『そうだな。――生きに行く。そういうことだ』
葵・トーリがその声を聞いたのは、それほど前のことではない。
なのに、何故だろう。
遠い昔のことのようで、つい昨日のようだと思えてしまうのは。
『勝手に死んで解決とか、そんなことやってんじゃねえ!』
そう叫んだ自分の声が、何故か耳に甦る。
あの時、あの声に乗せていた自分の感情は何だったのか。
「喜」の感情を振り撒き、常に誰かを笑わせあるいは呆れさせていた自分が、初めて得た異なる感情。
それは、「死」に近いものだった。
あと少し、異なる感情を得ていたならば、契約は発動し、自分は死んでいた。
死。
生きに行く、と言いながら彼が、笑ってそこへ行った場所。
「ズリィよなあ、オメエって」
トーリはそう言って笑い、そして空を見上げる。
彼が、笑って消えて行った空を。
どうにもならない状況で。
自分こそがそれに最適だから、ついに自分の役立ちの場所を見つけたから、一人カッコつけて勝手に突っ込んで行った彼。
今でも言いたい。「そんなことやってんじゃねえ」と。
けれど、トーリにはわかっている。百万遍、あの状況を繰り返しても、百万遍、同じ結末が待っているということを。
『かつて君は言った。憶えているか? 君は確かに、こう言ったのだ。その姫のことを――“死ぬしかない人間じゃない。殺されるしか他にない人間じゃない”と』
その言葉に救われた、と彼は言っていた。
そしてだからこそ、自分の役割を見出し、自分の生涯を全うするために、自ら笑って逝った。
おいおい、とトーリは思う。
これじゃ俺が殺したようなもんじゃねえか、と。
自分の言葉で救われて、それによって自ら死に赴いたとするならば、それは自分が死に追いやったようなものではないか、と。
「っとと。おいおい、ヤベエなあ――」
トーリは思わず微苦笑をもらす。危うく、彼の後を追うところだった。今、それをしたら彼のどれだけ怒ることか。何故自分の夢を、人生を蔑ろにしたのか。何故、王として数知れない人々を、かけがえのない仲間たちを見棄てたのか、と。
「出来ねえよなあ、そんなこと」
言ってトーリは笑みを深める。
こんな時は、何か楽しいことを考えるものだ。
そういえば彼とは、あまり話をしていなかった。
いつも穏やかに微笑んでいて、自分がギャグを言った時も不思議とツッコミに回らず、といって自らボケることもせず、ただ優しく皆のことを見守っていた彼。
彼が今ここにいたら、どんな風だろうか?
「っととと! だから、危ねえっての!」
死の淵をふらふらしている自分を自覚し、トーリはあわてて頬を両手で何度も叩く。彼女がいたなら、自分が愛して生涯をかけた姫がいたなら、とびっきりの水平チョップをお見舞いしてくれることだろう。
「でも今ここには、アイツいねえよな」
この空の下、いつもの場所には、トーリしかいない。
否、一人ではない。
彼もここにいる。
一人ではなく、二人だ。
なあんだ、とトーリは思う。
「だったら、別に哀しむ必要なんかねえよな」
はは、と笑って再び見上げる。
彼もまた、笑っているはずだ。
残念なく全力で行き、そして全力で逝ったのだ。そのどこに、哀しむ必要がある。もし哀しんだら死ぬという条件がなくとも、自分が哀しんだり悼んだりする必要などどこにもない。ただ彼と同じ様に、静かに微笑み、全力で生きるだけのことだ。
「俺がオメエのところへ行くのは、だいぶ後だと思うからよ。――そん時にゃもっと、話をしようぜ」
笑みで語りかけ、そしてトーリは空に背を向ける。
そして歩き出す。いつもの皆がいる場所へ。その背を彼が、優しく見つめているのを感じながら。
(終)