今日は帰って来ると思ったのか?  
こんな妹を放ってなんか置けない。  
それを止めない親父も放って置けない。  
身体の弱い母なんか尚更に放って置けない。  
「お姉ちゃん……私、お姉ちゃんを大好きだから、急にいなくならないでね?」  
まったく……思った矢先に心配されてたら世話ないね。  
「はいはい。分かった分かった」  
妹の華奢(きゃしゃ)な身体を、背中に右腕を回して抱き上げる。  
しばらくは……家族を大切にしてみるさ。  
「あれ、お姉ちゃん泣いてるの?」  
無言のまま、あたいは空いてる左手で妹の頭を撫でる。  
はっ、妹の顔を見て安心したのかね?  
――――涙が、止まらないや。  
そしてそれは……  
月明りの雨に濡れて、きっと輝いてる。  
 
 
放課後の教室。二人だけの教室で、私はずっと泣いてた。  
 
「あのな操。俺に『した』時から泣いてたから、たぶんサキには全部が演技だってバレてるぞ?」  
私が座ってるのは、窓側の前から二番目の私の席。  
そして前に座るのは、『クラスメイト』の轟君。私の演技の手伝いをしてくれた人。  
「バレてても良いの。それぐらいでないと、サキさん引いてくれないから……」  
 
轟君は目を閉じて唸り、理解出来ないって表情をしてた。  
「俺には女同士……同性同士ってのは分からんがな。何でサキを好きになったんだ?」  
サキさんを、好きになった理由……  
「私のお兄ちゃんが、入院してたの知ってるでしょう?」  
それは病院で。  
「ああ……数日前に癌(がん)で亡くなったんだよな?」  
去年、事故で両親が死んだ時に、二人で生きて行こうって誓ったのに。  
「そっ、末期癌だったんだって。嫌になっちゃうよね? お兄ちゃんと私の二人しか家族が居ないのに、勝手にいなくなっちゃうんだもん……」  
視線を窓越しにスライドさせて真紅に栄える夕日を覗く。  
「んっ、それでね。その時に妹の見舞に来てるサキさんを見付けたの」  
もう夕方。サキさんは、まだ屋上に居るのかな?  
「サキさん……妹を、家族を、とても大事にしてた」  
他人の私が妬けるくらいに毎日、まいにち、お見舞いに来てた。  
「だからサキさんに好きになって貰えれば、私の事も大切にしてくれるかなって思ったの。それが切っ掛けかなぁ……」  
お兄ちゃんが死んで一人になった私の事も、サキさんならって。  
「そっか、お前も大変だな」  
けど、上手くは行かなかった。私が子供に成り切れなかったから、二人の関係はそこで終わった。  
でも……それで良い。  
「私、頑張って轟君の事を好きになるから」  
 
昨日の朝、ホームルームの前に轟君に告白された。  
そして今日、その好意を利用した。  
私も多分、轟君なら好きになれるから。  
だから、協力してもらった。  
「あ、ああ……昨日の答えか?」  
帽子を深くかぶり直し、暗くなり掛けて僅かにしか見えないけど、轟君は赤くなってる。  
ちょっとカワイイと思う。  
だから……  
「そう。だから轟君も私の事を……幸せにしてね♪」  
もっと赤くしてやろう。  
 
 
エピローグ  
 
数か月が経ち、私達は学年を一つ上げた。  
そして今日は、  
「はぁっ、はぁっ、やっぱり、サキさんには勝てませんね」  
組対抗の運動会。  
徒競走で私とサキさんは一緒に走った。  
結果は、大差で負けたんだけど。  
 
「……ったり前だろうさねっと!」  
サキさんはゴールライン過ぎで私に並ぶと、不意に私の首に右腕を掛けて来た。  
「操、幸せかい?」  
私にしか聞こえぬ様、小さな声でしっかりと囁く。  
 
…………考えるまでもない。  
三度も深く呼吸して息を整え、  
「はい!」  
嘘も偽りも無い、私の本心で答える。  
「そっか……なら良いんさね」  
サキさんは瞼(まぶた)を閉じて小さく笑い、自分の組へと戻って行った。  
二人で交わした、『絶対に幸せになる』って約束。今は二人を繋ぐ絆になってる。  
太陽の祝福はとても暖かくて、凍っていたあの時を溶かし、ここまで導いてくれた。  
「なぁ、何を話してたんだ?」  
遠くで私とサキさんのやりとりを見ていたのか、心配そうな顔で彼が駆け寄って来る。  
……やっぱりカワイイなぁ。  
 
 
 
 
大丈夫。  
あの契りは、これからもずっと守られる筈……  
 
 
 
 
だって隣りには……  
「えへっ、内緒だよーん」  
 
太陽よりも暖かい、あなたがいるから。  
 
 
 
 
   〜END〜  
 
 

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