「私には、これしか出来ませんから」
そう言って笑うあの人の顔を、私は何回見ただろうか。
申し訳無さそうに、まるでそれが一般値以下であるかのように。
金髪が覆う頭を軽く掻いて、小さく頭を下げながらあの人はいつも言うのだ。
「私には、これしか出来ませんから」
そんな事言わないで欲しい、そう思う様になったのはいつ頃からだっただろうか。
それが出来る事の凄さを理解して欲しい、それが出来る貴方は凄いのだ、そう伝えたくなったのは。
私が全ての能力をつぎ込んでいるのに、彼の行いには追い付いていないという事を。
彼が謝らないでくれるには、どうしたらいいだろうか。
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「物好きだねぇ」
そんな溜め息混じりの言葉をキャベンデッシュは聞く。
肩をすくめ、やれやれ、といった風の視線を送ってくる彼女は、自分とで間に挟むテーブル状のドーナッツをつまんだ。
千切って、頬張って、飲み込んで、それを幾度か繰り返して、全てを食い終えてから、
「……物好きだねぇ」
「に、二度言わなくても解りますっ」
思わずテーブルを叩いてしまい、二人分のティーカップが音をたてる。まだ幾分か残っていた紅茶が揺らぎ、水面として直上にある太陽の光を乱反射した。
は、とした思いでキャベンデッシュは辺りを見回す。
我等が妖精女王より預かった英国艦隊、船舶部の旗艦に任命された艦の甲板が広がっている。縁より先を白と青の空色とするここには、まばらながら部下である船員達があり、彼等は一様にこちらを見ている。
「は、働いてますっ、働いてますよっ!?」
これは午後のティータイムだ。今まで働いた分を相殺する休養なのだ。
……英国はお茶の国! 一日三食に十時と三時のおやつも加えた、大小含めて一日五食の国っ! だからお昼過ぎにこうして同僚とお茶していてもおかしくないんですよ――っ!?
しかしテンパるこちらをよそに、目前の同僚は素知らぬ顔で新たなドーナッツを頬張り始めた。
「……オマリさん」
「あん?」
名を呼んでみて、気怠げな瞳がこちらを見る。頭の小さな動きに、木精の証である草と蔓を絡ませた黒い長髪が一房分離れた。
「あによ」
「……いえ」
暇つぶしにやって来てはお茶やら菓子類やら貪っていく女性。これが他国からは“海賊女王”として恐れられる、ドレイク先輩と並ぶ英国艦隊の将とは思えない、などとは常識人で最も影の薄い自分は口にしない。
……ええ、私まともですからっ。この人達に意見するなんてとてもとても――っ!
うん、そうだ。
自分の回りには能力と一緒に脳内もぶっ飛んだ連中ばかりで、常識的な一般人魚な自分は困ってしまう事が結構多かったりもする。
……具体的には申しませんが、ドーピング好き詩人やらシャウト系な骸骨やら万年ビキニパンツの先輩やら幼馴染みの為に大罪武装渡しちゃうオタク予備軍少女やら……っ!!
一騎当千という言葉は戦闘力に限らないのだなぁ、とキャベンデッシュは深々頷き、
「――何でもありませんよ?」
「……その長い沈黙は何よ」
まあいいさ、と手櫛で分かれた一房を髪の本流に戻し、そのまま頬杖をつく。そこにさり気ない色香を感じて、ああ人妻属性だなー、などと思う。
最後に、ははん、とオマリは鼻で笑って、
「いつものように菓子類貪りに来たらテーブルと茶付きで出迎えられて、面と向かって何話されるかと思えば惚気話か。――それも、世間様にゃぁ今一評価されない同僚相手の」
「そ、そんな事はありませんっ」
否定するのは惚気話という部分でもあり、また、話の的にした同僚の評価についてもだ。
「彼のおかげで私達は存分に動けるんです。それに、彼は負傷者の補償もしているんですよ? ……管轄外だというのに」
目立っているとは言いません、名ばかりの海戦長で風聞が悪いのも知っています。
だけれど、
「――私達を助けてくれる彼が、評価されないのは嫌です」
一息、間が空いた。
は、と自分が感情任せに喋っていたのだとキャベンデッシュは気付く。
言われたオマリは、表情も無しにこちらを見つめている。ぶれない視線はこちらを値踏みされているようで、そこに女性としての年齢差を感じてしまう。
気がつけば回りの船員達もこちらを注目していて、船艦の空を進む音だけが鼓膜を擦る。
そして、
「ははん」
オマリが、再び鼻で笑った。
「何だい、結局惚気の方は正しいんじゃないか」
どこか張り詰めていた空気が、オマリの笑みで緩み出す。
「作家の小娘やら傷物の姉君様やら、はは、どうも私ゃこういう話をやたら持ちかけられる星のもとに生まれたらしい。……まあ、良い暇つぶしだけどね」
「ひ、暇つぶしって」
「そうでもしないと聞いてらんないよ、人様のコイバナなんぞ」
コイバナ?
「しかしまあ……アンタの自称を信じた訳じゃないけど、アンタはもうちょい控えめな奴だと思ってたんだがね。よもや既婚者に、か。中々どうして、ある意味他の奴等より道無き道を行くねぇ」
「いえ、そんな」
というか。
「コイバナって……私は別にそんな思いはありませんよ?」
今度こそ、オマリの表情が固まった。
「私のは単に、自分と同系統の職務を持持ち、しかし術式を使う私より有能な彼の必要以上な謙虚をさせたくないだけですよ。ある種の嫉妬というか……自分勝手なプライドからくる押し付けです」
うん。
「恋愛感情じゃ、ないですよ?」
オマリは感情も何もかもが漂白された表情を数秒間維持した。それから三個目のドーナッツを手に取り、今度はあっという間に食い尽くし、それから新たに溜め息をつく。
「自覚なし、か。やはり面倒だねぇ。今話してた時のアンタの様子見てりゃ、誰だって気付くような感情だって言うのにさ」
或は、とオマリは続けた。
「自力で海中から上がった人魚は、しかし気付かぬうちに声を取られてました、ってか? ――自分の思いを主張する力を。おとぎ話だが、異族揃いの英国にゃあってもおかしくない」
一息。
「略奪婚の人魚姫。中々どうして近代アレンジの入った演目じゃないか」