わたしの隣りにいる同じクラスの女子生徒井上京子は、教室内では誰にも気付かれないよう息を詰め、
通行人の無遠慮な内履きに踏まれないよう影すらスカートの下にするするとひっこめて、
冬ごもりの小動物よろしく無害に小さく丸まっているのに、わたしとふたりだけでこのいつもの廃ビルにいる間だけは、
時折まるで自分が井上京子であることを忘れてしまったみたいに無闇と強引になったりする。
井上京子の癖に生意気だと思う。
「松田さん」
床に散らばったトランプごしに身を乗り出して、井上京子が声をかけてくる。
「なんだ」
「動かないでくださいよ」
「今日はやめよう。疲れた」
「そうはいきません。約束ですから」
井上京子は楽しそうに手を伸ばし、わたしの頬に触れる。ひんやりとした打ちっぱなしのコンクリート壁にもたれているわたしに、
井上京子はいかにもなにやら企みのあるような微笑を向ける。つづいてもう片方の頬も彼女の手のひらに包まれる。
「松田さんが賭け事に弱いとは思いませんでした」
「別に弱いわけじゃない。今日はたまたま負けただけだ」
「もっとずるい手口を使ってくるかなって」
「井上京子相手にそんなことをしたらわたしの名折れになる」
井上京子の笑みが深くなり、ついで吐息が感じられるほど顔を寄せてくる。
「うーん。でも負けは負けですよね?」
実はポーカーの腕がプロ級などというあまりにインチキくさい、あまりに井上京子的な隠し設定の存在を予想しなかったわたしが悪いのだろうか。
無理だ、そんなの。
「……ああ……一度だけだぞ」
もちろんですよ、と囁き、分厚い瓶底眼鏡をはずした井上京子の、リアリティ皆無な美貌がいよいよ間近に迫ってくる。
わたしが目を閉じるのを待ちかねたように、彼女の唇がわたしのそれと重なった。
やわらかい、と思った。弟の唇と同じくらいに、心地よい感触だった。
そのまま数秒が過ぎ、こちらがもうそろそろ息が苦しいかなと思い始めた辺りで、満足したのか、彼女はそっと離れた。
「もう一度勝負しましょうか」
「こんな悪趣味な賭けはもう願い下げだ」
わたしがそっけなく告げると、次は何を賭けるつもりだったのか知らないが、井上京子はひどく残念そうな顔をした。
勝負をしたら当然また勝つつもりでいるらしい。
――井上京子の癖に生意気な。