正純は、その日も夜遅くまで自室で机に向かい、副会長業務の残りを片付けていた。  
 副会長としての職務は、数多くある。  
 住民からの陳情の処理。機関部その他の各部署からの報告の閲覧。手綱を取っていないとすぐ暴走する会計との丁々発止のやりとり。……最後のは本気で誰かどうにかしてくれと本気で思う。  
「……ふぅ」  
 そんなことを考えつつ、ふと時計を見上げると、もう1時を指している。夢中で仕事に没頭するうちに、  
 このぐらいの時間になることは珍しくない。政治家の職務は、昼夜を問わないハードな仕事だ。  
 思えば、父たち暫定議会の面々も、いつも夜遅くまでどこかに集まり、武蔵の将来を決める仕事に明け暮れているはずだ。  
 ……父、か。  
 正純は、仕事の手を止め、ふと父のことを考えた。かつて襲名に失敗し、母と自分をおいて去っていった父。  
 いつも自分に厳格に接し、甘やかすことのない父。そんな父を、年頃の子として恨む権利があるのかも知れない。  
 しかし自分には、そうする気にはなれなかった。  
 ――今の自分があるのは、父のおかげだからな。  
 父からは幼い頃から、政治家としての全てを叩き込まれてきた。弁論の術。状況を的確に把握する術。そしてなにより、  
 常に公のことを考える滅私の心。父の厳格さが、その政治家としての滅私の心から来るものにほかならないと、正純は承知している。  
(きっと、私は父に憧れているのだろうな)  
 常に凛として己を律し、武蔵という国の未来を見据えている父。大きな挫折を経験しつつも、それに屈することなく、  
 自らの職務を全うする父。そこに自分を重ねていないといえば嘘になるだろう。  
 だが、正純はわかっている。自分には、まだ到底そんな資格はないと。滅私の心とはほど遠い、  
 己のことばかりに囚われる弱い自分。不安と緊張、そして醜い欲望に負けてばかりだと、正純は自責する。  
 ――そう、今だって。  
「……ん」  
 もぞ、と正純は身じろぎする。最前から下腹部に生まれていた、ほのかな熱い感覚。毎夜とは言わないが、このところ回数が増えつつある、清廉な政治家にあるまじき秘密の行為。  
『疲れマラ、ってやつね』  
 知り合いの全裸の姉がにやにやと笑いながら言っていたことがあった。  
『生き物は極度に疲れると、子孫を残す本能を刺激されて、性欲が沸き起こることがあるのよね。  
主に男の場合を指して言う言葉だけど、女だって生物なんだから、似たようなことが無いってことはないわよね。  
まして貴方はいつもその細い体がよれよれになるまで頑張ってるんだから、たまにはムラッときてもおかしくないわよね。  
どうなのよセージュン、夜のお仕事中とかそういうことないの?』  
 いやらしい目つきで聞いてくる彼女の横で、黒翼の魔女が真顔で素描を始めていたが、あれはどういうつもりだったのだろうか。知りたくもないが、いずれにしても余計なことを吹き込んでくれたものだと思う。  
「っ……」  
 ペンをおいて、股間を指先で圧迫する。じわり、と快感がにじみ出してきて、正純は思わず息をつめた。  
 
