「妹さんが? そうなの」  
 一部始終を語りおえると、耳を傾けていた森野は吐息をついて思案にふけり、やがて素敵な  
才能ねとコメントした。意思にかかわりなく死体を発見してしまうという桜の才能は、やはり  
森野をうらやましがらせたようだ。  
 僕と森野は、電柱の影さえ干上がった陽炎のような住宅街を引き返すところだった。  
 ひとすじの滴が陶磁器のように白い森野のあごをしたたり、森野でも汗をかくのだなと変に  
感心する。  
 広場の調査も近所での聞きこみも、ともに空ぶりに終わっていた。遺体の消失という悲しい  
できごとをのぞけばとりたてて発見はなく、付近の住人もこの川べりには近づかないためか、  
目撃者も見つけられずにいる。  
 そもそも、何も知らぬ者がコンクリートの土手の上から草の海を見下ろしても、天蓋のよう  
に茂った背の高い草にうもれて広場は外から見えないのだ。やはり遺体を奪った者は、この一  
帯の地理に詳しいのだろう。  
 桜については、他にも不可解な点があった。  
 涼一の部屋で死体の話をしたときの奇妙な表情はなんだったのだろう。  
 いつもなら死体を見つけて寝込む桜が、今回はあまり体調を崩していないのも不思議だった。  
あれから熱があがったりひどくうなされる様子もない。帰宅した親との会話でも、死体の話は  
いっさい口に出さず、今朝も普段どおりに犬の散歩へでかけている。  
 普通であることがどこか変だ、というのは逆説的だった。  
 考えこんで歩く僕を、まるで興味深い変化を示した計測グラフでも見るかのように、森野が  
しげしげと観察している。  
「あなたは、妹さんが死体を盗ったのではと疑っているのね」  
「ただの可能性さ」  
 つとめて冷静に答える。死体が見つかったきっかけはむしろ片桐涼一にあった。桜と涼一が  
出くわさなければ、桜が普段と逆方向の涼一の家へと散歩することもなく、鉄橋の下の広場で  
死体を見つけることもなかったのだ。  
 だが、死体を持ちさったのは犯人ではない‥‥いや‥‥本当に、そうだろうか‥‥。  
「‥‥。なんだ?」  
 なにか違和感が頭をよぎったが、答えはつかめなかった。かわりに、家族や身内がこうした  
殺人者だったらどう感じるだろうと森野に聞いてみる。もやもやしたこの感覚は、それに近い  
ように感じたからだ。  
「‥‥。あなたがそれを聞くの?」  
 なんとも言えない光のない瞳で、森野は僕を見た。どういうわけか僕は森野をあきれさせて  
しまったらしい。  
 黙って見つめ返すと、しばらくの無言ののち、私がどう思うか答えるつもりはないし今後も  
そういう質問はしないで、とぴしゃりと拒絶された。森野の、思いがけぬ語気の強さにびっく  
りする。  
「でも、そうね‥‥。子供のころの私なら、もしかしたら殺人犯になっていたかもしれない」  
「小さなころの森野夜だね」  
 ええ、とうなずく。  
 森野の子供時代は前に聞いたことがあった。彼女たち姉妹はいたずら好きで、死体ごっこや  
残酷な実験をくりかえしたのだという。  
「仮にそうなっていたら、家族はみな私を止めようとしたでしょうね。私の妹も含めて‥‥。  
逆だとしても‥‥そうね、愛情はあるし、私も家族と同じ反応をすると思う」  
 あなたには悪いけど、そう前置きして、  
「私とあなたは逆だから、あまり参考にはならないと思う。ごめんなさい」  
 気にしなくていいよと返答する。  
 彼女の発言は正鵠を射ていた。森野と僕の違いは決定的なものだ。仮面をかぶることでしか  
人と交われない僕には、一般的な思いやりや愛情がなんであるか分からない。その冷たさを、  
彼女は指摘したのだろう。  
 
「妹さんのことはあなたの問題。それより、私は犯人のことが知りたいわ」  
