ラーメン屋の中、高村は一人椅子に座っていた。厨房では岩田が例によって塩ラーメンを作っている。  
 周囲の椅子は全て机に上げられていて店じまいの様相を呈している。  
 親父さんは奥さんとお婆さんの所に行っていて、店の中には二人以外の姿は見当たらない。  
 妙な緊張を落ち着かせるために高村は小さく息を吐いて、岩田の背に声をかけた。  
「なあ、蓮」  
「なに?」  
「餃子は?」  
「無いよ」  
 無いのか……。  
 最近食えないな。  
 そう思いつつも閉店のタイミングで来ているのは自分なのだから文句は言えない。  
 見慣れたポニーテールは今は無く、岩田の身動きに追従してショートの髪が流れている。  
 店内には有線からアコースティックギターの音が流れている。  
最近分かってきたアコースティックギターの言葉を聞いていると、ラーメンの調理をしながら背中越しに岩田が話しかけてきた。  
「昂」  
「なんだ?」  
 また面白い話しをしろと言われてもネタがないぞと内心で思っていると、  
岩田は己の片足を軸にもう片方の足を伸ばして椀を取ると湯を入れて椀を温めながら、  
「これからどうするのさ?」  
「え?」  
 湯を捨てる動きと共に半身で岩田が高村へ振り向いた。  
「野球もやめちゃってさ、仲だってなんだかんだで寂しがったりするんじゃないの?」  
 すぐに調理に戻った岩田にああ、と納得する。心配されてるな、とも。  
 
「大丈夫だ」  
 本気になれるものがあると、仲とは互いに認め合っているから。一度決別したが、それで絶縁というわけでもない。  
 その理由を心で思い、もう一度、  
「大丈夫だ」  
 返答する。進路も、自分が本気になれると知った今なら、さらなる本気の場所を求めるためならきっと大丈夫だ。  
 あの充実した停学期間中にいろいろと集中するコツというものを掴んだしな。  
 不真面目だなぁと苦笑の形に口を歪めていると、岩田が完成したラーメンを椀に入れてこちらを向き歩いて来た。  
「――あ」  
 思わず声が出た。  
「あ、ってなによ」  
「いや……」  
 あたりさわりの無い事を言おうとして、嘘は無いようにしたい。  
そう心に思い、「いやな」と一息、真剣な顔で岩田を見据え、以前光の中で見た岩田の身体の線を思い出しながら、  
「お前の動きを支えている形の良い尻が視界から突然消えたせいでつい落胆の声が――」  
 調理に使われて熱をもったザルが飛んできた。  
 
 
            ●  
 
 
「それにしても」  
「ん?」  
 岩田の機嫌が直るまで心持ち身を低くしてラーメンを啜っていた高村は彼女の口火を切る言葉に救いとばかりに反応した。  
 岩田はグラスの水をチビチビやりながら、  
「まさか本当にヤクザとの付き合いがあったなんてね」  
「鉄さんの事か? 組じゃなくて会社勤めだぞ、あの人」  
 そう本人は主張していた。実際は知らん。  
「ってかそもそもヤクザとの付き合いとかどこの噂だ」  
「神林」  
 じゃあネタ元は仲か。……変なうわさが妙な現実感をもって広がらなければいいな。  
 新聞部の実力を想像して頬をひくつかせていると、岩田は破顔し、  
「不良よね」  
「鉄さんは良い人だよ。あの人のおかげで」  
 鉄さんは高村が大連射2をクリアするためにゲーム機と大連射spを貸してくれ、そのおかげで万全の態勢で大連射2に挑むことが出来た。  
 鉄さんのおかげで仇を討てて……、  
「決着をつける事ができたから」  
「あの後嬉しそうにしちゃってさ、子供みたいだった」  
 そうだろ、と答えてラーメンのスープを飲み干す。  
 ん、美味い。  
 小さく味の感想を呟き、  
「それだけ好きで、本気で、感傷的なんだって」  
「うーん、想像できないわ」  
 あんな見た目だけどあれで実は子煩悩なんじゃないかと思うなあ……。  
 
