――朝。目が覚めると同時に、まず眼に飛び込んできたものは、木で出来た床板と、その上で膝を折っている自分の脚だった。  
 起き抜けでボンヤリとした意識の中、どこかそう遠くないところで小鳥達がチュピチュピとせわしなく鳴いているのを耳に感じる。  
 ゆっくりと顔を上げ、まぶたに残る眠気のせいで定まりきらない視点で辺りを見回すと、そこにあったのは床と同様に木で作られた壁と、中身の知れないズダ袋と木箱が数個。  
 少ない判断材料を元に、未だに覚醒しきってない自分の意識が、今居る場所が小屋か何かの建物の中である事を、おぼろげながらに告げてくる。  
「…あれ……?」  
 昨夜眠りに付いた場所は、どことも知れぬ森の中だった。目覚めたばかりの血の廻りが不十分な頭でも、そこまではすぐに思い出す事が出来た。  
 しかしそのせいで、今の状況との明らかな差異が頭を酷く混乱させる。中途半端に渦巻く思考が、頭に鈍い痛みを与えてくる。  
 とりあえず、正面の壁には扉と思わしきものが備え付けられており、そこから表に出る事は出来るようだった。  
 左右の壁に付いている明り取りが十分に開ききっていないせいで、その扉が押し戸なのか引き戸なのかすら解らなかったが、位置的に多分間違いないだろう。  
 まず表に出て、朝の新鮮な空気を吸い込んでから思い出そう。そう思い、立ち上がろうとしたところで、  
「…痛っ!?」  
 突然、手首を何者かに強く引っ張られたかのような感覚が襲い、同時に感部に鋭い痛みが走った。  
「え、何…!?」  
 そこで初めて自分の手首が後ろ手に縛られている事に気付き、それまで寄りかかっていた背後の物体に驚きながら眼をやると、  
 勝手に壁だと思い込んでいたそれは実は太い柱であった事が判明し、同時にそれに結わえられているロープに自分の手首が括り付けられている事に気付く。  
「え…えぇ……?」  
 立て続けに起こる混乱の中、沸々と込み上げてくる焦燥感に駆られ、とにかくこの良く解らない状況から抜け出そうと、手首を動かしロープから抜け出す事を試みる。  
 しかし、麻か何かの荒い繊維で作られているらしいそのロープは、軽く引っ張るだけでも肌に深く食い込んで、手首に激しい痛みを与えてくる。  
 結び目の部分も一見して解るほどガチガチに絞られており、未だに混乱している頭でも、抜け出す事は到底不可能だと言う事実に気付くのにそう時間はかからなかった。  
 誰かにこのロープを解いてもらわないと、自分はこの小屋からは絶対に抜け出せない。  
「…もしかしてあたし……捕まってる……?」  
 ようやく平静を取り戻した思考が、自分の今の状況をそう結論付ける。  
「……草太は……? 赤ずきんは…? 白雪は?」  
 もしかしたら一緒に捕まっているのでは無いかと思い、旅仲間の姿を求め薄暗い小屋の中に視線を這わせる。  
 しかし最初に確認した通り、今この空間に居るのは間違いなく自分だけらしかった。そして同時に、忘れ去っていた大変な事態に気付く。  
「…そうだった。あたし、また皆とはぐれちゃったんだ……」  
 どこまでも無責任に広がるファンダヴェーレの大自然は、都会育ちの自分にとっては縦横無尽に張り巡られた迷路と同じであった。  
 誰か、先導してくれる仲間と一緒に居る間はまだ大丈夫だった。しかし、少しでも足並みを乱し、仲間の姿を見失ってしまったら最後。自分は迷子どころか遭難者と化してしまう。  
 以前皆とはぐれた時から、その事は自覚していたはずだった。けれどやはり、旅慣れない自分の足は思うようには進んではくれない。  
 
「草太も…皆も……心配してるだろうな…。」  
 実に一晩もの間、皆と逸れているのだ。草太も赤ずきんも、きっと血眼になって自分を探しているに違いない。  
 この小屋が自分の居た森からどれだけ離れているかは解らないが、もしかすると、このままここに居ては永遠に皆の目に止まる事は無いかも知れない。  
 自分を捕まえた人物がいつここに舞い戻ってくるか解らないのだし、やはりここは、自分一人の力で抜け出す事を考えるべきだろう。  
「何か、ロープを切れるものは……」  
 都合よくナイフの一本でも転がっていれば幸い。あるいはビンか何かでも良い。  
 足を使ってそれを手繰り寄せて、どうにか自由に動かせる指で拘束しているロープを切る事ができる。  
 まさかここファンダヴェーレで、そんなサバイバル地味た試みをする羽目になるとは思わなかったが、とりあえず必要な事であるのは間違いない。  
「あ、あれ使えないかな…?」  
 やがて視界の端に缶詰の様なものが転がっているのを見つけ、そろそろと足を伸ばして手繰り寄せてみる。  
 上手くつま先が缶詰の側面に掛かり、コロコロとこちらに転がってくる様子を見て、思わず表情が緩む。  
 缶詰の切り口を利用すれば、時間は掛かるであろうものの恐らく縄を切る事ができる。  
「後は蓋を開けて…と。」  
 膝元まで寄ってきた缶を足を使って上手く挟み込み、手元に移動するために手繰り寄せる。  
 白雪に見られたらはしたないと罵られる様な体勢になっているが、これも必要な事であるのは間違いない。  
 と、そこで。  
「…え。」  
 自分の太ももの下辺りをずりずりと押し通っている最中の缶詰の、ラベルの部分に意識が集中する。  
「……お、おでん……?」  
 おでん。確かにそう書いてある。絵柄の部分にも、おでんと思しきものがプリントされている。  
 ファンダヴェーレにおでん。いや、おでん缶。違和感を覚えるどころか、ちぐはぐ感爆発である。  
「え、や、ちょ、ちょっと待って……」  
 口からこぼれ出る間抜けな独り言に自分で可笑しさを感じつつ、嫌な予感を感じ缶詰が転がっていた辺りに目をやってみる。  
 そこには、薄汚れた黄色い、とても大きな鞄が。ズダ袋に紛れて、無造作に置かれていた。  
「ま、まさか……」  
 おでん缶と黄色い大きな鞄。ついでに、鞄の口から飛び出した黒い傘。  
「あたしを捕まえた奴って……」  
 とある良く見知った人物の顔が、マッハのスピードで頭に浮かび上がってくる。  
「もしかして……………」  
 そこで突然。  
 
「ただいまにゃ!」  
 正面の扉が勢いよく開き、朝日の逆光をバックに猫の様なシルエットを浮かび上がらせつつ、何者かがそこに現れた。  
「んん? お前、起きてたのかにゃ。」  
 緑の帽子にややダボっとしたズボン、そしてどこか情緒を感じさせるツギハギだらけの長靴を履いたその人物の名は…  
「ラ、ランダージョ…!」  
「ほほ〜う、我輩の名前を覚えているとは感心感心。」  
 小屋の中へと歩を進めながら、猫の魔族はそう言って顎に手を当て満足そうに頷いて見せた。  
「兄さん、逆に覚えられてない方が寂しいですぜ。」  
「そうだよね…。」  
 その後ろから彼の仲間の魔族が3人、小屋の中へと入ってくる。  
 最初に甲高い声でランダージョに突っ込みを入れたのが…確かアレクトールと言った名前の、鶏の魔族。  
 彼に気だるげな声音でに同意してみせたのが、犬の魔族で……名前はカーネで合っていただろうか。  
 そしてその二人の後ろから、扉を手狭そうに潜り抜けて入って来たのが馬だかロバだかの魔族。  
 頷きと共に、喉の奥から搾り出す様な重低音の声を出したこいつの名前は…………多分、エセルで良かったと思う。  
「それを言っちゃぁお終いだにゃぁ。でも我輩、エルデの人間に名前を覚えて貰えただけで何と言うかこう、今までの行いが随分と報われたようにゃ気が…」  
「そう言うもんなんですかコケ?」  
「お前達も我輩と同じ目に遭って見れば解るにゃぁ。軽く見積もっても我輩、お前達の10倍は苦労しているはずにゃ。」  
「…ってちょっと、コラぁ! あんた達!」  
 何やら良く解らない苦労話を始めたランダージョの話を遮り、苛立ちに任せて声を張り上げる。  
 自分をこんな目に遭わせている奴の正体が、よりにもよってこいつらだったと言う事が何だか妙に腹立たしかった。  
「にゃ、にゃにゃぁ…?」  
「にゃにゃぁじゃ無いゾ! いったいどう言うつもりで、あたしをこんな所に閉じ込めてたわけぇ!?」  
「その答えは簡単だコケ! お前を人質にエルデの鍵を渡すよう、1・2・3じゅうすぃ〜どもと交渉するためだ、コケッ!」  
「な…なんですってぇ!?」  
それを聞いて、流石に顔面が蒼白になる。草太の足枷になる様な事態に陥ってしまったと言うのは、最悪に近い。  
「ちなみに、森の中で寝ているお前を担いで、ここまで運んで来たのも我輩達だにゃ。」  
「な…なんですってえええぇ!?」  
 それを聞いて、今度は顔面が沸騰する。寝顔を見られたどころか寝ている所を触れられ、担がれたと言うのは……乙女にとって最悪に近い。  
 
