通りませ 通りませ  
行かば 何処が細道なれば  
天神元へと 至る細道  
御意見御無用 通れぬとても  
この子の十の 御祝いに  
両のお札を納めに参ず  
行きはよいなぎ 帰りはこわき  
我が中こわきの 通しかな──  
 
日が昇って間もない時間帯、歌声が響く通りがある。  
歌って・・・る?  
かすかに響くその歌声の元を手繰り寄せるように、向井・鈴はその通りへと足を踏み入れた。  
”後悔通り”の名を冠するその道は、木々に囲まれて、静けさと朝の冷気を満たした空間が広がっている。  
その空間を切り裂くように、細く微かに響く歌声を求め、鈴はその足を進めて行く。  
ほどなくして、ひとつの人影を彼女の対人センサー群が捉えた。  
後悔通りの名を関する出来事、一人の少女の悲劇を悼む石碑の前に佇むのは、髪の長い自動人形の姿だ。  
 
「ホライ・・・ゾン?」  
 
彼女の呟きに、人影は身体を翻してこちらの方を向く、鈴と正面から相対する形だ。  
 
「Jud.、おはようございます。向井・鈴様」  
 
ホライゾン・アリアダスト、先ごろ再会を果たした幼馴染の少女は、ただ静かに鈴に向かってそう声を掛けた。  
 
                 ●  
「歌って、た、の?」  
 
鈴の問いかけに、Jud.という短い返事が返る。  
 
「鈴様、ホライゾンはかつてこの場所で失われたと聞きました」  
「・・・え?」  
「ホライゾン、正直に申し上げまして、かつての自分というものを知りません。また、その頃に関わりのあった人達の事も知りません」  
 
誰かに問うように、あるいは事実をただ確認する為に読み上げるように、淡々としたホライゾンの言葉が響く。  
 
「今回ホライゾンを救う為に、多くの方々が尽力して下さったと伺いました。その方々が、かつてのホライゾンと関わりのあった人達であるとも、  
皆様がかつてのホライゾンの事を記憶に留め置いてくれていたという事は、感謝に値すべき事実かと判断します。しかし、」  
 
紡ぎ出されるホライゾンの言葉に、鈴の胸の奥がざわめいた。  
何故かは解らない。だが良くない事の前触れのような気がしてならない。  
まるで記録を再生するように流れる、醒めた言葉の波が、酷く自分の心を波立たせる。  
 
「今のホライゾンは・・・その方々の記憶に存在するホライゾンではないのです」  
 
駄目だ、と思った。その言葉を続けさせてはいけない、とも。  
だが、己の喉からは咄嗟に掛けるべき言葉が出てこない。  
 
「ならば、皆様が救いたいと願ったのはかつて失われたホライゾンであり、  
今、ここにいるホライゾンは、救われる価値など無かったのではないかと考えておりました」  
 
どうしよう?どうすればいい?このままではいけない、こんな言葉を続けさせてはいけない。  
だがそんな思いだけが先行し、今どうすればよいのかが解らない。  
震える鈴の手は固く握り締められ、知らず知らずの内に胸の前で組み合わされる。  
これでは・・・  
 
「今のホライゾンは、かつてのホライゾンに比較して、”皆様にとって価値の有る存在”なのでしょうか?」  
「だ、だめっ・・・!!」  
 
次の瞬間、鈴は搾り出すような叫びと共に、ホライゾンの元へと身を翻した。  
ホライゾンの腕の中に包まれ、彼女の胸に額を付ける様な体勢で、鈴はしゃくりあげるような嗚咽と共に涙を流した。  
 
「鈴様・・・」  
「わ、わた、わたし、ね」  
 
泣き声に埋もれそうになりながら、それでも鈴は懸命に己の想いを言葉に乗せた。  
ここにトーリがいれば、きっとこんな事態も笑い飛ばしてしまうだろう。正純なら、冷静にホライゾンを納得させる事ができるだろう。  
喜美なら抱きしめて慰めてあげられるし、浅間ならもっと強く彼女を救う言葉を紡げるはずだ。  
だが、今ここには誰も居ない。  
一人だけ、そう今は鈴一人だけだ。  
まるで子供のように、たった一人で泣くこともできずに立ちすくんでいたホライゾンの前に居るのは、自分だけなのだ。  
 