 足首を切り落とすために人を殺すという僕の仮説に森野が食いついていたことを思いだす。  
森野が興味をしめすのもむりはない。この殺人者は僕らのごく身近にひそんでいるのだ。知り  
合いの可能性さえある。  
 また狙われるかもしれないよ、と言ってやると、間髪いれず返事が返ってきた。  
「そうね。私が殺されたら、足首はあなたにあげるから」  
 思わずどきりとなり、まじまじと横顔を見つめてしまう。瞼を伏せたままの流し目が刺さる  
のを肌で感じた。最近の森野夜はブラックジョークも口にするようになったらしい。しかも、  
かなりの切れ味だ。  
 僕がどんな顔をしたのかは自分では分からないものの、森野はその反応に満足らしかった。  
 草の海を見下ろす土手をあとに、コンクリートの巨大な橋を渡っていく。  
 橋には、車道と別に歩行者用の区画が設けられている。桜はこの橋を通って塾へ向かうのだ。  
今日もいまの時間帯、ちょうど夏期講習を受けているはずだ。  
 対岸での聞きこみを提案したのは森野だった。  
 雑草に埋もれたこちら側と違い、対岸の河川敷は雑草もきれいに刈りとられ、住人の憩いの  
場になっている。OLが殺された二日前のことや、桜と涼一が死体を見つけたときの状況を目  
撃した者がいるかもしれない。  
 土手を下流へと歩きながら、河川敷で遊ぶ子供や家族連れをみつけるたびに声をかけていく。  
 成果はすぐに得られた。  
 木陰で涼んでいたお年寄りの一団が「川べりの広場」という言葉に反応したのだ。なんでも  
ゲートボールの最中、対岸の土手を駆け下りた女の子が自転車ごと転倒し、連れの少年が介抱  
するところを目撃したらしい。  
 まちがいなく、その2人は片桐涼一と桜だろう。  
 そのときの女の子は僕の妹なんですと告げると、素直そうな良い子だ、こっちの別嬪さんと  
同じくらい綺麗だ、いやいやこの子の彼女の方が美人だなどと褒め言葉が飛び交い、やがて、  
今どきの若い者はええのうという良く分からない方向へ話が発展しはじめた。  
 明らかな脱線だ。会話の方向性をまちがったらしい。  
 愛想よく話の軌道修正をこころみる隣で森野は沈黙していたが、頬に赤みがさしているのは  
僕にとっても新鮮だった。  
「おんや待てよ。片桐さんたらあんた、朝早くにも来てなかったか」  
「うむ。コンビニの袋を提げたまま、広場のはじっこに座って一人で川を眺めとった」  
「女の子を連れて帰ったあとで、片桐さんちのはもう一度来ておったよ。小走りに広場まで降  
りてきて、ごそごそと靴を拾っておったの。女の子の靴だったんかね?」  
 『靴』という言葉に、思わず森野と視線をかわす。  
 だが、時間的には、僕の方が遅れて広場を訪れているはずだ。涼一の家に着いたとき、彼は  
すでに部屋の前に立っていた。歩けばそれなりの距離だ、抜け道があったとしても、自転車を  
追い抜いて先まわりできるはずがない。  
 老人らがゲートボールをやめて帰宅したのは夕方だそうだが、対岸に人を目撃したのはその  
3度きりだという話だった。感謝を口にすると、いやいやこちらこそ眼福眼福と老人らは嬉し  
そうに土手を引き返していく。  
「涼一という少年が、いまのところ一番あやしいわね」  
 ようやく二人きりになってほっとしたらしい森野が端的にまとめてくれた。目撃されたのは  
死体発見のときだけではないし、彼が回収したという靴も気にかかる。  
 いずれにせよ、片桐涼一は、たまたま川べりを訪れたというわけではなさそうだ。  
 さらに聞き込みをつづけるうち、思わぬ収穫があった。  
 OLが死んだとされる日の深夜に、河川敷でサークルの友人たちとキャンプしていた大学生  
が見つかったのだ。  
