「まぁ、狭い我が家だが」
そういって迎えたのは、先行して室内に入った正純だ。
和室仕様の長屋は玄関と床の区切りとして大きな段差がある。
靴を抜いた正純は、床の縁辺りで膝を折って座り、こちらを迎える姿勢だった。
……真面目ですわねぇ……
正純のスタンスに、ネイトは胸のうちで感心を思う。
隣に立つアデーレなどは、おぉ、と小さく頷いている。
「失礼いたします」
正純の礼儀に応えつつ、ネイトとアデーレは長屋の出入り口をくぐる。
西洋文化の生活を送る自分にとって、靴を脱いで部屋に上がるのは不思議さがある。
そうして視界を埋めた正純の部屋は、なるほど確かに自己申告の通りだ。
長屋としての狭さもある。
だがそれを、強調しているのが私物の少なさだ。
「整理されてますねぇ」
ネイトの後ろ、靴を脱ぐアデーレが呟いた。
正純は、畳まれた布団を下にした座布団を掴んでいる。
はにかんだような、曖昧な笑みを浮かべて、
「整理するほどの物を持っていないだけさ」
「ですが、正純はよく本を買っているではありませんか」
「読み終わった本は、要点を写したら古本屋に売ってしまうからな」
そう言う正純の頬は心なしか赤い。恥じているのだろうか。
「少しでも金を回収して、新しい本を買うのに回してるんだ」
そういうものですか、と答えるのは、裕福な自分の驕りだとネイトは思う。
……副生徒会長、といっても大変ですわね……
座布団を受け取り、尻の下に敷く。厚みの衰えた感触は、正純に対する感想をより深めさせる効果を持っていた。
「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
こちらの思いを振り切るように、正純が言い切った。
その手にあるのは盆、そこには茶碗と小振りの紙袋が乗っている。表面に印字されているのは六護式仏蘭西の文字だ。
それが著名な茶葉の銘柄であることをネイトは知っている。なぜならば、
「いえ、私が贈った物なのですから、私が……」
「だが今は私の物だろ?」
正純は笑んだ。
「だから私に使わせてくれないか。ーー貧しい私が、客を出迎えるために」
言って、正純は再び玄関をくぐっていってしまった。
は、とネイトは息を漏らし、
「気を、使わせてますわね」
申し訳ない、とネイトは思う。そして、アデーレはどうなのだろうか、と同行者を思った。
隣で座布団の上に座っているであろう同級生に振り向いて、
「……って何をしてますの!?」
アデーレはこちらに尻を向けた四つん這い姿勢だった。
部屋の隅へ頭を突っ込んだ彼女は、手を動かす度に尻を揺らしている。
「あー、いえ、何かここにダンボール箱がありまして」
「箱?」
この簡素な部屋にそんなものが? という疑問がネイトの胸に湧く。
腰を上げたこちらを見るでもなく、アデーレは尻を小さく揺らし続ける。
「……何が入っているのか、気になりません?」
「え、いや、でも」
「御開帳ー」
「あ、あなたは蜻蛉切ですか!?」
やはりアデーレは聞かない。段ボールを掴んだままこちらへ下がり、中身を室内灯の下に晒す。
そこにあったのは、
「……写真?」
箱の中で積み上げられた小物の層、その天辺にあるものは、古びた写真だった。
歳かさの男と女、その間には彼らの腰ほどもない幼い少女が二人立っている。
どちらも黒い長髪、だが片方はまっすぐ下ろしていて、もう一人は馬の尾を描くようにして結わえている。
彼女達には見覚えがあった。
「副長と……正純?」
二人の面影が、写真の少女達にある。
ならばこの写真は、
……三河にいたころの正純……
見るに、初等部の頃だろうか。そういえば正純と副長は三河時代の同級生だった、と思い出す。
そしてこの後、正純は襲名を失敗し、母を失う事になる。
その記憶は正純にとってどういうものなのか、そして、どうしてそれがここにあるのか、それをネイトは思い、
「……真面目、ですわね」
最早、呟かずにはいられなかった。
箱の中を埋め尽くした小物群は、どれも古びている。だとすれば、これは全て、三河にいた頃、正純が持っていたものなのだろう。
手放してしまえば良いのに、と思い、手放す事が怖いのかもしれない、とも思う。
ただ、真面目だと、そう思う。
「ーー正純」
思いが体を動かし、再び双眸を彼女の写真に向けさせる。
そして、
「え?」
気づいた。
ネイトは、写真の中にある違和感に気づいた。
写真に写る初等部頃と思しき正純の姿。はじめて見た時は驚きと感傷と、あと真正面からのアングルによって気づけなかった事。
「……体の輪郭が」
妙に、上半身が大きく見える。
気づいてしまうと、隣に立つ副長の細さと対比してしまい、余計に目立つ。
顔立ちや足を見るに、肥満体という訳ではない。だがしかし、膨らんだ上半身の輪郭は、体のどこかが膨れ上がっている事に相違ない。
何だろうか、何がそう見せるのだろうか。
思い、思い、思い、思う。
……あ、あら? あらら?……
思考が空転している気がする。
なんだろう、認め難い現実を脳が拒んでいるような、ていうか、ぶっちゃけ現実逃避しているような。
「第5特務」
しかしアデーレの、低く沈んだ声が、そしてこちらへ掲げたものが、それを許さない。
「……これ」
アデーレが掲げたもの。
それは両手がそれぞれにつまんだ、細く薄いベルトの先に釣り下げられたもの。
否、ベルトとそれは、一体のものであった。それは左右の何れか片方だけであれば、虫眼鏡のシルエットにも見えるもの。
しかしそれを水平方向のベルトで繋ぎ合わせると、また別の物に見えてくる。
ネイトはそれに見覚えがあった。
あれは幼い頃、まだ自分が武蔵に来る前、母とともに暮らしていた頃。
父や母と同じベッドで夜を明かした朝、何やら乱れた寝間着から着替えた母が、その豊満な肉体の一部に装備していた物に良く似ている。
まるで、そう、二つの茶碗を起点にして、逆さまのTが二つならんだようなシルエットを描くそれは、
「……ぶっちゃけ、カップの大きなブラでは?」
アデーレが掲げたそれは。
奇しくもネイトの目線からは、アデーレの胸元に広さを持つそれは。
ネイトが五指を広げてようやく縁に届きそうな大きさを持つ、女性向け胸用下着だった。
「いや、すまない二人とも。長屋共用の釜が込んでいて」
「こ、このブルジョワジー!」
ネイトは祖国で絶賛歴史再現中の階級層を叫びつつ、湯気の立つ茶碗を持ち帰った正純の顔に下着を叩き付けた。