沈黙の夜がビルのはざまにおとずれようとしていた。  
 沈んでなおオレンジに輝いていた残照がついに暗く失せていくのを、なめるような思いで森  
野は見つめていた。  
 甘美な絶望がひりひりと心を侵食していく。  
 無数の革ベルトに蹂躙されて、コンクリートの棺の底から見上げる空が無常にもあせていく。  
今にも暴れだしそうな焦りにむしばまれつつ、けれど、浅ましい火照りを抑えこむためには、  
イくにイけない生殺しの凌辱をじっとして味わうほかないのだ。  
 手からこぼれていく時間は、残りの命そのものだ。  
 躯の芯を溶かされて、爛れきった疼きと焦燥から、森野は死のせとぎわに近づきつつあった。  
強制的な発情によるたえまない体力の消耗に加えて、異常な熱気が彼女の生命力を奪いかけて  
いるのだ。  
 実際、森野は軽い脱水症状におちいり、意識がもうろうと遠のきかかっていた。  
 少年は来なかった。  
 いや、まだ来ていなかった。そう表現した方がいいかもしれない。  
 彼女の寝かされた外壁は屋上から一段低くなっており、ドアからは陰になっている。手すり  
まで来なければ、人が寝かされているなど知りようがない。犯人が階段を降りていく音は壁を  
つたってはっきりこだましたし、ずっと聞き耳をたてていた。誰か来ていれば必ずわかるはず  
なのだ。  
 けれど‥‥。  
 かろうじてつないできた最後の希望が崩れ、不穏なイメージが広がっていく。  
 ところどころ森野の記憶は飛んでいた。イかされつづけて絶息し、呆けているあいだ、ひょ  
っとしたら少年は来たのかもしれない。森野を呼び、反応がないので立ち去ってしまう。その  
可能性がゼロだとは断言できないではないか‥‥。  
「うグ、ン‥‥んぁッ!!」  
 たまらずぎしりと身もだえ、とたん、全身に仕掛けられた無数の責め具に鳴かされて、瞬間  
的にイッてしまう。  
 蠕動するクレヴァスの奥が、熱くただれた帳に埋もれた革ベルトを引きずりこもうと蠢き、  
かえって半端にずるずると肉芽を擦りあげるだけの結果に終わってしまう。つきあげるもどか  
しさは頂点に達し、欲望の鬱積で頭がまっしろにはじけ、どろどろとした唾液が、のどの奥に  
からんでいた。  
 拘束のための口枷にさえ意味もなくしゃぶりつき、円筒状の筒の内側でねっとり舌を使って  
しまう。  
 ぷるぷると乳房が震え、誘うように熟れた少女の匂いがひろがっていく。  
 あまりに長くむごすぎる焦らし責めは、イキたいという以外の理性や思考をすべてかき消し  
てしまうのだ。  
 幾度となく、後ろ手に握らされたスイッチのことが頭をよぎる。  
 なんで押しちゃいけなかったのかは分からない。駄目だったはずなのだけど‥‥。  
 でも、このスイッチを押せば‥‥。  
 きっと、体がバラバラになるぐらい、最後までイけるはず‥‥。  
 意識が惚けていくにつれて、なぜ自分があれほど突っぱっていたのか、スイッチを押すこと  
を拒んでいたのかさえ、分からなくなってくるのだ。  
 全身の肌という肌をびっしり蚊にさされ、腫れているようなものだ。  
 掻きたくて掻きたくてしかたない。ひりひりして、赤く膨らんで、触るだけで楽になれるは  
ず。なのに、理由なんかとうに忘れてしまった理性のどこかが、絶対に掻いてはだめだと悲鳴  
をあげるのだ。  
 