「んじゃ、しょう言う訳で。我輩ちょっくら、三銃士のところに行ってエルデの鍵を渡すよう言ってくるにゃ。」  
「あ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!」  
「にゃははは〜。待てと言われて待つ奴が居たら、我輩お目に掛かりたいにゃ。」  
 ニヤニヤとした笑みを浮かべ、小馬鹿にした口調でランダージョはそう言うと、戸口に向かってスタスタと歩き出した。  
 どうにかして引き止めたいが、この状況ではどうにもならない。  
「兄さん、ちょっと待ってくださいよ!」  
「んにゃ?」  
 代わりに何故かアレクトールが引止めに入った。何を言い出すのかと思い、様子を伺う。  
「まさか、一人で行くつもりですかあ? 俺達も一緒に連れてって下さいよ。」  
「にゃ、そうだったにゃ。ついいつもの調子で、一人でフラフラっとぉ…」  
「でもこの子起きちゃったし、誰か見張ってた方がいいと思うよ。」  
 どこか他人事のような口調で、カーネが思い出したように口を開いた。  
「んじゃあ〜……アレクトールは我輩と一緒に来るにゃ! んでカーネはこいつの見張り。エセルは…どうするかにゃ?」  
 自分も気になったためエセルの方に目を向けると、彼は少し考える様に佇んだ後、壁に背を預けどっかりと座り込んで見せた。  
「ふーん、そうかにゃ。んじゃ、カーネとエセルはこいつの見張りをしっかり頼むにゃ。」  
「うん。」  
 一見命令して見せた様で、ほぼ完全に本人の自由意志に任せてしまっている辺り、何と言うかランダージョらしい。  
「しゃて、役割もバッチリ決まったところで〜……早いとこエルデの鍵を連れてきて、サンドリヨンしゃまの所へと意気も揚々に凱旋するとするかにゃぁ。行くじょアレクトールっ!」  
「ヘイっ、兄さん!」  
「あ、ちょ、ちょっとコラぁ! 待ちなさいってばあ〜〜〜!!」  
 張り上げた声も空しく、猫と鶏の魔族二人は、つむじ風の様のようなけたたましさで走り出して行ってしまった。  
 この場に残されたのは、犬とロバの魔族と……人間のこのあたし。木ノ下りんごの三人だけだった。  
 
 ランダージョがアレクトールを引きつれて出て行ってから、どれくらいの時間が経っただろうか。  
 実際のところそれほど時間は経って居ない気もする。が、しかし。  
 
「…ねぇ、ちょっとぉ。」  
 静寂に包まれた木造の手狭な空間に、あたし一人の声が響き渡った。  
「……………」  
 その声に対する反応は無かった。明り取りの窓から差し込む朝日に照らされて宙を舞う埃に、声が全て吸い込まれてしまったかの様な感覚を覚える。  
「……ねぇってばぁ。」  
 またしても反応は無かった。  
 カーネはどこからか取り出した大きな銃を分解し、無言で何やらいじくり回しており、エセルは先ほど座り込んで以来、目を瞑っまま微動だにしない。  
 自分は先ほどから、この二人に徹底的に無視され続けている。その事が、やきもきするような妙な感覚を自分に覚えさせ、時間の感覚を嫌らしく間延びさせている。  
 饒舌そうなランダージョかアレクトールがこの場に残っていたら、どんなに良かっただろう。  
 ふとそんな思いが生まれ始めていたが、結局のところ事態が好転するわけでも無いので無意味な事だと思うに至る。  
「はぁ……」  
 けれども、今自分に出来る事は、ただひたすら待っている事だけ。だからその間の一分一秒をどう過ごすかは、自分に取って割りと重要な課題である気がする。  
 二人が待っている間の話相手にすらなってくれないのなら、何かを考えるか、もしくは何かを観察して時間を潰すしか取れる行動は無い。  
 幸いにも、ほぼ閉鎖された空間に居るにも関わらず、後者の内容には事欠かない。何をして過ごすかを決めるのは簡単だった。  
「……………」  
 動物と人間を足して割ったような外見の魔族と言う種族は、正直物凄く珍しく、そして興味深い。  
 ランダージョを初めて見た時から思っていたのだが、どこかのテーマパークのマスコットキャラクターの様なその風貌は……何となく認めるのが癪だが、とても可愛らしい。  
 特にクリクリした目と大きな尻尾を持つこの犬の魔族なんかは、もしクラスの女子の中に放り込んだら、一発で気に入られて揉みくちゃに撫で回される事だろう。  
「…ね、あんた。」  
 ただ観察するだけでは何となく満たされなかったため、無視されるのを覚悟であえて声を掛けてみる。  
 それもさっきまでの不満を込めた声音とは違う、誘いかける様な感じの声で。  
「………………」  
 やはり反応は無かった。犬の魔族は分解した銃を黙々と組み立て直しており、声を掛けた事に気付いているのかすら解らない。  
「ね、あんたってば。」  
「………………」  
 またしても無言で返されたが、今度は先ほどまでとは違い、視線がチラっとだけこちらに向けられた。  
 自分の事を気にして居なかったわけでは無いらしい。初めて得た好感触に、軽く気持ちが弾む。  
「ねぇ、あんたってばぁ。ねーえぇ。」  
 
「……カーネ。」  
 そこで犬の魔族が初めて口を開いた。会話を成立させるには短かすぎる内容だったが、恐らく、そう言う名前だからそう呼べ、と言う事なんだろう。  
「あ、あたしはね、りんごって言うの。木ノ下りんご。」  
 自己紹介?を受けた以上、自分も同じく自己紹介を返すのが礼儀だろう。そう思い、自分の名前を告げてみる。  
「りんご…?」  
「うん、りんご。」  
「ふーん………。ねぇ、りんご。」  
「なに? カーネ。」  
 何を語りかけてくるのかと期待し、こちらを横目で見ているカーネの顔をジッと見つめ返す。  
「…少し静かにしてて。」  
 無感情な声でそれだけを言い放つと、カーネはこちらから目を背け、また銃の組立作業を再開し出してしまった。  
 ようやく掴めたと思った会話の糸口に喰わされた強烈な肩透かしに、思わず頭がガクリと垂れ下がる。  
 同時に反動で手首が腕ごと肩に引っ張られ、ロープで拘束されている部分に麻縄が食い込み痛みが走った。  
「痛っ! もう、ヤダこれぇ…。」  
 いい加減忌々しくなってきたロープを睨みつけ、そこでふとある考えを思い立つ。  
 今一度、カーネの方へと視線を向け、恐る恐る口を開いてみる。  
「……カーネ、ちょっとお願いがあるんだけど…。」  
「何。」  
 意外にも返事は素直に返ってきた。正直、無視されるのを覚悟していただけに嬉しい。  
「えっと…逃げないからさぁ、このロープ………解いてくれない?」  
 カーネの視線が銃からこちらへと、顔ごとスッと向けられた。そして、  
「……何を言ってるんだい?」  
 真顔でそう言い放たれた。相変わらず口調は気だるげだったが、声音に若干の呆れが混じっていた気がする。  
 確かに自分でも虫の良過ぎる話だとは思う。しかし、聞き入れて貰わない事にはこの苦痛から逃れる事は出来ない。  
「ねぇ、お願い。このロープ、痛くて仕方がないんだもん…」  
「……………………………」  
「………あたし、絶対に逃げないって約束するからさぁ。ほんと、一生のお願い!」  
「……………………………」  
「………………やっぱ、ダメ…?」  
「……………………………」  
 