「鉄橋の下の広場だろう。人ってもあの日はほとんど誰もいなかったよ。深夜をまわってすぐ、  
中年男性が一人で煙草をふかしていたぐらいだね。川のあっち側は雑草だらけだから、煙草の  
ポイ捨てで失火しないか心配で見ていたよ」  
 俺たちも花火で遊んでいたから人のことは言えないかな、と笑う。  
 
 大学生の話によれば、煙草を吸っていた中年男性は帰宅途中のサラリーマン風で、コンビニ  
の袋から缶コーヒーを出して飲みながら、しばらく川面を眺めていたという。さらに質問する  
が、男性の特徴までは彼も思い出せなかった。ただ、吸いかけの煙草を自分の携帯にはさんで  
もみ消したのが妙に印象に残ったという。  
 男性が広場にいたのは30分程度。その夜は月明かりもはっきりしていて、明け方まで遊んで  
いた彼らが見かけたのはその男性一人だという話だった。  
 ありがとうございましたと感謝するふりをして立ち去り、これ以上聞きこみは必要ないから  
帰ろうと森野をうながす。長い黒髪を微風にそよがせていた森野は、おどろいたように抗議の  
まなざしをこちらに向けた。  
「帰るって‥‥。あれだけじゃはっきりしないじゃない。男性がだれなのか‥‥」  
「間違いないさ。片桐の父親だよ」  
 昨日の夕方、橋の袂で彼に会ったときのことを話して聞かせる。煙草にはそう詳しくないが、  
携帯電話の形をした携帯灰皿などそうはないだろう。  
 かなりの確率で、片桐の父親が犯人ではないか‥‥そう、僕の勘はつげていた。  
 問題は、目撃された父親が一人きりだということだ。  
 逆に言えば、まさに犯行を行ったとおぼしきその時刻、被害者のOLを誰も見かけていない  
のが不自然なのだ。ニュースによれば、被害者はこの街に住んでいたわけではない。彼女の目  
撃証言をさがすのは困難だと思われる。  
 いずれにせよ、そこから先は僕らのすべきことではなかった。  
 僕らはアリバイ崩しをもくろむ刑事でも探偵でもない。むしろその反対であり、犯人が逮捕  
されようが逃げようが、どうでもいいのだ。消えた足首を探しだし、できれば犯人にも接触し、  
事件について聞きだす  
 いつもながらの、森野と僕のささやかな目標だった。  
 そろそろ昼でもあり、日も高くなったので今日の捜査は打ち切りにする。  
 駅前の繁華街へと戻り、森野オススメのシーフードレストランとやらに向かう。例によって  
彼女手描きの地図は殺人的トライアスロンを強いる‥‥国道の中央分離帯から川に飛びこんで  
かなり泳いだ先にあるらしい‥‥ので、直接案内してもらう。  
 席に通され、ようやく水で喉をうるおした森野は、無表情なままおごってと言った。  
「なぜ?」  
「おごって欲しいからおごって」  
 なんだかわけの分からないことを言いだす。首をかしげつつ、店内を見た。たしかに客の大  
半はデートとおぼしき若いカップルばかりだ。しかし、僕らはデートをしているわけではない。  
そう口にしかけ、僕は、世にも珍しい光景をまのあたりにして絶句した。  
 ‥‥森野の頬が、ほんの少し、不満そうにふくらんだのだ。  
 結局、いいでしょという強引な説得に流されて、昼食代は僕のふところから消えていった。  
 森野にも、桜の素直さと可愛げがあればいいのにと思うことがたまにある。  
 今日がまさにその日だった。  
 
 
 事件の進捗をあれこれ気にかけながらも、ようやく行動を再開したのは次の日の午後遅くに  
なってからだった。僕も僕とて夏期休暇を満喫するばかりではなく、予備校に通ったりもして  
いるのだ。  
 森野は都合が悪いそうで、おとといと同じ土手沿いの道を一人で向かう。  
 桜の塾へ通じるコンクリートの橋を横目に通過し、さらに下流の鉄橋のわきを走り抜けると、  