 誘惑と忍耐のジレンマは身も心も裂いていく。  
 懊悩の極地に追いこまれて、もはや、自分が何を待ちわびているかさえわからなくなる。  
 だから、彼女の屈服は時間の問題でしかない。  
 少女のからだは、汗と火照りで、いまではすっかりいやらしく出来上がっていた。  
 這いまわる革の拘束具は、白くとろけた柔肌と完全に一体化していた。  
 乾ききってぴっちりと身を締めあげ、肌をむしばむのだ。  
 まるで肌と融けあってひとつになったかのように縛めが呼吸し、ささいな煩悶や身じろぎで  
さえ革ベルトが吸収して、いともたやすくこらえていた被虐の波濤を呼びおこす。そのたびに  
記憶が飛び、全身がけだるいアクメで焦らされ渇いていく。  
 熱帯夜だった。そよぐ風さえねばっこく、だるい余熱をはらんでいた。  
 夜気さえゆらゆらと霞む余熱はサウナのようで、一分のすきもなく柔肌に食いいる無数の革  
ベルトをさらにひとおし、ぎりりと絞りこんでいく。その拘束感が気持ちいい。圧迫されしび  
れた裸身は、たえまなく這いまわる手できつく抱き寄せられているかのようだ。  
 五感のすべてが性的な意味を持ってせまってくる。  
 気丈だった森野夜の心をマゾにつくりかえ、奴隷のように屈服させ、隷属させていく。  
 1時間や2時間ではない。めざめてから12時間以上、いっときの休息もなく責められつづけ  
て、普通の少女が堕ちないわけがないのだ。  
「ん‥‥んふ、ンッ‥‥」  
 顔の下半分に密着したフェラチオ用の口枷から、苦しげに息が洩れている。汗でへばりつく  
口枷から空気が入らず、なかばふさがれた鼻で懸命に呼吸する。  
 発情した、むせぶような自分自身の匂い、女の匂いに眩暈さえおこしつつ、周囲をみやる。  
 腰が跳ねてしまう。  
 このままではいけない‥‥。  
 彼が来るまで、耐えるんだから‥‥。  
 少年のことを思いだすと、わずかに残された正気が戻ってくる。  
 心のなかに力をため、森野は自分を呼びさました。ぐったりしてはいるが、瞳に意思が戻っ  
てくる。  
 考えてみれば、森野は蹂躙される一方だった。  
 いま、どんな拘束をされているか‥‥。  
 それが分かれば、まだしもわずかな余力が残るうちなら抜けだせるかもしれないと一縷の望  
みをいだいたのだ。実際に脱出可能どうかより、希望をもつ、ということが重要だった。犯人  
に心まで売りわたしたくはない。  
 
 顔を背けたくなるのをこらえながら、鏡の自分に目を凝らす。  
 首を傾げ、前髪をふりはらい、赤面して自分自身をなめるように見つめていく。  
 革の首輪から鎖骨のくぼみ、乳房、さらにへそのあたりまで‥‥  
 うとましい呻きがあふれる。  
 全身を緊めあげる革拘束は、森野がどれだけ悶えてもけっして解くことができないよう処理  
されていた。  
 幾重にも重なりあうベルトは、すべて南京錠で留められている。金属の閂で施錠されたカラ  
ダは、どれだけ森野が煩悶したところで1ミリたりともゆるむことはない。これでは、屈強な  
大の男でも脱出は不可能だろう。  
 一人の少女を生贄としてその細身のカラダに施すには、あまりに苛烈で無慈悲なものだった。  
 実用以上に見た目の残酷さで犠牲者の希望を奪いさる‥‥そういう目的だ。  
 さらに下へ。  
 辱められた女の部分へいやいや目を向け‥‥はっと息を呑む。  
 ベルトに埋もれた性感帯の中心部にも、乳首と同じピアス状のクリップが、ネジ止めの金具  
できりきり留めつけられ、ベルトをくぐった下で強く肉芽に噛みついていた、  
 どれだけ我慢しても腰が跳ねていたのは、この小さな仕掛けがじかにほどこされていたから  
なのだ。包皮をむきあげたまま、錐のような冷たく鋭い刺激で彼女をねぶりたてていく。今ま  
で気づかずにいたのは、羞じらいから強調された自分のそこに目をやらないようにしていたせ  
いだろう。  
 あらためて肉欲の疼きをおぼえさせられ、つんとつきあげる誘惑を意志の力でねじふせる。  
 少なくとも、これでは拘束を解くのは不可能だった。  
 だが‥‥背中側、体の下敷きにされた後ろ手はどうなっているのだろう。最低限腕だけでも  
動けば、まだ、どうにかなるかもしれないのだ。  
 もしかしたら、私が抵抗することなど予想もしていないのでは、と思う。  
 それは森野自身にとって都合のいい考えであり、犯人の罠でしかない。普段の彼女ならそこ  
まで考えたのだろう。けれど、そのときの森野はすでに天日にあぶられて消耗し、体の芯から  
こみあげる女の疼きにたえかねていた。  
 幅50センチほどのスペースで、滑落しないように注意してごろりと体を反転させる。  
 ざりざり、と乳首がコンクリートにこすれてとてつもない痛みをもたらした。悲鳴がこぼれ、  
それすら口枷が吸収してしまう。しばらく悶絶し、その場で硬直した。  
 涙目になり、胸をいたわるようにゆっくり、歯を食いしばってうつぶせになる。  
 そのまま首だけをねじり、頭上の鏡をのぞきこんだ。  
 せめて手首だけでも、ほどけそうなら‥‥。  
 だが、後ろ手を見やり、無残に期待を打ち砕かれて森野は呻いていた。  
 