 いくら言葉を投げ掛けても返事すら返ってこない以上、聞き入れるつもりは無いらしい。  
 当然と言えば当然なのだろうが、それはそれで腹立たしい。何故自分がこんな目に遭わなければいけないのか、と思うとなお更。  
「…どうせあいつの作戦なんか毎回失敗するんだし、解いてくれてもいいじゃん。」  
 自然と、嫌味の様なセリフが口を突いて出てしまっていた。言ったところで何の解決にもならないのは解っていた。けれども、言わずには居られなかった。  
「……………………………」  
「あたしが知ってる限り、あいつ毎回必ず赤ずきん達に返り討ちにされてるし。今回もきっと同じよ。」  
「……………………………」  
「…あんたもさ、あんな奴の言う事なんか聞くの止めたらどう? じゃないと多分、このままずーっと貧乏くじ引きっぱなしだゾ?」  
 そうセリフを言い終えると同時に、カーネが組み立てていた銃が、ガシャンッと大きな音を立てた。突然のことに、心臓が軽く跳ねる。  
 どうやら今組み込んだ部品が最後のパーツだったらしく、分解されてバラバラになっていた銃は完全な姿を取り戻していた。  
 思わず銃を凝視してしまっていると、銃口にあたる先端の部分がゆっくりと動き、そして――気がつくと、それは自分の方へと向けられていた。  
「…兄さんを悪く言うな。」  
 いつの間にか立ち上がって銃を抱えていたカーネの声音には、かすかに怒気が含まれていた。  
「……何よ、本当の事じゃないの…。」  
「…そうだけどさ。」  
 思わず肩の力がガクリと抜けそうになる。顔を見ると怒っているのが解るのだが、何を考えているのかがいまいち良く解らない。  
 それを睨み返しながら、何と返そうか考えていると、カーネは急に大きなため息を吐き、銃口を下げ射線をあたしから逸らして見せた。  
 またしても意図が解らず、頭が混乱しかける。そんな自分をよそに、カーネはあたしの側まで歩み寄ると、ゆっくりと口を開いた。  
「…ねぇ君。今の自分の状況、ちゃんと解ってる?」  
「自分の状況って……人質になってる…って事でしょ? そんなの解ってるわよ。けど、このロープ痛くって……」  
「違うよ、そうじゃなくて。人質ってのはね……」  
 と、カーネはそこで言葉を切りあたしの左肩に、ポンっと手を乗せた。  
 何をするのだろうと思い見つめていると、その手はグッと握りこまれ、あたしのシャツを鷲づかみにし、  
「命さえ無事なら、それでいいんだよ。」  
 言葉の意味を考えさせる時間すら与えずに、力任せにシャツの袖を引きちぎった。  
「え、な、何す…」  
 あたしが言葉を発しきるのを待たずに、カーネはあたしの反対側の肩に手を置くと、今度はセーターごとシャツを袈裟懸けに引き裂いた。  
 シャツの右半分が斜めに千切れ、ボタンが数個弾け飛び、勢いで捲れあがったシャツの左半分がパサりと床に落ちる。  
「な…なになになに!?!?」  
 大事な服が破かれてしまった。ランダージョは意外と慕われていた。華奢な見た目に反し、カーネは割りと力があった。  
 混乱の余り、どうでも良い思いが頭の中を駆け巡り、思考をかき回す。心臓の鼓動が早まり、口から小刻みに息がもれ出て行く。  
 
 カーネは手の中に服の切れ端を握ったまま、そんな自分の様子をジッと見つめつつ突っ立っていた。  
 そのまま数秒間。時間と共に段々と取り戻されていく平静さを意識の中に感じつつ、今の状況を改めて認識し直す。  
 服を破り取られ、胸を覆う下着が露になっている。今自分は、身動きが取れない状態にある。見た目や声だけじゃ解りにくいが、カーネは男。  
「………!!!」  
 人質は、命さえ無事ならそれで良い。目の前の魔族が放った言葉が、頭の中で何度も反芻される。  
「…ゃ、やだ………」  
 言いようの無い恐怖があたしに襲い掛かる。発そうと思ったわけでもない声が、口から勝手に零れていく。  
「……………………………」  
 カーネは微動だにしなかった。何の声も発さず、何の行動も起こさず立ち尽くし続けている。  
 だと言うのに、彼の背後から、その可愛らしい外見には不釣合いな強烈な凶暴性が立ち上っているような、妙な錯覚を感じる。  
「やだ……やめて……!」  
 握られていたカーネの手が開かれ、服の切れ端がパサリと床に落ちた。そしてその手が、スッと持ち上げられていく。  
「いや………いやぁ……っ!!」  
 喉の奥から引きつるように搾り出された声が、十分な酸素を使わずに漏れ出て行く。いつしかあたしの肺は、空気で一杯になっていた。  
「……………………………」  
 意味が無いと解りつつも、躊躇う理由は無かった。  
「いや―――」  
 
 
 
「に゛ゃあ゛あ゛あ゛あ゛あああああああああああああああっっ!!!!!!」  
「………!?」  
 そこで突然、扉がバンっと音を立てて開き、けたたましい声と共に何者かが小屋の中に転がり込んできた。  
 カーネはそれに驚いて振り向き、自分もまた、驚きの余り張り上げようとした叫びを喉の中に押し留められてしまう。  
「ひぃ、ひぃ、ひぃ、ひぃ…にゃ、にゃはぁっ……。」  
 膝に手を置き、肩で大きく息をしている猫の様な風貌のその人物は……  
「ラ、ランダージョ……?」  
「い、いかにも……我輩、ランダージョ……」  
 と、顔を上げこちらに視線を向けながらニヤリと笑みを浮かべたランダージョの背後から、  
「コケエエエェェェェェェェェェェェェェェェッ!!!」  
 また別なけたたましい声が小屋の中へと進入し、  
「んに゛ゃあっ!?!?」  
「ゴケェッ!!?」  
 ランダージョを後ろから突き倒し、顔面で床を勢い良く拭わせた。  
 尻尾を天井に向かって突き出した体勢のランダージョの後ろに、別な声の主、アレクトールが仰向けにひっくり返っているのが見える。  
「ど、どうしたんだい…?」  
 自分を含め、小屋の中に居た人物全員が間違いなく唖然としていたであろう数秒間の後。  
 恐る恐ると言った様子で、カーネが二人に向かって口を開き、その声を聞いて倒れていた魔族二人がばね仕掛けのオモチャの様にガバッと起き上がった。  
「ど、どうしたもこうしたもないにゃぁ〜〜! 三銃士の奴ら、交渉を持ちかけた我輩達に問答無用で襲い掛かってきたにゃ!!」  
「おかしいコケ! いくらエルデの鍵が大事だとは言え、奴らお前の命が惜しくないのかコケッ!」  
 先ほどまで身動き一つしなかったはずのエセルを含む、小屋に居る魔族四人から一斉に視線を向けられる。  
「い、いや、だって………」  
『だって?』  
 四人の声がハモる。  
「別に、あんた達の誰かを捕まえてあたしの居場所を聞き出せば良いわけなんだし……そうなって当然だゾ?」  
『……………………………』  
 数秒間の間。  
「に゛ゃあ゛あ゛あ゛あ゛あっ!!! それもそうだったにゃああぁぁぁぁ!!!!」  
 突然、ランダージョが頭を抱えて仰け反ったまま、凄まじい叫び声を小屋中に必要以上に響き渡らせた。  
「あ、兄さん! 急にデカい声出さないで欲しいコケッ!」  
 キーンとなってしまっている自分の耳に、アレクトールの甲高い声がさらに追い討ちを掛ける。  
 耳がとんでもなく痛くなり、頭がフラフラして落ち着かなくなる。手を使えないのが致命的だった。  
「にゃぁ〜、すまんかったにゃぁ…。しかしおかしいにゃ。人質が居るのに我輩達、どうして奴らと交渉できないんだにゃ?」  
「俺に聞かれても解らないですコケ。」  
「やっぱり解らにゃいのかにゃ。」  
「俺、鳥頭っすから。」  
 単語の用法を明らかに間違えて居るが、頭がフラつくせいで突っ込む気力が湧いてこない。  
 