片桐涼一のマンションは目と鼻の先だ。こうして距離を測ってみれば、死体が遺棄された広場  
からも意外なほど近いことが分かる。  
 涼一の家付近の河川敷も、膝のあたりまで雑草が生えていて人をはばむが、例の広場よりは  
草も短く、自転車でも入っていけそうだ。だからこそ、犯人は人目につかない場所を選んだの  
だろう。  
 
「あらいらっしゃい。桜ちゃんは元気?」  
 ドアをあけた涼一の母親に、おかげさまでと礼を述べる。このまえ食事を残した犬も、今日  
は元気だそうだ。死体を見つけた犬も、人間のようにショックで食事がのどを通らなくなるの  
だろうか。いずれ実験する価値はありそうだと思う。  
 呼ばれて出てきた涼一は、僕一人での訪問にとまどっていた。平日なので父親はまだ帰って  
いないという。  
 むし暑い外廊下に出てから、君が見た死体のことが気になってね、と切りだす。とたんに、  
涼一の顔色が青くなった。うろたえ、何も知らないとくりかえす。なるべく脅かさないように  
ほほえんだ僕は、変だねと首をかしげた。  
「あのあと広場に戻って女物の靴を持ちさった君は、多くの人に目撃されているんだけどね」  
「えっ‥‥。そんな、なんで‥‥いつ」  
「それだけじゃない。桜と会うより早い時間に、広場で座っていたという話もある」  
 でもおかしいだろう‥‥。  
 先に広場に来たのなら、足首があることに気づいていたはずなんだ‥‥。  
 あの足はすでに腐敗が進んでいた。広場まで土手を下りたなら、臭いに気づかぬはずがない。  
ほかにも、死体を見たにもかかわらず、血痕が残っていたと聞いて急に動揺したり、不自然な  
点が多いのだ。  
 返事がないので、もう一度ゆっくり質問をくりかえす。  
 気づけば、立ち位置が入れかわっていた。涼一は閉ざされたドアにぴったり背を押しつけ、  
僕はその肩に手をかけ、おびえた瞳孔の動きを注視している。まぶしい陽射しのせいで逆光に  
なり、こちらの顔は見えないはずだ。  
 彼のおびえは、僕にではなく、あきらかに殺人犯に対するものだった。  
「知らないっ‥‥。血痕だって見てないよ‥‥。靴は、拾ったけど‥‥死体の足じゃないし、  
先に広場に行ってなんかいない‥‥」  
「へえ、嘘をつくんだ」  
「嘘じゃないっ! だって、あの朝は行こうと思っても‥‥なかったんだ!」  
 必死になって声を搾りだし、はっとして涼一が口を閉ざす。  
 なかった、とはどういうことか。桜と顔を合わす前に一度広場に行くつもりが、必要なもの  
がなかったので、行くのをあきらめた。最初から計算づくで行動するはずが、予定が狂った。  
死体の足首がなかったせいで。そういうことか。  
 ‥‥それでは話が通じない。涼一が犯人だということになる。  
 しかし当日の真夜中に目撃されているのは、涼一ではなく父親の方なのだ。それとも共犯な  
のか。だとしたらもっと動揺を見せるだろう。こんな風に、犯人のことを何も知らず怯えたり  
はしないはずだ。  
 さらに追求しようとしたとき、横から声がかけられた。  
 僕の注意がそれたその隙を逃さず、涼一が走って階段を駆けおりていく。しかたなく、僕は  
声の主‥‥帰ってきたばかりの涼一の父親に向き直った。  
「口論をしていたようだが、うちの息子が失礼なことでも口にしたかね?」  
 いえ、と言葉を濁した。  
 涼一のことについて追求しても、父親が自分の息子をかばう可能性は高いだろう。  
 それよりはと思いつき、少し土手を歩きませんかと父親を誘う。こうして一対一で話を聞く  
機会などそうはないと思ったからだ。  
 ふむとおだやかな顔で僕をみやり、彼は良いアイデアだと同意するように笑顔を作った。  
「では‥‥。そうだね」  
 