 肘をそろえ、背中でコの字に腕を重ねた手首には、3連の革手錠が食い込んでいた。  
 両手の手のひらで自分のひじをつかんでいる姿勢のまま、肘から手首までを完全に太い革の  
筒が包みこみ、その上から3箇所でベルトが絞られてバックルをかけられている。南京錠のか  
かった中央のベルトを解かなければ腕は自由にならず、そして、肘のあたりに追いやられた手  
首はどれほど柔軟でもバックルまで届きそうになかった。  
 最初から、絶望させるための、異常なまでの縛めが森野にはあたえられていたのだ‥‥。  
 周到さと残忍さをおもい、失意のあまり、くらりと意識がゆらぐ。  
 そのとき、張りつめてきた糸がゆるみ、森野の裸身はぐらっと大きく投げさされていた。  
 上下が回転し、危うく転落しかけ、必死で腰を浮かす。  
 頭上にひろがった夜空がぐるぐると回り、反転してはるか下の路上を見下ろしていた。左の  
肩をコンクリートにこすり、不自由な足に力をこめてかろうじて停止する。  
 遠くの喧騒とはうらはらに、通りは人気がたえていた。向こうからくたびれた様子の会社員  
が歩いてくる。泳ぐ視線のはじで彼が立ち止まるのが目に入り、しかしその直後、森野夜は戦  
慄した。  
 何者かが、まっすぐに屋上への階段をあがってくる。  
 そんな、どうして‥‥。  
 ためらいもない靴音は犯人のものに違いない。来るはずのなかった犯人の登場に動揺し、そ  
してそれが、凍りついた森野夜の明暗をわけた。  
 激しい音をたててドアが開く。  
 びくりと震えた森野のカラダが、今度こそ危険なまでのバランスで外壁のそとへと傾ぐ。  
 もはや、残された力では回復不能なことを森野はさとった。  
 屋上で誰かの声が響いている。  
 全身をかきみだす恐怖と死の愉悦が、森野のあえぎをほとばしらせる。   
 汗まみれの拘束衣がにちゃりと滑り、次の瞬間、傾いた森野の裸身は音もたてずに外壁から  
消えていた。  
 
 
 ビルの外の遠い喧騒が、ざわざわと最上階の踊り場まで響いてくる。ひどく猥雑なBGMや  
呼びこみは、ホテルの密集する歓楽街としての夜を演出していた。  
 屋上へつづく施錠されたドアにもたれ、階下を見下ろしてじっと待つ。  
 嵌め殺しになったドアのすりガラスからネオンがあふれ、ちかちかと僕の肩で踊っていた。  
ハーフ丈のチノパンに手をつっこみ、いざというときにそなえて持ってきたナイフの柄をまさ  
ぐる。とある殺人犯との出会いの記念にもらったナイフセットの一本だ。刃はかわいておらず、  
かわりに、しびれるような冷気が死の気配を教えてくれた。  
 暗闇のなかから、コツコツと刻むような靴音があがってくる。階段をあがりつつ胸もとから  
とりだしたタバコを口にくわえて、そこで、僕に気づいたようだった。残り数段をはさんで、  
上と下から視線がぶつかりあう。  
「こんばんは」  
「あれ、きみは‥‥」  
 解せないといいたげに首をひねり、森野さんの彼氏だっけ、とけだるそうに奥井晃は答えた。  
不審そうな色が瞳に浮かぶ。僕は、雑居ビルの2号店で本店の場所を聞き、ここに来たと説明  
した。  
「にしても、あまりよろしくないね。ビルのこんな暗がりにひそんで、空き巣ねらいと勘違い  
されるよ。警察なり学校なりに通報されたらどうするんだい」  
「そのときは背中の扉をこじあけますから」  
 急にけわしくなった奥井晃の視線に失望をおぼえつつ、それで、と問いかけた。  
「もう決めましたか?‥‥森野夜をどうやって殺すかは」  
 