「ん〜にゃ〜〜〜…にゃにゃ? そう言えばお前、どうしてそんな破廉恥なカッコになっているんだにゃ?」  
 ランダージョがあたしを見つめながら、不思議そうに聞いてくる。  
「あ、ぼくがやった。この子が言うこと聞かないから…。」  
 あたしが答えるよりも先に、カーネがそう答えた。  
「言う事を聞かにゃいからって……にゃふっ。カーネ、お盛んにも程があるじょ。」  
「…違うよ、こうやって脅してただけだよ。」  
 ニヤニヤとした笑みを浮かべながら小突いてくるランダージョに、カーネが不満気な顔でそう返す。それを聞いて、あたしはほっと息を付いた。  
 今のカーネの回答が本心だったのかどうかは解らないが……とりあえず、エセルだけならともかく他の連中が居る場で同じような行動に出ることは恐らく無いだろう。  
 それに、ランダージョとアレクトールの二人がここに帰ってきたと言う事は、二人の後を追っていずれ赤ずきん達がやってくるはず。もうそう言う心配はしなくて良いはずだった。  
「それより、三銃士は追って来てないの?」  
 カーネがランダージョの肘を手で押し返しながらそう尋ねた。  
「大丈夫、しっかりと巻いて来たにゃぁ。しゃて〜〜、それにしてもどうやって交渉を仕切り直せば良いのやら……」  
 それを聞いて、ガックリと肩が落ちる。ランダージョの事だし、本当に巻き切ったと考えるのは素直すぎる気もしたが。  
「……ってぇ〜そうだにゃ! 脅せば良いんだったにゃ! いや〜、何でこんな簡単な事に気付かなかったにゃ…」  
「兄さん、脅すってどうやってです?」  
「こいつを奴らの目の前まで連れて行って、エルデの鍵を渡さないとただじゃぁ済まさないにゃあっ、と脅せば良いんだにゃ。そうすれば奴らも……」  
 ランダージョのその提案は正しいやり方だとは思う。グレーテルにもそうされた事がある。が、しかし。  
「…ねぇ兄さん、それやったら多分奪い返されるよ。」  
 こいつらの事だから、十中八九そうなってしまうだろう。言葉には出さずにカーネに同意し、ついでに心の中で舌打ちをする。  
「んにゃぁ……そんじゃもう、どうしようも無いじゃにゃいかにゃああ〜〜〜っ!!」  
 頭をバリバリと掻きむしりつつ、ランダージョが呻いた。今回あたしを攫ったのがこいつらで、本当に良かったと思う。  
「じゃあ…どうするんだい? この子、もう三銃士のところに返す?」  
「コケ〜〜〜、折角捕まえたのにそれは勿体無いコケ…」  
 エセルがアレクトールに頷きを返した。あたしの中でカーネの好感度メーターがほんの少し上がり、逆にこの二人は底にぶつかる勢いでガツンと下がる。  
「兄さん、どうするんです?」  
「兄さん。」  
 ランダージョは腕を組んだまま、床を見つめうんうんと唸っていた。あたしをどうするか、決めあぐねいている様でいる。  
 恐らくランダージョの事だから、考えるのが面倒くさくなって放り出すか、穴だらけの作戦を考え付いてそこでお終いだろう。  
「……………」  
 決断を仰ぐ魔族の三人同様、あたしもランダージョの顔をジッと見つめる。タカを括ってはいるものの、どんな結論を出すのかはやはり気になる。  
 やがて、ランダージョの表情に変化が現れた。何かに気付いたように目を丸させると、床に這わせていた視線をそろそろと上へと持ち上げていく。  
 その視線は目の前に居たあたしの体の膝元から頭の天辺までをゆっくりと通っていき……通り過ぎたところで、また体の中心へと戻ってきた。  
 そこでにゃふふっと、ランダージョの口元に笑みが生まれた。可愛くない笑みだった。  
 
「決めたにゃ。え〜と、我輩鞄はどこに置いてたかにゃぁ〜〜……」  
「鞄なら、あそこに置いてありますぜ。」  
 辺りを見回しながらそう呟いたランダージョに、アレクトールが部屋の隅を指差しながらそう答える。  
 アレクトールはそのままテトテトと歩き出し、やがて鞄の側へとたどり着くと鞄のベルトをグイっと引っ張って見せた。  
「ん、コケッ?」  
 屋内に間抜けな声が響く。アレクトールは再度ベルトを引っ張ったが、鞄は置かれた場所からビクともせず動かなかい。  
「コ、コケッコケーーーッ! コケッコケッ、コッ、コケーーーッ!」  
 恐らくランダージョの所へと持って行きたいのだろうが、羽を撒き散らしながらがむしゃらに引っ張ってもアレクトールの力では動かせないほどに鞄は重たいらしく、やがて、  
「コッ、コッ……ゴゲェッ!?」  
 倒れてきた鞄にベシャッと押しつぶされた。  
「んにゃぁ〜……エセル、ちょいと頼むにゃ…」  
 鞄を指差しながらランダージョがそう呼びかけると、エセルは無言で立ち上がり鞄の元へと歩み寄ると、それをヒョイと持ち上げて見せた。  
 鞄の下からヨレヨレになったアレクトールが現れ、鞄を手にぶら下げランダージョの元へと戻っていくエセルの後を、フラフラと追いかけていく。  
「ちょっと、何をするつもりなのよぉ…」  
 不満も露に、ランダージョにそう問いかけてみる。鞄を持ってこさせて何をするつもりなのだろうか。腹積もりが全く読めない。  
「良いからお前は大人しくしてるにゃぁ。え〜と、どこにしまったっけかにゃぁ…」  
 そう言ってランダージョは鞄をゴソゴソと漁り出し、やがて中からピンク色のガラスで出来た小瓶を一つ取り出すと、  
「お〜ぉ、これこれ。いや〜、大事に取っといて良かったにゃあ。」  
 それを見つめ、楽しそうに呟いて見せた。あたしを含む他の4人の視線が、その小瓶へと一斉に注がれる。  
「兄さん、そいつは一体何なんですかコケ?」  
「にゃふふふ…。これはにゃ、エルフの国に数十年に一度しか咲かない薔薇のエキスを元にして作られた、特性の……」  
 もったいぶる様な視線を辺りに這わせつつ、一度言葉を溜めて。  
「……媚薬だにゃ。そんじょそこらの輩にゃぁ到底手に入らない、レア物中のレア物だにゃ。」  
 にゃししと言う笑いと共に、ランダージョはそう答えた。  
「媚薬? そんなもん何に…って、まさか兄さん!」  
 アレクトールが翼をバタつかせて驚いて見せる。  
 ビヤク。どこかで聞いた覚えのある単語の様な気がするが、それが何なのか思い出せない。  
「人間の子供相手に何考えてるんですか! いくら何でもそれだけはやっちゃあ不味いですコケッ!」  
「知ったこっちゃにゃあいっ!! ヘンゼルしゃまには冷たくあしらわれ、グレーテルには馬鹿にしゃれ、我輩日頃の鬱憤とかストレスとかその他諸々がもう、溜まりに溜まりまくってるにゃあっ!!」  
 アレクトールの制止の声に、ランダージョが良く解らない逆ギレを返す。  
 
「ここらで一発! いや一発と言わず、二発でも三発でも四発でも! ガツンと発散させないともう我輩、不幸街道まっしぐらな自分の人生に絶えられないにゃあ〜〜〜っ!!」  
 握りこぶしをぶんぶかと振り回しながらそう喚くランダージョの姿に、自業自得と言うフレーズが頭を過ぎる。  
「兄さん、下品…。」  
「下品で結構毛だらけ猫灰だらけ! とにかく我輩、思ってみない事にこれは、生娘の玉の柔肌を堪能できる絶好の機会だと言う事に気付いたにゃぁ。」  
 こちらを見つめるランダージョの眼が妖しく光る。何か、とてつもなく嫌な予感がする。  
「もう兄さんったら、ほんとしょうがない人ですねぇ〜…」  
「お盛んなのはどっちだい…。」  
「いいからそんな事言わにゃいで。折角だから、皆で楽しむとするにゃん。」  
 小瓶を手の中でくりくりと弄びながら、ランダージョがゆっくりと近づいてくる。  
 今まで怖いと思った事の無いはずの相手に得体の知れない恐怖を抱き、あたしは身をすくめた。  
「あ〜、兄さん。」  
 ランダージョの背後から、アレクトールの声が掛かる。  
「んにゃ?」  
「悪いですけど俺、表で見張りをしてるっす。」  
 アレクトールはそう言うと、こちらに背を向けてテトテトと扉へと向かって歩き出した。  
 扉がギィ、と言う音を立てて開き、程なくしてバタンと閉められる。唐突だったはずのアレクトールのその行動に、何故か誰も声を掛けなかった。  
「あいつ、ほんと昔っから淡泊だにゃ。」  
 ランダージョは特に驚いた様子も無くそう呟くと、手元の小瓶の蓋をキュポンと外し、あたしの口元へとそれをスッと近づけてきた。  
 鼻を突くほどの甘い香りが、瓶の口から零れ出ている。脳の奥が麻痺してしまいそうな、強烈な香りだった。  
「さ、ググッとググッと。」  
「い、嫌よ!」  
 得体の知れない物を口にするわけにはいかず、あたしは瓶から顔を背けた。  
「カーネ、見てないでこいつの頭を押さえとくにゃ。」  
 その言葉に驚いてカーネの方へと向き直る。しかし向き直れたのはほんの一瞬で、素早く頭に回されたカーネの手によって顔の向きを強引に変えられた。  
 ランダージョの可愛くない笑みとピンク色の小瓶が、視界いっぱいに広がる。  
「いや――」  
 曲げていた膝を伸ばし、ランダージョを蹴り倒そうと思ったところで、さらなる驚きに襲われた。足が、動かない。  
 いつの間にか足首には、強い圧力が掛かっていた。  
「エセル、でかしたにゃん。」  
 ランダージョは嬉しそうにそう言うと、あたしの顔へと手を伸ばし、鼻をギュッとつまんだ。  
 