 ‥‥死んだハルカの話でもしながら、散歩しようか。  
 
 片桐が、殺されたOLの名を口にする。  
 じっと目を凝らすが、暗黒の思考など、柔和な瞳のどこからも見いだすことはできなかった。  
 
 
 ひどく疲れきって家に帰ってくる。  
 結局、聞き込みの成果をぶつけたものの、一人で煙草を吸っていたのだという片桐の発言に  
隙はなく、犯人かどうかも断定できなかった。  
 殺害時刻、彼はあきらかに広場にいた。彼自身それは認めた。だが、殺されたはずのOLが  
どこにもいないのだ。  
 話している最中に土手で出会った近隣の女性が、さらに片桐の立場を補強した。  
 事件の夜11時半ごろ、彼女は鉄橋の手前で、下流の土手から歩いてきた片桐に出会っている。  
彼はコンビニの袋をさげており、缶コーヒーと煙草を買ったとか、終電がギリギリだったとか、  
2・3分ほど立ち話をしたらしい。2人に口裏をあわせた様子はなかった。  
「仕事柄、私は裏づけの取れない噂は信用しないんだ。私を疑うなら、それなりの裏づけなり  
根拠なりを出しなさい」  
 正論であり、僕は言い返すことができなかった。  
 玄関をあがると、お帰りなさいと桜が出迎える。淡いピンクのカットソーの上にエプロンを  
かけた桜は実に家庭的で、一般的なほほえましい家庭そのものだった。母と父は仕事の関係で  
会食のため、今夜は遅くなるらしい。  
 待っててね、今作るから、と台所へ戻っていく桜の背を眺め、僕は混乱した思考を整理した。  
 この事件をもう一度考えなおす。争点は大きく二つに分けられるように思えた。  
 殺人犯と、遺体を盗んだ者についてだ。  
 犯人についての最大の謎は、被害者の痕跡がないことだ。  
 どこで殺すにせよ、OLはあの草の海の中で足首を切断されたはずなのだ。にもかかわらず、  
彼女の姿を見た者は一人もいない。見えない殺人鬼というフレーズが頭をよぎる。この場合は  
その逆だ。  
 そしてもう一つ‥‥もっと分からないのが、足首が消えたことだった。  
 犯人については涼一の父親ではないかと憶測もできる。だが、足を盗んだ者のことは何一つ  
分からないのだ。なぜ盗んだのか。どこに保管しているのか。そして‥‥森野と僕をのぞいた  
4人のうち誰なのか。  
「できたよー。今日はちょっと豪華に、鶏肉のポトフ風煮込みを作ってみました」  
「ありがとう、桜」  
 ‥‥こちらの容疑者の中には、僕の妹も含まれるのだ。  
 グラスで乾杯し、夕食の席につく。  
 嬉しそうに向きあって食事する桜は、死体を発見したショックも後遺症も残ってないようだ。  
しきりとにこにこしながら、塾での出来事やちょっとした話題などをふってくる。  
 どうでもいい話なので無視し、死体のことを考えこむ。  
 僕や森野のように、人の暗黒面、闇に根ざした衝動を追い求める人々なら、あるいは足首を  
欲しがるかもしれない。だが、あれだけ腐敗の進んだ遺体を保存し、手元に置きつづけようと  
思う理由がみえてこない。僕でさえ写真が限界だった。  
 芯まで火の通った鶏肉をほぐし、スープとともに咀嚼しながら死体の形状を思いかえす。  
 死体というのは命の絶えた瞬間から、おそるべき速度で劣化していく。腐臭を隠し、形状を  
保ちつづけるのは並大抵のことではないのだ。  
 そうまでして死体そのものに執着する理由とはなにか‥‥。  
 逆なのだろうか。『死体をあの場所から動かす』ことが大事だったのだろうか。  
 やだ、兄さん笑わせないで、と桜がのどを鳴らして笑い、食卓に引き戻された。無意識に面  
白い話題でも振っていたのだろう。ころころと桜がおかしそうに笑いころげる。これが本来の  
妹であり、素直で、家族を大事にする彼女の姿だ。  