 政治家にあるまじき行為ではないか。  
 ……こんなところを、父に見られたら。  
 股間を擦り、荒い息をつきながら正純は思う。父はきっと、冷たい目を向けてくるだろう。叱責の言葉があるかもしれない。  
 あるいは何も言わずに、無言で立ち去ってしまうかも知れない。その想像は、正純の心に強い羞恥と罪悪感を沸き起こさせた。  
 しかし皮肉にも、そう思うほどに欲情は盛んになり、身の内側から激しく焙る。正純はこらえきれず、ギュッと強く  
 股間を握りしめた。  
「――ッん!」  
 強く圧迫された秘部は、さらなる快感を正純にもたらす。そして、火の点いた身体は解放を求めて熱くほてった。  
 ぎゅっと目をつむり、正純は下腹部を覆うインナーのホックに手をかける。  
 ぷちん、と音がして下腹の布が取れ、ひそやかな部分だけが露になる。  
「あ、……」  
 自らのソコを見下ろし、正純は自分が、上半身は男子の制服、下肢も女子の制服に身を包みながら股間の秘所だけが  
 露出しているエロティックな姿になっているのを見出す。  
「…………」  
 何でこんな破廉恥なことを、と思いつつ、正純は震える指を秘所に伸ばす。今さら止めることなど思いもよらなかった。  
 濡れそぼつソコはさらなる愛撫を求めてひくひくと痙攣している。  
 ジュプッ、と指を突き入れる。  
「っあ!」  
 瞬間、全身を走る電撃に、正純は思わず身を仰け反らせる。自分はこんなにも淫らだったのか。突き入れた指を激しく動かす。  
 プチュ、プチュ、といういやらしい音が響き、びりびりと下腹部が痺れる。  
(何、これ……下半身が、溶けるっ……!)  
 脳裏を占めていた罪悪感はあふれ出る快楽の前に吹き飛び、もはや快楽をむさぼることしか頭にはない。  
 先程まで武蔵の将来を決めるべく仕事をしていた机にうつ伏せ、両手を剥き出しの股間にあてがって、  
 くちゅくちゅと水音を立てて弄り回す。  
「あっ……うぁ……ん……ぁあ!」  
 弄れば弄るほどに快感は沸き立ち、さらなる快感を求めて腰が震える。正純は舌を吐き出し、荒く吐息をつきながら、  
 左手の指で綺麗なピンク色をしたソコをこねくり回し、右手を胸に当てがい服の上から乳首をこする。  
「――ッ!!」  
 男性化手術により胸が削られはしたが、男性にも乳首はあるものだ。手術で再現された男性の乳首は必要以上に鋭い感度を持ち、  
 女としての正純を激しく翻弄する。自らを一つの楽器の如く奏で、嬌声という音楽を紡ぎ出す。夜更けの室内に、  
 荒い息づかいと快楽のあえぎが激しく響き渡った。  
 やがて、『その時』が来た。  
「――――!!!」  
 ビクビクビクッ、と身を跳ねさせて、清純な少女政治家はエクスタシーを全身で迎えた。ぷしゃあああ、  
 と括約筋の緩んだ下肢から透明な液体が噴出する。びくっ、びくっ、と散発的に痙攣しながら、正純は全身で脱力感を感じていた。  
 ……やってしまった、な。  
 けだるく全身を覆う感覚の中で、正純は羞恥と罪悪感で胸を痛めていた。  
 今頃、父はどうしているだろう。  
 娘がこんな淫らな、そして惨めな様を晒しているなどとはつゆ知らず、全霊を尽くして職務に励んでいることだろう。  
 そんな父と自分を対比し、泣けるほどに惨めな気分で満たされていく。  
「……私は、……最低だな」  
 そうつぶやくと、まなじりを一筋の透明な雫が零れ落ちていく。それを拭おうともせず、  
 正純はただぐったりと机に突っ伏して、まぶたを閉ざした。  
 
 その廃屋は、夜だというのに灯り全開大盛況だった。  
 さらに言うと、栗の花の匂いで満ち満ちていた。  
「フゥゥゥゥ――――ハァァァ!! 最高……! 最高! 最高過ぎるぞ! これが、これが夢にまで見た我らが  
副会長・本多・正純のオ……オ、オ……!」  
「ハアハア……ハアアッ! じ、自分はもう駄目だ……これでもう何発目!? この年齢になってまるで十代まっサカりの  
少年に戻ったかのようだ! 若返りの魔力すら持つとは、副会長はまさしく我らの女神……!」  
「貴様ら! 私の娘で一体何発コくつもりだ!?」  
 やにわにドカン! とテーブルが打ち叩かれ、その場にいた下半身裸の暫定議員たちの一人――ノブタンこと正純父が  
 ダンディな口髭を逆立てて怒鳴った。  
「いいか貴様ら! 秘中の秘、私がストーカーまがいの行為をして調べ上げた正純の欲情するサイクルを見越して自室に  
仕掛けた盗聴器と隠しカメラの映像を今回披露するのは、それ相応の権益を諸君が提供できると信じているからに他ならん!   
武蔵全艦の流体をまかなえるほどに発電するのはいいが、わかっているのだろうな……!」  
「それはもちろんわかっていますよ、正信君」  
 うっ! とか呻いて、ぶっ放した白濁液をティッシュで拭き取りながら議員の一人がそう答えた。やたら爽やかな顔で  
 いい汗を流しながら、である。  
「本日ここに集まった者達はまさに一蓮托生。この至高の宝物を守り抜くためにも、今後さらに力を合わせていかなければならないところ」  
 その言葉に正純父は腕を組んで頷き、  
「わかっているならいい。  
 諸君の協力と誠意の見せ方次第では、さらなる譲歩をも私は考えているのだ。  
 すなわち私の最大のズリネタ、幼少時の正純のアルバムを諸君に提供することも考えている」  
 おおお、と「お」が三つついた感嘆詞が一同から上がる。  
「私はロリィな正純の写真一枚でご飯三十杯はイけるぞ」  
「ノブタンの愛情は歪みすぎていると私は思いますよ」  
 福福しい頬を上気させ、丸々と肥えた下腹部を丸出しにした中年――コニタンこと小西が、はふぅとか吐息をつきながら言った。  
 画面の中でぐすっ、としゃくり上げる正純の顔を目にして、議員の誰かがうっ! と呻いてまた一発果てた。  
 そして新たな栗の花が咲く。  
「ともあれ諸君」  
 ノブタンは言った。  
「夜はまだまだ長い。私の経験則から察するに、正純はこの後もう一発ヤるはずだ、いつも愛用のペンを使ってな。  
そのシーンを引き続き見たいなら、次の議会の主導権を――」  
 そこまで言ったところで。  
 白濁に染まった室内を、さらに真白い光が照らした。  
 