 反射的に口を開きそうになったが、口元へと運ばれていく小瓶が眼に入る。  
 急いで口を閉じ込み、瓶の進入を防いだが、鼻をつままれているため空気の進入までをも防いだ状態になってしまう。  
 表情に焦りが浮かぶ。ランダージョは、あたしのそんな様子を見ながらニヤニヤと笑っている。  
「……!! ………!!!」  
 声にならない声が、喉の奥から自然と漏れ出る。  
 妙な薬を飲むくらいなら、いっそこのまま窒息してしまった方が良いかも知れない。  
 そうも思ったが、思えただけだった。やがて我慢が出来なくなり、唇の先端が、ほんの少し開いてしまう。  
 ランダージョはその隙を見逃してくれはなかった。開いた隙間から瓶をねじ込まれ、歯にぶつかるのも構わずにそれを強引に口内へと押し進められる。  
 そして器用にも瓶を握った手で、そのままあたしの口元を塞ぎ、空気の進入を強引に遮りだした。  
 口の中にトクトクと流し込まれる液体を飲み込まないようにしつつ、喉の奥から声を張り上げようとすると、今度はつままれて居た鼻がパッと開放される。  
 鼻から新鮮な空気が喉の奥へと入り込む。そうしようと思ったわけでもないのに、少しでもその空気を入り込もうとあたしの喉が勝手に動いた。  
 空気と一緒に、口の中の液体があらかた喉の奥へと運ばれる。とそこで、ランダージョの手が口元からパッと離された。  
 ゲホゲホと咳を吐き出しながら、頭に上っていた血液が急速に引いていくを実感する。――飲んでしまった。  
「凄いね兄さん。」  
「薬の飲ませ方にはコツがあるにゃあ。」  
 ランダージョは得意げにそう言うと、手元の瓶を放り出しこちらの様子をニヤニヤと観察し始めた。  
 何を考えているのかが未だに解らず、あたしは怒りと恐怖の混じった視線をランダージョへと向けることしか出来なかった。  
 呼吸を我慢していたせいか、何度も何度も口から空気が出入りする。自分でもうるさいほどの呼吸音が、辺りに響く。  
「魔族の裏ギルド謹製、世の男どもがこぞって欲しがる特性媚薬の即効性は折り紙付きだにゃぁ。直に体の真ん中から、じんわりと火照ってくるはずにゃ。」  
 その言葉の内容をいぶかしむ暇も無く。まるでランダージョの声に誘われたかのように、あたしの体に変化が現れ始めた。  
 胃の辺りから段々と熱が篭り始め、やがてそれが胸元や喉へと這い上がり出し、同時に下腹部にも伝わっていく。  
 息苦しいわけでもないのに、荒い息遣いが止まらない。一呼吸ごとに、頭から考える力を奪われていってるような気がする。  
 このまま死んでしまうのではないか。朦朧と仕掛けた意識の中で、恐怖に駆られ、助けを求めたい気持ちで頭がいっぱいになる。  
「そんな目をしたって無駄だにゃ。大丈夫、直に天にも昇るような心持ちになってくるにゃ。」  
 あたしのその姿を楽しむかのように、ランダージョが無邪気に微笑む。  
 ランダージョじゃ駄目だ。横に居るカーネへと目を向けると、彼はほんのちょっと申し訳の無さそうな顔をして見せたが、それでもあたしを救ってくれそうな気配は感じない。  
 後ろからあたしの足首を押さえ付けているエセルは論外。顔すら見る事が出来ないせいで、彼に対しては本当に恐怖しか湧いてこない。  
 いい加減、目の前の相手が、これからあたしに向かって何をしようと考えているかが解り始めてきていた。  
 一度消えかけた先ほどの恐怖が、それまでの恐怖を塗りつぶすかの様にじんわりと蘇る。  
「にゃふふ…。頃合みたいだにゃ。」  
 そう言ってランダージョは鞄から短剣を引き抜くと、あたしの胸元へとそれを近づけていった。  
 何をする気なのだろう。まさかこのまま、胸を一突きにするのだろうか。  
――そうして貰えたら、どんなに楽な事だろう。  
 
 だがやはりそんな訳も無く。ランダージョは胸の下着の真ん中の部分、白い丘同士を繋ぐ細いベルトを短剣の腹で押し上げ、  
 一度あたしの顔に向かってニヤリとした視線を送って見せると、短剣の刃を立てピンと言う音と共にその部分を切り裂いた。  
 張り詰められた部分を断たれ、両胸を覆っていた下着がパサリと床に落ちる。  
「…………っ!!」  
 叫びが声にならない。恥ずかしさと悔しさと、何故かほんのちょっとの喜びが、頭の中を駆け巡る。  
 ランダージョは傍らに短剣を置くと、両腕をあたしの胸へとゆっくりと伸ばしてきた。  
 黄色い毛に覆われた手のひらが、大きさに関してはあまり自信の無いそこへと触れる。  
「アはッ…!?」  
 ビクリと体が跳ねた。胸の先端、皮膚とは少し違う色に染まった部分から電流が流れ、体中を駆け巡る。  
 ランダージョはそのままやわやわと胸に手を這わせ、その部分を手のひらでこねくり回す様に何度も押しつぶした。  
 その度に鋭い電流が手足へと伝わり、脳の深い部分を刺激する。味わったことの無い、未知の感覚だった。  
「にゃししし、感度良好だにゃ。」  
 さぞかし嬉しそうな声で、ランダージョがそう呟く。  
 そのまま手を喉の方へと這わせ、一度あたしの両頬をさすると、その手を今度はわき腹の方へと動かしていった。  
 目の細かい柔らかい毛が、感覚の鋭敏な部分を通る度に、あたしの体はゾクゾクとした感触に震え上がった。  
 くすぐったさとは違う、快感にも似た気持ちよさ。いや、それは快感そのものだったのかもしれない。  
 表情が変に崩れていくのを感じる。目元や口元に力が入らなくなり、抑えの効かなくなった涙が目の端ににじみ出る。  
 得体の知れない感情に支配されかけているあたしの心を知る良しも無く、ランダージョは今度はあたしのスカートの中へと手を差し込んできた。  
「ひゃッ!?」  
 触れられた部分から、体に強烈に染み込んでいくような快感。確かにそれは、快感そのものだった。  
 自分でもろくに触れたことの無い部分を、下着の上から指で何度もなぞり上げられ、あたしはその度に体を仰け反らせた。  
「にゃふふふっ。こんなにじゅぅすぃ〜になっちゃってまぁ……」  
 ランダージョのその言葉で、初めてその部分に湿り気が出ている事に気付く。  
 何故。疑問が頭の中でを渦を巻きかけたが、ランダージョの指が伝える刺激に速攻でかき消される。  
 次第に肩に力が入らなくなり、体がガクリと傾く。縛られている手首に、麻縄がギリギリと食い込む。  
「あぐッ…!」  
 同時に襲いくる痛みと刺激。いや、快感。  
 何故か痛みすら快感に取って代わられているような気がする。  
「んにゃ、カーネ。こいつでそのロープを切っちまうにゃ。」  
 ランダージョが空いた手で短剣を拾い、カーネへと差し出した。あたしは荒い息遣いでその様子を見つめる。  
「え、大丈夫なの…?」  
「問題無いにゃぁ。こいつもう、腰が砕けててろくに動けないはずにゃ。」  
 相変わらずのニヤニヤ笑いでそう言うランダージョの手からカーネは短剣を受け取ると、あたしの手首へと手を寄せ縄を強く引っ張った。  
 痛いと思えたのは一瞬で、あたしはすぐさまその刺激から開放された。始終纏わり付いていた拘束感が無くなり、そのまま床へと倒れこむ。  
 いつの間にか、足首を押さえつけていたエセルの手の感触も無くなっていた。あたしは深く息を付きながら、ゆっくりと四肢を床へと投げ出した。  
 
