掌が空気を叩き、そして姿は現れた。  
 福島・正則である。上着の無い彼女が従えるものは結われた長髪と、尻を覆う腰巻きの延長線上にあたるスカートだ。  
 丁寧に刃をたてたような切れ長の瞼がゆっくりと開き、二つの瞳は二人を見る。  
 自分、羽柴・藤吉郎とその隣に立つマティアスだ。  
 ひび割れたように白髪を混じらせた短髪は、苦笑を貼付けた細面に撫で付けられている。  
 小柄な自分よりも、頭二つは大きい彼の顔は、こちらに向いている。  
 しかし弓なりの目は瞳を晒さず、その視線は自分で結んでくれているだろうか、と思い、  
「……羽柴君?」  
「は、はいっ! なんで、しょう、マティアス様?」  
「僕がどうかしたのかな? ……よもや僕に命令かい!? 予期せぬ傀儡絶頂タイムの到来かな!?」  
「い、いえっ、そ、んな、では、なくっ! え、と、えとっ」  
「――マティアス様、羽柴様は拙者を呼び出されたので御座ります。羽柴様の命令は、拙者のもののに御座りますれば」  
 どこか鋭さを増した双眸がマティアスを捉え、  
「……出しゃばんなで御座りますよ?」  
「す、素が出たね!? いま素が出たね福島君!」  
「ノ、ノリちゃんっ、……めっ!」  
「……失礼をば」  
 福島は頭を垂れ、長いポニーテールが白い細首を伝う。  
 その仕草が、謝罪のためではなく、真意とは別の表向きだけで事を終わらせようとしているように思えて、もう、と羽柴は腰に手を当てる。  
 だがそのため息は、しかたないなぁ、という胸中の吐露でもあり、  
「あのねノリちゃん、お願いがあるの」  
「何事に御座りましょう」  
「えとね、さっきP.A.Oda本土からたくさん御菓子が送られて来たの」  
「ああ、羽柴様のお体を慮ってのことで御座りましょうな。羽柴様は、些か以上に御身を細くし過ぎて御座ります故」  
「う、うん、でも、だからって単品の摂取カロリー量を増やなくても良いと、思うんだけどなぁ」  
 
 羽柴は振り返った。  
 そこには部屋があり、机があり、そして総体として山なりを描く箱の群がある。  
 箱の群はいずれも、ムラサイ教譜であるP.A.Odaの菓子系ブランドが用いる包装紙で包まれている。  
 そのうち、こちら側にカードの文面を立てているものがあり、  
「『奇跡のコラボ・P.A.Odaの菓子類文化とM.H.R.R.が誇る無二有数の菓子職人・アブラギッターが織りなすチョコレートスイーツ!』……」  
「無二で御座りますれば、確かに有数でも御座りましょうなぁ」  
「オンリーワンはナンバーワン、だね」  
 むぅ、と三人は肩とともに頭を落とす。  
 それからいささかの後、もたれるような足取りで菓子類が山積みとなった机を囲んだ。  
 マティアスの苦笑は途方に暮れたような色味を増して、  
「……肉・骨・麦酒基本の一般的M.H.R.R.人として、甘いものは苦手なんがなぁ、私」  
「だ、大丈夫ですよマティアス様! ……ファイトです!」  
「さりげに食う事前提にしてるね羽柴君……。まぁ、傀儡命令でナイスだが!!」  
 互いは胸元で拳を握り、小さな頷きとともに笑みを交わした。  
 そしてマティアスは眼前にあった箱の一つを取り、包みののちに箱を開け、  
「ふぐ……っ!?」  
 連鎖的に骨を鳴らし、細い顔が急速なツイストを描いた。  
 回転した頭に胴も追随し、さながら強烈なブローを頬にくらったかの如くマティアスは虚空で回転しつつ肩から床へ墜落した。  
 剛毅なリアクションに羽柴は感心を思い、  
「……ってマティアス様!? い、今のトリプルアクセルリアクションは一体!?」  
「い、いや、予想以上の甘い匂いに、つい反射で……」  
 羽柴は机を回り込み、マティアスが開けた箱の中身を見た。  
 それは箱の奥へ、黒にも似た茶色を差し込んだか細い棒の群を内包したものだった。  
 羽柴はその菓子の名前を知っている。  
「ボ、ッキー?」  
「羽柴様っ、羽柴様っ! それは危険な発音に御座ります!」  
 いけない、M.H.R.R.弁に慣れ過ぎて、うっかり濁音で言ってしまった。  
 
 羽柴は箱の中から某菓子を一本摘み、小さな唇に差し込んだ。小さな、それこそトウモロコシの実を並べたような小さな前歯が菓子の先端を噛み、捉える。  
 鼻と喉を満たすチョコレートの甘い匂いを羽柴は思い、  
「マティアス様は、御嫌いですか?」  
「う、うん、ちょっと、苦手かなぁ……」  
 そうですか、と羽柴は棒菓子をくわえたまま、僅かに俯いた。  
 自分はそう嫌いでもないのだが、彼とそれを共有できないことが、どこか残念となって胸の奥に積もり、  
「――――――」  
 だから、頷いた。  
 故に羽柴は、未だ腰を床に落としたままのマティアスに詰め寄った。  
「は、羽柴君?」  
 何だろうか、とでも言うかのようにマティアスは苦笑を歪める。  
 彼が四六時中浮かべている、ある種の鉄面皮を揺るがしたことに嬉しさを思い、やはりこの手段は効果的なのだと理解する。  
 そして、詰めの一言だ。  
「ま、マティアス様、ど、ど……どど、どう、ぞ」  
 肩に手を置いて動きを封じ、彼の眼前にくわえた某菓子の、くわえている側とは反対側を突きつけ、そして彼の唇へ突貫を、  
「ん」  
 しかし、それはマティアスへ届く前に、横から入った影によって妨げられた。  
 福島だった。  
「あ」  
 マティアスの横顔を掌で押しやって作ったスペース、先ほどまでマティアスの顔があった空間に、福島は割り込む。  
 そうしたからこそ、マティアスを狙った羽柴の攻撃を、福島は受け止められたのだ。  
 
 福島と羽柴の唇が、棒菓子の終始両端を持って繋がる。  
 それまで思っていたものとは別の思いにより、羽柴は人工の頬を染め、  
「の、ノリちゃん……っ!」  
 再び怒ろうとした。  
 だが、それよりも先に、  
「……羽柴様っ!」  
「ん、んむっ!?」  
 急接近によりへし折れた棒菓子、宙を僅かに舞う断片さえも口に含んで、接近した福島の唇が羽柴の唇を捉えた。  
「ふ、ふぁ、ノリ、ちゃ……っ!」  
「羽柴様……、チョコレートのお味で御座りますね」  
「そんな、の、ノリちゃんだって」  
「だったら他の味も如何に御座りますか? まだまだ、菓子は尽きませぬぞ?」  
 もはや福島が羽柴を押し倒す中、一人かやの外にいるマティアスは、机の上の菓子箱へ手を伸ばす福島の、放蕩とした横顔に苦笑の色を深めた。  
 
 

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