 しかし、妹が僕と同種の人間である可能性は、本当はゼロではないのではないか。  
 昨日から、そのことを思うたび、ぞわりと心がざわめく。  
 実は桜も日常にうんざりしているのかもしれない。人知れぬ狂気に慰謝を見いだし、仮面劇  
を演じるように毎日をこなしつつ、おぞましい事件や事象を熱心に調べているのかもしれない。  
僕らは兄妹なのだ。血のつながりが同じ傾向を呼び覚まさないと誰に断言できるだろう。  
 もしも桜がこちら側の人間なら‥‥。もう一度思う。  
 
 死体を愛好し、残酷を好み、昏い行為に魅せられる僕や森野と同じ人間ならば‥‥。  
 桜は‥‥。もう、僕にとって、どうでもいい人間ではなくなるのだ。  
「どうしたの、兄さん‥‥」  
 呼びかけてくる声が遠く、かすかに震えている。  
 気づくと、桜はなぜか真っ赤になっていた。知らず知らずきつい視線を向けていたらしい。  
ごめんと謝ると、さらに前髪で顔を隠し、いいの、と彼女はつぶやいた。  
 やけに顔が赤いなと首をかしげ、二人ともワイングラスをもっていることに気づく。  
 そういえばさっき、飲む人がいないからって涼一君のお母さんに貰ったの、と桜がワインを  
出していた。僕らは未成年だからほどほどにねと返事をした記憶もある‥‥なるほど、つまり  
桜は酔っているのだ。  
 しきりとこちらを気にしながら、桜は小さな口にスプーンを運び、ふうふうとポトフを啜る。  
 視線を恥ずかしがっているのに、目があうたび、にへらっと笑うのだ。  
 あれから体調は大丈夫かいとたずねると、桜はちょっと不思議そうな顔をしたが、うん、と  
こっくりうなずいた。  
「怖いよね。本当に殺されたOLがいたんだもの」  
 かわいそうとつぶやく桜の声には実感がこもっていない。気づかうふりをしながら、遺体を  
捨てた犯人は身近にいるかもしれない、気をつけるようにと言う。  
 ぼんやりとこちらに視線をむけ、またしても桜は、あのときと同じ奇妙な表情を浮かべた。  
涼一の家で血痕の話をしたときのことを思いだす。涼一を問いつめたときもそうだった。桜も、  
なにか知っているのではないだろうか。  
 そういえば、死体の発見を親に隠している理由も気になっていた。それとなく質問してみる。  
「‥‥。教えない」  
 思いがけない返答がかえってきて僕はびっくりした。桜は、なぜか口を尖らせたまま、糾弾  
するように僕をにらんでいる。  
「事件のことばかり質問するのね。そんなに気になる?」  
 とくに考えることもなく、桜が心配だからという台詞が如才なく口から出た。本当にそう?  
と疑う声はむくれ気味なものの、さっきよりは桜の表情もあたたかい。  
 少しして、桜はぽつりと呟く。  
「心配しなくても大丈夫よ、兄さん。あれはただの偶然で、犯人は近くにいないと思う」  
 ‥‥あれ、とは、遺体が放置されていたことだろうか。  
 逸る心を抑え、どうしてと聞きかえす。  
 すぐには答えず、遠くを見る目で桜はポトフを啜っていた。視線を追うが、その先には天井  
があるきりだ。  
 ねえ、兄さん‥‥。  
 目を戻すと、桜が僕の顔に見入っていた。  
 ちろりといたずらっぽく舌を出し、愉快そうに目をくるくる動かす。  
「もし、私が犯人だったら、兄さんはどうするかな‥‥」  
 つかまえて警察につきだしちゃうのかな‥‥。それとも、私を叱ってくれる‥‥?  
 酔いのせいか、濁ったような色がおどけた目の奥に薄くかかっていた。  
 返事を思いつかない僕の前でくすくす桜は笑い、ごちそうさまと手を合わせて立ち上がる。  
桜のグラスには一滴も残されていなかった。  
 

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