 しかし開放感に安堵する暇も無く、ランダージョの指が足の間を再度擦り上がった。一際強い快感に、体が力のやり場を求めて跳ね上がる。  
「カーネ、短剣返すにゃ。」  
「うん。」  
 ランダージョの手に短剣が戻り、今度はその刃がスカートへと当てられた。  
 短剣を握る逆の手は、スカートを摘み上げていた。藍色の布の向こう側から白い刃が現れ、スカートを縦に切り裂いていく。  
 程なくして切り開かれたスカートをランダージョは払いのけると、今度はその下の下着へと刃をあてがった。  
 ピン、ピン、と太ももの上の部分が断ち切られる。腰の周りを覆う拘束感が無くなり、あたしは奇妙な開放感に身をよじった。  
「しゃ〜て、それではいよいよご拝見……」  
 ランダージョの指が白い布をつまみ上げ、未だかつて同姓以外に見られた事のその無い部分を外気へと晒す。  
 何故かいまいち込み上げきってこないあたしの羞恥心を待たずに、ランダージョはあたしの太ももを抱え上げると、勢い良く左右へと押し開いた。  
 顔を近づけられ、その部分を凝視される。最も湿り気の深い部分に、ランダージョの鼻息が当たった。  
 恥ずかしさを確かに感じているのに、何故か抵抗すると言う考えが湧いてこない。頭が、空白に染まる。  
「にゃひひっ、これぞ正しく乙女の花園。あぁ、にゃんとも香しい……」  
「兄さぁん……」  
 カーネは先ほどからランダージョが発している何とも言えないセリフが気に食わないらしく、眉を潜めている。  
 彼は、何も行動を起こさないのだろうか。何故か期待感と共に込み上げられたその疑問が、頭を過ぎる。  
 その時だった。  
「ひゃぁッ!!?」  
 濡れた、平たい何かが、開かれた足の間をにゅるりと撫で上げた。  
 痺れる様な快感に、両腕が力のやり場を求め反射的に伸びて、目の前に居たカーネの体を鷲づかみにした。  
「うわっ」  
 カーネの驚く声を無視してそのまま抱き寄せ、未だに続く快感に耐える様にその体を抱きしめる。  
 顔面を胸の飾り毛へと突っ込ませ、体を伝う電流を逃がすように荒く息を付く。ふんわりとした匂いが、鼻の奥へと侵入していく。  
「ちょ、ちょっと…」  
 カーネの困ったような声が聞こえたが、放すつもりは毛頭無かった。そのままガクガクと体が震えているのに任せ、毛を逆立てる様にカーネの体を撫上げる。  
 遠慮とか、恥じらいとか、そう言ったものは湧いてこなかった。あたしの手は、ただ貪欲に腕の中の人物の感触を求めていた。  
「ねぇ兄さん……」  
「にゃふふ…。丁度良いからそのまま、そいつの口の相手でもしてやれにゃ。」  
 カーネの情け無い声に、ランダージョが意味の解らない返答を返した。その意味を考える気力は、やっぱり湧いてこない。  
「……まぁ良いや。」  
 
 何かを諦めたようなカーネの声が、頭上で響いた。カーネはあたしの頭を手で退かすと、その手を腰のベルトへと伸ばし、繋ぎ目を解いて見せた。  
 そのままその手は自身のズボンへと伸ばされ、布の下から体毛を引き出すかの様にそれをずり下げていく。  
 程なくして、ズボンの前に入ったスリットの間から、角の様にそそり立ったピンク色の物体が姿を現した。  
 毛の中から生え出る様に突き出たその物体は、舌か何かを連想させる。湿り気を帯びたその部分からは、脳をとろかす様な不思議な匂いが発っせられていた。  
「ほら…」  
 その部分を、口元へとグイと突き出さる。何を求められているかは解らなかったが、あたしの口は反射的にそれをちゅるりと咥え込んでいた。  
 唇を通って口内に侵入してきたそれは、やがて舌へと突き当たり、口の中一体に不思議な感覚を味あわせた。  
 何か味がするわけでもないのに、舌がそれをねぶるのを止められない。唇が勝手にそれをちゅうちゅうと吸い上げ、口のより奥へといざなっていく。  
「…や……も、もっと優しく…」  
 苦しそうなカーネの声が耳に入ってきたが、それは逆にあたしの加虐心をそそらせていた。  
 より強く、より執拗に、より貪欲に。ただそれを求める事で、頭の中がいっぱいになる。  
「んはっ…はぁっ……くっ……」  
 カーネの手が、足が、あたしを押しのけようと伸ばされる。けれども、カーネの体をがっちりと抱え込んだあたしの体は動かない。  
「あっ、や、止め………んあぁっ…!」  
「…カーネ、お前変な声出しすぎだにゃ。」  
「だ、だって………ん……やっ、ぁ…!」  
「まったく、しょんなんだから子供っぽく見られるにゃ。しゃて、我輩もしょろしょろ……」  
 かすかに耳に入ってきたその声に、何をするのかと思いランダージョの方を横目で伺う。  
 ランダージョは膝立ちになり、腰の紐をシュルシュルと解くと、前の部分を持ち上げるようにしてズボンをパサリと床に落として見せた。  
 足と足の間から、カーネのものと同じような、それでいて一回りほど大きい物体が突き出ているのが見える。  
 思わず舌を動かすのも忘れ、その部分を凝視する。ランダージョはそんなあたしの様子に満足げな表情を浮かべると、あたしの体の両脇に手を付き、覆いかぶさってきた。  
「そんな目で見られたら、いくら紳士的な我輩でも優しくできないかも知れないにゃ…」  
「ふえぇ…?」  
 意味の解らないランダージョの言葉に、ろれつの回らなくなった返事を返す。唇の振動が伝わったらしく、カーネの体がビクリと跳ねた。  
 何を優しくするのだろうか。考える時間はたっぷりあった気がするが、思考の大半を埋め尽くす妙な期待感のせいで答えが出てこない。  
 いや、期待と言うよりは切望と言った方が近いのかもしれない。あたしの体はこれから起こるであろう更なる快感を自然と予期し、その瞬間を待ち焦がれていた。  
「薬が少し強すぎたみたいだにゃぁ…。ま、そうしゃせた責任は頑張って取らせて貰うにゃ。」  
 やや真剣そうなランダージョの顔が、目の端に映る。片手が床から離れ、腰から突き出たものへと添えられていく。  
 次の瞬間、足と足の間にその部分の先端が当たるのを感じ、あたしは反射的に身を縮こませた。  
 
「お前、初めてだよにゃ? 力を抜いてにゃいと痛いじょ…?」  
 優しそうな、それでいて悪戯っぽいセリフ。  
 僅かに残る恐怖心を押さえ込みつつ、ランダージョの言葉を受け、あたしは下半身にこめる力をゆっくりと抜いていった。  
 脱力しているはずなのに妙な疲労感を感じ、我慢出来なくなり唇から熱い吐息が漏れ出る。カーネの声がまた、頭上で響いた。  
 ランダージョの視線が下がり、その部分へと向けられる。いよいよか、とあたしが思った瞬間。  
 急に湧き出てきた喪失感と共に、まるで体を割り開かれるかのような感覚が、あたしに襲い掛かってきた。  
「…んはあッ……! ………くぅ……ぅ…!」  
 異物が、メリメリと体の中に進入してくる感覚。痛みに耐え切れなくなり、あたしは口からカーネのものを吐き出し歯を食いしばって荒い呼吸を上げた。  
 目の端から涙がこぼれ、顔を伝って耳を濡らす。下半身に力を入れるたびに襲いくる強烈な痛みに、腰がガクガクと浮き沈みする。  
「きっ……ついにゃ……っ…」  
 ランダージョも辛そうな表情を浮かべ、息を荒げていた。なのに腰を推し進める力は一向に弱まらず、むしろ段々と強くなっている。  
 たっぷりと時間を掛け、あたしに痛みを与えて、ランダージョのそれの根元の体毛が、ようやくあたしの体へと触れた。  
 触れた部分から体温が伝わり、進入してきている部分を中心にランダージョとの奇妙な一体感が生まれ始める。それ自体は、悪くない感覚だった。  
「ふぃ〜…。やっぱ初物は旨いとは限らにゃいものだにゃぁ。」  
 ランダージョはそう言って一息付くと、顔を近づけあたしの目の端を舌でぺろりと舐め上げた。  
 そしてほんの一瞬、優しそうな表情を浮かべたかと思うと、またニヤリと可愛くない笑みを浮かべた。  
「ほれほれ、口を休ませちゃ駄目だにゃ。」  
 ランダージョの手があたしの頭へと伸び、カーネのものへと顔を近づけさせる様にグイグイと押し出し始めた。  
 腰を襲う鈍痛が未だに止まないため、頭を振って嫌がって見せたが、ランダージョにそれを聞き入れてくれる様子は無かった。  
 そのまま、力の入りきらない唇へとそれを強引にねじ込まれる。完全に入りきったところで、押し付けられる力が緩んだため口を離そうとしたが、再度頭を押し付けられまた口腔深くに押し込まれた。  
 それが何度か続き、その度に唇がカーネのそれをリズミカルになぞり上げた。カーネがまた、甲高い声を出し始める。  
「そうそう、その調子だにゃ。」  
「ま、待って兄さ……あっ……はぁっ、はぁっ……くっ……あっ、ぁあっ…!」  
 肩を浮かせて身を縮こませ、何かを我慢するかのように顔に手を当てて一心不乱に呼吸を繰り返すカーネ。  
 その姿に、燻りかけていた体にまた火が灯り出すのを感じる。いつしかランダージョの押さえつける手が離れていたにも関わらず、あたしの頭は勝手に動き続けていた。  
 同時に、また体の中心から広がり始めた熱が、ランダージョと触れている部分の感覚を、別な感覚で塗りつぶし始めた。  
 ランダージョのその部分が帯びている熱が、じんわりと体を伝いだす。押しのけられ、割り開くように掛けられた圧力が、とても気持ちいい。  
 天にも昇るような幸福感。それを自分に与えてる相手が、なんだかとても素敵な人物にあたしは思えてきていた。  
「…動くじょ。」  
 