 「ズドン」という擬音が廃屋から上がり、次いで爆煙と炎が噴き上がるのを浅間は見た。  
「これで除霊完了ですね。気配はどうですか、鈴さん?」  
 笑みで問われ、傍らにいた前髪の少女がかすれた声で告げた。  
「だ、大丈夫だと思う、よ。禍々しい、気配……消えた、よ」  
「そうですか。厄介な除霊になるかと思いましたが、どうやら無事に成功しましたか」  
 言いつつも浅間は、油断のない視線を廃屋に送る。あれほどの邪念は初めてかも知れない。廃屋を中心に、まるでどす黒い流体が噴き上がるかのようだった。  
 ――一体なにが原因で、あれほどの悪霊が集まっていたのか。  
 厳密な捜査が必要ですね、と内心で気を引き締めつつ、横にいる鈴に気遣いの声をかける。鈴の感覚が必要だったとはいえ、あれほどの濃厚な邪念と向き合ったのだ。何らかの体調不良を引き起こしていてもおかしくはない。  
「気分は悪くないですか?」  
「Jud. ありが、とう。大丈夫、だよ。すごく恐い、気配だった、けど、今は、もう、いない、から」  
「暴走してとんでもない災害を引き起こす可能性もありましたからね。早めに手を打つことができて、よかったです。それじゃあ、撤収しましょうか」  
 言って浅間は、優しく鈴の手を取る。直接、誰かを守ったわけではない。しかし、あの邪念が誰かを害する可能性は十分にあった。その可能性を阻止したと思えば、  
 ――これも誰かを守ることに繋がるんですよね。  
 そう思った浅間は、ほのかに満足の笑みを得た。  
 
 翌朝、浅間が登校して梅組教室に入ると、何やら人だかりができてざわついている。しかも皆の顔色を見るに、  
 何やら良くない知らせのようだ。輪の中心にいるのは、正純だ。彼女は今、生真面目な面にいつにも増して  
 深刻な表情を浮かべている。哀しげな、とすら言ってもいい。  
 だから、浅間は迷わず問うた。  
「あの、どうしたんですか?」  
「おはようございます、智。――実は」  
 同じく、沈痛な面持ちのネイトから事情を聞いた浅間は、まず驚愕を、ついで心痛を表した。  
「暫定議会の方々が狙撃された……!?」  
 ああ、と正純が重い吐息をついて、  
「会議中に爆撃を受けてな。……幸いなことに死亡者はいなかったそうだが、父さん――正信議員たちは皆、病院で呻いている。暫定議会も、機能不全の状態だ」  
「……そんな」  
 武蔵を実質的に運営しているのは、むろん総長連合兼生徒会の面々だ。しかし暫定議会もまた、武蔵を動かす重要な機関であることに変わりはない。さらには、  
「……正純のお父さん、ですものね」  
 浅間の言葉に、正純が目を伏せる。気丈に振舞ってはいるが、衝撃を受けているのは明白だ。  
「“武蔵”さんからの連絡では、艦内に潜入した敵の形跡はないそうだ。あまり考えたくはないが……内部の者の犯行ということも考えられる。……暫定議会の政策を支持しない誰かの、な」  
 吐き出すように言う正純を、浅間は痛々しげに見やった。そして、テロリズムという恥ずべき手段に訴えた何者かに対する強い怒りが湧き上がるのを感じた。  
「同様のことが生徒会に対して起きる可能性もあります。早急に原因の解明をする必要がありますわね」  
 ネイトが厳しい口調で言い、  
「自分も改めて艦内の調査を行うで御座る。何らかの細工が残されている可能性もあるで御座るからな」  
 点蔵も真剣な口調で告げた。浅間もまた、自分にできることを考えた。そして、  
「正純はお父さんのお見舞いには行ったんですか?」  
「いや、まだ行ってない。……何しろ今朝、登校したら初めて知らされたんでな。悪いが授業を早退させてもらって、それから行こうと考えている」  
 事が事ですしね、と浅間は正純の言葉に頷く。そして、父思いの娘を持った正信は幸せだろうなと思った。  
「お見舞いには何を持っていきますか?」  
「何か父さんが喜ぶものがいいけれど、普段あまり好みを聞いたこともないからな。病人に葉巻を持っていくわけにもいかないし。――そうだな、まずは何の花を持っていくかを決めるか」  
「それでしたら、ホライゾンに良い案があります」  
 横で聞いていた武蔵の姫が、右の親指を立てて言った。  
「自動人形的にこうしたケースの統計を見て判断しますに。――栗の花がいいかと判断します」  
 
 (おわり)  
 

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