「いっしょ、に、いたい、と、おもった、よ」  
「・・・鈴様」  
「ホライ、ゾンと、また、あ、えて、わ、たしは、うれし、かった、よ」  
 
目の見えない自分に何かを伝えようとする時、教導院の友人達は様々な方法で、こちらに解るように伝えようとしてくれる。  
その度に、皆がどれだけ苦心しているのかを鈴は知っている。  
だから、ほとんどの感情を持たないホライゾンに、どれほど自分の言葉が届くかは解らないけど、  
 
「もう、ね、さよ、なら、するのは、いや、だった、から」  
 
それでも、ただひたすらに自分の想いを乗せて懸命に言葉を刻む。  
自分には、それだけしかできないのだから。  
いや、それだけできることがあるのだから、と鈴は思う。  
ならば・・  
 
「つた、える、よ・・・」  
「何を・・・でございましょう?」  
「今の、わたし、がね、思った、こと、なの。ホライゾン、と、いっしょ、に、居たいって」  
 
鈴は、ホライゾンと別れの後に有った事を思い出す。  
いろんな事、あったよね。  
今の皆が、今の皆になるまでに沢山の事があった。  
離れ離れになりそうな事も、もうダメかと思ったことも、楽しかったことも、辛かったことも本当に沢山の事があった。  
いつか、ホライゾンにも伝えてあげたいと思うことが沢山有る。  
 
「昔じゃ、ないよ。みんな、今のみんな、で、今の、ホライゾンと、いっしょに、いたいって」  
 
鈴は叫ぶ、自分の持てる限りの声で、喜美や浅間が歌うようには、自分はとてもできないけど。  
 
「みんな、ね、待ってる、の。いっしょに、行こうって、待ってて、くれるの。だから・・・」  
 
届け、届けと想う。目の前の少女に、今はまだ遠くに在る少女の心に、たとえそれが境界線上の彼方であったとしても。  
 
「自分を・・・いらない、なんて、言わない、で・・・!!」  
 
鈴の叫びと共に、再び彼女の目から涙が溢れ出す。  
 
「Jud.」  
 
小さな、だが確かに鈴の叫びに応える言葉が響いた。  
同時に、鈴を柔らかく抱きしめる感触が加わった。  
鈴の涙を、ホライゾンの唇が拭う感触が走り、その後、唐突に唇が重ねられた。  
 
「・・・これが哀しみの味というものでしょうか?」  
「・・・ふぇ」  
「Jud.、先日、ホライゾンが初めて哀しみという感情を得た際に、トーリ様が行ってくださいました行動ですが・・・涙は抑えられましたでしょうか?」  
「あ、うん、じ、Jud.」  
「ありがとうございます、鈴様。ホライゾン、少々、かつての自分に嫉妬していた模様です。そもそも・・・」  
 
元々なにも知らないのですから、気にする程のことでも無かったものかと、という言葉が続いた。  
 
「参りましょう。鈴様。ホライゾン、かつての自分にサヨナラをしまして、今の自分でスタートを切ろうかと」  
 
そう言うと、ホライゾンの手が伸ばされ、自然に鈴の手を取って歩き出す。  
あ、と鈴は思う。ホライゾンに引かれる手の感触を感じながら、もうずっと昔にもあった事を想う。  
ホライゾンが鈴の手を取ったのは、あの頃と同じ左の手だった。  
何も覚えていないと、彼女は確かにそう言った筈なのに。  
あのときと、おんなじ・・・  
そんな感想を得たとき、鈴はホライゾンの手をしっかりと握り返していた。  
それを不安の現れとでも感じたのか、ホライゾンが怪訝そうな声を掛けてくる。  
 
「・・・鈴様?」  
「Jud.、だい、じょう、ぶ」  
 
鈴はホライゾンを安心させるかのように、柔らかな微笑を返して、その手をしっかりと繋いだまま、彼女の横に並んだ。  
一瞬だけ、かつてのホライゾンを偲んだ石碑に顔を向けて、  
・・・もう、大丈夫、だよ。  
 
「いっしょ、に、歩いていく、よ」  
 
朝日の差す熱を受けて、二つの影は前を向いて歩み始めた。  
 

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