 短く、とても短く、まるでそれを拒否させる時間を与えないかの様に。  
 ランダージョはそう言い放ち、あたしから体温を遠ざけるかの様に腰を浮かせると、あたしがその事を惜しむ間も無く、それを思いっきり打ち付けてきた。  
 まるで杭を打ち込まれたかのように強烈な電流が体を走り、背骨を通って頭の天辺までを快感が貫くように通り抜ける。  
 それが、幾度と無く。何度も何度も何度も何度も。一定のリズムで、あたしの体に衝撃を伝えていく。  
「ン……んぁはぁっ、あぁっ…!」  
 口の中のものに歯を立てないよう様に気をつけつつ、あたしはその律動に身を任せ、快感だけをただ貪欲に貪り続けた。  
 もう頭を動かす必要は無かった。ランダージョの与える振動が、あたしの体を伝ってカーネへも伝わっていた。  
 体同士がぶつかる部分からぽふぽふと柔らかい音が立ち、同時に繋がった部分からはにちゃにちゃと耳に入るのも恥ずかしい様な音が聞こえてくる。  
「にゃひっ、にゃひっ、にゃ……ひ…っ…」  
 ランダージョは苦しいんだか楽しんでるんだか、良く解らない表情でただただ腰を動かし続けていた。  
 床に引っかき傷を作りながら、何度か体勢を整え直し、ひたすら何か求めるかのように。その猫は、まるで自身が魔族である事を忘れているかの様だった。  
 目の前の犬も同じだった。口から唸り声とも鳴き声とも付かぬ声を絞り出しながら、こちらは何かに耐えているかの様に喘いでいる。  
 何故か、とても微笑ましく感じる光景だった。自分に全てをさらけ出している二人の姿が、堪らなく愛おしく感じる。  
「あっ、や、りんご、駄目…やめ……!」  
 カーネのその言葉に急に現実に引き戻され、同時に口の中のものがビクビクと動いている事に気付く。  
 驚く暇も無く、口の中に何かがびゅるびゅると吐き出された。それが舌に当たって、口の中に苦み広がる。  
「……っ……ちゃっ…た……っ………………ぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」  
 カーネが苦しそうな声を上げる。未だに何かが漏れ出ているそれを吸い上げると、流石に悲鳴を上げられた。  
 口を離し、涙目になっているカーネと目を合わせる。力の入らない顔で笑いかけると、カーネは真っ赤に染めた顔を腕で隠して見せた。  
 意識が段々と、カーネから離れていくと同時に。いつの間にか、ランダージョの与える律動があたしにとってより色濃いものへと変貌している事に気付く。  
 あたしがだけ変わったのではなかった。ランダージョの体を動かすテンポは、力は、確実に早く、強くなっていた。  
「あっ、あッ、やっ、ンッ、あっ、はッ、あぁッ……!!」  
「んにゃはっ、んにゃはっ、んにゃっ……はっ、にゃ、にゃはぁっ……!!」  
 その力強い動きが与えてくれる快感は、そう長くは続かなかった。  
 ランダージョの背中が切なげに反り上がると同時に、体の中のものがビクンと大きく振るえ、暖かい何かを体の中へと勢い良く吐き出された。  
 中のものはそのまま数度跳ね、やがてその動きが収まると、ランダージョは腰の動きを止め、幸せそうな顔で荒く呼吸を吐いた。  
「にゃはぁ、にゃはぁ、にゃはぁ…………にゃっ…はぁ〜〜〜…」  
 脱力仕切った表情で、ランダージョは最後に大きなため息を吐くと、何故か少しだけ残念そうな顔をして見せた。  
「やっぱ我輩じゃ駄目かにゃぁ〜……」  
 頬をポリポリと掻きながらランダージョはそう言うと、腰を動かしあたしの中に埋めていたものを引き抜いた。体からさっと、体温が離れていく。  
 
「んげ、真っ赤だにゃぁ……」  
 ランダージョの下腹部の白い毛は真っ赤に染まり、突き出ている部分からは赤い雫が垂れパタパタと床に落ちていた。  
 自分の血だ、と気付くのに時間は掛からなかったが、何故かそれを追って痛みが湧いてくるような感覚は無かった。  
 逆に、それまで体の中にあった快感の源が失われ、酷い虚無感に襲われる。あたしの体は、まだまだそれを欲し続けていた。  
「…ねぇ、ランダージョぉ……………もう一回……今のやってぇ………」  
 自分でもどこから出ているんだろうと思うようなとろけた声で、ランダージョにそう誘いかける。  
 しかしランダージョは、鞄から取り出した布で辺りを拭いながらニヤリとした笑いを向けただけで、応じる様子を見せてはくれなかった。  
 もう、してはくれないと言うのだろうか。そう考えたと同時に、急に下腹部の辺りがずくんと疼き始めた。  
 嫌だ。それだけは絶対に嫌だ。気付くと、顔が勝手に泣き出しそうな表情になっていた。  
「…や…やだ………お願い、ランダージョぉ……っ…もっと……もっとぉ…!」  
 いつの間にか疼きが全身に伝わり、ガクガクと震えている体を、抱きしめながら懇願する。  
「我輩もねだられて悪い気はしないんだけどにゃぁ…。でもちょーっと、我輩じゃぁ役不足だったみたいだにゃ。」  
 ランダージョは困った様子でそう言うと、視線をあたしの後ろの方へと送って見せた。  
「一度は満足しておかないと、多分頭がもたないだろうからにゃぁ……。我輩よりもエセルに相手してもらった方が良いにゃ。」  
 その言葉に、長らく意識の外に追いやっていた人物の事を思い出す。  
 首を逸らしてその人物の方へと顔を向けると、そこにはズボンの留め金を外し、鎧と服の隙間から何かを取り出しているエセルが居た。  
 少しグロテスクな色に染まった、とても大きな……何か。ただ、あたしの頭は漠然と、それがあたしの求めていたものだと認識していた。  
「エセルは凄いらしいじょぉ?」  
 ランダージョはにゃししっと笑い、あたしの足の間の血を拭うと、エセルに場所を譲るかのように横へずりずりと移動して見せた。  
 エセルは無言であたしの側までやってくると、鼻から息を噴出し、ストンと膝を床に落とした。  
 無骨な顔に、どこか待ち兼ねていたかのような表情を浮かべつつ。エセルは腰から突き出てたものを、あたしの方へとグイと突き出して見せた。  
 手が自然と、存在が強く主張されたその部分へと伸びていく。触れろと言わんばかりに迫っているそれを、ただ見ている事が出来なかった。  
 先端から雫の様なものが浮き出、ふるふると震えている大きなそれに。あたしの指先が触れようかといった……その時。  
「コケーーーーッ!! あぁにさぁーーーん!!」  
 耳をつんざく様なけたたましい声が、小屋に沈殿していた薄もやの様な空気を、まるで突風の様にかき消していった。  
 