 肌にささるような無音のひとときが奥井晃と僕をつつみこむ。静寂はほんの数秒だろうか。  
 口にした煙草に火をつけず、不思議そうな目で奥井晃は僕を見た。質問の意味が分からない  
な、とつぶやく。僕は、昨夜から森野夜が家にかえっておらず、最後に奥井晃と一緒のところ  
を見られていると説明する。  
 奥井晃は小さく苦笑し、なだめるように言葉をつむいだ。  
「だから私が犯人だと? きみが森野さんを心配するのは分かるけど、根拠としては薄くない  
かな。探偵ごっこでももう少し確実な調査をするもんだ。私には真犯人でないというアリバイ  
まであるのにね」  
「ええ。だからこそ、です」  
 ここまでくれば、もう陽気な少年のペルソナをかぶりつづける必要もない。  
 いっさいの表情を消し、僕は平板に告げた。  
「あなたは真犯人の手口に魅せられ、自分のビルで4人目の田辺ありさを殺した、ただのでき  
そこないの模倣犯です。そうして、次の犠牲者に森野夜を選んだ」  
 ちがいますか、ひかるさん。そうたたみかける。  
 暗がりのなかで、奥井晃の‥‥彼女の瞳から色がうせていくのを、僕はじっと見つめていた。  
 
 
 僕が奥井晃を疑いだすきっかけになったのは、森野夜があずかった鍵だった。  
 最初の探索のとき、森野の持っていた鍵は勝手口と屋上のドア、さらに店舗のドアまで開け  
ることができた。つまり、マスターキーだったのだ。通常そうした鍵を所有するのはビルオー  
ナーにかぎられる。  
 なぜ奥井晃はビルオーナーだということを僕らに隠したのか。そもそも見ず知らずの人間に  
マスターキーを貸すなど無謀きわまりない。  
 おそらく、そこまでして彼女は森野の注意をひきたかったのだ。  
 殺害現場のビルオーナーが都合よく猟奇事件に興味をもち、鍵まで貸すのはおかしいと考え  
たのだろう。その点、SMマニアなら疑われにくいと計算したのかもしれない。さらに記憶を  
たぐってみれば、被害者と一面識もないはずのビルオーナーが葬儀に参列していることじたい  
不自然だった。  
「もちろん、これだけでは犯人と断定できません。決定的なのは、田辺ありさの死因でした。  
あとで週刊誌やネットを調べましたが、やはりそうだった。あれは犯人のみ知りえた事実なん  
です」  
「排泄物を口にそそぎこまれたって私の話かい? あれがなんだっていうんだ。現場検証の警  
官も顔をしかめてたし、清掃車だって来たんだ。あの場にいた住人なら誰だって知っているだ  
ろうよ」  
「ですから逆なんです」  
 攻撃的で男性的な話しかたをする奥井晃をさえぎる。  
「彼女は屋上から落ちて首の骨を折り、死にました。首吊り自殺と同じです。眼球が飛びだし、  
糞尿をもらしたり失禁する。でも、それはただの結果であって、糞尿をもらしたから飛び降り  
るわけじゃないんです」  
 そうなのだ。  
 首を吊ったから排泄物をもらすのであって、排泄物をもらしたショックで首吊りはしない。  
現場には汚物がまきちらされただろうが、それが『いつ』排泄されたのかは、犯人以外の者が  
知りえるはずがない。  
 そもそも、口とお尻をホースでつながれていたという情報自体、一般にはでまわっていない。  
落下の衝撃で拘束具は壊れ、あちこちちぎれてしまったのだから。  
 奥井晃は、窮地においこまれた猫のように肩を怒らせ、歯をきしらせていた。  
 