 納得いかなさそうな岩田を見て苦笑気味にそう思っていると岩田がまた声を発した。  
「あの、昂がゲームやってる時に私が読んだ手紙……」   
「竹さんの?」  
「そう」  
 何故か岩田の声は不機嫌そうに響く。  
「あんな手紙なんか送り合っちゃってさ」  
 荒っぽい声音に「ん?」と高村は首を傾げた。  
 悩み、おお、と手を打つ。もしかして、という言葉を内心の枕言葉にして、  
「嫉妬か?」  
「ば、違っ」  
 瞬時に顔を紅潮させた岩田にしかし高村は戦慄を覚え、即座に弁解を開始する。  
「いやいや、竹さん男だぞっ?」  
 途端、冷めた顔になった岩田が半目で、  
「……鉄さんって人と竹さん、どっちが本命なのさ?」  
「待て、待つんだ蓮」  
「なによ」  
 嫌な汗が出てきた。  
「竹さんには麻美さんがいるし、鉄さんなんて子持ちだぞ?」  
「あんたこそ何を必死になってるの?」  
「え?」  
 冷めた顔から転瞬、笑いをつくり、  
「昂がそっちの人なら仲とそういう関係になってるでしょ?」  
「うーん、それはどうだろう」  
 あの野球バカに付き合うのはかなり大変そうだ。  
 唸っていると岩田がおずおずと訊いて来た。  
「昂……さ」  
「うん?」  
「すごく楽しそうにゲームの話するよね」  
 隠す事も無くなったためか、そういえば最近岩田に高村はゲームの話をしているかもしれない。  
「まあ、ゲーム好きだからな」  
 確信を持って言える。間違いなく高村はゲームを好いている。  
 岩田も「そうよね」と応答し、間をとるように一息、そして、  
「私よりも?」  
 身を乗り出して訊いてきた。  
 
「お、おい……蓮?」  
 思わず椅子の上の上半身を引く高村。  
 岩田は高村に目を合わせてきた。逸らせなくなった高村は思わず生唾を飲みこむ。  
 岩田は真剣な目で高村の反応を見るように見据え、もう一度、  
「私よりも、ゲームが好き?」  
「蓮は喫茶店と俺、どっちが好きだ?」  
「む」  
 考えるような間ができた。  
「即答無いってのは寂しいな……」  
「アンタが言うなっ!」  
 分かってる。そして実は返答も用意してある。だからそれを口にしようとして、  
 ありがたいなぁ……。  
 心に浮かんだ友人の姿に心の中で感謝を捧げ、  
「俺は、ゲームをやる俺を、蓮に支えて欲しい」  
 竹さんと麻美さんみたいに……。  
 今の高村に考えうる一つの理想の形を思い浮かべる。  
 岩田は「へえ」と呟き、  
「随分都合いい事言うわね」  
「おう」  
 返す言葉も無い。だから開き直って答えると、  
「ま、いいわ」  
「合格?」  
「ギリッギリね」  
 岩田が更に近寄ってきた。高村は岩田の肩に手を置く。  
 細いなぁ……。  
 妙な感動を抱き、次いで岩田の回して抱き寄せる。  
岩田は身を一瞬硬くし、しかし緩く吐き出される息に合わせてゆっくりと力を抜いた。  
腕の中、コホン、と咳払いがあり、  
「これから、他に人が居ない時はいつだって餃子は無いわよ」  
「ラーメンはいいのか?」  
「妥協よ。ラーメンよりもコーヒーの方がもっといいわ」  
 いつの間にか曲が変わっていた。ピアノとアコースティックギターの音が聞こえる。  
2つの違う楽器がそれぞれの言葉で語り合い、一つの音色を作っていく。  
 悪くない。  
 思い、影が重なった。  
 
 

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