 正面の扉が勢い良く開かれ、見張りをしていたはずのアレクトールが、翼をバタバタと羽ばたかせつつ小屋の中へと飛び込んできた。  
 エセルとランダージョが驚いた様子で尻尾を立て、そちらの方へとガバっと顔を向ける。カーネの様子は視界の外だったため解らない。  
「あぁにさん、大変です! 大変ですコケーーーッ!!」  
 朝を告げるかのような騒々しいその声に、とろけかけた意識を無理やり覚醒させられる。  
 それでも目覚め切ったのは意識の半分くらいで、声が耳に入ってきても頭がいまいち言葉を理解しきってはくれなかった。  
「お、落ち着くにゃアレクトール。いったいどうしたにゃ、しょんなに慌てて……」  
「これが慌てずに居られますかコケッ!! 三銃士ですよ! 1・2・3じゅうすぃ〜どもがこの小屋に近づいてきてるんですよ!!」  
「にゃ、にゃんとおおぉぉぉぉぉぉ!!?」  
「すぐに急いで、ここを離れないとですコケッ! ほら早く、3人とも服を着て! 逃げる準備を急ぐコケェーー!!」  
 そう言ってアレクトールは壁際にあった木箱を引っ掻き回すと、その中から様々な道具を床に放り出し始めた。  
 太鼓の様なものやら、キーボードの様なものやら。譜面台やメトロノーム、何かの本や音楽記号が書かれたレポート用紙の様なものも混ざっている。  
「アレクトール、楽器はしょのままエセルに担がせればいいにゃ! ほりゃカーネ、寝っ転がって無いでさっさと起きるにゃあっ!」  
 ランダージョはそう言って急いでズボンを履くと、手近にあった木箱の中身をひっくり返し適当なものを拾い上げ、鞄に突っ込んでいった。  
 カーネは気だるそうにむっくりと起き上がると、ズボンをずり上げベルトを繋ぎ、転がっていた銃を担いでズダ袋をいくつか選ぶと、それを小脇に抱えていった。  
 エセルは、何故か顎をあんぐりと開けたまま固まっていた。しばらくして諦めた様な表情で鼻から息を噴出すと、服を調えアレクトールが散らかした物を拾い上げていった。  
「あぁ〜、盗賊どもからかっぱらった愛しの我が家ともついにお別れだにゃぁ……」  
「兄さんついにお別れ言っても、手に入れたのもついこないだの事じゃないですかコケ。」  
「って言うか、こんな家ヤダよ…。」  
 4人の魔族はもうあたしの事なんか完全に放り出して、小屋の中をゴソゴソと這い回っている。  
 先ほどに比べ大分収まっては居るものの、あたしの体の疼きが止まってない事なんか知るよしも無いらしい。  
「ねーぇ……何してんの……? 早く、もう一回……」  
「悪いけどここいらでお開きにさせてもらうにゃ! 三銃士がもしこの場に来たら、我輩達ただでは済まされないにゃあ〜〜〜っ!!!」  
「言っときますけど俺は、なーんにもしてないですコケェッ!!」  
「……もだ。」  
 ボソリ、と部屋の隅からどこか哀愁に満ちたエセルの声が聞こえた。  
 やがて用事を終えたのか、ランダージョは鞄を重たそうに担ぎ上げると扉の側まで移動し、声を張り上げた。  
「よぉし、お前たち! 逃げる準備は出来たかにゃぁんっ!?」  
「出来ましたァ〜〜〜〜〜」  
「完璧だァ〜〜〜〜…って兄さん、それやってる場合じゃ無いですコケッ!」  
 そう言ったアレクトールを先頭に、ランダージョの元へと思い思いの荷物を抱えた3人が集まっていく。  
「おっと、そうだったにゃ! そんじゃぁ、さっさと逃げだ……」  
 
 そう言ってランダージョが勢い良く扉を開けた、その時だった。  
「やっと見つけたわよ、ランダージョ!」  
「あら、そんな大荷物でどちらへお出かけですの?」  
「ほわぁ……」  
 開け放たれた扉の向こうから、聞き覚えのある人物達の声が聞こえてきた。  
「あにゃぁ〜、逃げ出すのが一歩遅かったにゃあ…! てゆーかお前たち、何でここに我輩達が居るって知ってるんだにゃあ!?」  
「ふふっ、ヴァルのおかげだよ!」  
「こちらに鼻効きの名犬が居る事をお忘れになって?」  
「そうそう、この名犬ヴァル様の鼻に掛かって逃げ切れる奴なんぞ……って俺様は犬じゃねぇーーーっ!!」  
 耳慣れたやり取りが聞こえてくる。しかし、どんな人物のものだったかが思い出せない。  
「ヴァルぅ、今自分で犬言ってなかった?」  
「………え、言って〜…ねぇよ?」  
「……言ってた………ふわわぁ…」  
「……………えぇい、そんな事はどうでも良いっ!! おい、ヘンゼルの飼い猫ども! りんごをどこへ隠したっ!」  
「我輩は猫ではにゃーーーいっ!! ちゃんと覚えとくにゃあっ! 我輩、ランダージョ!」  
「俺、アレクトー……ってだから、やってる場合じゃ無いですコケェッ!!」  
「それじゃこっちがいくよ! 白雪! いばら!」  
 何がそれじゃ、何だか良く解らなかったが、それ以上考える力が働いてくれなかった。  
『輝く、エレメンタルクローバー!』  
「むっ、兄さん!」  
『見せてやる、愛と勇気の女の子パワー!』  
「ん、そうかにゃ! よぉし……」  
『1・2・さn』  
「今のうちに逃げるにゃぁーーーーーーーーーっ!!!!」  
 ランダージョのその声と共に、土埃を立てるような音と一緒に、騒々しい足音が遠ざかっていくのを耳に感じた。  
 いつの間にか半開きになっていた扉からでは表の様子は伺えなかったが、恐らくこの場から離れていったんだろう。私を取り残して。  
 
「……え、あ、あれぇ?」  
「まあ! 口上が終わるのを待たずに動くだなんて、非常識にも程がありますわ!」  
「いや、お前が言うのかそれ。」  
「ほあぁ……どーする……?」  
「どーするって…追いかけるに決まってるじゃん! 待ぁ〜〜てえ〜〜〜〜〜!!!」  
 また1つ、足音が遠ざかっていくのを感じた。多分接地の度にだろう。妙な音がするせいで、無駄にわかりやすかった。  
「あっ、おい赤ずきん!!」  
「ちょっとちょっと、赤ずきん! 待ちなさいな!」  
「ふぁあぁ〜………」  
 またいくつか、声と共に足音が遠ざかっていった。それと同時に、表から聞こえていた騒々しい話し声が完璧に聞こえなくなる。  
 皆、行ってしまったんだろうか。そう思うと強い名残惜しさを感じたが、それでも何か行動を起こすような気力が湧いてくるわけでは無かった。  
 再び意識が朦朧としかける。そこで中途半端に開いた扉の影から、何かがこちらを覗き込んでるのを感じ、あたしはそちらへと眼を向けた。  
「キュピ…?」  
 動物だった。いつの間にここへと近づいていたのだろう。  
 それをいぶかしむ間もなく、今度はしっかりとした足音と共に、誰かが小屋へと近づいてくる気配を感じた。  
「キュピ? どうしたの?」  
 聞こえてきたのは、とても懐かしい声だった。  
「キュピ、キュピキュピ!」  
「誰か居たのかい? もしかしてりんご?」  
 扉が、ギギィと軋んだ音をゆっくり立てて開いていった。光が、床一面に広がった闇を切り取るかの様に中へと入り込んでくる。  
 やがて、長く伸びた影が一つ、その光の中へと現れた。  
「草太ぁ…?」  
「……りんご?」  
 声と共に、その影の持ち主が小屋の中へと入ってくる。そろそろとした足音が、木の床に固く響いた。  
「…りんご!? どうしたのりんご! 何があったの!?」  
 何故だろう。彼がここに来るのを、あたしはずっと待ちわびていた気がする。  
「ねぇりんご! 答えてよ、何があったの!? 何で…こんな……!!」  
 彼の声に、段々と涙が混じっていっている。昔からある泣き虫癖が、また再発したんだろうか。  
 それにしても変だ。悲しむ理由なんかどこにも無いのに。  
「りんご………ねぇ、りんごぉ……!」  
「…草太ぁ………男の子は、泣いちゃぁ…駄目なんだ…ゾ…?」  
「…りんご、話せる…!? いったい何があったの!?」  
 そうだ、そんな事より。早く、彼に大事な事を伝えなければ。  
「…ねぇ、草太ぁ……」  
「りん…ご……?」  
 彼の姿を見てから、あたしの体が疼きに疼いてもう我慢出来なくなってしまっている事を。  
「……来て……?」  
 にちゃ、と音のしたその場所を見せ付けるかのように。  
 ずっと昔から大好きだったその人に向かって、あたしはゆっくりと足を開いた。  
 

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