 そのありように失望する。  
 僕がこれまで目にした猟奇殺人犯たちは、犯罪衝動そのものが人生だった。日常はうつろな  
はりぼてで、退屈でかわいた日常のなか、人を殺すという行為の感触だけが彼らを現実に引き  
よせる。  
 だが奥井晃は違う。帰国してDOA殺人を知り、心酔して犯人にあこがれた偽者にすぎない。  
こちら側の人間にすぎず、日常のしがらみに縛られている。だから、警察の動向をさぐろうと  
被害者の葬儀に顔をだし‥‥森野夜に出会ってしまった。  
 奥井晃は、森野夜に声をかけた瞬間から、彼女を次の獲物に選んでいたのだ。  
「不思議なことですが、森野には異常者を招きよせるフェロモンがあるんです。あなたのよう  
な二流まで釣りあげたのは意外でしたが」  
 肩をすくめ、狂おしいほどの怒りを放つ奥井晃の視線をやりすごす。  
 すでに糾弾そのものがどうでもよくなっていた。  
 奥井晃には異常者になりうる素質があった。だが、楽しみのために人を殺めながら、彼女は  
みずからの人間性さえ殺しきれていない。異常者にもなりきれず、日常にしがみつくさまは滑  
稽でしかない。  
「森野夜はこのドアの向こうにいますね。生きているのなら、返してもらえませんか」  
 あれは‥‥僕のものなのだから。  
 僕の発言を耳にして、奥井晃の顔にわずかだが余裕が生じた。こちらをねめつけ、唇をねじ  
まげて笑う。  
「ふん。そこにいると思いこんでいるのか。思いこみだらけの探偵坊やだな。こんな会話をし  
ているあいだにも、森野夜は一人でじわじわと死にかけているぞ。探しにいかなくていいのか、  
うん?」  
「いいえ。間違いなく森野はここにいます。理由は簡単‥‥あなたが模倣犯だからです」  
 二度つづけて自分の持ちビルで人を殺すのはかなりのリスクを負う。DOA殺人の他の被害  
者のように、森野がよそへ連れさられた可能性はゼロではない。  
 しかし‥‥。  
「あなたと真犯人は決定的に違う」  
 それこそが重要だった。  
「あなたは、自分が見て愉しみたいがために犯行をおこした。他人に見せるため、わざわざ睡  
眠薬をつかってまで死のタイミングを演出した真犯人とは動機が真逆なんです。犯行を人に見  
せようなどとは思いもしない。人の死を独占したいだけなんだ、あなたは」  
 だから、田辺ありさは人気のない早朝に死んだ。その殺しかたも、オリジナリティの欠けた  
1・2件目の醜悪なパロディだった。  
「あなたのようにいぎたない殺人犯が、森野夜が死んでいく最高の瞬間をのがすわけがない。  
今ここにあなたがいる以上、森野もこの屋上で死につつあるんです。違いますか?」  
 奥井晃の反論はなかった。  
 
 黙ったまま、彼女の返事を待ちつづける。  
 答えるかわり、奥井晃の顔からいっさいの表情が消えた。足を踏みだし、威圧的に一歩づつ  
階段をのぼりだす。  
「で? これから、どうするんだい」  
「そうですね‥‥真犯人にならいざしらず、あなたのような変質者のなりそこないに森野夜を  
わたすのはしのびないですね」  
「そうじゃないだろ。違うだろう。鍵のかかったドアの前に追いつめられて、おまえはどうす  
るつもりなんだと聞いているんだよ、私は」  
 階段をのぼりきった奥井晃がふところに手をいれ一閃させると、折りたたみの警棒が伸びた。  
彼女は背も高く、負けるはずがないと信じきっているのだろう。内心でうんざりしつつ、僕は  
動いた。  
「なら、こうしましょうか」  
 後ろに手をまわしてノブを握り、屋上のドアを大きく開け放つ。  
「なっ‥‥どうやってカギを開けた!」  
 彼女のためらいを逃さず、バックステップで屋上へ飛びだした。猥雑な喧騒と夜気がねばり  
つき、ネオンが背中を照らす。奥井晃の所有する2つ目の雑居ビルにも、四方を閉ざされた屋  
上が広がっていた。  
 かぼそい悲鳴が後ろであがった。みなくとも分かる。手すりの向こう側に寝かされた森野だ。  
田辺ありさと同じように拘束され、口枷の下で呻いている。  
 すぐに怒声をあげて奥井晃が飛びだしてきた。  
 警棒をふるって突進してくるかわり、奥井晃はジーンズの尻ポケットから四角い器具をとり  
だし、みせつけるようにかざす。  
「そこまでだ。動けばこのリモコンを使うぞ。森野夜は‥‥死ぬ」  
 奥井晃がにんまりと笑う。森野を救いたければ言うとおりにしろと僕に語りかける。口封じ  
したいらしい。こうくるだろうということは、奥井晃とは分かりあえないだろうということは  
予想済みだ。  
 だから、僕の返事も決まっていた。  
「どうぞ」  
 意味が分からなかったのだろう。とまどったように奥井晃の動きがとまった。森野から聞き  
ませんでしたか、と問いかける。  
「僕は人の死んだ場所をたずねあるくのが趣味なんです。そうすれば、こんな風に」  
 言葉を切り、チノパンからナイフを抜きだす。  
 ネオンを反射する輝きに目を射られ、つかのま無表情になり、彼女に告げた。  
「殺人犯にさらわれた、僕にとってもっとも大切な人が殺される瞬間を、この目で見ることが  
できるかもしれませんから。そうでしょう?」  
 ちらりと、奥井晃の瞳の底を、おびえめいた何かがかすめていく。  
 怒りにわめいて、彼女はリモコンを押しこんだ。壊れたような喜悦のよがり声がほとばしり、  
ガチャンと鎖のはずれる音がする。  
 躯をはずませ、落下する森野のかすれた悲鳴に、僕はじっと耳をかたむけた。  
 

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